書籍化 第一巻 発売記念SS
処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚 第一巻 発売記念SS です。
懐かしの光景、その一つを旅人のあなたへ。
ふと時間の空いた時、ツカサは日記を時々読み返す。書き始めは、読み返すのも恥ずかしくなるくらい言葉が強い。異世界への期待を裏切られた怒りや、魔法を使えるようになった気分の高揚と自信に溢れ、思い返してみればラングに対してもかなり口調が偉そうだったというか、ガミガミ言っていたような気がする。当時、ラングの言語力が追いついていなかったから見逃されたのかもしれない。
「いや、勘のいい人だから、たぶんわかってて見逃されたかな」
少し丁寧な言葉を仕込んで教えていたというのに、ラングはすぐに適応し、自分の故郷の言い回しと同じような言葉を覚えていった。周囲の人々の話し方、似たような性質の人物を見極め、その口調を真似るところから自分のものにするまで、そう時間は掛かっていなかったように思う。「どういたしまして」をシールドを揺らすだけで示すのは、師匠から引き継いだズボラか、それとも意地だったのか。言葉で言ってもいいだろうに、なぜ頑なにそれを言わないのかは今も不思議だ。いや、なんとなく、その原因を作ったのは自分なのだと、ツカサはそっと目を閉じた。
兎角、今日は少し、旅のはじまりの頃について振り返ってみよう。ツカサは目を開き、大事な日記帳を開いた。
あれはマブラでのことだ。魔法が使えるようになって、薬草採りで城郭の外へ出て、大蛇に襲われた少年少女を救った後のこと。買い出し中にマナリテル教徒の自警団員に絡まれ、宿にも勧誘が来た後、七日間宿で大人しくしていた時間のことだ。
宿の食事は朝と晩、育ち盛り、かつ魔力を使う練習をするツカサは昼も空腹を訴えるため、食材の買い出しが必要だった。その際、ツカサを宿に一人残すわけにもいかず、ラングが離れない方が良いと判断し、共に出ることになった。ラングは食材を買うために宿を出る前、ツカサに対しマントをゆるりと持ち上げてみせた。その意図がわからず、とりあえず持ち上げられたマントの中に入り込もうとしてわしりと顎を掴まれた。男の握力で掴まれた顔が、頬がぐにっと持ち上がり、加えて痛い。腕を掴んで抵抗をしたが、びくともしなかった。ツカサはそのまま文句を言った。
『はひふるんはほ!』
『入るな。掴んでいろ』
『はっはら、はいほはらほういっへお』
ゆっくりと黒い仮面、シールドが揺れて、ツカサは腕を掴んでいた手を下ろし、そぅっと目を逸らし、最後には閉じた。
『……ごめんはふぁい』
手が離れ、ツカサは自分の頬を揉んで労わってから入り口で待つラングのマントを掴んだ。仕立ての良い感触、ラングの装備を隠すそれは見えにくさもあって一見すると分厚く思える。けれど、なんというか絶妙な生地の感触がする。分厚くもなく、薄くもなく、少し引っ張っても多少の伸縮性があり、戻りもいい。どうやって作られたものなのかが気になった。
宿を出て歩いていれば、マントを掴むツカサの姿がお兄ちゃん子に見えるらしい。あれでしょ、おやつ屋さんで買ってた兄弟、と知られているのはいいとして、通り過ぎる女性たちがくすくすと笑うのは少し恥ずかしい。こちらはそれどころではないというのに、冒険者からは甘えん坊のぼくちゃんだな、と聞こえるように揶揄われてムッとした。そうした挙動にも鋭く、ラングがそちらにシールドを向けて追い払ってくれた。単純に、嘲笑を感じられて不愉快だっただけかもしれない。それでも有難かった。
それに、ツカサが気づかないだけで冒険者や街の人に紛れてマナリテル教徒が数名、宿から出てきたツカサを追いかけてきていたのだが、ラングがツカサを確認するついで、そちらへ牽制を行っていたから絡まれずに済んだ。ツカサは自分が何度も確かめられているという安心感を得ながら、ラングへ尋ねた。
『言語はどうする?』
『外では、このままでいく』
『わかった。あのさ、ラング、このマントって何でできてるんだ?』
師匠から引き継いだものなのは知っているが、握り締めたマントの軌跡が気になって問えば、ラングはふむ、と小さく唸った。
『知らん。ただ、師匠から、やる、と渡されたものだ』
『気にならなかったの?』
『あぁ。物がいいのは知っていたからな』
ツカサの歩幅に合わせて歩いてくれるラングの背中が近い。いつもは隣を陣取るか、もう少し後ろを歩いているためこの景色はなかなか見ないな、と思いながら、そっか、と返した。マントから手を離して隣に移動し、掴み直そうとすれば、離れた瞬間素早く振り返られた。そこにツカサが居るのを確認し、ラングはまた、ふいと前に向き直り、肘でマントを揺らした。
『位置を変える時も声を掛けろ』
『ごめん』
隣に並びマントを掴み直せばラングが歩きはじめた。この人はちゃんと守ろうとしてくれる。その気遣いと態度に気づいて、ツカサはじわりと嬉しくなった。
サイダルでは守られなかった。厚意もあった、救われたのも事実だが、最終的に利用され、襲われ、あれでラングが連れ出してくれなかったらどうなっていたのだろう。
そうだ、もしラングが報酬を受け取り、ツカサに協力を求めずに立ち去っていたなら、どうなっていたのか。
いくらもらった? とタンジャから言われ、もらっていないと貫き通せただろうか。空間収納があるので隠し持つことはできる。だが、それは使うことのできない金になったはずだ。安い給料は大半が食事に消え、サイダルで等級を上げて旅立っていく冒険者を眺めながら、年を取り、何もできないままだったら。
急に怖くなった。ここにあるラングの存在を確かめるように、強くそのマントを握り締めた。ぎゅうっと握ったものが、ラングには少し引っ張られるように感じられたのだろう。ラングは端の方へ移動して足を止めた。
『どうした』
『……なんでもない』
ツカサは顔を上げられなかった。きっと、今もまた、情けない顔をしている。
ざわざわと賑わう商店街、午前十時頃、奥様方がこの時間から買い出しに来ているのは、昼は屋台が多く、夕食の調理には時間が掛かるからだ。通りを眺めてから視線をツカサに戻すついで、ラングはそっと、立ち位置を変えた。
じっと言葉を待ってくれている。大丈夫とも言わなかったツカサに対し、ラングは急かすことも、再びどうした、と尋ねることもなかった。そのまま歩きだせば、まるで何事もなかったかのようにラングも平然と歩きだすだろう。まだ短い付き合いだが、そういう人だとわかっている。ツカサはぽつりと呟いた。
『この間、いろいろと、どっときてさ、もう大丈夫だと思ったんだけど。考えるんだ、あのままサイダルに居たらどうなってたんだろうなって』
大丈夫だ、と言われたかった。顔を上げたツカサの目や表情がそう訴えているのはわかっただろう。けれど、ラングは何も言わず、続きを促すように小さくシールドを揺らしただけだった。
『……それだけ。ごめん、もう大丈夫』
行こう、とマントを引いて促し人波へ戻ろうとしたところで、ラングが動かなかったのでツカサはたたらを踏んだ。まるで紐に繋がれた犬のようになってしまい、多少人目も集め、恥ずかしくなって慌てて戻った。
『ラング!? びっくりするくらい微動だにしないのやめてよ!』
『ツカサ』
『何!?』
『お前は、ここに居る』
黒いシールドの中の双眸がしかとツカサを見据えていた。こういう時のラングの視線は、首筋を射抜くような鋭さを感じる。ツカサは小さく喉を鳴らし、下唇を噛んだ。
あの時こうだったら、ああだったら、どうなっていたかなど、想像しても口にしても、自分が歩くことのない道の話を心配してどうする。恐らく、そういう意図を込めてラングは言った。
『お前は自分の意思で、私の弟子になることを選んだ』
それが事実だ、と突きつけられた気がした。ツカサは大きく息を吸い、それから頷いた。大丈夫だとすら言っていないというのに、なぜ、こうも安心できるのだろう。
『ありがとう』
『礼を言われるようなことではない』
『そこは、どういたしまして、でいいと思う』
肩を竦められても、どういたしまして、は返ってこない。
『ラングってどうして、どういたしまして、を言わないんだ?』
『お前はなぜ、私に丁寧な言葉を仕込もうとするんだ?』
しまった、バレていたのか。ツカサは目が泳ぎ、シールドの向こう側にある視線から逃げ惑う。いや、しかし、乱暴な言葉よりはいいかと思ったのだ。
『どういたしまして、くらい、いいじゃん』
『断固として拒否する』
『なんなんだよ、その拘り。あ、ちょっと! 話の途中!』
次はラングが先に動いて人の流れの中に戻っていき、また肘でマントが揺らされた。ツカサは二歩で追いつける場所で待ってくれていたマントをしっかりと握り締め、歩き出すラングに慌てて続いた。厳しくて優しい、少しだけ口が悪くて頑固なこの人の隣に、いつの日か並ぶのだと、少年は夢を抱いた。
本日ついに書籍第一巻発売です。
web版を読んでくださっている皆様には懐かしくも新しい景色をお届けできればと思い、担当さんを泣かせながら(比喩)加筆に加筆を重ねました。
ぜひ、お手に取ってやってください。入手した報告もお待ちしております。
既にお手元にある方は、旅路を美麗な挿絵と共にお楽しみください。
心より感謝を込めて。
きりしま
2025/8/10