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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人
322/470

4-51:黒のダンジョン

いつもご覧いただきありがとうございます。


 イーグリス周辺のダンジョンは色の名前がついている。黄壁のダンジョンは、周囲の木々もダンジョンの壁も黄色いことから黄壁と呼ばれ、紫壁のダンジョンは、周囲の木々もダンジョンの壁も紫色をしている。


 【黒のダンジョン】の名もその規則に準じてつけられたのだとすぐにわかった。近づけば近づくほど、木々は何かのバグを起こしたかのように真っ黒に染まり、そこから舞い散る葉もまた陽の光を遮る黒だった。ツカサは光を映さず、その影すら他に映さない黒を気味が悪いと思った。

 ダンジョン周辺のその異質さの中、冒険者たちがイーグリスの騎士たちと共に有事に備えていた。コアトルに乗った【異邦の旅人】に気づけば騎士は礼を取り、手綱を預かった。


「お待ちしておりました」

「状況を教えてくれ」

「時折、中から魔獣の鳴き声がします。周辺に黒い魔獣が現れることもありますが、教えていただいた対処法で討伐ができております」


 騎士はキビキビとラングに答えた。あ、とアルがラングの後ろから顔を出した。


「軍は? あいつらも防衛に備えて来るとか言ってたけど」

「メルシェツでの処理が終わってから合流すると伝達がきました。黒い魔獣を警戒し、ある程度散開しての布陣を整えてからとなるそうです」

「あぁ、わかった、ありがとな。引き続き兄貴、シグレ殿の指示を守ってくれ」

「ハッ!」


 ビシリと敬礼を決めた青年の声には少しだけ嬉しそうな音が滲んでいた。なんだかんだ、アルも大事にされているのがこういう時にわかり、ツカサはその背中をぽんぽんと叩いた。


「なんだよ?」

「いいんだ、いいんだよ」

「おかしな奴だな」


 微笑ましく自分を見てくるツカサに、アルは眉を顰め首を傾げたが深くは考えなかったようだ。そんなやり取りをしていればラングが少し先でこちらを見て待っていたので慌てて駆け寄った。

 冒険者たちの視線を感じる。彼らはダンジョンに足を踏み入れて探索ができず、ただ、魔獣暴走(スタンピード)には備えさせられている。羨望と苛立ちの混ざる視線は居心地が悪い。黒い木立を進んでいけば、真っ黒な大岩に、真っ黒な口が開いていた。ラングが振り返り、行動指針が示された。


「魔獣避けのランタンを点け、まずは一階層に降りる。数日前の報告では十階層まで魔獣はいないと聞いていたが、状況が変わっている」

「うん、掃除が先の可能性が高いね。俺が魔法を使うよ」

「それは助かるけど、ツカサ、魔力は大丈夫なのか?」

「二日、ゆっくりさせてもらったから」


 ティリ・カトゥーアの恩恵と魔力の服のおかげで、セリーリャを追いかけた時よりも回復している。オーリレアでの一戦で魔法に関しても様々な触発を受け、ツカサの中で何かが目覚めるような感覚すらあった。足手まといにはもうならないはずだ。


「任せる」


 ラングがそう言ってくれたことが自信を後押ししてくれて、胸を叩く。


「アル」


 ひょいとラングが投げた小瓶をアルが受け取り、布で巻かれ中身の見えないそれを手の中で回して確認した。ツカサが覗こうとしたその目を手で伏せ、ラングは囁いた。


「使いどころを間違えるな」

「…マジかよ」


 心底嫌そうな声でアルが呟き、ごそりとポーチに入れる音がしてからラングの手が退けられた。あれは何かと問う前にラングは自前のランタンを点けてツカサにシールドを向けた。言外にお前も点けろと示され、魔獣避けのランタンを点けた。先ほどの件は聞ける雰囲気ではなかった。

 そうして、【異邦の旅人】は【黒のダンジョン】へ足を踏み入れた。



 ――― 真っ黒だった。ランタンの明かりすら飲まれるような黒。何かどこかで、本当の黒は見えないのだと言われていたことを思い出す。光さえ届かないような【黒のダンジョン】の壁は手を置いていてもあるのかないのかわからなかった。ざりざりとしたこの感触だけが真実だ。僅少だがあると記載されていた魔法苔の姿も入り口では見当たらない。

 先頭を行くラングが階段を降りているのがわかるように、敢えて膝を使って上下に揺れ、位置を示してくれていたのは救いだ。それを参考に階段の幅を推測して後に続いた。しかし、この視界不良の中、よくあのシールドで前が見えるものだ。

 降り始めて五分もしただろうか、階段を降りるだけならば長い時間だ。ラングは階段の途中、音もなく手を挙げて後続の二人を止まらせた。ツカサはじっと耳を澄ませた。何か音が聞こえる。魔獣か。


「掃除だね」

「いや、妙だ。魔獣ではない。引き返すぞ、上がれ!」


 言葉の真意を問う前にツカサは振り返り、階段を蹴るアルに続いた。ちらりと階段下に向かって【鑑定眼】を使い、視えたものにハッと息を吸ってしまった。よそ見をして階段に足が引っかかり体勢を崩す。


「ツカサ! 立て!」


 ラングがその首根っこを掴んで飛ぶように階段を駆け上がり、ツカサを引き起こした。どうにか体勢を戻し、走り直す。


「ラング! 間に合わない!」


 先頭を走っていたアルがぐるりと踵を返した。ツカサは光差す入り口兼出口が閉じていくのを見た。それと同時、通路の幅が狭まり生温い風を感じた。

 ラングはツカサを引き寄せ脇に腕を回し、階段を飛び降りて戻ってきたアルに手を伸ばした。


「ツカサ、離すな! アル!」

「うおおぉ! 届け!」


 ぞるんっと聞き覚えのない音に飲まれ、ツカサは黒に包み込まれた。



 ――― ぴちょん、と水音がして瞼を開いた。気を失っていたのか、失っていないのかもわからない。黒に包み込まれてすぐに目を開いた気もするのだ。ごぉん、ごぉん、と肺に響くような音がして、思わず耳を押さえた。慣れてくるまでそうしていれば、少しずつ頭も落ち着いてくる。

 ぐっと体を起こして周囲を見渡す。黒いからか、暗いからか何も見えず、トーチを唱えた。ぱっと空間に光が広がりツカサはその光景に唖然とした。トーチに照らされたダンジョンの壁は、赤くて、白くて、筋張って、まるで内臓のようだったからだ。壁がゆっくりと膨らみ、ゆっくりと凹む。脈動がそこにあった。今倒れていた場所も湿っていて温かい。

 気持ち悪いものに取り囲まれていると気づき、さっと周囲を見渡せば自分の横に深緑のマントが、その腕の先で槍を握り締めた男が体を起こすところだった。

 今いる場所がはっきりと見えるようにトーチを広げ、ヒールも投げた。ふわっと治る感覚を得ながら二人の体に飛びついた。


「ラング! アル! 怪我は?」

「…問題ない、意識はある。皆いるな」

「…ぐるんぐるん回った気がする、気持ち悪い。危ない、間に合った。なんだったんだよあれ」


 ラングがマントを持ち上げて装備を確認した。粘液がついた布がびちょりと重そうだった。ツカサは自分もそうだと気づいてマントを揺らした。アルも体中のそれを払いながら立ち上がり、壁を、天井を見た。


「なんだこれ、今まで入ったダンジョンでも見たことのない光景だ」

「生きもののようだな」


 ランタンの明かりを白まで持っていき、ラングが掲げる。ごぉん、ごぉん、ごぅん、ぐぅん、低音が一定のリズムといくつかの音で刻まれる。


「あってる。ここ、ダンジョンの体内だよ。今までもそうだったんだろうけど、今は本当に体内の状態みたい。ダンジョンって最初はこうなのかな…?」


 呟くツカサにアルは目を見開き、それからトーチで照らされているところを見渡した。確かに、このダンジョンは自分と同じように脈打っている。生きている。衣服に、装備に沁みたこの液体にぞっとした。

 ラングは立ち上がりマントにくっついた粘液の塊をばさりと払った。弾力のあるスライムのような塊がべちょりと落ちた。


「何を視た」

「ダンジョンの内臓、って視えたんだ。今もそう視える。ごめん、驚いて階段で躓いて、あれがなければ出られたかも」

「いや、入り口もなくなってたし、どうあっても無理だったと思うぞ」


 アルがツカサの頭を撫でて慰めようとして、髪を払う動作に変えた。ツカサは自分の頭を触って粘液の塊に気づいて嫌悪感を露わにする。エイリアンの映画で見たことのあるねちょねちょ感だ。


「風呂入りたい」

「同感。とりあえず水魔法でざばーってやってくんない?」

「いいよ、ラングは?」

「頼む」


 ツカサは水魔法でざばりと洗い流し、髪を整えた。マントを絞ればじゃぁっと水が滴る。ある程度絞ったところで風魔法で乾かしてみせれば、やるな、とアルに褒められた。ラングはありがとうと言い、周囲の哨戒を続けている。それをラングに任せ、アルが頭の後ろで腕を組んだ。


「ツカサ、魔法障壁で水とかも防げないのか? こういう水分的なの」

「あっ、うん、できると思う、ごめん。攻撃にばかり気がいってて」

「頼りっぱなしで悪いけど、次は頼むよ。これは二度と嫌だ」

「ううん、言ってくれた方が助かる。俺も嫌だ」


 ツカサは魔法障壁に外部的な水を防ぐような、傘や合羽、水分を弾くイメージをして展開を調整した。数秒かけて調整が終わり、トーチを広げればこの場所がそれなりに広く円形で、五つの道があることがわかる。天井には弁のようなものがあったので、あそこから吐き出されるようにしてここに落とされたのだろう。入り口が口なのだとしたら食道か胃に落とされるものだと思うのだが、粘液にまみれていても融けなかったことから、ここは胃ではない。ならばまだ食道か、それとも気道か。いったいここは、ダンジョンのどこなのだろうか。


「帰還石使うか? 体勢整えに一度出てもいいと思う」

「入口閉じてたけど、次入れるかな」

「うぅん、それは、わかんねぇけど、この状況はな」

「寄れ」


 ラングが帰還石を取り出したのでさっと近寄り、ラングの腕に、肩に触れた。


「【帰還する(リルヴニア)】」


 いつもなら一瞬足元が消え、階段を数段飛び降りた時のような感覚があるはずが、何も起こらなかった。


「なるほど、私たちの知るダンジョンではなさそうだ」

「となると進むしかないわけか」


 不安や懸念はいくらでも胸に沸いて出てくる。帰還石を仕舞い、じっと沈黙を守るリーダーを二人は暫く見つめていた。


「それで、ラング、どうするんだ?」

「…ダンジョンというものは面倒だな。一先ず、下がれ」


 アルが問えば、ゆっくりとラングは唇に指を立てた。それと同時、もう一方の手で下がる方向を示され、壁際に寄り、通路の陰に身を隠した。


「トーチを消せ」


 言われた通りにトーチをすべて消す。ふっと暗闇に戻される不安が下っ腹を締めつけるが、ツカサの腹にラングが手を置いて、ぐっとそこに押し留めた。動くなということだ。その温もりに肺を震わせながら静かな呼吸を心掛けた。

 息を潜めて数秒、遠くの方からキチキチ、カサカサと生理的に嫌な音がした。虫の足が、体が立てるあの嫌な音だ。ツカサの腹にあったラングの手が離れる。代わりにアルが背後からツカサの胸板を押さえた。子ども扱いするなとむっとしたが、そんな感情はすぐに消えた。

 自分の横にあった気配がそこにあるのに何もなくなったことに驚き、思わずまさぐろうとしてアルの腕がそれを掴んだ。ほらな、と言いたげな気配を感じてぐっと恥じ入った。暗闇の中でざしゅっ、ばきっ、と物音がして、ギィィという虫の悲鳴が響いた。


「トーチ」


 ラングの声に素早く広げれば、ラングの足の下に脚を斬り落とされた大きな蜘蛛がいた。ダンジョンで初めて見る蜘蛛型の魔獣だ。体は毛むくじゃらではなく、ピンクの肉質で筋繊維の流れが見える見た目だ。これはこれで気持ち悪い。どろりと緑色の体液で床を濡らし、斬られた脚が向こうでびくんっと跳ねていた。


「鑑定しろ、そのために生かしている」

「あっ、うん」


 【鑑定眼】で視たことを声に出して伝えた。


【免疫 小】

 偶発的産物

 レベル:表記不可

 侵入者を排除する


「免疫だ、魔獣じゃない。いや、免疫も魔獣なのかな、ダンジョンの体内の防衛機能っぽいけど」

「免疫って、ざっくりとしか知らないけど体の中にある何かなんだよな? ツカサの言う、ダンジョンの体内ってこういうことか? こういうの俺たちの体にもいんの?」

「いや、俺たちのは全然形が違うよ。ここはダンジョンだから、免疫も魔獣なんだよ、きっと」


 虫が得意ではないらしい、アルはほっと息を吐いた。ラングは蜘蛛の首を斬り落とし、腕を振った。糸を這わせていたのだろう、細切れの肉片に変わるそれからツカサとアルは目を逸らした。灰になるというよりはぐずぐずと崩れていく姿が、故郷で見た固形燃料の燃え方に似ていた。和食店などで出てくる、鍋を温めるためのあれだ。やがて何もなくなったが素材や宝は出ない。黄壁のダンジョンと同じだ。


「侵入者か」


 ひゅるりと糸を回収しながら呟くラング。ちらりと覗き見れば【ジョーカーの鋼線】と出た。ラングの装備するシリーズ名からして、あれが師匠の武器なのだ。隠されなかったことに顔が緩みそうになった。くるりと振り返り()()()()ので誤魔化すように言った。


「侵入者って俺たちかな、それともイーグリステリアかな」

「まだわからないが、どちらも、ということもあり得る」

「ラング、追加が来るぞ」


 ガサガサと群れを成して近づいてくる音がした。迎え撃つか、逃げるか。


「囲まれたな、道を一本に決めて進むべきだろうが、どの道も気配が多くて安全とは言えん。迎撃するぞ。隙を見て、可能ならば移動する。魔獣避けのランタンは点けておけ、嫌がらせにはなるかもしれん」

「わかった。…あれ?」


 からんと揺らし改めて点けようとしたが、うんともすんとも言わない。魔力がきれいさっぱり切れていた。さっと手をかざして補充し、点ける。ふわっとまた魔力が霧散した。ハッとした。ツカサは自分を覆う魔法障壁を手だけ解いた。ずぅっと何かに吸われる感触がして、魔法障壁を戻す。


「魔力が吸われてる」


 ランタンにも魔法障壁を広げて点けなおし叫ぶ。そういえばトーチにも延々と魔力を送り込んでいたことに気づく。そこにも魔法障壁を使えば消費量ががくんと減った。

 シェイの教えを正しく守り、常に、寝ている時もできるようになっていてよかった。それがなければ今こうして動くこともできなかったのではないだろうか。


「魔力は大きな力だもんな、ダンジョンが成長するにも自衛するにも、良い栄養だろうなぁ」


 アルのぼやくような声にラングはツカサへシールドを向けた。


「ツカサは盾魔法とヒール、魔獣避けのランタンの稼働を頼む。使っていてあまり意味が無ければトーチだけでいい。私は良いとしても、二人とも魔法障壁には注意しろ。アルには多少魔力があるはずだ。枯渇すれば不調になるだろう」

「わかった」


 ラングに頷いたところで首筋に嫌な気配を感じた。反射で盾魔法(シードゥ)を使えば、何かがぶつかり、跳ね返って落ちていった。それを見てひゅっと息を吸った。


「なるほど? 勇み足で入った冒険者はあの姿になったわけだ?」


 アルが槍を構え吐き捨てた。ツカサの盾魔法に腐った血痕を残し、頭蓋骨が凹んだ冒険者の生首がゆらりと揺れて止まった。どういうことだ、一日経てば吸収されるはずの死体がまだ残っている。腐敗具合からして昨日今日の姿ではない。

 大きなミミズにムカデの足が生えたような魔獣がぬぅっとトーチの下に姿を現した。アルがぶるりと震えて呟いた。


「うおぉ…気持ち悪い…」

「いくつか種類がいるようだな。ツカサ、先ほど魔法は発動していたな」

「うん、大丈夫だった」

「では指示を追加する、無駄なく戦え、動けなくなるまでは使うな」

「わかった!」


 ラングとアルに展開している魔法障壁にも気を抜かずにいこう、ツカサは短剣とショートソードを構え体にぐっと力を入れ、筋肉じゃねぇぞ、と怒られる声を聞いた気がした。これはツカサのルーティーンになっていた。

 アルの雄たけびが響いた。マジェタの迷宮崩壊(ダンジョンブレイク)から逃げる際、魔獣の気を引いたあの威圧が込められた声。槍を突き出して飛び掛かってくる小型の虫を貫き、払うついでに次を薙ぎ払い、斬り裂く。

 ラングは双剣を手に関節を重点的に狙い魔獣の体勢を崩させ、首を斬り落とす。硬いものは鋼線を這わせて隙間に潜り込ませ、ぶつんと刻んでいた。蛇のように飛び掛かる魔獣を口端から切り裂く技術は健在だ。

 肉肉しいミミズはツカサが氷魔法と風魔法で切り刻んだ。ミンチ肉をまき散らし倒れたミミズの中から消化途中の冒険者の四肢がいくつも転がり出てきて吐き気を催す。通常の死体とはまた違う嫌悪感に目を逸らしたくなるのを堪えた。ダンジョンではなく、魔獣に食われたから死体が消えなかったのか。こいつが先ほど生首を吐いて飛ばしたのだとわかった。


 どのくらい戦っていたのだろうか。倒しても倒しても五つの通路から出てくる魔獣の数は減らない。それどころか徐々に種類が増えていっているように思えた。

 以前、自分で表現をしたことではあるが、ダンジョンが入り込んだウィルスを殺すために免疫の形を変え、進化していっているのだろうか。このままでは不味いかもしれない。

 けれど、そんな焦燥を感じながらもツカサは高揚していた。ラングとアルとこうして三人で戦うのは初めてなのだ。

 キフェルへの道中、二人の背中に守られていたあの時とは違い、三人背を合わせ、預けてくれていることが嬉しかった。明確に守る対象とされ、御者席で唇を嚙みしめて、悔しさと不安に叫びたい気持ちを堪えていた少年は、もういない。

 エレナと二人で入ったダンジョンはあった。黄壁のダンジョンではラングと、アルと、アーシェティア、シグレと共に入った。けれど、【異邦の旅人】の面子だけでのダンジョンではなかった。

 アーシェティアは移動の手間を省くためにパーティ入りし、本人も冒険者ではなく護衛の認識でいる。エレナはパーティを離脱し【異邦の旅人】ではなくなってしまった。

 四人だった時、王都マジェタのダンジョンに入ってから後、【異邦の旅人】という枠組みでダンジョンに入るのは久々なのだ。

 気味の悪い魔獣、突破口の見えない戦い、そんな最中だというのになぜか笑みが浮かんだ。

 ひゅうんと真横に槍を振るい足をまとめて切り払い、返した穂先で魔獣の首を刎ねながらアルが尋ねた。


「なんだ、楽しそうだな?」

「なんか俺、パーティでダンジョン入るといつも酷い目に遭ってる気がして。ゆっくり回れることが少ないような」


 ジュマで迷宮崩壊(ダンジョンブレイク)に巻き込まれ、左半身がズタズタになったことも、ジェキアで火傷だらけになったことも、王都マジェタで逃げるように離れたことも、黄壁のダンジョンで精神的に追い詰められたこともあった。

 どれも今思い返せば大変で、だが、懐かしく楽しかったダンジョンの思い出だ。純粋に攻略して踏破を目指したいと思う気持ちはある。

 氷魔法で通路の一つを防いでみた。少しだけ持ちそうなのでその間に別の通路に風魔法を放つ。炎魔法で別の通路を焼いた。これも有効だ。


「ツカサのダンジョン経験も、まぁ特殊だよな」


 ッパァン、と弾くような音を立てて、アルの槍が甲虫の頭を弾き飛ばした。槍の柄を長く握って振り抜くお得意の技だ。

 ふむ、とラングが続いた。


「ポアキス、故郷のギルドラー仲間が言っていたのだが」


 力の腕輪をちかりと光らせてラングの剣戟が不思議な軌道を描いた。その後に魔獣がずるりと落ちて死ぬのだから相変わらず意味がわからない。


「どうしてもダンジョンと相性の悪い奴はいるらしい」

「相性の悪い…」


 魔法を撃ちながら、槍を振るいながら一瞬目が合い、叫んだ。


「俺はソロの時に酷い目に遭ったことないからな!?」

「俺も、エレナと入ったダンジョンも、ソロもそんな…!」


 鋼線で柔らかい肉スライムのような魔獣を一気に刻む、その深緑のマントの背中に視線が集まった。


「ラングだろ」

「ラングだね」


 アルが気づいて、苛立たし気に叫んだ。


「そうだよ! 思い返せばそうじゃないか!? アズファルでも入り直した時、散々だった気がするんだよなぁ!?」

「ジュマ、ジェキア、マジェタはシュンが原因だけど…、黄壁のダンジョンは他にもいたけど…」

「その前の紫壁のダンジョンもな!?」

「全部ラングと入ったダンジョンだ!」


 わぁわぁと叫びながらも魔獣の頭を砕き、四肢を風魔法で切り裂き、ツカサとアルはあの時も、この時も、こんな状況で、とあったことを叫び続けた。っち、と舌打ちが聞こえた気がした。


「知らん、そもそも私は外専門のギルドラーだ。集中しろ」

「誤魔化した! ねぇ、今ラング誤魔化したよね!?」


 可笑しくなって笑う。とん、とん、と三人が真ん中に集まって背を合わせ、ツカサが展開した魔法障壁の中で少しの休憩を取る。魔法障壁に魔獣が集り、叩き、噛みつくが、壊れる気もしなければ眺めている余裕すらあった。ラングもアルも魔法障壁を疑う様子もない。


「ははは! なぁ! これ終わったら赤壁のダンジョン行こう! 俺まだ踏破してないんだよ! それにさ、【異邦の旅人】で踏破もしておきたいしな? 一度もないよな」

「確かに。こっちの大陸に来たら行こうって話、いろいろあってすっかりそのままだったよね」

「ラングだって欲しいだろ? 筋のある赤身肉」

「悪くない話だ」

「決まりだね、絶対行こう!」


 すぅ、ふぅ、と呼吸を整えた。


「となればまずここを突破しないとだ」


 アルが槍を握り直し、さてもう一度行くか、とラングの合図を待っていれば、頭上の弁が開く音がした。

 落ちてくるもの目掛けて魔獣が飛びつき、それが体を回転させて魔獣を切り刻みながら落ちてきて、地面に足をつけた。指示される前に魔法障壁を広げて、粘液にまみれた髪を掻き上げる男を内側に入れてやった。


「これはどういう状況です? パニッシャー」


 眉を顰め、粘液を払いながらヴァーレクスが尋ねた。アルがこそりとツカサに囁く。


「あいつがダンジョンと相性良ければ、攻略が楽になるな」


 その一言に笑ってしまい、ラングは深いため息を吐いた。新しい侵入者に魔獣がまた増える気配がした。


「ダンジョンの抵抗にあっている。よく入ってこれたものだ」

「入口は開いていましたよ。中腹に差し掛かったところで飲まれましてねぇ。それで、こちらでは何を?」

「イーグリステリアのところに行きたいのだが、どう探したものかと思っている」

「ほぅ、でしたら私が先導いたしましょう」


 ぬらりとタルワールを構えなおし、通路の一つを指してヴァーレクスがにんまりと笑った。


「あの女の加護か、この与えられた力を求めてか、呼ばれる感覚がありますのでねぇ。位置はわかります。道の安全性は保障しませんがね」

「いいだろう」


 ラングが双剣を構え、すーはーすーはー、呼吸を入れた。

 

「切り抜けるぞ! 続け!」


 四人の雄叫びが【黒のダンジョン】の中に響いた。



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