1-57:知らない時間
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ツカサは夜通し語った。ヴァンを始め、【快晴の蒼】、いや、【空の騎士軍】の面々は余計な口を挟まず、時折質問をしながらその語りを聞き続けた。ヴァンの手元ではメモや線を引かれた時系列が増えていく。それをちらりと見ながら、ツカサは時に指差してタイミングや時期を示し、補足を重ねていった。
「――つまり、君の知る歴史、出来事としては、渡り人の街は既に去年の時点で制圧がされているし、イーグリスの学園には冒険者クラスが設立され、君が教員を務めている、そうだね?」
「そう。去年の俺の結婚式では、ヴァンに読める者として祝詞も読んでもらった。【感ずるもの】はクルドさんとアッシュが、ハーケン・ウォレットっていう名工に作ってもらったって、結婚祝いで貰ったんだ」
ふむ、僕が読める者であることも知っているのか、とヴァンが再び思案に沈む横で、机に置いた剣をクルドが手に取り、刃を、柄を確かめる。
「確かにあいつの作品だ。俺の剣と打ち方が同じだ」
「それにこれ、ちゃんと精霊石が使われてるな。希少な鉱石だ、俺が素材を集めたっていうし、だとしたら本物だろうし……」
大天幕の入り口が開かれ、戻ったラダンが紙を差し出してきた。
「数名は存在していた」
「数名は? 見せて」
奪うように紙を取り、名前と結果をなぞっていく。
ロドリック、存在。剣術科在籍。
ディエゴ、存在。魔導士科在籍。
コレット、存在。経営学科在籍。
シモン、存在。経営学科在籍……
元からイーグリス出身の者や、他の街からの入学者は軒並み無事だった。学科も冒険者クラスではない。ないのだからそうなるだろう。心配なのは【渡り人】の生徒たちだ。
アレックス、不明。
メアリー、存在。イーグリスの近隣で保護、現在保護施設にて滞在。
マイカ、不明……
街の外で、【黄壁のダンジョン】が活発な頃に渡って来たマイカと、アレックスが行方不明。魔獣に食われていればその四肢から誰であったかを調べることもできない。ただ他の街に連れて行かれているだけであってほしいと願った。ツカサはくしゃりと紙を握り締めた。
「あぁ、畜生! 折れるな、堪えろ、受け止めろ! もっと冷静であったなら、もっと話を、ちゃんと……!」
ツカサは拳を握って自分の太腿を叩き、悔しさを堪えた。ヴァンがその声に目を開き、クルドを振り返った。
「紅茶を淹れてくれるかな、少し、濃いやつを」
わかった、とクルドが慣れた手つきで紅茶を淹れ、全員に振舞った。どうぞ、と促され、ツカサも一口頂いた。ヴァンの依頼通り濃くて、けれど渋みはない。美味しい、と言えば、クルドがそうか、と笑った。皆が皆淹れてくれたクルドへの礼と賛辞を送り、半分を飲んだところでヴァンが切り出した。
「君の話を聞いていると、君はかなり多くのことを成したように思う」
「俺一人の力じゃないけどね。ただ、ヴァンに言われた【導き手】って言葉には、いろいろと含みがあるとは思うよ」
「そうだろうね、君を中心に物事が動いただろう。君が語り部であればこそ、ね」
ヴァンの視線はただ事実を突きつけてくる。ツカサがいくら熱弁をしたところで、その言葉のとおり、語り部が主軸、主人公であるのは当然のことだ。血の証明、魔力の証明、そこまではできたとしても、結局記憶の証明はままならない。とどのつまり、彼らの中、記憶に対するツカサの存在の証明が難しいのだ。
「とはいえ、すべてを夢物語だと一蹴できるほどの確証が僕たちにもなく、それどころか、そういう話を聞くと嫌な予感を覚えてしまうだけの経験がある」
ツカサは下げていた顔を上げた。試すような透明な水色の視線は、顔を上げたツカサの両眼をしかと見据えていた。
「その眼、全ての理の神のものだね。片目だけ、それもなりかけ。となれば、君の持つその【変換】というスキルが危険性を秘めているともわかる」
「もう、使っちゃダメだって言われているから、スキルの証明は避けたい」
「わかってる。僕に記憶はないけれど、【僕】がそう言ったのなら、するべきじゃない」
ふぅ、と息を吐いたのはシェイだ。
「俺はこいつのことを全面的に信用する。その首飾りはそいつの知る【俺】を証明しているからな。そんな手の込んだもんをただ通りすがりの冒険者に渡すほど、俺は人と仲良くできる性質じゃねぇ」
「シェイさん……!」
「こいつが度々見せてる防音魔法障壁にしたって、身に纏う魔法障壁にしたって、俺のコツが入っていることもわかる」
あぁ、技術を磨いておいてよかった。教えてくれた人が気づいてくれる片鱗を、きちんと培っていられて、泣きそうになった。ヴァンはシェイの言葉に驚いたようだった。【快晴の蒼】の中でもっとも人を信用しないシェイが、自らツカサの味方として立ったことはヴァンにとって予想外だったのだろう。
「君がそう言うなら」
ふっとヴァンは微笑み、紙を指差した。
「では、アルブランドー。僕たちが君と出会ったところ、君が今まで歩んできた道、君の知る歴史と事実は聞いた。その上で、もう少し話をしよう」
「もちろん。……俺にも、何が何だか。俺はただ、ラングが帰った寂しさを少し、受け止める時間が欲しかっただけなのに」
「そのラング、というのが、君の兄なんだよね? 君と同じ【渡り人】の」
「そう、サイダル、俺が転移してきた場所で出会ったんだよ。ヴァンたちも向こうの大陸に世界の穴を塞ぎに来たはずだから、サイダルは知ってるでしょ? ジュマも」
【真夜中の梟】のロナを助けてくれてさ、とようやく共通の話題を思いついたと明るい顔でツカサが問えば、【快晴の蒼】はそれぞれ顔を見合わせてから、ツカサへ視線を戻した。
「アルブランドー、落ち着いて聞いてほしい。僕たちはサイダルという場所にも、ジュマという場所にも行ったことがなく、【真夜中の梟】のロナ、という人物も、知らない」
静かな声を心掛けたのだろうヴァンの言葉は、ツカサの鼓膜を確かに叩いていた。ただ、頭が理解することを拒否していた。小さく笑いを零し、ツカサはまるで悪い冗談を聞いたような様子で言葉を重ねた。
「何言って、世界の穴を、刻の神の眷属から依頼があって、各地を回るのに【快晴の蒼】の名は便利だってアッシュが言ってた!」
「マジかよ、それ知ってんのか。俺が話したのか」
「そうだよ、ガレンフィニア・ネルガヴァントのことだって聞いた! マール・ネルだって」
ほら、と空間収納からマレンティリア・ネルガヴァントを取り出せば、アッシュの顔が青褪めてから武器を持たれた。ぎぃぃ、とアッシュの腰、ガーフィ・ネルから音がして止められたのだとわかった。ツカサの手元では、ふぅぅ、と誰かの優しい吐息のような音がする。
「マジか、俺が、渡した? いつ? どこで? 去年? え?」
アッシュはゴソゴソと身につけたポーチの中をあさり、いない、マジか、本物か、と独り言を多く零し、ガーフィ・ネルといくつかやり取りをしてから椅子に深く座り込み、脱力した。
「ヴァン、よくわからないけどそれ本物のマール・ネルだ」
「そのようだね」
ふぅむ、とヴァンは顎を撫でた。
「なんだろう、君だけがぽっかりと開いた穴のように、独立して、存在している。そんな異質な感じがするよ」
「そんなこと言われても。そうだ、ヴァンドラーテは? 俺たちハミルテでも一回会ってるんだよ」
「ハミルテを知っているのか。あの港はダヤンカーセが案内しなければ知らないだろうに……まさか、本当に知り合いだったのか?」
ラダンの驚きの声に、そう、そう、とツカサは希望を持って頷いた。次いで、ヴァンドラーテの襲撃の件などを話せば、再び対面で困惑の表情を浮かべられた。
「ヴァンドラーテが襲われた事実は、ない」
そんな、とツカサの声が消えていく。確か、あの襲撃はアズリアの王都アズヴァニエルでツカサが大規模な氷魔法を使ったことで、その痕跡を女神の一団が追い、起こった事件だ。気づきたくない真実が、ゆっくりとツカサの首に向かって手を伸ばしてきていた。
「僕たちが得ている情報では、確かに、ヴァロキア王国、ジュマで迷宮崩壊はあった。それなりに被害もあったらしいけれど、今は落ち着きを取り戻している。逆に、王都マジェタでの迷宮崩壊は観測されていない」
ヴァロキア王都、マジェタでの迷宮崩壊は、【異邦の旅人】と【真夜中の梟】が事象の解明をし、クランを組むなと通達をしたからこそ起こったものだ。ジュマからその通達がなければ、マジェタでそれがあったかどうか、無かっただろう。
ツカサはぐしゃりと髪を握り締めた。頭がズキズキと痛み、眩暈がしてきた。
「【真夜中の梟】のロナという人物は知らないけど、【真夜中の梟】という名前は知っている」
ヴァンの気遣うような声に嫌な予感がした。やめてくれ、と言葉にならず、ツカサは首を振った。ヴァンは止めなかった。
「ジュマの迷宮崩壊で、壊滅したパーティの一つだ」
全員、死んだと報告を受けた。そう告げられた言葉にツカサは表情を失った。