4-71:麦踏み
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ヴァーレクスとの鍛錬が終わり、再び日常が戻ってきた。
あれから六日、スカイ王国内の警戒が解除、帰還許可令が出たこともあってダンジョンも一時の熱が冷め、以前と変わらない様子に戻りつつあるらしい。
ではダンジョンに行くかというところでヴァンから連絡が入り、不動産屋との約束の日を決めた。
曰く、家を決めておかないと結婚式の準備が進められないだろう、ダンジョン前にどうか、とのことで、あちらも手配を急いでくれたらしい。モニカからも進捗を尋ねられていたので助かった。明日にはお邪魔するよ、と切られた通信。どこに来るのか、エフェールム邸でいいのか、話終わりのすっきりしなさ加減に若干のもやもやを抱えラングに愚痴れば、さっさと寝ろと言われ、その日は寝た。
翌朝、ラングとの鍛錬で口の中を切り、血の味を改めて確認した後、朝食。食休みの後に自主鍛錬をするか、街に出るか悩みながら自室で汗を流そうと廊下を歩いていれば声を掛けられた。
「ねぇ、ツカサ。ちょっと話さない?」
びくりと肩が跳ねてしまった。外から窓枠に腕をかけて頬杖をついたヴァンが、穏やかな気候の中で微笑を湛えていた。
「っくりしたぁ…、なんでそんなところに?」
「驚かせようと思ってさ」
ひらりと窓枠を越えて中に入り込み、ヴァンが悪びれもせずに笑った。ツカサと共に歩きながらヴァンはガサゴソと掛けているショルダーバッグの中をあさり始めた。あれ、おかしい、ないなぁ、と最終的に諦めていたが、なにを探していたのだろう。
「家の話あるでしょ、その話をする前に、ちょっと差しで話しておきたいなと思ってさ」
「いいけど、家の話はモニカも同席してもらいたいな」
「もちろん。不動産屋が来る前に済ませよう」
「ん? 家の話もヴァンからじゃないの?」
「違うよ」
え、とお互いに足を止め、ヴァンは視線を右から上、それから左に動かしてハッとした。
「そうか、ごめん、言ったつもりでいたかも。不動産屋は僕の友達なんだよ。そういう友達を紹介するとは言わなかったね」
「俺もすっかり、ヴァンがそういう仕事もしているのかと思ってた。紹介するよ、僕でした! もあるかなって」
ごめんごめん、と笑ってツカサは背を叩かれ、ヴァンを伴って自室に戻った。シャワーを浴びる時間をもらい、風魔法で髪を乾かして戻ればお茶の支度が整っていた。エフェールム邸の気遣いに感謝しながらまずは紅茶を一口。すぅっと深呼吸、鼻から抜けていく緑茶のような少し青い香りがした。茶葉の鮮烈さを感じる、ツカサの好きな種類の紅茶だ。これを選んでくれた気持ちが嬉しかった。
「あの時とは違うね、リラックスしていて、余裕があって、いい感じだ」
紅茶から視線を上げればヴァンが少しだけ試すように笑みを浮かべていた。カチャリとティーソーサーにカップを戻し、ツカサは同じように笑ってみせた。
「少しは成長したかな」
「とてもすごい成長だと思う。君は本当に、麦のような男だよ」
素直に褒められ照れくさい反面、今までのことから本心かどうかを疑ってしまい、それが視線に表れたのだろう。ヴァンが苦笑して言った。
「僕だって若者の成長を喜ぶんだよ。君がこの席にラングも、と言わなかったことを、心から称賛したい」
あの日、ラングの同席があった方がいいのかも、と思い探し回ったことを知っているのだ。それもそうか、この人は精霊と懇意な理使い、それもこの世界にたった二人しかいない、総称ではなく本物だ。ふわっと風がカーテンを揺らした。秋に入りかけの風は温く、冷たく、混ざりあった不思議な温度は季節の移り変わりを知らせてきた。ほんの僅か、不安を感じるのは季節柄の変化を感じ取ったからだろう。人により気の浮き沈みがある季節だ。現実逃避を終えてお互いに視線を合わせた。
ぎし、とソファを鳴らしてヴァンが体の真正面を向け、ツカサもそれに倣った。目の前の男は冒険者でもなく、軍師でもなく、形容のし難い空気を纏ってそこにいた。
「今から話すことは、ラングも関係ない、君自身にかかわる話だ。君はもう、一人で受け止め、選び、決められるだろう」
爽やかな春風のように優しい声の中、厳格な重みを感じた。複雑な感情を受け止め、ツカサはゆっくりと頷いた。
「今後、【変換】は使ってはならない。神が目をつけている」
ごくりと喉が鳴ってしまった。何度も、丁寧に、目の前に試練を用意され、その度にツカサが【変換】をどうするのか見極めようとした人だ。こうして直接釘を刺されたのは、ツカサがこの男の信頼を勝ち取ったからだとわかった。
そこまでを理解したとヴァンはわかったのだろう。満足気に頷き、自分の右目を指し示した。
「君、右目、白い中に金が混じり始めてるだろう? それは全ての理の神の眼だ」
「これが? なんでそんなことを知ってるの。会ったことがあるんだ?」
「そう、僕はあの人の頬を殴ったことがあるからね」
どういう状況でそうなったのかが理解できないが、この人ならやりかねないとも思った。よく殴れたね、殴った後が大変でね、と少し脱線を挟んで緊張を解し、ヴァンが膝に肘を置いたのを合図に本筋に戻った。
「これから話すことは憶測だ。けれど、ラングが戦闘や危機に関してその勘を外さないように、僕はこういった神にかかわる事象や不可思議なことについての勘は外さない」
「うん、そうだね、【黒のダンジョン】も正しかった」
イーグリステリアの行動に予測を立て、手段や策を講じ、提示してくれた。憶測だけどね、と言いながら披露された知見に驚いたことを思い出す。あの激闘がもう一年も二年も前のことのように思えた。
ヴァンは速さに気をつけて、言葉を紡いだ。
「君の【変換】は本来、人が持つべき力ではない。【変換】を使う度、君は無意識にその力を行使できる体に、自分自身を【変えて】いっているのだと思う。生きるための本能だ。でも、それはつまり、ヒトではなくなるということだ」
「神が目をつけてるって、そういうこと?」
ヴァンはゆっくりと頷いた。
やろうと思ってやっていることではないが、最終的に辿り着くのはイーグリステリアと同じということだ。やがてこの身が力に耐え得る体へと【変換】されれば、イーグリステリアのやりたかったことがツカサにもできるようになる。事実、あの黒い雨という人の命の集合体をツカサは自分の望み通りのものへ【変えた】。空気に触れながら【変える】ことにもコツを掴んだ。それをやってしまえば世界はあっという間にツカサにとって都合のよいものに【変換】されるだろう。そう思い至り、ゾッとした。
今以上にこの力の扱いは気をつけなくてはならない。ツカサ自身が世界の敵にならないよう、律し続ける必要があるのだ。
だというのに、ヴァーレクスに【変換】を使おう、と言ってしまった。ヴァーレクスが止めてくれなければ、今こうしてヴァンと会話もできていないだろう。
魔法障壁があろうと、それを簡単に打ち砕く師匠が相手側にいる。剣技だって、するりと手足を斬り落としてくる剣士がいる。斥候に長けた男も、知識のある男も、そして、なによりこの身に触れる理の全てに通ずる男が、目の前にいる。
つぅっと汗が流れた。湯上りの汗か、冷や汗か判断に困り、拭うこともできずただ膝の上で手を握り締めた。ツカサの反応をじっと見定めた後、ヴァンは殊更に明るく笑ってみせた。
「まぁ、あの事変で君のそれに頼ってしまった手前、僕もあまり偉そうことは言えないんだけどね。今後、使わなければ大丈夫。君は、君として在ればいい」
「はい」
鍛えた剣の切れ味を試すように。自身が在りたいように在れているかを確かめるように、そうして壁になって、鍛錬の相手になってくれる人がいることのなんと幸せなことか。
ラングが育てることに秀でているのならば、この人は導くことに秀でているように感じた。
「恵まれてるなぁ、俺」
ぽつりと呟いた言葉に眩しそうに目を細め、ヴァンはクッキーを齧った。さくっと鼓膜に届いた音に食べたくなってツカサも摘まんだ。
「君は確かに恵まれているけれど、ラングが、僕らが君とこうしているのは、君が掴み取った縁だ。そこに少しばかり神様の計らいはあったかもしれないけど、それを生かしたのは君だからね」
導き手と呼ばれたことを思い出し、そんなこともあったなと感想を零した。あの時は自分にそういう役回りがあることを喜んでいたが、実際生きていればどうでもよくなるのだから驚いた。なんと呼ばれたところで、結局ツカサはツカサなのだ。ねぇ、ツカサ、と名を呼ばれ顔を上げる。ヴァンは少しだけ厳しい声色で言った。
「気づきもしない、反省もしない、成長しようともしない者に僕は時間を使うことはない。恐らく、今までの様子を見るにラングもそうだろう」
ツカサはこれにも頷く。ツカサが鍛錬を怠るようなタイプであれば、ラングはここまで技術を教えてはくれなかっただろう。
「僕らの生は限られている。時間の使い方は限られている。ただ、少し矛盾したことを付け加えるけれど、そういう人と関わったからといって時間の無駄で終わるわけじゃない」
言葉の意味を測りかねて首を傾げればヴァンは微笑を浮かべ、続けてくれた。
「小さなこと、大きなこと、出会いや別れ、感じたくもない不快感、悔しさ、怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、感動…。様々なかかわりの中から、なにかの気づきは得られる。それを見つけられるかどうかが大事なんだ。その瞬間、その時間、君が過ごし、かかわった人々。そしてこれから進む道全てに、無駄なことはなに一つないんだよ」
まぁ、とは言っても嫌なものは嫌なこともある、とヴァンは苦笑も浮かべた。
振り返れば、思い当たることはある。痛い思いも、怖い思いもした。理不尽な目にも遭った。出会いと別れも経験し、再会も経験し、そこに変わらないものがあることも知った。納得がいかないことに異を唱えもした。自分の力が及ばず悔しい思いもした。仲間と囲む食事の温かさに幸せを覚えもした。
見てきた旅の風景が、風が、香りがぶわりと蘇る思いだった。
ツカサが遠い風景を見ているのもわかるのだろう。ヴァンは紅茶を一口飲み、意識を呼び戻すように、美味しい、と言った。ツカサはソファの尻の位置を直し、小さく何度も頷いた。
「…なんかわかるよ、確かに、いろいろ見つけた気がする」
「ふふ、君がそれを胸に、頭の片隅に置いておいてくれるなら、今後も大丈夫だろうさ。でも、君は少し人の言葉を素直に受け取りすぎるきらいがあるよね」
「そうかな?」
「そうだよ、あの日、君を叱咤激励する役を引き受けはしたけど、あんなに落ち込むと思わなくてさ、焦ったんだから」
だったらもう少し手加減してくれてもよかったのではないか、と文句が喉まで出掛かって、ぐっと堪えた。
あの時は本当に凹んだ。その後ラングと話す暇もなくヴァンたちと行動を共にし、気まずい思いもあった。今はもう思惑にも気づき、自分の糧とできているはずなので許してやってもいいだろう。尊大に鼻息を吐いて腕を組めば、おやおや、とヴァンは大きな声で笑った。
暫くただの雑談としてヴァンの考古学の知見を披露してもらっていれば、ドアがノックされた。はい、と声を掛ければモニカがそろりと入ってきて、ヴァンにぺこりとお辞儀をした。
「こんにちは、ヴァンさん」
「やぁ、モニカ。お邪魔してるよ」
どうしたのかと近寄れば、モニカから家のことで呼んでると言われたのだと聞かされた。ふわっと風がカーテンを揺らして抜けたように見え、ツカサは話している間にヴァンが呼んだのだとわかった。風が誰かに伝え、それをモニカに、だろうか。
モニカをソファに促せば代わりにヴァンが席を立った。目を瞬かせれば、ヴァンがぱちりとウインクをした。
「家のことは不動産屋に任せるよ。僕は少し昼寝をしてから戻るつもり」
「猫のように日向ぼっこして?」
「あはは、そう、猫のようにね」
ぐぅっと伸びをしてからヴァンはツカサの肩を叩いた。
「ティリ・カトゥーア、僕からシェイに返しておくよ。もう、必要ないから」
試練は終わり、あとはツカサの理性に任せる、ということか。少しでも変な動きを見せれば首を狙われるだろうが、そうした事態にはならない、させない、とツカサは心の中で誓った。左耳からティリ・カトゥーアを外してヴァンの手に載せれば、よろしい、と尊大に言われ、笑う。
ティリ・カトゥーアを腰のポーチに仕舞い、ヴァンはツカサの肩にもう一度手を置いた。
「ツカサ、もう一つ覚えておいてほしい」
「なに?」
「こどもというのは、人というのはね、【第三の大人】というものが必要なんだよ」
どういう意味だろうか。モニカも困惑しながら、二人の会話の邪魔にならないようにそろりとソファに座った。
「僕はこの力のせいで幼い頃、同じように膨大な魔力を持って、化け物扱いされていたシェイ以外と、友人関係が築き上げられなかった。でもね、僕が軍師を目指したのは、僕にとって【第三の大人】であった人が、軍師だったからだ」
憧れたんだよ、と続いた言葉は分かる気がした。
ヴァンは言った。家族以外に頼れる誰かがいることは、幸運なのだと。ただの子供として扱ってくれた軍師は、悔しければお前に戦い方を教えてやると言い、その力を生かしながら戦える術を気づかせてくれた。俺にはできないが、お前にならできる、と力ごと認めてくれた他人がいたからこそ、ヴァンは腐らずに済んだのだ。
「ラングも同じだ。出会った【第三の大人】が悪人だったら、あの人、今あんなふうに生きてないでしょ。まぁ、悪人として最強最悪だった可能性はあるけど…」
「考えたくないね…」
二人苦笑を浮かべ、三度目、ヴァンがツカサの肩を叩いた。
「一人に絞る必要はないけど、君にとっての【第三の大人】は、間違いなくラングだ。ただ、これからは君が【第三の大人】になっていくことを忘れないで。…誰かを教えるというのは、そういう片鱗も少なからず持つんだ」
は、と小さく息を吸った。冒険者を育てるという職を得るにあたり、これはヴァンからの激励なのだ。一度瞑目、深呼吸をしてから真っ直ぐにヴァンを見た。
「自分の言葉と行動に、覚悟と責任を持って生きていくよ」
「期待してるよ」
ぽんぽん、と両手で二の腕を叩かれ笑ってみせた。
「でも、まさかヴァンから教育論を語られるとは思わなかった」
「教壇に立っているのはラダンだけじゃないってことさ」
ふふん、と思わせぶりに笑い、ヴァンは扉を開け、出ていきながら身を反らして手を振り、無邪気な笑みを浮かべた。
「僕はスカイ王国軍事関係者一万人の頂点だよ? 人の上に立つ者として教育関連は一通り修めて、実際にやってるよ。若造だからって舐められてたまるか」
またね、と昼寝に向かうヴァンの声、ツカサは呆気に取られて口を閉じるのを忘れ、モニカがよくわからないけどすごいんだね、と呟いた声に、そうだね、とどうにか返した。
ツカサは様々な武器を持つことのかっこよさを、その片鱗の出し方の上手さにじわりと感動を覚えていた。
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