1-45:ファッシャルの笛
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初夏祭り。女神ファッシャルの夏の笛。からりとしたスカイの夏を呼ぶ笛は鋭く、明るい緑を引き連れる行進は陰鬱な気を砕いて回ると言われている。
マイカは、去年は催されなかった祭りに、素敵な恋人とではないが、友達とは来られた。
「わぁー! すごいね! 屋台いっぱい!」
「布……! 良い、色!」
「あれはスカイの色ですのよ、天色ですわ」
今日は学園から生徒たちも一斉に出ていて、ところどころで同じ制服を見かけることがある。まずは腹ごしらえだ、と女子は女子でよく食べる。ロドリックたち男子組も肉を選んで食べながら、その賑やかな背中を見ていた。アレックスはロドリックから一串奢られながら、足を止める一行に首を傾げた。
「食べ歩きしないのか? なんで止まるんだ」
「あぁ、ほら、串とかあるだろ。こういうのは買った店に戻すものなんだ。串は金物屋が作る高いものだしな」
ディエゴはなんだかんだ魔力操作を教えているうちにアレックスとそれなりに話せるようになっていた。ロドリックは最後の肉をぐいっと引き抜き、自分の手の串を見る。食べ終わった鉄製の串は使いまわされるのだ。焼いて即座に渡されるのではなく、少しだけ時間をおいて渡されるのは持ち手の熱を払うためでもあり、余熱を通すためでもある。なんだかんだよく考えられた仕組みだ。
「そっか、プラスチックとかじゃないもんな。また使うんだ、これ」
アレックスはまじまじと手にした串と木製のコップを見遣り、感心した様子でいた。【渡り人】歴半年程度だったアレックスはその魔力の多さと当時の態度から、保護施設で生活し、あまり街には出なかったらしい。別に軟禁されたわけでもないのだが、当時困惑と混乱から外に出るという行為が怖かったのだという。
「ねぇ! あっちの屋台も美味しそうだよ!」
「金あるのかお前ら」
「オホホ! ちゃんとお小遣いを持ってまいりましたわ!」
「私はパン屋さんで働いてましたのでー! メアリーも御馳走してあげる!」
「マイカ、ありがと」
女子三人手を繋いできゃっきゃと祭りを楽しむ姿に、少しずつ男子も気が抜けてきた。大通りは食べ物の屋台と雑貨とで目も楽しく、アクセサリーを選ぶ女子や、短剣などを見ながら今後の武器を考える男子、魔獣素材のローブのお披露目に目を輝かせたりとかなり楽しかった。
そのまま東通りに差し掛かり、少しいったところで【真夜中の梟】と身長の高い女性を見かけた。声を掛けよう、と女子に言われた男子は首を振った。
「冒険者だぞ、向こうだって好きに楽しんでいるんだから、声を掛けたら気を遣わせる」
「でも、ご挨拶しないの?」
「そんなことしてたら時間を使わせるだけだろ」
えぇ、もう、とマイカは頬を膨らませ、コレットも商家の者としては挨拶をしたがっていた。ディエゴの家も商売をしているのでわからなくはないが、それは身分が正しく商人であればこそやっていいことだ。アレックスは素直に、そうなんだ、と頷いていた。ロドリックはぼそりと呟いた。
「いっそアレックスが一番、覚えがいいな……」
「ちょっとー! それどういう意味!?」
ディエゴが言葉のままだろ、と呆れたように言えばまたマイカとメアリーは不服そうに文句を言っていたが、なんだかんだ賑やかでいい。【渡り人】は嫌いだったが、知り合ってみればただの人だ。ロドリックは【渡り人】と一括りで考えるのをやめてもいいかもしれないと思っていた。騒いでいればいつの間にか【真夜中の梟】の姿はなかった。
「ねぇ、お揃いのもの買わない?」
マイカが雑貨屋を指差しながら言い、皆を引き連れて行く。腰飾りやちょっとしたブローチ、冒険者は選ばず、街の人がお洒落を楽しむようなものだ。ロドリックは一切興味がなかったが、ディエゴは【鑑定】で見る練習をし、アレックスは金がないので少し離れたところにいた。保護されていて寝食は困らなかったが、こうして外に出ると自分が何も持っていないことを痛感し、アレックスは働いて金が欲しいと思った。ロドリックは溜息をついてアレックスの肩を叩いた。
「冒険者になったら返せ、忘れるなよ」
「……ありがとう」
「どれにしよっか!」
「もちろん、愛らしく目立つものですわよね」
「……リボン!」
「却下だ、せめてもう少し落ち着いたのにしてくれ」
ぎゃんぎゃん喚く学生に雑貨屋の店主も目を細め、結局特に可もなく不可もなく、スカイの天色の守り紐になった。いわゆる組み紐だ。女子は女子同士、それを持って佇む男子には女子が感謝しなさい、と言いながら手首に結び付け、完成、と笑った。
「冒険者クラスー!」
「マイカは本当にうるさいな」
「アレックスくん! 君はもっと素直に楽しみなさい! ほら!」
スカイの青空へマイカの腕が上げられ、メアリーが続き、コレットも優雅に指先まで揺らした。そんな女子の勢いに勝てるはずもなく、男子たちもそれぞれ結ばれた腕を掲げた。ロドリックは、そうするだけで仲間のような気がして不思議な感覚を覚えていた。そんなロドリックの腕を慌てた様子でディエゴが小突いた。
「どうした、ディエゴ」
「……あれ」
後ろではしゃぐ女子連中を置いておいて、ディエゴはそっと視線で先を示した。それを追えば灰色のマントのない、ツカサがそこにいて、その横には親しげな女性がいた。腕を組んで歩き、雑貨屋を覗き、屋台で買い物をして腰のポーチにしまい、買い物を楽しむ姿に、なんだ休めているじゃないか、とロドリックは肩から力が抜けた。
そして、少し驚いた。時折、ツカサの手が、女性の手が、女性の腹部にそっと当てられることから、その視線の優しさに、そういうことだと気づいた。
「ロドリック、不味い、すぐに違う道に行こう」
「声を掛けないのは賛成だけどな、なんでだ?」
「お前鈍感過ぎるぞ、他の奴が気づく前に、早く」
「あれ、ツカサ先生?」
アレックスの声にディエゴがびくりと飛び跳ねた。えっ、と嬉しそうな声を上げて振り返る女子連中の前にディエゴが出た。
「灰色のマントでもないし見間違いだろ、もうそろそろ学園に戻り始めないと、門が閉まる」
「え、でもあれ、ツカサ先生だろ?」
「どこ?」
「本当そろそろ戻らないと、罰則が」
なぁ、とディエゴに援護を求められ、ロドリックは訳も分からず頷いた。
「あ、あぁ、そうだ、そろそろ帰ろう」
「あら、本当にツカサ先生ですわね。先生……」
ひょこっとコレットがディエゴの腕を抜けてそちらへ扇子を振ろうとして動きが止まった。それから素早く振り返り、扇子を開いてディエゴに並び、無理矢理笑みを浮かべた。
「見間違いでしたわ! 帰りましょう!」
「絶対嘘、先生どこ?」
「マイカ……!」
えい、とコレットの壁を学んだ護身術でするりと抜けて、マイカはその先の光景に笑みを失った。
ツカサの腕に腕を絡めて笑う女性、それを優しく、愛しそうに見つめる横顔。女性が指差す方へ抗うこともなくそのおねだりに応え、身を守るようにエスコートする姿。雑貨屋を覗く女性の楽しそうな顔に目を細め、声を掛けられて一緒に選ぶ背中。くすぐったそうに、はにかむ顔。
「え、うそでしょ」
マイカは思わずそう零した。あの日、自分の運命だと思った人には既に相手がいて、自分が一緒に行きたかった祭りは別の人が横を陣取っていて、向けられたかった優しい眼差しはもう誰かのもので。
マイカの体からするんと力が抜けて、コレットとディエゴが慌てて抱き留めた。驚いたロドリックもしゃがみ込み、呆然とするマイカの肩を軽く揺らした。アレックスもおろおろと座り込んで顔を覗き込んだ。
「おいマイカ、大丈夫か? どうした」
「なんてことですの、ツカサ先生、奥様がおりましたのね……」
マイカ、しっかりなさって、と頬を軽く叩き、コレットは困った顔でメアリーを見た。ロドリックとアレックスは状況に置いていかれて顔を見合わせ、ディエゴに説明を求めたが、それに答えたのはメアリーだった。
「マイカ、ツカサ先生が好きなの」
「なん、だと」
「知らなかった」
「鈍感過ぎますわよ! クラスの全員が知っていることですのよ!? 知らないのは先生本人だけだと思ってましたわよ!」
そう言われても、といった顔でアレックスは目を逸らし、ロドリックは眉間に皺を寄せ、マイカを抱き上げた。さすがに周囲の人々の関心を引き過ぎて人垣ができてしまっていた。ディエゴはがっくりと疲れながらロドリックの腕を叩いた。
「とにかく、学園に帰ろう。マイカがこんな……こんな状態だし、真面目に門限もある」
「あぁ、そうだな」
「マイカ、しっかり、しっかりなさって……」
マイカは茫然自失としながらロドリックの腕の中で、なんで、どうして、とぶつぶつと言っていた。
「なんで……だって指輪とかしてないじゃん……。あんなの運命の出会いとか思うじゃん……。結婚してるなんて一言もなかったじゃん……」
次第に愚痴めいてきたそれは最後にはぐす、ぐす、と泣き声に変わり、五人はただ黙って学園まで戻った。門を預かる警備員は怪訝そうに見ていたが、とにかく女子寮へ運び、入り口でコレットとメアリーに任せた。ふらふらと歩きながら中に入っていくマイカに、残された男子三人は居心地悪く、ちらりと顔を見合わせてから男子寮へ足を向けた。
暫し無言。ぽ、ぽ、と寮への道の街灯に明かりが灯り、なんとも重い空気の中男子寮へ辿り着く。中に入ろうというところで、アレックスが足を止めた。
「マジで気づかなかった。マイカ、大丈夫かな」
「俺もだ。……しかし、どう、どうすればいいんだろうな?」
「結婚してるとか、奥さんが妊娠中とか、全然知らなかったよな。そもそも、ツカサ先生、今は別行動中のお兄さんのことばっかで、自分のことあんまり話さないし」
「あぁ、失敗談とかは多いけど、普段の生活とか何も言わないもんな……」
ううん、と三人で腕を組んだ。何かやってあげられることもなければ、既に知った今の時点ではどうすることもできない。マイカが告白して玉砕した方がよかったのか、それとも言う前に気づいてよかったのか、ロドリックにも、ディエゴにも、アレックスにもわからなかった。ちら、とロドリックはディエゴを見た。
「ディエゴ、いつから気づいていたんだ? マイカの……気持ちに」
「魔力操作を教えてる時だ。マイカ、ツカサ先生が近くに来ると乱れるから、それが緊張というか、こう、ざわめきというか、そういうので」
「恋って、魔力乱れるんだ」
「恋がどうのっていうか、前にも説明したけど、魔力は感情にも左右されるから、そういうのに揺らされないように制御と調整をするんだって」
あぁ、とアレックスは思い出したのか目を泳がせ、頷いた。男子寮前で佇む三人へ視線をやりながら、それでも絡むことなく他の生徒たちが扉の中に吸い込まれていく。薄紫の闇に変わる頃、ロドリックが呟いた。
「……恋って、あんなに人を傷つけられるんだな」
誰が悪いということもない、ただ、ロドリックは自分の腕の中にあった、確かに砕かれたものを、忘れたくないと思った。
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