1-10:我が家の異変
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悪いことをしたな、という思いと、そうされて当然だ、という肯定が自分の中でぐるぐる駆け巡っていた。
まさか値しない、などと言われると思わなかったらしいロドリックは、話はそれだけ、ディエゴにはまた個人的に通達する、お疲れ、とツカサに促されると、半ば茫然自失でディエゴに支えられながら教員室を出ていった。ディエゴはディエゴで、親友を差し置いて自分が特別扱いされたことに困惑と興奮を覚えた様子で、扉が閉まるまでちらちらとツカサを見ていた。
ただ、正直な気持ちだった。友人に「今、教えている生徒なんだ」と紹介するには、ロドリックはあまりにもツカサに敬意を払っていない。そういう姿をロナたちに見せたくないと思うツカサの気持ちもまた、当然の反応だった。格好悪いところを見られるのは、嫌なものは嫌だ。
これでロドリックが態度を改めるならば次回は考える。それに、とツカサは帰り支度をしながら思う。先輩冒険者を敬わない新人に、誰が手を差し伸べてくれるだろうか。いい人悪い人はいる。本当に尊敬できない冒険者だって中にはいる。新人狩りを謳ってツカサを殺そうとしてきた冒険者や、フェネオリアでツカサがタックルで吹っ飛ばして追い払った冒険者などもいた。だが、まず先に、死と隣り合わせの世界で生き延びていることに敬意を払うのが普通なのだ。
そうだ、間違っていない、とツカサは自分を納得させ、鍵魔法を掛けて帰路についた。
途中、冒険者ギルドに寄って【真夜中の梟】に伝言を残した。今は【黄壁のダンジョン】に挑んでいるらしい。【緑壁のダンジョン】は春先に踏破し、初めての踏破報酬に大興奮で、アルブランドー邸でお祝いをしたくらいだ。踏破報酬は完全なランダム。【真夜中の梟】は時間停止機能付きのアイテムポーチが手に入り大喜びだった。アルが腰に着けている物とほぼ同じだがデザインと容量が違い、二人分の食料が一か月は入る大容量。ダンジョンは踏破した人数もある程度考慮してくれるのだろうか。それはそうとして、うれし涙を浮かべながらロナは何度も同じことを言った。
「初めて自分たちで手に入れた時間停止機能付きのアイテムポーチだよ、嬉しい!」
エルドやカダルから譲り受けたものはあっても、やはり自力というのは感慨深い。マーシは大変ご機嫌で酒を飲み、ソファでぐっすりと眠り、翌日二日酔いで死んでいた。ハーブティーを差し出したら、俺、ツカサと結婚する、とふくらはぎに纏わりつかれ、自分がラングにそうしたあの夜を思い出し、あの時のラングの口元の歪みが脳裏に浮かんだ。居た堪れなくなって思わず、軽く、蹴り飛ばしてしまった。マーシはロナから、迷惑を掛けるんじゃありません、と叱られ、その後は大人しくソファでぐったりとしていた。何度かハーブティーを差し入れてあげた。
そんな友達とのやり取りを思い出し、小さく笑いながら帰宅。ルフレンを厩に入れ、世話をしてから扉を開けた。
「ただいま」
中から、ハッ、とモニカとアーシェティアがこちらを振り返り、一瞬目を逸らされた。驚いている間にモニカとアーシェティアは顔を見合わせ、ぎこちなく笑った。
「おかえり、ツカサ」
「ツカサ殿、早かったのだな」
「早い? いや、冒険者ギルドに寄り道して伝言頼んできたから、いつもより遅いけど……」
ちらりと時計を見れば二十一時半、いつもなら十九時には帰宅するので二時間半も遅い。家の中に食事の香りもなく、なんとなく、家の空気が違うような気がした。
「どうかしたの? 何かあった?」
「ううん! なんにも! ごめん、石鹸卸しに行ってて、夕飯何も用意してなくて」
「いいよ、俺が何か作ろうかな。いつもモニカたちにお願いしてばっかりだからね。空間収納からご飯出してもいいし、どっちがいいかな」
これは何かあったな、と思いつつ、今問い詰めてはいけない気がして、ツカサは食事に話題を持っていった。モニカはまだ少し目を泳がせながら、そうだなぁ、おなかぺこぺこだし、出来合いがいいかなぁ、と髪をもじもじと揉んだ。隠し事があるやつだ。ツカサはわかった、とアーシェティアを呼んで、どのくらい食べる? と空間収納から食事を取りだした。
「スープとか焼き物とか、パンでいい? それともパスタかな、串焼きならいっぱいあるんだけどさ」
「私は、そうだな、肉があればいい。あとは、芋類で」
「モニカは?」
「私は、お野菜かな。あのさ、ツカサ、もしあればでいいんだけど……」
つん、と服を引っ張られ、うん? と微笑む。そろりと上目にこちらを見遣ってくるモニカが可愛い。
「ラングさんの作った料理、持ってたりしない?」
「赤ワインシチューなら、あるけど」
ラングがストレス発散にエフェールム邸で厨房を占拠し、ひと鍋丸ごとツカサが確保した分だ。アルには文句を言われたが絶対に出さなかった。鍋自体ラングが買っておいたものだったこともあり、そのまま空間収納に残っている。
「エレナさんが食べたがってるの。……譲ってあげてくれない?」
「もちろん、構わないよ。出来上がってすぐに確保しちゃったから、少しだけ煮込み直すよ。モニカたちも食べるでしょ?」
「ううん、食べない」
え、と困惑を含んだ声が出てしまった。モニカはまたあわあわと慌てて、違うの、と両手を振った。
「食べたくないとかじゃなくて、その」
「エレナが食べられるように回してあげたいんだ。このところ体調が悪いという話はしただろう? 食べるものも少しこだわりが強くて、食べられるものを食べたい時にと考えている。ラング殿が帰還されたからか、食べたくなっているようなんだ」
「あぁ、そういうことか。そういえば、医者は病気じゃないって言ってたんでしょ? 本当にどうしたんだろう……。俺も最近、避けられてるような……」
そう、ツカサはあの日、パン粥とハーブティーを届けてから直接エレナに会えていない。生活リズムが綺麗にずれてしまい、ツカサが帰宅する頃には眠っていたり、休みの日はいつの間にか出掛けていたりする。もしや嫌われてしまったのだろうか、と考えないようにしていた不安が背中にひやりと、水を何度も撫でつけるようだった。また慌ててモニカがツカサの服を摘まんだ。
「違うの、理由があるの。でも、エレナさんがそれを話すまで待ってあげて。……ちょっと時間は掛かると思うけど」
「……うん、わかった。俺にできることあったら、本当に言ってね。とりあえずもう少しだけ煮込むよ」
「お願い」
ツカサはかつて確保した鍋をコンロに置いて、火を点けた。くつくつと煮込むとまだ少し赤ワインの香りがした。二十分ほど煮込んでいれば、上階でぱた、ぱた、と足音がした。階段を降りる音にモニカが素早く駆けていく。
「ラング?」
「ううん、ツカサ。ラングさんのシチュー、持ってるって言ってくれて、今温めてくれてるの」
「あぁ、そうなのね、ありがとうツカサ」
階段から掛けられる声に火の傍を離れるわけにもいかず、いいよ、と明るく大きい声で返した。久々にエレナの声を聞いた気がする。部屋まで持っていくからね、と宥めるようなモニカの声に、ダイニングで一緒に食べればいいのにと眉を顰めればアーシェティアが小さく首を振った。
「エレナ、今、少しピリピリしている。ツカサ殿に八つ当たりもしたくなくて、距離を置いているんだ」
「本当に何かあった? 只事じゃないのはわかるよ」
「時間が掛かると思う」
モニカに言われたのと同じことが返ってきた。事情があるのはわかったが、隠し事が続くのは辛いものがある。とはいえ、それを暴こうとすればよくないだろう。話してくれるのを待つのもまた、信頼だ。シチューが仕上がればモニカが運んでいき、ツカサは再びシチュー鍋を丸ごと空間収納に仕舞い、頼まれた時に出すことにした。心地よい季節は物を傷ませる時期なのでそうすることになった。
モニカが戻り、屋台飯で夕食を取る。学園の食堂でもらったワッヘルやパンケーキなんかも出せば、すごくいい学園なんだね、と感想をもらった。いつでも見学歓迎だよと伝えれば、そのうち、と是とも非とも言われず、なにやら気まずい食卓ではあるがあまりしつこく尋ねるのも憚られ、会話がなくなる。暫く食器の音だけが響き、モニカがあのね、と切り出した。
「ツカサが良いって言えば、なんだけど、お手伝いさんを雇いたいの。私も石鹸作ったり卸したりしてるし、エレナさんが本調子じゃないから、家のことを手伝う人が欲しくて」
ふ、と脳裏にロナとその両親を裏切ったという女が浮かんだ。ふるりと振り払い、ツカサは串の肉をパンに挟んだ。
「俺はもちろん、構わないよ。家のこと任せっぱなしでごめん。そういうのってどこで手配できるんだろう」
「話はもう聞いてある。ツカサ殿の許可が得られれば、面接に入ろうかと」
「早いね……」
なんだかいろいろと置いていかれてしまっていることが悲しい。相談してほしいな、と拗ねた気持ちも顔を出す。モニカがそっとツカサの腕に手を置いた。
「ごめん、ちょっといろいろ考えなくちゃいけなくて。ツカサが学校に行くまでは、家のことも結構手伝ってくれてたでしょ? エレナさんも不調じゃなかったし。でも、環境が変わって、おうちも大きくて広くて、私も石鹸のことがあったりして……手が回らなくなってきたの。ツカサにもっと早く相談すべきだったよね」
「あ、いや、そう言われると。あの、お手伝いさん費用は俺の冒険者ギルドの口座から出してね」
「私の稼ぎでも十分だよ?」
「これは俺の意地。折れてください。言われてみれば、俺がダンジョンに行ったりする時にも、人手は必要だろうしね」
「ふふ、うん、わかった、ありがとうツカサ」
えへん、と胸を張ったツカサにようやくモニカが笑ってくれた。それだけでホッと気持ちが軽くなる。のんびりと夕食を済ませ、風呂に入り明日に備え横になる。一日中忙しく歩き回ったのだろうモニカもあっという間に寝てしまい、その温もりを腕に抱いて眠る。幸せは幸せだが、小さな不安が後ろ髪を指先で摘まむような感覚もあり、ツカサは誰かに相談したかった。明日は伝達竜で手紙でも送ろうかな、と思いながら目を瞑った。
翌朝、少し早く家を出て、ツカサは伝達竜を送った。
なんだか女性陣が自分に隠し事をしているらしいこと。お手伝いさんを雇いたいと言われたが一般的なのかどうか。雇うこと自体は構わないが、よくある話なのかを知りたいという意味で聞きたいのだということ。兄妹がいたこともなく、一人っ子なのでよくわからない、と素直に書いて送った先は、大家族で妹がいるというフォクレットだ。
年始を過ぎた頃、【空の騎士軍】の副隊長連中と新婚旅行を兼ねて王都へ赴き、招待され、フォクレットの家族の紹介を受けた。話に聞いていたとおりしっかり者の弟と、まだやんちゃ盛りの末弟、花の盛りである娘から思春期の妹、ませた年頃の末娘まで、とても賑やかな家だった。家長としてのフォクレットはただただ苦労性の兄であって、軍部に居る時にツカサに見せていた威厳はどこにもなかった。そうした姿を見せてくれるのもまたツカサに対し歩み寄りを見せてくれたからだろう。一週間を王都で過ごすうちに、フォクレットとも随分と親しくなった。それで、今回頼ったのだ。
王都に行った際、ラダンの孤児院にも顔を出し、環境を確かめもした。大きくて立派な、小さな学校のような孤児院だった。ラダンが各地で拾ってきた子、孤児院の前に捨てられた乳飲み子などもいて人数は四十人ほど。王都の孤児院支援とラダンの給料のほとんどはここにつぎ込まれていて、【快晴の蒼】の面子からも援助を受けている。そのため、衣食住はかなり整っている。ラダン院長に代わり孤児院を取り仕切るヒルダは責任感の強い人だった。髪は肩に届かない程度、ワンピースではなくズボンで忙しそうにあちこち走り回っていた。けれど、子供を腕に抱く姿はまるで本当の母親のように優しかった。ツカサはここなら幸せになれるだろうと確信した。
セリーリャはうさぎの人形を抱きながら孤児院の兄姉に可愛がられているようだった。ぱっと笑うようにもなり、ツカサはそれに少しだけ泣きそうになった。
ぼんやりとツカサのことも覚えているらしくよく懐いてくれ、モニカと並んでセリーリャを膝に乗せ、その柔らかい頬をつつかせてもらった。よく見ればセリーリャの髪の根元が赤毛になっていた。そうか、女神の片鱗は髪の色すら変えていたのだな、とツカサは柔らかい髪に指を通し、ただ無事に髪色が整うことを祈った。
「よし、手紙も送ったし、行こうかルフレン」
竜便屋を後にしてルフレンにひらりと乗り、ツカサは今日も学園へと戦いに向かった。
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