2-1:再会という名の出会い
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ツカサは感動と喜びで思わず駆け寄り、抱き着きそうになった。それをしなかったのは【その人】が剣を手にしていたからだ。旅の間もツカサにそれが向けられたことはなく、たった一度だけ、イーグリスの西門で対峙した際に向けられたものだ。それが今、ツカサが何かおかしな挙動を取れば即座に振られるだろうとわかり、ぞくりと冷たいものが走った。
それに、よく見ると装備が違う。そっと、ツカサはトーチの下で佇んでいる【その人】を眺めた。
表情を隠す黒い仮面、手に持っている双剣は変わらないが、フードとマントが違う。あの深緑のマントではなく、少しくすんだ緑色だ。首の辺りから垂れ下がっているはずのマントの一部もない。防音の宝珠もなく、片側に浄化の宝珠だけが下がっている。二つ揃っての装備ではなく、防音の宝珠は後付けだったのか。下に着ているものは草原の衣服に似てはいるが、それだって見慣れていた質ではない。そして何より。
『何をじろじろと見ている』
肌が、声が、態度が、若い。ツカサは何を言えばいいのか逡巡、んん、と喉を整えた。
『えっと、こんな時になんだけど、自己紹介してもいい?』
突然の申し出に、怪訝そうに黒い仮面が傾いた。ツカサ自身、何を言っているのだと思い瞑目した。
『答えを持たないのならば用はない』
『ちょ、ちょっと待って待って!』
ゆらりとその体が踵を返し、ツカサは慌ててそのマントを掴もうとした。掴んだと思ったマントがするりと抜けて、地面に倒れ込んで変な声が出た。黒い仮面の下の冷たい眼差しが感じられ、ツカサは赤くなりながら叫んだ。
『ここがどこだかわからないんでしょ!? 俺もなんだ! 一人で行動するよりはいいはずだよ!』
『迷子に何ができる』
『そっちもそうでしょ?』
トーチの明かりの下でふむ、と思案する【その人】が見える。ゆっくりと双剣を鞘に収め、腕を組み、顎を撫で、少し唇が尖っていて、子供っぽさを感じた。
『だが、一人でいい』
ではな、とマントを翻した相手はそのまま駆けだすだろうとわかった。ツカサは咄嗟に遠隔魔法障壁を【その人】に張って、マーカー代わりにした。違和感を覚えたのだろう、再びツカサを振り返ったが、ついに背を向け走っていってしまった。
『待ってって!』
張った魔法障壁のマーカーがすごい速さで離れていく。ツカサはすーはーすーはー、と呼吸を入れてからそれを追った。青白い微かな明かり、壁のツタ模様と点の連なり、その明滅だけを頼りに、一向に速度の落ちない走りに腹が立つ。加えて、何か確信を持っているような道の選び方だ。何が出口への答えになったのだろう。ヒントは何がある。先ほど共に眺めていた壁を見遣った。全てが一緒くたに明滅するのではなく、一方向に向けて光の波ができていた。ツカサがセルクスといた場所は全面が同時に光っていたのを思い出し、もしや奥に向かって光の波があるのではないかと気づいた。【あの人】もそう考えたから、この波に逆らって走っているのだろう。
『そういうの気づくの、俺の役目じゃない!?』
いや、確かに法則性や【いつもと違う】に気づく人ではあったけれど、悔しい。魔法障壁のマーカーは動き続けている。こちらを振り切ろうとしている意図も察せられ、後で追いかけられる余裕を胸に、少し足を緩めた。そもそも、なぜここにいるのか、どうしてこうなったのかを少し考えておきたかった。
家はなくなり、家族は行方不明、皆の安否も、子供の安否もわからない。海を渡って会いに来てくれた冒険者パーティは死んでいると聞かされ、頼れる友人たちは軒並みツカサのことを知らず、混乱の最中、つい先ほど、友と呼んだ神が崩れ去った。
あの時、真っ黒い何かから逃れるためにセルクスはツカサを連れて転移したのだと思う。同じ世界かどうかはわからないが、確実に場所は違う。【あの人】がいるのだから、もしかしたらここはリガーヴァルではなく、別の世界なのかもしれない。ここはどこだと問うていたのだから、【あの人】の世界ですらない可能性がある。
セルクスはなぜ、大怪我を負っていたのか。考えられるとすれば、それはイーグリステリアの時と同じ、神同士の争いが浮かぶ。目の前に立ったシュンを思い浮かべた。一瞬のうちに装備を変え、消え、姿をくらませたあれは、スキルというにはあまりにも。考えはあちこちに飛んだ。
セルクスは崩れ際、気になることも言っていた。あれは、毎回制約をその身に受けながらも情報を渡そうとする、あの神様の精一杯の抗いなのだろう。もしくは、死するとわかったからこそだったのか。以前、一言一句忘れずに伝えられた時のことを思い出し、ツカサはこれを忘れてはならないと考えた。さらに足を緩め、歩きながら少しぶれる字で日記帳に一言一句間違えないように書き記した。
汝が歩み、導き、結び、ここに至らせた軌跡を守るのだ。変えてはならない。女神を信じるな。
世界は時を止めた。焦ることはない。確実に守るのだ。汝の光となったものを、手放すな。導け。
セルクス自身、神だ。その言葉をどこまで真面目に捉えていいのだろう。いや、今まで嘘を吐かれたことはない。けれど、どうにも思わせぶりなその言い回しにツカサが慣れないのだ。
『手放すな、導け。俺の光?』
汝の光、言葉を思い浮かべ、そこから連想するものを、ついさっき、見た。そうだ、ツカサがサイダルから歩んできた道は、【あの人】との出会いから始まっている。ここに至るまで、その強さが、教えが、背中が、在り方が。全てがツカサの光となっていたのではないか。守る。俺が、【あの人】を?
『どういうこと?』
頭が熱を持っていた。足が止まり、嫌な汗がだらだらと流れた。随分前でもないが、近い過去、ツカサは今思いつきかけていることを誰かと話したと思った。いつだった、誰とだった。ふと脳裏に世界に空いた穴が浮かんだ。そう、あれは、世界の穴について、アッシュと話したのだ。その時、ツカサはタイムパラドックスという現象について、映画や漫画を思い出したはずだ。自分でも可能性として考えていた、過去の改変。
『あぁ、嫌なことに気づいた』
違う、気づかないようにしていただけだ。そう、ツカサの軌跡は全て一人ではなく、【あの人】と共に歩んできたものだ。ツカサはトーチを置いて明かりで広範囲を照らし、紙をバサリと取り出して地面に広げ、今までの軌跡を書き始めた。
血まみれの初対面、ジャイアントベアー、板挟みになった交渉。人生経験の低さを指摘され始まった鍛錬。道中で出会った【真夜中の梟】。マブラで開けた魔法の穴、助けた命、救えなかった命。マナリテル教を知り、逃げるように出立した後味の悪い旅の再開。ジュマでのダンジョン、共に事象を解明した【真夜中の梟】と、アルカドスの暴力。その時エレナとも出会い、共にスカイを目指すことになった。ジェキアでのファイアドラゴン。再び手にした【自由の旅行者】。行き倒れていたアルとの出会いとパーティ加入。そして、王都マジェタ。迷宮崩壊から逃れる最中、別離を経験し、必死に一人で立とうとしている間、向こうは女神の企てた理の崩壊を未然に防いでいたという。スカイに渡ってきてからはその実力とアルの繋がりをもって、【快晴の蒼】の信頼を勝ち得た。
『そうだ、全部、一緒だった。俺がいなければ言語に難を抱えたまま、そこまでできたかな。【真夜中の梟】と、エレナと、アルと、出会えたかな』
ツカサ自身もそうだ。一人だったならばサイダルをいつ出られたかわかったものではない。ジュマで迷宮崩壊が起きたと聞いたなら、それが終息するまで外に出るのはやめようと考えただろう。そうなればどうだ。簡単だ、皆と出会わなかった。
『そもそも、サイダルでジャイアントベアーが狩られなければ、【真夜中の梟】は動かなかった。出会わなかった。だから、【異邦の旅人】とは行かず、迷宮崩壊で壊滅した』
カリ、とジャイアントベアーにバツをつける。そこから連なるものが、出会いが全て、バツで消えていく。如何にツカサが導き手であろうとも、【導くべき者】を無くしてその存在は成り立たない。これは、そういうことだ。
『ラングが、いないんだ』
何かがあって、【導くべき者】がいない。その何かがセルクスの言葉と繋がった。
汝が歩み、導き、結び、ここに至らせた軌跡を守るのだ。変えてはならない。汝の光となったものを、手放すな。導け。
血の気が引いた。こんなことをしている場合ではない。魔法障壁はあれど、何があるかわかったものではない。追いかけなくては、追いつかなくては。ガサガサと紙を空間収納に戻し、ツカサは魔法障壁のマーカーを再び追いかけ始めた。
ラングと出会わなければどうなっていたか、と度々考えることはあった。それは結局、実現しない現実であるからこそ考えていたことだ。だが、成ってしまった。
――お前はここにいない。これはお前のいない世界。
『何をしたんだ……! どうやったんだ!』
ぎゅうっと拳を握り締め、必死に走った。動き続ける、守るべき存在のあとを追いかけ、ツカサはただ走り続けた。魔法障壁のマーカーを追い続ければ行く先に光が見えた。予想は正しく、ついに明滅する壁の模様が途切れ、外に出た。暗闇から出たので目が痛い。眇め、手のひらを傘にして目を慣らす。外は明るかった。木々が多くて太陽の位置は見えないが、昼間であることは間違いない。洞窟は崖にあった。そこから出て周囲を見渡す。森だ。切り立った崖は上が見えず振り返った先の森は深い。【あの人】の位置を探れば、上の方にあった。
『木を登った?』
動物がいるかもしれない、魔獣がいるかもしれない。あらゆる可能性を考慮しながらツカサは森を進む。痕跡というものを残さないのは若い頃からそうらしい。そういえば、九つから師事したと言っていた。器用な人だ、そういった技術の体得は早かったのかもしれない。
『今、いくつなんだろう。随分若かったけど』
態度もそうであるし、言動も、口調も、表情すらも、知っている【あの人】よりも子供っぽかった。不謹慎にも笑みが浮かぶ。
辿り着いたのは大木だった。あちこちが節くれ立っていてコツを知る者なら登れるだろう。木登りは習っていないぞ、とツカサは腕を組み、じぃっと下から見上げていた。こちらが追いついたことにも気づいたのか、ゆっくりと魔法障壁のマーカーが下りてくるのを感じた。ザッと地面に降り立った【その人】は盛大な溜息をついた。
『しつこいぞ』
『そうだよ』
悪びれずに頷いてみせれば、双剣の柄に手を掛けるのが見えた。慌てて両手を前に出して動物を宥めるように優しく声を掛けた。
『敵対する気はないよ。ただ、ちょっと、話がしたいんだ』
『バディは組まない。パーティも断る。はく製にしたいというのならば、殺す』
『違うよ! 怖いこと言わないで、そんな趣味もないよ!』
じゃあなんだ、と言いたげに黒い仮面が揺れた。どこまで話せばいいのかわからない。話せるラインはどこだ。ツカサが意を決して話そうとした瞬間、離れたところからバキバキと木々のなぎ倒される音がした。二人揃ってそちらを向いて身構える。【その人】は双剣を、ツカサは水のショートソードと感ずるものを構えた。
『ごめん、後で話す』
『仕方がない』
ドドド、バキバキ、メキ。最後にけたたましい音を立てて大木までの道を一直線に進んできたのは巨大な猪だった。どろりと黒い液体が目から零れ、眼球はぐるぐるとあちこちを向いて、明らかにまともな状態ではない。分厚い毛皮がバリッと割れ、脇腹から赤い肉が腕を作り上げ、猪が立った。すぅ、はぁ、と隣で呼吸が聞こえた。ツカサも同じように呼吸を入れ、二手に分かれた。
猪に生えた腕がぶるりと震え、二人に伸びてくる。体積がおかしいだろ、とツカサは水のショートソードから水刃を放って斬り落とす。斬り口から黒いものが噴きだして、また腕になる。嫌な経験が思い起こされた。
向こう側から双剣を振りながら【その人】が飛んできた。首を的確に狙っての一撃、硬い毛皮と皮膚に防がれたが、それでも血を流させるほどには深い傷、現時点でも腕利きであることが確認できた。ヒュンッ、と音を立てて双剣を振り、微かに付着した血を払い吐き捨てる。
『なんなんだ、こいつは』
初見ということだ。ツカサは【鑑定眼】を使い、視た。
【乗っ取られたドルゥム】
元大型の猪の魔獣
レベル:表記不可
いのち あと みっつ
『元々、ドルゥムっていう大猪の魔獣だったみたい。乗っ取られたって書いてある』
『なぜそんなことがわかる』
『そういう【眼】を持っているんだよ。あの体から出てる変な部位、あれから斬らないと。……後で説明するから、そういうものなんだって今は思っておいて!』
質問攻めにあう気配を察知し、ツカサは会話を切り上げた。【その人】は再び姿勢低く走っていき、振り回された肉の腕を斬りつけながら大猪の足の間を抜け、足の腱を斬り裂いた。自分より大きな相手を倒す際の定石だ。ツカサは氷魔法を腕の生えた脇腹に撃ち込み、【鑑定眼】を使ったままカウントをした。
いのち あと ふたつ。
『あと二回!』
大猪がツカサへ向いた隙に【その人】は大きく体を回転させ、飛び出た腕を斬った。ブギィ、と猪らしい悲鳴が上がり、【その人】へその顔が向けられた。
『これで終わり!』
得意の氷魔法が螺旋を描き、大猪の頭に横から刺さった。その威力に引きずられ大猪の体がよろめき、地響きを立てて倒れた。ここはダンジョンではないというのにその死体が灰に変わり、どこに行くこともなくその場でぐるぐると円を描いていた。ダンジョンで死体が消える際、その灰はやがて欠片もなくなるものだ。どこに行けばいいのかわからない迷子のように、その場で揺蕩うそれをツカサは眺め、隣に来た【その人】が剣を収める音を聞いていた。
『お前は何者なんだ』
問われ、ツカサはゆっくりとそちらを見た。素直に名乗ろうとして、ここでの出会いがどうなるのかがわからず少し悩んだ。いや、最悪、この人なら頼めば知らん顔をしてくれるだろう。けれど、確証のない不安がもう一つの名を名乗らせた。
『俺は、エド。冒険者をしてるんだ。それから少し不思議な【眼】を持ってる』
【その人】は眉を顰めたのだろう、小さくシールドを傾けてから返してきた。
『ギルドラー……、いや、パニッシャー・ラングだ』
よろしく、と手を差し出せば、日記帳の上よりは柔らかい手がそれを握り返し、エドは微笑んだ。
お待たせしました。二章を始めるとしましょう。
書籍の方も何卒、結構、真面目に、お願い申し上げます。
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