1-55:くろい ししゃ
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あぁ、これ、久々のあれかもしれない、ちょっと寝た方がいいな、とツカサは自分の状態をそう判断した。幸い、ダンジョン研修が終わり学園は夏休みに入る。自分の心の整理に時間を使おう、と脱力して力の入らない体をどうにか立たせ、最終日まで務めた。折れるな、堪えろ、受け止めろ。その言葉があったから耐えられた。
学生は十五歳から十六歳、冒険者ギルドで冒険者証を作れる年齢ではあるので、夏休み期間中、バイトをするもよし、街中の依頼を請けてもよし、運び屋としてならダンジョンに行ってもいいことになっている。なぜ運び屋ならばよいのか。運び屋は戦闘要員ではなく、依頼主が守るべき存在であるからだ。その運び屋に戦闘能力があり、身を守れるのであれば死亡率は下がる。だから、学生は運び屋ならば許される。ただし、行っても二十階層までだ。一から十まで教員による引率や保護がないことは、ツカサの故郷とはやはり違う。部活動ではなく、生きるための活動なのだから当然といえばそうだ。
この一か月の夏休みは学生にとって大きな成長期間になるだろう。ダンジョンで経験を積むか、装備のための稼ぎを優先するか、自己鍛錬を優先するか。それによって伸びるところは変わってくる。自分の方向性を考えることもまた、宿題であり修行だ。
「じゃあ、一先ず春期お疲れ様。夏期は休暇になるから、事前に通達している事項に気をつけて、いろんな経験を積んでみてね」
トン、と書類を机で整え、ツカサは冒険者クラスを見渡した。
「あぁ、それから、俺、ダンジョンなり出掛けたりしていることもあると思うから、何かあれば学園在住の教員連中を頼ってほしい」
「どこか行くんですか?」
「お子さん生まれる?」
興味津々に生徒に問われ、ツカサは少しだけ遠い目をして、そうだな、と思いを馳せた。
「……イファ草原に行こうかなって」
「イファ? スカイの南東のですか?」
そう、と言いながらツカサは懐中時計を確かめた。パチリとそれを閉じて終わりを示し、ツカサはもう一度全体を見渡した。
「死なないように、背伸びをしないように。お疲れ様」
ツカサはさっと教室を出た。そろそろ限界だった、とにかく家に帰るまで自分を律しておきたい。廊下で生徒の質問に答えるゲオルギウスの横を通り抜け、ツカサ、と掛けられた声すら無視をして、ルフレンのところへ行った。荷物は空間収納、教員室に戻るつもりはなく、そのままルフレンと学園を出ていった。はやる気持ちを堪え、ルフレンに宥められながら帰宅。おかえりなさい、と出迎えてくれた妻と家族に、ただいま、と微笑を浮かべた後、ツカサはごめん、と一言断って書斎へ飛び込んだ。鍵を掛け、防音魔法障壁を張り、叫んだ。
「ラングの、馬鹿野郎ー!」
わかっている、ただの八つ当たりだ、癇癪だ。単純に会いたいのに会えない寂しさと悔しさを怒りに変えて叫んだだけだ。届くわけもなく、呼んでも戻ってきてくれるわけもなく、ツカサは意味のない罵詈雑言を吐き続けた。涙を零し、汗をかき、喉が枯れるほど叫んだ。
「酷い言われようだ」
鍵を掛けている、かつ、防音魔法障壁を張った部屋の中で聞きたかった声が響く。ハッと顔を上げ涙と汗で滲んだ目を拭い、驚きに呼吸を忘れた。深緑のマント、黒曜石のようなシールド、そこに会いたい人が立っていた。ツカサは夢か幻か、確かめるように尋ねた。
「ラング……?」
「それ以外に何がある」
ツカサは口端を引き攣らせ、少しだけ笑った。腹から声を出すために折り曲げていた体を起こし、そっと足を一歩引き、もう一枚、書斎に魔法障壁を張った。置いてある本や家具、家を守るためだ。
「ラング、なんでここに」
「神とやらの力だ」
肩を竦め、その人は周囲を見渡した。
「戻ってこれるなら、どうしてもっと早く戻らなかったの? ……会いたかった」
「諸事情というやつだ。……私も会いたかった」
ツカサは氷魔法を放った。バキンッと書斎の半分が氷漬けになり、その人は首から上以外が氷漬けになった。
「あんた、誰」
ツカサは魔力を注ぎながら【鑑定眼】を使った。鑑定窓はノイズ。ラングの場合、許されなければ【鑑定阻害】と出る。その人はくぐもった声で言った。
「何を、する」
「ラングは俺の欲しい言葉なんて絶対に言わないんだ。あんた、誰だ!」
それに、ラングは世界を見守る者特製の【サンダードラゴンの雷石の欠片】を持っている。攻撃魔法がこんな簡単に通るわけがない。ぐぐ、と苦しんでいるふりをしていたその人は、くくく、と笑って首をゆるりと動かしてツカサを見据えてきた。
「案外、勘のいいガキじゃないか」
「ラングの姿で喋るのやめてもらえる? イラッとする」
「それは失礼」
にまっと口元を笑わせないでほしい。ラングはそんな笑い方をしない。ぐうっと魔力がさらに込められた。
「お前は誰だ。こんな不愉快な真似をして、ただで済むと思わないでよね」
「おぉ、怖い怖い。何、一つ取り引きをしようと思ってきたまでさ」
くつくつと笑うラングの姿にイライラが増す。ラングは、そんな風に、笑わない。ビシッと氷にヒビが入った。押されているわけではない、変な感触。次の瞬間氷が消えた。瞬時に再び、部屋に魔法障壁を張る。
「腕のいい魔導士だ。普通、人っていうのは理解の範疇を超えてる出来事に遭遇すると、考えることをやめ、状況を確認するもんなんだけどな」
その人の手がツカサに触れていて、魔法障壁がなければどうなっていたのかがわからない。素早くショートソードを振って距離を取る。ガタンッ、自分の執務机に腰が当たった。寝ている時も魔法障壁を張れるように、という鍛錬が、本当に生きる。
ショートソードを振って距離を取ったその人は、危ない、危ない、と言いながらマントを揺らしていた。
「こうやって聞くのは四回目だ、いい加減答えろ。お前は誰で、何を目的にしてここに居る!」
「取り引きだ。お前の持つ【変換】を俺に寄越せ」
「ラングの姿で俺とか言うな。まずまともに話したければ、正しい姿になれ!」
「細かい奴だな、そんなにこだわることか?」
はぁ、と深い溜息のあと、その人の姿が黒いねっとりとしたものを帯びて、その姿を変えた。真っ黒いローブ。深く被られたフードはその人相を見せず、口元だけが見えている。タールを纏ったようなその姿が記憶を掠めた。
ダンジョンに成る前の迷宮、その奥で、倒したはずの相手。その周囲を取り囲んでいた命の成れの果て。まさか、とツカサは固唾を呑んでその人がフードを外すのを見守ってしまった。
果たして、フードの下にあったのは、あの日追い詰めた青年の顔だった。
「シュン……!」
「よぉ、久々だな? そうでもないか? 俺にはついさっきのことなんだよな」
シュンの顔で爽やかに笑われ、ツカサは改めて武器を構えた。子供じみた癇癪を持っていたあの時とは違い、余裕を感じられた。何かが違う。
「【変換】は渡さない」
「そう先走るなよ。お前から渡したくなるようにしてやるから」
そいつはにっこりと笑い、ツカサが張った魔法障壁をまた変な力で解き、書斎の扉を開いた。ツカサの視線はちらりとその扉の向こうを見た。違和感を覚えた。あの扉の先から見える景色がいつもと違う。そいつが悠々と部屋を出ていき、ツカサはハッと息を吸った。
「モニカ!」
慌てて駆け出せば、見知らぬ家だった。モニカが揃えた柔らかいパステルカラーのカーテンも、皆で囲んだテーブルも、特注で作ったラングの椅子も、何もかもがなかった。加えて、知らない少女が驚いた顔でこちらを見ていた。
「だ、誰!?」
「どういうこと……!?」
ツカサは書斎に戻ろうと扉を開いた。そこは物置と化していて、到底人が入れるスペースはなかった。
「お父さん! 誰か、知らない人が!」
混乱した。先ほどまで確かに自室に居たというのに、ここは、どこだ。ツカサは外に駆け出して振り返った。造りは同じだ。少し外観が古びたようにも思える。きょろりと周囲を見渡せば、他の家々も少し手入れができていないような。家から男性が飛び出してきて、それもまた見知らぬ他人であったことにツカサは一先ず距離を置こうと門の外へ走った。ルフレンのいる厩はなく、洗濯物を干すための場所も違う。
「どう、いう」
落ち着け、何があった。冷静であれ、それが強みになる。まずこういう状況が、知識に、似たものがあるかを思い出せ。それがツカサの強みでもある。
「ある。アニメとか映画とか、ラノベで読んだ」
転移、パラレルワールド、もしくは、考えたくはないが、未来か、もしくは過去の改変。だとしたら、どう、改変されたのか、どの時代に飛んだのか。いや、そもそも、答えがどれかを判別しなくては。
「さすが落ち着いてるな、いいねぇ、さすがは全ての理の神の加護を持つ男!」
ぱち、ぱち、ぱち、と背後で拍手が聞こえそちらへ魔法を、と思ったが、その背後に関係のない野次馬がいて撃てなかった。それをわかっていての立ち位置、汚い奴だ。
「たださぁこれじゃ時間が掛かるんだよ。手っ取り早くやるなら、イーグリステリア同様、【変換】を使った方がいい。やっぱり、思い通りにするならこの手で直接変えた方が想像通りに変えられる」
「何に変えるつもりだ。どうやって変えた! どうやって、その依り代を手に入れた」
シュンの顔で、シュンであり、シュンではないものの顔が愉悦に歪んだ。
「俺も反省しただけだ。素直にアドバイスを聞いて、与えられた小さな慈悲と、恵まれたチャンスと、ここを使っただけだ」
とん、とそいつは自身の頭を指差し、高笑いを始めた。ツカサにだけ見えるというわけではないらしく、ツカサを追ってきた男も、騒ぎに家を出てきた近所の人々も、頭のおかしい男を見るようにそいつから距離を取っていた。さっと確認をしたが、近所の顔ぶれは見たことのある人と、無い人が半々。これは、いったい、どういうことだ。
そいつは最後に、はーぁ、と飽きたように声を零してからツカサを見据えた。
「お前はここにいない。これはお前のいない世界」
両腕を広げ演説をする役者のようにゆっくりと歩き、ツカサはショートソードを構えたまま、それに合わせて一定の距離を取る。まるで街中で突然始まった演劇を観劇するかのように、人々の輪が揺れる。
「英雄になりたかったんだろ?」
ざらついたローブを翻し、そいつはザァッとタールのようなものを被ったあと、姿を変えた。立派な鎧、剣、盾、まるで僕の考えた最強で最高の勇者の装備というかのような、眩い輝きを放っていた。剣を上に持ち上げ、わざわざ雄叫びを上げながら駆け、斬りかかってくる。敢えて受けてやり鍔迫り合いをすれば、楽しそうに囁かれた。
「なら守ってみろよ、お前が【覚悟して選び取ってきた今】ってやつをさぁ!」
「何をしたんだ!」
「探してみろ」
ショートソードに力を入れて振り払う。大袈裟にジャンプして着地し、そいつは暗い笑みを浮かべた。
「お前が大事にしてたもの、一つ、一つ。全部壊してやるからよ」
どろり、ばしゃり。人だったものが突然黒い水に変わり、なくなった。それが魔法か何かの演出か、と思う程度には魔法に慣れのある場所だからこそ、通じてしまった。ざわざわと混乱する人の垣根を割って通り、ツカサはエフェールム邸へ駆けていった。
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