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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-88:決闘


 結婚式の翌日から、それがきっかけだったのか少しだけ日常に変化があった。

 夫婦の寝室に常にふんわりとした幸せが漂うようになった。今までは気恥ずかしさもありモニカが寝てから潜り込み、朝早く抜け出ていたベッドも、一緒に過ごすことができるようになった。鍛錬で早く起きるツカサは腕の中で眠る妻を起こさないよう、ベッドから抜け出す工夫もするようにもなった。そんな甘い変化から、厳しい現実まで、細かいことも大きなことも変わり始めた。


 ラングに欲しいと言われたものを渡した。水魔法をたっぷりと限界まで入れた水の石。ついでに頼むと言われていた黒獅子(オベロン)の角にも炎魔法を収めて返した。ありがとう、とそれを受け取ってもらえたことに安堵した。


 ツカサは鍛錬の後、日中は学園の準備に奔走するようになった。何を教えればいいのか、いわゆる時間割というものや教科課程を作成しなくてはならなかった。意識したこともない言葉にざっくりと説明を求めたところ、どのように授業内容を編成、構成し、どのように教育を実施するのか、またその評価をどのようにするのか、そういったことを決めるのだという。もちろん、これに関してはヴァンとラダンもしっかりと関わってくれている。教壇に立つ二人からの指導は厳しく、難しく、頭が痛くなり、もう決めてくれていいよ、と投げたこともある。あとで文句を言われても困るし責任を持ってもらわないと意味がない、と投げたものを蹴り返され、大喧嘩もした。けれど、相手を詰るのではなく議論という形で喧嘩できたことは少しだけ楽しかった。とはいえ相手は百戦錬磨の軍師と講師、口で敵うはずもなく、ツカサはわぁ、と叫びながら髪をぐしゃぐしゃにもした。伝達竜の定期便を向こう持ちで契約し、日々忙しなく伝達竜が家の窓を掻いた。窓が傷つくから晴れの日は開けておいて、とモニカが言うほどだ。なんとなく個体差も見分けられるようになってしまった。


 師匠であるラングに教える心得を尋ねてみたり、冒険者ギルドで何を求めているのか、ヒアリングというものも行った。冒険者ギルドもかなり期待しているらしく、ギルドマスターが直々に出向いて時間を作ってくれた。スタッフからもこういう若い冒険者が多くて、と困りごとを伝えられ、予想以上に多くの人の期待が圧し掛かってきてツカサは常に姿勢を正さねばならなかった。ラングに教えられた礼儀作法や所作がここで生きた。ゆったりと余裕を見せて姿勢よく立ち、ゆっくりと頷き、胸に手を当て静かな声でわかりました、と返すだけで、相手の安心感が違うようだった。言ったからにはやらねばならない、自分の逃げ道を塞ぐ行為でもあったが、やるしかないのだ、ならばやってみせる。


 毎日を大事に過ごしていたが、神でもなければ時間というものは止めることはできない。あっという間に約束の日は来てしまった。


 前日、何か大事な話をしたりはしなかった。何も変わらない朝食。屋台で買っただけの昼食。夕飯だけはラングが得たアルゴ・ミノタウロスの舌を使ったタンシチューや、アルゴ・ダイルの淡白な身を使ったソテーなどが振る舞われ、皆で味わって楽しんだ。最後になるかもしれないラングの手料理、作り方を尋ねるのは毎回のことだが、いつになく皆熱心に聞いていたようだった。

 薪が燃え尽きるのを待った暖炉前の沈黙。おやすみ、また明日。同じことを再び言えるかわからないまま、それでも。だからこそ、そこに願いを込めて、代わり映えのない挨拶で別れた。胸中で繰り返した、おやすみ、また明日。一緒に出掛けようと誘われた前日とは違い、すぐに深い眠りに落ちたように思えた。


 翌朝、決闘当日。予想以上にすっきりと目覚め、ツカサは隣で眠っているモニカを起こさないようにベッドを抜け出し、着替えて階下へ向かった。ツカサは一番乗りだと思っていたのだが、暖炉前の椅子、ベアドラドの毛皮には既にラングが腰掛けていた。準備は万端、いつものフル装備でリラックスしているのがわかる。その光景を少しだけ眺め続け、目に焼き付けてから声を掛けた。


「おはよう、ラング」

「おはよう」


 シールドが少しだけ傾いて挨拶が返される。上階から少し遠慮がちな足音がして、アルが下りてきた。


「おはよう、早いな二人とも」

「おはよう、そろそろ出るぞ、顔を洗って来い」

「あ、そうだね」


 ツカサはアルと共に慌てて顔を洗いに行き、洗面台を奪い合った。装備を整え、こちらの準備ができるとラングはゆっくりと立ち上がった。今までにもその姿を悠然としていると感じたことがあった。けれど、今日はさらにそれを強く感じた。姿勢よく立つ姿が薄っすらと青く暗い部屋の中で浮かび上がる。チャリ、と宝玉に連なる装飾品が鳴って、ラングの静かな声が言った。


「行くぞ」


 ツカサは頷き、槍を背負ったアルと共に家を出た。

 早朝、まだ日も昇らず闇が強い空。遠く、工房で活動する人々の音だけが響く。火を扱う鍛冶師などは火を落とさないのだ。それを守るための不寝番が置かれるくらい、鉄を溶かすための炉は大事にされている。裏庭に移動し、風よ、と囁いたラングの声で風が吹き、体が木の葉のように浮かび上がった。この上昇していく感覚もそろそろ慣れてきた。遠く東の空に薄っすらとした明るい白と青が混ざっている。草原で見た冠雪の光景が思い出されて目がじくりと痛む。これからゆっくりと赤と黄色が混じり、太陽が伸びをするのだろう。冷たい風に晒された頬が気持ちよかった。

 歩くより、走るより、馬に乗るより、空を飛ぶ方が早い。イーグリスの街を南下、街道に軍人がちらほら立っていて、あれが通行規制をする面子なのだろうと窺えた。そこから外れた場所に固まった人影があった。手を振っているのはアッシュか。ふわりと一度上昇の感覚を受けながら地面に足をつけた。


「おはよう、早く来てくれてありがとう」

「おはよう。構わん、手間を掛ける。ツカサ、来い」


 なんだろう、ツカサはラングとヴァンに近づき首を傾げた。ヴァンは簡易机にしゅるりと紙を開きペンを持った。それを覗き込んで言葉を失う。決闘許可証。並んだ項目には心臓が凍るような思いだった。これは死んだ後の処理準備なのだ。ラング・アルブランドー、と書かれた項目は空欄のままだが、ペリエヴァッテ・ヴァーレクスの方は埋まっていた。日々の中だけではなく、こうして、正式な書面でも。そうした事実がまたツカサの心に暗い影を落とす。それを払うようにヴァンの手が肩を叩いた。


「さて、ツカサ。ラングの通訳を頼むよ」

「頼む」


 困惑して隣を見れば、シールドが揺れて依頼される。ぐぐっと堪えながらツカサは頷いた。この依頼を断るわけにはいかなかった。もしかしたら、最期の通訳だ。自分が果たさねばならなかった。


「わかった。いつでもいいよ」

「よし。で、遺体はどうすればいいんだろう?」

『火葬し、骨を砕き、粉にしてほしい。その一部を分けてツカサに。残りは故郷のリシトに。それはアルに任せる』

「なるほど、骨を分けるってそういうことか。遺産とかはどうするんだい? もう話してたりする?」

『双剣の一本はアルに預け、故郷のリシトに。残りはツカサに譲る』


 ふぅん、とヴァンはラングのマントの中をちらりと窺い、記載した。それが終わると、ヴァンはさりさりと万年筆の背で唇を撫でた。


「うん、となるとラングに墓は要らないね。墓石と場所は用意しなくてよさそうだ、記載項目が省略できる。遺言はどうする?」


 墓石、名、場所、合同か個人か、様々な項目が斜線で省略される中、ラングが封書を置いた。


『これを』

「準備良いね、助かるよ。渡す相手は……うん、よろしい、書いてあるね」


 ヴァンがそれを預かり、書類を丸めた。宛名を見る勇気はなかった。


「ヴァーレクスは手続きが済んでいるし、あとは事前の立ち会い宣言だけさせてもらえれば、いつでも」

「そうか」


 少し離れたところで東の空をじっと眺めている長身の男。それに歩み寄るラングの後を思わず追おうとしたが、アルに肩を掴まれた。


「俺たちはここまでだ」


 踏み出した足を戻し、ツカサは頷いた。立ち会いは【空の騎士軍】の隊長たちもだ。ゆっくりと近寄ってきて、ツカサやアルと並んだ。互いに挨拶はない。ただ東の方角だけを同じように見つめていた。


 そうした視線を感じながらもラングは足を止めなかった。男の隣に並び東の空を見上げれば、鼻に掛かった息の抜ける音がした。


「遅かったですねぇ」

「時間通りだ」

「良い朝です、殺し合いにはちょうどいい」

「それは同意する」

「良い挨拶なんだか物騒なんだか」


 はいはい、ちょっといいかい、とヴァンが割り込む。ぐいぐい、とこれから決闘する男たちの間に入り込む度胸だけは認めてやろう。


「まず、今回の決闘は特殊事例、非公式の決闘だ。つまり、公式の記録には残らない。でも、非公式記録としては残る。一応何が違うのか説明をすると、スカイ王国の法判例記録に記載されない。戦った者の名も残らない。では何に残るのか? 【空の騎士軍】の軍事記録に残るんだ。その場合の処理は僕ら軍人が対応する。死んだ者の遺体は片付けないといけないからね。書面に記載させてもらったとおりの対処をさせてもらうよ。ここまでで、質問は?」

「特にない」

「ありません」


 よし、とヴァンは紙を見ながら続けた。


「ヴァーレクスの資産、その身に着けている武具に関しては、ツカサに譲渡と決まった」


 ほぅ、とラングがヴァーレクスを見遣った。


「この大陸で他に預けられる者がいなかっただけです」

「部下はどうした」

「それはもう正式にアッシュが引き受けた。彼らは自分一人じゃ生きられないからね、であれば、指示する者の下に居た方がいい。似た者同士の集まりでもあるし、居心地はいいだろうさ。ヴァーレクスの了承済み、部下もそれを受けてアッシュに降っている。ま、暫くは奴隷紋付きだ」


 そうか、と短く返し、ラングはそれ以上何も言わなかった。


「さて、事前にいろいろと協力してもらったからね、僕からは以上だ。追加で言っておきたいこと、頼みたいこと、ある?」

「ない」

「ありません」

「じゃあ、あとはこれだけ。では、お好きに」


 ヴァンは取り出した一枚の紙をびりり、と破き、ヴァーレクスに手渡してからひらりと手を振ってツカサたちの下へと踵を返した。ヴァーレクスは自身の手首の奴隷紋がさらさらと砂になるのを見て、僅かにヴァンを振り返った。手の中の破けたそれは、もう、ただの紙切れだ。


「恐ろしい話だ。たった一枚の紙切れが、人を人でなくす」


 隣立つ男の静かな声は不思議なほど穏やかに届いた。失笑を浮かべながらそちらへとその紙を押し付ければ素直に受け取り、興味深そうに紙の文字や質感を確かめる男に眉を顰めた。


「貴様の故郷には奴隷がいないのか」

「いや、いる。だがこの場所のように魔法が存在しない」

「ほう、では逃げ放題ですねぇ」

「そうでもない。後学のためにこれは貰ってもいいか?」

「いいですがねぇ、悪趣味な男だ」


 ポーチに入れられる自分の奴隷紋証書から視線を逸らし、再び東の空へ。少しの沈黙の後、ラングが言った。


「私の故郷では両腕、背中、鎖骨に焼き印を押し、こいつは奴隷なのだと示す。一生それから解かれることはない。生まれの運が悪ければ、生まれてから死ぬまで奴隷だ」

「それはなかなかの話で」

「私の故郷では冒険者をギルドラーと呼称する。ギルドラーもまた、死の奴隷だ」


 ラングのグローブが外され、右手の甲を差し出された。そこには焼き印の痕があった。これがなんだというのか、とヴァーレクスは覗き込み、ラングのシールドの内側を窺った。グローブを着け直すことはなく、それがポーチに仕舞われながら言葉が続く。


「これはいつでも死にますの証と呼ばれている」

「なるほど、いつでも死にますの証か。それは不自由で、自由ですねぇ」

「話が早い」


 今ここに立つ男たちには、法もなければ規則もない。ただ自由に戦うことだけが許されているだけだった。互いが互いを殺すことを許し、それを受け入れている。

 誰かが、尋常に勝負、と言うことも、始め、と手を下ろすこともない。剣先を打ち合わせ、互いが合図を示すこともない。ただ、二人は改めて東の空を向いているだけで、武器を手に取らなかった。

 さぁ、と風が吹き抜け、ラングのマントが揺れる。


「穏やかだ」


 頬を撫でる風も、さらさらと鳴る草の音も、心安らぐ安寧の一部だ。


「まったく、こんなに穏やかな戦いの前は私も初めてですよ」

「今まではどうしていた」

「顔を合わせた瞬間、首を刎ねていましたね」

「先手を打たねば勝てないか」


 じろりと睨まれラングは肩を竦めた。一度収め、ふぅ、と息を吐いて向き合う。


「そちらはいつもどうしているので?」

「開幕は任せている。私はいつでもいいからな」

「ッハ、余裕なものですね」

「一つだけ言っておく」


 ラングは手を持ち上げ、トン、と自分の首を叩いた。


「私を殺したければ、ここを斬り落とせ」


 ヴァーレクスは低く喉を鳴らし、それから大きく笑いだした。はぁ、と最後に息を吐いてタルワールを振り下ろした。

 長く筋肉質な腕が鞭のように振られ、音を置き去りにして落下する。ふわ、とラングのマントが揺れ、左手がタルワールの刀身を撫で逸らし、前に進む。フォン、と圧が抜ける横でラングは回転を加え、右の肘をヴァーレクスの右脇に叩き込む。ヴァーレクスは体を敢えて右前に傾けラングの肘を避けると、左腕で自らの懐にいる男の首を狙った。ひゅるりとその首が消えた。受け流しに使った左腕は既にラングの左脇に畳まれていた。その腕を下から上にスライドさせることでヴァーレクスの左手を受け流し、屈んで下に逃れる。タルワールの柄頭を内側に引き、屈んだ相手の顔を狙う次の攻撃に、ふっとラングは息を吐いた。ドッ、と音がしてヴァーレクスは胸に衝撃を感じ、大きく後ろに跳んだ。

 一瞬の攻防、一定距離を取って二人がすぅ、っと息を吸った。


「いい反応だ。少しは息を止められるかと思ったがな」

「足の長さが違いますのでねぇ」


 ヴァーレクスは胸板の埃を払うように指で服を撫でた。くるりと懐で回転したラングが背中を強く当ててきたのだ。衝撃が深く入る前に跳ぶことでそれを回避したヴァーレクスに、ふむ、とラングは双剣をゆっくりと引き抜いた。


「いいか小僧」

「小僧? そう年齢の変わらない相手に言われたくありませんねぇ」

「お前、五十を越えているのか?」

「何を言っている?」


 とん、と双剣で肩を叩き、ラングはシールドの中で眉を顰めた。


「私は今年、確か、五十一だ、たぶんな」

「……どういうことです?」

「さて、どういうことだろうな」


 ヴァーレクスは目を細めてじぃっとラングを眺めた。見える範囲で肌を見る限り、ラングは自分とそう年は変わらないように思えた。じろじろと見られることにふぅ、と息を吐き、ラングは剣呑に顎を上げた。


「話していいか」

「……聞きましょう」


 双剣の片方で肩を叩き、もう一本の剣を握った手の指を二本立てて、くい、と折り曲げた。


「全力で来い。そうでなければ私は殺せんぞ」

「いいですねぇ、いいですねぇ、必ずやその首を刎ねましょう」


 ヴァーレクスはタルワールを構え直した。ラングは両手を下ろし、だらりと脱力した。あの夜と同じ、一切の隙の無いその姿。あの時は蹴りの力を利用して逃げられてしまったが、今日はそれもない。全く感情のないその剣。殺気のない剣。さぁ、見せろ。ヴァーレクスは地を蹴り、剣戟が交わされた。



「――なんつう攻防してんだ」


 少し離れたところで戦いを眺めていたクルドが呟いた。タルワールと双剣が火花を散らしながら、間髪を入れずに打ち合わされている。離れたこの位置まで、シュリ、シャリン、キン、と刃の交わる音が響く。ラングは剣先をタルワールの重心からずらし、器用に打ち返してもみせた。ツカサの懸念した受け流しが難しい角度のものも、敢えて柄から手を離しヴァーレクスが利用するこちらの力を殺し、手のひらで自身の双剣の腹を撫で、回避する技法を披露した。そのまま弾き飛ばされた双剣に目もくれず、それが落ちてくるまでの間、片腕と一本の剣でタルワールを受け切り、ラングのマントがぶわりと回転の遠心力で広がった後、その手には剣が戻ってきていた。



「ラングのあれ、感覚だけじゃない。視野が広すぎる。いったいどうやって?」


 ぽつりとヴァンが呟く。戦闘について様々な感想が零される中、ツカサは瞬きも忘れてその攻防を具に見続けていた。



 ――楽しい。あと一歩相手に踏み込ませない、けれどこちらも攻めきれない状況。技術と技術のぶつかり合い。実力のある者同士の戦いはまるで演舞やワルツのようだと聞いたことがあった。まさしくそうだと思い、相手も同じように感じているとわかることが嬉しかった。背中合わせに互いの隙を狙い、深緑のマントの裾が体を撫でる。長年共にペアを組んでいるダンスのように足が絡みもつれあうこともない。掴もうとすればするりと抜ける様はまるで霞のようだ。その存在を確かめるように向き合った状態で剣を打ち合わせ、攻防を繰り広げる。今、世界には好敵手だけしか存在しなかった。

 一瞬でも気を抜けば、一度でも瞬きをすれば、勝負に決着がつくのだとわかる。惜しい。この楽しみがずっと続き、そしてその技術を越えてその首を刎ねたい。

 指をそぎ落としたかと思いきや柄から手を離しこちらを驚かせてくる男、パニッシャー。剣の腹を手のひらで器用に撫でてタルワールをやり過ごし、双剣の切っ先をそのまま攻撃に転じてくる発想の柔らかさ。防ぐために柄元に剣を引っ掛け弾き、空に打ち上げれば、それもそのまま気を逸らす道具に変えてくる。ついやってしまったが、それこそがパニッシャーの狙いだと気づいて笑みが浮かんだ。知恵の回る鼠は楽しませてくれるものだ。

 開幕の体術でこの男が身に着けているものが剣技だけでないことは知れている。剣戟の死角から打ってくる拳をタルワールの拳頭で殴り打ち返してやろうとすれば、握っていたはずの手が開きぬるりと差し込まれ、逆に指を折られかけた。素早く持ち上げ蹴りを入れればマントで防がれ、バフッ、と軽い音がした。距離を取る動きに合わせて体を回転、上から降ってきた剣を再び手に戻し、馴染ませる。嫌な装備だ。体全体が見えにくく、拳も、蹴りも、あのマントが緩衝材となって力を逸らされる。少し誘ってみるか、とヴァーレクスはタルワールを地面に刺した。

 ラングは小さく首を傾げた。双剣を何度かくるりと回して手に馴染ませたが、こちらも同じように地面に突き立てた。乗った、とヴァーレクスは拳を握り、構えを取った。ラングはマントから両腕を出すと、左を前に、右を自身の体の近くにぐっと置いた。



「不利だ、体術は身長と体重がある方が有利なんだぞ。骨格的には明らかにヴァーレクスに分がある」


 ラダンが険しい声で言った。ツカサは間合いを取っている男たちを見つめながら首を振った。


「ううん、ラングは得意だよ。あの身長、ずっと相手にしてきた高さに近い」


 ラングの自己鍛錬を見てきたからこそわかる。ヴァーレクスはラングの師匠、リーマスと高さが近いのだ。つまり、対策は十分に練られている。ツカサの解説を待ったかのように、ふっ、とラングが消えた。



 先手はラング、ぎゅっと握り締めた拳ではなかった。軽く握っただけのそれは打つのではなく弾くことを目的としていた。一瞬で距離を詰め、ひゅっ、ぱっ、と打ち込んだ裏拳はヴァーレクスの腕でガードされた。ヴァーレクスの方は防いだ腕をそのまま盾に、強く一歩を踏み出しラングの腕に当て返すと、下がるその歩幅以上の一歩でさらに詰めた。がくりとラングの体勢が崩れ、もつれる足にもう一歩差し込んで、と考えたところで、引き倒されたのはヴァーレクスの方だった。当てていた腕を掴み、逆に引かれ、倒れる勢いを利用して脇腹を蹴りで狙われる。もう片方の足は柔らかく柔軟にヴァーレクスの首を狙い、絞め落とし、絡めて折るつもりで腕を這い伸びてきた。蛇か、と舌打ちが零れた。蹴りを防ぐ間に片方を絡め、そちらに気を取られている間に腕を引き、蹴りに使った足も絡めるつもりだろうと窺えた。完全に自身の体を相手の腕力や体幹に任せる状態だ。命のやり取りの合間でその判断ができることにゾッとした。ヴァーレクスは地面を強く踏んで倒れる方向を御し、蹴りを避け、その勢いを利用して腕を掴み足を絡めようとする男を投げ飛ばした。長い手足の膂力、勢いよく投げ飛ばされたラングは地面を蹴り、手をつき、何度かバク転や側転を経てそれを殺し、着地した。遠くで、おぉ、と声が聞こえた。


「ちょこまかとすばしっこい鼠だ。足癖も悪い」

「誉め言葉だ。どうした、来ないのか?」


 再び構えを戻し、ラングは首を傾げた。ふふふ、と楽しそうに笑ったヴァーレクスは両手を前に出して姿勢をぐっと下げ、ぱっと弾けた。

 長身のバネ、下部からのタックル、ラングは足を踏み出してカウンターを入れる動きを取る。衝突する寸前、ヴァーレクスは地面が抉れるほどの急停止をした。持ち上げられたつま先の土が舞い上がり、踏み出されたラングの膝に靴底を当て踏み抜こうと落とされる。同時、ヴァーレクスの腕が伸びる。膝を踏み抜かせず、ずらしたのはさすがだ。布が擦れるシュッという音がしたのを視界の外で捉えた。良い反射神経をしている。だが、その仮面の内側、僅かに入り込んだ土は拭いにくいだろう。人間は目に何かが触れると反射で目を閉じる。顎を引いたのがその証拠だ。攻撃の手を、砂を払うことに回さなかった判断には称賛を贈る。

 ヴァーレクスの腕がラングの胴に触れた。大きな手のひらはその脇腹を強く握り締めるだけで絶大な攻撃力を持つ。剣を握る握力だけでなく、指先で摘まむためのピンチ力も高いヴァーレクスは、胴回りに装備を着けないラングの構造をあの戦いで把握していての一手だった。このまま指先をめり込ませるだけで、ある程度相手にダメージは入る。

 かっ、こっ、と軽い音がした。接敵した距離、指先に力を入れ抉るため、体が近くなったからこそ、ラングの手が届いた。先程防御に使わなかった両手が攻撃に転じる。鷲掴みにしていない方の肘を打ち、肩を打ち、己の脇腹を握り潰そうとする男の肘に、同じ部位を落とした。指が揺れたその隙にラングは掌底でヴァーレクスのこめかみを狙った。大きく仰け反ってそれを避けたヴァーレクスは距離を取り、外された関節をはめなおした。パニッシャーめ、手癖も最悪だ、と舌打ちを零す。

 ぐ、と仮面の中で指が動く。狙い通り多少は土が入れられたらしく、それを拭い、手を払う。


「褒めてやる。シールドの中に異物が入ったのは久々だ」

「歪んだ顔を見てやりたかったですねぇ」


 互いに元の位置に戻り、双剣を、タルワールを持ち直した。そこで一呼吸。再び剣戟の音が響く。



「一流の暗殺者同士の戦いがこんな公で……」


 アッシュは瞬きをしないように目を細めたり開いたりして戦いを眺め、ごくりと喉を鳴らした。ツカサは冷静にその剣戟を見て、呟いた。


「ラング、本気じゃない」

「へ!?」

「呼吸が見えない。使ってない。ヴァーレクスもまだ遊んでるだけだ」

「……嘘だろ」


 ここからだ。


「ここからだ」


 ツカサの一言に応えるように、剣戟の圧が変わった。



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