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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
新章 新しい生活
406/466

1-40:もしあの時そうでなければ


 いい女だ。思わず目で追った。良い魔導士のローブ、立派な杖、冒険者としても腕がいいのだろうと見た目でわかる。マホガニーカラーの柔らかい髪は櫛で手入れもされているのか柔らかそうで、ややつり目ながら長いまつ毛に縁どられた目元はそそる動きで視線を移動させる。胸は小さいが、腰の丸みが装備の曲線からわかり、グッときた。


「いい女だなぁ」


 先程まで胸倉を掴み合って叫んでいた喧嘩相手が隣でぽわんとした顔をして同じ女を見ていて、同じ感想を持っていた。こちらをちらりと見た女は、くすっ、と小さな子供と笑うように口元を微笑ませ、視線を外していった。何やら恥ずかしくなって手を離したのは同時だった。その背を見送りながらエルドが感動したような声で言った。


「いい女だ」

「あぁ、ジュマじゃ見ねぇ感じのな。……いい女だ」


 お互い、横目に牽制し合った。俺が、射止める、と異口同音に言い、睨み合った。


「また暴れてたのか、よく飽きないな。こんな状況だっていうのに」

「まったくだ。明日からの討伐に支障があるから、さっさと薬を塗っておけよ、エルド」


 騒ぎに駆けつけたカダルと、【真夜中の梟】の剣士、ジャッデが呆れ顔で言った。そのさらに後ろから【真夜中の梟】のもう一人、魔導士のヴァシュトが追いついて、杖を手に息を切らせた。


「明日から流れの冒険者が参戦するって、街の防衛も、土魔法が得意な奴が来たから、もっと良くなるかもって!」

「少し前線が押されてるからな、良い切っ掛けになるといいんだけどな」

「流れなんざ、いつだって逃げていける。期待するだけ無駄だぜ」

「少しは期待を持たせろアルカドス! お前のそういう陰険なところは本当にドブのようだな!」

「状況をしっかり見てから物を言え、エルド! 夢見がちなことばかり言いやがって、肥溜めで顔を洗ってこい!」


 なんだとテメェ、やんのかコラ、と再び胸倉を掴み合って拳が振り上げられた。それでも互いのパーティが互いを高め合い、守っているのはよくわかっていた。だから、なんだかんだ喧嘩友達ができていたのだ。

 頬を腫らし、数少ない癒し手に治療を拒否され、傷薬を瞼や口端に塗って水も何もかもが沁みる。【真夜中の梟】と【銀翼の隼】で歩きながら、明日の討伐はこっちが勝つ、量より質だ、と喧々諤々、その様子に後ろを歩くパーティメンバーはもう好きにしてくれと諦めの境地だった。


「ほんと、飽きないねあんたら」


 【銀翼の隼】の遊撃手、ノッターがニヒニヒと変な笑い声を零し、その隣で【銀翼の隼】の盾役、フォセが頬を掻いた。


「その元気を明日まで取っておいてくれよ……」

「どういうことなの!?」


 フォセの声に被って女の叫び声が響いた。人垣を割って入れば中心にいたのはあのいい女と、黒髪の男だった。盾と剣を背負うことから盾役、女の口ぶりからするとあれは同じパーティの男なのだろう。腕を組み見守っている野次馬に何があったのかを尋ねた。


「あいつら、今日ここに来た流れ冒険者らしいんだけど、小さい馬車を持っててさ。それを引いてた馬が食料に取られたんだってよ」

「なんだと? おい、まさかそれで保存食なんて話じゃ」

「そのまさか。で、足止め喰らうし、そのまま防衛に組み込まれて、女の方が当然のお怒りってわけだ」


 確かに、迷宮崩壊(ダンジョンブレイク)魔獣暴走(スタンピード)が起きてから柔らかい肉など食べられていない。それどころか野菜だって畑が踏み荒らされ枯渇している。だからといって、流れ、無関係の冒険者から食料を取り上げるような状況だとは思いもしなかった。いずれ王都から援軍が来る、それまで持たせればどうにかなるという、楽観的な考え方が冒険者を支えていた。ジュマの北側には貴族街がある。恐らく、耐え切れなくなったのはこの事態から逃げ損ねた貴族連中なのだ。こんな状況下で金など積まれたところで、流れの冒険者には嬉しくもないだろう。女は悲痛な声で叫び続けていた。


「なんのために馬車を手に入れたと思っているのよ! これからのためでしょう!?」

「エレナ、情けは人の為ならず、きっといつか俺たちにも返ってくるさ」

「取り返しがつかないことになる前に、ここを出ましょう、って私、言ったじゃない! どうしてあなたが前線に出なくちゃいけないのよ! どうして私がそこについていっちゃいけないのよ! パーティでしょ、夫婦でしょ!」


 夫婦、と思わずアルカドスは繰り返していた。隣からエルドがアルカドスの肩に手を置き、ふらついた体をそうして支えているのがわかった。アルカドスも気づかないうちに同じようにエルドを支えにしていた。周囲の人目が気になったのか、男の方はエレナ、と名を呼び宥めようと眉尻を下げ、困った顔で笑っていた。アルカドスは思わず前に出ていた。


「流れの冒険者野郎の手なんか要らねぇ、とっとと出ていきやがれ」

「おい、アルカドス」

「ぎゃんぎゃん喚きやがって、うるせぇったらありゃしねぇんだよ!」


 水を打ったように静まり返る中、アルカドスは涙で歪んだ女の眼から視線を逸らせなかった。先にゆるりと視線を女が外し、夫にそれが注がれ、アルカドスは強く拳を握り締めて踵を返した。


「とっとと逃げろ。おい、帰るぞ!」

「あ、あぁ、じゃあ、また明日前線でな、【真夜中の梟】」

「あぁ……」


 逃げていてくれと、何かに祈ったは初めてだった。

 翌日、前線に行ったらあの黒髪の男が一人、参戦していた。女、エレナは土魔法の技術が高く、街の防衛に残されているという。あれほど懇願されたにも関わらず未だここに残り続けていることに腸が煮えくり返る思いだった。こいつだけは許さない、役にも立たないのなら、いっそ自分が守ってやった方がいいとすら考えた。そんな態度が仲間にも【真夜中の梟】にもわかりやすかったのか、戦いの続いたある日、討伐の帰り、ジャシャルに声を掛けられた。


「恋煩いもほどほどにしておけよ」


 ジャシャル、ノッター、フォセの白い目にアルカドスは眉を顰めた。何の話だと問えば、まさか気づいてないのか、とノッターがぺちりと自分の額を叩いた。


「アルカドス、んもぉー、見てらんないよ? 明らかにヨウイチに対して敵視すごいし、ヨウイチの隣にいるエレナに対して、熱視線でさぁ。夫婦なんだから諦めなってぇ」

「まさか無自覚なのか?」


 フォセの驚愕した声に、アルカドス自身も驚いていた。なぜあれほどに黒髪の男、ヨウイチが気に入らないのかと思えば、まさかそんな理由だったとは。しかし、すんなりと自分の中で納得がいった。いい女だとは思ったが、俺は真面目に、あの女が好きなのか。


「いい女であることは否定しないけどな、どうあれ人の女に手を出すのは無しだ」


 ジャシャルに釘を刺され、わかっている、とアルカドスは答えた。ふぅ、とジャシャルが息を吐く。


「あの男、ヨウイチは良い動きをする。前後に連携が取れ始めて、解体こそ追いつかなくなってきてるが、死傷者が激減してる。……エルドは折れたぞ」


 睨みつけてもジャシャルは動じない。腕を掴まれ、くるりと回され、背中を押された。


「話して来いよ。【銀翼の隼(おれたち)】の協力を得たいんだと」


 向こうでこちらを見て、苦笑を浮かべている黒髪の男、ヨウイチと目が合った。後でな、と仲間たちは先に戻ってしまい、アルカドスは魔獣に立ち向かう気持ちで近づいてくるヨウイチを待った。ヨウイチは両手を上げて敵意がないことを示し、ゆっくりと下ろした。声を掛けられる前にアルカドスが威嚇するような声で言った。


「テメェ、なんでとっとと逃げなかった」

「旅が続いて、エレナが疲れているんだ。本当ならこの街で体調が戻るまで、滞在する予定だった。……こんな状況だったからね、いっそ、事を収めて落ちつけてしまった方がいいと思ったんだ」

「生温い考え方だ」

「否定はしないさ、事実、想像以上に厳しいものだ」


 とはいえ、同じ人同士殺し合うよりはましさ、とヨウイチはどこか遠くを眺めて呟いた。それから、アルカドスを真っ直ぐに見据えた。


「アルカドス、君の一撃は魔獣に対して効果的だ。協力してほしい。君の協力があれば、もっと早く、事態を収められると思うんだ。そうすれば、エレナを休ませてやれる」


 頼む、と深く頭を下げられ、アルカドスは拳を握り締めた。腕の良い冒険者が頭を下げたことにではなく、あの女、エレナが休めると聞いて、そのためなら協力してもいい、と自分が考えたことに気づいたからだ。毅然とした態度で街の防衛に意見をし、土魔法で壁をつくり、傷口を綺麗にしなさい、と優しくその手で冒険者の傷を洗う、気丈なあの人がただ微笑むだけの安らぎがあるのなら。叶えてやりたいと思った。


「癒し魔法が使えなくてごめんなさいね」


 そう言いながら、この顔の傷を手当てし、撫でた指先が、汚れることがないのならば。


「それでいいのかもしれねぇな」

「アルカドス?」

「……明日からは、努力してやる。ふざけた指示を出した瞬間、俺がテメェを殺すからな」

「ありがとう、アルカドス」


 テメェのためじゃねぇ、と吐き捨てて仲間の元に戻り、アルカドスは三人から撫でられ、その手を振り払った。

 戦線は一進一退のように思われたが、徐々に冒険者が劣勢を強いられるようになった。今ならそれが迷宮崩壊(ダンジョンブレイク)の終息の兆し、魔獣暴走(スタンピード)の最後の抵抗であるとわかるが、当時はわからなかった。

 【真夜中の梟】の魔導士、ヴァシュトが横から飛び込んできた魔獣に呆気なく殺され、【銀翼の隼】の遊撃手、ノッターがアルカドスを庇い、泣きながら、最期までニヒッと笑って、体を引き裂かれた。【銀翼の隼】の盾役、フォセは突然動かなくなり、駆け寄って肩を掴んだ時には死んでいた。先程までは大丈夫だ、と叫んでいた男は、致命傷を負いながらアルカドスの背中を守り続け、失血死していた。

 仲間が死んでいく。魔獣が攻めてくる。ヨウイチは前線の冒険者だけではなく、後ろにいる冒険者にも協力を求め、そして防衛の陣を完成させた。


 そしてあの日は来た。逃げ遅れたアルカドスとエルドの退路を守り、肉片一つ残さずにヨウイチが死んだ。魔獣の波が空気を読むかのように引いて、悼むだけの時間は不思議と与えられた。前線から戻った冒険者の中に夫の姿を探すエレナの必死な声に、ジャッデの遺体をエルドに預けたカダルと、ジャシャルが歩み出た。


「……守れませんでした」


 カダルの一言にエレナは考えることを拒否し、またヨウイチを探そうとした。その腕をカダルとジャシャルが捉まえて、すみません、本当にごめんなさい、と言葉を重ね、暴れる体をやんわりと押さえ込んだ。ジャッデを腕にエルドが唇を噛む。涙を流すことは許されていない。仲間を失ったことは同じだが、通り過ぎ、去るべき人を引き留めたのも、ジュマなのだ。

 アルカドスはカダルとジャシャルに押さえ込まれていたエレナを、奪い、逃さぬように抱きしめた。


「離して! ヨウイチを、探すの、探さないと! 生きてるの! まだ前線で戦っているなら、私が行く!」


 離して、とエレナはアルカドスの脇腹を、背中を殴った。わあぁ、と声を上げて泣くエレナの涙の熱が辛くて堪らなかった。何よりも辛いのはエレナだと思えばこそ、アルカドスはただ抱きしめて、その熱が冷めるのを待つことしかできなかった。

 叫び、涙を流し、アルカドスの背を殴ることもできなくなり、茫然自失となったエレナを抱き上げて、滞在していた宿に運んでやった。まるで屍のようにベッドに力なく横たわった姿に、誰も何も言えず、ただ、エレナにも時間が必要だと、扉を閉めた。


 翌日からも前線での戦いは続く。さすがに休めと言われた【真夜中の梟】と【銀翼の隼】は、ジャッデの遺体を他の魔導士に頼んで焼いてもらった。その煙を見上げながら、カダルが呟いた。


「エレナさんは、これも、できないんだ」

「……せめて、何か一つでもいい、遺品を、取り戻そう」


 ジャシャルが次いで呟き、皆で頷き合った。その日、カダルとジャシャルはエレナを見舞い、最期を尋ねられたので話したと言った。それは仲間たちには語られず、今もカダルとジャシャルの中にだけ残っている。


 ヨウイチの死が引き金となった冒険者の反撃は激しかった。ヨウイチを失った場所へ辿り着けば、人とも魔獣ともわからぬ血痕と、装備の残骸、剣と盾だけがそこにあった。


「待たせて、すみませんでした」


 エルドがそれを丁寧に布で包み、ジュマへ持ち帰った。今日こそはヨウイチが戻ると杖を支えに防衛に立っていたエレナは、その包みに何かを期待したのだろう。顔を綻ばせて駆け寄ってきて、その小ささに、足が止まった。

 エルドは黙ってそれを差し出すことしかできなかった。


「うそ、嘘よ、ねぇ、そんな、嘘だと言って……」


 嘘よ、とエレナは布に包まれた遺品を、涙を零し、ただ呆然と、夫だったものを抱いていた。あまりに痛ましい沈黙と光景だった。


「エレナさん……、エレナさん、血が!」


 カダルのハッとした声に皆がエレナの体の異変に気付いた。下半身に滴る血、ジワリと広がっていくその色に、真っ先に動けたのもカダルだった。


「医者! 癒し手! おい、誰か! エレナさんが、【白雲の霞】のエレナさんが! エレナさん、エレナさん! 抱き上げますよ、いいですね!? エルド、動け! 医者だ、癒し手も、早く!」


 カダルがその体を抱き上げれば、腕からヨウイチの遺品が落ちる。薄っすらを目を開けたまま、エレナの意識がないことに冒険者の悲鳴が上がった。



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