1-32:魔獣騒動 幕引き
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学園に戻れば、夜も遅いというのに生徒たちが食堂の長机にイーグリスの地図を広げてマッピング作業の真っ只中だった。この地区の水路に立ち入らないように声を掛けたとか、途中本職の冒険者と合流して動き方を見てきたとか、十五、六の少年少女たちの頑張りを見て、ツカサは自分が恥ずかしくなる思いだった。惰性で学校に行き、授業を受け、バイトして遊んで、この世界に来てから学んでばかりだ。知識に偏りはあるだろうが、どう生きるのか、という点で我ながら成長したと思う。
ツカサと【真夜中の梟】に気づいたマイカが先生、と手を振って皆の注目をこちらに向けた。
「怪我人は?」
「いません。魔獣には遭遇しませんでした」
「でも、東側の大きい水路にでっかい魚がいて、冒険者が討ち取ったって!」
「ということはやっぱり顔を出していたんだね。地下水路じゃ魚と鼠くらいで、足りないんだろうな」
餌が、と呟けば、一部生徒の熱が冷めていく。ただ物珍しい魚がいたわけではなく、それは確実に人を喰いに来ていたのだと気づいたのだろう。ツカサはそれ以上は言わず、ロドリックを手招いた。
「ズィールたちを知らない?」
「でしたら、教員会議です。ところでそちらは」
「友達。隣の大陸の金級冒険者パーティ【真夜中の梟】、リーダーのロナと、剣士のマーシ」
「お邪魔します」
「よろしくな!」
金級冒険者、という響きに好奇心が向けられ、ロナとマーシは少しだけくすぐったそうに笑った。いろいろ話を聞きたそうな様子に、ロナはいいよ、任せて、と優しく笑ってツカサを促してくれた。その場を任せ、教員会議の行われている部屋へ向かった。
アッシュが学園長に厨房のナンバーツー、スリーを突きつけたはずだ。学園の中に転移魔法陣があったことや、それを利用して食材を確保されていたことなど、今後変化を伴わないわけがない。それに、学園の部外者であるアッシュがやったことが、どう転ぶかがわからなかった。人の気配、声、ツカサは扉を思いきり開いた。
「学園長!」
「おかえり、アルブランドーくん」
「やぁ」
教員会議の席に居たのはシグレだった。その後ろにアッシュが立っていて軽く手を挙げられた。ヴァンとの合流は後回しになったらしい。シグレの同席に驚きのあまり挨拶をするのも忘れ、ツカサは開いた扉から手を離し、中に入った。ゲオルギウスに隣へ促され、そのまま座る。話を中断させてしまったらしくツカサの着席を待って会話が続けられ、シグレの厳しい声が学園長に向けられる。
「秘されていたものが暴かれた件については不問とするが、それを悪用したことは看過できない。本来、学園長に就任した者にはあれの管理も統治者から依頼している。知らなかったではすまない」
「そうだねぇ、確かに、あれの管理もあったねぇ。だから言っているじゃないか、私が責任を取って離任する、と」
ゆったりと椅子に寄り掛かった学園長は穏やかな声で返し、微笑みまで浮かべている。シグレは声の調子を崩さずに言った。
「学園長、論点をずらさないでいただきたい。私が問うているのは、なぜ、報告をしなかったかどうかだ」
「学園の食事は美味しいだろう? 離任して食べられなくなるのは惜しいねぇ」
「質問に答える気がないということでいいか?」
一触即発の空気の中、ゲオルギウスはそっとツカサに耳打ちした。学園の中にダンジョンへの転移魔法陣があったらしいこと、検分に連れて行かれた先で、確かに封印機構があったこと。ツカサは実際にその場にいて、転移魔法陣を見ているので知っているが、教師陣はその時に初めて知ったらしい。
「厨房の人がそれを利用して、食材を取りにいってたんですよ。冒険者証もないのに」
「……そっか、持ってなかったんだ」
一般人のダンジョン攻略は、ダンジョン内の規律を乱すので禁止とされている。今は状況が違うが、通常、入り口で出入りを管理する誰かがいるわけではないので、モラルとしての認識だ。だが、この学園で戦いを学んでいたらしいナンバースリーも、日常的に魔法を使い調理しているナンバーツーも、それをダンジョンに転用するのは容易だったそうだ。
シグレの論点は、なぜ報告をしなかったのか。
学園長の答えは、自身が離任するの一点張り。
同じことを違う言葉で尋ね続けるのは、どこかで相手が疲れボロを出すからだ。とはいえそれを得られるまでに時間が掛かる。こっちはゆっくり風呂に入って汗を流して家に帰りたいんだ。ぼそりとちょっと汗っぽいですねと言うなゲオルギウス、こちとら地下水道からの時計台からの冒険者ギルドからの【青壁のダンジョン】からの帰還だ。お前とは運動量が違うんだ。イライラしてきた。
ツカサは学園長に対して【鑑定眼】を使った。のんびりと会話していた学園長の視線が鋭くこちらを見遣り、目が合う。ツカサは逸らさなかった。
「シーナ・サヴォ学園長。要求があるならはっきり言った方がいいよ。シグレさんは話のわかる人だから」
「アルブランドーくん、勝手に覗くのは失礼だと思うんだがねぇ。魔法のお師匠さんはそういうのは教えてくれなかったのかい?」
「あんまりやらない方がいいとは聞いてるけど、本当に、俺は家に帰りたいの。モニカと話さなくちゃいけないし、エレナとアーシェティアに手紙も渡さないといけないし。シグレさんもさっさと終わらせないとアルの手紙渡さないからね」
「アルの手紙だと……!?」
ガタッ、と立ち上がった音に驚いた教員の視線を浴び、シグレはそっと座り直した。部屋の中でピリピリやり取りをしていた二人が視線を交わし、深く息を吐いて肩から力を抜いた。
「学園長、要求とは?」
「ダンジョンに行った二名と、料理長の無罪放免だね、皆、私のかわいい教え子なのだ。二人のやったことは悪いことではあるけれど、善意だった」
「それについては冒険者から一言。ダンジョンに入れるのは冒険者証を持つ者だけ、というわかりきった規則を皆が守っているから、今の秩序は保たれてる。それを破っていた者たちをただ無罪放免にするのは、真面目にやっている冒険者に対しても、今後のダンジョンの秩序にも影響がある。何かしらの見せしめは必要だ」
アッシュが手を挙げて苦言を呈した。実績のある金級冒険者パーティの発言だからこそ、冒険者ではない教員たちにもなるほど、と刺さったようだ。シグレは難しい顔で唸った。
「そのとおりだ。加えて、今後ダンジョンを有する街々がダンジョンの入り口で昼夜、時を問わず出入りを管理するようになれば、利点もあるが欠点もある。潮時ではあったのかもしれないが……」
しん、と沈黙が続いた。ふぅ、とシグレが息を吐いた。
「放免というのは、ここに残してほしいということであっているか?」
「そうだねぇ、そうしてくれると助かるね」
「秩序を乱した、街を危険に晒した。そもそも、事が起きていたならば学生だって死者がいたかもしれない。そういった点を見過ごすことはできない。二人には裁きを受け、刑罰を受け、それでもなお学園で調理師として役に立ちたいと本人たちが言うのならば、統治者としては許可をしよう。それを正式に許すかどうかは、学園の裁量に任せてもいい。料理長が指示をしたことでないとは調べがついている。そちらについては特例で無罪放免とする」
それが、シグレにできる最大の譲歩ということだ。かなりの融通に感じ、ツカサは少し驚いていた。
「道を選ぶのは彼らだからね、十分さ。統治者殿、申し訳なかった。封印の状態を知りつつもあなたに報告をしなかったのは、生徒のため、彼らの熱意のため、いろいろ理由はあるけれど、一番はまだもう少しもつだろうという自負があったからだ。けれど、アルブランドーくんが視た結果をアッシュ殿から聞いて、老いを自覚したね」
鈍り、濁ったものさ、と学園長は立ち上がった。
「何の話だと困惑する者はまだ多いだろう。安心なさい、魔獣騒動も終わり、学園の危機も去った、老人も去る。それだけだ」
隣同士顔を見合わせ互いの混乱に安堵を浮かべ、一人、また一人と立ち上がった。胸に手を当てて礼をする者もいれば、ただ無言で見ている者、ぐす、と目元を拭う者がいる。ツカサは座り続けた。教員ではあるが冒険者、冒険者側の秩序を乱されるのは困るからだ。同調し、許すのは、同情するのは違うと思った。自分の感覚を大事に、そしてまた、信じた。
学園の今後は学園長の離任と、副学園長が繰り上がりでその席に座ることが決まった。厨房のナンバーツー、スリーは騎士団に連行され、学生を危険に晒したこと、購入品と費用の虚偽報告で裁かれた。そこに約束通りシグレの口添えがあり、奴隷証を刻まれ、ダンジョンに二度と足を踏み入れられないよう縛られたくらいで済んだらしい。これは二人が食材目的に転移魔法陣を利用し魔獣を狩っていたことが、結果、そこから魔獣が溢れることを防いでいた、という結果も考慮されている。
二人は奴隷証を刻まれて解放された後、再び厨房で働きたいと床に血を滲ませるほど額を擦り付けたが、料理長は彼らを許さなかった。善意だとしても、不正を行って入荷した食材を生徒に提供していたことが許せなかったと聞いた。ただ、風の噂によるとナンバーツーとナンバースリーは、料理長の実家、イーグリスの飲食店で身を粉にして働いているらしい。
引継ぎと、ツカサの機転で得られたまともな魔獣商人との契約、冒険者ギルドとの調整が早急に進められ、それが終わり次第ジークもここを去る。教務課のしでかしたことでもあり、ジークに残って欲しいという声はとても多かった。本人がそれを固辞し、少しだけ晴れやかな顔で離任準備を進めているのをツカサは不思議な気持ちで眺めていた。
冒険者を目指す若者たちが、面白半分にダンジョンに足を踏み入れる証のない者が、規律を破ればダンジョンに二度と入れなくなるという見せしめは正しくイーグリスに広まったようだった。
事後処理に追われる中、シグレには諸々の礼と共にアルの手紙を渡した。返事を集めてから送ること、大きな封筒を探していることを伝え、近いうちに返事と共に届けると言われ、別れた。
慌ただしい事後処理の中、アッシュからはヴァンたちが黒幕を捕縛、商会を潰したことの報告を受けた。結論、ルーがいた商会そのものが乗っ取られた形だったそうだ。どうやら盗賊の襲撃も仕組まれたもので、ルーが暖かい部屋の中で目を覚ました頃には、恩人も、商会の仲間も、皆殺しにされていた。本人に伝えるのを悩んでいる、とアッシュが珍しく躊躇を見せていた。彼らは、最終的に自分で選んでやったことではあるが、最初は本当に巻き込まれ、利用されただけだったのだ。
乗っ取った側の商会はやはりというべきか、他国の間者だった。国は教えてもらえなかった。舌を噛み自害した者もいたが、血があれば情報を得られる術を持つ軍部には何も苦労がなかったらしい。目の前でそれをやってみせ、死ぬだけ無駄、でも好きにしていいよ、と優しく微笑むあの人は怖かっただろう。
死してなお情報を得ることができる。【血明の板】はだからこそ所持が許されないのだと知った。
邪魔者を喰わせアルゴ・コボルトを保ち、こうして運び込むまでに至った手際と運の良さは生かしておいては不味い。情報を抜くだけ抜いた後、殺しただろうな、とツカサはアッシュの話にぼんやり頷いていた。
報告の最後、アッシュは中立の立場で言った。
「前にヴァンも違うことで似たことを言ったと思うけど、どの組織にも、どの街にも、どの国にも良い面悪い面がある。ラングなら、見極めろというだろうな。よく見るんだぞ」
「うん、そうだね」
握手をして立ち去るアッシュの背中を学園の門から見送った。そうしてまるで影に溶けるように【快晴の蒼】、斥候のアッシュが帰還していった。
【渡り人の街事変】や【旅人の温泉】の事後処理に追われていた【空の騎士軍】の苦労を垣間見た気がした。ツカサは目が回りそうな忙しさの中、必死に対応し続けた。
魔獣騒動による多くの事態は、ようやく幕を下ろした。ただ一つ、逃げた計画犯の一人、ケイトの行方を除いて。
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