1-23:大きな洋館のお手伝いさん
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新しい場所での仕事は順風満帆に思えた。前の職場を逃げ出すように離れて、仕事が欲しいと斡旋所に登録、それからとんとん拍子に決まった大きな洋館での家事、いわゆるお手伝いさん、家政婦というやつだ。今までの仕事とはまったく畑違いだが、掃除洗濯をしてそれなりの給料がもらえるのだから有難い。家も引き払ってしまっていたので、新しく、とりあえずで借りた寮は狭かった。仕事先が綺麗な家なのは一日の半分以上を過ごす場所として申し分ない。それに、と空になった籠を抱えた。洗濯を終えて家に入れば、キッチンで茶を淹れる音がしていた。覗き込めばこの家で石鹸を作っている素朴な女性がこちらを振り返り、笑顔が向けられた。
「お疲れ様です、お茶にしませんか?」
この女性は新妻だという。自分よりも年下で若く、金持ちを捕まえたその子に嫉妬をする気持ちもあったが、それを表に出すようなことはしない。労いを忘れずこうして茶と菓子をご馳走してくれる家というのは、他のお手伝い仲間に聞いたところ珍しいらしい。当たりを引いた、と思い、ありがとうございます、と礼を言いながら茶の支度を手伝った。
人数分のティーカップにハーブティーが用意され、カチャリと玄関が開いた。
「薪割は終わった」
「ありがとう! お茶淹れたの、一息つこう?」
あぁ、と身長の高い、凛とした女性が微笑む。これが男性であればかっこよかったのに、と勿体ないなぁと笑みを浮かべていれば首を傾げられ、なんでもありません、どうぞ、と茶菓子を置いて促した。こと、と二階からもう一人降りてきた。この女性は二人から慕われていて、上から降りてくるだけで二人にパッと笑顔が浮かぶ。
「あら、ちょうどよかったかしら」
「お茶持って行こうとしてたの、大丈夫? ご一緒できる?」
「えぇ、少しは動かないとね」
上座は開けたまま、女子四人でテーブルを囲む。穏やかな時間だった。紅茶やハーブティーなど種類の多いお茶、長身の女性が毎日散策と共に手に入れてくる茶菓子、時に夕飯までお邪魔しながら、いい生活だった。ここに至るまで家の主には会っていないが、どうやら冒険者でかなり忙しいらしい。そのうち帰ってくるから、と笑う彼女たちはその家主のことを信頼しているらしい。数日一緒に居れば、少しずつお互いを知り始める。
「旦那様はいつもどのくらいダンジョンに行っているんですか? こちらでお世話になってからお見掛けしていませんが」
「さぁ、突然行ってくるって言うものねぇ。本当に勝手なんだから」
「ふふ、ここ最近は毎日帰ってきてたよ。今はちょっと大変みたい」
あぁ、そういえば毎日伝達竜が来ているのだった。毎日ダンジョンを出て伝達竜を送るというのは律儀に思えた。【転移石】を持った冒険者で、器用な攻略をするのだろう。そんなティータイムを過ごしていたら、今日は珍しくベルが鳴った。
「私が出ます」
「お願いします」
「入り口の箱の色を見てね」
はい、と笑い、ぱたぱたと玄関に向かった。この家、玄関の内側にはいくつかの道具が置いてある。入ってすぐの棚に花瓶と、透明の何も入っていないガラスのような箱、壁に下げられた小さな革袋、それから、コート掛け。ちらりと透明の箱を眺める。ふぅっと青い光が中で揺蕩い、見ているだけなら綺麗だが、これが赤だったならば開けてはいけないらしい。
「どちら様でしょうか?」
「突然申し訳ありません。ヴァン様より派遣されてまいりました、シュレーンと申します」
「少々お待ちください」
ダイニングへ戻り、扉の向こうから掛けられた言葉を女性たちに伝えれば、どうやら知っている人の名前らしい。通していい、と長身の女性が立ち上がり、護衛をするように女性二人の傍に寄った。玄関の扉を開ければ、するりと入ってきたのは品のある女性だった。ベリーショートのくすんだダークグレーの髪、柔らかい色合いの長いワンピース、手に持った大きな鞄。丸渕眼鏡から覗いた目は深淵を覗くような深い青だった。年のほどは三十になるかどうかだろう。すぅっと頭を下げ項を晒しスカイでの最敬礼を示した。それから顔を上げ、にこりと口元が綺麗な弧を描く。
「お初にお目にかかります。わたくし、シュレーンと申します」
「初めまして、ヴァンさんの……お知り合い?」
ゆるっと顔を上げ、重そうな垂れ目をぬるりと下げて優しそうに女性、シュレーンは微笑む。
「はい、今回、こちらのお館のお手伝いを命ぜられました。ですが、少々到着が遅かったようで……」
ちらりと眼鏡の奥の眼がこちらを見た。手配してくれてたのかな、どうかしら、と背後で話す声がして振り返る。こういう時、家の者が許可を出すまで口を出してはならないと斡旋所からは言われている。しかし、抵抗しなければ仕事を失うかもしれない。どうすればいいのか悩ましい。
「いったいどういう理由であの人がここに人を寄越したの?」
慕われている女性が尋ねれば、シュレーンは鞄を手にしたまま膝を折り、綺麗な淑女の礼を見せた。
「報酬でございますわ。こちらの旦那様にはご協力いただいてばかりなので、心ばかりの礼である、と元主よりご伝言でございます。わたくしのお給金も元主より、既に頂戴しておりますので、手が増えただけと思っていただけましたら」
「でも、もうシャイナさんいるし……」
自分の名を呼ばれ、明るくなる表情を隠しきれなかった。そう、もっと援護してほしい、そうした口元の緩みを誤魔化すように俯いた。シュレーンはそうでございますわね、と困ったように頬に手を添えた。
「わたくし、元主のお館を辞してしまいましたもので、今日の宿も用意がなく……。部屋が見つかるまで、御迷惑をお掛けしますが、お部屋をお借りできれば、などと不躾なことを……。元主からのご連絡自体遅くなり誠に申し訳ありませんが……」
ここに置いてもらうよりほかに行き場がないのだというのだろう。女性三人が困ったように顔を見合わせ、やはり慕われている女性に最後は視線が注がれた。
「仕方ないわね。部屋もあるし、夜はシャイナも自宅に戻るのだし、シュレーンにお手伝いいただこうかしら」
「ありがとうございます」
この家に数日でも住めるというのは羨ましい。それならば自分も住み込みがしたい、と顔を上げたのをシュレーンが見ていた。その視線はすぐに逸らされ、慕われている女性に対し器用に膝を折って礼を返した後、シュレーンは眼鏡の奥で改めてこちらを見た。
「お仕事を奪うようで申し訳ございません。先程も申しましたとおり、手伝いの手が増えたのだと、お思い頂ければ幸いです」
「いえ、奥様方がそれでよいのであれば……。けれど、旦那様はいったい何をされてらっしゃるんですか?」
まるで大きな館で教育を受けたメイドのような女の登場は、新しく得た平穏を乱す存在だ。そんな女を送り込んでくる元主に対して苛立ちを覚えたが、まず、そうした要因をつくった旦那様とやらが今になって気に掛かった。女性たちが答える前にシュレーンが答えた。
「腕利きの冒険者でございます。その道中で元主を助けていただき、大変感謝しておりました。深緑のマントの……お名前をわたくしから申し上げるのは差し出口でございますね」
また三人、顔を見合わせ、長身の女性が首を傾げて何かを言おうとしていたが、その人の腕を叩いて止め、やはり続きを担ったのは慕われている女性だ。
「えぇ、そうね。ラングはそういう人だわ」
家主の、旦那様の名を初めて聞いた。記憶を何かが掠めたがシュレーンがごとりと荷物を置いた音で気を取られた。
「それでは、早速ではございますが、本日のお夕飯のお支度をさせていただいてもよろしいでしょうか。献立は既にお決まりでしたか?」
「いいえ、何も、私は日中だけの雇われなので」
「さようでございますか、承知いたしました。それでは、わたくしが取り掛かってもよろしいでしょうか?」
その視線は自分と、女性たち全員に向いており、決して誰かを省くものではなかった。四人が顔を見合わせ頷けば、まぁ、よかった、と手を合わせてこてりと首を傾げた。一先ず荷物を端に寄せ、失礼しますとキッチンに入り、素敵なキッチンでございますね、料理がしやすそうです、と嬉しそうな様子に毒気が抜かれてしまった。新妻だという女性の方がそっと声を掛けてきた。
「すみません、シャイナさん。私たちも知らなくて」
「いえ、あの、私、クビですか? 故郷に帰るのに資金が必要で、それは困るんです」
「いつもどおり来てもらって大丈夫よ。シュレーンも言っていたけれど、既に報酬が支払われているのなら、手が増えただけだもの。上手くやってもらえるかしら」
「はい! もちろんです!」
よかった、金払いの良い職場は失わずに済んだ。それに手伝いが増えたということは負担が減るということだ。朝食の買い出し、昼食の調理、洗濯に掃除、夕飯の買い出しと世話をする相手が三人もいればそれなりに大変だった。キッチン周りの確認を行い、許可を得たうえで冷蔵庫を覗き、今夜の食事の気分などを丁寧に聞いているシュレーンがいるなら、給料変わらず仕事が楽になるだけだろう。もっとやりやすくなるかもしれない。夕飯のお相伴が減りそうなことだけは困るが、それは仕方がない。どうしたら楽に仕事ができるか、手抜きができるかを考えている間にシュレーンは手に籠を持ち、シュタリと姿勢を正した。
「では、早速ですがお買い物に行ってまいります。周辺の市場も覚えなくてはなりませんので……」
「待って、今日だけはシャイナにお願いしましょう。シュレーン、悪いけれどあなたに依頼したという元主について、少し聞かせてほしいことがあるのよ」
「あら、そうでございますわね、急に押しかけておりますし、わたくしとしたことが、紹介状もお渡ししておりませんでしたわ」
少々浮き足立っておりました、とシュレーンが籠をそっとシャイナに差し出してきた。籠の中に金とメモも入っていて何を買えばいいかはわかる。まぁ、これは必要な対応だろう。買い物用の財布を預かって背後でガサガサと紹介状を取り出し、それを差し出すやり取りを感じながら家を出た。
家に残された三人とシュレーンが何を話したのかはわからないが、帰宅して食材を差し出せば随分と打ち解けており、危機感を覚えた。その日の夕飯は誘ってもらえたものの明日以降はわからない。シャイナは食事を当てにするのはやめて、真面目に金を貯めようと決めた。そう長い間ここにいるつもりはない。最後の日に少しよいものを持って出たとして、稼げる冒険者ならば些事だろう。
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