1-59:仄暗い青の中、一筋の
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夜になればセルクスと話せる。ようやく事態の解決、もしくは情報の共有ができる安堵に、ツカサは強い睡魔に襲われた。早速厚意に甘える形となって申し訳なかったが、ベッドを一つ借りて泥のように眠った。
次に目を覚ませば夕方を迎えており、泣いて腫れた目が重くヒールを使い、目やにも汗も気になって魔法で風呂を創り、ざっと汗を流した。良い魔法だ、と見ていた軍人たちに言われ、それが共に食事を作った相手であればまた寂しさに泣きそうになってしまった。ツェイスもまた、【ツカサ】のことを知らないのだ。
よければどうぞ、とルーンが食事に誘ってくれて、ツカサは寂しい気持ちを抱えたままそこに同席させてもらった。みんなのことを知っているんだ、と言ったところでどうにもならない。けれど、言わずにはいられなかった。
ツェイスが実は食べ歩きが好きなこと。ルーンが休日にダンジョン攻略を楽しんでいること。スーは馬を駆けたりルーンに付き合ったり、フォクレットは兄弟が多いから家に帰ること。
なぜ知っているのだと訝しまれたが、ツカサはただ寂しそうな微笑を浮かべ、真っすぐに返した。
「友達だから」
また泣きそうになってしまい、スープに視線を落とした。ツェイスたちは困惑しつつも、ツカサがあまりにも寂しそうに言うので不思議そうにするだけで、馬鹿にしたり、気味が悪いと罵ることもなかった。ツェイスがぽつっと返してきた一言だけで、ツカサには十分だった。
「なんか、ごめんな」
いいんだ、と返すことは喉がぎゅうっと詰まってできなかったが、ツカサは精一杯の笑みで返した。
食事を終え、後片付けを手伝っていればあっという間に約束の二十時は来る。場所を指定されなかったので人目を避けるようなことはしていないが、少しは移動した方がいいのだろうか。皿を洗いながらその時を待っていれば、空から、バリンッ、と何かが割れる音がした。
聞き覚えのある音だった。あれはイーグリステリアとの戦いの際、戦いに介入したセルクスの大鎌が世界を割った音だ。ハッと顔を上げたのはツカサだけだった。先ほどまで談笑しながら皿を片付けていた軍人たちが、明かりを与えていた篝火が、風が、すべて時を失い止まっていた。
「セルクス……?」
いつもなら飄々と現れるはずの神がいなかった。首を巡らせ、周囲を探す。音を無くした世界はなぜか色褪せていて、ツカサはそろりとその静寂の中を歩いた。空の割れ目を見つけ、そちらへ駆けていく。窓ガラスを割ったような、カットされたダイヤモンドが輝くような、不思議な輝きと黒さを見せながらヒビ割れ、開いた世界の穴。その下まで辿り着き、ツカサは小さく喉を鳴らした。
「セルクス」
もう一度呼んだ。答えはなく、ただ、何かよくないものを感じた。ズズ、と遠くで地鳴りがするような、大量の水が何もかもを押し流してくるような、そんな重い音。ツカサは魔法障壁を展開し、備えた。何か来る。直感がそう言っていた。空が落ちてきた。ツカサはその時、そう思った。
世界の穴から何かがふらりと落ちてきて、それを追うように黒いものが大きな手のようになってこちらへ落ちてきた。黒い空を引き連れて、落ちるものを捕まえようと手を伸ばす。ツカサは驚きをどうにか吞み込んで、地面を蹴った。魔法障壁を落ちてくるものに投げ、それを黒い手から守れば、守られたものがこちらを向いた。藍色の眼、全身を血に濡らした神様に、ツカサは手を伸ばした。
「セルクス!」
力を振り絞ってこちらへ赤く濡れた手を伸ばしたセルクスへ全力で駆けていく。魔法障壁を引き寄せ、ツカサは手を伸ばし、そして。
セルクスの弱々しい笑みを見た後、ツカサの意識はブツンと途切れた。
――夢を見ていたのだと思う。書斎で泣き叫んで、目を腫らして出ればモニカやエレナに心配されて、アーシェティアが向こうでオロオロしているのに少しだけ笑って。シュレーンが手早く冷たい濡れたタオルをくれて、クローネがお茶を淹れてくれて、我儘な感情で泣いただけだというのに、みんなが優しくて恥ずかしくなった。
おや、取り込み中? とそこにヴァンたち【快晴の蒼】が訪ねてきて、少しラングとアルの思い出話に花が咲く。
ほら、大丈夫。みんないる。何も怖くない。あんな悲しい思いも、寂しい思いも、全て悪い夢だったんだ。
――お前が大事にしてたもの、一つ、一つ。全部壊してやるからよ。
ビクンッと体が跳ねた。息を吸い、酸素を取り入れきれなくて、浅く何度も呼吸を繰り返す。体を起こし周囲を見渡した。変な場所に居た。洞窟の壁に仄青い魔法陣が描かれた空間だ。リィン、と鉱石が鳴るような澄んだ音がして、何か力のようなものが満ちている場所のようだと思った。ぐるりと天井を眺めてから視線を戻せば、横に真っ赤な体が落ちていた。
「セルクス! あぁ、酷い……、なんでこんな怪我を」
体を揺らすことすら憚られ、ツカサはそっと首筋に指を当てた。神に脈があるかは知らないが、体温でもなんでも、生きている確証を得たかった。とくり、と微かな脈動を感じ、ツカサは全力でヒールを使った。神の手当てなんぞいくら魔力があっても追いつかねぇよ、と言った師匠の声も思い出されたが、あの時よりも今の方が魔力もあれば腕もある。名前を何度も呼んでいれば、ゆっくりと藍色の眼が瞼から覗いた。
「セルクス! 何があったの?」
答えようとしたのだろう、セルクスの口から血が零れた。こぽり、かぷ、とおかしな音を立てて、命である血が流れ出ていく。ヒールをかけても止まらないそれは、ツカサの手には負えないことをまざまざと示していた。
「まも……れ」
「何? 何を、守るの?」
「ツカ……、まもり、な……さい」
「だから、何を!?」
「すべ、て……を……。使えるも、のは、すべて、使え。すまな、い、たのむ」
震えながら持ち上げられた手を握り、ツカサは混乱しつつも藍色の眼を見つめた。厨房に姿を現した時のように、藍色の眼に力が灯り、手を強く握り返された。
「汝が歩み、導き、結び、ここに至らせた軌跡を守るのだ。変えてはならない。女神を信じるな」
「女神? まさか、イーグリステリア?」
「世界は時を止めた。焦ることはない。確実に守るのだ。汝の光となったものを、手放すな。導け」
セルクスの手のひらが熱くなり、ツカサは思わず離しそうになった手をぐっと握り直した。左手にぞわっとした威圧を感じた。誰かの指が這うようにすぅっとなぞられる感覚がして肘が跳ねる。二の腕、首筋、と辿ったものが、最後、左頬にちくりと針を刺した。痛い、なんだ、と目を閉じた一瞬、握り締めていた手の中のものがぼろりと崩れ落ちた。
「えっ、ちょ、セルクス! そんな、なんだよこれ、待って」
「また……あおう……、あゆむ、のだ……」
「セルクス! だめだ! しっかりして! すぐ治すから!」
「リオネ……ィ……ル……、セオ……、あい、し……」
愛しい妻の名か、子供の名か、セルクスはじわっと目じりに涙を浮かべ、ふぅ、と息を吐いた。その肉体はきらきらと輝く砂となり、やがて何かを誘うようにさらりと飛んでいった。
まただ、何か自分の理解の範疇を超えた何が起こっている。ツカサは折れるな、堪えろ、受け止めろ、と呟き、強く拳を握り締めた後、顔を上げ、立ち上がった。もはやそれを繰り返すことで自分を保っていた。
セルクスの最期の誘いを無駄にするわけにはいかない。困惑し、混乱し、膝をついて蹲ることはいつだってできる。今ではないだけだ。
何が起こっているのかわからない時、とにかく状況を調べるのだ。そして、何をすべきか、考えろ。明滅を繰り返す魔法陣の明かりはなぜか寒く感じられ、トーチを出して道を照らした。コツリ、コツリ、ブーツの底が静かな音を立て、先の見えない道を反響する。まるでホラーゲームのようだ。横道がないことを祈りながら、何かが飛び出てこないことを祈りながら、ツカサはゆっくりと進んでいく。
歩いて暫く、少し前をさらさらと飛んでいたセルクスだったものが突然消えた。見失ったかと思い慌てて駆けていく。もうセルクスしかツカサのことを知る人がいなかったというのに、その残滓すら失ってしまう。そう思ったら手が伸びていた。
『動くな』
横から伸びてきた腕がツカサの腕に絡められ、踏み出した足を払い、体勢を崩させる。咄嗟にまだついていた逆の足で地面を蹴って前転の勢いで飛び込む。相手の狙いを逸らして腕から逃れ、転がり、起きてすぐにショートソードを構えようとした。その前に、柄頭を靴底で押さえ、その重さでがくりと膝をつかせながら、ツカサの喉に剣を突きつけて仄暗い青の中、真っ黒な塊が立っていた。
『もう一度だけ言う、動くな』
聞いたことのある声だった。記憶にある音よりも勢いがあって若いが、間違いないような気がした。そっと握っていたショートソードの柄から手を離し、両手を上げ、敵意がないことを示す。ツカサの顎を上げるように剣の腹が動き、逆らわずに顔を上げる。チャリ、と装飾品の音が鳴った。
『お前は何者だ。ここはどこだ』
『俺は、ただ迷子で、ここがどこかも、知らないんだ』
『迷子だと? こんな場所でか』
『目を覚ましたらここに居たんだ、俺だって知りたい。そっちは知ってるの?』
ッチ、と舌打ちの音がした。突きつけられていた剣が離れ、するりと距離を取られる。ツカサはゆっくりと立ち上がり、あの、と声を掛けた。
『もしよければなんだけど、俺、明かりを動かせる。その、一緒に出口を探さない?』
返事はない。気配がないのでそこにいる確信も得られない。ツカサはそっと【鑑定眼】で暗闇を覗き見た。瞬間、ヒュンッ、とナイフが飛んできた。魔法障壁でそれを防げば向こうから訝しんだ息が聞こえた。
『ごめん! どこにいるかわからなくて、よく視ようとしただけで!』
『今のはなんだ』
『魔法障壁、魔法だよ。えっと、ロストアイテムで扱うようなものを、俺はロストアイテムなしでできるんだ!』
大声で言い訳を叫ぶ。敵対したいわけではなく、ただ、確かめたい。ツカサはそうっと手のひらからトーチを出して、息を吹きかけるようにしてそちらへ明かりを動かした。ゆっくりと、慎重に魔力を込めて光を強めれば、その明かりの下にブーツの先が見えた。トーチを見上げながら姿を現した男が物珍しそうに呟いた。
『まほうなどと聞いたこともないが、有用そうだ』
顔を覆う真っ黒な仮面、頭全体を覆うフード、全身を覆い隠すマント。剣呑に握った双剣は未だその手に、どことも知れぬ洞窟の中、【その人】はツカサの前に立っていた。
新しい生活は形を変え、あなたを再び冒険の旅へ誘うだろう。
新章はここまで、次から新たな章に入ります。
さて、一章から丁寧に紡いできた【布石】が改めて旅人の皆様を冒険へ、新たなる旅路とご案内いたします。
正直このタイミングでここを書くことになるとは、きりしま自身まったくの想定外ではありました。
(きりしまにはプロットというものが存在せず、ただ、全部あるので、書くペースが日常の忙しさで変わるだけです。)
ここに至るまでの軌跡、何があったか、何をしたのか。思い出と旅路を振り返ってみてください。
「あの時」のシーンの加筆がされている書籍にて読み返していただければ、「あっ」となることも多いかも。
刊行のペースにきりしま自身驚いてはおりますが、書籍の2巻も予約が始まっていますので、発行部数の決まっている貴重な紙書籍をお手に取っていただけますように。
【好評発売中の1巻はこちら】
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【2巻のご予約はこちら】
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記念SSや書き下ろしなど、引き続き、きりしまにたくさん書かせてやってください。
まだまだ、飛ばしたシーンは山盛りなんです……。
次の更新は【異質な黒い仮面の男】と出会ったところからになります。
そわそわと落ち着かない様子の旅人の皆様を想像しながら……、少々休憩を頂き、次章でまたお会いしましょう。
心からの感謝をこめて。
きりしまより




