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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-39:夢見の旅

いつもご覧いただきありがとうございます。


 一行はぞろぞろと連れ立ってシェイの眠る部屋を訪れた。


 静かな寝息を零すシェイは長い間眠り続けていることを除けば穏やかなものだ。その横に椅子を置いて座り、ラングはふむと顎を撫でた。

 どうすればいいのかわからずツカサはヴァンを見た。それを受けてヴァンは苦笑を浮かべた。


「さて、どうなるんだろうね。君が眠らされた時はどう?」

「ラングの手が額に触れて、それで眠りに落ちるんだけど」

「あ、じゃあ黄壁のダンジョンでラングが額に触ったのって」

「うん、眠らされたんだよ」


 アルはぶるりと体を震わせてツカサは驚いた。


「あんな簡単に深い眠りに落ちるとか、知らない間に殺されてもわからないな」


 そこまで言われてツカサはぞっとした。ヴァンが言った危ないスキルという意味がようやく理解できた。扱うのがラングであればこそツカサに対しそれを悪用することもないが、もし敵である何者かが同じようなことをしたならばどうだろうか。

 剣は扱う者の使いよう、ツカサは改めてスキルや武器の扱いには気をつけようと決めた。

 ラングだからとつい全幅の信頼を置くが、本当ならば一番身近なツカサが気づかなくてはならない危機感でもあった。

 恥じ入る思いで拳を握り締め、ただ、今は違うことに集中しなくてはならないと、何度目かわからないが顔を上げた。

 そのタイミングでラングが振り返った。


「ナーリャのやり方を真似ようと思う。夢見師(レーヴ)は体の一部を相手に触れさせ、その夢に入り込む。あいつの場合は額を当てていたが」

「ラングは難しいね」


 シールドを外せるのかと問えば否と言われるだろう。こういう場合でもラングは己を曲げたりはしない。


「だとすると、ラングは片手が残るかな?」

「どこまで連れていけるかわからん」


 グローブを外して右手をシェイの手に、左手を後ろに差し出して小さく首を傾げた。誰が来るかと尋ねられヴァンと顔を見合わせた。

 ツカサはにっと笑った。


「きっと、どっちもいけるよ。俺はシェイさんに重ねられた手に、ヴァンがラングの左手を取ればいいんだ」

「っふふ、そうだね。ラング、よろしく」

「あぁ」


 ツカサは膝を突いてラングの右手に手を重ね、ヴァンは左手を握った。


「では、試すぞ」

「うん」

「よろしく」


 固唾を呑んで見守り、しんとした時間が過ぎた。

 目を瞑り備えるツカサは徐々に自分の心臓がばくばく言い始めるのを聞いた。雨音が響き、シェイの呼吸だけが時間の経過を知らせていく。

 相手を眠らせることはできても、眠っている相手の夢の中に入り込むのはさすがに無理か、とそろりと目を開こうとし、ツカサは足元がなくなるのを感じた。


「えっ、うわ!」


 先ほどまで膝をついていた木材の床が消え、真っ暗な闇の中に吸い込まれるように落ちていく。まるで磁石がくっつき合うように闇に引き寄せられた。

 上下左右方向を失い体がなす術もなく回転し落ちていく。不味い、やばい、と胸中で叫び続け、ツカサは安全地帯を探して周囲を見渡した。

 突然、どさりと固いものに全身を打ち付け、呻きながら体を起こした。


「ここは」


 空が広い、どこかの丘だ。ツカサが手をついた場所からざぁっと柔らかい草が広がり、ばっと青い風が吹き抜けた。夢の中とはいえこのリアリティ、アイリスに呼ばれた空間を思い出した。

 入れたのだ。シェイの夢かどうかはわからないが、どこかしらに通じたのだとわかった。

 ここに運び入れた張本人であるラングや、左手を取っていたヴァンがいない。


「ラング! ヴァン!」


 名を呼んでみても答える声はない。心地よい風だけが流れていて、どこに行けばいいのかもわからないまま、ツカサは歩き出した。さくさくと踏む草は春先の柔らかさを持っていた。時々強く吹く風は緑の波を撫でてどこまでも遠い。

 子供の声が聞こえた気がした。

 ツカサはそちらへ向かって走り出し、一本の木の根元でぐすぐすと目と鼻を擦る子供を見つけた。柔らかい金糸、丸い子供の手をしているがこれは。


「ヴァン…、ラス?」


 びくり、と子供はゆっくり顔を上げ、透明な水色の目を見せてくれた。きょとんとして泣くことを忘れ、ラスは首を傾げた。


「おにいさん、だれ?」

「あぁ、なんか不思議な感じ。えっと、ツカサだよ、わかる?」

「…わかんない」


 ふるりと首を振った、つんと尖った唇に苦笑が滲む。大人の、金級冒険者であり、軍人であるヴァンだけしか知らない身としては少し申し訳ない気持ちになった。これは本人が誰にも見せていない姿なのではないだろうか。

 子供、ラスは立ち上がるとツカサから距離を取った。思わず両手で宥めるように手を揺らした。


「危なくないよ、って言っても信用できないよね、ここから動かないから、頼む、逃げないで」

「…ぼくに、いたいことしない?」

「しない、約束する」


 うん、と頷けばラスは後ろに下がる足を引っ込め、じっと服を握り締めた。

 しかし、いたいこととはなんだ。


「聞いていい? いたいことって、誰かに傷つけられたの?」

「みんなぼくをあくまだっていう。おにいさんもそうじゃないの? おとうさまとおかあさまにいいつけてやるんだから!」

「あくま? ラスのどこが?」

「…だって、ぼくがなくとだいちがわれる。ぼくをいじめるひとがいれば、かぜがおこる。おうちがみずにながされちゃったり、やけちゃったってきいた」


 じわ、と再び滲んだ涙に大地がごご、と音を立てた。ラスは慌てて涙を拭った。この子は泣くこともできないのか。

 理の申し子として生まれたラスは感情の起伏で精霊が力を貸すのだろう。料理もままならないと言っていた寂しそうな顔を思い出し、ツカサは胸が痛くなった。

 望んでそう生まれたわけではない。生まれ方を、生きる場所を選べないのは誰だってそうだ。

 先達がいれば教えてもらえただろう。けれど、正真正銘の理使い(ナーラー)はラングとヴァンの二人だけだ。この子供は辛かったのではないだろうか。

 泣けば大地が割れ、子供同士の喧嘩は風が切り裂いて大事に、報復と言わんばかりに家が焼け、水害に遭ったのではないか。だからこそこうして、誰もいないだだっ広い丘で涙を堪えて、堪えきれずに拭っていたのではないか。

 ツカサは月並みな言葉しかかけられないことを悔しく思った。自分の経験では心に届くようなことが言える気がしなかった。

 それでも、これは本心だった。


「少し精霊と話せるだけでしょ、大丈夫。悪魔なんかじゃないよ」


 じわっと再び涙が滲み、ラスは小さく震えた。


「ぼく、ぼく、こんなちからほしくなかった」

「うん」

「みんなとあそびたい、こわいっていわれたくない」

「うん」

「ぼく、ふつうのこになりたい」


 たった一つ、料理を一例に挙げたあの時のヴァンが、どれほどの悲しみを込めて話したのかをやっと理解した。

 ツカサに任せると言いながら隣でじっと楽しそうに眺めていた姿を思い出して、思わず両腕を伸ばしていた。

 泣きじゃくる子供の体温がじわりと広がって、ツカサは自分の胸に広がった痛みと共に、ぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫、ヴァンは普通だよ。俺が知ってるよ、シェイさんだって、アッシュだってクルドだって、ラダンだって、みんな知ってる」

「――― ありがとう」


 そっとツカサの肩に温かい手が乗った。ハッと振り返ればそこには微笑を湛えたヴァンがいた。

 腕の中の子供は照れたような笑みを浮かべ、ふぅっと風になって消えた。そこに残った温もりと涙の匂いが確かにここにあった記憶をツカサに刻み込んだ。

 ゆっくりと立ち上がれば少し気まずい大人の苦笑が零れた。


「君の言葉、忘れないよ」

「あ、いや、思わずで、ごめん」

「そういう言葉はよく響くものさ」


 だといいな、と小さく答えツカサは首を摩った。

 ふわりと風が吹いて深緑のマントが揺れた。


「すまん、ヴァンに繋がったようだ」

「恥部を見せてしまったね。それで、シェイの夢には行けるのかな?」

「元々眠っている相手だ、深いところにあるようでな。不慣れなのもあって少々危険かもしれん」

「どう危険なの?」


 ふむ、とラングは変わらない思案の音を零した。


「武器を持て」


 え、と声を零す前に足元が再び消えた。草原の一部に真っ黒な穴が開き落下を始め下腹がひゅっとなった。落下するタイプのアトラクションが永遠に落下し続ける感覚に股間がきゅうっとなって太腿に力が入った。生理現象だ、怖いわけではないと自分に言い聞かせた。

 ぐいっと引っ張られそちらへ顔を向ける。頭に血が上りそうな重力が徐々に消え、体の向きが水平になったのを感じた。ラングのマントから輝く糸のようなものが出ていて、それがツカサとヴァンをはぐれないように掴まえているのだ。

 体勢が安定すると苛立ちが浮かんだ。


「ラング! 説明が足りないっていつも言ってるよね!」

「不慣れだと言っただろう、これ以上私一人に守らせるな。来るぞ」


 キン、と氷の創りだされる音に反射で魔法障壁を張った。激しい音を立てて魔法障壁に氷魔法がぶつかり、ラングは双剣を構えた。前方から襲い掛かってくる黒い何かを切り裂き打ち払う。ヴァンは何もないところから同じように双剣を取り出し、おぉ、と間の抜けた声を出した。


「なるほど、夢だからか。想像が大事ってことだね」


 ヴァンが、ひゅぅん、と風を纏って剣を振るえばツカサの風の短剣のようにかまいたちが巻き起こった。威力は桁違いで黒い欠片が通り過ぎていく。


「私はシェイの下に行くことに集中したい」

「護衛すればいいわけだね、責任重大だよツカサ」

「最初からそう言ってよ!」


 もう、と言いながらラングの前に魔法障壁を展開、ヴァンは風の刃を起こし続けて前から向かってくる黒い生き物を防いだ。ツカサは時折聞こえる魔法の音に防御に務めた。

 どのくらいの時間が経ったのかわからないが、ラングが声を張った。


「盾を!」

盾魔法(シードゥ)!」


 ゴッ、バリンッ、とぶつかって何かが砕ける音がした。浮力を失い顔面から地面に落ちそうな勢いをラングが手を振って糸で吊り支えてくれ、足の裏をことりと着けた。

 不思議な空間だった。夜空に星が散るような眩い輝きを遠くに見ることができる。ラングの深緑のマントが揺れ、その後にヴァンの足音が続き、ツカサも慌てて追いかけた。

 ラングのマントの向こう、まだ遠くに白く輝く大樹が見えた。星空の中どこが地面なのかもわからないが、上のほうに少しの葉をつけた大樹は美しかった。まるでクリスタルやダイヤモンドで出来ているかのような、仄かな明かりを放つそれを目指して進み続けた。リィンと不思議な澄んだ音が聞こえ、それが大樹から発せられているものと気づいて口を開けて見上げてしまった。

 ヴァンがハッとして駆け寄った。


「シェイ!」


 大樹の根元に寄り掛かり眠るシェイを見つけ、そうっとその肩を揺らした。


「ツカサ、魔力を」

「うん」


 横に膝を突いて魔力を注げば、大樹がさわりと音を立てて揺れ、数枚の葉が早送りで生えた。

 注げば注ぐだけ、枝の軋みが、葉が増える。ツカサは感動して少し震えた声で言った。


「これがシェイさんの魔力なんだ」

「夢の中でこれか。暗い男だ」

「…勝手に入ってきておいて、酷ぇ言われようじゃねぇか」


 ゆるりと開いた瞼から金目を覗かせ、不機嫌そうにラングを睨んだ。


「シェイ! あぁ、よかった」

「無茶しやがる。ある程度防衛線は張っておいたはずだったんだが、無理矢理突っ込んできやがったな」

「夢の中にも防衛線を?」

「ここがどう呼ばれるかわかんねぇが、俺はここを精神世界と呼んでいる」


 大樹に頭を預けるようにして見上げ、シェイは深く息を吸った。


「それで? どうやったか知らねぇが俺の精神に土足で入ってきて何の用だ。魔力が戻るまでひよっこ共のお供えでも楽しもうと思ってたんだが?」

「そうも言っていられなくてね。シェイ、知恵を借りたい」

「お前とラダンでわからないことを、俺がわかるかどうか」

「前に言ってたでしょ、魔導士にしか残っていない口伝や文献があるって。王家にも問い合わせてるんだけど進展がないんだ」

「…話してみろ。ツカサはそのまま魔力注いでろ」

「はい」


 ツカサは大樹に増える葉を眺めながら注ぎ続けた。精神世界だというのなら、魔力の注ぎ過ぎは自分が危ないかもしれないと思い、調整はした。

 ラングは腕を組んでそれを見ながら言った。


「オーリレアに黒い雨が降っている」

「もう十二、三日にもなるかな。イーグリステリア戦のあと、すぐに降りだしてずっと止まないんだ。でも僕やラングを焼くことはなくて、ただ降り続けてる。パンとかに触れたのは気分が悪いから外しているけど」

「オーリレアだけか? スカイ全土か?」

「スカイ全土、フィルからは各地から報告が上がってるって聞いた。それにスカイだけじゃなくて近隣諸国にも多少降っているみたい。止まないのはスカイだけだ、その中でもオーリレア近辺の雨量は多い」


 じっと目を瞑って考えた後、シェイはゆるりとラングを見た。


「イーグリステリアは数えきれないほどの魂を食ってきて、その体を成している」

「そう聞いているな」

「あんたは倒れていたからわからないだろうが、セルクスに斬り落とされた腕の一本にもそりゃぁとんでもない数の魂が詰まってたわけだ。俺は爆発に抵抗はしたが、魂を留められなかった。バラバラになっちまった魂の集め方なんて知らねぇしな」

「魂…」


 ツカサは言葉を繰り返して考え込んだ。シェイは答えを隠すつもりはないらしく、続けた。


「紫壁のダンジョンを覚えているか? 最下層で遭遇したあれだ」

歪みの生きもの(ナェヴァアース)か」

「なに? それ」

「ダンジョンで稀に出る厄介者だよ」


 聞き覚えのない単語にヴァンが以前シェイから聞いた内容を捕捉をしてくれ、ツカサは逆側に首を傾げた。


「魔導士の文献、というよりは、俺が師匠から習ったことになる。口伝の一つだ」


 少しだけ眠そうにシェイは言い、ラングに手を伸ばした。


「掴め、俺が話すより、見たほうが早いだろ。ここまで来たの、どうせあんたかツカサのスキルだろ?」


 逡巡、ラングはシェイの手を取った。

 ぶわりと風景が変わった。大樹や皆はそのままに、館の庭にいた。

 晴天の空、木陰に少年であるシェイと、真っ黒なローブに呪符の書かれた紐を引っかけた人物が座っていた。


「シェイフォンド・デラ・リスタ。俺の師匠だ。耳を澄ませておけよ、貴重な話だ」


 夢の中、精神世界だからこそ記憶を見せられるのだ。思えば、アイリスもこうして双子を見せてくれていた。

 雪原のような厳しくて静かな声がした。


『およそ二百年ほど前、この世界にダンジョンが生まれた』

『その前はダンジョンはなかったんですよね?』

『そうだ、世界はそれを必要としていなかった』

『どうして生まれたんでしょうか』


 それはいつだかツカサも抱いた疑問だ。様々な会話を経て故郷が消滅した際、人々を食わせるために、命を巡らせるために、神の手により人々の命が創りあげたものだと納得していたことだ。


『世界が世界を守るためだ』

『守る? 何からですか?』

『最後まで聞け、煩い』

『はい』


 あぁ、これはシェイの師匠だ、と思いちらりと見遣れば、じろりと睨まれたのですぐに視線を戻した。


『ダンジョンの成り立ちは()()からすれば不可思議なものだ。だが真理を紐解けば、物事には必ず起因がある。約二百年前、他の世界から多くの命が流れ込み、この世に生まれる命となる前に消滅してしまうものもあった。それを、命を、何か形に残したいと、命司る女神スフィアキリスの想いで創られたものが、ダンジョンの素だ』


 ツカサは、ヴァンは、言葉を失い、じっと黒いローブを見つめていた。


『女神の願いであるものの、ならばなぜ、世界は世界を守らなければならなかったのか。二百年前、私は黒い雨を見た』


 ラングはシールドの中で目を細めた。


『理でも魔力でもない黒い雨、私はあれを成れの果ての雨と呼ぶ』

『成れの果て? なんのです?』

『命だ。この世界に正しく渡れなかった命が、溢れた命が、スフィアキリスの願いにより降り注ぐ災厄の雨に変わった。世界はその雨を受けてダンジョンを創りだしたのだ』

『よく、わかりません』

『黒い雨はしばらくして形になったが、それは人ではなかった。人に成れなかった異物が世界を跋扈し、草木を焼き、大地を溶かし、元々同じものだったはずの人を求め、殺す。それはこの世界の破壊にも繋がった』

『大変なことだと思います』

『だからこそ、世界は黒い雨を受けて大地の奥に、ダンジョンを生み出した。そうすることで命を()に残し、後を生きる者たちの()とした』


 シェイ少年は理解が追いつかない様子だったが、必死に受け止めようとしていた。ツカサも同じ状況だった。


『現在のダンジョンは上手く回っている。それそのものが一つの循環機構として世界に馴染み、人々を食わせている。歪みの生きもの(ナェヴァアース)も時折現れるくらいで、随分減った』

『そのナェヴァアース、というのはなんですか?』

『黒い雨の残滓だ。今は、どうしても巡ることのできない、嘆きの声、哀れな命だ。黒い、そう、腐った想いの塊』


 ゆっくりと黒いローブの人の手が持ち上がり、シェイ少年の銀髪を撫でた。


『よく覚えておくがいい、神は自分勝手なものだ。割を食うのはいつだってそこに生きる者たちだ。もしお前が歪みの生きもの(ナェヴァアース)に遭遇することがあれば、その時は塵一つ残さずに消してやることだ。それだけが救いになる』

『…はい』

『いずれお前もこれを誰かに引き継ぐ、記憶に刻みなさい。我々は―――』


 ざぁっと星空に戻った。

 思いもよらない話に言葉が出ない。命の女神の名前が出てきて、ダンジョンの成り立ちの本当の意味を、理由を知った。いや、それが正しいかどうかを判別するには答え合わせをする相手がいない。

 だが、言い知れぬ不安と共に謎の確信があった。


「黒い雨、どのくらいでその歪みの生きもの(ナェヴァアース)とか、ダンジョンになるんだろう」

「師匠曰く、二百年前は十日間降り続いたそうだ」

「…不味いね、もう十日は経っている。今回は世界全体ではなく局地的だ。もちろん、黒い雨に変わった命は当時の比ではないだろうけど、可能性はあるね」


 ヴァンの呟きに拳を握り締めた。


「イーグリステリアは歪みの生きもの(ナェヴァアース)を生むとわかってて、あんな真似をしたのかな。ダンジョンができると知っていて降らせてるのかな」

「だろうぜ? あいつは当時を知っているだろ」

「黒い雨など文献に残りそうなものを、なぜ口伝でのみ残っている」


 ラングの問いも尤もだ、視線の先でシェイは肩を竦めた。


「師匠は黒い雨と称したが、実際に降ったのは多少黒いような雨だったそうだからな。灰色の雨、程度であればどこかに残ってたかもしれねぇ。ただまぁ、二百年前の話だからな」

「世界的に降ったとして、薄まってたのかな」

「その可能性はあると思うぜ。単純に、師匠の目がよすぎただけだ」


 シェイは再び眠そうに目を瞬き、ツカサはそっと疑問を呈した。


「どうして、ダンジョンの成り立ちについて黙ってたの?」


 思い返してみれば、エフェールム邸で世界を渡ってきた命がダンジョンに、などと話した際、シェイは一切口を開かなかった。他人の推測や推察を馬鹿にするでもなく、ただ我関せずを貫いた姿勢を思い出した。それはこうして師匠から口伝されたことがあったからなのだろう。

 だが、今まで沈黙し、今回こうして明かした理由が知りたかった。


「大っぴらにすることじゃねぇんだ。こうでもなければ俺は後継者を見つけるまで胸に秘めていたさ」

「後継者ってなんだい? シェイ、僕にも秘密にしていることがあるね?」


 咎めるようにヴァンが言えば、シェイは唇に人差し指を添えた。


「多少の秘密は男を上げるんだぜ、ヴァン」


 ラングからも似たようなことを言われた気がして小さく笑みが浮かんでしまった。まだ納得のいっていないヴァンに口を挟ませる前に、シェイが言った。


「それで、どうするつもりだ?」

「シェイ、起きて」

「それは今か? それとも現実か?」

「どっちも。いろいろ問い詰めたくはあるけど、とにかく、歪みの生きもの(ナェヴァアース)は魔導士を頼らないといけないんだろう?」


 はぁ、とシェイは盛大なため息を吐いた後、大樹を見上げた。


「イーグリステリア戦ほどの戦力には、悔しいがなれねぇよ。まだまだ足りやしねぇ。それに、上手いことできる奴がそこにいるだろ」


 視線を受けてツカサはびくりと肩を震わせた。


「黒い雨を変えりゃいいだろうが」

「でも、あれがなんだかわからなくて。【鑑定眼】でも詳しいことがでないし」

「ぁあ? 何言ってんだ、【変換】は変えることができるんだろうが。俺はそこに等価値を求めなくてもいいと思ってたんだが、違うのか?」


 ハッとして、頭を抱え、蹲った。

 そうだ、あれほど等価値を求めなくても様々なものに変えられると自分で検証しておきながら、すっかり頭から抜け落ちていた。

 注がれる視線に呆れが含まれているのがわかり、顔を上げられない。

 こほん、と咳払いをしてヴァンが呟いた。


「…どうやら解決の糸口は見えたようだね」


 僕も含めて気づくのは遅かったようだけど、と副音声が聞こえた気がして顔が熱くなった。

 蹲るツカサを不思議な糸で立たせ、ラングはシェイに尋ねた。


「起きられるのか」

「着せられてる魔力が回復する服をしばらく借りたいのと、ひよっこ共の魔力供給を約束してくれるならな」

「いいだろう」


 ふわ、とラングが浮かび上がり、それと同時にツカサとヴァンの体も浮いた。


「起こすのは得意だ」


 きっと、絶対、ろくでもない起こし方だな、と思いながらツカサは目を瞑った。




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