1-47:乙女心
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【黒のダンジョン】に行くとき以上の緊張感があった。そもそも女子寮は男子禁制。如何なる理由があろうとも男は立ち入ることのできない秘密の花園だ。ツカサももちろん、入ることはできないし、入らない。それに、こうしたフォローをすれば、次もまた、と思うと気が重い。けれど生徒からはフォローを期待され、すると言ってしまった手前、それを違えることはできなかった。
コレットとメアリーがどうにかマイカを説得して談話室まで連れてくるからと言い、ツカサは女子寮の扉の前で延々と待たされていた。寮母には早々に箒を手に一度追いやられそうになり、冒険者クラスの女子が事情を話して待機させているのだと説明し、難を逃れた。いや、逃れたと言えるのだろうか。ツカサは腕を組んだ。
談話室は寮にある一階の共有スペースだ。ツカサも男子寮の方は見学に行った。座り心地のよいソファが置いてあり、ちょっと駄弁ったり、他の学科の話を聞いたり、交流スペースになっている。噂によると女子寮の方が綺麗で物が整っているらしい。ちょっとしたティータイムができるほどの設備なのだとか。ずるいぞ、と騒ぐ男子もいたが、君たちは備品を壊すからダメです、その修理と補充にお金を使うより食堂で食べられる方がいいのでは、と誰とは言わないが教員から言われ、黙り込んだらしい。なんとも成長期の男子をわかっている。
「談話室に来たところで、俺は入れないから結局どうすればいいのか」
ううむ、と唸る。そうして考え込んでいれば、女子寮の方から騒ぐ声が聞こえてきた。
「いやー! だって顔パンッパンに腫れてるんだもん! こんな顔でいやー!」
「お黙りなさいな! 失恋にはチョコレートとか意味のわからないことを言って、食堂を困らせるだけの元気はあるんじゃありませんの!」
「チョコ……! 美味しい!」
「メアリー! そういう話をしているんじゃありませんのよ!」
バンッ、と扉が開いて背中を押されたマイカが素足でたたらを踏んだ。咄嗟に抱き留めたものの、ハッとこちらを見たマイカの顔は目が真っ赤に腫れていて、髪はぼさぼさ、少し肌も荒れていて、いつものキッチリした姿とは雲泥の差だ。せめて靴くらい履かせてあげてよ、と言う前に扉の前にコレットとメアリーを残してそれが閉まり、若い勢いだけの何かを感じた。俺もそう年は変わらないはずなんだけど、と様々な人から年寄りくさいと言われたことを思い出し、空を仰いだ。
「あ、あの、ツカサ先生」
「あー、とにかく、足、そのままだと汚れるね」
適当な布でいいかを確認して、ツカサは空間収納から素材を出して足に巻いてやった。あとで怪我をしました、などと言われても困る。向き直ればマイカは両手で必死に顔を隠し、時々髪を手櫛で梳かしていた。ツカサは体を横に向け、視線を遠くにおいた。
「見ないでおくから」
「すみません……」
掠れた声でしょんぼりと言うマイカに、どう声を掛けたものか。気持ちを聞きました、ごめんなさい、などと言うつもりはさすがにないが、非常に困る。一先ず、授業の内容を伝えることにした。
「コレットとメアリーからも聞いてるかもしれないけど、来週からダンジョン研修が始まる。パーティを組んでもらって、みんなで準備をしてもらうから、今日の内容もちゃんと聞いておくこと」
「……はい」
「パーティを組む時の考え方とかは覚えてる?」
「パーティメンバーとの相性と、相手を信頼できるか、あとは、やれること、得意なことの違いを補い合う……です」
そんな感じ、とツカサは頷いて、腕を組んだ。腫れている目に氷をとも思ったが、ふと、恒例だね、と笑ったモニカの声が聞こえたような気がして憚られた。夫婦の間のルーティンを大事にしたいとも思った。ツカサは思案しての沈黙を、マイカは何を言えばいいかわからない沈黙を下ろし、扉の前でコレットとメアリーが顔を見合わせる。マイカは意を決して顔を上げた。
「あ、あの、ツカサ先生!」
「うん?」
「あっ、こっちは見ないでください!」
「あぁ、うん」
横を向いて、はい、なにかな、と言えば、マイカは覚えていますか? と言った。
「去年、イーグリスの街中で黒い化け物が現れた時、私、ツカサ先生に助けてもらったんです」
「そうだったの? ……ごめん、あの時はあちこち走り回ってて、誰を助けたとか覚えてないんだよ」
正直、魔法障壁の指導をしたゲオルギウスに対してもまったく覚えていなかった。ツカサはあの時、街のことよりもエフェールム邸の方が大事だった。それをわざわざ言うことはないが、頬を掻いて優先度を誤魔化した。マイカは、そっかぁ、とがっくり肩を落としたようだ。
「私、異世界に来て、素敵な恋ができたらいいなって思ってました。ちょうど、ラノベ、異世界小説っていうんですか、転移したり、前世の記憶を思い出したりとか、流行ってて」
「あぁ、俺もそう、わかるよ。無双したり、かっこよく冒険したり」
「そうなんですよ! 私その中でも令嬢ものとか、すごい好きで。転生して、次は好きな人と幸せになったり、最低な婚約者を捨ててスカッとしたりするんです」
ツカサも、そんなに人気なら、と読んでいたジャンルだ。雑食に読んでいたなと思う。婚約破棄から記憶を取り戻したり、幼いころに記憶を取り戻し、恋愛ものだけではなく、失敗をしないようにやり直す、そんな話もあったはずだ。マイカはなかでも、やっていたゲームの世界に転生して、しかもそのポジションがモブキャラで、けれど好きな人を幸せにするために努力して、ハッピーエンドを掴む令嬢の話が好きだったらしい。タイトルを聞いたがツカサは知らなかった。マイカは、けっこうマイナーな方で、一部の人から人気があったくらいなんです、と苦笑を浮かべた。
異世界でラノベの話をする、なんとも不思議な気持ちになった。郷愁を抑えるあのスキルはもうないが、ただただ、懐かしいと感じる心が穏やかだ。マイカはそうした話をして少し気が紛れたらしく、小さく息を吐いた。
「好きなのと、憧れるのと、現実って違うんだなって思いました」
少しだけ悔しそうな、何かを後悔するような声だった。そちらを見るわけにもいかず、ツカサは小さく首を傾げた。
「どう違ってた?」
「まず、相手が結婚してました」
んん、とツカサは喉を鳴らして夕方の空を見上げた。その様子にマイカはふふっと笑い、後ろ手に組んだ。見ていないので気配だが、そうしてゆら、ゆら、と体を揺らしている。
「もうその時点で失恋なんですよ、無理なんですよ。コレットに聞いたら、ここ、一夫一妻制で第二夫人とか望めないっていうし。それに、私二番目は嫌です」
徐々にマイカの声に意思が宿っていくような気がした。ツカサは、うん、と聞いていることを示した。マイカは、自分の好きな物語の主人公のようにはできなかったことを呟いた。努力家のヒロインは、好きな人がどの道を選んでも、自分を選ばなくても、幸せになれるようにとにかく様々な努力をしたらしい。勉強だって、魔法だって、料理もやった。貴族令嬢ながら商売も成功させ、とにかく、モブキャラ転生ヒロインは、ただ、好きな人のために頑張った。
「私、魔法の制御と調整について、初日に教えてもらってたんです」
「そうなの? あれ、でも、マイカ」
「はい、そんなに大事なことだと思っていなくて、サボってました」
素直でよろしいといえばいいのか、マイカは過去の自分に腹を立てている様子だった。
「受験で努力したんだもん、それがダメになったんだし、転移したら、チートがあってスローライフできるとか、考えるじゃないですか」
「わからなくはないよ」
憧れるよね、と言えば、うん、とマイカから頷きが返ってきた。少しだけ笑いあった。それから、マイカはしゅんと肩を落とした。
「ここでも努力しないとだめなんですね」
「そうだね、俺もそれを知ったのは、兄さんに会ってからだけど。それに、いつまでも続けなくちゃいけない」
「それって、元の世界でもそうなんですかね?」
「わからないなぁ、俺もまだ高校生だったから。……でも、たぶんそうだったんだと思うよ」
それなりに生きれば、それなりの人生を送れただろう。人並みの幸せで満足できればそれでいいのだと思う。何かやりたいことがあるのなら、何か成したいことがあるのなら、とにかく続ける努力をするしかない。最近腕の鈍りを感じている身としては危機感を覚える話だ。また暫く沈黙。マイカは少し不機嫌に言った。
「どうして結婚指輪つけてないんですか」
「武器を握る時、気になるから」
「でも中指にはつけてるじゃないですか」
「左は防毒の指輪で、右はちょっとレアもの。マジックアイテムだから嵌めるとサイズが勝手にちょうどよくなるんだよ」
「つけててくれたら、もっと早く諦められたのに。わかります? 幸せいっぱいなイチャイチャ見せられて撃沈する乙女心」
そんなことを言われても。ツカサは苦笑を浮かべて首を擦った。
「先生、一回だけ許してね」
「何が?」
えい、とマイカがツカサの灰色のマントにばふりと抱き着いた。顔を見られないように後ろから、ぎゅうっとした後、マイカはマントに向かって、次はちゃんと独身なの確認する、とくぐもった声で言った。思わず笑ってしまい、離れたマイカに背中を叩かれた。
「ごめんごめん、いや、でも、応援してる」
「勝ち組の余裕って感じですっごく嫌!」
「ここに来るまで苦労したんだから少しくらい、いいでしょ」
ツカサは振り返ってマイカの顔を真っすぐに見た。見ないで、とマイカが手で顔を隠すのにも目を細め、そっと肩に手を置いてヒールを使った。腫れた目が軽くなったのだろう、マイカは自分の瞼を触って確かめていた。夕方のオレンジは紫や青に飲まれ始め、街灯がポッと明かりをつける。そこに優しい声が響く。
「いろんな人に会って、いろんな話をして、聞いて、自分のものにしていくんだ。そうしたら、気づいたら、横に、なんてこともあるかもしれない」
肩に置かれていた手がどいて、柔らかな明かりの中で、この世界で最初に好きになった人が優しく微笑んでいた。
「生き方や、戦い方なら、俺が教わったことで良ければ教えてあげられる。でも、ごめん、恋は教えてあげられない。それはマイカが見つけていくんだよ」
いいね、と少し顔を覗き込むようにして言うツカサに、マイカはこっくりと頷いた。
「授業は容赦なく進めるからね。教えてくれる仲間を大事に」
「はい」
それじゃ、と灰色のマントを翻して帰っていくその背中に、マイカはもう一回だけ泣いた。コレットとメアリーが抱き締めてくれて、わんわん泣いた。
先生、すっごく悪い男だと思います。あんなにかっこよく私の人生に現れておいて、やんわり突き放して、なのに、優しくしないで。女心だってそんなに単純じゃないの。もう少しだけ好きでいさせてほしいの。運命だと思った気持ちは嘘じゃなかったの。
いつかこの気持ちを振り切って、先生が奥さんに向けてたみたいな目を向けてくれる人を見つけてみせるから、今だけは子供みたいに泣かせてほしいの。
次は絶対、素敵な恋をするんだ。マイカはそう、決意した。
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