1-26:かかわれなかった男
――こんなことになるだなんて思わなかった。本当に、最初は良かれと思ってやったことだったんです。
自分の生活が安定していて平和だからと周りのことに興味が無く、ただ、住む場所があって、給料があって、休日があって、自分の時間がある。休日や昼の自分時間が潰れるのが嫌で、他者と深く関わらず、仕事に差し支えない程度の関係性だけ構築し、あとは関わり合いから逃げていた。そのぬるま湯のような幸せに浸り、のんびりと過ごしていた。すぐ隣の街では何やらごたごたあったらしいが、自分に火の粉が降りかからなければ全て他人事だ。
それが終息し、ようやく、学園の業務にも落ち着きが戻ってきた。
ある日、休日に外食をしていた時、ふとした会話が耳に入った。
「裏切り者が、今度はイーグリス学園の教師らしい」
自分の所属している場所についての噂話にどきりとして、そっと肩越しに振り返った。
綺麗な靴、汚れのない裾、イーグリスの民ではあるのだろうが、そこにある学園に対し何の不満を抱えているのだろう。サラダを食べる手が止まり、そっと耳を傾けた。
「堂々とイーグリスに入り込んで、向こうの情報をごっそり渡したって言うじゃないか?」
「らしいな、結局、そのせいで向こうの奴ら、イーグリスを追い出されて苦労してる」
イーグリスを追い出された。それは西街、渡り人の街にいた多くの人々がそうなったはずだ。スカイの王国軍から、そうした対応をした、と統治者に報告があり、学園には【渡り人】も多いからと統治者からもたらされた情報と相違ない。
俺の同郷がメルシェツでどうにか職を見つけて、やっと生活できるようになった。俺のダチもそうだ。この間久々に会ったんだけどな、その時に、と愚痴混じりの会話が続き、思わず聞き入った。
興味を持っていなかったので知らなかった。助けるふりをして向こう側に入り込んで、その後、平然とイーグリスに合流し、情報を渡した奴がいたなんて。そのせいで渡り人の街は大敗を喫し、何もかもを奪われた。全てその【裏切り者】のせいらしい。
自分が【渡り人】だからこそ、もし何か違えばそうなっていたのかと思うと恐ろしかった。統治者の評判もよいと聞いていたが、奪い、追い出すなどそんな酷いことをできる人だったのか。
彼らの話題は【裏切り者】への文句として延々と続いた。恵まれたスキルを持っていたにも関わらず、それを隠し、同郷のために使わず、悉く邪魔をしてきた。迷宮崩壊だってあいつが先導したって噂だ。停止させたのはマッチポンプだろう。全部そいつが悪い。冒険者として成功も収めているのに、次はイーグリス学園で教師だと、ふざけるな。
来期、新しく入って来る教師、少し童顔の人畜無害そうな冒険者が脳裏に浮かんだ。教務課の職員を見下すこともなく、何かあればすぐに礼を言い、謝罪ができるような青年だった気がする。
「素直そうな顔してとんでもない野郎だって話だ」
ぎょっとした。外面に騙されかけていた? そういえば魔導士科の教員があれは化け物だ、と叫んでいた気がする。あまりそうした人物にも興味を持っていなかったので急に怖くなった。関わらない方がいいんだろうな、と思いつつ、珍しく好奇心を抱いた。
「私の友達もそれで追い出されたのよね、冒険者ギルドでも我が物顔で、嫌になるわ」
ぽつ、と一人で食事をしていた女性が呟き、そちらを見てしまった。女性は、あっ、と口元を押さえ、少し気まずそうに、苦笑を浮かべた。同じような顔を返し目を逸らそうとすれば、女性から続けられた。
「私冒険者ギルドで働いているんだけど、その【裏切り者】、そんな強そうに見えないのに金級冒険者で、ギルマスからも統治者からも覚えがいいのよね。同僚もこれで冒険者の死亡率が下がる、なんて期待してたけど、わからないわよね」
「そうなんだ……、俺、学園で職員をしてるんだけど、たぶん、来期、教師になる冒険者、ってその人だと思うんだよ」
女性は目を見開いて、そっと身を寄せた。
「【異邦の旅人】? ツカサっていう人」
小さく頷いて肯定すれば、女性は眉間に皴を寄せた。
「酷い人よ、情報を持ってこっちに来てくれた、なんてみんな褒めてるけど、西街の人たちだって私と同じ【渡り人】なのよ、追い出す必要なんてなかったじゃない」
「俺も【渡り人】だから、わかるよ、やり過ぎかなって」
「そうよね! あなた、学園の職員って何してるの?」
教務課で事務とか契約手続きを、と答えれば、女性は少しの間考えた後、同じテーブルに移動してきた。
「友達がちょっと特殊なスキルを持ってて、一矢報いてやるんだ、って言ってるんだ。準備は進めてあって、あとはどうするかって話で」
「……何の話?」
「あのね、学園の、そのツカサって奴の授業を台無しにしてやれば、痛い目みせてやれるでしょ? 冒険者って評判ありきのものでもあるから。追い出された人からしてみたら可愛い仕返しみたいなことをしたいんだって」
そっと、顔を寄せて囁かれた。
「そいつの授業で魔獣を扱ったり、する?」
それはちょっとした正義感だった。顔も知らないが、ただ同じ【渡り人】というだけで不思議な仲間意識があった。不遇な目に遭っている【仲間】のために、何かできるという献身と自己犠牲の陶酔。ここまで平々凡々と過ごしてきた日々に振りかけられたちょっとしたスパイスは、刺激的で癖になって、美味しかった。
【異邦の旅人】と仲がいいらしい別大陸出身の冒険者にも汚名を着せ、嫌がらせをしてやろうという、子供じみた目論見も組み込まれ、まるでいじめと祭りの計画のようだった。そう、計画の段階が最高だった。それは何を言ってもまだ実現していない、机上の空論なのだから。何を考えていても責を負うことはない。
冒険者ギルドの契約は私が、学園の方は手配できそう? 学園の方の契約は俺がやるよ、大丈夫、教員連中は何も疑わずに署名するだけなんだ。
魔獣の搬入に関しての責任者はジーク、生徒からの人気も高い教員だ。積み重ねてきた信頼を盾に、こちらの計画も知らずに署名し、手配が進んでいく。物事が上手くいっているという快感は毎日の気分を上げさせた。なんだか毎日がキラキラして見えた。同僚たちも自分の本当の姿、ヒーローとしての姿を知らないのだと思うと、隠し事を暴かれたい気持ちにもなったが、関りを作って来なかったことで、誰にも気づかれなかった。それがさらに計画に拍車をかけた。勝手に見返したくなったのだ。
冒険者クラス宛の納入ではないが、冒険者クラスが外鍛錬場を使う時にトラブルが起きれば十分。ギルド職員と、合流したその友達とやらとも酒を飲み交わし、この世界に来て初めて楽しいと思った。人との関わりが心地よいと思った。
計画の段階がもっとも楽しいというのは、その先の成功を思い描き、気分が高揚するからでもある。その際、危険性や失敗というものを指摘する者がいなければ、ただ勢いだけで進められていく。
だからまさか、冒険者クラスが全くと言っていいほど剣術科の利用する外鍛錬場を使わないとは思わなかった。魔導士科の鍛錬場と、そちらに近い騎士科と鍛錬場を半分ずつ、そちらで済ませるとは思わなかった。
教務課の中で騎士科と剣術科の鍛錬場のどちらを貸すか、となった際、魔導士科の鍛錬場の位置と、騎士科の鍛錬場の広さと生徒数を鑑みて、騎士科に譲ってもらう方がいいと判断された。その前提で教室も騎士科の鍛錬場近くに設置された。そこで剣術科の鍛錬場にしましょうよ、とは進言できなかった。自分の管轄の話ではないというのもあるが、今まで発言をしてこなかった自分の在り方のせいもあった。これでは、【裏切り者】に一泡吹かせられない。
慌てて仲間に相談した。冒険者ギルドの職員は、今更後戻りはできないと言った。その友人とやらは、当日、自分が現地に居られるようにしてほしいと言った。それなら生徒に危険もないか、と胸を撫でおろし、その時になってようやく気付いた。これが無関係の生徒を巻き込む危険な計画なのだということに。
そこから、頼む、やはりやめよう、と懇願するようになった。ギルド職員は書類の偽造がバレたらもうここでは生活ができないと、怒りを露にした。それならばもういっそやるしかないのだと譲らなかった。
その友達とやらは、出資者がいるのでやらなければならないという。自分たち以外に関係者がいることにもまた怖くなり、泣いて頼んだが状況は悪化するばかりだった。
結局、生徒に怪我をさせないでくれと頼み、今は使われていない地下水道の鍵をこっそりと開け、友人とやらを学園に紛れ込ませた。そいつは外鍛錬場の見える空き教室に隠れ、何かぼそぼそとずっと呟き続けていた。そしてその時は来てしまった。自分が偽造した書類が正式に通り、二日前、そこに収められた魔獣。ただ仕返しのためだけに捕獲され、一年以上出番を待っていた魔獣たち。今までどう生きていたかなど知らない。檻に細工をするように言われ、少しだけ魔法式に手を加えた。完璧に合わせることは難しくとも、鍵魔法を扱える者なら無理矢理鍵を入れてガチャガチャすれば、それだけで傷つくのだ。できない錠前もあるが、ここはできた。できてしまった。その結果、アルゴ・コボルトたちはその檻を簡単に抜けた。友人とやらは一匹の魔獣に集中し、ぶつぶつ言い続けていた。それ以外のアルゴ・コボルトたちが生徒に襲い掛かり、悲鳴が上がった。
「おい、話が違う! 生徒が怪我をする! やめさせてくれ!」
「うるさい! 気が散る! 俺が扱うのはあのちょっとでかい奴だけだ!」
「他は!? あぁ! また!」
アルゴ・コボルトの爪に弾かれ剣を落とした生徒が爪で切り裂かれる。血が飛び、ジークが剣を鳴らしアルゴ・コボルトを斬り、敵視を集めていた。その間に生徒は生徒を引きずって逃げていく。阿鼻叫喚は永遠に続くように思えた。そこに飛び込んできた灰色のマントを羽織った青年が、あっという間にそれを沈黙させるまでは。続けて弾けた白い光、生徒たちの怪我が治り、魔獣が死に、無事が確認出来てから窓枠に指を掛けてずるずると床に座り込んだ。助かった、ヒーローだ。泣きそうになったその横で、友人とやらが呟いた。
「なんだあの魔法の威力、化け物……!?」
わぁっ、と教室から逃げていき、魔獣騒動の隙を突いてそいつは外に逃れたらしい。取り残されて呆然とし、それから、慌ただしくなる学園の喧騒にすらついていけなかった。
いずれバレる。もう終わりだ。安穏と過ごしていたほんの少し前の自分に思いを馳せながら、ぼんやりとした現実逃避が続いた。
「大丈夫? 顔色が悪いけど」
ふと声を掛けられて振り返れば、手にいくつも書類を持った灰色のマントを羽織った青年がいた。少し心配そうな顔で首を傾げ、安否を問うてくる。噂話とは随分違うように感じた。そうだ、知ろうと思えば知れる距離に居たのに、知ろうとしなかった。生徒を守ってくれたのもこの青年だった。何か言わなくてはと思い開こうとした唇が、ぽ、とまるで魚のように情けない音を立てた。唇を舐めて、少し息を吸って答えた。
「少し、寝不足で」
「あぁ、だよね。今みんな慌ただしいもんな。ハーブティーとか飲むといいよ、少しは気が休まるからさ」
ハチミツもあるとさらにいいね、という青年に、遅ればせながら反応を返し、試すよ、と呟いた。こちらが誰かを把握はしていない様子だったが、書類を持ち直すと片手を空けて、青年がトンと胸を叩いてきた。
「お疲れさま」
あぁ、お疲れ様です、と返し、立ち去っていくその迷いのない背中を見送った。
すぅっと風が通った気持ちだった。なんだか暗くてドロドロしたところに身を置いていたような気がしていて、たった一言声を掛けられただけだというのに、大きく影響を受けるような、そんな心地がしていた。
そうして、恥ずかしくなった。正義を執行する気でいた。悪者をやっつけるつもりで、本当はどうだったのか調べもしないで言葉に乗って、後先考えずに行動して。
けれど、ここでの生活を手放すことなんてできなかった。だって、平和にやってきたんだ。ここから追い出されたり、責められたり、そんなこと耐えられる気がしなかった。
――だから、逃げました。どこの街に行っても見つかって裁かれる気がして、怖くて、ダンジョンに来ました。ここなら、食材も出るから生活できる、大丈夫、という言葉に、助かる道があるんじゃないかって思ったんです。甘かったです、馬鹿でした。あなたが冒険者として生徒に教えていたことの片鱗を、少しでも知っていればよかった。ダンジョンで死んだらどうなるんでしょうか。この遺書は残るでしょうか。届くでしょうか。俺たちのしたことは間違っていたと今は理解しています。ごめんなさい。こんなことお詫びにもならないでしょうが、せめて遺します。ギルド職員のケイトは、酔った時、亡くなった冒険者のカードを不正利用して別の名前を持っていると言っていました。シャイナという名前です。その友人であるルーは、イーグリスに入った記録を残さないため、いつも地下水道から出入りしています。そこに水棲の魔獣を放って、いつかに備えているんだと言っていました。その道を通って俺も街を出ました。それから、俺をここに連れてきて、どこかに消えました。すぐそこに魔獣がいます。行き止まりにいるので、どうしたらいいかわかりません。見つかったら、戦う術のない俺は、きっと死ぬでしょう。どうかこの手紙が届きますように。ごめんなさい。
あなたが「お疲れ」と声を掛けてくれたことが、本当に、嬉しかった。
――ガスパール
いたい、助けて、誰か
その悲鳴を、救いを求める声を知るのは、足を斬り、脇腹を摘まみ破き臓物を味わう魔獣だけだった。




