1-35:継がれた片鱗
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シュレーンの呼んできた門兵、傭兵団の人と、冒険者ギルドから来た冒険者にシャイナを引き渡した。窃盗の罪歴もあると伝えれば、家の中を確認してくださいと言われ、ツカサたちも慌てて家の中を調べた。
結論、被害に遭っていた。ツカサが旅路の間、ダンジョンで手に入れて、冒険の記録として書斎に飾っておいたものだ。
ソロでも、エレナとも攻略したエイーリアのダンジョンで手に入れた水面をそのまま切り取ったような、何の効果もない綺麗なだけの小石。
オルワートのダンジョンの下見で手に入れ、売らずに取っておいた水の杖。
そして何より許せなかったのが、ラングと共に討伐し、手に入れたファイアドラゴンの鱗が棚から無くなっていたことだ。
ツカサの書斎には誰も入らず、ケイトやシュレーンにも入らないように言いつけてくれていたらしい。だから、家族は盗られていたことに気づかなかったそうだ。モニカとアーシェティアの声を遠く聞きながら、ツカサは無表情で傭兵団と冒険者に取り押さえられている女に詰め寄った。無意識に振り上げた拳を慌てて冒険者が三人がかりで止めた。
「灰色の! 止せ! うおぉ!?」
体をくの字に折って羽交い絞める相手をそのまま背負うように落とす。両腕を掴んでいた二人は驚きと突然の出来事、ツカサの体勢にたたらを踏み、その間に腕を捻って拘束を外した。ツカサは迷いのない動きで水のショートソードを抜いた。取り押さえた傭兵団も冒険者も、無表情のまま、何の感情もないままショートソードを振りかぶったツカサに硬直し、ケイトもまたそれを見上げて口を開けっぱなしにしていた。
「馬鹿が、落ち着け」
パキンッ、と高い音がしてツカサの体が魔法障壁に包まれる。次いでバシャリと水が全身に掛かり、ハッ、とした。今なにをしようとしていた? ツカサが正気に戻ったのを見て、シェイは魔法障壁を解いた。しょろ、と何かが漏れる音がして発生源を探せば、ケイトがガタガタ震えたまま粗相をしていた。拘束していた者たちが居た堪れなくなってそろりと離れた。
ケイトにも水を浴びせ、シェイは淡々と尋ねた。粗相を隠すためではなく、こちらも正気に戻して話をするためだ。
「こいつがこんな状態なんでな、先に調書を取るが、お前、盗品はどうした」
ひっく、と泣き始めたケイトにもシェイは容赦なかった。そうだ、この人も軍人なのだ。
「泣いたところで罪状は変わんねぇんだ、とっとと答えろ。盗品は?」
「い、家に、あり、ます……。ど、どう、道中で、売る、つもりで……」
「だそうだ。この女の家にあるもんは一度ここに全部持ってこい。家主に確認をさせて返却した後、財産没収でも何でも好きにしろ。余罪の追及は忘れずにな」
金色の冒険者証を差し出して身分を示し、シェイが取り仕切る。金級冒険者パーティ【快晴の蒼】のメンバーがそう言うのならば、従った方がいいと皆が思ったのだろう、誰からも異論は返ってこなかった。
ツカサは深呼吸をして水のショートソードを鞘に戻した。風魔法で濡れた装備を乾かして、濡れ鼠になっているケイトを真っ直ぐに見た。
「逃げられると思うなよ」
ひっ、と喉を詰まらせ、ケイトは引きずられるようにして連行されていった。野次馬をしていた人々からの白い目も何とも思わない。逆にゆっくりと見渡せばそそくさと散っていき、最後にシェイに向き直り、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「気をつけろ。確実に犯人であれ、罪状が固まるまでは容疑者でしかねぇんだ。ラングのやり方に染まり過ぎるのはどうかと思うぜ。いくら真実の宝玉やら【血明の板】やらがあったところで、あの状態で殺せばお前と家族が苦労するだけだぞ」
「はい」
「全部固まった後なら許されると思うが、やりたいか? 影に引き取らせてもいい」
いや、いらない、とツカサは首を振り、肩を落とした。預けたなら手を離すべきだ。ファイアドラゴンの鱗が戻ってくるならそれでいい。そう伝えれば、それがいいだろうな、とシェイは深く息を吐いた。こちらの会話が一段落ついたところで、モニカがそっとツカサの服を掴んだ。
「ご、ごめん、なさい、私、気づかなくて。シャイナさんが、そんな」
モニカがショックを受けてボロボロと泣き始め、ツカサは優しく抱きしめた。背中を撫でて髪に指を通して慰める。この手で先程、モニカの前で人を殺そうとしたのだと思い、振り切るようにぎゅっと抱く腕に力を入れた。
「俺の私室だから気を遣ってくれたんでしょ? モニカが悪いわけじゃない、エレナだってアーシェティアだってそう。いくら気をつけたって、やる人はやるんだ。……運が悪かったんだよ」
胸中でだけ、結婚式でもらった仮初の記憶石などを置いておかなくてよかったと思った。あれは使われてしまえば記憶が上書きされて消えてしまう。あの一瞬が消えてしまったのなら取り返しがつかなかった。もしそうなっていたら、シェイに頼んで影に引き取ってもらい、本当に惨たらしい殺し方をしたかもしれない。ツカサは自分でそう考えたことにゾッとした。
ぐす、と泣くモニカの顔を覗き込んで空間収納から取り出したタオルで涙を拭う。胸鎧が当たって痛いのではないかと顔を確認すれば、また大粒の涙を零し始めて困ってしまった。もしや、怖がらせたのは自分なのだろうか。
「ごめん、俺、怖かったよね……」
「ううん、ツカサが怒るのは、当然だと思うから」
ぐすん、とモニカはタオルを受け取って涙を拭き、そっとシェイを窺った。
「あの、シェイさんは……」
「あ、そうだ、シェイさんどうしてここに?」
ようやくか、と言いたげに肩を竦められ、シェイは視線を動かして家を指した。入っていいか、と言外に尋ねられているのだとわかり、モニカを振り返る。
「家、入っていい?」
「ツカサの家だよ?」
「少し前に追い出された気がするんだけど……」
「あれは、ちょっと事情があったの。とにかく入って、お帰りなさい、ツカサ! シェイさんもどうぞ」
タオルで目元を押さえながらモニカが言い、シュレーンが玄関のドアを開いて中に入るを待っていてくれた。初対面でいろいろありはしたが、シュレーンは顔色一つ変えることなく笑顔で家の主を出迎えた。
ぱた、と階段を上がっていく足音がした。エレナだ。やはり避けられている。その理由も聞かなくては、さすがに悲しくなってきた。モニカが誤魔化すようにツカサをソファへ促しながらシュレーンに声を掛けた。
「シュレーンさん、お茶をお願いできますか?」
「もちろんでございます」
パタン、カチャリと鍵を掛けてからシュレーンがキッチンに向かった。その間にソファに座り、氷を創り出して布に包み、モニカに差し出した。なんかこれ、恒例だね、と言われてツカサも微笑んだ。
「改めて、おかえりなさい。お疲れ様でした」
「うん、ただいま。来週いっぱい休暇になったから、ゆっくりできるよ」
シェイが何かを持ち込まなければだが、と思い、ツカサはちらりとそちらを見た。
「顔を見に来ただけだ、頼み事とかはねぇよ」
「よかった」
ほっとすれば、ふふ、とモニカとアーシェティアに笑われた。シュレーンが紅茶を淹れてツカサとシェイの前に、白湯をモニカの前に二つ置いてくれた。アーシェティアはモニカの後ろに立っているので、そこなのだ。シュレーンはお盆を手に綺麗な会釈をし、ツカサは一口紅茶を味わってから姿勢を正した。
「お初にお目にかかります、お帰りなさいませ、旦那様。シュレーンと申します」
「初めまして、【異邦の旅人】のツカサ。美味しい紅茶をありがとう。……ヴァンの手配? いつまでここに?」
「旦那様や奥様方に暇を言いつけられるまででございます」
つまり、クビにするまではずっとここに居るわけだ。先程人を呼び行った際の動きの素早さもあり、心強いものはある。シェイは紅茶を飲んで美味いと言ってから顔を上げた。
「ツカサ、甘えとけ。家がでかいんだ、本当なら使用人が二人はいてもおかしくねぇよ」
そういうものなのか。ツカサにはよくわからず、けれど確かに、ツカサが学園に行くまでは四人で手分けしていろいろとやっていた。となると、ケイトの手が減る分を足した方がいいのだろうか。隣に座ったモニカの手を無意識に握って温もりを確かめながら考え込むツカサに、そっと、シュレーンが声を掛けた。
「旦那様、僭越ながら、現在はわたくし一人で問題ありません。ですが、先々のことを考えればあと一人居た方が恙なく回るとは思います」
「そういう感じ? 俺が結構特殊な立ち位置だから、信頼できる人がいいんだけど」
「でしたら、わたくしの元同僚を呼び寄せますが、いかがでしょう?」
ヴァンが許すだろうか。いや、許しそうだな、あとは賃金の相談か。悩む様子にシェイが眉を上げた。
「賃金のことならヴァンに出させればいい。俺でもいいぜ。お前らには返しきれない恩がある」
「でも、金の切れ目が縁の切れ目とか言うけど、逆に金が続く限り厄介ごとも来るんじゃないかなって思うと……」
「ッハ! 言うようになったもんだな。ならヴァンや俺に一括で三十年分を支払わせて、あとは微々たる給与をお前が月毎支払うようにすりゃいい。そうすりゃ、何かあって暇を言い渡しても露頭には迷わねぇし、日用品の買い物で貯金を減らすこともねぇだろ」
「最高の条件でございますね。わたくしもそのようにして、元主より既にお給金を頂戴しております。不要とお伝えもしておりますが、奥様方より、賃金も頂戴して……恐縮するばかりでございます」
なるほど、そうして支払われているのか。今どうしているのか後で詳しく聞きたいと言えば、シュレーンはお辞儀をしてキッチンへ辞した。
少しの沈黙を置いて、ツカサが何をしていたのか、学園での事件についてモニカが聞いてきたので答えた。ヴァンたちが対応した商会のこと以外であれば、皆が知っていることだ。学園内部の上層部の入れ替えも噂になっている。冒険者クラスの授業の遅れもあり、来年の募集はかけないでもらって、今のクラスをしっかり育てる方がいいか悩んでるところ、と話せばモニカは、大変だけど、ツカサがいい顔で話してるからよかった、と柔らかく微笑んだ。ほわ、とツカサは胸が温かくなって、うん、と頷いた。
「あ、そうだ、それから、ラングとアルから手紙が来たんだよ」
「ラングさんとアルさんから手紙!?」
あまりの驚きにモニカが叫び、上からバタバタと足音がした。
「ラングからの手紙ですって!?」
久々のエレナの声が少しだけ若い気がした。ソファから振り返ってみれば、階段のところに知っているはずなのに見知らぬ女性が居た。
マホガニーカラーの長い髪、温かな赤いガーネットのような宝石のような瞳の、とんでもない美女が居た。
この家に居るはずのもう一人の女性のはずだが、遠目だからか、前より皺が少ないような、それに、ゆったりとした長い、脛まであるワンピース、ふっくらとした腹部。左眼は薄っすらと膜を張ったように僅かに濁っていて、その怪我に確信を持ち、ツカサはそうっと立ち上がり、確かめるように名を呼んだ。
「……エレナ?」
あっ、と口元を押さえ、けれどもう逃げるわけにもいかないといった様子で、階段の手すりに身を寄せて支えを得ながら、視線が泳ぐ。アーシェティアが駆け寄り、その体を支え、ゆっくりとソファへ連れてきた。近くで確認すれば、見間違いではなかった。ツカサに向けられていた薄っすらとした皺を滲ませていた目元は若く、肌艶が、失礼だが前とは違う。艶のある唇も桃色で、髪に張りもある。女性の年齢がよくわからないが、元々若く見えてはいたが、前よりも確実に若返っているような。それに、とツカサの視線が堪えきれずに腹部に向かう。
「……エレナ? エレナだよね?」
「……そうよ。おかえりなさい、ツカサ」
「ただいま。ねぇ、聞いてもいいかな……」
「何かしら」
ツカサは深呼吸をしてから尋ねた。
「どこのどいつ? 何があったの? いつから? どうして言ってくれなかったの!?」