1-53:反省
冒険者クラスの中でも実力あるロドリックとディエゴが一階層で帰還した。その噂は意外性を伴って学園を駆け巡った。奴らならば五階層まで行くだろうと誰もが信じていた証拠だ。
ツカサが休暇をもらっている間、ロドリックもディエゴも各授業で頭角を現していたため、各方面からの期待度が高かったらしい。帰還の理由についてただ一言、己の不甲斐なさだ、と武士のように言ったロドリックを、まだまだ精神的に未熟すぎた、と冷静に己を俯瞰して言ったディエゴを、ツカサは称賛したかった。そうして男子二人が盾になってくれたおかげで、女子三人は傷を癒す時間があったともいえる。
女子組に関しては噂が巡らないように注意した。運悪く物取りに遭ってしまい、ツカサがそれを制圧した光景があまりに凄絶で、少し立ち直れないだけだと話をすれば、ついにやったか、という顔で誰一人として疑ってこなかったことに泣きそうになった。
暫くゆっくり休むこと、と言いつけ、ただ、冒険者としてツカサはそれ以上のフォローをせず、他の組のダンジョン研修を前倒しにして対応した。誰かが優しく隣でその傷を癒してくれるのもありだろう。ただ、それをやるのはツカサではないのだ。
何か言いたいこともあるのだろう生徒たちの視線に気づかないふりをしながらダンジョン研修を進めた。【真夜中の梟】と手分けして進め、【イーグリステリア事変】でヴァンから配られて未だ回収されていないままの紙の通信魔道具を使い、連絡を取り合った。これもまた、こうした交流を見込んでか、まだ頼りたいことがあるのか、縁を切らないでいるヴァンのやりように怖いものはある。けれど有用であればこそ利用を続けるのも人だ。
ロドリックとディエゴが自身にあったことを赤裸々に話したこともあり、生徒たちは銀貨十枚の中でどうにかこうにか装備を整え、そうすると食材に回らないことなどに気づき、新しい経験を積めていた。三日間、行けても五階層、というのは、かなり適正な階層数値なのだと気づいた者があれば、その時点でダンジョン研修は上手くいったと言っていい。ツカサはそう考えている。
ツカサは第一回のダンジョン研修後、次の組を連れていく前にもう一度座学を用意した。物取りの連中を警吏に引き渡した際、最近、駆け出しの冒険者が襲われる事件が続いていると聞いた、と濁しながら話した。男女問わず体を狙われたり、荷物を狙われたり、少しでも身の危険を感じたら即座に【離脱石】を割ること、と改めて言いつけた。
ダンジョン研修に評価をつけないとはいったが、今回の研修でよくやったと言えるのはシモンのパーティだけだろう。駆け出しの体で人数は五人。それだけで向こうが四人ならば牽制になる。制服でないこともあり、間引きパーティは似た気配は感じていても確証がなく、睨みつけられる程度ですれ違うことができた。魔獣に対しての連携も、斥候として魔獣を見つけたシモンがどのような魔獣かをよく勉強しており、その指示に従って他の仲間が対処する。望ましいパーティの形を作り上げていた。
ボス部屋にも一緒に入り、戦闘を任せる。一階層のボス部屋はツルの伸びた大きなカボチャのような魔獣で、高温で弾ける種を飛ばしてきたり、蔦を鞭のようにしならせたりと一階層ながらになかなか凶暴だ。剣を扱える者が前で、魔導士が遠くからと手分けしての対応は見事だった。最終的に何がトドメともわからず、討伐に成功し、シモンのパーティは二階層へ下りることができた。手に入れたものはあとで山分けになる。
ボス後は戦闘をしない、もしっかりと守り、癒しの泉エリアで報酬の分配と、上手く連携の取れた戦いをパーティで思い出して盛り上がり、いい冒険者としての経験を積めているように思う。興奮の後には心地よい睡魔も来るもので、不寝番を立てろと言ったものの、誰一人起きていられず、そこはツカサがそっと担った。このくらいはいいだろう。
『ラング、俺はちゃんと先生をできているかな』
失敗はそのまま生徒の死に、心の傷に繋がるのだとよく理解した。もっと早く駆けつけてやればよかった、もっと早く、とチクチクした棘が胸に残る。本当に、取り返しのつかない事態になる前に助けられてよかった。
もちろん、あの子たちがきちんと忠告を聞いていなかったせいでもあるが、予防策をいくら張ったところで起こる時は起こる。だとしたら、手の届くところで、守れるところでそれがあったことは幸運だったのだ。ツカサはそう思うしかなかった。
ついてない。運が悪かった。
それで人の生死が流されてしまう世界なのだと、ツカサは身をもって知っている。言葉を連ね重ね、自分が教えられたことを、上手く教えてやれなかったことだけは、自分の中で反省し、次に生かそう。
むにゃ、と生徒が寝返りを打って掛けていた布がずれる。それを直してやって、ツカサはホットワインを作り、ゆっくりと飲みながら日記を書き始めた。物事を噛み砕き、飲み込み、血肉とするように。記憶に刻み込むように。
そっと、その姿を夢うつつに眺めていたシモンは、ランタンに照らされたその横顔を見て、ああなりたい、と憧れを募らせて微睡みに再び落ちていったことを、ツカサは知らない。
ツカサがダンジョン研修で不在としている間、女子寮のコレットの一人部屋。商人の父親が差額を出し、二人部屋から一人部屋にしてあるそこに、マイカとメアリーが居座っていた。ぼんやりとただ空を見上げて過ごす女子三人、あれからお互いに話すことはなく、ただ同じ部屋で過ごしていた。
あの日、ロドリックとディエゴ、アーシェティアに学園まで送られた際、アーシェティアの撫子色の目で見据えられ、女子三人、はっきりと叱責を受けた。
「君たちは命を軽んじている」
夕焼けの中で揺れる鮮やかな翠色の髪が風に遊ばれてさらりと流れた。
「戦いにおいて、性別は関係ない。生きるか、死ぬか。殺すか、殺されるか。奪うか、奪われるか。対人であろうと、対魔獣であろうと、それは変わらない。可愛いから、などという理由でその装備を選んだ己を恥じろ」
アーシェティアは黒いインナーで腹部を覆い隠し、胸に革鎧、長いグローブ、腰から下もしっかりとズボンを履いて脛当て、つま先までしっかりと覆われている。露出がほぼないのだ。
「ツカサ殿のことだ、装備についても事細かに教えてくれたはずだ。なぜ想像ができない、なぜ素直に教えを受け入れない? ……勿体ないことをする」
「こんな、こと、あるだなんて、思いも……!」
コレットが震える声で言えば、アーシェティアはそのマントをぐいと強く結び直してから、コレットの肩を撫でた。
「私は、救うのは、君たちが犯されてからでいいと言った」
ヒュッ、とその場の全員が青褪め、息を吸って、吐くことを忘れていた。女子三人はまさか同性からそんなことを言われるとは思わなかったらしい。男子二人も衝撃を受けていた。
「ツカサ殿は私の両腕を吹き飛ばす覚悟で、君たちを助けに行った。ツカサ殿の腕は少しだけ広い。その手のひらは少しだけ大きい。ただ、それが全てを救えるとは思ってほしくはない。ツカサ殿に縋りつかないでくれ。あの人が亡くなった時、悲しむ人は……多いのだ」
私はそれが心配だ、とアーシェティアは目を伏せ、長いまつ毛が影を落とした。しんとした沈黙のあと、アーシェティアはそっと目を開いて全員を見渡した。
「ツカサ殿に感謝してくれ」
アーシェティアはそれだけを言い、颯爽と夕闇の中を帰っていった。その背中が厳しくて、冷たくて。アーシェティアにとって守りたいのはツカサと、ツカサを失うことで悲しむ人々なのだとわかり、マイカは言葉にならない何かを胸に突き刺されたような気がしていた。そして、自分の甘さに打ちのめされていた。守ってもらえると思っていた。自分は、誰かの選択の中では選ばれないのだとようやく気づいた。
それはコレットも同様で、稼げるから冒険者に、という短慮さを反省し、胸の中の気持ちを言語化できないでいた。今まで、商家の娘だったからこそ冒険者はコレットを軽んじてこなかった。知らない者からすればコレットはただの力のない少女で、ああして組み伏せるのも簡単な、ちっぽけな存在なのだと気づいた。剣技だって授業だって真面目に受けていた。ただ、そこに現実を重ね合わせることができていなかった。
教えようとしてくれていた。アーシェティアの言ったことは、常にツカサが言っていたことだ。同性から見捨てられるようなことを言われ、自身が現実に立たされてようやく受け止められたのだ。
ゲオルギウスに言われていた【距離感】というものが、どうして必要なのかがわかった気がした。
ふと、短くなって広がってしまっているメアリーの髪に目が行った。
「メアリー、髪、短くなってしまいましたわね」
「……ごめんね、私が、風魔法で」
「いいの」
メアリーははっきりと言い、顔を横に振った。にこ、と笑うメアリーに目を瞬かせ、マイカとコレットは顔を見合わせた。今までのメアリーとは少し違う気がした。
「メアリー、ううん、アタシ……、マイカとコレットを助けられたなら、髪なんて惜しくないの。なんだか軽くなった」
表情の薄い人形のようだったメアリーが、にこ、と愛らしい笑みを崩し、へへ、と歯を見せて笑った顔に、マイカはなぜか泣いた。
「ちょっと、マイカ、なぜ泣くんですの……! ワタクシまで、釣られ……っ」
うっ、と堪えた後、わぁん、と三人で泣いた。抱き合って泣いた。
「怖かった……! 怖かったですわぁ!」
「気持ち悪かったよぉ!」
「無事でよかったぁ!」
廊下まで響く大きな泣き声に、他の女子まで駆け込んできて、よっぽどツカサ先生が怖かったんだね、と慰めてくれた。ツカサがどういう話を皆にしているのかがわかり、アーシェティアが守ろうとしたものを思い、また泣いた。
涙は感情の浄化機能だと聞いたことがある。悲しいことも、悔しいことも、怒りも、喜びも、情動の涙というのを流すと、人は癒されるのだという。こうしてぐちゃぐちゃな顔を見せても、酷い顔、と笑ってくれる友達がいる。泣いて、笑って、思う存分にまた泣いて。泣き疲れた三人に布団を掛けてそっと部屋を出ていく仲間が居ることがどれほどの幸運なのか、理解できたような気がした。
ぎゅっと三人握り合った手が温かくて、この温もりを失わないために、大人になろうと決意した少女たちがいたことは言うまでもないだろう。




