1-27:周囲を巻き込んで
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ツカサはぐしゃりと手紙を握り締めて下を俯いた。謝罪から始まった手紙、懺悔が続き、遺書となったそれはもはや温もりを伝えることのない、無機質な紙だ。
目頭が熱かった。悲しかったからではない、悔しかったからだ。もう一歩ツカサが踏み込んでいたならば、そこにガスパールはいたのだ。忙しさというものが人間の余裕を奪い、視野を狭くするということを身をもって知った。そして、納得がいかない。逃げ出すだけの行動力があったのならば、なぜ助けてほしいと言えないのか。なぜ謝ることができないのか。同じだ、どいつも、こいつも、どうして。
気づけば、ツカサは叫んでいた。何の意味もない雄叫びだ。ただ悔しくて、ただ情けなくて、誰にぶつけていいのかわからないこの怒りと、ぐちゃぐちゃになった感情をどうにかしたくて叫んだだけだ。息が切れて喉が掠れて、ツカサは最後に大きく息を吸った。座り込んだりはしない。歯を食い縛って、折れず、堪え、受け止めた。
ゆっくりと眼を開く。顔を上げ、白い右眼、黒い左眼で青空を眺め、握り締めた遺書が再び、くしゃ、と乾いた音を立てた。
「先生……?」
ロドリックの気遣うような声にゆるりと視線を向け、ツカサは大丈夫、と答えた。ゲオルギウスがそっとツカサに近寄り、顔を覗き込んだ。
「どうしたんですか? 何が書かれていたんですか?」
「……ガスパールの遺書。最期を目前にして自らの罪を告白し、想いを託したいと願った、後悔の軌跡。戻ることのない……日常の、憧憬、一握りの感謝を、先生に」
ツカサは驚いてディエゴを見た。横に下ろした手を強く握り締めて、ツカサの手にある手紙に視線を置いたまま、じっと唇を噛んだ。ディエゴの【旧鑑定】がその軌跡を優しく暴いたのだ。
「そういうスキルなんだね、それ」
「……今はもう、求められてないスキルです」
「ううん、ディエゴ。今、それが俺を救ったよ。ありがとう」
どうしてディエゴが泣きそうな顔をするのだろう。その肩を叩くのは親友に任せ、ツカサは微笑を浮かべてから握り潰した手紙を丁寧に開き、ズィールに渡した。教員三人が中を見て目を見開き、苦虫を嚙み潰したような顔でそれぞれが視線を逸らした。
「ツカサ! 話したいことが……どうした?」
アッシュが合流し、沈痛な面持ちで地面を眺める一同に怖いものを見たような顔をした。掻い摘んで話せばアッシュは淡々とそうか、と言い、短い黙祷を捧げて顔を上げた。アッシュはガスパールの顔を知らない。捕縛したいと思っていた者が既に死んでいる。ならば別の手段を探さねばならない。アッシュの中では次のステップに進んでいるのだ。ツカサ以上に人の死を見てきた人の冷たさであり、冷静さだった。ラングもきっと、即座に次の手を探す。アルならば、肩を叩き、慰めてくれただろう。会いたい。ふるりと頭を振って目を開く。もう一人で立てるだろう、甘えるな。
「アッシュ、話したいことって何?」
「人が多い、場所を移したい」
「あ! 先生! 冒険者ギルドに来てほしいって!」
マイカが慌てて声を張り上げ、ツカサだけではなく全員の視線を注がれてロドリックの背に隠れた。視線の位置がロドリックに移り、代わりに答えたのもその少年だった。
「手紙と一緒に伝言を預かったんです。至急、対策を講じたい、冒険者ギルドに来てほしい、と。いったい何が起こっているんですか?」
それを皮切りに生徒たちの疑問の声が叫びに変わる。わぁわぁと事態を知りたがる声にツカサは腕を組んだ。これから冒険者を動員するのにも時間が掛かる。それなら、監視の目として少年少女を巻き込むのはどうだろうか。ツカサは振り返り、ズィールを見た。
「地上の水路の監視くらいなら任せてもいいと思うんだけど、どうかな、先輩」
「同じことを考えていた。ただし、監視のみ、手出し無用といったところだ」
「だよね。カイルワェンなんかがいたら、普通に死ぬ」
ツカサは生徒の方に向き直り、話をしようとした。けれどヒートアップした生徒たちは叫び自分の言いたいことを言うばかりで聞く耳を持たない。威圧するか魔法を使うか悩み、ツカサはズィールの盾を勝手にカンカン叩いて音を鳴らし、注目を集めた。
「冒険者クラス、これから話すことを理解して、約束を守れる生徒にだけ、協力を依頼する」
ガスパールの手紙により、地下水道に魔獣が放たれていること。先程、学園の下にいた魔獣は狩ったが、市街地の方まで調べていないこと。生徒たちには人が水辺に寄らないように注意喚起に走って欲しいこと、ただし魔獣を見つけたら自分で対処しようとはせず、冒険者が来るまで待機すること。
「言いつけを破って自分から手を出したら、退学にする。言わなければバレないとは思わないこと、街中なら人目はどこにでもある」
「人命がかかっていても、ですか?」
「その人命が危なくならないようにするのが依頼だ。踏み込むな」
マイカは目を逸らしてロドリックの背後に戻り、その服をメアリーがぎゅっと握り締めていた。ツカサは冒険者クラスの生徒たちを真っ直ぐに見ながら言った。
「冒険者はダンジョン都市とも密接だ。こういう事態に協力依頼が出ることもある。それを受ける、受けないは自由だ。俺は向こうの大陸で迷宮崩壊に巻き込まれそうになって、パーティメンバーと一緒に逃げたこともある」
ざわ、と小さな声が響いた。何が言いたいのかと首を傾げる生徒の中、数名、口元を引き締めた者たちがいるのを見て、ツカサは一瞬目を細めた。それからどさりと地面に落としたのはカイルワェンの死体だ。水の滴る黒い鱗は快晴の下、光沢を放ち、頭蓋に突き刺さった氷と斬り裂かれた脇腹からどくどくと赤い血が広がっていく。だらりと舌を零している口は大きく、牙は鋭い。死んでいるとわかってはいてもこれだけの巨躯が目の前にあれば足が引いても笑う者はいない。
「ズィール、ジーク、ゲオルギウスと四人で討ち取った。これが市街地の地下水道にまだいると思ってる。冒険者ギルドもこういうのが市街地に出ることを懸念して、冒険者を集めると思う。市街地の注意喚起をして、水辺の監視をしている時、これに襲われるかもしれないと考えられる? その危機感を想像できる? できた上で、引き受けるか、断るか、決めるのは君たちだ」
やりなさい、やれ、と言われなかったことにまだ数名驚いていたようだが、そっとシモンが呟いた。冒険者クラスから移籍を考え、そして思い留まった少年だ。
「何ができるかじゃない、どうするか、なんですよね?」
ツカサは滲むように微笑みを浮かべた。ロドリックとディエゴは顔を見合わせて頷き合い、一歩前に出た。
「俺たちは街の南側出身です。知ってる奴も、顔見知りも多い。話は真面目に取り合ってもらえると思います。走り回ります」
「俺は家が商売もしているから、その伝手で話を広めることもできます。店の協力を得ます」
「俺たちは、依頼を請けます。ただし、命の危機はないように、細心の注意を払って」
「守るべきは俺たちの自己満足ではなく、イーグリスの人々の安全で動きます」
二人がどうするのかを口にし、コレットも前に出た。
「ワタクシも請けますわ。東側の商人通りならワタクシが適任ですわ」
マイカとメアリーも、そこにまるで線があるとでもいうかのように二人でぴょんと足を踏み出した。
「私、前に働いてたパン屋さんがイーグリスの西側にあるんです。顔見知りもいっぱいいます。パン屋さんの周辺には洗濯できる水路も多いから、子供が襲われたら大変。私、お世話になった人たちにも協力を仰ぎます!」
「メアリーは、どうすればいいかわからないから、マイカを手伝う」
ありがとう、とマイカはメアリーと手を繋ぎ、二人がツカサへ頷いた。後ろの方に居たアレックスがそろっと出てきて、素直になれない様子で唇を開いた。
「ヒーローは、小さなことから、ヒーローになってくんだと思う。……誰かのためにって、言えるほど、実力ないかもしれないけど、こういう時に動かないのは、俺の考えるヒーローじゃないから。俺、行くよ。でも、自信がまだないから、ロドリック、ディエゴ、ごめん、俺も連れて行ってくれないかな」
尋ねられた二人が驚き、逡巡、それぞれの手がアレックスの肩を叩いた。アレックスは泣きそうな顔で俯いて蚊の鳴くような声でありがとうと言った。ツカサはアレックスの背に手を当てて撫でながら、待ち針を抜いた。ディエゴとの特訓の成果だろう、少し魔力が溢れたが、気づいたアレックスとディエゴが慌ててそれを収めるためにお互いの手を取って制御と調整を行った。じろりと二人から睨まれた。
「先生、それ絶対マジックアイテムじゃないでしょう」
「……今まで先生が抑えてたの?」
「終わり良ければ総て良し、だろ。頼んだ」
ツカサはもう一度冒険者クラスに向き直った。次いでシモンが学園のある南西側を、他の生徒が、と各自が自分のできること、どうするかを宣言し、協力依頼を請けていく。その中でも魔獣の姿に恐怖を抱き、学園に残ると言った生徒もいた。それもまた覚悟と決断だ、ツカサは残る組に図書室で魔力や魔獣に関するレポートを探しておいてほしいと頼んだ。何もすることが無ければそれはそれで耐え切れなくなるだろう。何かやることがあれば、それだけで気は紛れるはずだ。
「騎士科は剣術科、魔導士科と行動を共にする。こちらも強制ではない」
ズィールは休めの体勢で話を受ける生徒を前に厳しい声で話していた。肉体と技術を以て敵を屠る騎士、それとは違い、遠隔から手を触れずに敵を圧倒する魔導士では、在り方が違う。剣術科とは違い、今までも交流は多くはなかったそうだ。先程の地下水道でのことはズィールの考えを大きく変えたらしい。盾となり、水棲魔獣に対しても工夫のこなせる魔導士を守りながら学園内部の水辺の哨戒、それを担うのが騎士科と剣術科と魔導士科。学園の中には大きな池があったりそこから学園中に流れる水路があったりするので、体力のない魔導士と学園の中での戦いに慣れた近接二科の有効活用だ。
話がまとまったところでツカサはロドリックを呼んだ。
「俺もこのまま動くから、もしかしたら連絡が取れなくなるかもしれない。その間、悪いけどクラスを頼んでいい?」
「わかりました。しかし、頼むとは」
「指示は残す。でも、臨機応変さならロドリック、意外と強いからさ」
ツカサは教務課へ行って外出許可をもらうこと、日が落ちる前に学園に戻ること、怪我が無いかを確認すること、精神的に参ってそうであればレポート探しに残らせること、それから、背伸びしないことを言いつけた。
「教務課にはこのメモを持って行って。本当、いろいろ任せてごめん」
ツカサは取り出した紙に冒険者クラスの生徒の外出許可お願いします、と走り書きしてロドリックに渡した。それからカイルワェンを空間収納に入れ直し、少し離れたところにいるアッシュに駆け寄りながら、何度か振り返って叫んだ。
「絶対怪我しないでよ! 怪我したら本当許さないから! 約束だよ!」
「やっていることが規格外ですのに、言っていることが子供なんですわよ……」
コレットの呟きに、生徒たちが親しみを込めて笑った。
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