1-3:灰色の男
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騎士科の鍛錬場に行こう、と言った男、ツカサ・アルブランドーはなぜかご機嫌で前を歩いているように見えた。ロドリックはじっとその真意を探ろうとしていたが、なにも見えなかった。最後尾を歩くロドリックと並び、ディエゴがそっと耳打ちをする。
「あいつ、【鑑定】が通じない」
ディエゴはじっと灰色の背中を見つめながら呟き、ロドリックは驚いた。ディエゴの家系はここがイーグリスと呼ばれるよりずっと前から、鑑定士として職を持つ老舗の鑑定一家だ。その兄は統治者の家にも出入りしており、いずれディエゴも同じ道をいく予定だ。ロドリックの活躍を見たいというミーハーなところはあれど、今回の入学自体、家のしがらみもあってのことだった。年々、代を経るごとに【渡り人】の【鑑定】スキルに家が廃れていく。それがどういうものであるのかを視るだけの【鑑定】に価値はなく、それがどのようにしてここにあるのかを視るのがディエゴの家だ。その質を重視する鑑定も、時代と共に在り方は変わってきていた。そうしたことの転機にもしてこい、と父に言いつけられているディエゴは、早速自身に備わっている【鑑定】と、モノの本質を見抜く【観察眼】を使ったのだ。灰色の背に浮かんだのは【鑑定妨害】だった。しかも、後続の生徒が付いてきているかを確認するついで、自分を見極めようとする視線をしっかりと把握しており、ディエゴは確実に目が合った。
「一筋縄ではいかないかもしれないぜ」
汗を拭いながら呟く親友に、ロドリックはちらりと視線を灰色の背中にやった。未だ困惑を含んだひそひそ声がちらほらと零れながら、階段を降り、鍛錬場への扉を出る。騎士科、王都での騎士や、イーグリスの騎士を目指す者が規律と心身の鍛錬を積むためのクラス。それは入学式初日とはいえきっちりとしたもので、初日から鍛錬場で整列していた。扉を出て鍛錬場に現れた灰色のマントの男と、その後ろの生徒たちにさっと視線が注がれた。学生たちの前で腰の後ろに手を当てていたガタイのいい男が片眉を上げ、訝し気に灰色のマントの男を見た。
「アルブランドー殿、何の用だ?」
「お邪魔します。鍛錬場の一角を借りたくて」
あっちの方、とマントから出された手が整列する生徒たちのさらに向こうを指差した。整列した生徒たちへ手を軽く上げれば、さすが騎士を目指す学生はそれだけで休めの姿勢へ変わった。こういうところは騎士も軍も似たところがあるなぁ、と感心した様子で灰色のマントの男、ツカサ・アルブランドーは、呟いていた。本当にこれが教員なのかとロドリックは眉間に皺が寄った。
騎士科の教員がツカサの前に立った。きょとんとそれを見上げる顔にも幼さを感じ、ロドリックは仕方なく仲裁に入ろうと足を踏み出した。その挙動は分かっていたらしい、後ろ手にツカサが手を出してそれを留めた。騎士科の教員は不愛想で融通の利かなそうな態度で顎を上げた。
「冒険者が鍛錬場で何をするというのだね」
「鍛錬だよ、鍛錬場なんだから。あれ、もしかして話通ってない? 教務課からはいつでもどうぞって言われているんだけど」
初日だもんな、と目の前の男を気にもせずツカサは腕を組んだ。ふぅ、と溜息をついたのは騎士科の教員だ。
「アルブランドー殿、鍛錬場は騎士科が利用する場であって、冒険者の遊び場ではない。聞けば魔導士用の鍛錬場も借りられるように頼んでいるそうではないか」
「あぁ、うん、そうだけど。魔法を使える冒険者は、それが強みの一つだから。それも鍛錬しないといけないし。施設見てみたら結構しっかりしてたし、城郭の外に演習行くより近いなと思って」
イーグリスの学園って本当実地訓練、実戦多くできそうでよかった、とのほほんとした顔で笑うツカサに、さすがにロドリックは足を踏み出した。
「横から失礼します、騎士科のズィール教官とお見受けします。御高名は聞き及んでおります」
「ロドリック・イーヴァ。下がれ」
ツカサの声が低くなり、ヒヤッとしたものが立ち込めた。なんだと、と顔をそちらに向ければ、人畜無害そうな青年が表情もなくただ色の違う双眸をこちらに向けていて、体がびくりと震えた。ピリッとした空気がツカサから溢れていて、ロドリックはゆっくりとツカサの後ろへ下がった。それを確認してから、はぁー、と深い溜息をついてツカサは項を摩った。
「自然体でいいよ、なんて言ってたし、姿勢には気をつけてるけど、どうにもガラじゃないんだよなぁ」
ぶつぶつと呟いてツカサは組んでいた腕を解いた。
「今後の授業にも影響を及ぼしそうだし、さくっと場所を取り決めたいな。どうする? 方法は任せるよ」
年嵩の教員を前に平然と尋ねるツカサに、騎士科の生徒たちは困惑と嘲笑が半分だ。騎士科の教員、ズィールはぴくぴくとこめかみが引き攣っていた。冒険者クラスの生徒たちも状況に困惑が走っていた。
「少なくとも君よりは年上、教員としても先輩だと思うがね」
「悪いけど、俺はあんたより、もっと、ずっと、強くて誇り高い人たちを知っている」
ツカサは自分より身長の高い相手の顔を真っ直ぐに見ていた。顔を徐々に赤く染めていくズィールに対し、ツカサは広い場所を指差した。
「教務課に確認してもいいし、手っ取り早く手合わせで決めてもいい、お好きにどうぞ。時間が勿体ないんだよね」
「剣を抜け」
おぉ、と騎士科と冒険者クラスの生徒がざわめいた。ズィールは指差された方へ歩きながら教員にも生徒にも配布されているロングソードを腰から抜き、さっと構えた。ぴしりと腰を落とし、足首を柔らかく、太腿に力がぐぅっと入って、綺麗な姿勢でズィールはツカサを待った。へぇ、良い腕はしてそう、と呑気に呟きながらツカサはすらりと左腰からショートソードを抜いた。黄金にも見紛うほどの美しいものだった。ツカサはそれを自分の手のひらに滑らせてみせて、斬れないことを示した。
「豊穣の剣、なんとも不思議な剣でこのとおり人を斬れない。魔力を込めると小豆とか、大豆、小麦が出てくる」
「何が言いたい」
「殺さないから安心してってこと」
ぎちりと剣を握る手が立てた音はロドリックたちのところまで届いた。すーはー、とツカサは深呼吸をして、どうぞ、と言いたげににっこりと笑った。ズィールが駆け出し、雄叫びと共に剣を振るう。横からの一閃は避ける範囲が広く、後退を誘い出すものだ。そこに一歩を踏み出して返す刃で薙ぎ払うのもまた一つの技だ。ツカサは想定通り一歩後ろに引いて避けた後、ざっと素早く前に出た。右から左に振られた剣が戻る前にズィールの右肘あたりに体を置いて剣を戻せないようにし、軽く肩でとんと押した。
それで転ぶほど足腰が弱いわけもなく、膝を使って体をねじり、そのまま左回転を続けてツカサを狙う。その先に灰色のマントはなかった。するりと喉に何かが当たり、斬り裂かれたりはしないが、何かがつぅっと横に引かれるのがわかった。
「さすが、教員になるだけあって腕がいいなぁ。俺、騎士とは戦ったことないんだよね、ラングとヴァーレクスが少し教えてくれた程度で」
楽しそうな声色が背後からしてズィールはさっと血の気が引いていた。ロドリックはゆらゆらと揺れるようにしか見えなかったその動きに目を見開いていた。すぅっとツカサが離れショートソードを持った片手が軽く上げられる。
「どうしたの?」
もう終わり? と人の好さそうな顔が微笑んだ。ゾッとした。全員が少し足を引いた。ロドリックは剣を扱う。ゆえに多少、知人にその技術を習ったことがある。決してズィールは腕が悪いわけではない。定石を守りながら相手の動きを誘導し、そのうえで組み立てた短い戦略を上手に披露していた。本来可動域を狭める鎧などを着けてやる動きを軽鎧で繰り出したので速度もあった。ただ、灰色のマントの冒険者がそれよりも早く動いただけだ。
ズィールは深呼吸をして剣の構えを正面に戻した。気遅れることもなく自身を律し体勢を整えるのは経験だろう。それを見てツカサはショートソードをやっと構えた。斜め右下に切っ先を向けてつま先の位置が少しだけ変わる。じり、じり、とズィールがツカサを回り込むように隙を窺う。ツカサはゆったりとそれを眺めながら同じだけ合わせて歩き、位置をずらさない。ぴくりとツカサの肩が揺れたように見えた。灰色のマントのせいで動きが見えづらいのだが、それは隙に見えた。ズィールはそれを受けて左下に剣先を下げて駆け出した。右腕一本での下からの振り上げは鋭かった。それを下に屈んで避けたツカサの脳天を狙い、腹筋と腕、脇腹と筋肉を使って制御し、左手を添えて再び左下に振り下ろす技巧に、生徒たちは、おぉ! と歓声を上げた。きゃぁ! と悲鳴も上がったが、ツカサは体を左前に出し、ショートソードの柄頭をぐいっと上に向け、しゅるりとロングソードを受け流した。そのまま切っ先をぴたりとズィールの喉仏に当てた。
しん、と沈黙が下りた。これが戦いであればズィールは二度死んでいる。ごくり、とズィールの喉が鳴って少しの間を置き、その喉が震え、わはは、と笑い声が上がった。
「いや、さすが、金級冒険者とは確たるものだな!」
「騎士の流儀に合わせられなくて悪い」
「ははは、まぁ、畑が違うから仕方あるまい」
「やっぱり騎士剣も少し勉強したいな、今度頼むよ」
「いいだろう、私も冒険者対策が練りたいところだ」
お互いに剣を仕舞い、ぐっと握手をした姿に混乱はあったものの、最終的に拍手と歓声が響いた。ズィールはツカサの肩を叩き、生徒たちを振り返った。
「見てのとおり、騎士科で習うことと、冒険者クラスで習うことは内容も技術も違う。ぜひ、交流を持っておきたいものだ」
「よろしく頼む」
騎士科の生徒たちはザッと音がするほどぴしりと整列し、冒険者クラスの生徒たちは実力の一端を見せたツカサの見た目とのギャップに戸惑いながらも頷いた。鍛錬場は半分ずつ使うことをズィールに宣言され、ありがとう、と礼を言いツカサはその場所へ冒険者クラスを促した。
「ね、金級冒険者って名前だけじゃないんだよ」
教室で真っ先に止めに入った黒髪の少女がまるで自分のことのように胸を張った。冒険者クラスの生徒は半分以上が驚きに揺れていて、ロドリックやディエゴのように思惑のある者は警戒を強めていた。あの呑気な顔もまた、相手を油断させるための一手なのだと思った。
それがただただ、本人が童顔なだけで、気にしていることなのだとはまだ誰も知らなかった。
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