4-68:あの日、自由になった剣
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ヴァーレクスはあの日、自爆魔法で焼けた大地で対峙した男の発したその言葉が、自らの胸を鋭く突いたあの切っ先のような感触が忘れられなかった。
女神との大規模な衝突をみせたオーリレア南部。先制攻撃を仕掛けに前に出た魔導士は、狙いすましたかのように設置されたなにかを踏んで爆発、そのまま自爆魔法が発動した。爆風は自分を避けて通るが、ただ見ているだけでもその威力は驚くものがあった。大地がジジ、と音を立てて黒く焼けていくのも、耳の横で鳴るバチバチと何かが燃え、弾ける音も、聞いていて気持ちのいいものではなかった。これをあの女が仕込んだのかと思うと、この身に纏わされた力にも思うところはあった。
敵の攻撃だと気づいてもう一人が手を組み合わせ、その体を女神に捧げようとしたところで深緑の影が接敵、あっという間に意識を奪った。それをただ眺め、あぁ、と背筋が高揚に震えた。
瞬時の判断、迷いのない一撃、美しい技術。そして、感情を持たない男の動き。惚れ惚れするものがある。わかるか、この喜びが。
こちらを認識するとふぅ、と一つため息は吐かれはしたが、こうして真正面から対峙すればあの日のように逃げることはない。ゆっくりと両腕を広げ歓迎の意を示せば、オトした魔導士を置いて双剣の柄に腕を置いた。わかっている。そうだ、まずは会話を楽しもう。恍惚と笑んでみせれば相手は肩を竦めた。その後ろから邪魔者が走ってきて、享楽が失せていく。違うだろう、パニッシャー。お前は誰かと群れるような男ではないだろう。
その時、ふわっと周囲を包む空気が変わった。いっそ息がしやすい心地良さもあった。
「ええい、魔導士がなぜ向こうにいるのだ」
こちらもどすどす足音を立てて追いつき、背後から苛立たしげに吐き捨てる老人に興が冷める。せっかくの再会だというのに邪魔ばかりが入る。このタルワールをもってしてパニッシャーの剣技を受け、しのぎを削り合い、最後の血の一滴まで燃やし尽くすように享楽に耽りたい。この男とならできる。あの日の追いかけっこはヴァーレクスの心を掴んで離さなかった。
「パニッシャー、外野は放っておいて、やりましょう」
「そうしてやりたい気持ちはあるのだがな、どうもそうはいかないらしい」
ほう、と眉を顰めればパニッシャーの仮面はわかりやすく様々なものを指した。足元の気絶した魔導士、パニッシャーの背後の男たち、そして、ヴァーレクスの背後の老人。最後にゆるりと仮面の向こうで双眸がヴァーレクスを捉えた。
「なぜそこに立った」
「そことは?」
不思議な問いかけに一瞬理解が及ばず問い返した。パニッシャーは双剣に腕を置いたままじっとこちらを窺い、言った。
「差しで話す必要がありそうだな」
「奇遇ですねぇ、私も同じ考えですよ」
「なにを話しているのだヴァーレクス! 早く殺さんか! それが貴様の仕事だろう!」
わかっていますよ、とにんまり笑うヴァーレクスとパニッシャーを風魔法が包み、ぶあっと大地から足を浮かせていく。司祭の風魔法だ。手強い敵は引き受ける、飛ばせ、と言っておいたことを覚えていたことをヴァーレクスは胸中で褒めてやった。パニッシャーについていた虫たちは声を荒げた。
「ラング!」
「ほっとけ! ヴァン! ツカサの方が不味い、一直線に目指されてる!」
「後で追いかける、行け」
「絶対だぞ、ラング!」
銀髪の魔導士の魔力が剣士二人をそこに留めていたが、パニッシャーの言葉にその魔法を解除した。ごおうと風の音を立ててマントを揺らし、悠々それに促されて遠く離れて行くパニッシャーに背を向けて金と銀は駆け出し、黒髪は倒れている魔導士を担いでから走りだした。
見えなくなっていく仲間の背を見遣りながら、パニッシャーは魔力の風が薄れれば、すぅっと降り立った。距離にしてそう離れることはなかったが、それでもパニッシャー一人に対しこちらは複数、一応の四面楚歌だ。
目の前のヴァーレクスだけではなく、まとめて移動をしてきた司祭である魔導士ヴォルデイア、暗殺部隊の者たち。目の前に並んだ錚々たるメンバー。いや、それでもパニッシャーにとってはやはり面倒なのは自分だけで、他は雑魚に過ぎないだろう。ゆったりとした立ち姿は一見すると隙だらけだが、あの夜のように攻め込める隙がなかった。
「手出しは不要です、ヴォルデイア」
「そのつもりだ。穢れし者め、今ここで粛清されるがいい!」
肉のついた腕が振られ、ヴァーレクスを嗾ける姿をパニッシャーは微動だにせず眺めていた。タルワールを抜いたヴァーレクスはゆっくりと足を進め、最高の敵の元へ近づいていく。剣の間合いにあと十歩かどうかというところでパニッシャーがざっと片足を大きく引いた。体を半身に構え、すぅ、はぁ、と長い一呼吸を入れ、場の空気が突然重くなった。ヴァーレクスは一瞬自分の全身を叩いて駆け抜けた威圧に目を見開き、にやりと笑った。ここまで来てもパニッシャーの存在に殺気はない。その剣でこの首が落とせるのか見てみたい。
タルワールを地面すれすれまで下げてヴァーレクスは駆けだした。一歩、二歩、三歩、速さをぐんと上げていけばパニッシャーの仮面が僅かに下がり、構えたのがわかる。一撃で決まるかもしれない、と心地よい緊張感が走った。ひゅ、とタルワールを持ち上げ、振り下ろし、パニッシャーの反撃を待った。狙った位置にタルワールは入った。だが、パニッシャーは剣を抜かず、ざっと前に出てヴァーレクスの脇を素早く抜けた。振り下ろしたのとは逆側に深緑のマントが揺れ、返す刃でその影を追った。肘、腕、手、タルワールと順繰りに繰り出す一撃を軽く手で撫でるようにして受け流され目を見開く。まるで抵抗を受けない水のような動き、殺気がないのでそもそもわかりにくいが、ヴァーレクスに対し体の向きを一直線にして死角を減らし、回避しやすくしただけなのだと気づいた。戦闘意思がない。なぜだ。
「パニッシャー!」
「なぜそこに立った」
「会話ならばこの剣で話せるでしょう、構えろ、パニッシャー」
「女神の剣、ペリエヴァッテ・ヴァーレクス」
雪のように静かな声を掛けられ、ヴァーレクスはタルワールを横に下ろした。ふっと場を重くしていた威圧は消え、先ほどとは空気が変わる。ゆっくりと向き直り、深緑のマントを揺らすパニッシャーは先ほどとは違い隙だらけの姿を見せ、ヴァーレクスのやる気を削いだ。丁寧に戦意を砕かれたヴァーレクスは面倒そうにタルワールを背に戻した。
「ヴァーレクス! なにをしている!」
「ヴォルデイア、少し静かに願えませんかねぇ。タイミングというものは、私たちのものですのでね」
「なにを意味の分からんことを! さっさとその穢れを払い、マナリテル様の下へ参るのだ!」
剣士二人からじろりと視線を向けられ、それでもヴォルデイアは叫んだ。
「魔導士の世がついにくるのだ! 魔力を妬み、蔑み、穢れた者たちが淘汰された平穏な世界が我々を待っているのだ!」
またうるさいことを、と眉を顰めたヴァーレクスの視線をパニッシャーが呼んだ。
「お前はなにを求めてマナリテルと共にいる」
「強者との戦いですよ。宗教は大きくなれば敵ができる。それを狩り、嬲り、楽しむことが私の目的。その中でも貴様は最高の鼠だ、パニッシャー」
ふむ、とこの状況下でも自然体を貫ける度胸にいっそのこと感心した。それと同時、まるで相手にされていないということがわかり腹立たしい。ヴォルデイアが叫び続ける中、パニッシャーの声は不思議な音でヴァーレクスに届いた。
「魔導士の世、というのは、どういうものなのだろうな」
「マナリテル教が正しき道を教え、魔導士の地位を確固たるものに、世界に安寧をもたらすものだ!」
「どうやってそれを実現するという」
パニッシャーはいったいなにを探ろうとしているのだ。その意図が気になり、ヴァーレクスは問われた先であるヴォルデイアを振り返った。ヴォルデイアはゆっくりと両腕を上げ、神託をうけたかのように恍惚とした表情で言った。
「変えるのだ、全てを。創りなおすのだと我が女神は仰った、素晴らしいことだ」
ヴォルデイアの言葉に僅かに眉を顰めた。戦い続けられる場所を用意するとは言われたが、つくりなおすというのはどういうことか。パニッシャーはほぅ、と感嘆するような声を、敢えて大きな音で出した。
「創りなおすというのがいまいち私にはわからんが、それは今あるものを変えるということだろうな」
「ふん、穢れし者にしては勘のいい。そうだ、全ては魔導士による安寧の世のため、我が女神の愛する者たち、我々のための世界!」
一人、酔いしれた様子で胸の前で手を組む老人に狂気を感じたのは初めてではないが、ヴァーレクスは聞いたこともない話にもう一度眉を顰めた。いや、今まで、確かに強者との戦いを提供されていたがゆえに、深く考えてこなかったことかもしれない。パニッシャーはその迷いに風を吹き込んだ。
「全てを創りなおす、それは、今生きている者も全てか」
「左様、我が命も、我が主のために」
ふぅ、とパニッシャーはため息を吐いてヴァーレクスを見遣った。仮面の下の視線はわからないが、横顔を眺められているのを感じ、そちらを向いた。こてりと傾げられた首、言外に知っていたのか、と問われているのがわかり、肩を竦めた。その流れでヴァーレクスはヴォルデイアを振り返った。
「ヴォルデイア、私は聞いていない話なのですがねぇ」
「案ずるな、貴様のことも新生の世界で、改めて創りなおしてくださる」
もやりと胸に、頭に違和感が走った。崇高な思いを語り続ける老人を前に、ヴァーレクスはじりっと焦燥を感じ、拳を握り締めた。つくりなおされる、私が、とヴァーレクスの声のない疑問に再び風を吹き込んだのはパニッシャーだった。
「私はお前と刃を交えたのもあの一戦だけだが、それでいいのか」
問われた一言の真意を測りかねた。延々と語り続ける老人から視線をパニッシャーへ戻し、ヴァーレクスはその黒い仮面を見据えた。遠く響く轟音も鼓膜を揺らしていたが、パニッシャーの静かな声音の方が大きく聞こえていた。
「お前は、少しだけ私の師匠に似ている。人に扱われることに慣れていて、自分の考えが薄い」
「貴様の師匠とやらは知らないが、何が言いたい」
「お前のやりたいことを手放すな」
パニッシャーはゆるりと手を上げ、ぐっと握り締めた。
「己の願いや理想を実現できるのは己のみ。それを他者に委ね、甘えた時点でそれはお前のものではなくなる。お前が他者にそれを委ねたのならば、他者の描く未来に、今のお前を、理想のお前を期待するな」
さくり、となにか鋭いものが刺さったような気がした。同時、ぞわりと背筋を走ったものはなんだったのだろうか。ヴァーレクスはゆっくりとパニッシャーに向かって歩いていき、自身よりは小さいその体の前に立った。物理的には小さくとも、その存在が大きく感じるのはなぜか。
「…私が、私の生き方を他者に委ねていると?」
「そうだ」
はっきりと告げるパニッシャーに目を細める。握り締められたパニッシャーの腕は迷いなく伸びてヴァーレクスの胸板を叩いた。もしここに短剣でもあれば死んでいる。自分でそれを許したことに驚きながら、ヴァーレクスはその腕の先、黒い仮面を見た。言葉を発する前に凄まじい熱風が背中を叩いた。どこかで女神の下僕が死んだか、自爆したのだろう。ここまで届くその余波にもはや呆れながら、ヴァーレクスはその長い腕を横に広げた。意図は通じた。パニッシャーは腕を下ろすと一歩ヴァーレクスに近寄り、女神の剣を盾に立った。爆風はヴォルデイアのうるさい口上も遮り、ここに二人だけの時間を用意してくれた。
「なにかを変えるということに、その力に、触れる機会があってな」
守らせておきながら悠々と腕を組み、ぼやくように言うその言葉に視線だけを下に向けた。
「お前が心底で考えている望みは、正しく人に通じることはないだろう。結局、創りなおす、変える者の望み通りになるだけだ」
「貴様は、あの女についていれば私が私ではなくなるというのだな」
「ほぅ、思ったよりも物分かりはいいらしい」
腕を下ろしてやろうかとも思ったが、好敵手を失うことと苛立ちの天秤で、秤は決まった方に傾いた。ここまで築き上げてきた技術がどう変えられるのかがわからず、確かにそれはいやだと唸った。背中を叩いていた爆風が突然止み、ふわっと舞いあげられた風花のように雪が散り、黒く焼けた大地をしゅわっと冷やし、水蒸気が視界を邪魔した。土の焼ける臭いは焦げ臭くて堪ったものではない。しゅうしゅうと音を立てて立ち込める水蒸気の臭いもまた、息がし難く厄介だ。パニッシャーはそれも意に介さず淡々と尋ねた。
「それで、どうする。ヴァンドラーテの件など責任を取らされるだろうが、私との戦いは得られる」
「与しろと?」
「そうだ」
正直なところ、この男と戦える確約があるのならば願ってもないことだ。先ほど見せられた回避術などを見るに、本気で行方をくらまされれば追うのが大変だと感じた。この最高の敵に逃げられると考えれば、腰の上あたりにぞわりと悪寒が走った。剣筋、立ち居振る舞いから約束を違えることはないと確信もある。だが、ヴァンドラーテの件とはなにか。
「ヴァンドラーテの件とは?」
「暗殺部隊はお前の部下ではないのか」
「違いますねぇ、ついていきたいと言うので、勝手にしろと答えた覚えはありますがね」
はぁ、とパニッシャーがため息を吐いたところで、再び背中側で爆発を感じた。おや、と後ろを振り返ればなにか圧のようなものがこちらへ飛んできていた。っく、と小さな音に顔を戻せば、パニッシャーが吹き飛ばされかけていたので再び腕を広げた。女神の加護はヴァーレクス自身は守るが、その傍にいる者を正しく守りはしない。イラっとした。女神の加護を得た者たちのせいでこの鼠が殺される。それはあってはならないことだった。ヴァーレクスにとっては裏切りにも等しい。すんなりと心が決まり、ヴァーレクスは問うた。
「パニッシャー、まずはなにをすれば?」
「覚悟は決まったのか」
「覚悟もなにも、私は私の獲物を横取りされるのが嫌なだけですよ」
「そうか。先ほどの奴らと合流を果たすところからだ」
まずはこれをどうにかせねばならん、とパニッシャーの指し示したものはヴァーレクスを避けて通る謎の圧。ヴァーレクスが先頭を歩いて抜けてもいいが、面倒は面倒だ。鼓膜を圧迫させるような重いものに混じり、老人の怒声が聞こえ、思いついたことがあった。
「盾を用意してやりましょう」
ふわっと感じていた圧が消え、花びらが舞い散る。先ほどからなにが起こっているのか不思議でならないが、そこに感動もなにも覚えなかった。ヴァーレクスの体で隠れたパニッシャーを視認することができなかったのか、ヴォルデイアはがなり立てながらこちらへのしのしと向かってきた。
「ヴァーレクス! 奴は死んだか! まったく、あれではシュンが失敗したも同然ではないか、あの魔力圧は女神様が、おい、なぜそいつが生きて」
「ヴォルデイア、まず一つ裏切りの代償になっていただきましょう」
なに、と不機嫌な表情を浮かべたその老人の首がぽんと飛んだ。パニッシャーは爆発に備えたが老人は白い司祭服を赤く染めながらゆらゆらと揺れ、どさりとその身を焼けた大地に倒した。新生の世界はあの世で見るがいい、と胸中で吐き捨てた。
「私とヴォルデイアに与えられた加護はかなり初期でしてね、あの爆破魔法はついていない」
落ちた生首を拾い、ヴァーレクスはそこになんの感情も抱かずに言った。
「その体を使えば、盾にはなるでしょう」
言われたパニッシャーは老人に近寄るとぐっと掴み、一度なにかに仕舞ったように見えた。そこから取り出し、運べることを確認して立ち上がる。人のことを言えた義理ではないが、やはりパニッシャーは同じような人種だと思い、にんまりと笑みが浮かんだ。
生首を持ったままのヴァーレクスを振り返り、パニッシャーの深緑のマントが風に揺られ、声がした。
この世界を根底から変えて創りなおすの、私の箱庭をもう一度
大掛かりな目的だ、生きている人たちはどうするつもりだ
変えるのにも力が必要なんだもの、一回みんな私の中に入れてあげる、私のものに変えてあげる。私がちゃんと神に収まってから、そのあとに創りなおしてあげる
「…だそうだ」
「…一応、ご本人に確認はしますがね」
この声を運んだものがなんなのか、これも答えはわからない。だが一つ、確実な真実があった。
道は違えた。
ならばもう、どこに行こうと、なにをしようと、誰と戦おうと自分の勝手だ。強敵という意味でならあの女もまた、美味しい獲物であることに変わりはない。
人に扱われることに慣れている? 自分の考えが薄い?
ならば見せてやる。この剣をもってして、我が存在を証明してみせよう。
ヴァーレクスはその日、自身を縛っていた枷を外し駆け出したことを、今はまだ知らなかった。
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