1-36:緊急家族会議
混乱していた。暫く見ないうちに母と慕っていた女性が薄っすらと若返り、その腹部が膨らんでいることから妊娠しているとわかった。まず不安と苛立ちが来た。エレナをこうした相手が絶対に居るはずだ。そいつが誰なのか、どうしてここに居ないのか、自分に挨拶をしにきていないことがツカサは許せなかった。次に、なぜ話してくれなかったのかという悲しさが浮かんだ。加えて市場通りや屋台通りでの咎めるような視線の意味に気づいた。スカイでは一夫一妻制、ご近所さんも庭に入れての結婚式をしたにもかかわらず、エレナが、となれば、あの白い目にも納得だ。
様々なことが綯い交ぜになって、ツカサはソファで頭を抱えるようにして項垂れていた。
「なんで……言ってくれなかったの?」
「あの、ゆっくり時間ができてから、話そうとしてたの……。こうなるって思ったから……」
モニカがそうっとツカサの機嫌を窺うように背中を撫でた。困惑と混乱で背中が熱いのだろう、火傷をするような動きでその手が離れ、もう一度置かれた。
体調が悪いとか、顔を見せないとか、手伝いを求めたりとか、そうか、エレナにそうした負担を掛けないためであり、ツカサに体の変化を知られたくなかったからなのだ。
「もっと早く聞きたかったのが本音だけど、エレナの……その、なんか若返って……ない?」
「私も混乱してるのよ、どうしてこうなったのかわからなくて、お医者様にも首を傾げられて、でも、母体にも、子供にも害はなさそうって言われて」
「ほら、ツカサはエレナさんをお母さんと慕ってるから、その……」
「……御父上のこともあり、嫌悪するのではないか、と皆で不安で」
「俺を締めだしたわけだ」
「ツカサ、違うの、ごめんなさい、違うの……」
しん、と皆が沈黙した。時計のカチコチという音だけが響き、その中にパシャパシャと何かが零れる音がした。何の音だとツカサが顔を上げれば、向かい側でシェイが固まったまま、傾けたティーカップから紅茶を零していた。それはそれで驚いて叫んだ。
「シェイさん! こう、紅茶!」
「あ? っつ!」
シュレーンが慌ててタオルを持ってきたりシェイがヒールを使ったりひと悶着あった。シェイは黒い服だから染みは気にしない、と言い、とりあえず乾かすだけで終わらせた。その処理が終わって落ち着いてから、そのおかげでツカサも少し冷静に、ソファへ座り直した。
ツカサは改めて尋ねた。
「俺はね、別に、エレナが幸せならそれでいいんだよ。エレナの人生だから、そういう人だってできるだろうしね。でも、相手が誰なのかは聞いていいでしょ? 首根っこ掴んで挨拶に来させるなり、エレナのことをどうするのか聞くなり、俺は知りたいよ。……まさか、その……無理になんてことは……」
「そうじゃないわ、違うわ」
エレナは話したくなさそうに目を合わせず、ただ否定すべきところだけは答えて唇を結んだ。隣のモニカを見れば目を逸らされ、アーシェティアなど最初から窓の方を向いていてこちらを見ない。女性陣は相手を知っているのだろう。蚊帳の外に置かれ、ツカサはさすがに拗ねてきて、ぐっと立ち上がった。
「言えない相手? 教えてくれないならどうにかして調べる」
「違うの! あの、言いにくいというか」
モニカが慌てて隣から手を伸ばして腕を掴み、座るように引っ張ってきた。その手を振り払うほどの強さはなく、ツカサはもう一度座った。言いにくいって何、と問えば、モニカはごにょ、ごにょ、と口の中で言葉が決まらず、そのままごっくんと飲み込んでしまった。
シェイはというと、向かいのソファでぐったり深く座り込んでいっそだらしのない格好になっていた。そちらに援軍を期待できないとわかり、ツカサは自分を落ち着けるように息を吸って、座る位置を直し、モニカの向こうにいるエレナを覗き込んだ。
「エレナ、話してくれないなら、悪いけど【鑑定眼】を使うよ。その子の父親を捜すなり捕まえるなり、責任を取らせたい」
「やめてちょうだい」
「でも、エレナ」
「話すから!」
遮るように叫び、エレナは両手で顔を覆った。その奥で何度も深呼吸の音がして、皆から顔を逸らしながら、エレナが呟いた。
「……よ」
「何? 小さくて……」
「だから、……なの」
え、とツカサが身を乗り出せば、エレナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「あぁ! もう! ラングよ! ラングなの! この子の父親はラングなのよ!」
ツカサはぽかんと口を開き、息を忘れ、暫くして咽込んだ。待って、どういうこと、となぜかこちらも真っ赤になって首まで熱くなってきた。真っ赤な二人に挟まれてモニカまで真っ赤になっていた。立ったり座ったり謎の屈伸運動をしてツカサはソファに座り、どういう反応をすればいいのかわからず、最終的にシェイの隣に移動した。
「シェイさん、どうしよう、ラングだって、え、待って、どう、どうしよう!?」
「どうする必要もねぇだろうが。相手がわかって安心だろ、よかったな」
「なんで!? どう、どうしてだろう?」
「んなこた俺が知るわけねぇだろうが」
シェイは目を瞑って隣で喚くツカサにうるさそうに吐き捨てるばかりだ。先程、シェイの左眼が不思議な色になっていた気がする。世界を見守る者としての権能で視たからこそ、驚きのあまりこちらも固まって紅茶を零したと気づいた。ツカサはハッ、として顔を青褪めさせてエレナを見た。
「まさか無理矢理……!? ラング……!?」
「違うのよ、ツカサ違うの、落ち着きなさい!」
「でも、だって、エレナ、言いたがらなかったし……!」
エレナは真っ赤になったまま、泣きそうな声で叫んだ。
「私なのよ! 私からあの人に夜這いをかけたの! だから言いたくなかったのよ!」
わぁ! とエレナは隣のモニカに抱き着いて顔を隠した。モニカはキッとツカサを睨み、エレナを守るように抱きしめた。ツカサはよばい、と言葉を繰り返し、それが意味することを理解するとエレナと同じように隣のシェイにそっと隠れて顔を隠そうとして、素早く顔面を押し退けられた。ツカサは自分の両手で顔を覆い、膝に肘を置いて恥ずかしさを隠しながら、ぽつりと尋ねた。
「あの、ごめん、聞いていいかわからないけど、いつから? その、俺、全然気づかなくて、仲いいなとは思ってたけど」
「……あの人、ヴァーレクスと戦ったでしょう。その前夜よ」
「……ごめん、その、よ、夜這いの日じゃなくて、いつから恋人だったのかって意味……」
「もういや……!」
エレナは腕まで真っ赤にして、モニカがよしよしとその背中を撫で、ツカサを再び睨んだ。シェイは深い溜息をついて言った。
「戦女神、ミヴィスト教徒の考え方ってやつだ。戦場へ向かう戦士に対し、想いを遂げる憂い払い。勝利を願う女神の抱擁とも言うんだぜ」
そうか、スカイ出身のエレナは戦女神ミヴィストを信仰していてもおかしくはない。変わらぬ四肢の数、などと厳しい再会の挨拶などを持つ戦女神の信仰は、戦場へ向かう側にも、残される側にも様々な何かがあるのだろう。エレナなりに想いと覚悟があってしたことだろうが、正直、ラングがそれに応えたことに驚いた。責任の取れないことはしない人だ。まさか、もしかしたら残していくことになるかもしれないのに、そういうことをするとは思わなかった。
エレナの赤みが少し引いてくるまで時間が掛かったが、そっとモニカから体を離し、シュレーンから差し出された水を飲んで落ち着くのを待った。聞きたいことはわかるのだろう、エレナは恥ずかしさに震えた声で呟いた。
「あの人、何度か断ったのよ。部屋を出るように促したり、咎めるように声を掛けてきたり。私が、選んだのよ。あの人も選んだの」
エレナの声はまだ恥ずかしさに震えてはいたが、はっきりとした覚悟があった。エレナとラングがお互いにそうして最後を覚悟しながら想いを交わしたことに対して、ツカサがこれ以上何かを言う必要はないだろう。ようやくこちらも落ち着いてきた。まだ頭の中は少し熱を持っていたが、ツカサは深呼吸してから頑張って笑みを浮かべた。
「二人がそれでいいなら、もう、俺が言うことはないよ。でも、もっと早く言ってほしかったよ」
「それは、ごめんなさい。子供ができたことも困らせるでしょうし、それに、こう、見た目が少し変わったものだから」
「困ったりなんてしないよ、部屋はあるしさ、子供部屋だって。見た目は、そうだね、なんでだろう……」
と呟いたところで思いついたことがあった。即座に隣のシェイを見れば金の眼がこちらを見ていた。
「十中八九そのせいだ」
「だよね?」
「理由を知っているの?」
モニカが尋ね、男二人は沈黙を返した。そういえば、ラングが一度死にかけたことは話していないような気がする。その際、心臓が【竜の心臓】に変わったことなどもっと話せない。それはラングのプライバシーで、簡単に話していいことではない。次は女性陣が尋問をするように身を乗り出してきた。
「ツカサ、何か知っているの? この現象はなんなの?」
「エレナさんの体に悪影響はないんだよね?」
「ツカサ殿、何か知っているのならば、教えてくれ」
ツカサはシェイと顔を見合わせた。自分の口から話すには少し気まずい。心臓を抉られて死にかけた話など、絶対に怒られる。今まで怒られ役を押し付けられた身としては、これに関しては絶対に嫌だ。
「エレナが、ラングに手紙を書いて聞くといいよ。シグレさんとか、みんなの手紙を集めて、まとめて送り返せるみたいだから」
「そんなに話せないことなの?」
「俺の口からはね。ところで、もう何も隠し事、ないよね?」
エレナのことは驚いたが、わかってしまえば受け入れるだけだ。ツカサが念を押すように問えば、そっとモニカが手を挙げた。なぁに、と首を傾げれば、モニカはもじもじとした後、言った。
「あの、私も、子供が……できました」
ツカサは言葉を失い、ふらりとモニカの隣に戻り、無言のままモニカを抱きしめた。それは逆にモニカを困惑させたらしい。不安げな声で名を呼ばれ、ツカサはモニカの両手を掴んだ。
「絶対に、守るから。モニカも、子供も、エレナとラングの子供も、みんな、絶対に」
必死な声にモニカが笑い、次いでエレナが笑い、アーシェティアが滲むように微笑んだ。何やら眩しいものを見るようにシェイが目を細め、シュレーンがおめでとうございます、旦那様、と胸に手を当てた。
「よかったな、おめでとう。この報告を真っ先に聞けたのが俺でよかったぜ。ヴァンとかアッシュだったらお祭り騒ぎだ」
「ありがとうシェイさん、俺、どうすればいいんだろう?」
「素直に喜んどけ。それから、やっぱり使用人は早々に雇うべきだな」
そうだね、そうだね、とツカサは立ち上がり、顔をニマニマさせてうろうろとし始め、その様子に女性陣が安堵を浮かべて笑った。シェイはソファに座り直し、エレナに言った。
「あんたの体に起きてることは、ツカサの言うとおりラングに聞くといい。主治医はヴァンの手配だから腕に間違いねぇが、俺も関わらせてもらおう。その理由もラングが話せる。俺が言うことじゃねぇが、素直に書いた方が身のためだし、今後のためだろうぜ」
「……そうね」
あっ、とツカサは気づいたように声を上げ、皆がそちらを見た。
「俺、次からエレナのことなんて呼べばいいんだろう? 兄嫁? ってことは義姉さん?」
「そこは今までどおり、エレナさんでいいんじゃない?」
「そっか、そうだよね」
ツカサが照れたように首を摩り、皆が再び笑った。
おめでとう、ツカサ、ラング。