4-53:その男
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この土壇場にきてヴァンからの新たな助力、ここに至るまでのどこかでそれを提示できなかったのかと思わなくはなかった。離脱する際に、ラングとアルがツカサを連れて出ていく前に、療養していた間に、ネルガヴァントという武器について会話する時間は十分にあったはずだ。
思案することがわかるのか、ラングが野菜を切って鍋に入れながら言った。
「そう簡単に渡す決断のできる代物ではないのだろう。世界に穴を開けることができるなどと、今なら私でも、それがどれほど危険なものなのかはわかる。慎重で、疑い深く、だが決断すれば速い。信頼のおける男だ」
「そうかもしれないけど、最終決戦に挑むパーティに最大限の援助を、と考えたら、俺なら渡すって思ったんだよ」
「この場所の正確な状況もわからないまま、敵の手に渡る危険性を考えたのだとしたら当然だ。こちらの状況がわかったからこその判断だろう」
ツカサは、そうかもしれないけど、と胸中で呟き口を結び、それ以上文句を言わず胡坐をかいた。ツカサが納得できていなくとも、ラングはそれでよしとしていて、その点で平行線になると分かっているからだ。この程度のことで喧々諤々するのは好ましくなく、何故そうしたのかはヴァンだけが知る。
やれやれと言った様子でため息を吐かれたが、ツカサ個人としては走り出した足を止めることに少し抵抗があるのだ。ぐっとこらえることが時には必要なのだとはわかっていつつも、勢いというものが大事な時もある。一先ず、現状、一旦、止まらざるをえないのでそれ以上は何も言わなかった。
しかし、こうしてラングが高く評価するあの軍師はどのくらいでここに来るのだろうか。その点を聞く前に紙は閉じられてしまったので今は次の連絡に備え、こちらは開きっぱなしで置いてある。
アルは槍の手入れを行いながらぶつぶつと独り言が忙しい。
「お前、兄弟いるってことか? なんでダンジョンなんかに刺さってたんだよ。お前もヴァンが言ってたみたいな力持ってたりすんの?」
槍から返答はないがアルは不思議と会話ができているような様子で話し続けていた。徐々にそれを見るのが面白くなってきたところで、ラングが声を掛けた。
「ツカサ、今のうちに装備を整えておけ」
「わかった」
大人しくショートソードや短剣に魔力を送り直し、マントやティリ・カトゥーアに魔力を通して整えておく。よし、と頷いたところでもう一つ声を掛けられた。
「魔法障壁を解いて食わせてやれ」
ハッと横を見ればこどもがじぃっとツカサを見つめていた。そうだ、栄養をとヴァンが言っていた。話すことはできなくとも言葉のわかるこどもは、しっかりと務めを果たそうとしているのだろう。ごくりと喉を鳴らす様子に口端が少し引き攣ってしまった。具現化しているこのこどもが冒険者の死体を食っていたのだと思うと、ダンジョンというものに対しての考えが変わってくる。これは厄介な遭遇だったかもしれない。今までダンジョンの恩恵を得ていた身としては、それはそれ、これはこれと割り切るしかないだろう。
「お手柔らかにね?」
にこっ、と笑うこどもを前に魔法障壁を解き、敢えて魔力を放出するようにすれば、ずぅっと引っ張られるものを感じた。なったことはないが貧血とはこういう感じなのだろうか。頭からすぅーっと血が下がるような、冷たい感覚があった。入り口を創るだけの栄養がどの程度かわからないが、あまり持っていかれて昏倒しても困る。ツカサは魔法障壁を慌てて張り直し、左腕だけ解除した。こどもは左側に座ってぴったりツカサにくっついた。
「入口はここに降りられるように創れるの?」
こくり、こどもは頷いた。もう成り行きに全てを任せようと思った。
暫くしていい匂いのスープが出来上がり、ラングは器によそって全員に配った。ヴァーレクスの分もきちんとある。冒険者は数秒前まで剣を交えていた人ともパーティを組めるらしいので、今の状況にラングはストレスも感じていなさそうだ。まったく理解に苦しむが、生きてきた世界の常識が違うのだ。
気を取り直して器の中身を確認する。今日はホーンラビットの肉を使ったウサギスープだ。これで在庫は終わりだというので大事に食べよう。野菜はたっぷり、少し野性味を感じる香りと脂が水面をつやつやさせていた。そのほかには屋台で買った串焼きや、カイラスの用意してくれたパンが並べられた。
「いただきます」
ラングを筆頭に食事前の挨拶をし、スープを啜った。熱さに唇を火傷しつつ流し込めば、舌先もまた同じように火傷した。野菜の甘みも出ているスープをどうにか口の中で冷まし、ごくりと飲み込んだ。動き、走り、魔法を使い続け、今齧られている体にじわっと沁み込んでいく。塩味が強くて美味しい。ヴァーレクスは少しだけ驚いていた。
「意外ですねぇ、どこかで料理人でも?」
「趣味だ」
「さらに意外です」
ウサギ肉はコリコリして、ぷりぷりして、歯に弾力を返した。じゅわっと滲み出る脂は意外と鶏肉に近くさっぱりしている。初めて食べた時は驚いたが、このにおいも慣れれば香りに変じるのだから人の味覚と嗅覚は面白い。その間にラングとヴァーレクスはもう少し会話を重ねていた。
「料理は考え事にちょうどいい」
「そういうものですかねぇ」
横でばくばくと食事を食べるアルを横目に見遣り、ツカサはあっという間になくなったスープのおかわりを自分でよそう。肉を多く選んで器に入れ、少しラングの様子を窺ってしまった。ラングはいつもバランス良くよそってくれるのでどれかの具材を多く入れることはない。恐らく気づかれていたが、見逃してもらえた。ラングは、す、とスープを飲んでから言った。
「軍師の話、なかなか興味深かった」
「あぁ、いろいろ話してたな」
アルは串焼きをぐいっと引き抜いて、スープで流し込んだ。余程空腹だったらしい、アルだけでも料理が減っていく。先ほど多少食べさせておいたというのによく食べる。
ラングはスープを一杯飲み切ると芋を取り出して直接簡易竈に放り込んだ。焼き芋を作って並べるつもりだろう。芋は腹持ちを助ける。
ヴァーレクスもスープをおかわりしながらふむ、と鼻から息を吐いた。
「ダンジョンというものが初めてでしてねぇ、いまいちよくわかっておりませんが。今日はこうして体力を戻しつつ奴らの合流を待つとして、それからどうするつもりです? パニッシャー」
ヴァーレクスがお玉を鍋に戻せば、ラングも空になった器にスープをおかわりした。
「不安や危険は回避するか、早く取り除くに限る。短絡的だが最も効果的、軍師と同じ考えだ。お前に案内をさせてイーグリステリアを目指すことになるだろう」
「予定通りということですねぇ、いいでしょう」
「もう免疫ってので襲ったりはしない?」
アルが問えば、こどもはこっくりと頷いた。それならば今日ほど大変なことにはならないだろう。
ツカサはちらりとヴァーレクスを見た。今なら気になっていたことを聞けるかもしれない。
「なんで特殊部隊の隊長に? 勝手についてきたって言ってたけど」
ヴァーレクスは自分に向かって声を掛けられたことには気づいたのだろう、眉を顰めてツカサへ視線だけをやった。暫く思案していたが、まぁ、いいでしょう、と肩を竦めた。
「スカイの軍部と懇意な様子ですからねぇ、いずれ根掘り葉掘りされるよりは、そちらから話してもらった方が手間もなさそうです」
水を飲もうとした様子にラングがコップを投げて貸してやった。癒しの泉エリアの水を掬い、喉を潤してからヴァーレクスはまたスプーンを持った。
「ヴァーレクスという家は己の技術のみで成り上がった一族でしてねぇ。四代前くらいの当主が、その技術を孤児に詰め込み、どこまで強くなれるのか試し始めたのが特殊部隊の始まりらしいです。その孤児を殺し合わせたり、手ならしに殺すことで一族の技術をさらに上げる、そうした一族なのですよ」
ツカサはごくりとスープを飲み込んだ。相手がどうあれ、大量の魔獣を相手に戦っていたヴァーレクスの技術は確かなものだった。今ならわかる、王都アズヴァニエルで守護の腕輪が砕かれたのは、盾の弱いところを見極めたうえで技術を以てして刃を通されたのだ。あの時のツカサはただ盾を展開するだけで、それを強く、硬く、厚く、魔力を込めるという行動を、技術を正しく理解していなかった。ラングが扱うより、ツカサが扱う方が大きく、強いということの意味を、もっと深く考えていればよかった。
ツカサの改めての反省は置いておいて、ヴァーレクスは水を飲みながらまるで他人事のように続けた。
「祖父の代で己の技術を磨くために殺すより、手駒として利用する方がよいと思ったのでしょう。奴らは正式によく働く暗部になり、私がナイフを握る頃には、奴らを殺すことを咎められるくらいの組織になっていましたねぇ」
ヴァーレクスは少年の頃にはもう人を殺していたということだ。ツカサには理解のできない話だが口を挟む気も、嫌悪を言葉で表す気もなかった。一度、フェネオリアの道中でその愉しみを感じてしまった身としては多少目を背けたいことでもあったからだ。
ヴァーレクスはまた水を飲み、食事の合間にワインを嗜むような軽さで続けた。要は、王家に忠誠を誓う家の方針に慣れず、ただ己の技術の向上のみを目指して手駒を殺していたら、勘当されたらしい。
「さすがに手駒を五十人はやり過ぎたようですねぇ」
それは勘当されて当然ではないか。孤児を引き取り暗部に育てるにしても、時間も労力もかかる。それを楽しみ交じりに殺されてはかなわないだろう。呆れてものも言えなかった。事もなげに言うヴァーレクスに何を思えばいいのか、もうわからない。
とにかく、ヴァーレクスは勘当され市井に下り、冒険者として護衛などを担い、合法的に人を殺す手段を得た。基本、腕の立つ冒険者は、冒険者として真っ当に生きるので賊に落ちることはない。襲ってくる賊は弱く、最も得たいものは得られなかった。
スカイとアズリアで戦争が起きたのはその数年後だったという。
あっという間に終わった戦争、ヴァーレクスはこの時ばかりはスカイと戦いたかったと市井に下ったことを後悔した。貴族である父は前線で隊を率いて、兄たちは家の取り潰しに巻き込まれ、容赦なく処断されたと聞いた。民を守るために貴族が前に立つ。父や兄たちの本心はそんな高尚なものではなかっただろうが、その場にさえいられればスカイと剣を交えられたかもしれない。
家族が死んだことよりも戦えなかったことを悔やむ男の姿に、ツカサはこういう人間もいるのだと思った。
ここで焼いた芋も含め食事を食べ終えた。美味しかった、と伝えればラングは小さくシールドを揺らした。どういたしまして、だ。
「どのくらいでしょうかねぇ、戦争が終わって三か月だったか、突然声を掛けられて、それがあいつらでした」
ヴァーレクス家が取り潰され、どう生きればいいかを知らない手駒たちがヴァーレクスを探し出したのだ。主を持つことでしか存在を証明できない彼らが、勘当されたとはいえヴァーレクスを求めたのは忠義だった。
強い奴を探させて、暇なときに一人一人、自身の技術を磨くために殺すのもいいかもしれない、と合法の遊び相手を得た気持ちで勝手に後ろをついてくることを許した。ヴァーレクスにとってはその程度の存在だったらしい。
それに目を付けたのがあの司祭、ヴォルデイアだ。
「あのじじい、どうやってお前らのこと見つけたんだか」
アルが言いながらハーブティーを強請り、ツカサはポットに水を注いで火に埋めた。少し待ってね、と言えば、悪いな、とアルが笑う。
さぁて、とヴァーレクスは役者のように肩を竦めた。
望むものをすべて用意してやるからその手駒ごとマナリテル教に与しろと言われ、ならば強い奴と戦い続けたいと答えた。いいだろうと言われたのでそのまま与した。
実際、マナリテル教はヴァーレクスにとって最高の環境だった。厄介な奴を殺せと言われ、魔導士を相手取り楽しい戦いもあった。探ってくる他国の間者を殺す楽しみもあった。マナリテル教の教祖である女、マナリテルが神になれば、もっと戦い続けられると聞いて高揚した。
「まぁ、結局、その手段が私の望むものではなかったのですがねぇ」
全てを変えて創りなおす。そこにいるのは本当に自分なのだろうか。その疑問がヴァーレクスをマナリテル教から離脱させたのだ。
「なぜアズリアが特殊部隊を所持するような体裁を取った」
「知りませんよ、ヴォルデイアがなにかしたのでしょう」
どこまでいってもあの特殊部隊はヴァーレクスの後ろをついて歩いていただけなのだ。ここまで聞いて、ツカサはそういうものだと受け止めるしかないとよくよくわかった。改めて思う、この男はそういうものなのだ。
湯が沸いたのでアルにハーブティーを渡し、ポットを揺らしてラングに有無を尋ねた。
「もらえるか」
「うん」
ツカサがラングにも淹れて渡し、一応ヴァーレクスを見た。
「赤ワインが欲しいですねぇ」
「調理用しかない」
「それは残念、では水で結構です」
ぱしゃりと癒しの泉エリアの水を掬って戻り、ヴァーレクスは喉を潤した。
沈黙。簡易竈の中から薪の弾ける音がした。誰も何も話さない。
食事を終えて食休み、各々が喉を潤し、今日の疲れをじっと消化するために黙っていた。ツカサは次第に睡魔が瞼を撫でてきて、アルが気づいて首を傾げた。
「ツカサ、眠い?」
「うん、がっくりいきそう」
頷き、ツカサは前線で戦い続けた三人にヒール、と唱えて細かな傷や疲れを癒すイメージで使う。ヴァーレクスも、こどもも包み込んだその光は少し眩しかった。鼓膜の向こうでラングがありがとうと言うのが聞こえ、うん、と返した気がしたが、もうだめだった。そうだ、魔法を使い続けると眠くなるのだった。防衛手段だ、仕方ない、と胸中で自分に甘いことを言いながら、ツカサはこてりと横になった。
「ツカサ。せめて布くらい敷いて寝ないと」
「わかってる、わかってるんだけど、常に齧られてる気分なんだよ…」
「どういうことだ? ツカサ、寝る前に説明しろよ」
アルに肩を揺らされ、ツカサは唸りながら言った。口の中で転がされる飴玉と一緒だ。このこども、お手柔らかにと言ったのに容赦なく魔力を食べ続けている。癒しの泉エリアの水を、魔力の服を、ティリ・カトゥーアを以てしても魔力の戻りが遅い。ティリ・カトゥーアがなかったらどうなっていたのだろう。いっそ眠った方が早いと本能で感じていた。
むにゃむにゃと言いたいことがまとまらない中、どうにかその感覚を伝えればラングが横に移動してきた気配がした。
「だめだぞ、結局効果がわからなかっただろ」
アルは何かを止めていて、ラングがため息を吐いた音がした。
「お前の状況は理解した、眠っていろ」
瞼を覆うように置かれた手は間違いなくラングのものだった。眠らされるのだろうなと思い、小さく頷いた。すぅっと気づかないうちに眠りに落ちていった。
ツカサが眠れば一瞬ピリッとした空気が走る。起きている三人が互いの間合いを計った気配だ。
「約束を反故にするなよ」
「えぇ、もちろん、わかっておりますとも。私の望みはパニッシャーとの戦い、そのためなら協力を惜しみません」
うふふ、と楽しそうに笑い、ヴァーレクスはごろりと寝転んだ。
アルはその男がそれ以上動かないのを確認してから、少し離れてラングを呼んだ。
「なぁ、あの時、いったい何を話したんだよ?」
オーリレアでの戦いの際、ヴォルデイアによって距離を取らされた時のことを指しているのだろう。ラングは小さなため息を吐いて話を切り上げた。おい、相棒、と焦れた声で呼ばれたが、ラングは壁に寄り掛かり目を瞑った。話す気のない相棒に悪態をつき、アルもツカサの隣で横になった。
――― 目を覚ませば朝食ができていた。
体を起こし、いい匂いに鼻をひくつかせ、ツカサは腕を伸ばした。結局あのまま眠ってしまい、少し体が痛かった。鍋を混ぜるラングに声を掛けた。
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
桶に癒しの泉エリアの水を注いで顔を洗い、歯を磨く。飴玉代わりに食べられていた魔力は随分戻っていた。眠ると魔力の回復が早いというのも、何か理由があるのだろうか。
風邪をひいた時、薬を飲んで横になると回復が早い。体調が悪い時は眠るに限る。頭痛がする時も一度眠ると治まりやすく、眠るという行動は人間をどんな状態からでも癒せる万能の手段だ。
そういえば故郷では睡眠時間の減少も問題になっていたなと思い出す。特に日本人というのは世界と比べた際に睡眠時間が短く、体調を崩したり、慢性的な不眠症を患う人が多かったりと問題視されていた。ここに来てからは生きることに必死で、体を動かせばどうしたって眠くて、ツカサはそういったことに悩まされたことはない。翌日のダンジョンに興奮して眠れず、落とされたことはあったか。ツカサは思い出して懐かしい記憶に目を細めた。
「おはよう、すごい年寄りくさい顔してるけど、どうした?」
横から桶を引き抜いて立ち上がり、アルが変なものを見るようにツカサを見ていた。声を掛けられて考えていたことが最後しか残らなかった。
「おはよう。いや、睡眠って大事だなって」
「だな、ツカサ顔色良くなった」
うん、とアルは笑って通路に水を捨て、先ほどのツカサと同じように顔を洗う。最後にヴァーレクスがのっそりと起きた。寝起きはよくないらしく、暫く胡坐をかいて背中を丸めたまま微動だにしなかった。それが十分も続き、ぬるりと癒しの泉エリアの水を求めて近寄った。そのまま顔を突っ込まれては嫌なので、ツカサはそっと桶を差し出し、通路を指差した。
「水、通路に捨ててきて。それからこれ使って顔を洗って、歯を磨いて。水を飲むならコップを使って」
ヴァーレクスは苛立ちと面倒くささを滲ませた目でツカサを睨んだが譲らなかった。
「ダンジョンでのマナーだよ」
深く、長いため息だった。ヴァーレクスは桶を受け取るとのろのろとアルと同じ作業をしに足を向けた。通り過ぎ様、ふん、とラングが馬鹿にするように鼻を鳴らし、ヴァーレクスは一度じろりとそちらを睨んでいた。なにはともあれ、ヴァーレクスも目を覚ました。
ラングはこん、と一度鍋を叩いて言った。
「器」
今朝は温かいミルクスープだ。ミルクと塩、シンプルながら最強の組み合わせだ。朝から食べ出がある食事なのは昼がないことを懸念してだろう。
野菜と肉がたっぷりで塩味の利いたスープは寝起きの体を叩き起こしてくれる。入っているのは鶏肉、ぷりぷりした食感と中からじゅわりと出てくる鶏肉特有の脂がスープと混ざるとコクを増す。ほこほこした芋を器の中で少し潰してスープと和えれば食感が変わりさらりといける。そのまま食べれば口の中でほろほろと崩れ、そこにスープを流し込めばポタージュのようになる。ニンジンは期待通り甘かった。ニンジン独特の香りがミルクに打ち消され甘さだけが残っているのも良い。ミルク特有の加熱するとできる膜が鶏肉に引っ付いた。この膜ができる現象をなんと言っただろうか。アルが鶏肉を大きな口で頬張ってうん、うん、と頷いた。
「美味い、これクルドがよく作ってたやつだよな。でもニンニク入れなかったのか」
「朝からは重い」
「本当変なところでじじくさいんだからな」
体は若いだろ、とアルがぶつくさ言うのに笑ってしまった。
「これ、クルドさんの得意料理なんだ? エフェールム邸ではジャガイモと豚肉のなんか、炒め物みたいなの作ってくれてたけど、あれも美味しかったよね。これ、ニンニクが入ったらどんな味なんだろう」
「すっごい美味いぞ、体力つく感じ! クルドの故郷のレテンダが芋とかミルクをよく使う国なんだとさ。これは家庭料理だとか言ってた。こっちのパーティだった時、クルドが芋とミルクとチーズを使っていろいろ作ってくれたんだ。ニンニクの扱いも上手かったなぁ」
「なるほど、ラングはしっかりそれを体得したんだね。これなんていう料理なの?」
ミルクシチューと言ってしまえば簡単だが、スープより具材が多くごろごろした料理だ。肉じゃがのような、そんな雰囲気を感じた。レテンダの家庭料理ならばスカイのワーテルーイのように名前があるだろう。
「シュクッリ、だそうだ」
ラングが答え、ツカサは同じ言葉を繰り返した。レテンダという国にも行ってみたくなった。闘技場などもあり腕試しにはいい国だと聞いていたので、自分の実力が人相手にどこまで通用するのか確認するのもよさそうだ。なにせ今は相手が特殊だ。
シュクッリは最後にパンでスープを楽しみ、鍋の底に残った分までぺろりと完食した。口内に残るミルクが気になってハーブティーを淹れようとしたら、ラングがポットに癒しの泉エリアの水を入れ、沸かし、そこにレモンを絞った。ハチミツを入れて生のハーブを揉んでさらに加えて全員に配られる。渡されるまま飲んでみれば、きゅうっとする酸味の中、鼻を抜けるスゥっとしたハーブの香り、ハチミツの甘みが心地よかった。いわゆるホットレモネードだ。今回はミントだが、別のハーブで試してみても美味しいかもしれない。ハーブの扱いについてもう少し勉強したいなと思った。コップ一杯を飲み干せば先ほどよりもにおいが気にならなくなった。
そのまま食休みに移行しながら使ったものを片付け始め、ついでにこの後の動きについて会話する。
「ヴァンたち、どのくらいで来るんだろうね」
「そう待たせないと言ったからには、そう時間もかかるまい」
ばしゃっと食器を洗った水を通路に捨てながらラングは言った。本来、こうした水捨てはもう少し遠いところにやるべきなのだが、今は全員が離れすぎないことの方が大事だ。他のパーティもいないので許してほしい。
食器や鍋、簡易竈が片付いて最後に癒しの泉エリアの水をもう一杯。スープといいホットレモネードといい、水分過多な気がしているが、この後水分を取る余裕があるかがわからないのでとりあえず入れておく。
ダンジョンのこどもは相変わらずツカサの左側でくっついていたが、ふと立ち上がった。ゆっくりと両腕を上げればダンジョンがぐぐっと揺れる感覚がした。
「来たようだ」
癒しの泉エリアの前、通路の先に階段がぱたぱたと音を立てて組み上げられていく魔法のような光景。その後に続いてカツン、コツン、と誰かが降りてくる足音がした。この足音は知っている。ツカサは思わず通路に駆け出してトーチを掲げた。
常に不機嫌そうな金の目、光苔の微かな明かりで輝きを返す銀髪。ツカサはぱぁっと破顔一笑した。
「そう待たせなかったはずだぜ?」
「シェイさん!」
にやりと笑ったシェイの目が、真っすぐにラングを捉えて冷たく細められた。
「ラング、お前、一回腹に穴を開けさせろ」
これはひと悶着あるな、とツカサは息を止めた。
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