4-52:迷宮
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ヴァーレクスの合流は思わぬ突破口となった。なるほど、盾だけではなくそもそも本体とリンクするなにかがあるのか。ツカサは走りながらタルワールを振るう男の背中を見た。
そういえばヴァンがマナリテル教徒を殺せば殺すだけ、位置がバレると言っていた気がする。イーグリステリアの加護があればこそ、そうした探知にも使えていたのだろう。であれば、イーグリステリアが加護を与えた者の位置をわかるように、ヴァーレクスもまた、と考えれば簡単だった。であるならば、この免疫の群れはイーグリステリアの差し向けたものなのか。ただ、多方向から来ているのでどこが正解かはわからない。
この視点、ヴァンがいれば即座に思い至り策にしただろうと思うと、確かにツカサたちには神との戦闘経験や、加護や、理と魔力というものの理解と応用が足りていないように感じた。あの時点での【快晴の蒼】の離脱が今になって悔やまれた。
魔力をダンジョンに吸われないのであればエフェールム邸でやったようにツカサが魔力の広範囲展開をして探知をするが、今は悪手。ではラングが理の力で感じられるかというと、ここは理が狂っているのかどうにもピンとこない様子だった。
状況の好転が見られないまま、とにかくヴァーレクスの誘導する方へ足を進めた。ツカサが後続の魔獣を燃やし、道を凍らせ徐々に距離を取る。前から迫りくる魔獣はラングとアルとヴァーレクスが全力で押した。
「ツカサ!」
アルの叫びに三人の隙間を縫って魔法を撃つ。風魔法が魔獣を切り刻む。走りながら足をつけた場所から後ろに氷の壁ができる。何枚も、何枚も、走れば走るだけ。感覚が研ぎ澄まされていた。考えるより先に体が、魔力が、こうすべきだとわかっていた。何が最善かを選び取れていた。ツカサは一種のトランス状態になりつつあった。
「ツカサ! 冷静であれ!」
ハッとして深緑のマントを見た。呼吸すら忘れていたことに気づいて走りながら三度息を吸い、後ろを振り向かない仲間に叫んだ。
「大丈夫!」
よかった、とも、ならばいい、とも答えはない。それどころではないのだ。背後は氷で足止めをできているものの、前方から休む間もなく気味の悪い魔獣が迫ってくる。倒して、進んで、また倒す。ラングが斬り込む反対側をヴァーレクスが担い、二人の剣が振り抜かれた隙間をアルが飛び出していく。そしてまた、アルが槍を引き戻す隙を守るように剣士が二人、前に出る。そこをさらにカバーするのがツカサの魔法だ。誰かがこうしようと言ったわけではないのに、連携というものが生まれていた。
鷹の眼を持つアルが叫んだ。
「分かれ道がある!」
「ヴァーレクス」
「パニッシャー、左へ」
「ツカサ」
頼まれていることはわかる。ふぅっと魔力を瞬時に練り上げて右側の通路に地雷魔法、その衝撃が来ないように何重にも氷壁を創る。ラングたち先導組が左の道へ駆け込んで魔獣を同じ連携で打ち払い、ツカサが氷壁の横を通り抜ける際、向こう側で爆発する音を聞いた。氷壁を創り、今走ってきた道ごとさらに塞いだ。
地雷魔法がダンジョンに吸われる前に発動したのはよいと言っていいものかわからなかった。それは魔獣が来た証拠だ。しかし、これで検証はできた。
地雷魔法のように魔力の種を置くとじわじわとダンジョンに吸われていく感覚があった。氷魔法のように物体として形にしてしまえば、固定すれば吸われることはない。砕かれ、破片や水になればじわりと吸収はされるだろう。
風魔法は魔獣を切り裂けるほどの輪郭を持っていればいいが、それが形作られる前と、消える最後はやはり吸われてしまう。自分の抱く概念の問題なのだろうか、魔力は想像力と原理と知識が大事だ。
とにかく、ダンジョンに魔力を吸われた結果がわからず、このままではいけないとも思った。
「何かないかな」
ポケットをひっくり返すつもりで空間収納を頭の片隅で覗いた。ツカサは自身の導き手という特性に賭けた。もしそうであれば、ここに至るまでに何かを得ているのではないかと考えたのだ。ラングの命を繋いだように、何かが。
あっ、と胸中で叫んだ。そういえば、これは結局なんだったのだろう。
走りながら、魔法を使いながらツカサは宝玉を取り出した。これもまたファイアドラゴンを討伐した際に手に入れたものだ
迷宮の加護。手の中で淡く輝き、これを手に入れたあの場所のように、リィンと澄んだ音がした。ぴたり、と魔獣の動きが止まったのはその時だった。魔獣から敵意が消え、剣が槍が触れたところが紙を切るようにスパリと切れ、重なった紙束が崩れるようにばさりと解けた。ざぁっとそれらが一方向へ引き上げていき、後ろからの風にマントがばたばたとめくれ上がった。
「なんだ!?」
アルの素直な驚きと困惑の声が響き、ツカサは前にいた三人と合流し、手を差し出した。ラングはそれに小さく首を傾げた。ふむ、と小さな思案の後、確かめるように問うた。
「迷宮の加護か、何をした」
「何か、状況を変える手立てがないかと思って、荷物をあさって取り出しただけなんだけど」
ダンジョンの壁から響く鼓動はそのままに魔獣の気配が消え、それぞれが周囲を窺った。
アルは周囲を見渡しながら尋ねた。
「それ、なんなんだ?」
「ジェキアのダンジョンで手に入れたんだ。迷宮の加護っていうアイテム」
じっと【鑑定眼】で見直した。
迷宮の加護
――迷宮の加護。迷宮の慈悲。罠が所有者を避ける。隠された物を見やすくなる。読み上げればふむ、とラングの思案の音が零れた。
「よくわかんないな、今までの魔獣が罠だったってことか?」
「ふむ、ダンジョンと迷宮の言葉の違いがわからないが、何か影響を及ぼしたのは確かだな」
思えばそうだ。あれだけダンジョンと呼びながらも手に入れた宝玉は【迷宮の加護】。ただ、ツカサはこの加護を使ってオルワートのダンジョンの罠を回避したりもしていた。
もし、【ダンジョン】が理のルールに則った状態の迷宮のことを指すのであれば、【迷宮】はルールに則る前からのこの場所そのもの、それ自体を指すのではないだろうか。そうであれば、この宝玉が効果を持つ状態ではある。
ウィゴールがダンジョンの子供、とここを呼んでいたので、ある程度理のルールに則り始めていたのだろうか。推測はいくらでもできるが、これもまた答え合わせをする相手のいない議題だ。精霊である彼らに尋ねれば教えてくれるかもしれないが、魔力に属するツカサに話してくれるだろうか。
ツカサの思案を呼び戻すように迷宮の加護が再び鳴った。
すぅっと四人の前に子供が現れた。タルワールを構えるヴァーレクスの腕をラングが鞘で押さえ、飛び掛かろうとしたその体の前にアルが槍を出して押さえた。
「やめろ、向こうに敵意がないだろ」
「…お優しいことですねぇ」
「ツカサの持つアイテムに呼応した可能性があるからだ」
左様で、とヴァーレクスの興味のなさそうな視線がツカサを見た。ラングに対する態度との差があるが、どうでもいい。
子供は手を振って四人を呼んだ後、走り出した。一歩の移動距離がおかしい、すぅっと滑るように駆けていく。どうする、と相談はしなかった。四人でその後を追った。
暫く走った。子供は曲がり角で見えるかどうかの位置でこちらを待っており、とにかく早く来てくれと言わんばかりに遠くで手を振る。やがて脈動するダンジョンが途切れた。
「これって」
ツカサは思わず呟いた。体内から出たのだとわかった。境界線がそこにあって、それを越えた先は黒かったのだ。トーチを前方に置いて全員の足元を確保する。結局黒に飲まれるので意味はなかったかもしれないが、一応の目印だ。
子供が止まらないので追いかけ続けた。真っ黒な通路をさらにいくと再び境界線があり、石壁に変わった。こちらには魔法苔もあってぼんやりと明るい。ダンジョンだ。
「どういうこと?」
これには困惑してツカサも呟いた。子供はさらに移動をし続けたが先ほどとは違い少し近い距離で待っていてくれた。
ラングが言った。
「理を感じる」
ダンジョンは理の中の生きもの。理使いであるラングが言うのだから間違いない、ここは確かにダンジョンなのだ。
少し頭が混乱してきた。座り込んでどういうことなのかを考えたかった。
子供に誘われ続けて二時間もしただろうか、見慣れた泉が見えた。魔法苔が天井にびっしりと生えたその場所は明るく、エアーカーテンを感じて体の緊張が解れた。
まずはラングが水を啜った。問題ないと頷かれてからツカサとアルはコップで何度も水を掬った。ヴァーレクスも掌で掬い、飲んで、ほぅ、これは、と息を吐いた。どうやら初めてらしい。
ツカサは座り込んでどっと汗をかいた。懐中時計を確認してみればダンジョンに降りてから六時間ほど動き通しだった。他の男たちは少し息を整える程度で済んでいる。何故だ。その秘訣を聞くのもリストに追加して、もう一度深呼吸し、取り出したタオルで汗を拭いながらラングを見た。
「ここ、ダンジョンだよね? 癒しの泉エリアだ」
「そのようだ」
「ええっと、さっきの体内から、黒のダンジョンを経て、ダンジョンに?」
アルが首を傾げれば子供は後ろで手を組んで、少しだけ困ったように笑った。ツカサはふらりと立ち上がり、近寄って、そっと子供の前にしゃがみ込んだ。
「話せる?」
子供は首を振った。言葉自体はわかるらしいが、もしかしたら声がないのかもしれない。【鑑定眼】を使い覗き見る。子供は目を瞑って身を任せた。
【ーー ー の こども】
ーーー ー ー
ー ーー ー ー
「よく視えない、名前が、何かのこども、になってる。状況からして、ダンジョンの子供だと思うけど。まだ名前ないのかな」
ざざ、と波打つ壊れたテレビのように、ノイズが情報をかき消し、子供のすべては視えなかった。それでも大きな手掛かりだろう。それに、これはあの黒い雨を鑑定した時と似ている。確かにあの雨が大地にて形に成ったのだろうと思えた。
アルはううん、と唸って首を傾げた。
「さっきの場所との違いを知りたいもんだけど、話せないなら考えるしかないか。とりあえず、安全地帯みたいだし、少し休憩しようぜ」
腹減ったよ、とアルががっくり項垂れた。ラングは簡易竈を取り出して休憩の意思を示した。ツカサは渡されたポットに癒しの泉エリアの水を入れ、火の起きた簡易竈の上に置いた。アルの腹がぐぅっとうるさく鳴ったので、ツカサは空間収納から屋台物を出して渡してやった。ありがと、と礼を言い、アルはバクバクとそれを食べた。ラングはポットで湯を沸かすだけで鍋を取り出さない。ということは、料理は作らないということだ。
ツカサはそれを不思議に思いながらたらいに水を用意してタオルと共にヴァーレクスに差し出した。この男、粘液まみれのまま戦ってすっかりヘアジェルで髪を固めたようになっていて、パリパリの衣服がツカサは気になった。魔導士は便利ですねぇ、と言いながらヴァーレクスは簡単に顔を、髪を流し、上着を脱いで洗い、体を拭った。ぬらりとした長身はびっしりと筋肉がついていて、それも武器に合わせて鍛えられたのだと思うと、どこを動かすのだろうとつい見てしまった。見られること自体は気にならないらしく、服を絞るところまで見守り、最後は乾かしてやった。礼はなかった。
それが終わればヴァーレクスはラングの正面側に座り込みタルワールの手入れをし始めた。あの日、薄暗い路地裏でよく見えなかった全容を前に、ツカサはその男の力量を見極めてやると思った。
「お前のラノベと発想を頼りたいものだな」
ラングに声を掛けられて少し視線を泳がせる。この状況を整理しろと言われたのだと気づき、腕を組む。
時間が勿体ない、ここであれこれ考えるよりも有識者に尋ねた方が早い気もした。ラングに紙の通信魔道具を借りてさくりと開いた。最初、点滅は一つだったが、十分ほど待った後、ふっ、と点滅が増えた。望んだ人物が声を発し、ホッと胸を撫で下ろした。
『この方角は、【異邦の旅人】かい? どうしたんだい?』
「ヴァン! よかった、出てくれた。ごめん、ちょっといい?」
『おや、ツカサだね、ダンジョンに入ったと聞いていたけど、問題が起きたかな。力になれるといいけど。早速詳細を頼むよ』
さすが話が早い。ツカサはラングの様子を時折眺めながらヴァンにこの六時間のことを話した。アルから感想が飛んできて多少脱線もしたが、話を聞き、ヴァンはふぅむ、と少しの間考え込んでいる様子だった。少ししてカリカリと何かを書き始める音がした。それがヴァンに必要な時間だということはわかっているので、じっと待った。時間にして十分ほどだ。途中、来客もあった。
『軍師殿、失礼いたします』
『何かな、緊急の用が入っているんだ。布陣の相談であればラジャーンへ、他軍からの文句ならアースに取り次ぐように伝えて。内容によっては叩き潰していい。それ以外はすまないが先に調書を』
『ハッ! そのように』
今の声はフォクレットだろうか。他軍との連携、歪みの生きものの対応を任されているというのでヴァンは本当に忙しいのだろう。それでも本陣は君たちだと言い、時間を、知恵を絞ってくれる。
『うん、待たせたね。改めて確認をしたいのだけど、今、君たちは寝食を過ごせる安全地帯にいる。あっているかい?』
「あってる。癒しの泉エリアの水も知っている効能だし、ラングはここに理を感じると言ったよ」
『わかった、少し落ち着いて話ができるね。では僕の見解を伝えよう』
ツカサは聞き漏らさないようにノートを取り出して言葉を待った。
『今、君たちがいる場所こそが本来【ダンジョン】と呼ばれる場所だろう。本当ならそこで、入ってくる冒険者の戦う熱や命を使い徐々に育っていく。だが、今現状、それを奪う者がいるのだろう』
奪う者、と聞いて脳裏に浮かぶ名前と顔があった。考えは同じらしく、ヴァンからも想定通りの名が出てきた。
『イーグリステリアが中にいる。略奪者はあの女神とみて間違いない』
「どうやって奪ったんだろう?」
『思い出してごらん、あれは一応人としての形を持っているが、元は霧散するはずだった魔力だ。けれど、触媒があれば命も奪えるし、その力を奪い、自らのものにできることを僕らは知っている。セリーリャが理の器という君たちの仮説に準ずるならば、成りかけのダンジョンも理の器の代用品になり得ると思わないかい? まぁ、憶測だけどね』
なるほど、ダンジョンは理のものだ。シェイができたばかりのダンジョンはルールが曖昧だと言っていた気がする。その曖昧さに手を差し込んだのだろうか。ヴァンがセシリーをセリーリャと呼んだことにも気づかず、ツカサはふむふむと頷く。ラングは少しだけシールドを傾けてツカサとヴァンのやり取りへ視線をやった。
ヴァンはこれも仮説にすぎない直感だが、と前置きを置いた上で続けた。
『体内だというのが気になるよね。取り込むだけならダンジョンをすべて食らって、潰し、奪えばいいだろう。継続的に生命活動をしなくてはならない何か、維持するためのなにか、理由があるんだと思う。すでに理の片鱗がないことくらい片割れだからこそ気づくだろうし、僕なら一矢報いるために一気に力を使う。なのになぜ、まだ…』
各所の単語を繰り返し、メモをして、ツカサは腕を組む。片鱗がいなくなったことを報告しただろうか。ラングがしたのかと視線をやったがそちらからは何も返ってこなかった。議題に戻ることにした。
体内と黒の空間と石畳の空間があり、今や三種類の光景がおかしな状態で繋がっている。あの肉感たっぷりな魔獣たちはどちらの免疫だったのかが気になった。それについても見解を問えば、ヴァンはそうだねぇ、と紙の向こうで腕を組んだのだろう、ごそりと衣服の擦れる音がした。
『すべてにおいて勘で話していて悪いけど、十中八九、それはダンジョン側だろうね』
「根拠は?」
『冒険者の死体を食っていたことだ』
ラングが尋ねたことにヴァンがあっさりと返す。勘とは言いながらも、そう答えるに至った根拠を提示できるのだから本人にはある程度の確信があるのだろう。
曰く、ダンジョンは死体すらもエネルギーに変えてしまう場所だ。それを相手にさせないために、ダンジョン側の免疫がそれらを奪われないように回収していたのではないか、とのことだ。ツカサの語った魔獣の消え方もその根拠の一つだという。
「なんでそれが根拠に?」
『ツカサって、人間の胃腸の中、見たことある? 僕、ラジャーン…ラダン同様医学もかじっているから、解剖とか立ち会うことがあるんだけど』
「な、ないよ! どうしてそんなこと聞くの」
『じゃあ、そうだね、ご飯もこれからだとすると、うん、雲に包んで話すね』
ヴァンが配慮をしてくれたおかげでその後に影響はなかったが、オブラートに包まれていなかったらどう説明されていたのか、想像するだけでそっと目を伏せてしまう。ヴァンは言った。
今、前提としてこの場所はダンジョンに成りたい世界の理と、ダンジョンを奪いたいイーグリステリアが争っているのだろう。そのため、ダンジョンに入ってくる冒険者というエネルギーの奪い合いが勃発、免疫という抵抗力をダンジョンは生みだした。死体はこちらの石畳側に持ち帰って使われる予定だったのではないか。ここまでがダンジョン側の事情の推測だ。
確かに、言われてみればあの大きなミミズ、周囲に細々とした魔獣が多かった。あれはもしや、持ち運ぶ役であるミミズを守っていたのだろうか。問いかけたいこどもは膝を抱えてしょんぼりとしている。正解のような気がして少し申し訳なくなった。あれを潰したのはツカサだ。
イーグリステリア側は、その免疫を冒険者が倒すことで、免疫になった魔獣と、そこで討ち合って死んだ冒険者を取り込もうとしていたのではないか、とのことだ。魔獣が灰にならず燃え、溶けるように消えていったのはそれが胃の中であればこその反応だった可能性がある。だから、ツカサたちは体内に落とされた。そこで死んでも構わないし、死ぬまで免疫を倒し続けてくれるならば、イーグリステリアにとっては好都合だ。
「じゃあ、もしそうだとすると俺たち、結構イーグリステリアに手を貸しちゃったことになるね」
『そうなるね。ただ、君たちは、ツカサの機転でダンジョン側に敵ではないと示すことができた』
「迷宮の加護だね」
『そう、それがどういったものか君の説明以上のことは知らないが、免疫、魔獣が融けもせず、一気にダンジョン側に引き上げたのだとしたら。案内された結果を見ても、手を組める可能性が高い』
ちらりとダンジョンのこどもを見れば目が合った。にこ、と笑い返されたのでそうできるのだろうか。ツカサは呟いた。
「どうすればいいんだろう」
『すまないが、それはそこにいる君たちに任せるよりほかにない』
「策はない? アイデアでもいいよ。やっぱり、ヴァンたち詳しいから、頼りたい」
素直に教えを乞えば、ふっ、と苦笑を浮かべた音がした。また、そうだねぇ、とヴァンが腕を組み直したのだろう、衣擦れのごそりという音が紙に拾われる。
『僕はね、結構心配性なんだ。最悪の事態を想定して、最も悲惨な状況を思い浮かべて、そうならないように可能性を潰していく。軍師だけじゃなくて、冒険者もそうだろうけどさ』
ラングを指しているのだろう、ちらりと視線が兄に注がれる。
『まず一つ、僕なら、【快晴の蒼】ならば、ダンジョンに免疫を下がらせて、そこの男に道案内をさせ、イーグリステリアを真っすぐに目指す』
速戦即決、相手に力を得られる前に叩く。シェイの言っていた一か月という話を思い出した。それ以上は勝てないと言い、こちらが戦力を得る間に向こうがさらに強くなるといった話だ。
ツカサはハッと思いついて言ってみた。
「こっちのダンジョン側で、俺が魔法を使いまくるのはどうかな。こういう力もダンジョンの栄養なんでしょ? 後押しできるんじゃないかな」
『発想や、やり方としては悪くないと思う。君とシェイが二人いたなら僕も試しただろう。ただ、僕には結果を得るまでに、それがどのくらいの時間が掛かるものなのかがわからない』
「それもそっか」
頭ごなしに否定せず、試さない理由を含めながら見解を示されれば納得もいく。確かに、たった一日、二日でどの程度変わるのか未知数だった。それにね、とヴァンが顔を覗き込むような声で続けた。
『黒いダンジョン部分を僕は懸念してる。もし、それが、イーグリステリア側とダンジョンの拮抗する場所なら、君の話だとダンジョン側にかなり侵食しているように聞こえるんだよ』
タッ、とこどもがツカサの横に来て、何度も頷いた。実際、そうして奪われているからこそ、ダンジョン側は少しでも栄養が欲しくて冒険者の死体すら確保に走ったのだろう。そこで求める栄養素がそうしたものなのは、もはや触れないでおきたい。黒い部分は既に侵食された場所なのだとすれば、入り口から既に奪われているのか。ダンジョン側で魔法を使い栄養を与えたところで、奪えるものを増やすだけになってしまう可能性が浮かんだ。その点もすでに考えてのヴァンの言葉なのだろう。
『聞いたことからの可能性や憶測の話ばかりで、逆に混乱させていなければいいけど』
「ううん、大丈夫。やっぱり先達の知恵って大事だね。まず一つ、って言ったよね」
『次善策は遠回りな策だ。けれど、その場所の内情が分かった今、僕個人としてはこちらに賭けたい』
ヴァンの声色が重さを増したように感じた。小さく息を吸って続いた言葉に、ツカサは驚きのあまり声が出なくなった。
『ネルガヴァントの武器を持たないか』
視線はアルの槍に集まった。槍を持つアル自身も困惑して注がれる視線に首を振る。
「ネルガヴァントって、アルの持ってる槍のシリーズ? あれってほかにもあるの?」
「それを得てどういう結果が得られる」
ラングが問い、ヴァンが答えた。
『ネルガヴァントは様々な能力を持っている武器の名前だ。例えば、こわすこと、つくること、ひらくこと、ふうじること、ふさぐこと。これはざっくりとした特性だけど、その力は世界に穴を開けることもできちゃうんだよ』
「どこで手に入れるものなんだ」
『そこは任せてほしいな』
ヴァンが自分の胸を叩く音がした。
『ネルガヴァントが僕らの手元にもあるんだよ。あの子はふさぐことに特化した短剣で、サイダルに行っていたのはラングが渡ってきて開いた穴を塞ぐためだったんだよね』
「秘密の依頼って、それだったの?」
『そうそう、よく覚えているね。穴が開きっぱなしだと、いろいろ不都合らしくてね。向こうの大陸の視察ついでに頼まれて、閉じたのさ。それで、どうする?』
こちらに決定権を投げかけるのは、この場所の時間と安全性を最も知るのがツカサたちだからだ。合流するだけの時間を待つか、それとも、体を休め終わったら即座にイーグリステリアの討伐に向かうか。この決定もまた分水嶺になるのだろう。
視線がラングに注がれた。顎を撫で、じっと考えた後シールドが揺れた。
「私たちが受け取りに行くか、それとも届けられるか、どちらだ」
カタン、とヴァンが紙の向こう側で立ち上がった。
『新しい入り口を創れるだけの魔力を、栄養を、申し訳ないがダンジョンのこどもに渡してあげてほしい。繋いでもらえたらそこに届けに行こう。なに、そう待たせはしないよ』
ツカサは確かめるようにラングを見た。
「ダンジョンのことであれば、奴らの方が詳しい。乗ってやろう。ツカサ、できるか?」
「任せて」
ごとりと鍋を取り出して、ラングは待機の姿勢を示した。
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