4-86:若きアルブランドーの幸せ 1
いつもご覧いただきありがとうございます。
快晴、風少なし、準備よし。ツカサはアルからもらったシャツに古代石の革の胸当て、腰に帯剣ベルト、今日は水のショートソードのみ。新調したロングブーツ、左手首に絆の腕輪と、しっかり身支度を整えた。ケータリングは届いており、店の人からお祝いにと依頼した分よりも多く納品があって、素直に有難い。外にテーブルも並べコップや酒樽、果実水のポットは氷魔法と水魔法で創りだしたクーラーボックスに置いたので、よく冷えている。温かい飲み物は家の中で、保温魔道具の上にポットと、茶葉類を用意した。ハーブティーを好む人物は決まっており、大体の招待客は酒を飲むだろうと見込んでの準備だが、今も不安が拭えない。寒い時期なのだ、ホットワインでも用意すべきだったか。そわそわと落ち着かない様子のツカサにアルが胸を叩いた。
「大丈夫だって、なんかあったら、エレナや俺たちがちゃんと案内するから。ツカサはモニカにだけ集中してろって」
「ありがとう、わかってるよ、ただ落ち着かなくて」
装備を着込んだアルに呆れた溜息をつかれながら、ツカサはその場を歩き回った。
「カダルなんかは、もうどうにでもなれ、って感じで落ち着いてたぞ」
朝から手伝いに来てくれていたマーシがにやにやと笑いながら言う。こら、とそれを窘めてからロナが微笑んだ。
「ツカサ、その格好よく似合ってる。本当におめでとう!」
「ロナァ! ロナだけだよ俺にそうやって寄り添ってくれるの!」
「こらこら、俺も、俺も寄り添ってるっつの! 俺も!」
ロナに抱き着いて背中を叩かれ、マーシが横でぎゃんぎゃん騒ぐ光景に少し落ち着いてくる。わはは、とアルが笑い、ラングが開きっぱなしの玄関のドアを叩いた。
「招待客が集まった。待たされて怒るような連中ではないだろうが、モニカの準備を見に行ってはどうだ」
「あ、うん。わかった。じゃあ、ロナ、マーシ。また外で。ラング、アル、悪いけど今日はよろしくね」
「任せとけ、花嫁と出てくるの待ってる」
うん、と返し、深呼吸してから二階へ上がった。その背中にも笑い声が届いていたが、悪い気分ではなかった。
二階へ上がり、寝室の方へ向かえば中から女性特有の高くて柔らかい音が聞こえた。大丈夫、よく似合っているわ、可愛いよ、と褒める声から、深呼吸して、と宥める声まで。あぁ、モニカも緊張しているのだと思うと、ツカサは自身のそれが解けていくようだった。足音を立てて近づけば、話し声は小さくなった。ドアの前で身支度を再び整え、咳払い、ドアをノックすれば中から音程のおかしい、はい、が聞こえた。
「モニカ、準備はどうかな。招待客が来た、ってラングに声を掛けてもらったんだけど」
「だい、じょうぶ」
「よかった。じゃあ、一緒に行かない?」
「そ、そうね!」
ドアを開けてくれたのはアーシェティアだ。ラングとアル同様、今日の警護を担ってくれるので、万全の装備でそこにいた。半身を切って部屋の中に入れてもらえば、柔らかい光の中、とても愛らしい人がそこにいた。
シーグリーンのワンピース姿は一度見たことがあるはずなのに、初めて見るような気分だった。栗色の髪は緩く編み込まれ、そこに色とりどりの花が散りばめられている。ふんわりとウェーブのかかった髪はそうっと振り返ったモニカの柔らかさをそのまま表現しているようで、すぐに指を通して確かめたくなった。薄いレースが何層も折り重なったカチューシャタイプのベールは後ろに流され、肩から背中の中程までさらりと降りている。モニカ愛用のリボンが耳のところに結んであったりと、モニカらしさも表現されていた。ふっくらとした唇に塗られているのはリップだろうか。それにしてはハチミツのように甘そうで、ごく、と喉が鳴ってしまった。
「花嫁を見て、言うことがあるでしょう?」
エレナに指摘されてビシリと背筋を伸ばし、それから歩み寄って、モニカの手をそうっと両手で取った。
「モニカ、す、すごくきれい、可愛い。あの、俺もう少し、ちゃんとした格好に、すればよかった…?」
「ふふ、ありがと! ツカサも素敵、すごくかっこいい! お義兄さんとアルさんが任せておけって言ってたの、こういうことだったんだね。見て、私たち、色合いが春みたい!」
淡い黄色に、シーグリーン色の明るい緑。確かに、言われてみればそうかもしれない。温かい気持ちで、ふと口から言葉がまろび出た。
「ねぇ、モニカ。あったかい春みたいな家族でいようね、そんな穏やかな家庭にしようね」
「うん! 大変なことがあっても、家に帰ってきて、顔を見たら幸せになれるようなあったかい家族になろう。一緒に幸せになろうね」
「うん」
お互いに手を握り締め、見つめ合う。茶化したり照れて誤魔化したりしない。言葉のまま、真摯に受け止めて返してくれるこの子が人生を一緒に歩んでくれるのなら、きっと、これほどに心が守られることはないだろう。モニカの頬にそっと手を滑らせて、そこで咳払いが響いた。
「毎度俺がこの役割なのもどうかと思うんだけどさ」
えへん、おほん、追加で咳払いをしてドアに寄り掛かったアルが視線を泳がせながら言った。
「あー、みんな待ってる。楽しみにしすぎてそわそわしてる」
「イチャイチャさせとけって言ってる奴もいるけどな」
「マーシ! まだ見ちゃだめです!」
ロナがごめんね! と言いながらマーシの目を覆い隠し、バタバタと階段まで追いやる音を聞きながら、ツカサはジト目でアルを見た。
「今のは空気読んで欲しかった」
「次からラングにやらせるか? これ」
「それはちょっと」
わはは、と笑い、ひらりと手を振ってアルは先に外へ向かって歩き出した。エレナがそっとモニカのレースを直し、微笑んだ。
「モニカ、本当に素敵よ」
「ありがとう、お義母さん。まさかレースのベールが着けられると思わなかったから、すごく嬉しい」
「娘がいたら作ってあげたかったの。間に合ってよかった」
ぎゅうっと母娘が抱き合い、離れた後、エレナはツカサの胸板を叩いた。
「しっかりエスコートしてらっしゃい」
「任せて」
ふふ、と皆で笑い、エレナとアーシェティアが先に出ていく。アーシェティアはモニカにウインクを、ツカサには自分の胸を叩き、今日の警護を任せろと動作で示した。心強い仲間と家族がいることに改めて感謝した。階段を降りる音が止んで、外から賑わいの声がするようになって、ツカサはまた姿勢を正してからモニカに向き直り、左手を腰に添え、右手を差し出し、左足を後ろへ引きながら腰を折った。
「エスコートをさせていただけますか、モニカ・アルブランドー」
「ふふ、はい! もちろん! お願いいたしますわ、ツカサ・アルブランドー」
あはは、と笑い合う若きアルブランドーたちの声は外にまで聞こえていたのだろう、まだかー、とマーシの声がして、足並みをそろえ、階段を降りていった。
――扉を出れば、そこはツカサとモニカが準備した以上の光景になっていた。
ふわぁっと花びらが空を舞い、わあぁ、と歓声が上がるように皆が拍手と笑顔でツカサとモニカを迎えてくれた。花びらを永遠に舞わせる暖かい風は理使いの優しさ、冷気が入らないように器用に張られた魔法障壁は師匠の配慮、この季節だというのに青空を彩る色とりどりの花びらの数々は、エフェールムからの贈り物だ。おめでとう、と皆が心からの言葉をくれた。
隣の大陸からの友、世話になったエフェールム邸の人々、【空の騎士軍】で友人となった年若い軍人たち。
同じ戦場を駆けた【快晴の蒼】である、軍師と隊長たち。
そして、【異邦の旅人】の仲間と家族。
広い家の前が、庭がたくさんの人でいっぱいになっていて、これだけの人数がわざわざ来てくれたことが本当に嬉しかった。ツカサとモニカは喜びと驚きで玄関の前から動けず、顔を見合わせては笑い、幸せな困惑に浸っていた。ヴァンがくすりと笑い、すっと腕を上げた。
「さぁ、道をつくろう!」
上げた腕をさっと前に振り下ろせば、ツェイスたち副隊長が素早く並び、ツカサとモニカの前で剣を、槍を、弓を、杖を胸の前に構えた。もう一度ヴァンが手を上に戻せば、ザッとそれらが高く上に掲げられた。花道をつくってくれたのだ。緊張の面持ちのモニカの手をそっと取って自分の腕に置き、撫でて宥め、ツカサはゆっくりと四人の前を歩いた。
「おめでとう、心から祝福を。今度は俺の弟妹も紹介する」
「おめでとうございます。草原の紅茶を、またご馳走しますよ」
「ツカサ、おめでとうございます! あとで、空に魔法の花を咲かせますね!」
「おめでとう! 代表で俺たちだけお邪魔させてもらってる。休みの日程わかりそうだから、あとでな」
ありがとう、うん、わかった、と笑顔で返しながら、皆の前に歩み出る。四人の前を過ぎれば、背後で武器が収められる音がした。【真夜中の梟】の二人が歩み出て、もじもじしていて、ツカサも釣られてしまう。
「なんか、こんな、すごい見られていると挨拶しにくいね…」
「おっと、失礼。カイラス、こちらも食事を広げよう」
「僕らは飲み物でも貰おうか」
ロナのぽしょりと呟いた言葉に、シグレやヴァンが率先して視線を逸らし、各自挨拶をしたりと交流を深める形で気を逸らしてくれた。エフェールム邸のメイドや従僕がもてなす側に回ってくれていることに少し申し訳ない気持ちもあったが、厚意だと受け取っておく。
ホッと小さな息を吐いて苦笑を浮かべた後、ツカサはモニカの手を引いて前に出した。
「ロナ、マーシ。この子が俺のお嫁さん、いや、妻の、モニカだ」
「は、はじめまして! お話はよく聞いていたんですけど、ロナさんと、マーシさん?」
「おわぁ、可愛い子だな、マジで冒険者の嫁になってくれる普通の子いるんだ…羨ましい…」
「こら、失礼だよマーシ。初めまして、【真夜中の梟】のリーダー、ロナです。ええと、この度は、おめでとうございます」
ロナもこういったことには慣れていないらしく、困ったように笑った。ええと、そうだな、と次の言葉をどう繋げようか悩む様子にマーシがその腕を小突いた。
「ほら、あれ、渡そうぜ」
「あぁ、そうだね。ツカサ、よかったらこれを」
ロナはごそりと腰のアイテムバッグから毛皮を取り出した。受け取れば、真っ白で柔らかい、ふわふわの魔獣素材だ。【鑑定眼】で覗いてみれば、アルゴ・スノウラビット、希少種の毛皮、と出た。これが何か尋ねるように視線を上げれば、ロナはとても穏やかな笑みを浮かべていた。
「これ、僕たち二人だけの【真夜中の梟】になった時、初めて狩った魔獣の毛皮なんだよ」
「キフェルまでの道中で見つけたんだ。たぶん迷宮崩壊で外に出て、取りこぼされてたんだろうな。上手に狩れたから、毛皮の状態も良いだろ」
「うん、すごく綺麗。でもそんな記念の毛皮、いいの?」
「こういう時じゃないとずっと仕舞ったままだから。受け取って、何かに役立ててくれたら嬉しいよ」
空間収納の中のジャイアントスネークが激しく同意を示しているような気がした。モニカがふわふわと毛皮を撫でていたので、モニカの防寒具に仕立ててもいいかもしれない。ツカサはロナとマーシに向き直り、強く頷いた。
「ありがとう、大事に、上手に使うね」
「おう!」
「よかった! ふふ、ツカサってば本当、立派になったよね」
どういう立場の発言なの、と友達同士の気安いノリで雑談に移行した。出会った当初の経緯や、その時の反応、それから一緒にダンジョンに行ったことなど話題は尽きない。モニカは知らないツカサのことを聞けて楽しそうにしていたが、失敗だらけの少年時代の話にツカサはずっと赤面していた。
「でも、素直で、真っ直ぐで、良い友達です」
ロナがそう締めくくってくれて、モニカはにっこりと笑った。
「これからもツカサをよろしくお願いします。こちらの大陸に居る間はいつでも来てください。もっとたくさん、お話も聞きたいです」
「喜んで、またお邪魔します」
「じゃあツカサのあれこれ思い出しとかなくちゃな!」
「マーシのあれこれもね」
このやろ、とマーシに腕を叩かれてこちらも笑う。じゃあ、ちょっと食事を貰うね、とロナがマーシと離れ、次の人に主役たちを譲った。
いいか、と声を掛けてきたのは先程ツカサとモニカに花道を作った若き軍人たちだ。お祝いの言葉は貰っているので礼を返そうとすれば、スーが両手を前に出して軽く振った。待て、ということだ。彼らの中でリーダーであるツェイスが一歩前に出て、こほん、と咳払いをした。
「おめでとう、お言葉に甘えて来てしまった。いろいろ勝手にやったが、大丈夫だったか?」
「ありがとう、助かったよ。俺たちもどうすればいいかわからなかったから」
「これだけの面子だとそうもなるだろうな……」
ちらりと上官を、権力者を眺め、ツェイスは苦笑を浮かべた。わかってくれるか、と同じ顔を返せばフォクレットが革袋を差し出してきた。
「あの日、お前と調理をし、食事をした俺たち【空の騎士軍】の軍人連中からだ」
「ほんの少しですがお祝い金です」
「ツカサは冒険者ですから、困っていないかもしれませんけれど、軍人の僕らはすぐに用意できるものがこういったものしかなくて。すみません」
いや、そんな、とツカサは断ろうとした。来てくれただけでも有難いというのにそんなことまで、と気が引けた。ツェイスがフォクレットの手から革袋を奪い、ツカサの手に無理やり持たせた。ちょっと、と文句を言おうとすれば、ツェイスがつんとそっぽを向き、腕を組んで返却を拒否する姿勢を示した。
「それは、俺たちの祝う気持ちを少しだけ形にしたものだ。返されたとあっては部下に合わせる顔がない」
「そうですよ、腐るものでもないんですから」
「ツェイスもスーもこんなことを言うが、まぁ、俺もその気持ちだ」
「みんな頑固者ですみません。ただ、本当に気持ちですから」
そこまで言われれば、これは受け取るべきなのだろう。あまり固辞し過ぎるのもよくないと聞いたこともある。
「そうしたら、ありがとう。大事に使うよ」
「そうだな、赤ん坊ができたらその服の仕立てにでもな」
ははは、と少しだけ粗野な軍人たちの笑いに主役の二人は頬を染め、暑い暑い、喉が渇いたな、と次の人に譲られた。
そっと近づいてきたのはシグレたちだ。
「おめでとう、ついに、だな」
「ありがとうございます。いろいろとお世話になりました。それに、こんな多くの花びら、この季節に貴重でしょ?」
「いや、こちらとしても世話になったからな。モニカには庭の花をいい形で使ってもらって、庭師が喜んでいる。こうも美しい光景になるとは私も予想外だが、花びらは彼らの厚意なのだよ」
シグレの視線の先で麦わら帽子の老人と少女が手を振って、モニカは同じように返していた。
「今後も、君たちとは良い関係でいたいと考えている。もちろん、強要などはしない。基本的には我々は場所が別だ。だが、困ったことがあれば相談はしてほしい。共にダンジョンに行った仲間なのだ、遠慮はしないでくれ」
「有難いやら怖いやら」
「ははは! 君もいい意味で隠さなくなったな! 冒険者なのだ、それでいい」
肩を叩かれ、ツカサも笑った。シグレがカイラスを視線で呼び、さっと手が差し出された。
「贈り物は非常に頭を悩ませた。君たちには恩を感じさせるわけにもいかないのでね。気に入ってもらえるといいが」
「そんな、気を使わないでよかったのに」
差し出されたものは小さな箱だった。縁を金で象ってあり、品の良い芸術品のようで、通信の小箱にも見えるが、なんだろうかとカイラスを見遣れば、胡散臭い笑みが向けられた。
「特注のオルゴールでございます」
これは思わぬ贈り物だ。手に取って箱を開けてみれば、蓋の内側に今日の日付が彫られ、ゼンマイがあった。モニカに使い方がわかるように見せながらゼンマイを巻いて指を離す。ゆっくりと回り始めたゼンマイに伴い、小さな音で音楽が流れ始めた。のんびりとした和やかな曲調、初めて聞く音楽だが、心が休まるような音色にモニカと笑い合う。
「エフェールム様、ありがとうございます」
「こちらこそ、招待ありがとう、モニカ。後程、我が家の者たちともよく話してやってくれ。さぁ、他の主賓たちにも顔を見せてきなさい」
また緩やかに促され、オルゴールは一先ずツカサが預かった。貰ったものを壊さないうちに空間収納へ。次は【快晴の蒼】であり【空の騎士軍】の上層部だ。立食形式にも慣れているのか、食べるのも、飲むのも気楽にやっている。モニカの歩幅に合わせてそちらへ行けば、気づいた彼らもまた皿やコップを置いて待っていてくれた。
「今日は来てくれてありがとう。モニカ、知ってると思うけど、【快晴の蒼】のリーダー、ヴァン。それから、他のメンバーは初めてかな? シェイさん、ラダンさん、アッシュに、クルドさん」
「モニカです。今日はありがとうございます!」
「こちらこそ、招待ありがとう。おめでとう二人とも」
おめでとう、と口々に祝われて笑い合う。ツカサを急に借りて申し訳なかったね、とヴァンが突然出ていったあの夜のことを詫びれば、本当ですよ、とモニカの真正面からの叱責にスカイ王国の軍人の頂点が肩を竦めて首を摩る一幕もあった。今後、イーグリス学園の件でも世話になる、とラダンが挨拶をすれば、お仕事ありがとうございます、とモニカがお礼を言うシーンもあった。
「いろいろと協力してもらっていたんだけど、お礼ができてなかったからね。今日に合わせて用意したんだ。この場で悪いけど、渡していいかな」
「なんだろう?」
「まずは俺とクルドから」
アッシュが前に出て、手品のようにパッと出されたものは一振りのショートソードと帯剣ベルトだった。帯剣ベルトは左右と、もう一つ後ろにも剣を差す場所がある。ラングの帯剣ベルトとよく似ている。
「ダンジョンドロップ品もいいが、名工の打った剣ってのも箔がつくもんだ。俺とヴァンの剣を打ったハーケン・ウォレットの一振り。間に合ってよかったぜ」
「すっげぇ気難しいから説得に苦労したんだ。主にクルドが。俺は素材の収集で貢献した」
自慢気なクルドとアッシュに許可を得て鞘から引き抜けば、両刃の美しい剣だった。光の加減で透明にも、白く輝いても見え、何より驚くほど軽い。細やかな飾り紋様も柄から刀身の真ん中まで刻まれていて、芸術品だ。けれど弱いようには感じなかった。まるでダンジョンドロップ品のようなクオリティを人の手で創りだせることに驚いた。
「精霊石っていう特殊な鉱石を使ってる。まぁ、お前は魔導士だから精霊の力こそ借りられないだろうが、そういうのを持ってりゃ、精霊の力の強い場所とか、自分の感覚が鈍るところでもわかるだろ」
「俺は魔力なし、クルドは感覚に頼って生きてきたから、こう、自分が鈍る場所っていうのはなんとなくわかるもんだけど。探知できるものって、あっても困らないしな。今着けてる武器、それもそのまま使えるように、帯剣ベルトもオマケ。組み合わせは好きにしてくれ」
あぁ、そうか。アッシュがツカサの装備を外してみせたのはこのためだったのか。体型を確認し、幅や長さを確認していたのだ。ツカサはじわりと笑みが浮かんで、ショートソードを鞘に戻し帯剣ベルトと共に胸に抱いた。
「ありがとう、後で整えさせてもらうね。しっかり活用するよ」
へへ、とクルドとアッシュは拳をぶつけ合った。んん、とラダンが咳払いして視線を呼び、胸に手を当てて改めて祝福を口にしてから手を差し出した。
「おめでとう。俺からはこれを」
そっと差し出したのはモニカに対してだ。受け取ったモニカの手には、ガラスでできた四角い箱があった。中には何もなく、空へ持ち上げれば青い空をそのまま覗くことができる。
「ダンジョンドロップ品、警戒の箱というものだ。言葉のとおり、敵意を持った者が近づくと中の色が変わる。敵意があれば赤になるから、その時は注意するように。俺の運営している孤児院でも利用しているんだ」
察した。ラダンらしいというか、さすがというか、ツカサが家を長く離れたりする際、何かあった時のため、モニカや家族の護身用として選んでくれたのだ。ラダンとの新学期、新学科の調整を行った際、ダンジョン研修なども行うことが決まっているため、それに備えてのことだ。立場としても敵ができやすいと言われていたので、とても有難い配慮だった。モニカも思い至ったらしく、夫婦二人で胸に手を当てて感謝を示した。役立ててくれればいい、とラダンは逆に困った様子で笑った。
「ラダンの後に出すのはちょっと嫌だな」
ヴァンが苦笑を浮かべながら言えば仲間が道を譲り前に出てきた。シェイと並んで前に立ち、まずは綺麗な礼を見せてくれた。同じように返せば上手くなったね、と褒められた。
「改めておめでとう。晴れ渡る青い空のように、君たちの暮らしが曇りなき幸せとなりますように」
「おめでとう」
「ありがとう、ヴァン、シェイさんも。それに、こんなすごい演出まで」
未だ空を舞い続ける花びらと温かい空間にツカサも、モニカも礼を返した。たいしたことじゃないよ、と笑うが、たいしたことだ。通りすがりの人々が足を止めて呆気に取られて空を眺めている。結婚式をしているらしい雰囲気に混ざりたそうな気配もあるが、中に大勢の人々が居ることで遠慮しているらしい。門扉にいる身長の高い男のせいでもあるかもしれない。
「さて、僕からの贈り物は、まずは、モニカに」
ヴァンはモニカの手にそっと何かを置いた。覗き込めば、そこには透明なクリスタルガラスの赤い薔薇があった。これもまた芸術品のように美しく煌めいている。高価そうな贈り物の連続にモニカの腕が緊張し、硬くなっているのがツカサにもわかった。持とうか、と問えば、小刻みに頷かれたのでそっと片付けた。ははは、と男たちの笑い声が響き、ヴァンが説明してくれた。
「それもダンジョンドロップ品で、茨の守り、というんだ。あとで鑑定すればわかるだろうけど、簡単に説明すると割ればそれなりに広い範囲を守ってくれるマジックアイテム。ちょうど……この敷地が入るくらいかな。効果時間は丸一日、ってところ」
八割ラダンに渡しているとはいえ、学科内容はきちんと把握しているヴァンらしい贈り物だ。ラダンが家への侵入対策であれば、ヴァンは防げるようにか。お互い相談し合って決めたのかもしれないが、家に残るモニカへの真摯な対応に心から感謝をしたかった。礼を示そうとすれば、先に肩を掴んで防がれた。
「それは必要ない、依頼しているのは僕らの方だからね。いざという時は、使うことを迷わないこと。いいね?」
「はい、わかりました」
モニカの返事にうん、とヴァンは満足気に頷き、ツカサの前にひらりと二通の封筒を取り出した。
「これはツカサに。いずれ必要の無くなるものではあるけれど、使うならご随意に」
封筒を受け取り、促されて開き、中を確認した。一枚は【快晴の蒼】からの紹介状、もう一枚は【空の騎士軍】の軍師、ラス・フェヴァウルの紹介状だ。役職がフルネームで記載されており、下記の者への配慮を求める、といった内容が記載されていた。以前シグレがくれた統治者からの書状のように、ツカサの身分を保証してくれる一筆だ。窺うように顔を上げればヴァンはにこりと微笑んだ。
「気にしないで、僕が着任している間しか効果のないものだよ。君は冒険者だから一枚目の方が関係するかもね。いずれ、【異邦の旅人】の名だけでよくなれば、それはオマケにでも。本当は不動産の話の時に渡すつもりだったんだけど、シェイに預けたの忘れててさ……」
「あぁ、あの時探してたのこれなんだ。ありがとう」
ラングのいなくなる【異邦の旅人】、リーダーに収まったツカサのことも把握していての書状なのだ。こういった手回しはヴァンらしいと思った。これもいざという時のためのお守りになる。無くす前に書状を空間収納に入れれば、ヴァンがツカサの胸に拳を当ててきた。視線を上げれば透明な水色が真っ直ぐにツカサを見ていた。
「もう一つ、僕たちからの贈り物は、マール・ネルだ」
あ、とツカサは短い声を上げた。そうだ、聞こうと思っていた。マール・ネルは未だツカサの空間収納の中で、返すタイミングをすっかり失っていたのだ。しかし、マール・ネルに選ばれたわけでもないのに持ち続けるのはいかがなものか。そう視線が問いかけているのがわかるのか、ヴァンは自分の唇に指を当て、ツカサに沈黙を求めた。軍師の発言は最後まで聞け、というやつだ。
「ガーフィ・ネルと話したうえで、アルの槍を通し、マール・ネルに許可を得てる。君がもし無意識に【変換】を使おうとしても、それを封じてくれる。その力、これ以上は、ね。それに、マール・ネルに幸せな暮らしというのを感じさせてあげて欲しいんだよ。その子は、十八歳で武器になったからね」
言葉を失った。横のモニカを見て、きょとんと困惑した表情に小さく微笑を返した。ありきたりな幸せを知らず武器にその身を変じ、永久にそのままであることに、言い知れぬ悲しみを覚えた。ツカサはモニカからヴァンへ視線を戻し、ただ黙って頷いた。
多くは語らず、よし、とヴァンがシェイを小突いた。先程綺麗な礼を見せてくれた後、即座にいつものポケットインの状態になっていたシェイは、目を開くとツカサを見た。
「手ぇ出せ」
「あっはい」
両手を出せば、シェイの左手がその上に小さなビー玉サイズの氷を創りだした。ひんやりとした冷たさ、それがパキパキと音を立てて圧縮されていき、ツカサと、それを見ていたロナは顔が青くなった。ルーンの、隊長なんてものを、と不安げな声も聞こえた気がした。最後、ころんと手のひらに落ちたそれを持つ手がガクガクと震えてしまう。モニカはその様子に嫌な予感がしたのだろう。ツカサの腕を軽く揺らして正気に戻そうとしたところでシェイが言った。
「モニカ、何かあればそれを相手に投げつけろ。一瞬で凍る」
何もかもな、と悪人面で笑うその顔に、アッシュがさっと手を差し込んだ。結婚式で見せる顔ではないと判断されたらしい。
「……とにかく、僕らからは、身の回りの守りについて……ってことで。あの、そうだね、向こうで家族が待ってるよ」
いっておいで、と苦笑交じりのヴァンに促され、ツカサはビー玉をそのままに、エレナやアーシェティアのところへ合流した。一先ず、持ち続けるわけにもいかないので革袋に入れて、あとで玄関にでも掛けておくことにした。今日貰ったものの中で、今のところ一番の取り扱い注意品だ。
「ふふ、大変そうだったわね。おめでとうモニカ」
「ひぃ……ありがとう。アーシェティアも、髪型ありがとう」
「いいんだ。おめでとう」
女性陣が抱き合い、微笑み合うその光景に目を細めていれば、エレナが腕を広げて待っていてくれた。すっかり自分より小さくなった母の体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「おめでとう、ツカサ。本当なら、あなたのお母様がこうしたかったでしょうね」
「言ったでしょ、エレナはこの世界での俺の母さんだよ。ありがとう」
後頭部をそっと撫でられてくすぐったい感触が胸に心地よい。アーシェティアとも握手をして、モニカと笑い合う。アーシェティアがぽり、と頬を掻いて二人にペンダントを差し出した。小さな透明な貝殻がついたものだ。元々二枚貝だったものを、ツカサとモニカに分けたのだろう。合わせてみればぴったりとくっついた。
「私の故郷では、あの港のずっと底にある貝殻を、こうして贈るんだ。これを獲ってくることが島を出る条件の一つで、間違いなく私が底から獲ってきた貝殻だ。そうして合う貝殻は、海の中でも二人の、それだけだ」
「ハマグリみたいなものかな? でも、それって貴重なんじゃ?」
「だからこそ、二人に渡したい。感謝しているんだ。掛けていいだろうか」
笑顔を浮かべて頷き、首に掛けてもらった。透明で不思議な貝殻はアーシェティアの真っ直ぐな想いを伝えてくれるようだった。すっとアーシェティアが下がればエレナがツカサの前に立った。
「モニカにはレースのベールを贈らせてもらったのだけれど、あなたはいろいろ自分で揃えてしまうから困ったものだわ」
「自立してるんだよ」
「寂しいわね。……これを贈らせて頂戴」
そっと差し出された布をエレナの手が解き、現れたのは剣だった。
「エレナ、受け取れない」
「いいえ、受け取りなさい。これは戒めなの」
重いわよ、とエレナに言われ、剣を受け取った。これはジュマのエレナの家の壁にあった、ヨウイチの剣だ。短剣やショートソードを扱うツカサにはズシリと重く、腕に力が入った。
「あなたには多くの指導者がいるわ。その誰もが自分を持っている、道を踏み外すことがないように律している。優しいだけじゃない、厳しい人たちに囲まれているわ。けれど、私はどうにも心配なのよ」
エフェールム邸で情けない叫びを見せ、叱責された日のことを思い出した。羞恥から視線を伏せればそっと母の両手が頬を包んだ。
「その重みを忘れないで。あなたが迷った時、道を見失った時、あなたをあなたとして、ここに在らせているものが何なのか、思い出せるように持っていて」
「……うん、ありがとう」
「とはいえ、あなたが使える武器じゃないものね。空間収納の中にでも入れておいて頂戴な」
ふふ、と笑顔を見せられ、ツカサもそれを返した。もう一度ぎゅっと抱きしめて言われたとおり、空間収納の中に入れた。この重みを忘れないようにしなくてはならない。
女性陣の祝福を受けた後、ツカサはラングとアルを探した。警護するとは言っていたが、挨拶くらいはと周囲を見渡せば門扉の方に居た。モニカがそっと背を押してくれた。
「いってらっしゃい、ツカサ」
「うん、じゃあ、少し。いってきます」
軽く走っていけば誰に引き留められることもない。わかっていてのことだろう。門扉を出ればそこにはラングとアル、そしてヴァーレクスがいた。
「来てたんだ」
「おめでとう」
「ありがとう。敷地内、入ればいいのに」
「副隊長連中もいる中、捕虜があれに混ざってどうする」
軍師、隊長たちは置いておいて、やはりツェイスなどは気になるらしくたまに目が合う。それから目を逸らし、ツカサはラングを振り返った。祝いの言葉を待っていれば、警護の任に就いている仮面の男は固いことを言った。
「モニカと揃っているところで祝うつもりだ」
「何回言ってくれたっていいんだけど」
「あはは! はいはい、おめでとう!」
「アルは軽いなぁ」
わはは、と背中を叩かれて笑う。少しだけ沈黙が流れ、ツカサは息を吸った。
「モニカはアズリア出身でさ。正直、スカイじゃアウェイ、不利っていうと言い過ぎだけど、故郷の人が一人もいないからさ」
ちらりとヴァーレクスを見れば、少しの間を置いて目だけがこちらを向いた。
「声掛けてやってよ、アズリアの人として」
ヴァーレクスはアルとラングを見遣り、アルには親指で中を示され、ラングはシールドを揺らした。深い溜息はあったものの、わかった、と小さな声で答え、ツカサはにっこりと笑った。ヴァーレクスを敷地内に促し、男三人を伴って戻ればざわついた音が一瞬消え、再びボリュームを戻すかのように音が帰ってきた。さすが大人だな、と思いつつ、ツカサはモニカの肩を抱いて戻りを知らせた。
「モニカ、紹介させて。アズリアの剣士、ヴァーレクス。俺の師匠の一人」
「ひっぇえ、モニカです、よろしくおねがいしまひゅ」
「……アズリアにて冒険者をしているペリエヴァッテ・ヴァーレクスだ。小麦の女神、豊穣の祈り、香ばしいパンの香りが絶えぬように」
あ、とモニカは唇を開き、じわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。どうか、貴方もそうでありますように」
嬉しそうにツカサへ笑顔を向けるモニカの、その顔が見られてよかったと思う。ヴァーレクスはなんとも言い難い顔をして眉を顰め、それでも右手を鎖骨に当て、一礼を取った。
「わぁ! すまない! すっかり遅刻してしまった!」
バタバタと駆け込んできたのは帽子を目深く被った不動産屋だ。はぁはぁと息を切らせ、ふぅ、と顎を伝う汗を拭い、皆の視線にあはは、と誤魔化すまでがセット。その後ろでは息一つ乱さない護衛が居て、対比に笑ってしまう。
「遅刻じゃないよ、フィル。スカイ式はいつ来てもいいんでしょ」
「そうは言っても、この状況じゃ遅刻だ。っと、そういうのはいいんだ、おめでとう! ツカサ、モニカ!」
「ふふ、ありがとうございます!」
共に不動産を見て回った気楽さからか、モニカもこれには軽く笑っていた。ちらりとその後ろに目をやれば、グレンからもおめでとうございます、ときちんとした挨拶をもらえた。
「二人ともよく似合っているなぁ、この季節に、ここだけが春のようだ」
「ありがとう、それ、モニカとも話してた」
「それはいい! 僕の感性もずれていないようで安心したよ。慌ただしくてすまないが、これ、贈り物」
家の件や手続き関連でかなり融通してもらえたこともあって、まさかの贈り物だ。いいのに、と一応の辞退を示せば、様式美だね、と笑って手を取られた。
「たいしたものじゃない、でも、何かあった時に備えることは大事だ。これだけ腕の立つ冒険者たちが並んでいるのだから、被っているかもしれないけれどね。数があっても困るものじゃない」
ツカサの両手を取ってそれを包ませ、ぽんぽん、と叩いてフィルはにっこりと笑った。
「本当にすまない。本当なら、夜までずっとここに居て、君たちといろんな話をして、他の人にも挨拶をして、交流を深めたい。ただ、残念なことにお客様が待ってくれなくて」
「大丈夫、忙しいのにありがとう。あのさ、いつでもおいでよ。友達なんだし」
ね、と笑えば、フィルは心から嬉しそうにぱぁっと笑い、ツカサに抱き着いた。そしてそっと呟かれた。
「ありがとう。君のその言葉がどれほど嬉しいか、私は伝える術がわからない」
反応を返す前にさっと離れ、フィルはモニカへお辞儀をした。
「では、これで失礼させていただきます。おめでとう、心からの祝福を。そしてまた何かございましたら、是非シェフィール商会へ!」
「また来てくださいね!」
ありがとう! と叫びながら嵐のようにフィルはグレンと共に門扉を出ていった。呆気に取られてしまったが、手に持たされたものを覗き込んで、ぎょっとした。思わず駆け出して門扉を飛び出し、叫んだ。
「フィル!」
見学していた人々に紛れてしまい、もう姿はどこにも見えなかった。けれど叫んだ。
「ありがとう! フィル、俺、これを使わないで済むように生きるから!」
届いてくれ、と思ったからか、ぶわっと風が吹いた。少しして、本当に遠くで人混みからひょっこりフィルの頭が見えた。そして、勿忘草色の髪を晒し、帽子を大きく振った。グレンに担いでもらったらしい王太子は、遠めだが年相応の笑顔を浮かべていたように思う。それが再び見えなくなってから戻り、アルに肩を組まれた。
「なんだったんだよ?」
「身代わりの指輪、こんな貴重なものを」
かつて、一度だけ砕け散ったあの指輪と同じものがそこにあった。小さなメモもあったので、お祝いの言葉かと思い開いてみれば、なんともあの王太子らしい悪戯な文字でとんでもないことが書いてあった。
――追伸、宝物庫から勝手に持ってきたので、うまいことバレないようにしてね! お幸せに!
「ほんとあいつさぁ!」
「わはは! ツカサ、これはもう友達やめられないな!」
「その場の空気に流されるからだ。あれは駆け引きの上手い人種だぞ」
なんだかわからないが楽しそうな様子に、その場の皆が笑った。
本日、17時にも更新します。引き続き結婚式をお楽しみください!
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