最終話:処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚
賑やかなイーグリスの街は今日もあちらこちらで笑い声が聞こえ、時々喧嘩の声がする。相容れないことはある。心に余裕がなければちょっとした諍いが大きな争いに発展することもある。それは生きていればよくあることで、たいして珍しいことでもない。当人たちにとっては重要な出来事でも、他者にとっては関係のないことでもある。
少々物差しが大きくなってはしまうのだが、片方が生き残ろうとすれば、片方が淘汰されることは摂理なのだ。そうして生き残ったものが、この世界では幅を利かせている。
それは、自身にもまったく同じことが当てはまる。あの時、あの戦いで何かが少し違い、誰かの判断が少し鈍く、踏み出す足が一歩遅ければ淘汰されていたのはこちら側だった。たまたま、幸運だっただけだ。戦いの最中、何が正しいとか、何が間違っているとか、そんなものも関係がなかった。自分のしたいことを通し、守りたいものを、願いを、望みを叶えるために、ただ、存在を懸けて戦っただけだ。美しい理由などどこにもなく、生き残っただけで、勝者ですらなかった。それを背負い、生きていかねばならない。この道と平穏は対峙した相手の屍でできている。
だが、全ての出来事を悲観的に捉えているわけでもない。そうして掴み取った未来だからこそ、覚悟を持ち、胸を張って生き、そして死ねると考えている。結局行きつく先は皆同じ、死の箱舟なのだ。そこに至るまでに、どう生きるかが重要だ。それを多くの先達から学んだ。
思えば、本当に多くの出会いがあった。ファンタジーな世界に浮き足立ったことも、挫折したこともある。理不尽な目に遭って心折れ、どうしようもなく脱力して、立てなくなった時もあった。優しさが欺瞞であったことも、本当の優しさがどういうものであるかも、気づかされ、学んだ。
友人という有難さを痛感したことも、思いもよらない出会いが自身をいつの間にか渦中に巻き込んでいたこともあった。
過去の自分を見るかのような夢見がちな少女も、己以上に覚悟を決めて生きている少女もいた。
厳しい言葉も、温かい言葉も、様々な色合いと音を伴って、胸の中で今も奏でられている。これが色褪せないようにすることが、大事なのだろう。そんなことを零せば、甘い、若輩が、まだまだ青い、じゃあもっと厳しくしなくっちゃ、と先達たちが言うだろう姿が目に浮かぶ。少々怖いのでここだけにしておく。
そして、もっとも重要な出会いは師匠であり、兄である男と出会ったことだ。
あの出会いがなければ今こうして日記を書いていることもないだろう。思い出すことの楽しみも苦しみも知らず、いったいどう生きていたのか想像もできない。自身の運命はあの時、回り始めたのかもしれない。
多くは語らないあの人から貰ったたくさんのものは、こうであった、こうである、と短い文章で表すことなど到底できもしない。あれは共に旅した道があってこそ、共に過ごした時間があってこそのものだ。
「そうだよ、あの旅路があってこそなんだよな」
むぅ、と唸りペンを一度置いた。思い出に浸ってつい自分に対し語ってしまったが、自分で書いていて真理に触れたような気がした。机に置いておいた赤い記憶の宝玉を摘まみ上げ、外からの明かりに透かす。こうすると、あの人の人生が見えてくるのだ。熾烈で、過酷で、生と死の狭間で生きた、常に覚悟を問われてきた姿が見える。宝玉を置いて再びペンを持った。
書こう。制約もある身ながら、どこまで書けるかわからないが、旅路を全て。自身をここまで導いた【自由の旅行者】のように、もし誰かが手に取ったなら、その旅路の手助けになればいい。そうでなくとも、へぇ、こんな物語があるのか、夢見がちな奴、と楽しんでもらえたらそれでいい。そうだ、そのくらいの気持ちでいよう。御大層な志は自分には似合わないだろうし、まず、そもそも、書きあげられるかどうかが問題だ。日記の延長線上で考えよう。新しい手記を開き、真っ白なページを左右に撫でながら万年筆の背で肩を叩く。
「始まりは、はは、そうだ、うん、ちょっと勿体ぶって、日記の一部を抜粋して使おう」
空間収納から日記をバサバサと取り出して、かつて涙でよれたページを開いた。
「あ、待てよ、先にタイトル決めなくちゃ」
表紙を開いて一ページ目、これは重要だ。ヴァンは【自由の旅行者】というタイトルをつけた。その意図を問えばよかったな、と思いながら改めて旅路を思い浮かべた。
記憶の中で常に姿勢の良い泰然自若な処刑人が、ふわりと深緑のマントを揺らした。
「……処刑人、パニッシャーと行く、異世界冒険譚」
あぁ、いいかもしれない。忘れないうちに書き込んだ。
いつかこれを見られた時には、何を書いているんだ、と呆れられそうではあるが、処刑人という言葉を使うのだ、文句はないだろう。
ペンを走らせて暫く、玄関の方から、きゃーっ、という子供の楽しそうな声が聞こえた。それに小さく笑みを浮かべ、日記を写し、過去を思い出しながら思いついたことが消えないうちにと、インクのにおいに包まれていく。時折、記憶の宝玉を覗き、そうだったのか、と師匠側の真実に苦笑を浮かべながら、作業を進めた。懐かしさに負けて書棚から【ヴァロキアの周辺国家】やブルックの手記を取り出して読み返し、脱線もした。書棚には集めた本と、教材にしている【イーグリス、スカイの文化】や、結婚式の日にもらった仮初の記憶石などが飾ってある。その列にひっそりと、枯れない花、万能の花が眠るように並んでいた。
読書と作業に没入した。その間に時間は緩やかに進み、賑やかな声は家の中に移り、そして、書斎の扉が叩かれた。うん、と生返事を返して文字を書き連ねていればもう一度叩かれた。
いつもなら入ってくるのにどうしたのかと不思議に思い、振り返り、扉を見遣る。タルワールを飾っていた場所には、今は何もない。
椅子から立ち上がり、そっと扉の前に立った。扉の前に人の気配はないのに、確かに誰かが鳴らした三回目のノックに、はい、と楽しそうな声で返せば、向こう側から呆れたような息の音が聞こえた。笑い、ドアノブを回した。
約束の言葉を贈ろう。
「――おかえり」
目の前にある扉を開くのは自分自身であるように、一歩先にある光景を見られるのは、その足を踏み出した者の特権だ。自らの手でそれを開き、物語のページを捲って欲しい。
そうする限り、人生は終わらない。そうして、物語は紡がれていく。
ツカサ・アルブランドー著 【処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚】
本を閉じるにはまだ早い。
そうだろう?




