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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-82:ギルドラーは信頼が全てだ


 鐘が四つ鳴る頃、【ワダツミ】で合流し、【青壁のダンジョン】やスカイの海で獲れた海鮮を楽しんだ。ワダツミ、音だけですぐに理解ができなかったことが悔しいが、海神(わだつみ)なのだろう。刺身をはじめ食べなれた日本の魚料理から、カルパッチョやアクアパッツァ、パエリアなど、よく聞く有名な料理まで、多国籍な料理を選ぶことができた。ラングがなぜここを指定したのかわからなかったが、貝をじっと見ては食べている様子に、何か克服しているのだろうか、と首を傾げ、どうしたのかと尋ねた。


「ヴァンドラーテで海鮮を食べた時は、あまり味がわからなかった。イーグリスでいろいろと食べた今ならと思ったのだが」

「どう?」

「…よくわからん」


 笑い声が上がり、エレナが焼いた魚や野菜と蒸されたものなどを勧めていた。アーシェティアは元々海の女だ。久々にたらふく食べられる海鮮に黙々とフォークとスプーンが動き続けていた。イーグリスに来て和食を貪り食べたツカサなので、その気持ちもよくわかる。海の幸、山の幸、森の幸、そして肉。本当に恵まれた場所だ。

 その分、ここは狙われる。だからこそ、かつて不可侵条約を勝ち得たのだろうと思い至り、ツカサは酒を手にゆっくりと周囲の賑やかな雰囲気を眺めた。理想や夢では腹は膨れない。絵に描くだけでは実現しない。これは、その時の誰かが先を見て、足掻き、抗い、歩み続けたからこそ広がっている光景なのだと思った。


「いい指輪は見つかったの?」


 エレナに声を掛けられ、ハッ、と息を吸う。ちょっと飲みすぎじゃない? とモニカに眉を顰められ、そうでもないよ、と笑った。酒は強い方だ、まだ二杯しか飲んでいない。


「うん、幅はちょっと薄めで、ええと」

「作業してる時に傷ついたり気にならないように、宝石を埋め込む形にしてもらったの。綺麗なの、ツカサがヴァロキアで採掘した透明な宝石で!」

「あら、いいじゃない」


 そうだ、こういうのは女性に任せておこう。野郎どもと違って彼女たちは説明も上手く、お喋りなのだ。ガヤガヤとした声に負けないように声を出し、それぞれが別行動の間の話もした。

 ラングとアルは、アルが屋台を練り歩き、ラングは時折食事を押し付けられながら付き合ったらしい。どこか店に行かなかったのかと問えば、秘密、とアルがにかりと笑った。

 エレナとアーシェティアは宣言通り家具屋へ行き、アーシェティアの部屋を飾り付けるためのものを探したそうだ。故郷でも戦闘一本、身の回りのものも必要最低限で済んでいたアーシェティアは、何を選べばいいかがわからず、普段からは想像もつかない程挙動不審だったそうだ。


「何を買ったの?」

「ドアマットを」


 部屋に装備を置くスペースがあって、替えの服を置く場所があって、机があって椅子があってベッドがある。それだけで満足だというアーシェティアはふと、靴の汚れを部屋に持ち込まないため、モニカが玄関入り口に置いたドアマットを思い出したらしい。あれは自分の部屋を汚さないで済む、と考えたらしい。


「それで、海の色を。素敵な色だったんだ」

「いいじゃん」


 アーシェティアは少し照れた様子で礼を言った。まだまだこれからよ、とエレナとモニカに絡まれ、アーシェティアは口ではもういい、と言いながら喜んでじゃれ合っていた。

 不意に、ラングがことりとコップを置いた。酒を飲まないラングは白湯をもらっていたのだが、その中身は既に空のようだ。音が軽かった。【防音の宝珠】は使われていないのに、周囲と隔絶されたかのように、この席だけしんと静かな間が流れた。皆の視線を集めたラングの声が喧騒の中、静かに響く。


「ヴァーレクスとの決闘の日が決まった」


 ヴァーレクス、と誰が口にしたのだろう。まるで犯人捜しをするかのように視線が行き交い、不安げなそれが揺れていた。アルがコップを手に、さっき食べた料理の味を尋ねるくらいの軽さで聞いた。


「で、いつ」

「氷竜の月、十日」

「結婚式は居られるな。ならいい」

「よくないよ」


 あっけらかんと受け止めてみせたアルとは違い、ツカサは机の上で手を握り締めた。

 連絡までに時間も空いた。こういうことを本人以外にあの軍人たちが伝えないだろうと、少し考えれば思い至りそうなものを、ツカサは気づかないふりをしていた。もしかしたら、ヴァーレクスの気が変わってくれたかもしれない。もしかしたら、ラングが引いてくれたかもしれない。もしかしたら、ヴァンたちが奴隷紋を利用し、止めてくれたかもしれない。そんなたらればはいくらでも。自分に都合よく考えて、現実を受け止めないようにしていた。


「本当にやるの」

「それがあいつの望みだ」

「ラングは、望んでるの? ラングはどうしたいの?」


 常に問われる側だったツカサが、それを問うてみせた。ラングはゆっくりとツカサに向き直り答えた。


「実力を試したいと言われれば、受けて立とう。ギルドラーだからな」


 ギルドラーカードはいつでも死にますの証。ギルドラー同士の殺し合いに冒険者組合は関与しない。やるなら勝手に死ね。実力を試し、挑み、返り討ちにされるも勝手。それが常で生きてきたラングには断るという選択肢はないらしい。目の前にいる冒険者(ギルドラー)は既に覚悟を決めているのだ。

 歯噛みする思いだった。冒険者(ギルドラー)と冒険者が違うということは様々な場面で感じ、理解していたことだというのに、本人ではなく、こちらの覚悟が足りなかった。


「だから今日の散策を言い出したんだね。約束を守る人なのはわかってるけど、このところ、いろいろ詰め込んできたのは、そのためなんだね」


 体がぐにゃりと沈みそうになったのを、ぐぐっと堪えた。折れるな、堪えろ、受け止めろ。何度も掛けられたラングの言葉が、音を伴いツカサの中で響いたからだ。誰かに手を借りることなく、ツカサは体を起こし、胸を張り、顔を上げ、目を開いた。ラングが覚悟を決めてそれを受けたというのなら、もう何も言うまい。ただ、自分に技術を叩き込んだ二人の、恐らくどちらかが最期になるだろう戦いを、見届けなくては。


「どこで戦うの」

「【空の騎士軍】の軍師と隊長の立ち会いがある。場所はイーグリスの南、時間は早朝六時。街道から外れた場所、一部通行規制をしたうえで、場所を提供される。フェヴァウル領イーグリス管轄内になるので、シグレの許可もある、だそうだ」


 根回しをしないわけがないか。ツカサはラングのシールドの奥の双眸を見つめながら、じっと言葉を選んだ。ガヤガヤと賑わう飯処。防音魔法障壁や【防音の宝珠】を使わなくても誰かにこの会話が届いている気はしなかった。酒場で密談をする商人や闇取引はだからこそこういう場所が選ばれるのだろうか。ツカサは何度か唇を開き、舐めて渇きを癒し、声になるまでに時間を要した。誰も急かすことはなかった。すぅ、ふぅ、と大きく深呼吸をして、ツカサは言った。


「わかった」


 迷いなく覚悟を決めた声に、図らずも小さく息を吐いたのはラングだった。


「明日から、鍛錬の後に荷物整理を始めよう。先日の分配以外にも、別行動をしていた間の素材やドロップ品が多く残っている」

「そうだね」

「武器も多い、手入れはその時にも一つずつ教える」

「うん」


 仲間が、母が、妻がそこに居るはずなのに、なぜかラングと二人だけのような気がした。


「金は、私の分はお前にやる。故郷に戻れば不要だからな」

「大事に使うよ」

「水を溜められる石があっただろう。あれは一つ欲しい」

「いいよ、水魔法しっかり入れてから渡してあげる」

「それから、私が死んだら」


 ぴくり、指先が動いた。


「装備は双剣の一本をリシトへ、残りは全てお前に譲ろう。リシトへの譲渡は、アル、すまんが頼む」


 アルは答えず、ツカサは鼻の奥がツキンと痛んだ。大きく息を吸って肺の震えを誤魔化して、ゆっくりと瞬きをした。涙を堪えるように無理矢理笑みを作って、ツカサは小さく首を振った。


「俺はいやだよ、重すぎる。リシトさんにも恨まれるだろうし、ラングの武器をどう扱えばいいかもわからない。だから、それもまた教えてよ、そのためにさ…」


 ラングの人生を共に歩んできた装備の数々、それらはラングを生かし、ここまで来させたものだ。

 ツカサの人生でそれを背負うには荷が重い。もうわかっている、誰かに託した時点で、それは。


「勝てよ」


 精一杯の言葉だった。ラングはシールドの中で瞑目したのだろう、微かにそれが下へ角度を変え、三回ほど呼吸をおいて、再びツカサへ視線が戻った。


「一度として目を逸らすな」

「わかってる」


 じっと睨み合うように、互いの覚悟を確かめ合うような沈黙だった。先に息を吐いて席を立ったのはこちらもラングだった。


「少し出てくる。戻りは明日の朝か、場合により、夜になるだろう。鍛錬と、お前の持っている物の鑑定は素材を先に、金は分配を進めろ。アルは今日、かなり所持金を減らしている」

「バラすな、って、おい、どこ行くんだよ」

「軍師に了承を返しに行く」

「魔道具ないのか? 精霊に頼むとか」

「こういうことは、直接返すのが礼儀だ」


 マントを直し、双剣の位置を整え、ラングのシールドがゆっくりと席に残された五人を見渡し、テーブルに革袋を置いた。


「モニカ、そこの親子が深酒しないように見張っておけ」

「あ、はい! 任せてください!」


 喧騒の中、ただ一人音を纏わずにラングが店を出ていった。その背が見えなくなるまで見続けて、全員がゆるりと机に腕を置き、肘を置き、脱力した。


「相変わらず、融通の利かない人ね」


 白ワインのグラスを唇に当て、少しだけ含む。エレナはその後どう言葉を続けていいかがわからず、舐めるようにして飲んだ。おかあさん、お酒それでおしまいね、とエレナの背中を撫でてからモニカがツカサを振り返った。


「私、ヴァーレクス、さんのことをよく知らない。だからわからないんだけど、強いの…? ラングさんのことも、ツカサとの鍛錬くらいだけど」

「どっちも強いよ。でも、ぶつかって、戦って、どうなるのかがわからない。俺はどっちからも教えてもらったけど、あまりにも違い過ぎるから」

「それもあって、ヴァーレクスはラングにそそられてんだな」


 アルは、すみません、果実水五個、と手を振って店員に頼んでから会話に戻った。


「ツカサも話してただろ、ヴァーレクスの戦闘経験の幅が広いって。それでも、ラングみたいな戦い方をする奴そうそういないからな。わざわざ海を渡ってくるくらいだぞ、筋金入りの戦闘狂だ」

「アル殿はどちらが勝つと思う?」


 アーシェティアはズバリと尋ね、アルは腕を組んだ。そこに果実水が届き、手を渡っていく。


「心情としてはラング、実際のところはわからない」

「それはなぜだ? 私はラング殿と武器を交えたのは雨の日の一戦だけだが、あの方とは…二度と戦いたくはない。ヴァーレクスを知らないが、私はあの方が負けるとは思えないのだ」


 んん、と唸るアルに視線が集まり、少し気まずそうに果実水で喉を潤した。


「武器が逸らしにくいんだよね」


 ツカサがぽつりと言った言葉にアルが目を見開いた。


「ヴァーレクスの武器、タルワールだっけ。あれ、重心が少し変わってて、当て方によっては力を逸らしにくくて、指を持ってかれそうになる。俺はショートソードも短剣も鍔があるけど、ラングの武器にはないから、やりにくいと思う」


 ツカサとヴァーレクスの鍛錬を少しでも見ていれば、ラングはそれに気づくだろう。だが、手の内をお互いに見せない、見ないを彼らは自然とやってのけ、真摯に向き合っている。だからこそヴァーレクスもツカサの身についたラングの技術を叩き潰すような方法で教えたのだ。ツカサがラングの技術で避ければ、逸らせば、いなせば、それはヴァーレクスに有利となってしまう。


「ギルドラーなんだ」


 命のやり取りにどこまでも真剣で、だからこそ強い。一度瞑目、今夜何度目かわからない深呼吸をし、目を開く。にこりと笑い、ツカサは全員を見渡した。


「果実水、飲んだら帰ろうか。()()()深酒するなって言われちゃったし、帰り道で日本酒かワイン買って、家で飲み直すのはどう?」

「まだ飲むのかよ」


 アルの苦笑に釣られ女性陣も小さく笑う。持ち帰りできる肴も注文し、ラングが置いていってくれた革袋から代金を支払い、オレンジ色の明かりの下へ出た。首筋を撫でて通った風にぶるりと震えた。


「冷えてきたねぇ」

「スカイは雪、そんなに降らないんだよね? 来たばっかりの時もあんまりなかったし」

「そうね、最近はどうかわからないけれど」

「雪は良い、食糧の保存がしやすい」

「アーシェティアの故郷には魔道具なかったのか?」


 酒や肴を手に、話題はあちこちへと飛び跳ね、どこにも着地しないまま自宅へ戻った。最後に家に入ったツカサはそっと後ろを振り返った。今朝出た時とは違い、背後が少し寂しかった。



 【温泉ダンジョン】という名称はもはや誤解を招くだろう。近々周知される【旅人の温泉】の名が、早く広まればいい。それと同時、イーグリスに都市開発を依頼していることも公表されるので、シグレと、スカイ王国側の担当者は三、四年忙しくなるだろう。義務ではないが自助努力として、【快晴の蒼】もこの地を正しく伝え、協力は惜しまないつもりだ。


「まぁ、イーグリス学園の件と、これからのスカイとイーグリスの関係性と、あちこちに呼ばれるんだろうけど。今だけの平和も味わいたいなぁ、どこに冒険に行こうかな…」


 積み上げられて後回しにされていた草案のいくつかが今更議会で取りざたされ、いつ戻ってくるのだ、と何通か伝達竜が飛んできた。その全てに「恩人の結婚式に出席して新年祭(フェルハースト)を過ごす。その後休暇を取るので早くて四月頃。少しは自分で頭を使え。異論は認めない」と返した。功績を全力で盾にした形だ。年末には取り上げられるだろうが、現在、その肩に軍の全権があるからこそできることでもあった。国王陛下にも全く同じ内容を返送し、笑いを堪えたよれた文字で「ゆるりと楽しまれよ」と返ってきた。議会で小さく微笑み、好きにさせよ、とでも言ってくれたのだろう。その後誰からも催促が来ない生活は心穏やかでとてもいい。宰相である父から、年始には一度家に戻りなさい、と来ていたことだけは無視できない。議会でやり玉に挙がっただろうに、父は一身に盾になってくれただろうこともわかっていたからだ。それに、婚約者という名の妻の怒りが怖かった。機嫌は取らねばなるまい。

 ふと、風が囁いた。虫に気づいた猫のようにぴくりと動き、突っ伏していた体勢からのっそり起き上がったヴァンに、カードで賭けをしていたクルドとアッシュが驚いた。


「なんだ、腹減ったか?」

「さっきからぶつぶつ言ってて怖かったけど、どうした?」


 ほらおやつ、水飲むか、と甲斐甲斐しい二人に苦笑し、それらを受け取り口に運びながらヴァンはウィゴールを呼んだ。ふわっと天幕の中に風が吹いて、天井に吊り下げられたランタンが揺れる。


「ウィゴール、ラングの声、どの辺?」

「もう近いところにいるぞ、これから突破していいか? って聞いてる」

「あぁ、いや、止めて、止めて。面倒だから迎えをやるから、そこで待て、って伝えて」

「あはは! わかった!」


 ふっと風が吹いて消えた精霊に、きょとん、とクルド、アッシュ、ラダンがそれぞれ手を止めてヴァンを見ていた。シェイがちらりと本から顔を上げて言った。


「ラングが決闘の返事を持ってきたんだろ。おい、クルド、アッシュがイカサマしてるぞ」

「なっ! おいアッシュ! お前!」

「ばらすな! あぁいや違う違う、これは、次俺の番かなって思って!」

「ラダン、手続き書類進めてるところ悪いけど、ラングを連れてきてもらっていいかい?」

「わかってる」


 手にしていた書類を置いて、ラダンが天幕を出て外で指笛を鳴らした。あれは愛馬を呼ぶためのものだ。ヴァンはイカサマを叱られて賭けていた銅貨を取り上げられたアッシュに声を掛けた。


「ラングをヴァーレクスのところに案内するから、先に伝えてきてもらえる? 人払いしてほしい」

「わかった、護衛は必要か?」

「問題ないよ。僕も案内するだけ、少し二人だけにしてあげたくてね」


 わかった、と再び答え、アッシュは素早く天幕を出ていった。ヴァンはその後にゆっくりと立ち上がり、マントを羽織った。


「クルド、遅くなると思うけど保温ポットにお茶を淹れておいてもらえるかい?」

「おぉ、いいぞ。紅茶でいいか?」

「うん。それから、シェイ」

「防音魔法障壁は不要、だろ。どうせあいつが自分のを使う」

「うん、ありがとう。じゃあちょっと行ってくるね」


 おう、と仲間からの声を受けてヴァンは外に出た。風が冷たくなってきた。豊穣の秋はそろそろ終わり、緩やかな変化を伴って冬がやってくる。短いスカイの冬。空が特に澄み渡り美しく、そして寂しさを覚える不思議な季節。それは寒さが人を殺すからでもあり、寒いからこそ人肌が恋しくなる、生物的なものもあるのかもしれない。


「冬と春は、別れが多いんだよね」


 老いた友の死、留まっていた者の旅立ち。決して人が逃れられない運命。ふ、と自嘲気味に笑い、ヴァンは礼を取る部下に手を上げて親愛を示しながら目的地へと歩き続けた。

 少し離れた場所に置かれた天幕。既に人払いは済んでいて、見張りの位置は距離にしておよそ百ロートル、うん、良い位置だな、とヴァンは入り口の前に立ち、合流を待った。


「待たせた」

「いや、ちょうどだったよ」


 音も気配もなく隣に立ったラングに驚く様子も見せずにヴァンは微笑む。音はなくとも動けば風が揺れる。理使い(ナーラー)であるヴァンはそうした精霊の囁きでラングの位置を知れる。ラングは同じ種類に立ったからこそ、有用性も知り、不利も知った。


「提案された日時で了承を」

「わかった。ヴァーレクス、今、いいかい?」

「尋ねずとも」


 よいしょ、と閉じられていた天幕を押し開いて入る。机、椅子、ベッド、衝立。簡易的ながら衛生面に配慮がされていて、この独房は随分と快適そうだった。湯も与えられる好待遇、ちょうど湯あみを済ませたらしく、衝立の向こうでシャツを羽織っているところだった。湿った髪をそのままに衝立から出てきて二人の理使い(ナーラー)へ挑発を含めた礼をした。片方は優雅にそれを返し、片方は微動だにしなかった。


「何用です、パニッシャー」

「決闘の日時の了承だ。付き合ってやる」

「それは何よりの朗報。すみませんねぇ、椅子が足りないもので」

「僕は長居しないから問題ないよ。死体の片付けに手続きがあるから先に取り決めしちゃいたくてね」


 さらりと嫌味も受け流してヴァンは机に紙を広げ、一つだけの椅子に堂々と座った。ヴァーレクスはちらりとラングを見たが、そちらは何も気にしていないらしい。机に近寄り、その紙を覗き込んだ。

 遺体の処理方法、遺産の処理方法、遺書、生前の希望、など、どちらも死ぬ前提で作られた書類だ。興味深そうに、ほぅ、と声を漏らしたラングを見上げ、ヴァンは微笑む。


「これは特殊事例だよ。本来捕虜との決闘は認めていないしさ。特殊だからこそ、形式に倣わなくちゃいけないんだ」

「面倒なものですねぇ、で、これを埋めればよいので?」

「まぁ、そういうこと。君たち死んだら死体、どうしてほしい? 土葬? 火葬? それとも鳥葬? なんか希望の葬送があれば」


 聞き方など問題ではないらしい。ラングは腕を組んで顎を撫で、ヴァーレクスは腰の後ろで腕を組み、天幕の天井を見上げた。ヴァンは万年筆を手にゆっくりと言葉を待った。先に答えたのはヴァーレクスだ。


「私は土葬でお願いしますよ」

「遺産は? とはいえ君の資産はその身とタルワールだけだけど」

「それはすぐ決められませんねぇ、当日まで待たせても?」

「わかった、ラングは?」


 うぅむ、と珍しく悩むような声が聞こえ、そちらへ視線が集まった。


「…骨を、分けて欲しい」

「分骨、というやつかな? じゃあ、火葬?」

「ぶんこつ、いや、説明が難しいな」


 あぁ、と思い至った。単語や表現がラングの中にないのだ。土葬、火葬、鳥葬、それぞれがどういうものかを説明したが、いまいち通じないらしい。ふぅ、とヴァンは息を吐いて一先ずヴァーレクスの分を半分埋めた書類を丸めて片付け始めた。


「わかった、ラングの分に関してはツカサを間に挟もう。嫌とは言わせないよ、僕は君の故郷の言葉がわからないんだからね」

「わかった」

「書類の必要情報は見せたから、二人とも、当日までに内容は決めておいて」


 カタンと音を立てて立ち上がり、ヴァンはマントを直した。


「ラング、帰る時は精霊に声を掛けてもらえればそれでいい。ここで戦うのはやめておくれよ」

「あぁ、留意しよう」

「そこは、わかった、と言え」

「わかった」


 よろしい、とヴァンはようやく天幕を出ていった。残された二人は一瞬互いの間合いを測り、同時に警戒を解いた。ここで何か事を起こせば様々な意味で面倒だ。ヴァーレクスはベッドに腰掛け、長い手で椅子へ促した。ラングはマントを広げ双剣の位置を整え、座った。


「ただ了承を返すだけならば、ここまで来る必要はないでしょう。何用です?」


 ラングが【防音の宝珠】を叩き、ふわ、っと音が止む。ヴァーレクスは周囲を見渡した後、視線を戻した。


「神は来たか」

「…えぇ、来ましたねぇ。私が一度剣を向けた相手でした」

「ならば話は早い」


 ラングは膝に肘を置き、身を乗り出して切り出した。


「お前、何を願った?」

「貴様は何を?」

「お前には関係のないことだ」

「私だってそうでしょう」

「本当にか?」


 違うだろう、と言いたげな様子が腹立たしい。ヴァーレクスはふんぞり返って腕を組み、顎を上げた。


「…ただ私が私で在れるように、と。漠然とし過ぎていて困る、と返された。貴様との戦いまでの間で、明確にしろと言われている」


 ふん、とラングが鼻で笑った。眉をピクリと動かしてそれを睨めば文句を言う前に遮られた。


「イーグリステリアとの戦いの助力に感謝している。私からもお前に報酬をと思っている」

「決闘がそれに値すると思いますがねぇ?」

「正直な、私はお前との戦いを少し楽しみにしている。…私もギルドラーなのでな」


 ヴァーレクスはにやりと笑い、同じように膝に肘を置く。


「では、何を頂けるというのでしょうねぇ?」


 天幕の中、ラングの手がゆっくりと差し出された。


「ヴァーレクス、お前は死神の手を取れるか?」



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