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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-40:矜持に敬意を

いつもご覧いただきありがとうございます。


 頬にパシリと痛みを感じ、目を覚ました。

 床に膝をついて変な姿勢で座っていたため、背中が丸まって痛かった。ぐぅっと伸ばしついでに欠伸をして振り返り驚く。護衛を買ってでた面子だけではなく、ペリエヴァッテがいたからだ。


「パニッシャーは無事ですか」

「あ、あぁ、もう戻ると思う、けど」


 イライラした様子で尋ねられ思わず頷く。説明を求めてアルに視線をやればその先で肩を竦められた。


「部下が家を見張ってるだろ? ラングがシェイを前にして気絶したって報告受けたんだってさ」

「それで心配して来たらしい。カーテンを閉めておけばよかったな」


 アルとラダンが疲れた声で言い、今の状況になるまでにいくつかの攻防があったのだろうと察せられた。

 次いで、ヴァンが起きた。頬を撫で、不満げな声を出した。


「酷い、こう、起こし方が想像と違う」

「あれがいつものだよ」


 ラングは人を起こすやり方が雑だ。ツカサは一緒に旅をしていた時、起きられるようになるまでラングに頬を叩かれて起きていた。ラング自身が師匠からそう扱われていたせいでその起こし方が染みついてしまっているのだ。

 ふぅ、と息を吐く音がしてラングの頭が持ち上がった。

 シェイも金目を覗かせて吐き捨てた。


「…起こし方、どうかと思うぜ」


 どうやらそちらでも頬を叩かれたらしい。皆から不評をうけつつラングは立ち上がり、ペリエヴァッテを見遣った。


「ここで何をしている」

「パニッシャーが倒れたと聞きまして、ご無事でなによりです」


 悠々と胸に手を当てて親愛を示すペリエヴァッテにツカサは嫌悪を抱く。自分を殺しかけた男であることも、部下や仲間に対しての心構えについても理解ができない。そうした相手はいるものだと教わっていなければ永遠に文句をつけていただろう。

 ラダンが次の会話が続く前に手を差し出し発言権を得た。


「起こしていいかわからなくて待っていたんだ。ヴァン、フィル殿より通信が、急ぎのようだ」

「わかった。ヴァーレクス、君は宿に戻ってもらいたい。そもそも勝手に来ないでくれ、ラングとの契約はあれど、こちらにも思うところはあるんだ」

「やれやれ、聞いたところで興味などありませんが、まぁ、いいでしょう。パニッシャー、私以外の手で死なないでくださいよ」

「消えろ」


 嬉しそうに笑ってペリエヴァッテは部屋を出ていった。何が嬉しいのか全くわからないが、いなくなったことに息を吐く。

 ヴァンはラダンを振り返った。


「フィルからの通信は僕だけでいいかな、ツカサとロナはシェイに魔力を」

「あぁ、ヴァンとラングがいればいいみたいだ」

「そうしたら、ラングも頼むよ」

「あぁ」


 慌ただしく部屋を出て行く三人、残された面子は顔を見合わせ何というでもなく頷き合った。

 シェイはクルドに支えられて上体を起こした。長い間寝ていたせいで体の節々が痛むらしく、呻き声が零れ、アルは心配そうに首を傾げた。


「大丈夫なのか? ラングが思い切り蹴ったところも、魔力も」

「一生文句を言い続けてやるさ。魔力は、そうだ、ツカサ、お前が身に着けていた白い石はないのか」

「あ、ラングのお守りのこと?」


 アズリアでルノアーから受け取ったお守り、レイスからドロップする魔力石を括ったものだ。

 ツカサは胸元を握り締め、もうそこにはない感触を思い出していた。


「アルの腕を治すのに魔力が足りなくて、割れちゃったみたい。起きたらもうなかった」

「そうか。もしあるなら俺が使いたかったんだが」

「うん、あれがなければアルの腕を治せたかわからない」

「危なかったんだな、ありがとうな。お守りは本当にお守りだな」


 これにはぞっとしたらしくアルは左腕を摩っていた。

 シェイに魔力を注いでいればひょっこりとアッシュが顔を出した。体を起こしているシェイに目を見開き、ほっと笑った。


「起きれたのか、よかった」

「あぁ、言葉通り叩き起こされた」


 首を傾げるアッシュに苦笑を浮かべ、ツカサはまたしばらくロナと共に魔力を注ぎ続けた。

 何か理由があるわけではないが、皆が皆今後どうすればいいのかわからずにその場に留まり続けた。雨音だけがぱたぱたと煩く主張をし続けていた。


 ――― ラダンに連れられヴァンと共に部屋を出たラングは、ヴァンの部屋で通信の小箱を前に腕を組んでいた。

 ヴァンが置いた二つの小箱は片方が文字の届くもの、つまりこちらの声を届けるもの。もう片方が声を聞くもの、向こうが声を発するものだ。

 文字でやり取りをするよりも声を二つ並べたほうが早いということだ。あの紙のような魔道具は王太子の手元にはないらしい。

 小箱の向こう側で王太子がまず端的に結果を述べた。


『新しいダンジョンが見つかった。この大陸(オルト・リヴィア)ではここ百五十年ほどなかった現象だ』


 それは先ほどシェイに見せられたダンジョンの成り立ちから出来たのだろうと想像ができた。ヴァンはそっと横を見たが、ラングは小箱を眺めるばかりだ。

 ヴァンは覚悟を決めて問うた。


「いつ、どこにでしょうか」

『おそらく、二日前、イーグリスの近く、南側のほうだと報告を受けた。すでに多くの冒険者が攻略のために足を踏み入れていて、被害が出ている。見つけた冒険者が知り合いに広め、冒険者内で隠し、ギルドが把握するのに時間を要したらしい。自然災害が謳われている今、新ダンジョンを発見、攻略と、栄光を自分たちの手中に収めたかったのだろうか。発見報告義務の規則に従った一部の冒険者の申告により、発覚したそうだ』


 深い呼吸が聞こえた。文字ではわからない向こう側の反応が見え、ラングは変わらず、じっと小箱を見つめていた。


『何か、知っているか?』


 確信めいた声で問われ、ヴァンはラダンに視線をやり部屋から出て行かせた。頼まれるまでもなくラングは防音の宝珠を起動し、再び腕を組む。


「シェイから魔導士の口伝を聞きました。誰にも言うつもりがなかった口伝だそうで、どうか、ご配慮を」

『わかった、王太子の名に誓おう。詳細を頼む』


 ヴァンは先ほど知り得たことを包み隠さず話した。

 命の女神の想い、それが人にとって望まぬ形で降り注いだこと、世界が世界を守るためにダンジョンを生みだしたこと。

 そして、黒い雨が、史実では灰色のそれが起因であったこと。イーグリステリアがその世界の仕組みを利用したのではないか、ということ。

 王太子は少しの間だけ沈黙を守り、その後、ゆっくりと嚙みしめるようにいくつか内容を繰り返した。そうして自分の中である程度落ちつけてから、ぎしりと前のめりになったの音が聞こえた。


『ダンジョンが約百五十年、新しいものが見つからなかったのはそういった()が降り注がなかったからだとわかった。私は歪みの生きもの(ナェヴァアース)という生き物を見たことがない。だが、世界を脅かす存在だろうということはわかった。対処法が魔導士しかないというのもね』


 自分の理解したことを伝えながらの言葉は、その後に続くものを予想させた。


『軍師ラス・フェヴァウルに命ずる、【空の騎士軍】を率いてこの後に発生するだろう歪みの生きもの(ナェヴァアース)に備えよ』

「ハッ、承知しました」


 即座に了承を返し軍人の礼を取る傍ら、ラングは見ていた。

 握り締めたヴァンの手からぽたりと垂れた赤い血、声色こそ感情を込めなかったが噛みしめた唇が裂けていること。血の涙を流すのではないかというほど、真っ赤になったその目を。

 本来、ラングにも見せたくはなかったのだろうが抑えきれなかったのだ。

 それでも、見事だ。

 ラングは内心でそう感想を零した。

 今回の指揮を引き受けた軍師は、これからの戦いにも身を投じたかっただろう。何より、先の戦で相手の魔力に半ば一方的に押されたとあっては、その触媒を奪った今こそが反撃の好機だ。

 しかしながら、その機会は永遠に奪われようとしている。自らが仕える主の言葉に否を唱えなかったことは、軍師としての矜持を感じられた。

 だが、身が引き裂かれる思いでもあるのだ。ヴァンはラングたちの盾に、情報源に、そして露払いを約束していた。共に最後まで戦うことを誓ったというのに、反故にせねばならない。

 冒険者(ギルドラー)は信頼がすべてだ、というラングにもその悔しさは理解ができた。

 ヴァンは聞こえないほどの小ささで深呼吸をし、また律した声で言った。


「早急に【空の騎士軍】へ指揮を展開します」

『あぁ、そうしてくれ。それから貴公が提案していた件は、今回王命で通すことが決まった』

「感謝いたします」

『いや、構わん。戦無き世に慣れ過ぎたのだ。それぞれの腕がなまらないように順位付けし、競い合わせていただけの仕組みが悪かった。それだけではなく、貴公が最高司令官に就いた際提唱したとおり、合同訓練や指揮系統を見直すべきであった。…それが成されていれば、貴公も存分に腕を揮えただろう』

「私が疎かにしたのは事実です。弁解の余地もありません」

『…すまんな、貴公がそう悪者になってくれるからこそ、王家の顔が立つ』


 小箱の向こうで目を伏せる姿が浮かんだ。

 ラングはそろそろ話を進めてもらおうと腕を解いた。


「【快晴の蒼】の離脱は理解した。合同パーティは解散だ」


 隣が何か言いたげな息を吸っていたが片手を上げて口を挟ませず、ラングは続けた。


「私は私の理由と覚悟でイーグリステリアを追う。【快晴の蒼】が離れるのならば、【異邦の旅人】とスカイ王家との縁はこれで終わりだ」


 一瞬の沈黙、それは、と零したのは王太子だ。ヴァンは驚いた顔でラングを見て、脱力するように座り直した。

 揺れた椅子の軋み音が消えた後、淡々としたラングの声は防音の宝珠の中、よく響いた。


「元々、私に報酬を提示したのは時の死神(トゥーンサーガ)だ。それに対して私は約束をした。そして【快晴の蒼】は私に、ツカサの成長と、知恵、盾と露払い、()()の提供という報酬を支払っている。だが王家からの契約はない」


 ラングにしてみれば至極当然のことなのだ。

 イーグリステリアの討伐を果たしさえすれば時の死神(トゥーンサーガ)は必ず約束を守る。

 実際に行動で示した【快晴の蒼】への信頼も今はあり、支払われたものはラングにとって経験という代えがたい宝になった。

 紫壁のダンジョンでは王家からの報酬支払いがあったが、今回に関していえば神託の情報を提供されたくらいで報酬を提示されていない。ヴァンが受けていた情報支援などを思えば広義の意味では協力だろうが、それをラングが受け取った認識はない。

 冒険者(ギルドラー)であるラングが、あっさりと切って捨てる縁なのは言うまでもなかった。

 ふむ、と僅かに考えたような素振りを見せ、王太子が答えた。


『確かに、我がスカイ王家はギルドラーである貴殿に対し報酬の提示ができていなかった。貴殿がイーグリステリアを討つのであれば、それは民を、延いては国を守ることに繋がる。交渉をさせてもらえないだろうか』

「いいだろう、私が求めることは一つだ」

『なんだろうか』

「【異邦の旅人】に関わるな」

『わかった、貴殿が望むようにしよう』


 こちらもごねてこないことを流石だと思いながら、ラングはふんと息を吐いた。

 小箱の向こうで苦笑が聞こえ、小さな声で、先手を打たれてしまったな、と呟いた。隠すつもりはなく、素直に振られてしまったと言いたいのだろう。


『そこまで警戒せずとも、悪いようにはしないが』

「私は自ら行動で示す者以外、信用も信頼もしない。前回はお前が報酬を提示し、それに納得をしたから私も信頼し、応えた。だが、王族や貴族の多くは冒険者を利用する」

『貴殿にそのような認識を与えた者を恨むべきだろうな。わかった、もう何も言うまい』


 王太子は肩を竦めるような声で言い、ところで、と話を切り替えた。


『ヘクターと連絡が取れないのだが、何か知らないか?』

「なんだって?」


 がたりと立ち上がったヴァンはラングを見た。ラングもヴァンを見ていた。


「お前が指示をしたのではないのか」

「まさか! 僕は君が何か言ったのかと」


 ラングはゆるりと立ち上がり小箱に向けて言った。


「ヘクターは行方不明だ。イーグリステリアの理の片鱗である少女を連れてな」

『…私からの連絡も遅すぎたようだ。今までも定期連絡は二日から七日と幅があった、随分間が空くなとは思っていたのだが、内政に気を取られ過ぎたな』

「ヴァン、お前の影からの報告はないのか」

「今日の報告はまだだ、けれど、忽然と消えたことだけは聞いている。あぁ、なんてことだ」


 ヴァンはラングの両肩を掴んで懇願した。


「頼む、今から言うことをよく理解してほしい。僕が、【快晴の蒼】が前線を退かねばならないのなら、君が知っておかなくちゃいけない。君が神のことをよく知らないというのをもっと深く受け止めるべきだった。知ってさえいれば君なら動けただろうに、すまない」

「話せ」


 軽く肩を振って手を払い、ラングはシールドを傾けた。


「少しだけ回りくどい前置きをさせてくれ。今回、イーグリステリアは【穢れ】と【娘】に分けられていた。だが、その娘の【性質】が分けられていたかどうかが問題だ。生まれる場所は選べずとも、半身がどこにいるかを感じ取れなくとも、もし、もしもその機会を窺っていたのだとしたら」

「…良い機会だっただろうな。すぐそこにいたのだから」


 こくりとヴァンが頷く。


「亡くなったというセシリーの兄を今や鑑定もできない。けれど相手が理の神の片鱗を持つからこそ僕はこう思う。その兄は、魔導士の素質があったのではないか、とね。ある意味の守り人だったんだ」

「そろそろ結論がほしい」

「セシリーには理に干渉する力があったのだと思う。つまり、魔力のない人を操れる」

「ヘクターは魔力がないのか」

「あぁ、君以外はきちんとシェイの目で視てもらっているんだ。【快晴の蒼】は神からの祝福の一環で、先日伝えたスキルがある、それが盾になったのだろう。僕は理の申し子、アッシュなんかは僕同様に魔力がないから、その祝福がなければ危なかったかもしれない。ツカサやアルは魔力持ち、エーディアもシルドラも魔法を使えないくらい少ないが、持っている」

「神は人を操れる、か」


 ラングは顎を撫でて僅かな思案の後、シールドをヴァンへ向けた。


「やはり殺せばよかった」

「そうだね、今となっては君の直感が正しかった」


 ヴァンは腕を組んでドアを見遣った。その先にいるだろうラダンを気にしているのがわかった。ラングはその視線を呼ぶように言った。


「選択の結果だ」


 視線をラングに置き、ヴァンは同じ言葉を繰り返し呟いた。


「選択?」

「そうだ。イーグリステリアも、セシリーも、選択をした」


 ツカサであればこの言葉をすぐに理解するのだろうが、ヴァンには言葉に含まれたすべての意味がわからなかった。


「…ツカサを呼んできても?」

「…座れ」


 盛大なため息を吐いて椅子を示し、ヴァンは言われた通りに座り、小箱からはこほん、と咳払いが聞こえた。どうやらそちらでも言葉の意味を測りかねたらしい。

 ラングは立ったまま防音の宝珠を解いた。


「イーグリステリアはエルキスに生まれ落ちた際、そこでただの人として生きられれば理に還れたのだろう。あそこはスヴェトロニアでの理のへそだというからな」


 ヴァンはエルキスという国を思い浮かべた。緑と水が豊かで、精霊信仰のある国だと聞いた。

 ヴァロキアの奥、サイダルへ赴いたときにも向こうの大陸(スヴェトロニア)は慌ただしく移動してしまったため、実のところアズリア以外の国の細部を知らなかった。協力者からの報告は書面なので、通った道、街以外は色のないイメージだけがそこにあった。

 ラングたちから聞いたエルキスも様々な事変があったことはわかっているが、そこにある風や日差し、匂いを知っているわけではない。

 自由な風に導かれるまま世界を見たいという欲求は、いつか果たそう。

 ヴァンは瞬き一つで現実に戻り、そうらしいね、と相槌を打った。


「だが、あいつはそうしなかった。抗うことは勝手だが選んだ手段が悪すぎた」

「エルキスを焼いてあの触媒を造り上げたらしいからね」

「そうだ。私は常々ツカサにも言っているが、行動と言動には覚悟と責任が求められる、伴う。奪おうとする者が、奪われる側から抵抗をうけない訳がない」

「道理だね。僕たちもまさしくそうしている」


 攻められれば防衛する、攻めてくるならば攻めるまで。その考え方はヴァンも持っているものだ。


「セシリーも同じことだ。今生まれたか、それとも何度目かは知らんが、本当に慈悲だというのならば、人の営みをわからせたかったのではないか、と私は思う」

「人の営み、か。干渉のできない魔力持ちを家族に選ばせたのならば、純粋に血の繋がりだ。何かしらの神託はあったのだろうけれど、兄が妹を連れて逃げたところをみると、命を懸けられるのは愛情があるからだろう」

「そのぬるま湯に馴染むことさえできれば、よかったのだろう」

「言い方に棘を感じるね」

「だが、セシリーも過去を選んだ」


 あぁ、なるほど、と言いたいことがわかりヴァンは目を閉じた。

 結局のところイーグリステリアは、セシリーは、過去を捨てられなかったのだ。取り上げられたと一貫して叫んでいたことからもそれはわかる。

 セシリーの兄が命懸けで守ったことすら響いていなかったのは驚きだが、神の感覚なのだろう。人になれなかったのだと気づき、ヴァンはちらりと扉を見遣った。


「彼女らの選択であって、君のせいじゃない。君が拾わなければ知らないところで、神になっていたかもしれないしね」


 こつ、と動揺した靴音が聞こえた。慰めであることは重々承知の上、ヴァンは扉の向こうの背中が見えた気がした。

 ラングは事実を淡々と述べただけだろうが、ラダンへの声掛けを任せてくれたことが嬉しかった。胸に手を当て静かに目礼を示せばラングは小さくシールドを傾げた。どういたしまして、なのだろう。

 少しだけこの男の言い方に慣れたような心地になり、微笑が浮かんだ。

 ラングは再び防音の宝珠を起動し、椅子に座り寄り掛かった。


「察するに、新しくできたダンジョンとやらに潜伏しているのだろう」

「そうだろう、そしてダンジョンの位置は既に把握されている。理の属性であるダンジョン内でどうやるのかは不明だけれど、また触媒のようなものを造るつもりか、それとも単に延命のために命がほしいか。が、しかし、だ、ここでまだ好機といえることが一つある」

「聞かせろ」

「セシリーが三歳の子供であることだ。神の力の片鱗を使いこなせていないのではないかと僕は思う。もしそこが十全であるなら、僕らが打って出ている間に事を起こすかな」 

「隙を窺っていたか、もしくはイーグリステリアの力を間近に感じたことで、…単語がわからんが、目を覚ました」

「覚醒、かな」

「文字を」


 さっと出されたノートに驚いたものの、そこに書かれた文字の羅列にヴァンは笑い、覚醒、という文字を書いた。その横にラングの故郷の文字が並ぶのは興味深い、戦いが終われば是非見せてもらいたい。

 ぱたりと閉じたノートが腰のポーチに仕舞われ、話に戻った。


「ツカサとアルに確認は取るが、【異邦の旅人】はイーグリスを目指し、ダンジョンへ行く」

「ヘクターとセシリーの情報をガランが持ってくるといいのだけど」

「あの男、それが名か」

「そういえば紹介をしたことはなかったね。僕の影ではあるけれど、普段はシェイの暗部に預けているんだ。今回の捜索もそちらと協力している。シェイが倒れている間は僕が暗部を預かることになっているからね」

「共倒れしない方法か、悪くない。ところで、王太子はいつまでそこにいる」

『冷たい言葉だ』

「情報の提供がなければ用はない」

『では私からも一つ』


 こほん、と改めての咳払い。


『現状、ダンジョンに幼女とひょろりとした男が入り込んだ姿は目撃されていない。中に入った冒険者、戻らない者たちの風貌などは情報が届いている。周りの冒険者たちが幼女を連れて入ることを止めるだろうが、今後もそういった姿があれば確実に阻止するよう、シグレ殿に今連絡した。あの方はヘクターの容姿も把握している、上手く手を回してくれるだろう』

「悪くない」

『はは、それはどうも』


 王太子は楽しそうに笑い、一つ息を吸って不安そうな声で言った。


『ヘクターは救えるだろうか』


 誰に尋ねたかわからないその呟きはヴァンの視線をラングに向けさせた。シールドの中から視線が返ってきて、お前が答えろ、と言われたのだと感じた。

 ヴァンはふぅむと唸った後、フィル、と声をかけた。


「セシリーの覚醒が十全でなければこそ、ヘクターを取り戻すこともできると思う。だが、いざという時はあるだろう。期待はしないでおいてくれ」

『…そうか』

「今までに正気に戻せた事例はあるのか」

「僕らがイルに惑わされた人と戦った時は、そもそもイル自身に心酔していたようだったから、本人の意思で戦っていた。ヘクターがどういう状況下にいるかもよるけれど」

「ないのか」

「…そうだ」


 はっきりと問われ、ヴァンは瞑目した。沈黙を挟まずに()()()が言った。


『だが、十全でなければこそ、可能性もあるのだろう? 僕個人として、もし少しでも救えるのならば、救ってほしいと依頼をしたい。そうでなければ殺してやってほしい』

「報酬は」

『こちらからは声をかけないが、求められた時に、求められた人を紹介しよう。それが貴殿からであっても、ツカサからであっても、同じように』

冒険者(ギルドラー)をわかってきたようだな。いいだろう」

『ありがとう、よろしく頼む』


 ラングからの了承に礼が返り、ヴァンが代わりに頭を下げた。項が見えるほどの深さ、それはエフェールム邸でも見たやり方だ。項を晒すのはスカイにおいて信頼を示す動作なのだ。

 さて、と話を切り上げたのは王太子だった。


『長く時間を取らせたが、方針は伝えた。私は私で動くことにする。軍師ラスはオーリレアの冒険者ギルドを収め次第本分に戻れ』

「委細承知いたしました」

『ラング殿、一国の王太子として【異邦の旅人】に背負わせることをどう詫びればいいのか、今もわからない。本来であれば国王陛下より正式に依頼すべきところ、斯様な略式で申し訳ない』

「放っておけ、勝手にやっていることだ」

『では、そのつもりでいよう。感謝する』


 向こう側から声が消え、ヴァンは小箱を閉じた。こちらはこちらで謝罪しようとする青年を面倒そうに手で制した。言われたところで同じ言葉を繰り返すだけだ。

 コップを取り出し癒しの泉エリアの水を差しだせば、ヴァンはおずおずと受け取った。それを持ったまま困惑しているので言ってやった。


「その面で出るつもりか」

「あ、すまない、いや、ありがとう、だね」


 ラングは目の前で情けない笑みを浮かべた青年のその姿に目を細め、内心で敬意を払った。




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