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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-43:旅路を戻って

いつもご覧いただきありがとうございます。


 近くで声が聞こえる。それなりの声量で話しているので煩くて唸ってしまった。もう少し寝たいが、唸った声を聞きつけて肩を軽く叩かれ覚醒を促された。


「ツカサ? 大丈夫か」

「い、たた」


 背中を支えて起こされ、ツカサは目元を押さえてからきょろ、と周囲を見渡した。

 隠れ家ではなく野営地、キャンプエリアかと思ったが近くに他の人々がいないので、外れた場所を選んだのとわかった。焚火がパチパチと音を立てていた。

 最後に見たのは晴天だったというのにいつの間に夜になったのか。毛皮の上に布が敷かれ、そこに寝かされていたのだ。

 困惑していればアルが目の前で手を揺らし、ツカサの意識を確認してきた。


「大丈夫か、わかるか?」

「アルでしょ、わかるよ。何があったの? ここどこ?」

「よかった、心配したんだぞ。説明するからまずは一杯、癒しの泉エリアの水を飲んどけ。いいな? ラング! ツカサが起きた!」


 ぽんと肩を叩かれて言われた通りにする。取り出したコップに注いでちびりと飲めば、ツキン、と頭が痛んだ。ふるふると頭を振れば眩暈がして、と、と背中を支えられた。この手の感触はラングだ。


「気分はどうだ」

「ちょっと頭が痛い」

「説明する、もう少し横になっていろ」


 こちらも素直に言うことを聞いた。丸めた布に頭を乗せて焚火の明かりでオレンジに照らされたラングのシールドをぼんやりと眺めた。小さい頃、風邪で高熱を出した時、そうしてこちらを覗いていた父を思い出して少しだけ目が潤む気がした。風邪をひくと母が優しくて、なぜかアイスを強請ったなぁと思いながら深呼吸、何度か瞬いて誤魔化し、視線を巡らせて周囲を見てみればルフレンの姿もあった。

 まずはラングが一つ結論を述べた。


「【変換】は二度と使うな」


 何を言っているのか。女神の魔力を【変換】したり、いろいろとやらなければならないことがあるだろう。ツカサは億劫で声を出せなかったが視線で言いたいことがわかるのか、ラングは自身の唇に人差し指を立て、喋るな、と示した。


「覚えているか、お前が【変換】を使い、空にあった雲ごと成れの果ての雨を風に変えた」


 あぁ、そうだった気がする。目をぱちりと閉じて頷き、続きを促した。


「スカイ全土、それどころか他国まで風は吹いたそうだ。地面に沁み込んでしまった黒い雨以外、すべてが消えた」

「でも、それがツカサの体にはすごい負担だったんだな」


 ラングとアルの二人から覗き込まれた状態がなぜか可笑しくて、兄弟に心配されているような状況に口元が緩んだ。一人っ子だったのでこういうことに憧れた幼い日もあった。

 アルはその様子に心配そうにラングを見て、そちらでは肩を竦めていた。これまたざっくりと経緯を聞かされてツカサは驚いた。

 【変換】を使ったあの後、ツカサは大量の鼻血を流して倒れ、ヴァンが支え助けたのだという。慌ててロナが手当てを、ラングが癒しの泉エリアの水を飲ませて対処に追われたらしい。

 目の血管が切れて真っ赤に染まった白目、だらしなく開いた口が痙攣し、鼻血で溺れそうになっていた姿は今にも死にそうだった、とアルは辛そうに言った。想像するだけで随分みっともない姿だ、恥ずかしく思った。

 あれから半日が経っていて、現在はイーグリスに向かって移動をしている最中だという。魔力の服はシェイから剥ぎ取り勝手に着せたと言われ、自分の服を撫でて確認してしまった。いつもの感触がした。


「ツカサ、お前の右目、今真っ白なんだぞ」

「えぇ、どういうこと」

「ツカサの瞳って茶色っていうか黒っていうか、そんな中間色だっただろ? 今は白目は両目とも真っ赤だし、右は瞳の色を失ってる。これ右目で見えるか? 何本?」

「うん、見えてるけど、二本」

「【変換】が神の力の片鱗ならば、人の身で使い続けるのには代償があるのかもしれん。もしくは力に耐えられないのだろう。特に、今回はその範囲も広かった」


 ラングに使うなと言われた理由がわかった。今回は幸い、目の色を失ったくらいで視力は無事だが、続ければ何かを失う可能性があるということだ。目だけでない、他にも思いつくことはある。


「使い続けた場合、どうなるのかと聞いてはいるのだが、要領を得ない」


 ついとシールドが向いたほうに人がいた。いつだったかツカサの行く手を阻んだ水の人と、ふわふわと衣服を揺らしている柔らかそうな人。精霊だと気づいた。

 ラングから紹介を受けた。


「水のアクアエリス、風のウィゴールだ」

「精霊の視点から【変換】について聞いてたんだけど、収穫がないんだよな」

「俺たちにもそれ不思議な力なんだって、魔力が理に変わるなんてびっくりしたんだ! そもそも神の力の片鱗を人が持つっていうのも、こう、ぞわわってするんだよぉ」


 この声量、この声、先ほどツカサが目を覚ましたきっかけのものだ。ウィゴールの声だったのだ。

 ツカサはぽつりと尋ねた。


「あの、セシリーは? 精霊って理の属性なんでしょ? じゃあ、理の片鱗を持ってるセシリー、見つけられるんじゃないの?」


 ウィゴールがアクアエリスを見た。そちらでは少しだけ言い難そうに視線を逸らした後、目を瞑った。

 焦れた様子でウィゴールが自分の胸を叩いた。


「俺が居場所を教えるよ、風は常に人の傍にある」

「ウィゴール、それが私たちにとってどれほど危険なことかわかっているのでしょうね?」

「だったらアクアエリスは水の中に戻ればいい、俺は友達を助けるんだ」


 ふん、とウィゴールはそっぽを向いてからアルににかっと笑った。


「この世界に生まれ落ちた時点でリガーヴァルの旦那の管轄だ、本当なら旦那が動くべきなんだけどな。ごめんな、目を覚まさなくて」

「イルって神様の件で盾になってたんでしょ? 仕方ないよ」

「悪いな、大きな事が起きてるのも今だから、介入できる機会も逃してて」

「ウィゴールが謝ることじゃないって、ツカサもそう言いたいんだろ。話が進まないからそのくらいにしとこうぜ?」


 アルに言われ、ウィゴールはこっくりと頷いた。ぱちっと焚火が揺らめいた。


「セシリーは、ダンジョンの子供を目指して進んでて、まだ距離があるから安心しろ。理の片鱗があるからちょっと精霊に同化して見えて、見つけにくいんだけど、今は街の外にいるから、違和感を探せばそこにいるのはわかる」

「ヴァンとシェイの影がヘクターとセシリーを探していたのだがな。どうやらお前同様、セシリーは力を使って体調を崩していたらしい」


 ラングの捕捉にツカサはゆっくりと顔をそちらへ向けた。その視線を受けてから話してくれる辺り、こういうところは親切だ。


「ヴァンは三歳児であることが好機だと言っていたが、その通りだったようだ。その時間は私たちが動けるだけの時間も作ってくれた」

「宿に引き籠ってて、出てきたところを見つけたんだってさ。間に合う! 今すぐ行け! ってヴァンが叫んだからびっくりしたんぞ。それで、ツカサが起きるのも待たずに着替えさせて連れてきたってわけだ」


 なるほど、そして恐らく、ルフレンが駆けられるだけの距離を移動し、一度休憩をとったのだ。そこで目を覚ましたのだろう。

 ツカサはもう一つ尋ねた。


「ヘクターは? 無事なの?」


 おう、とウィゴールが頷いて早口でまくし立てた。


「今もセシリーの傍にいて、ヘクターみたいな奴がちょっと増えてる。ヒトの手回しって早いんだな、北側の門は冒険者だけが通れるようになってて、一度止められたけど操ってる奴らを利用して突破したみたいだ。そういう無茶なことをすればまた体調を崩すだろうな」


 ウィゴールが興奮気味に話すのを聞きながら、ダンジョンへの道の規制、閉鎖は素早く行われたらしいことにほっと息を吐く。ラングはふむ、と腕を組んだ。


「ヘクター同様に魔力のない者たちが手勢になりつつあるのは面倒だ。ヘクターの救助は依頼されているが」

「利用されてるだけなら殴って気絶でもさせればいいだろ、ラングはすぐ殺すって言うんだからなぁ。ついでは俺がやるよ」


 アルの呆れたような声にツカサは自分の気持ちを代弁してもらったのだとわかった。アルとて自分に刃を向ける者には容赦をしないはずだ。けれど、今はツカサに寄り添ってくれているのが嬉しかった。

 ラングはアルに対して無反応のままウィゴールに続きを尋ねた。


「セシリーの正確な位置は?」

「このまま北上すればいい、近くなったら俺が声をかける。体は人の子だから休養と食べ物が必要なんだろうな、メルシェツの街を越えてすぐ、ダンジョンからはまだ遠い、森にいるよ。ここからメルシェツまで人の足なら歩けば四日、馬なら二日、いや、アルたちなら一日かな? ここに来るまでも早かったもんな、びっくりした」


 ツカサはそれを聞きながら、約二百年前、淘汰された【渡り人】の話を思い出していた。こう思うのも何度目か、精霊がこうして動き、導いたならば、逃げ場はなかっただろう。

 水が必要で、食事に火が必要で、常に風はそこにあり、人は大地に立っている。

 そして、ツカサは改めて、セシリーとイーグリステリアは【渡り人】の神であったのだ、と目を瞑った。

 自分の居場所を求めてそこに生きる者を殺し、奪い、取り返すのだと叫ぶ。規模の違いはあれど、やっていることは渡り人の街(ブリガーディ)となんら変わりない。

 【渡り人】がその神の世界にいたからこそ似たのか、神が【渡り人(自分の子)】を見ていたから似たのかは、答えが出ない気がした。

 でも、責任は取ろう。ゆっくりと目を開いた。


「俺に、セシリーに【変換】を使わせて」

「ツカサ、さっきの話もう忘れたのか」


 アルに咎められてそちらを見遣った。ツカサの目が落ち着いていたからだろう、少し驚いて目を見張り、アルは真剣にそれを見つめ返した。

 ツカサは静かな声で言った。


「神の加護だの、慈悲だの、全部、ただの人に変えてやる。たった一度の人の命を生きて、命の大事さを思い知ればいいんだ。そっちの方が、あいつには辛いでしょ」


 パチッ、と火の粉が震えた。

 それはラングが出会ってから、アルが出会ってから初めて見た、ツカサの冷たい表情だった。

 そろりとアルがラングを見て、相棒は組んでいた腕を解いた。


「できるのか?」

「やる」

「わかった、では周囲の雑魚は引き受けよう」

「うん、お願い」


 男の覚悟に、決意に水を差すような人ではないとわかってはいたが、すんなりと受け入れられたことがじわりと胸に広がった。信頼してくれているのがたまらなく嬉しくて、それが自信になる。

 アルは首筋を摩ってため息を吐いた。


「無理だけはすんなよ、ツカサにこれ以上何かあったら、俺もラングもエレナに殺されちまうよ」

「モニカも怒るよ」

「自惚れてるなぁ!」


 あはは、と明るい笑い声を上げてアルが言い、それに釣られてツカサも笑った。

 す、とラングの掌がツカサの目元を覆った。


「移動は引き受ける、今は眠れるだけ眠って、体を癒せ」

「うん」


 おやすみ、とラングの静かな声に誘われてツカサは夢の中に落ちていった。

 それを見送り、ぽんとツカサの胸板を叩いてアルは呟いた。


「背負わせちまったかな」


 渡り人の街(ブリガーディ)のことにしろ、イーグリスのことにしろ、ツカサは【渡り人】という当事者だ。帰る故郷がないことを知り、名を変え、必死にここで生きようとしている青年の姿に不思議な感情を抱く。申し訳ないような、誇らしいような、そんな気持ちだ。

 ジェキアの道でぶつかったあの時は、心身ともにまだ子供と呼んでもいいくらいの少年だった。それがいつの間にか背中を預けられる、戦況を左右するだけの力を身に着けた男に成長していた。

 つ、とラングの掌が退いた。ツカサはすぅすぅと寝息を零し、穏やかな表情で眠っていた。


歪みの生きもの(ナェヴァアース)がいつ出るとも限らん」

「ルフレンの調子を見ながら必要最低限の休憩、ってことだな、わかった」


 アルはふわぁと欠伸をしてツカサの隣に毛皮を置き、布を敷いた。


「不寝番、ラングが先な。おやすみ」

「あぁ、おやすみ」


 ラングはもそりと焚火に背を向けた相棒から雲の無くなった夜空へ視線を移し、その先の暗い海を眺めた。そこにあった雲はなく、火の粉がぱちりと空に躍り出た。

 突然明るくなったあの空をツカサがやったのだと知った時、ぞわりと足先から走ったものがなんなのか、思い出せば指先が痺れるようなあの危機感をどう言い表せばいいのだろう。只々ツカサの人の好さがスキルを悪用をしないだけで、もしシュンが手にしていたらと思うと、ラングは自然、双剣の柄を握っていた。

 イーグリステリアの最大の失敗は、ツカサに【変換】を持たせたことだ。

 そして、イーグリステリアの運命の分水嶺はあの一戦の最後、ツカサではなくラングへの苛立ちを優先したことだ。ラングは、あれは失策だっただろうと思った。


「神の失敗、或いは失策、もしくは運命。なるほど、全てが当てはまる。時の死神は決死の覚悟で伝えた言葉だったか」


 視線を地上へ戻し、すやすやと寝息を零す弟の顔を眺め、小さく深呼吸をしてから焚火に薪を放り入れた。

 暫く焚火を眺め、ラングはハーブティーを淹れ、アクアエリスとウィゴールがそれを強請り、精霊にも御馳走してやりながら夜明けを待った。


 ――― 次にツカサが目を覚ましたのはメルシェツに着いてからだった。馬にだらりと乗せられた姿は多少人目を引いたせいか、気まずい顔をしたアルに悪い、起きて、と起こされた。

 空はうっすらと深い紫を抱え始め夕方を過ぎた頃なのだとわかった。ウィゴールが、アルたちならばここまで一日と言っていたが、今がいつなのかがわからない。問えば、正しくあれから一日だというのでずるりと背中から降りてルフレンにヒールを使って労った。ここまでの道中は癒しの泉エリアの水で疲れを軽減させたそうだ。

 もっと早く起きると思っていたので多少驚きはあるが、とりあえず体を動かした。目ヤニを指先で払った際、肌がなんだかべたべたしていたので風呂に入りたくなった。

 メルシェツはヴァンたちと通った時とは少しだけ状況が変わっていた。オレンジのとんがり屋根や温かみのある色合いの石畳などは変わらないが、空気がピリピリしていた。

 街を闊歩する軍人の姿がその原因だろう。以前イーグリス近郊で見た【空の騎士軍】の装備ではなかったので別の軍か。

 ぐぅっと腹が鳴った。アルが笑って肩を組んできた。


「とりあえず宿と、飯だな。前はどこに泊まった?」

「えっと、温泉があった」

「宿名は覚えてないわけな、どのへん?」

「それはわかる、こっち」


 ツカサはルフレンの首を撫でて先導を始めた。屋台の数は減り、家々に灯された明かりの数も減った。街灯だけが変わらない様子で足元を照らし、ツカサはぎゅっと手綱を握り締めた。


「オーリレア、どうなるんだろうな」


 ひそひそと声が聞こえてきた。活気のある声ではなく、不安を滲ませた音はツカサの耳にも届く。思わず歩を緩めた。


「すごい爆発が起こったり、黒い雨が降ったり、風が吹いたり、スカイはどうなっちまうんだ」

「ただ、小麦が降り注いだり花が舞ったり、吉兆もあるみたいだけどな」

「それよりも被害が大きすぎるだろ、南から逃げてくる奴らの数、すごいじゃねぇか」

「まぁな…、国は何してんだ?」

「【空の騎士軍】なんか軍師不在だったらしい、三軍の【夕闇の騎士団】が文句言ってたな」

「でも、【空の騎士軍】の兵士たちはあちこちで活動してるらしいぞ」

「ッハ、結局被害が出てちゃな」

「まぁそりゃそうだけどよ…」


 ツカサは叫ぼうとしたが、ラングに肩を掴まれて言葉を飲み込む羽目になった。アルが頭絡を掴んでルフレンの足を促し、声が聞こえなくなるまで引っ張り続けた。ツカサは掴んだ手綱に引きずられるようにしてその場を離れることになった。

 ()()()()への恐怖、これからの不安、そういった全てを誰かのせいにして安心がしたい。自分が苦しい時、誰かが助けてくれないことをどうして、何故、と叫ぶ人の心はツカサにもよくわかる。

 けれど、ツカサ自身があの戦場にいたからこそ、ヴァンの、【快晴の蒼】の、【空の騎士軍】の人々の尽力を知っているからこそ、悔しかった。

 ぼろぼろになりながらも責任を果たそうとする姿を、離脱することを詫び、心を砕いたその温かい強さを知っている。

 【仲間】を貶されるのはどうしても許せなかった。

 とん、とアルに胸板を叩かれてハッとした。じっと言いたいことを堪えた強い目に見据えられて一瞬緊張が走った。

 ふっと空気を和らげてアルが尋ねた。


「ツカサ、宿は? 随分歩いてきたけど?」

「そこ、だよ」


 以前はアッシュがそこで手を振って、ここだ、と呼んでくれた宿へ逆側から辿り着いた。ここは変わらず明かりが点いていた。

 アルがするりと入り込んで部屋の空きを尋ねに行ったのを見送り、ツカサはルフレンの鬣を撫でた。ツカサの不機嫌を感じ取ってかルフレンはぶるりと息を吐いて鼻先を頬に当ててきた。少し湿ったぬるい生きものの息に、寄り添われるぬくもりに小さく笑みが浮かび、その顔を抱き込んだ。

 ラングはアルの戻りを待ちながら言った。


「私たちが知っている」

「うん」


 ルフレンのまつ毛がくすぐったくて頬を寄せた。この優しい牝馬にはいつも慰められる。ルフレンといちゃついていればアルが戻った。


「空いてた、ルフレンも馬房に入れてくれってさ」

「俺、場所わかるから行ってくるよ」

「任せる。私とアルは先に手続きをしよう」

「あぁ、そうだ。飯、簡単なものでよければ出してくれるってさ。足りなければ部屋の暖炉で頼みたいとか。なんか大変そうだ」


 ツカサは首を傾げながらも一先ずルフレンを馬房へ預けに行った。

 部屋は以前借りた部屋とは違ったが、相変わらず綺麗だ。四人部屋を借りられたのでそれなりに広い。部屋で一息ついてから食堂に下りればそこには軍人や数人の冒険者もいた。軍人から離れた端の席へ案内され、有難くその好意を受けた。着席したツカサを見て女将はぱっと笑った。


「あら、あなたつい先日も…、顔ぶれが変わった? まぁ、そんな目の色だった…?」

「覚えててくれたんですか! 実はちょっと修行するのに預かってもらってて、今は元のパーティに戻ったんです。目は、冒険の途中でちょっと、怪我を」

「そうだったのね、冒険者もいろいろあるのねぇ。それなら、あぁ、ごめんなさいね、前回ほど品数が出せなくて」

「なんかあった? 自然災害があるっていうから、食料減った?」


 アルが身を乗りだして尋ねれば、女将は困ったように笑った。知っている顔がいたからか少しだけ弱音を吐きたくなったようだ。少し顔を寄せて声を潜めて、実は、と女将は話した。


「軍人さんがメルシェツに居つくようになって、食料がそちらに持っていかれているのよ。スープにパンを出すくらいはできるのだけれど、前のお食事を知っている人からは、ね」


 ちらりと見れば向こうの机には肉やパンなど料理がたくさん載っている。同じものは出せないということだ。冒険者たちは自分の机にあるスープとパンを手に、ちらちらと軍人を見ては眉を顰めている。

 前回はセロリの入ったさっぱり系ワーテルーイや肉の穀物酒煮込み、パンがたっぷりでおかわりをした記憶がある。残念だ、あのワーテルーイをまた食べたかった。ラングやアルにも食べさせてあげたかった。

 ラングは女将に身を寄せて同じように声を潜めた。


「通常、軍人は己の食べる分を持っているものだ、加えて街中に滞在するなど意味が分からん」


 ラングが言った言葉に腕を組む。確かに、【空の騎士軍】はイーグリス外に駐屯地を作っていた。彼らは街中には入らなかったのだ。


「訓練などで滞在するならば現地調達はわかるが、有事の際に民の食料を奪うのはおかしい」

「そうなの?」

「私の故郷ではそうだった。水の確保は現地調達せねばならんが、この国ならば魔導士もいる。それにある程度の期間と食料は想定しているはずだ。その点において、この国が出さないわけがあるまい。女将、いつからこんなことになった」

「六日くらい前に報せが出て、それからよ、軍が滞在するようになったの」


 女将はラングの発言に驚きながらもそっと答えた。

 六日前と言うと、イーグリステリアと直接対決した後のことだ。ツカサにはヴァンがそれを指示したとは思えなかった。


「どんなお知らせだったんですか? 国から? それとも、【空の騎士軍】の軍師ラスから?」

「いえ、今この街に滞在している【夕闇の騎士団】の隊長様からだったみたい」


 先ほど街中で耳にした名前だ。【空の騎士軍】への不満を零していたという軍だ。ということは、向こうの机で酒を呷り、酔っぱらっている軍人がそうなのだろうか。

 ぎゃはは、と笑う声に合わせて何が面白いのか机が激しく叩かれた。スープがびちゃりと跳ね、机に滴る。勿体ない。よく見れば足元にパンも落ちていて信じられなかった。


「治安の悪化は改善より早く広がる、か。真実だったな」


 ラングが呟き、ゆるりと立ち上がった。珍しく足音を立てて軍人の机に向かうラングを見送り、何をするのかがわからなくて腰を上げられなかった。

 アルはふぅーと息を吐いて立ち上がり、指をぱきりと鳴らした。

 げらげらと笑う軍人の中に手を突っ込み、ラングは誰も手を付けていないパンと焼かれた肉の皿を持った。


「なんだ? おい、お前何をしている」

「食事を無駄にしているようだったのでな、頂く」

「はぁ? おいおい、おかしな格好しやがって、見た目だけじゃなくて頭もおかしいか?」


 馬鹿にするように笑う軍人を無視してラングは皿をツカサに向かって差し出した。思わずそれを受け取りに立った。焼きたてで美味しかっただろうパンは冷めて固くなり、肉は脂が白くなっていた。美味しい状態でどうして食べないのかとイラッとしてしまった。

 ツカサは大事に皿を机に置いて座り直した。空腹もあり、無作法だがパンを齧った。固いパンは噛み切るのが大変で、少し乱暴に引っ張る羽目になった。次は手で小分けにしよう。


「ナイフとフォークもらえますか?」

「え? え、えぇ」


 女将はラングと軍人とツカサをおろおろと眺め、調理場から旦那が差し出したナイフとフォークをそのままツカサに渡した。


「このまま食べてていい?」

「おう、食っとけ」

「いただきます!」

「おい! ガキ! それは俺たちの飯だぞ!」

「ならばさっさと食え。食事を作った者に敬意を払えん輩が、飯を食う資格などない」


 ラングは顎を上げて敢えて挑発を入れるように鼻で笑った。そうだそうだ、と冒険者のヤジが飛ぶ。

 肉は冷めて固くなっていたが下味がきちんとついていて、ぎゅっぎゅっとした噛み応えはあっても美味しかった。


「ラング、アル、宿に迷惑かけないようにね」

「言うようになって」


 ははっとアルが笑った。


「この!」


 軍人たちは元から酒で赤い顔をさらに濃く染め上げ、武器を取り、女将は旦那に腕を引かれて厨房へ避難した。

 剣を抜いてしまえばラングがやる気を出してしまう。悪手だったなと思いながらツカサは肉を切った。

 ラングは双剣から両手を上げて素手を示してから指を折り曲げ挑発した上で迎え撃ち、アルは足で迎え撃った。わぁ! と冒険者たちが立ち上がり、一気に観戦する空気になった。宿での喧嘩は御法度なのだが、彼らも鬱憤が溜まっていたらしい。

 剣を振り下ろされたラングはするりと前に出て相手の手首を受け流し、素早く喉に手刀をいれてよろめかせ、顎を裏拳で殴った。それだけで脳震盪を起こすのだ。相変わらず流れるように技をきめるな、とパンを千切る。

 アルは一歩を素早く踏み出して鳩尾を蹴り飛ばした。あれも痛い。バァンッと音を立てて壁にぶつかり、穴が開かなかったか思わず確認してしまった。女将も顔を出していた。旦那はフライパンを持っていた。

 あっという間に二人がやられてしまい残りの二人は顔を見合わせた。

 一人が魔力を練っていたのでツカサは待ち針を使った。肉を頬張りながらの締まりのない使い方だったが、魔力を練られなくなったことに困惑している間にラングがこちらも顎を殴った。

 それに皆が驚いている間に、アルはひょいと屈んだラングの頭の上へ足を振り抜き、ラングに掴みかかろうとしていた軍人の横っ面を蹴った。

 ガタリと席を立った。あの脚力で顔など蹴り飛ばせば首が折れていてもおかしくはない。

 体を起こしたラングがさっと手を出して制止した。


「無事だ」

「俺も少しは考えてるって、壁も無事」


 アルは苦笑を浮かべて座り直し、ぐぐーっと腹が鳴った。どっ、と笑いが起きて、冒険者たちが安酒を掲げて二人を称賛した。それに軽く手を上げて返し、アルは腹を撫でた。


「動いたら腹減ったな」

「女将、迷惑なら出て行こう」

「いいえぇ! スッキリしちゃった! うちは冒険者向けの宿なんだから、守るなら冒険者よ! 待ってて、今旦那に作らせるわ!」


 ツカサはパンを銜えながら見学をしていた冒険者たちと共に軍人を宿の外に捨てるのを手伝った。

 なんだか冒険者に戻れたような気がして不謹慎ながらとても楽しかった。




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