4-90:残された時間
何かを失っても生きている限り日々は続く。何度も感じ、何度も理解した生の真理。
決闘の後、まだ午前中だというのに、早々にツカサへタルワールが届けられた。持ってきたのはヴァンだ。ただ定型文だけを告げて差し出されたそれはツカサの手にはまだ重く、そっと書斎の入り口、その壁に飾った。まだがらんとした書斎の中、いつか使えるようになったその時は、それを背負おうと思った。
「これ、ヴァーレクスの墓の位置」
じっとタルワールに黙とうを捧げていたツカサに紙が差し出された。受け取って眺めた。今まで墓地に行ったことはないが、イーグリスの北西に存在するらしい。死肉を魔獣に喰われないようにか、街中だ。今後はスペースの問題もあってまた城郭を広げるだろう、とヴァンが話す声が少しだけ遠かった。とん、と肩を叩き、ツカサの視線を受けてからヴァンは淡々と告げた。
「棺には僕たちが持っていた万能の花を入れさせてもらった。最終的に思想は違えたけれど、マナリテル教はヴァーレクスの人生の一部だっただろうからね。……目印にはなるはずだよ」
「うん、そうだね」
小さく笑みを浮かべれば、ヴァンはただ無言で飾られたタルワールを眺め、ツカサもその視線を追った。暫く、沈黙した。その後話す気にもなれなかったツカサに一言も声を掛けず、ヴァンは立ち去った。その気遣いが嬉しかった。
その日、決闘など何もなかったかのように昼食が取られ、ラングは自室に引き籠った。アルが、命のやり取りをした後は神経が昂る、声を掛けるなと言ったのでそれを守った。夜にはいつもどおりの姿を見せてくれたので一安心だったが、口数はいつも以上に少なかった。珍しく席を立つのも早く、休む、と言って再び自室に戻っていった。ラングが何を考えているのかわからなかった。怪我が無いように見えてあったのかもしれないとようやく思い至り、ドアを叩きに行った。
「ラング、あの、治癒魔法いる?」
中から返事はない。そうっと気配を探るがそもそもラングが気配を消していれば見つけられない。思い切ってドアノブを回せば簡単に回る。鍵はつけてあるが掛かっていない、つまり、入るのは構わない、ということだ。開けば、ベッドに横たわっている姿に目を見開く。駆け寄る前に片手が持ち上がり制され、ラングはゆっくりと体を起こし、ベッドに座り直した。
「どうした」
「あ、いや、治癒魔法をと思ったんだけど」
「問題ない」
「本当? なんかいつもと違うから」
あぁ、とラングは小さく息を吐いた。
「気疲れをしているだけだ。死ぬ気でいたからな。すまんが少し一人で居たい。それだけだ」
「そっか。あの、……ゆっくりして」
「あぁ、ありがとう」
ツカサは言葉を交わし、ラングが生きていることにようやく安堵を覚えた。また言えるこの言葉を大事にラングへ贈った。
「じゃあ、また明日」
「あぁ、また明日」
にこ、と笑って部屋を辞そうとしたその時、ツカサ、と名を呼ばれた。
「今夜は、皆、早く寝ろ」
「え、うん、わかった?」
意味の分からない言葉はいつもどおりだった。ただ、何か意図があるのだろうとわかり、その言葉に従うことにした。リビングで茶を飲む家族と仲間にそれを伝えれば、皆が同じように不思議そうな顔をして、今夜は全員が早めに自室に入った。
翌日からまた鍛錬が行われた。剣技だけではなく、ヴァーレクスとの戦いで見せていた鋭く柔らかい体術がツカサに叩き込まれた。ある程度の基本は既に叩き込まれていたが、実際に戦いを見て改めて受けると理解が違う。ヴァーレクスの当てた一撃を真似しようと思えば、下に、横に、弾かれ逸らされ何も届かなかった。
「ばかな真似をするな、長さを考えろ。あの男の腕の長さ、間合いはお前に再現できん。それに骨格と筋肉のつき方が違う」
「くっそ、言いながら関節技極めないでもらえる!? ギブ! ギブ!」
「ぎぶ? 意味がわからん」
「もうやめてってこと!」
「相手が待ってくれると思うか?」
右腕を後ろに持っていかれ、背後から絡めた腕ごと肩を押さえられ動けないでいるツカサの悲鳴が裏庭に響く。わはは、とそれを見て笑うのはアルだ。地面に転がりながらの姿でまったく情けない姿だが、それは数秒後のツカサだ。スパンと足を払われ顔面から落ちる。立ち上がるのが遅いと言いたげに蹴りを入れられ肋骨が軋む。即座にヒールを使いながら裏庭を転がり、呻いた。容赦ない。ツカサは息を荒げて顔を上げた。
「死んだな」
目の前にラングが居て、囁かれる。追撃をする価値もないと言われ悔しかった。息も乱さないその男はシールドを揺らして向こうで倒れて笑っている槍使いを指した。
「手当てしてやれ、やり過ぎた。アルは肋骨が傷ついている」
「何してんの」
ふら、と立ち上がって地面に転がったアルに近寄る。悪いな、と軽いノリで言われヒールを使った。
「アルはさ、素手の受け身と受け流しが下手だよね」
「ツカサに言われたくないな、それ。俺は槍があればできるっつの」
「そうだな、武器があってもなくてもできて欲しいものだ。お前たち二人とも鍛錬が足りん」
「なんで俺も巻き込まれてんだろうなこれ、俺はラングの弟子じゃないだろ」
「ついでだ」
なんだよそれ、とアルは不承不承と言いたげに座り直した。その横にツカサも座り込み、ラングもマントを広げながら座り、三人で小休止を取る。ツカサとアルはラングを見遣り、本日の振り返りを待った。これも恒例だ。
「体というのは、防御の際に内側に丸くなる方が強い。だが、その分、背中の急所を晒すことになる。その点は注意しろ」
言われ、ツカサは両腕を出してガードスタイルを取った。なるほど、ぐっと肩が内側に入り腹筋を締める形になった。無意識でやっていたことだが言われてみれば確かにそうだ。ツカサはぼんやりと胎児のことを思い出した。よく映像で見たり、教科書に書かれている人間の胎児は、背を丸めその体をつくられていく。その名残なのかもな、と考えていれば、ラングは言葉を続けていた。
「自身の体の動く範囲を広げておくことは、怪我を減らし、対処の幅を広げることになる。胸を開く、肩を回す、足を開く、関節を動かす。柔軟の意味合いを忘れるな」
ラングが大きく仰け反って頭突きを喰らわせたシーンを思い出し、頷いた。アルがそういえば、と胡坐をかいた。
「ラング帰るのいつだっけ?」
「氷竜の月、二十五日。クリスマスだ」
「ラングからクリスマスって言葉が出るの、不思議だなぁ」
「分配って変えなくていいのか? 持って帰れるんだし」
アルの言葉にツカサは目を瞬かせる。そうだ、生きているのだからもっといろいろ分けてもいいのではないか。ツカサの視線にラングは首を振った。
「物は少なくていい」
その割に調理器具と調味料とハーブは過剰な気はするが、趣味と物欲はまた別なのだろう。ふむ、しかし荷物か、とツカサはぽいぽいと空間収納の中からいろいろと取り出し始めた。ここまでの旅路も長いため、道中で拾い放り込んだものがダンジョン以外にもある。ころりと転がったものをラングが摘まみ上げた。それを見て、ツカサは一瞬何かを思い出せず、【鑑定眼】を起動した。とても懐かしいものを見た。すっかり存在を忘れていた。サイダルの倉庫で眠っていた宝玉。
「記憶の宝玉だ、そういえばあったなぁ、これ」
「なんなんだ? それ」
「サイダルの倉庫で見つけて、空間収納に仕舞ってあったんだよ。あの時は、何かあるんじゃないかと思ってたけど」
今再び覗いてみたが記載は変わらない。
――記憶の宝玉。
それだけだ。ふむ、とラングはそれを空に持ち上げ、透かして覗いた。
「預かってもいいか」
「いいけど。使い方わかるの?」
「わからん、だが、試したいことがある」
ふぅん、と頷いてツカサは広げたものを確認しながら横に重ね置いていく。そして長い間眠っていたジャイアントスネークの皮を置いた。おぉ、と目利きのアルがそれを手に取った。
「良い蛇の皮じゃん、これがツカサの長年の恋人?」
「その言い方やめてくれる? アルにあげるよ」
「売っていいか?」
「何かに使ってよ」
いや売るね、と言い張るアルに蛇皮をそっと回収した。ここまで来たら確かに売った方がいいのかもしれないが、これは自分の在り方を変えたものの一つだ。自分で何かに加工を依頼しようと考えた。加工といえば、アルが預かった雷石はどうなったのだろう。尋ねればそうだった、と腰のポーチから三つ、ペンダントを取り出した。縁は金細工、磨かれた紫色の石を大事に抱く意匠は美しい。渡された金の鎖を伸ばして持ち上げれば紫の石の中はキラキラといかずちが跳ねているように見えた。パチッ、と線香花火のようなきらめきが見える。全体から透き通るような魔力を感じ、それに目を瞬く。
「なにこれ、どうしたの?」
「ラングの真似、お守りってやつだよ。鑑定してみろよ」
何やら思わせぶりなことを言われ、ツカサは【鑑定眼】でそれを覗いた。
――サンダードラゴンの雷石の欠片。竜の息吹き宿る石。少しびりびりする。守護の護符が付与されている。世界を見守る者特製。
「シェイフォ……ッ、シェイさんのつくった守護の護符!?」
「あ、そこまでわかるもんなのか? そう、シェイに伝達竜で相談して手伝ってもらったんだ。あいつほら、魔法関連詳しいし、どうにかなるかなって思ってさ」
確かに、こうした加工品は魔道具の一種だ。魔法への造詣が深いシェイならば的確なアドバイスも加工もあるだろう。何を話したのかと首を傾げればラングにも手渡しながらアルは話した。
「なんか説明が特別だっただろ、竜の息吹き宿る、なんてさ。それを活用できないかって相談してみたら、砕いてやるから持ってこいって言われたから、持ってった」
砕いてやるから、とはなかなか腕力を要する話のように思えた。アルによれば、行きつけの防具屋で合流したシェイは指先を置いて簡単に三つにぱきんと割り、その形すら整えて、金細工もつくりあげたらしい。
なるほど、これはとんでもない代物だ。常時発動されている魔法障壁のような感覚、いや、まさしくそれそのものだ。竜の息吹きが何を指すかはわからないが、中できらめくものをそのままエネルギーに転用している、そういった印象を受けた。半永久的に効果が持続されるのではないだろうか。
防ぐのは恐らく魔法だけで、物理は組み込まれていないように感じた。こうした物に刻むにはいろいろとルールがあるのだろうなとツカサは考えた。以前、オーリレアの調査の際、シェイは冷熱ともに防げる魔道具をつくり、部下に渡していると言った。そこに物理が入っていないのはきっとこれと同じ条件だ。これがどういったものなのか鑑定と魔力を感じた結果を伝えれば、アルはすげぇ、と素直に感嘆を零した。
「シェイから【異邦の旅人】への協力の礼だってさ」
「シェイさんもなんだかんだ律儀だよね。すごいなこれ、複雑で、読み切れないよ」
「私は理に属する者だ。魔法に対する対抗策は助かる」
そうだね、と笑い、それぞれが首に掛け、衣服の下に仕舞い込んだ。ラング用のペンダントには着脱のできる金具がついているのがまた細かい配慮だった。
暫しの小休止と雑談が終わり、ラングがゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ朝食の時間だ」
「いい匂いだ、今朝はなんだろうな。これはチーズが入ったパンか?」
「俺ちょっと汗流してからにする。砂だらけだし」
あ、俺も、とアルが挙手し、結局裏庭でいつものように風呂を創り、ざっと汗を流した。
さっぱりして家に入れば女性陣が賑やかな会話をしながら食卓を整えてくれていた。ラングはハーブティーが担当だ。ポットを手に人数分のコップの前に立っていた。ツカサも手伝うよ、とそれに混ざればキッチンもダイニングも少しだけ狭く感じる。今朝はパンに乗せる少しだけ酸味のある、軽いフレッシュチーズ、それと共に食べるハムやサラダ。チーズを練り込んで焼かれたパンは焼き直されパリパリ、さくさくだ。生乳が手に入るイーグリスだからこそ、チーズ、バター、ミルクなどの乳製品は豊富だ。そしてハーブティーと紅茶。スカイはコーヒーがあまり主流ではない。もちろん、あるにはあるのだが、彼らの多くは茶葉を好むらしい。故郷のカスタマイズできるコーヒーショップの甘さは時々恋しいが、コーヒーに憑りつかれてはいない。コーヒーがないわけでもないので、好む人も困ってはいないらしい。
「いただきます」
ラングの掛け声に全員で手を合わせる。フレッシュチーズのボウルを回し、パンの上に盛り付ける。野菜をその上にさらに盛り付け、シャキ、ざくざく、と頬張る。美味い。ラングはチーズの練り込まれたパンにスライスしたバターを乗せ、アルにバターの器を求められ差し出した。ざくりと齧る口元が、うむ、と頷く。美味しいらしい。ふふ、とエレナが微笑む。
皆で取る朝食はあと何回だろう。ツカサは、今日は何をするのか、冬前だからそろそろ薪も手に入れなくちゃ、魔石があっても暖炉は使いたいわよね、石鹸の納入もしに行かなくちゃ、冬場はお休みも取りたいな、という生活の話、生きていく話に、なんだか安心した。
「ラングは残った日数で何するんだ?」
毎度、ズバリと斬り込むのはアルだ。ざく、とパンを齧り十分に咀嚼。味わった後飲み込み、ラングは紅茶で喉を潤してから、そうだな、と顎を撫でた。
「何もしない。ただ、暇を楽しむ」
「じゃあ、お義兄さん、今日私とデートしませんか?」
ごふっ、と紅茶がカップの中で泡立った。カチャン、と食器が静かに降りていき、ツカサの真顔がラングを見た。笑いを堪えたアルが頬肉を噛んでいるのが分かる。モニカのわくわくした顔にラングのシールドが珍しく、助けを求めるようにエレナの方を向いた。
「あら、デートは私としたいのかしら」
「助けるつもりはないのか」
「だって、暇なんでしょう? なら可愛いお嬢さんと腕を組んで街を散策するのもいいじゃない。妬けるわね、ラング」
ラングのシールドがツカサを向いた。
「夫の視線が痛い」
ついにアルが噴きだして笑い、ラングのシールドが剣呑に動く。相変わらずラングの左側を陣取っている男は気にした風もなく、相棒の肩を叩いた。
「いいじゃん、旦那はほら、学校のことで午後は忙しいんだし! 弟の嫁と親交深めて来いよ。一人で歩かせると可愛いんだから、声掛けられちまうだろうし、護衛だよ、護衛。な! ツカサ」
「そうだね…」
いろいろと堪えた声に、ふふ、とエレナまでもが笑う。アーシェティアはこてりと首を傾げた。
「ツカサ殿、それはどちらに対しての嫉妬なのだ? モニカか? ラング殿か?」
「わはは! 言ってやるなよアーシェティア! どっちもに決まってるだろ!」
ツカサは真っ赤になって喉から変な音が出た。図星だった。行くなら、一緒に行きたい。ラングとモニカと三人で街を歩きたいのだ。がくりと顔を隠すように机に項垂れ、温かい笑い声に肩が震える。恥ずかしい、やめてほしい。
「もぉ、わかったから、行ってきなよ!」
「夫の許可は出ました!」
「あははは! やめてやりなさいなモニカ!」
平和なこの会話、俺の羞恥心でことが済むならもうそれでいいよ、とツカサは頭を抱え、今度は三人で行こうね、とモニカに撫でられた。
朝食の席を片付け、少しだけお洒落したモニカがラングの腕を引いていってきます、と笑うのを見て、ツカサはふっと何かが解けた。いってらっしゃい、と心からの笑顔で送り出し、なんだかんだ付き合ってくれるラングと、その腕でエスコートを受けるモニカが見えなくなってから家に入った。あれはモニカなりのラングへの礼であり、義兄との思い出作りなのだ。良い時間を過ごせるといいな、とツカサは腕を伸ばした。
「さて、俺も仕事の準備をするかな」
ハーブティーを用意して書斎へ足を向ける。来年の教師就任もまた、待ってはくれないのだ。
時間割、教科課程、何度も指摘を受けながらどうにか形になったそれを、実際にどうやっていくのかを考えなくてはならなかった。ツカサは自身の経験を基にすることにして、実戦形式を多く取り入れることにした。それとは別で冒険者がどうあるべきか、という座学も組んだ。授業の参考になればいいと思い、イーグリスの図書館などで教育論を読んでみたり、不思議の国のアリスや、故郷で見聞きしたことのある類似性の高いものなどを調べたりもした。授業中、脱線した会話は面白く、そうすることで興味を惹かれた経験のあったツカサは、そういうネタも仕込んでおこうと思ったのだ。この世界に渡って来たばかりの人、二世、三世にどの程度刺さるかはわからないが、自分の趣味のついでだ。もしかしたら、ふぅん、そんな世界もあったのか、と誰かが興味を持つかもしれない。第一の目的はこの世界でしっかりと生きるためではあるが、様々な道を示すのも、ツカサが受けてきた経験だ。こうした調べ事は楽しいのだと、ツカサはこの時に理解した。ラングが多くの書物を報酬としてもらう意味を知った。
そんなツカサが街中を行けば、いつからか耳にする歌があった。踊る子供、それについて行く子供、電車ごっこのように連なりながら、多少はずれた音も含めて大きな声で大合唱。
ゆるりとかけた おつきさま きらきらゆれる ほしあかり
まっくろかげが はかばでおどる しかばね つられておどりだす
はかもり おびえてにげだした からっぽ ひつぎはみないふり
よいこはベッドで ねむりなさい あくまにそのてを ひかれるまえに
それは子供たちへ墓地でのいたずらを禁じ、布団に入らせるための歌。それでも日の高いうちは遊びになってしまうのだから子供の柔軟性は恐ろしい。近くの人に尋ねれば、誰が歌い始めたのかわからないが、いつの間にか広まったものらしい。そうだ、吟遊詩人の歌も聞きたい。そういう歌がどこから生まれるのか、ツカサはいつか本腰を入れて調べようと思った。




