4-60:英雄譚は
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エミス時歴七九八八年、オルト・リヴィア大陸において大きな事件があったとされる年だ。
オルト・リヴィア最大の国家、スカイ王国を中心に天変地異が発生、多くの命が犠牲となり、また、多大な混乱と不安を与えた出来事だ。
スカイ南部に位置する村々は村民を失い、混乱に乗じた盗賊や山賊に奪われた命も多く、国は軍備体制の見直しも行った。また、オーリレアでは精霊の怒りか街の名物でもあった小麦畑が焼き消える出来事もあった。黒い雨が降り注いだこともあった。
だが、それと同時、小麦が降り注ぎ花が舞ったこともあり、もしや再生の象徴なのではないか、と人々は小さな希望にその手を伸ばし、縋りついた。オーリレアでは以降、毎年その時期になると花祭りが行われるようになった。
元々、家々の目印に花を育てていたこともあり花びらを集めることは容易だった。あの日、花びらが空を舞う美しい光景は、恐怖に怯え先行きに不安を覚えていた人々の心を救ったのだ。オーリレアの花祭りは人々を呼び、小麦を使った料理や菓子は街を復興させるための名物となった。
もう一つの大きな出来事として、誰もがダンジョンの誕生を口にするだろう。
百五十年発見されなかった新しいダンジョンが突如現れたのだ。冒険者たちが意気揚々と攻略に赴き、幾人かが犠牲となり、そして崩壊、再生とダンジョンは不思議な挙動を見せたという。
そのダンジョンは最終的にはなぜか温泉街になるのだが、そこに至るまでには多くの物語があった。
功績も、名も残らない英雄たちはそうして人々の記憶には刻まれることもなく、ただ、その出来事だけが記録されていく。
そして英雄たちは人知れず立ち去り、などということにはならず。現実には事後処理という作業が待っているのだった。
「冒険者への発表と解放をどうすべきか」
「本当に全層温泉なら、いっそ冒険者ではなく観光名所としてシグレ殿に引き渡した方が早い」
「どこかの階層で魔獣が出たら不味いぞ、本当に、真面目に、魔獣はいないんだな?」
「創った時には魔獣をいないようにしたけど、この後どうなるんだろう?」
「はっきりしないんだから!」
ダンジョン前に張られた大天幕の中、喧々諤々と議論が飛び交う。事態の収拾にあたるための現地残留人員の選別、王城への報告、イーグリスへの報告、メルシェツへは王城から通してもらった。軍師の下へ集まってくる各地の被害報告と対処内容、王城での決定事項の連携、さらには他軍の解散と統合など、ツカサはその忙しさを目の当たりにしてようやく、この国でのその存在の大きさを理解した。
現在の議題はツカサの創った温泉ダンジョン。ヴァンは腕を組み顎を撫でながらぐるぐるとその場を歩き回った。
「あのダンジョンはツカサ、君が故郷で見たことのある温泉を想像して創ったもので、故郷の風呂のイメージを人々が描いていくとそれがさらに階層として増えていく…、あっているかい?」
「はい」
「それで、安全性を考えて魔獣を創らなかった、今後も、誰かが魔獣を想像しても魔獣は発生しない、本当にただただ温泉が増えていくだけのダンジョン、あっているかい?」
「はい…」
すぅ、とヴァンが両腕を上げ、顔を覆い、わぁっと叫んだ。【快晴の蒼】の面々は目を逸らし、ツカサは驚き、アルは引いて、ラングは優雅にクルドが淹れた紅茶を飲んでいた。
「なんで!? どうしてダンジョンじゃなくて温泉!? 権利問題が面倒すぎる!」
「ヴァンがいいって言ったから」
「まさか温泉とは思わないじゃないか!」
そう言われても困る。異世界での天然温泉に憧れていたのだから仕方ないだろう。通常のダンジョンではなく温泉なのだから危険度もなく、皆で利用できるという点で問題もないと思うのだが、とツカサは泣き始めたヴァンに頬を掻いた。
その様子に引きながらアルが首を傾げた。
「なにがそんなに不味いんだよ?」
「俺から話そう。いろいろと理由はあるが、一番不味いのは位置だ」
ラダンが苦笑を浮かべながらさらりと地図を撫でて皆の視線を集めた。机を取り囲んで覗き込み、次の言葉を待った。
「ここはメルシェツとイーグリスの間、測量の結果、ややイーグリス側に広く森が広がっていた。領地的にもぎりぎり、元々はイーグリス所属の冒険者の報告があったことも考えて、所有権はイーグリスに渡される想定だ」
「それはわかるけど、あれはどうして?」
ツカサはさめざめと涙を零すヴァンをちらりと見遣り、ラダンは口端を引き攣らせて見ないでやってくれ、と言った。
「ダンジョンの特性が温泉、それも全くと言っていいほどの危険がないとなれば、ここに街ができるだろう。さて、誰が主導でやる?」
「えっと、イーグリスの所領だから、シグレさん」
「半分正解」
「あぁーなるほど、そういうことか。そういえばあったな、あの取り決め」
アルが思い至ったように頷き、それにも首を傾げればラダンは教鞭を執った。基本の関係性から話してくれるのはいつもながら有難い。
イーグリスが独立国家扱いだとしてもスカイ王国内に属していることには変わりない。微々たるものではあるが税は徴収しており、それはイーグリスへ繋がる道の整備などで利用され、スカイ王国とイーグリスは手を取り合ってここまで発展してきている。
知恵を持つ【渡り人】の多いイーグリスでは発想の種を、それを花開かせるのはスカイ。技術や物理、化学は【渡り人】、実行や魔法、理に関しての提供はスカイというわけだ。
そうした前置きを置いた上で、ラダンは続けた。
「攻略する必要のないダンジョン。一般人でも安全に入って、かつそこで温泉に入ったり体を休められる、所謂、娯楽ダンジョンだな。誰が見ても一大観光地となるのは予想ができるだろう? だが、それで終わるわけじゃない。ここに危険がないとしても、道の安全の確保、近隣の迷宮崩壊や魔獣暴走への対策、そうなると、どうだ?」
まるで授業だ。腕を組んで問われたことに考える。
「新しく傭兵団と契約しなくちゃいけないし、警備体制も考えなくちゃいけない。観光地になるなら宿もできるだろうし、ここに街ができる。管理する人が必要になる」
「その通り。だが、ここで問題になるのがさっきの半分。領地内に街を建てる許可を与えることはできても、イーグリスには街の開発に携わる権利がなく、その管理する人を派遣する権利もないということだ」
「そうなの?」
くるりと振り返って尋ねれば、頭の後ろで腕を組んだアルが頷いた。
「特殊な街なんだよな。スカイ王国からの不干渉っていう権利を持ってる分、そこ以外に街をつくらないってのも盟約にあるんだよ。まぁ今思えば【渡り人】を抱え込んで街じゃなくて国になったらやばいってことなんだろ。それもあって統治者は他の街への干渉権を持ってない。だからほら、西にくっつける形で渡り人の街ができたんだな。城壁に空いた穴ってやつだ」
なるほど、領地内に新しい街をつくるのではなく、城郭を広げ増築したのはそういった理由があったからなのだ。
なんとなくわかってきた。ややイーグリス側とはいえその所有権を渡したところで街の建設作業を指示できる者を、完成した街の統治者が出せないのだ。となると、勝手に人々が居つき、家を建て、誰も治める者のいないダンジョン都市ができてしまう。
それを回避するためにはイーグリスがスカイ王国へ許可を出し、スカイ王国がイーグリスに委任するか、都市開発チームをつくり現地にて対応させる。そこに市長なり管理者なりを置き、移住を呼び掛け、と回りくどいことをやらなくてはならないらしい。
「え、面倒じゃない?」
「だからそう言ってるんじゃないか! これがただのダンジョンなら距離からしてもイーグリスから馬車を出せるように提案すればいいだけだし、迷宮崩壊と魔獣暴走もメルシェツ側の防衛体制を見直してくれと依頼するだけで済んだんだよ!」
「だってヴァンが良いって言ったから」
「攻略できるダンジョンだと思ってたんだよ…!」
また、わぁっと泣き始めた成人男性に少し引きながらツカサは困った顔でラングを見た。なにか解決策をと思っての視線だったが、小さく肩を竦めてとどめを刺した。
「ツカサの風呂好きを見誤ったな」
「やめてやれって」
机に突っ伏して撃沈しているヴァンを哀れみ、アルがラングの肩を叩いた。シェイが面倒そうにヴァンのふくらはぎをつま先で小突いた。
「盟約を見直す時が来たんだと思えばいいだろうが。遅かれ早かれ、いつかは誰かがやることじゃねぇか。【渡り人】の出現は多くなってきてやがるし、二百年も前の盟約のままじゃ、どっちも対応しきれねぇ。元より、お前そのつもりで一昨年くらいに草案出しただろ」
「そう、そして後回しにされ今になって懸念した問題に直面しているよ。だから言ったのにあのジジィ!」
「おいやめろ国王陛下をジジィって言うなどこで聞いてるか本当わからないんだぞあの人」
「アッシュは黙って! 君は君で、後で大量の始末書を出してもらうからな! 僕が忘れると思うなよ、オーリレアでの件も、ネルガヴァントの件もだ。逃げられると思うな、絶対にだ」
鬼気迫るヴァンの低音にアッシュはきゅっと唇を結んで大人しくなった。緊急事態ゆえに一度置いておかれたが、まだ責めは続いていたらしい。きちんと責任を取るのは大事だと憐憫を込めた眼差しでそちらを見ればアッシュはがっくりと肩を落としていた。
ヴァンは唸りながら髪をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「くそぉ…! 出さなきゃよかったと思っているよ! 草案出した張本人としてどうせ議会に引っ張り出されるんだよクソがぁ! 僕は猫のように昼寝がしたい…!」
あぁ、とツカサは目の前の阿鼻叫喚を前に納得した。先を見据えて様々な提案と活動をしているらしい軍師は、こういった事態にも備え、スカイとイーグリスの関係性の見直しも提言していたのだろう。今回のことでそれは優先事項になり、早急に話し合いが行われるだろうとツカサにもわかった。そして、そのせいで休暇がさらに遠のくのだろう。
なにやら申し訳なくなってきた。居た堪れない。なにか声を掛けるべきかと思案していればクルドに肩を叩かれた。
「あとはお偉方で決めることだ。ダンジョンのこと、もう少し確認させてくれ」
「わかった」
クルドに大天幕の外に促された【異邦の旅人】は背後の呪詛を聞かないふりをして足早にそこを離れた。
外にも多くの天幕があり、【空の騎士軍】の兵たちが慌ただしくも楽しそうに走り回り、事の対応に当たっている。詳細を聞いているのは一握りだろう。だが、大きな危険が去ったというのを皆が皆わかっていて、喜んでいるようだった。猫のように昼寝がしたいと聞こえたぞ、と口々に伝言が回っている真意を知るのはもう少し後になってからだ。
突然現れたダンジョン、突然無くなった地面、突然できた森。不思議ながらこういうこともあるだろうと受け入れるスカイ国民の穏やかな気質が、こうした突然の事態にも柔軟に対応させているようだった。
ダンジョンの入り口では足止めを食らっていた冒険者たちが攻略に乗り出そうとしているが、攻略するタイプではない、という説明がなかなか理解されないようだった。それを眺めながらクルドの顔パスでダンジョンの扉をくぐって下りていく。
「ツカサの想像で創ったこのダンジョン、攻略は本当にしなくていいんだな?」
「うん、故郷の光景を一つでも誰かが遺せたらと思って創ったから。人が入ればエネルギーになる、それが他の温泉も創りだす、っていうイメージをしたんだ。源泉かけ流し、溢れて零れた分は全部エネルギーに戻る。温泉の入り方は少し細かく、ルール決めたけど。また他の国の人が故郷の温泉を思い浮かべれば、それに準じたものができるんじゃないかな」
ジェキアで入れなかった温泉が思い出され、一瞬遠い目をしてしまった。
一階層に広がった光景を改めて見渡せば、我ながら雑多に混ぜたものだと思う。木製の橋などは寺社のイメージだろうに、緩やかな弧を描いて風情あるものとして存在していた。行ったことのあるスーパー銭湯の記憶や、家族旅行で行った温泉郷のイメージ、それに、旅行番組に映ったものなど、想像がここで形に成っていた。これが【創る】ということなのだと思うと、ツカサは【変換】に確かな恐怖を抱いた。ただ想像するだけで【変える】ことができるというのも、改めてとんでもない力だと感じた。
無から有を創りだすのは神の御業、だが、ヒトは有を用いて有に変えることができる。そうしてヒトは生きてきたのだ。その方法は、この【変換】を使わずにできればいいと思った。
ツカサは温泉に手を突っ込んで湯の感触を確かめるアルと、相変わらずどこを見ているのかわからないラングを連れながらクルドにこのダンジョンのことを話していった。
憧れと勢いで創ってしまったダンジョンだからこそ曖昧で、クルドの傭兵として、冒険者としての視点は気づかされることが多かった。
今は一階層だけしか把握できていないが、ここには様々な景色が広がっている。温泉同士も少し離れていて遠く森が見えたり川があったり滝があったり、広々とした草原すら見える。今後広がっていくエリアにも違う危険は生まれてくるだろう。クルドはそうした観点でやはり地図と調査が必要だと言った。
「ダンジョンってのは本来、人の管理の外だからな、もうツカサの手を離れてると考えていいだろ。入る人が増えればそれだけ迷子になる奴もでてくる。お前のことだ、ここで誰かに死んでほしいと願ったわけじゃねぇだろ?」
頷けば、クルドは口元に少し皺を湛えて笑った。
「しかしこれは考えもんだぞ、どこまでも広くなる可能性も、深くなる可能性もある。最初に決めた取り決めも運用も柔軟に変えないといけないだろうしな、治める奴はかなり大変だろうな」
ダンジョンを攻略する側で、管理する側に立ったことがないのでいまいち想像はつかないが、そうして並べられると大変に思える。頑張ってほしいと他人事ながら思っていれば、クルドは真面目な声で尋ねてきた。
「ツカサ、創った張本人として、お前、やる気ないか? ここの市長とか、ギルドマスターとか」
「絶対いやだ」
「まぁそうだろうとは思ってたぜ」
クルドは苦笑を浮かべて肩を叩いてきた。いくつかの湯に手を入れて確かめてきたアルが再び合流し、ラングを見た。
「しかしこうも見晴らしがいいんじゃ、ラングは入れないな。それに混浴か? これ」
「男女別! 俺には混浴の文化がないの! 俺たち男しか連れて入ってないからわかりにくいけど、同じようなエリアがこう、壁の向こうにあるような、銭湯みたいな…。途中で行ける道が違うというか、なんかそんな感じ。それに、ラングも入れるよ」
「はっはぁ? なるほど、ツカサは堂々見るよりこっそり派か! スケベめ!」
「ちが、クルドさん!」
「ははは、照れるな。わかったわかった、すまん。それで、ラングも入れるってどういうことだ?」
こういうおやじにはなりたくないと思いつつ、ツカサはこっち、と岩にぽっかりと開いた洞窟へ案内をした。緑や水色の宝石がちかちかとその輝きを反射させ、道が不思議な色合いに淡く光っている。アルはマジェタのダンジョンの採掘階層を思い出した。ツカサの記憶も組み込まれているのだと思い、面映ゆい気持ちで声を掛けた。不安な話もあったけど、楽しかったよな、と言えば、ツカサは思い出話に饒舌になる。あの時の少年はもういないが、その代わりに良い男になった、とアルは目を細めた。
会話しながらなのでそう遠くはなかった。洞窟から出ればそこは木漏れ日の心地良い森だった。森の中、ぽかりと二、三人が入れそうな岩の露天風呂がそこにあって、特別感溢れる仕様だ。ふわっとハーブが香ったような気がして見渡せば、ラングが一歩前に出た。不思議だ。この光景を見るのは初めてだというのに、アルはラングがとても調和しているように思えた。
ツカサが徐々にこの世界に馴染んでいったのはわかっていたが、ラングだけは一切の変化がなく、異質なままこの世界から浮いているように感じていた。それがこの場所では感じられなかった。
『怒らないでよ? ふと浮かんだイメージなんだから。いい場所だなって思ったんだよ』
『なにも言っていない』
兄弟がなにか言い合っているので、この場所はラングに縁のある場所に似ているのだろう。わかる気がした。雰囲気の確認が済めばこの場所に辿り着いた経緯を思い出す。
「普通に来れちゃったな? これじゃ温泉入れないんじゃねぇの」
「ラングがいるからここに来れたんだよ。ラングがいない時は、あの洞窟ぐるっと回って一階層の階段の横に出るよ」
「わかった、それあれだ、下層から上層に戻る時の感覚だろ」
「正解」
笑い合えばクルドも釣られて笑っていた。
「贅沢だな、ここはラング専用ってわけだ。ツカサは兄さんと風呂入ったことあるのか?」
「ううん、まだない。でもいつか、とは思ってる。一本勝たないと見せてくれないんだ」
「なるほどな、頑張れよ。さぁて、とりあえずだ、いろいろ決まるまでに時間もかかるし【空の騎士軍】は調査も兼ねて、このダンジョンを利用させてもらうことになると思う。引き留めたのは俺らだが、必要があれば人をやるから、先にイーグリスに戻って顔見せてやれ。長い間すまなかったな」
申し訳なさそうな顔で告げられた帰還許可令。恐らく、これもヴァンからの指示なのだろう。
温泉ダンジョンが出来上がり、待てと引き留められて五日、ようやく帰れるのだ。アルと顔を見合わせて笑い、ラングを振り返ればじっと遠くを見たままで動かなかった。
喜びの傍ら、ラングとの別れが近いことをツカサは感じ取った。
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