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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人
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4-85:駆け出しのガイドだった者

いつもご覧いただきありがとうございます。


 平和な日々が過ぎた。鍛錬以外に暴力的なことも大きなトラブルもなく、本当に平穏な毎日だった。


 ラングが大量に食材を買ってきて、ツカサとモニカと並んで料理をしてくれる日もあった。こういうことをリシトともするのかと問えば、あいつは料理には興味がなかった、と答えを聞いて、少し優越感に浸ったこともあった。レシピをメモするモニカと、味で覚えようとするツカサの違いはあれど、ラングはどちらにも真摯に答え、付き合ってくれた。アルとアーシェティアは机で料理の完成を待ち、運んだ皿があっという間にぺろりと空になる光景に笑いもした。ラングが合間にエレナにワインの肴を用意するスマートな姿を見せ、憧れを募らせもした。

 皆で朝食や、昼食、夕食の席を囲み、それぞれが故郷の料理や思い出を披露しながらそれを味わう日々が永遠に続けばいいと、何度思ったかわからない。

 人数に対し風呂が一つなので時間がかかり、広いのだからと恥ずかしがるアーシェティアを巻き込んで女性陣がきゃあきゃあ楽しそうに入る声に笑みが浮かんだりもした。いいな、一緒に入ろうぜ、とアルに首を掴まれて連れていかれることもあったが、それはそれで楽しかった。ラングはいつも最後に入り、ゆっくりと出てきた。


 近所への挨拶回りでは冒険者として行ったので灰色のマントを羽織って同行し、地味な見た目にじろじろと見られることもあれば、あの事変で活躍した冒険者の色合いと同じということもあって、憧れて真似をしている駆け出しと思われることもあった。立ち居振る舞いは気をつけているのだが、一朝一夕では成せないなと痛感した出来事だった。

 ラングはふらりと出掛けては一日、二日、いなくなった。聞いた話では街をぶらついたり、【赤壁のダンジョン】へ赴き、欲しい食材や癒しの泉エリアの水をしれっと持って帰ってきているらしかった。時折アルと二人だけで出掛ける日もあり、何をしているのか気になった。雷石の件、どうにかなりそうだ、と笑っていたが、いったい何をするつもりなのだろう。ツカサも二人がいない間にふらりと外に出ていたので、モニカにそういうところそっくりだよね、と文句を言われてしまった。


 結婚式当日は料理だけにかまけているわけにもいかないので、いわゆるケータリングというものも手配した。スカイの料理、ツカサの故郷の料理、懸命に探して一軒だけ、アズリアの料理を細々と提供している店も見つけた。酒と果実水も手配して、当日は並べておけば来場客が勝手に食べて飲んでしてくれるらしい。

 モニカのドレスも決まった。とはいえ、ツカサが思い描いていたような純白のドレスではなく、素朴でモニカらしい、刺繍の施されたシーグリーンのふんわりとしたワンピースだ。本当にそれでいいのかと尋ねたところ、大きく頷かれた。


「裾の長い服は踏みそうで怖いし、このくらいの方が動きやすいんだもの。それに見て、これすごく可愛いでしょう?」


 くるりと回ってみせたモニカの動きに合わせて、裾のレースがふわりと翻った。栗色のモニカの髪色と相まってそこに柔らかい森の妖精がいるかのようで、ツカサは自分の感想に驚きもした。こんな詩人だっただろうか。素直に伝えることにした。


「うん、すっごく可愛い」


 えへへ、と照れたその顔に、思わず抱きしめたくなった。つい腕を広げてしまったら、モニカが飛び込んできてくれて、ふわふわの服とその奥の温かくて柔らかいモニカの体温にぎゅうっと力が入ってしまった。くしゃくしゃになっちゃう、と怒られて身を放したが、その感触は暫くツカサの腕に残っていた。

 ツカサの衣服はというと、ラングからは冒険者(ギルドラー)は常が正装だ、と言われ、アルからはモニカに合わせてちょっと良いシャツくらいは着てもいいんじゃないか、と言われ頭を抱えた。イーグリス学園の件を持ってきたラダンに尋ねれば、特別な時用のちょっと良い服はいざという時に使いまわせる、とその後のことも含めて実用的なアドバイスをしてくれた。これは間を取って、ちょっと良い服に胸鎧や武器を差しておいて、いつでも戦えると言い張れる格好がベストか。そうなると服を引っ掛けるわけにはいかないのでシルク系は排除、防具屋で加工品を探した方がよさそうだ。

 などと考えていたら、アルが服を持ってきた。それは分配でアルの手に渡ったメネールスの報酬、黄金の布を使ったシャツだった。金ぴかに輝いているわけではなく、素材の加工と補修を行われ薄い黄色に落ち着いた触り心地のよいしっかりしたものだった。洒落た刺繍、襟があり、首元の紐で調整ができ、袖は七分丈、ボタンが付いていて留めることも、捲ることもできる。丈は少し長めで膝上まであり両横にスリットが入っていて動きやすい。これに帯剣ベルトを巻けばそれだけできちんとした装備になりそうだ。不思議なことにじわりと温かい。これは元々の素材の保温性の良さが生かされているらしい。結婚式の時期としてもとても有難い。


「アル、これ、いいの? アルに分配された素材なのに」

「いいのいいの、俺からのお祝いってことで。まぁ正直、色がどうなるかわからなかったから賭けだったけどな!」


 わはは、と笑うその明るさに釣られて笑う。鏡で見てみれば、すごく良い。


「ありがとう、結婚式だけじゃなくて、大事に使うよ」

「おう、そうしてやってくれ。冬本番はそれの上に魔力の服でも、防御力上がると思うぞ」

「ツカサ、いいか?」


 とん、と扉を軽く叩く音にどうぞ、と返す。ラングが入ってきて中の光景にほぅ、と顎を撫でた。


「良い色だ。悪くない」

「それより似合うかどうかで言ってほしいんだけどな」

「似合っている」

「ありがと」


 素直に言われると恥ずかしくなる。アルにニヤニヤ笑われてそちらを睨めば再び声を上げて笑われた。悪い悪い、と軽い謝罪で笑い涙を拭い、アルは相棒を振り返った。


「で、ラングはどうした?」

「これを」


 差し出されたのは胸当てだった。黒曜石のような石を半分貼ってある革鎧。形としては左胸から右へ守る形、ずっと愛用している形式のものだ。受け取りはしたものの、革についている黒曜石に見覚えがあってラングを見上げた。


「ラング、これ」

「砕け散ったものをどうにか寄せ集めた。ある程度シェイに補修もしてもらったが、砕けた、抉られた割合が大きすぎてな、半分しか鎧にできなかった」


 ――古代石(エンシェントストーン)の胸当て(半)。ラングからの祝福の品。弟への餞別。裏地に虹色蜘蛛の糸で補強がされている。


 泣きそうになった。あの日、ツカサを庇い、神を追い詰めるために砕かれた胸当てが、まさか自分の手元に来るとは思いもしなかった。短剣とショートソードを扱い、魔法主体であるツカサの動きを邪魔しない造形はさすがだ。それに加えて、武具の手入れが細やかなラングらしい手縫いの補強まで。様々な感情がぐぅっと胸の中で渦巻いて、一言で表しきれない感動が駆け巡っていた。泣きそうな顔で笑うことになってしまったが、声は震えずに済んだ。


「ありがとう、ラング」

「構わん。私が死なない限り、私の装備は譲れないからな」


 ハッとした。以前使っていた武器をリシトに譲ったと聞いた際、随分拗ねた態度を取ってしまったことを思い出し、ラングがそれをしっかりと覚えていたのだとわかった。先日、死んだら装備は譲るとも言っていたが、ツカサが勝てと言ったことへの返事でもある。恥ずかしかったり嬉しかったり、そんなツカサの感情の行き来もお構いなしでラングがシールドを揺らした。


「着けてみろ」


 言われ、着けようとした手が止まる。怪訝そうな二人に、ツカサは少し子供っぽく言ってみせた。


「着け方が」


 アルは何言ってんだ、と首を傾げたが、ラングは薄い唇を少し開いた後、ふっと小さな息を吐いた。


「後ろを向け。これが最後だ」

「うん」


 胸当てを渡し、後ろを向く。上からすぽりとはめられ、右腕を出す。左脇で革の二本のベルトを留める。カチャカチャ、ぎゅっ、と革の締まる音がして、ラングが離れた。アルが小さく拍手した。


「いんじゃねぇの? 冒険者としても、新郎としても」

「へへ、そうかな。ありがとう二人とも」


 ラングのシールドが揺れる。どういたしまして、だ。言わないとわかっていても、つい言ってしまう。


「それくらいは言葉で言ってもいいと思う」


 肩を竦められ、ツカサはアルと声を上げて笑った。



 結婚式の準備がほぼ終わり。予定通り雪花の月の後半、二十五日に結婚式の日取りを正式に決めた。

 伝達竜を利用して【快晴の蒼】と【空の騎士軍】、そして王太子へ。冒険者ギルドへ言伝を残して【真夜中の梟】へ。エフェールム邸へはアルに頼んで伝言を届けてもらった。その他、ラングに頼んでダヤンカーセ・アンジェディリスにも声を届けてもらい、あの時運んでもらったからこそ、こうして結婚できる旨を伝えてもらった。早々にラングの下へダヤンの片腕、アギリットから祝福の言葉が届いた。海上、アズリア側に居るため駆けつけられないが、もし海を渡る時は遠慮なく声を掛けてくれと言われ、有難い気持ちでそれを受け取った。


 あとはご近所にそれなりの数の招待客が来る予定なので騒がせること、是非来てほしいと話した。お祝いごととなれば垣根も越えられる。そのついで、さくりと仲良くなれればいいなと緩いことを考えながら、モニカの後ろでツカサは微笑んでいただけだった。幸いなことにイーグリスの住民は八割が【渡り人】だ。近隣の住民もそうであり、アズリアに対し偏見を持つ人がいないことはよかった。ただ、元々ここが礼儀正しい騎士の保養所だったこともあり、かなり値踏みされている感じは否めない。敷地も広く、家も大きいことで金額的に高いこともわかっているのだろう、ほんの数軒、探りを入れてくるような家もあった。モニカがにっこりと笑いツカサの腕をぎゅっと抱きしめ、夫は腕の良い冒険者で愛妻家なので、と自慢をしてくれたことが嬉しかった。

 家に帰って夕食時、あれは女の戦いの一幕なのだとエレナに耳打ちされ、青くなった。


「自らを安く売るな」


 エレナとモニカがそうした対応をしたと聞いたラングがハーブティーのコップを手にしたまま言った。ラングの声は静かなのに、本当によく通る。一声発すればその次を待って全員が沈黙するのは毎度のことながらすごいと思う。話す速さなのか、音なのか、声質か、様々な効果をきちんと使っているのだろうか。そもそも、発言することが少ないので希少性もあるのかもしれない。それはそうとして続きを待った。


「近所の者だからと安請け合いはするな」

「あ、それ大事」


 上座に座るラングの左隣を陣取っているアルがスプーンをツカサに向け、その手を相棒に叩かれる。人にスプーンやフォークを向けるな、と言外に指摘されアルはそっと置いてから咳払いをした。


「腕の良い冒険者なんでしょ? ちょっとお願いがあって、なんて、近所のよしみだなんだ、冒険者ギルド通さないで依頼めいたこという奴いるけど、請けちゃだめだぞって話。やるなら依頼紙作成して、金級冒険者を使うんだから最低銀貨二十枚からは取れよな」

「安売りするなってことはわかった」

「そう簡単な話ではない。今後、お前の立場もあっての話だ」


 ラダンが持ってきたイーグリス学園、冒険者養成科のことだ。少し考えて、あっ、と小さく声を出した。


「学校の先生が、近所の人の依頼をほいほい請けるわけにもいかないよね」

「冒険者というものは実績と技術を売りにしている。私のような外専門は特にそうだ。安く使わせればそれだけ価値は落ちていく」

「ラングをダンジョンに連れていきたかったら、本来一階層につき百万だってよ」

「たっ、かいね」


 ぐっと喉で何かが詰まり、変な声が出た。外専門のギルドラーをダンジョンに連れていくからだ、というが、それで金を払う人がいるのだからあちらのダンジョンでも実績があるのだろう。


「アルはいくら?」

「俺は一階層程度なら最低十万。目的の品以外のドロップ品確保させてもらう前提でだ。あとは階層ごとに割り増しだな」


 そういう依頼の請け方もあるのだ。今までは自分が入りたい時に入り、素材を入手、不要なものを売っていたのでこれは大事な知見だ。それもあり、ラングはわざわざ切り出したのだろう。


「三年、お前や学園への支払いを【快晴の蒼】や国が負担をする話で進んでいるはずだ。その間の学費を免除、なのだろう?」

「うん、ラダンさんの資料ではそうなってた」

「お前が自分の腕を軽々しく誰かに貸せば、それだけ奴らの思想は軽く、安いものになる。お前の価値もだ」

「…行動には責任が伴うんだもんね。そこに、役職も加わればもっと、だね。気をつける」

「ギルドを通せ、と言っておけば、冒険者ギルドが冒険者を守るだろう。モニカもよく覚えておくことだ」

「はい」


 二人で頷き合い、ラングに視線を戻せばシールドが揺れた。よろしい、だ。ツカサはずるりと椅子を滑った。


「考えること多いなぁ」

「その場での思いつきや反射で行動するのではなく、言葉にする前に、行動する前に、一度考えろということだ。…サイダルで最初に教えたと思うがな」


 う、と言葉に詰まる。ラングから通訳を依頼された時のことが思い出され、居心地悪く体勢を直した。


「なんの話?」

「なんでもないよ」


 絶対なんかある、と揶揄われながらの賑やかな夕食も、ずっと続けばいいのに。



 結婚式の一週間前、ツカサの書斎へ家具が届いた。階段下なので本棚の形が段々になっていて、ぴったり収まるのは見ていて気持ちがいい。裏庭へ向いた小窓のところに机を置いて、座れば扉に対し背中を向ける形で設置した。両側に棚を、そこに最初の一冊として【自由の旅行者】、それから、ブルックのくれた【ヴァロキアの周辺国家】という本を置いた。日記を置くのは覚悟が足らず、一旦そのまま空間収納に入れたままにしておいた。ここをどんな本で埋めようか。思い出の品を並べてもいいかもしれない。楽しみだ。

 天井に吊るすランタンはダンジョン産、フェネオリアの踏破ダンジョンで手に入れた余っていたものを掛けた。魔力を送る練習と確認になるのでちょうどいいと考えた。

 さて、それから、これが本命。ツカサは大きく無骨な椅子を細かく注文を付けて作ってもらった。これを暖炉の前に置きたかった。モニカには許可を得ている。熊の敷物を敷いて、その上に椅子を置く。本当なら良い毛皮を掛けたいのだが、ツカサは持っていなかったのでいつかどこかで入手しようと思った。できれば大型の毛足の長い、そんな毛皮だ。


「お、家具届いた?」

「おかえり、今日はどこ行ってたの? あんまり買い食いばっかりはご飯入らなくなるよ」

「なんだよ、母親みたいなこと言うなよ」


 ひょっこりと帰宅したアルの手には様々な屋台飯があった。遅れて入ってきたラングがドアを閉め、ただいま、と言うのにおかえり、と返す。二階からぱたぱたとモニカが下りてきて同じように挨拶をした。


「おかえりなさい! ちょうどよかった! これからお昼にするところだったんです」

「だと思って飯買ってきた。たまには楽しようぜ?」

「あんまり買い食いすると、あとでお財布が泣きますよ」

「ここは母親が多いなぁ」


 笑いが広がる中、ラングはじっとリビングの方、暖炉のところを見て動かないでいた。それから、まるで何かに呼ばれるようにそちらへ行き、慣れた様子でマントをばさりと払い、双剣の位置を整え、どさりと座った。ひじ掛けに腕を置き、撫でて感触を確かめ、ふむ、と声を一つ。ぎ、と音を立てて背を預け、ふぅー、と深い息が漏れた。ツカサはそろりと暖炉前に置いた椅子に近寄り、その背もたれを叩いた。


「座り心地、どう? 喜ぶかなって思って。ラングの椅子、こういう感じだったよね?」

「悪くない。家主よりも立派な椅子を得ていいものか、疑問ではあるが」

「そう思うなら、生きてください」


 ツカサではなくモニカから強い声を掛けられ、ラングはゆっくりと背を起こすとモニカを見遣った。つかつかと近寄り、その横に立って、モニカがひじ掛けに置かれたラングの手をぎゅっと握り締めた。柔らかく温かい少女の温もりに、小さく、ぴくりとラングの体が揺れた。働き者の手だ、とラングは思った。少しだけかさついた部分もあるが、それでも柔らかでしっとりとした、久しく感じていなかった女性の温もり。ラングの僅かな沈黙の後、シールドの中、視線が分かりやすく手からモニカへ移り、窺うように首が傾げられ、宝玉に連なる装飾品がチャリ、と鳴った。


「その椅子を空席にしないでください。私にはやっぱり、どれだけ考えたって、あの人と戦う理由もわからなければ、結末もわかりません。ただ、これだけは間違いなく、心からの私の願いなんです」


 重い男の手を、ぐっと持ち上げた。モニカにされるがままのラングは両手で抱えられた自身の手を不思議そうに眺めているのだろう、抵抗もせず、それを追ってシールドが動いていた。


「生きていてください。ツカサのために、エレナさんのために、私の、みんなのために。ただ元気で居てくれれば、それだけでいいんです」


 それに、甥っ子姪っ子だって、できると思うし、と真っ赤になったモニカに釣られ、ツカサも真っ赤になった。握る手に汗が滲み始め、モニカはそうっと手をひじ掛けに戻した。それを次はラングが手に取り、握り締めた。モニカは慌てて頭を下げた。


「すみません、事情も知りもしないで、勝手なこと言って!」

「いや、いい。いい。ふっ、くく…」


 ラングの肩が震え、堪えたような息がいくつか零れ、それから。


「くくっ、く、ふっ……、はは……、はははっ、ははは! ははは……っ! はははは! くっ……あはははは……!」


 ここまで旅路を共にしてきて、初めてラングが声を上げて笑った。笑い慣れない様子で空いている手で脇腹を押さえるくらい、全身を震わせてラングは笑った。その声に上階にいたエレナも驚いて駆け下りてきて、庭で薪割をしていたアーシェティアも手斧を手に玄関を飛び込んできた。アルは口を開いてそれを見ていて、ツカサも困惑し、モニカと何度も目が合った。一頻り笑い、それが収まればラングはシールドの中に手を入れ何かを拭い、モニカを見遣り、握っていた手をゆるりと離した。そうして、すぅっと深呼吸の後、ラングは立ち上がった。


「すまん」

「あ、いいえ」

「ラング、どうしたの? なんで笑ったの? 何があったの?」


 ラングが出ていく、と直感で思い、ツカサは素早くマントを掴んだ。本気で逃げるつもりならばこれも掴めなかっただろうが、動線にモニカがいたのが幸運だった。今目の前で起きた出来事に理解が追いつかない。これを逃せば一生尋ねる機会がないとなぜかわかる。玄関の前にアーシェティアが陣取り、二階への階段前にはエレナが、リビングの窓側にはアルが、正面にはモニカ、背後にツカサと、全員がじりっと陣形を組んで取り囲んでいた。唸るような息を吐いてラングは面倒そうな空気を醸し出した。


「ラング、今のままだと気になりすぎて、ツカサの結婚式どころじゃないぞ」

「ばかなことを……」


 アルが言えば、全員がこぞって頷く。その様子に改めて低く唸り、ラングはシールドの中に手を入れて眉間を揉んだ。これは観念したやつだ。


「……懐かしいことを思い出して、つい、堪えきれず笑っただけだ」

「すごい楽しそうでしたよね、びっくりしちゃった」

「いいわ、お昼ついでに聞き取りしましょう、お皿並べるわね」

「ラング殿、お掛けになっていてください。今更、逃亡はなしです」

「せっかくだし全部吐いとけ。なあ、コップこのへんの使っていいんだよな?」

「なんでもいいよ。背もたれの毛皮はその内ダンジョンで手に入れてくるからね」


 いい、とラングはベアドラドの銀の毛皮をばさりと掛けて、そこに座り、食事の準備を皆に任せた。一枚はラング、もう一枚はアルなので、それぞれが好きに使う分だ。輝く銀毛の上にどっしりと構える処刑人(パニッシャー)、悪い組み合わせではないとツカサは笑った。

 昼食はアルが買ってきたので肉がメイン。焼き串、焼いた肉の盛り合わせ、ソーセージにハムなど、塩分過多を感じた。さすがに彩もバランスも悪いので簡単にサラダや野菜スープを付け加え、いただきますを言った。


「それで、何思い出してたんだよ?」


 もぐもぐ、ごっくん、と腹を半分満たしてからアルが問うのはいつものことだ。ある程度腹が満たされないと話を聞く気にもならないらしい。かちゃ、と食器の擦れる音が収まり、自然、ラングに皆の視線が注がれる。小さな溜息、ラングは果実水の入ったコップに手を伸ばしながら言った。


「私の故郷では、私にただ元気でいることを求める者はいなかった」


 カタ、と手にしていたものが全て置かれ、ラングだけがコップを持っていた。


「生きろ、生き延びろ、死ぬな、と声を掛けてくれる者は居てくれた。だが、それ以外は私が()()()()()()()と思っている」

「ラングが処刑人(パニッシャー)だから?」

「そうだ。どのような窮地であっても双剣で振り払う。どのような罠であっても掻い潜る。たとえ目の前に百人の騎士を並べられても、最後に残るのは騎士の首が百個。……事実、私はそうしてきた」


 ぐい、と果実水が飲まれ、ラングの喉仏が動いた。こくりと小さな音を立てて流れたそれを見送り、再び視線はシールドに集まった。


「いつか言われたことがあった。パニッシャーはどこに行ってもパニッシャー、気の休まる場所などない、と。ただありきたりな日々が許される場所が、どこにあるのだろう、と」


 は、とツカサは息を吸った。ラングのシールドはゆっくりとツカサへ向けられ、そして薄い唇からふっと息が零れた。


「その場所はここにあるのだな。お前が私を導いた。たいした導き手(ギウデア)だ」


 ツカサはこういう時、どうしてもぼろりと零れる自分の涙が堪えきれなかった。


「だって、俺、ラングの導き手(ガイド)だからね」


 昼食の席は、大泣きし始めたツカサと釣られて泣き出したモニカと、さらに波状を受けたアルがぐすりとなってしまったりと、アルブランドー邸の温かで少し情けない、そんな日常の一幕は、大事なものとして皆の記憶に残るのだった。



次回は4/14です。

2話更新します。11時と17時です!


面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。

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