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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-44:片鱗の娘

いつもご覧いただきありがとうございます。


 メルシェツの宿【白い雲】でのことは、その夜、眠る前にヴァンに報告をした。


 パーティを分けて移動をしていた際に利用していた紙の通信魔道具はそのままラングに持たされていたので、さくりとチクった。

 これから各軍と連携を取ると言っていた矢先、民に迷惑行為を働く軍人が居たことに紙の向こう側で青筋を浮かべている姿が想像できた。怖くなって一方的に切ってしまったことは後で申し訳なく思ったが、許してほしい。聞いたことも無いような低い声でただ一言、潰す、と呟かれれば誰でも怖い。

 あの後、女将と主人は上機嫌で食事を用意し、ラングは足しにするようにと食材も提供した。トラブルを起こした後の印象回復操作だ。空腹のツカサとアルのためにたっぷりと料理を出してくれて助かった。それでも食材は残るだろう。

 見ていて囃し立てていた冒険者たちは、ラングが他者の剣で勝ち誇るな(虎の威を借る狐め)と叱責したため、そう長い間盛り上がることはできなかった。あまりの落ち込みように苦笑を浮かべてしまったが、ツカサはその通りだと思った。自分がそうならないように気をつけたかったが、フェネオリアで似たようなことをした覚えがあって黙っておいた。いや、あれは行動でも示したはずだが、思い出すのをやめた。

 温泉については当然と言えば当然だが、ラングは部屋で風呂を済ませ、ツカサはアルと入りに行った。

 アルは、俺はラングに勝ったぞ、とシールドの中身について言及していたが、正気の時に勝て、と切り捨てられていた。本気で見たいと思っての発言ではなかったようで、二人は互いにそれで終わらせていた。ツカサはまたアルの腕が飛ぶのではないかとハラハラしてしまった夜だった。


 翌朝もラングの手腕は続いた。

 よくある展開で、こいつだ、俺たちを誰だと思ってやがる、と軍人たちに宿を取り囲まれた。今朝は昨日の冒険者たちも最初から並んで立ち、宿を守る姿勢を見せた。

 ラングはついと一通の手紙を取り出して差し出した。

 アルにはそれが何かわかった。紫壁のダンジョンを攻略する際、王太子がラングに宛てた報酬と依頼についての手紙だ。すでに報酬をもらっているので【同封の書類】は無いが、効果は十分なようだった。

 この冒険者は王太子からの依頼を請けて新しいダンジョンの調査に来ている。そう相手に思わせたのだ。

 多くは語らず手紙という権力、無言の圧力、ラングが腕を組んだだけで【夕闇の騎士団】はじりじりと下がり、距離を取った。

 すごいと思うツカサと、ずるいと思うアルで感想に差はあるが、これである程度の面倒事は回避ができそうだった。

 余談だが、【空の騎士軍】と違い、【騎士団】であるのは、一軍との線引きのためらしい。


「昨夜の件、メルシェツでの立ち居振る舞い、すべて軍師ラスにも報告している」

「なんだと!?」

「あの軍師は動いているぞ」


 どう動いているか、こちらも多くを語らず相手に想像させる。ツカサはそのやり方をよく学ぼうとラングの立ち方、話し方をじっと見つめていた。

 王太子との縁を先に見せたのは軍師との縁もあるのではないか、と真実味を増すための順番だったのだ。事実、ヴァンに報告は済ませているのでそちらから王太子に連絡は入っているだろう。

 【夕闇の騎士団】は悔しそうにラングを睨む者と、真っ青になる者、それから、後悔を滲ませる者と三者三様だ。

 そこから自分を律せるかどうかは本人次第だ。ラングは飯にするぞ、とツカサとアルを伴い、宿に戻った。お前たちも必要以上に煽るな、と冒険者たちに言ったのは、宿の今後のためだろう。

 朝食も美味しかった。やはり焼きたてのパンは温かいうちに食べるに限る。セロリなど香草の提供は在庫がなくてできなかったが、白身魚の入った優しい味わいのワーテルーイもほっとできる味だった。

 食事が済んで一度部屋へ戻り、ツカサは鏡で自分の目を確認した。まだ血管が切れた影響があって白目の下のほうは赤く滲んでいるが、当初よりはマシだろう。ヒールを使ってもいいのだが、まだ魔力が戻りきっていないのでこの程度は自然治癒に任せることにした。シェイから借りたティリ・カトゥーアのおかげであと二日もすれば魔力は十分に戻ると感じている。これを返す時、どういう原理で回復しているのかも聞きたいところだ。

 鏡で確認してみれば、右目は言われた通り瞳が色を失い白くなっていて、けれど視力は無事だ。自分で見ていても左右色が違うのは違和感があった。

 アルは装備を確認しながら尋ねた。


「早速セシリー探しと行くか?」

「あぁ、メルシェツを出て北上、セシリーを捕らえる。それさえ済ませればあとはダンジョンを攻略すれば済む」

「攻略で良いんだ」


 聞けば、ラングは不思議そうにシールドを揺らした。


「ダンジョン攻略以外にやることがあるか?」

「言い方の問題なだけだけどさ、神狩りとかじゃないんだ」

「本分に戻ったほうがやりやすい」

「ダンジョンメインじゃなかったくせに」


 肩を竦めるラングに笑いを返した。けれど、ツカサはわかるような気がした。


「昨日、なんだかんだ楽しかった。ここ数日、自分がすごく緊張してたんだなって思った。冒険者じゃなくなってた気がするよ」

「そりゃぁ、お国のお偉方に囲まれてたしな」

「うん、俺、冒険者が好きだ」


 さらりと出た言葉に自分で驚きながら、ツカサは一つ頷いた。ラングを見遣って、もう一度言う。


「冒険者が好きだよ」


 自己責任の世界。明日死ぬかもしれないダンジョンの攻略が肌に合わないと感じた少年だった自分も、かつてはいた。自由の代償は自分にしか支払えず、常に選択と覚悟を強いられる生き方。いや、どの生き方でも、どの道でもそれはついて回るものなのだが、不思議と、今はそれを受け入れられていた。名を変えたことも大きい気がした。

 それに、生き方を教えてくれる人がたくさんいたからだ。ツカサは目の前の仲間を見つめ、それから笑った。

 ラングからふっと息が零れた。


「ようやく、駆け出しを脱したか」

「今なら冒険者(ギルドラー)になれるし、処刑人(パニッシャー)、俺も継げる?」

「お前には必要ない。支度をしろ」

「はい」


 ぴしゃりと言われ、笑う。アルはふぅん、と笑顔を滲ませてツカサの二の腕を肘で突いた。


「御大層なこと言われてきたけどさ、結局、そのままがいいってことだな」

「うん」


 肩を組まれて髪をぐしゃぐしゃにされたのも、今日は嫌ではなかった。


 ――― 宿の女将から昼に食べてほしいとサンドイッチを貰い、礼を言って出立した。

 本当なら少しの間滞在して【夕闇の騎士団】がどうなるかとか、宿に報復がないかとか、確かめておきたかった。その時間がないことをよくわかっているのでごねたりはしない。ラングに焚きつけられてやる気になっている冒険者たちがきっと、上手くやってくれるだろう。

 女将と主人は笑顔で送り出してくれて、また来ます、とだけ返した。

 メルシェツの北門を出る。王都を目指す人々は東門から、ツカサたちと同じように北門を出るのは冒険者だ。新しいダンジョンが解放された時のために、冒険者は今からイーグリスに拠点を得に行くのだ。

 ルフレンに乗って視界の高いツカサは冒険者の列が成されていることに少しだけ驚いた。


「冒険者って、自然災害にも動じないんだね」

「そもそもが身一つで生きてるからな。自然災害だ、世界の危機だ、治安だ、って関係ないんだよな」

「【夕闇の騎士団】は諦めちゃったのかな。だから好きにやってやろうってなったのかな」

「さぁな、楽なほうに流れる奴、権力に溺れる奴ってのはどこにでもいるもんだから」


 物語や映画でよく見る世紀末は、未来を諦め、今をとにかく楽しもうとする気持ちから生まれるのだろうか。この機会に自分にとって都合の良い場所を作り出そうとするのもまた理由か。

 ツカサは自分がこういった事態に巻き込まれておらず、ただ意味もわからず自然災害を目の当たりにした時、どうするだろうかと考えた。食料を得て、少しでも安全なところへ大事な人たちを連れていき、少しでも生き延びようとする方だと思い、ルフレンの上で腕を組む。この場合食料の調達はダンジョンだろう。安全なところがどこかもわからないまま移動を続ければ、やがて心も荒んでしまうかもしれない。ならば、変わらない毎日を最後まで過ごす方が幸せなのだろうか。

 とん、と足を叩かれた。


「おい、ツカサ?」

「あ、ごめん、考え事してた。なに?」

「冒険者の列から外れるぞ、って」


 アルはルフレンの頭絡を掴んでラングの方へ連れていった。道のはずれ、森への方角で深緑のマントが揺れていた。

 ラングのマントの修繕は済んでいた。前に掛けるようになっている部分が二十センチは短くなり、脛まであったものが膝丈になっていた。それでも十分に目くらましの効果はあるだろう。穴が開いた部分を内側に折り返し、それも戒めにする形で残したそうだ。

 胸鎧はどうしたかというと、在庫があったのでそちらへ変えたらしい。ただ、穴が開いてしまった前の胸鎧がどうなったのかは教えてもらえなかった。

 ルフレンは軽い足取りでラングに辿り着き、その肩に後ろから顔を寄せた。ラングは振り返らずにそれを撫で落ちつけてやった。


「ごめん、考え事してた」

「悪い癖だ」

「直そうとは、してる。それで、この先にいるの?」

「そうらしい」


 びゅうっと風が吹いて人の身を象ったウィゴールが地面に足を着き、とっと、と転びかけた。アルに支えられて笑う。


「悪い悪い、いつも飛んでるから、地面を歩くって慣れなくて」

「大丈夫?」

「おぉ、問題ない! ルフレンは俺が預かるよ、そのためにも人の姿でいないとな」


 ウィゴールがほれ、と腕を差し出すのでツカサは降りて手綱を任せた。ルフレンは大人しくそちらへ向かい、そっと並んだ。この先の森では思うように背中に乗せて走ってやれないとわかっているのだろう。ぶる、と鳴いてツカサに改めて一歩踏み出し、思ったよりも勢いのある鼻面が横っ面を殴る。それを愛しく思い、ツカサもぎゅっと抱きしめた。本当にいつも優しい。

 アルに肩を叩かれ、離れ、ウィゴールがにかりと笑った。


「安心しろ、風の精霊が預かる」

「本題を頼む」

「おう」


 次に、ウィゴールは地面をぱしぱしと叩き、声をかけた。


「ディルバ、ディルバ、ちょっと手を貸せよ」

「アクアエリスと喧嘩したのか?」

「してない、単純にディルバのが場所が良いと思った」


 ぬぅっと地面からも人が現れた。褐色の肌、深い琥珀色の目、体の大きな男性型のインディアンのような印象を受ける精霊だ。ルフレンの影に現れる機転のおかげで、向こうで道を行く冒険者からは急に人が増えたようには見えなかっただろう。

 ほっと息を吐くツカサの前で、ウィゴールは森を指さした。


「木々を避けて道を作ったほうが早いだろ。俺は風で冒険者の目を逸らして、木々を揺らして、動くのを誤魔化す。若に、精霊のやることは人が驚くことなんだって言われたろ。誤魔化すの大事だって。だから」

「わかった、わかった、そう言の葉を重ねるな。我々にとっても一大事、協力はする」


 ゆったりとした動作なのは大地だからだろうか。森を見遣ったのも優に十秒はかけ、じっと目を細めた。


「ラングよ、あの片鱗は理を操れる。それは魔力のない人だけではなく、幼い精霊たちもそうだ」

「ならばツカサに魔法障壁を展開させ、走ろう」


 魔力で精霊を追いやってしまうということだ。ツカサはうんと頷いた。


「最初に俺が風を通して位置を知らせる。でも、たぶん逃げて動く。そもそも向こうも気づいてる。近づけば幼精たちが奪われて、手伝えなくなる」

「問題ない、ある程度近寄ることさえできれば私が追える」

「ラング、森の中の追跡得意だもんね」


 治癒魔法を瀕死の少年少女に使ったあの日、ラングが追跡の仕方を教えてくれたことを思い出した。あの時に比べれば自分だって成長しているだろう。頷き合うヒトを眺め、ディルバが言った。


「では、風が吹いたら道を創る」

「構えろ」

「了解、俺は他に操られた奴らを黙らせに行く。ラングとツカサに任せるからな」

「うん、わかってる」

「ツカサ」


 ラングに名を呼ばれ、そちらを見る。


「しっかりとついてこい」


 頷き、息を吸った。すーはーすーはー、隣で聞くと深さの違う呼吸に、その音を目指さなければと思った。

 ウィゴールが叫んだ。


「そこだ、任せる!」


 ざぁぁ、と風が吹いた。街道の冒険者たちも突風に吹かれ驚きの、困惑の声を上げ、それを合図にラングが先頭を走った。次いでツカサ、最後にアルだ。

 木々がうるさく葉を擦り合わせ林から森へ、深くなるにつれてその音が鼓膜を占拠した。その音に紛れ木々が大地に張った根を解かれ、道ができた。地面に突きだした根も、砂利すらなく整地された道を駆け抜けていく。精霊の力に改めて驚かされた。風に背を押され自分で走る以上に速くなっている気がした。

 最後にもう一度強く背を押され、ウィゴールの声がした。


「ごめん、ここまで! 後は任せる!」

「魔法障壁を展開するよ!」


 ツカサは瞬時に魔力を放ち、広範囲に魔法障壁を張った。大丈夫、借りたティリ・カトゥーアが、マントがこの行動を余裕で持たせてくれる。

 さっとラングが右に一つ手を振った。


「アル」

「あいよ!」


 背後でアルが地面を蹴って離れる音がした。後方に置いていかれたそちらから、ばきっと音がしたので誰かいたのだ。よくよく感じ取れば魔法障壁に人が触れる気配がある。いまさらながらこれは使える、と思った。

 走り、木の根に倒れている人を何人か見かけた。人間が眠らないで動ける限界を超え、ここまで動かされた者たちが倒れているのだ。個人差はあるだろうが、ぽとり、ぽとりと人が落ちているのは異様な光景だ。

 ラングは不意にツカサへ尋ねた。


「追えるか?」


 双剣に手をかけたその姿に、ツカサは答えた。


「追える!」

「では行け」


 また一段速くなったラングは前から襲い掛かってくる冒険者の剣を掻い潜り、その喉に剣の柄を叩き込んだ。そのままの勢いでさらにその後ろから来た女の腕を回転して避け、それを利用して脇腹を蹴り飛ばして木に叩きつけた。そうして開かれた道をツカサは駆け抜けた。ざっと見渡しただけで他に五人はいたが、ラングのことだ、問題ないだろう。

 ツカサは走りながら視線を地面に、木々の幹に、草に置いた。魔法障壁と片鱗の誘惑の間、大地は道を創れなくなっているので木を避けながら走った。

 地面に残った足跡、折れた木の枝、その痕跡の新しさに近い、と確信した。

 大人の足跡が一つ、けれど、ツカサが地面を蹴るよりも深く沈んでいる。


「抱っこしてるな」


 魔法障壁を前方へさらに広げ、人を感知した。そちらへ向かって地面を蹴って追えば、木々の隙間から見覚えのある後ろ頭が見えた。


「ヘクター!」


 名を呼んでも振り返りはしない。腕から零れるように淡い紫の髪が揺れている。

 魔法で足止めをする前に前方からナイフが飛んできて短剣で、盾魔法で防ぐ。そういえばヘクターの戦い方を知らなかった。

 走りながら氷魔法を放つ。左、右、敢えて外すようにして逃げる方向を誘導し、正気でないヘクターの本能を信じた。

 木々が途切れて一瞬、真っすぐな道になった。ここだ。


「止まれ!」


 氷魔法で一気に地面を凍らせ、ヘクターの足を氷漬けにした。がくりと氷に倒れたその腕から子供が飛んだ。器用に魔法障壁でそれを受け止めて、いつだったか黄壁のダンジョンで復活した屍の合成魔獣(エルキマイラ)を包み、捕らえた時と同じようにした。様々な経験が今、ツカサを動かしたのだ。

 右耳が熱い。その子供は、三歳とは思えないほどはっきりとした敵意をツカサに向けた。隠れ家の中庭で水遊びをした時の朗らかさはなんだったのかと、唇を強く結んだ。

 魔法障壁をこちらへ寄せるようにすれば、ピキピキ、と氷の中で抵抗する音がした。ハッとそちらを振り返ればブーツを捨てたヘクターが短剣を手にツカサに襲い掛かってきた。

 手にした短剣で初撃を防ぎ、探知に使っていた魔法障壁とは別に、盾魔法で自身を包み込む。視界の外でガキンと金属音がしてそちらを確認すれば、今防いだのとは逆の手に持たれたナイフがツカサの脇腹めがけて振り抜かれ、魔法障壁にキチキチと音を立てていた。

 ぞっとした。飄々とした見た目と違い、この男、かなりの手練れだ。わかりやすい虚の攻撃に気を取られ、実の攻撃を運良く盾魔法で防いだに過ぎなかった。

 そのやり方がラングと被り、ツカサはこの場を持たせることに方針を変えた。

 セシリーを捕らえた魔法障壁は近くに、自分を守るための盾魔法は硬く、目の前のヘクターの攻撃を防ぎ、払い、時間を稼いだ。

 そうしていれば必ず来てくれるという確信と信頼があったからだ。


「酷使したものだ」


 足音もなく森を駆け、深緑のマントがヘクターの背後で揺らめいた。

 ずっ、と重い圧が圧し掛かり、ヘクターの動きを止め、振り返らせた。手に持った双剣が鞘ごと振り抜かれ、めきょ、と何かを潰すような音を立てた。右腕に入ったその一撃がヘクターの肘を砕いたのだ。一瞬の停止時間を経てからヘクターは力に押し負けて飛び、木の幹にぶつかった。それでも立ち上がりよろけながらもナイフを投げた。

 それを打ち払って一息で距離を詰めると、いつの間にか逆の手に持っていた短剣の腹をラングが腕全体を使って振り抜いた。力の腕輪がちかりと輝いた。

 左肘、両膝、それを手早く全て砕き、最後に下から顎を殴った。ゴゴッと痛い音がして後頭部も幹にぶつけたのだろうとわかった。

 容赦がない、ヘクターの四肢は、顎は砕かれた。

 流石に耐えきれなかったか白目を剥いて地面に顔面から落ちたヘクターに、ラングはさらに縛り上げるまでを済ませてから振り返った。


「そちらは無事だな」

「よ、容赦ないね」


 礼を言うべきところ、引いてしまって思わず言った言葉にラングは首を傾げた。


「私は私に剣を向ける者に容赦はしない。生かしているだけ親切だと思うが」

「…そうだね、後で正気が確認できたら、手当てするよ」

「そうしろ」

「悪い、遅れた! ちょこちょこ出てきやがって面倒な!」


 ざっと草を越えて、葉っぱを頭につけたアルが合流し、そこでのびているヘクターに驚きつつも捕らえているセシリーにほっと息を吐く。


「上手くいった?」

「これから」


 少女は魔法障壁の中でガタガタと震えていて、ツカサが手を伸ばすと金切り声を上げた。

 言葉になってはいないが、言っていることはわかるような気がした。やめろとか、自分に手を出したらどうなるかとか、そんなことではないだろうか。

 魔法障壁に手を突っ込めばガブリと思い切り噛みつかれた。痛みに顔は歪むが、ツカサはその手を止めなかった。


「全部が全部わかったってわけじゃないけど、自分の中に優先順位を置いておくことって大事なんだ」


 そのまま、セシリーの顔を掴んだ。

 ジュマのダンジョン攻略でエルドが【真夜中の梟】を選んだように。

 ラングがツカサを守るために他者よりもツカサに比重を置いてくれたように。


「それに俺はもう選んで、覚悟した。俺は、【仲間】と【大事な人たち】を守るために、俺の世界の元神様(イーグリステリア)を変える」


 じわっと掌に違和感が生じた。


全ての理の神(クリアヴァクス)の慈悲は次の一呼吸に変える。そのまま消えろ。何かに干渉する力は、すべて使えないように変える。ただの人に変われ」


 んー、と懇願するように少女は涙を浮かべ、ツカサの腕を引っ搔いた。最初からこうしてやっていれば、この神様も抗わなかったのかもしれない。

 口から手を離し両手で少女の頬を押さえれば、少女はぎゅうっと息を我慢していたがやがて我慢しきれずにぷはっと呼吸をした。ふわっと全身から虹色の輝きが空に放たれ、全ての理の神(クリアヴァクス)の慈悲が少女から離れて行った。それを小さな手が追いかけて捕まえようとするが溶けて消えて残らなかった。それはそうだ、そうなるように変えたのだから。

 それを見て絶望し、徐々に抵抗力を失っていく少女をそっと抱き寄せて、ツカサは全身で【変換】を使い続けた。


「人として生きて、そして死ぬんだ。その体に、その魂にはもう、どんな力も入れられない、留められないように変える。イーグリステリアの名ではなく、イーグリステリアに触れることができないように変われ。ただの人間に変われ。それから、必死に生きろ」


 この生から自ら逃げることは許さない。

 じゅわ、という感触が正しいのか、ツカサは腕の中で何かが溶けていくように感じた。そこにある子供の体温から何かが抜けていく。

 悲鳴が、嘆きがツカサの鼓膜をつんざく。頭が痛くなった、けれど、まだ残るこの気持ち悪さに【変換】を使い続けた。


「神の娘から、ただの人に変われ!」


 叫び、同時、ツカサは自分の意識がどこかに飛ばされるのを感じた。

 ぴちょん、と水音がした気がしてはっと息を吸う。


「セシリー?」


 この腕に抱いていた娘の重さが無くなっていた。それどころか森の中ですらなくなっていた。真っ暗な闇、足元も不安になってしまう。

 ここはどこだ。ツカサは周囲を見渡し、先ほど信頼に応えてくれたラングを、合流したアルを探した。


「ラング! アル!」


 名を呼びながら周囲を見渡し、二周目で背後に人がいてびくりと震えてしまった。

 闇に紛れていて顔が見えない。真っ黒なローブのようなものが、周囲の闇に紛れていて体の輪郭すら定かではない。誰だかわからないが、本能的に逆らってはいけない気がした。

 ぬぅっと手が差し向けられた。びくっと両腕で顔を庇い、何かに備えた。冷たい指先が頭を庇った手に触れた。つぃと撫でられ、何が起きたか知りたくてそろりと腕をずらし、目を開いた。

 先ほどまで闇だけだった場所が、様々な星の輝きに照らされて眩しくなっていた。まるでVRで宇宙か何かを見ている気分になった。

 ごぉうと音を立てて星が飛んでいく。水の綺麗な青い星も、緑の星も、茶色一色の星もある。そこから喜怒哀楽、様々な声が聞こえてきた。

 幸せに笑う人の声、何かに怒る声、悲しみに泣く声、友と楽しそうに笑う声。次いで悲鳴や助けを求める声が、爆発音が、自然の荒れ狂う音が響いた。

 目の前でいくつかの星がどろりと融けて、闇にべちょりと落ちた。そこでもまだ何かを呻き、話している。

 その人はそれを指を振るだけで持ち上げ、ツカサの前に差し出した。受け取りたくはないが、無理矢理腕を前に出させられ、持たされた。

 熱くてねっとりとした何か。昔遊んだスライムのような粘性、それが無数の細い手足を出してツカサの手から落ちないようにぴちぴちと必死で掴もうとするのだ。ぞわりと悪寒が走った。


「これは、なんですか?」


 尋ねた先のその人は明るい光を放つ星を眺めていて、その光のおかげでぼやけていた輪郭がようやく見えた。

 神だ、と思った。これが全ての理の神(クリアヴァクス)なのだと、何故か分かった。

 すぅっとツカサを向いた瞳は何も映さない白、中心だけが金に煌めいてとても眩しい目だ。長く黒いローブで頭から下まで覆っているので全身はわからないものの、袖から覗く手だけは自分たち人のものと同じで安心した。

 手に抱えさせられたこのねちょねちょしたものをどうすればいいのか、教えてほしかった。


【傲慢なヒトめ、神の片鱗を思う様使い、気分はよかったか】


 不思議な音が響いた。日本語でも英語でもない、公用語でも、ラングの故郷の言葉でもない。その人は唇を動かしていないのに確かにツカサには声が聞こえた。

 咎められているのだとわかった。持ちたくて持った力ではない。使いたくて使ったわけでもない。必要だったから使ったのだと声に出す前に、神はじっとツカサを観察していた。神なのだ、考えればわかるのだろう。隠し事はできないと思った。

 ぴちち、と無数の手がツカサの手首を掴んで体を登ろうとしたので慌てて掌に戻した。小学校の頃、友達の家で持たせてもらったハムスターが体を登るのを防いだ感覚と同じだった。


【まただ】


 つ、と指先がその塊に向けられ、パッと弾けた。ツカサは顔に飛んでくる粘液を覚悟したが風が吹いただけだった。

 いったい、この人は何をしたいのだろう。


【どうすれば逃れられる、どうすれば救うことができる。失敗だが、失敗作だが、惜しいと思う気持ちを、その理由を私は知りたい】


 ゆる、と振られたその手に導かれ、ツカサの影から少女が現れた。おずおずと小さな足を踏み出し、淡い紫の髪がもじもじと揺れている。セシリーだ。

 何をするつもりなのかと叫びたいが声が出ない。神はしゃがみ込んでセシリーを覗き込み、じっと眺めた。その視線を受けてセシリーは俯き、じっと服を掴んだ。

 初対面なのかと思うほどぎこちない空気だ。そういえば全ての理の神(クリアヴァクス)は子供を創りだし生みだしはするが、そのまま放置する神だと聞いた。接し方がわからないのだろうか。


【我が友、セルクスとの約束を果たそう】


 それは力を消滅させ、命を消滅させ、二度と生まれないようにするということだ。

 待って、とツカサは思わず手を伸ばしていた。神はセシリーに伸ばしていた手を止め、待ってくれた。

 そのまま消すんじゃなくて、せめて最期に、抱きしめてあげてよ。

 イルがどうしても関心を惹きたかった人だ。セシリーがどう思っているかはわからないが、あれこれ取り上げられたと文句を言うくらいには、その人を【親】と認識しているのではないだろうか。ならばせめて、この幼い娘に温もりを教えてあげて欲しかった。

 甘い考えかもしれない。ラングに聞かれたら、綺麗事を言うのだな、と言われるかもしれない。だが、あの時とは違い、ツカサは自身を懸けて想い、願った。

 ツカサが母から、今は見限った父から、兄から、仲間から、この世界の母から、好きな子から、今まで繋がりを得た全ての人から受けた温もりを、少しだけでいい、知って欲しかった。

 言葉にするよりも胸を駆け巡ったものが直接神には見えるのだろう。

 消すためにセシリーの頭に触れようとしていた手が、もう一本増えて娘の両脇に差し込まれた。

 いつだったかラングがぶらりと持ち上げたのと同じようにしていたので、ツカサは抱っこのジェスチャーをして見せた。神はぎこちなくセシリーを抱いて、ツカサの動作を真似して背中をぽん、ぽん、と叩いた。

 途端、ぼろりとセシリーは涙を零し、その感情の波がツカサにも届いた。

 会いたかった、寂しかった、がんばったの。輝きが羨ましくて、気を紛らわせたくて、温もりが欲しくて、恋しくて、人の想いを知ることに夢中になった。知れば知るほど自分が如何に孤独なのかを知って、堪らなく苦しかった。ここに来て家族を与えられたけれど、それは自分の親でも家族でもなかった。

 だから、取り戻そうとしたの。取り上げられたものを、父との繋がりをもう一度。

 泣きじゃくる少女の想いに当てられて、ツカサは同じようにぼろりと涙を零した。


【わかった】


 神はたった一言だけそう返した。もっと他に言うことがあるだろうと思ったが、それでいいらしい。受け止めてもらえたことで、満足だと言わんばかりにセシリーは目を瞑り、父の首に腕を回した。

 ぽん、ぽん、と叩き続けた優しい手の中でセシリーは光の粒になって消えた。

 ツカサは自分の世界の神だった存在が消滅したことを、故郷が完全に消滅したことを本能で理解した。


「――― ツカサ! ツカサ! おい、大丈夫か!」


 ペチペチと頬を叩かれ呻く。痛い、起きているからもうやめてくれ。ツカサはううんと唸ってその手を払った。

 何度か瞬けば自分を覗き込む仲間の顔があって、ラングの膝が背を支えてくれていた。少しの間を置いて自分が倒れていたのだとわかった。

 ハッとして周囲を見渡せばアルの腕の中にはセシリーがいて、くったりとしていた。


「どのくらい気絶してた!?」

「ほんの十秒くらい、二人して倒れるから焦った。こっちも気絶はしてるけど、生きてる」


 ほーっとアルが安堵の息を吐いてから、セシリーの前髪を払って幼子の顔を見せてくれた。

 それを覗き込んでツカサも肩から力を抜いた。ラングはツカサを膝から起こしながら尋ねた。


「【変換】は上手くいったのか」

「うん、この子はただの人の子、もう神の娘でも片鱗でもない。…ただのヒトだよ」


 柔らかい子供の頬を撫でるツカサに、ラングとアルは少し顔を見合わせた。

 ぼんやりとした夢を見ていたような気がする。覚えてはいないが、寂しいような、優しいような、不思議な夢を。何か重大な真実を知ったような気もしたが、その全てが泡沫(うたかた)の輝きだったのだろう。

 これから、この子には本当の意味での人生が待っているはずだ。

 都合の良い夢かもしれないが、そうであってほしいと願いを込めた。


「うっうぅ…なんらぁ、こほ…いたひ…! ぎゃっ…!」


 もぞ、と動いて呻いた声にそちらを振り返ればヘクターがびくんっと痙攣していた。目を覚ませば両肘がひしゃげ、顎が砕かれ、両膝が割られていたので混乱しただろう。それから絶叫が上がった。

 さっとラングが眠らせてその間にツカサが治癒魔法を使った。先ほどのは痛い夢だったと言ってやろうと思う。

 アルはセシリーを抱っこして気まずい顔をした。


「ごめん、俺も結構思い切り怪我させてきたから、ツカサ、手当て頼めるか? 魔力平気?」

「うん、大丈夫。手当てするよ、最初からそのつもり」


 森の中、風が木々の葉を揺らし、そこに支配がないことを知らせてくれていた。




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