4-35:おうじょと王女
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良い朝だ。レースカーテンが朝日を柔らかくする中、天蓋付きのベッドで身じろぎゆっくりと目を開いた。
「おはようございます、水をお持ちしました」
とんとん、とドアをノックされ、こちらの返答があるまで頭を垂れて待つだろう魔導士の姿を想像し、優に十分は待たせてからおはよう、と声をかけた。
失礼します、と丁寧な前置きを置いて女魔導士が入って来る。ベッドまで近寄り、二人が天蓋から垂れるレースカーテンをまとめ、一人が陶器製の水盆を差し出してくる。熱くなく、ぬるくなく、ちょうど良い温度だ。綺麗な布を浸し目元を、額を、頬を、口元を拭い、口をゆすぐ。終われば水盆を持った女魔導士は下がり、レースカーテンをまとめていた二人が寝間着を着替えさせてくれる。
「本日は良いお天気でございますよ」
「本日は何をなさいますか」
「朝食には先日お気に召しておられましたスープをご用意しております」
「本日のお召し物はこちらでいかがでしょうか」
何を言わなくても整えられ、ご機嫌伺いをされることに目を細めた。
「いいわね」
質の良い魔獣素材の装備。腰に吊るした剣はダンジョンドロップ品。軽く、強く、振り回しやすいものだ。
ドレスではなく冒険者としての衣服に満足気に頷いて見せれば、女魔導士たちは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「良くお似合いです」
「流石はファーリア様です」
気持ちの良い誉め言葉、惜しみなく贈られる称賛。ファーリアは胸を張ってふふん、と小さく笑った。
――― ヴァロキアに入国し、ファーリアを乗せていた商人はフェネオリアでの商売でやり残したことがある、と踵を返した。【三つのしずく】もそれに便乗し、ファーリアは国境都市キフェルに置いて行かれてしまった。
使えない奴らと内心で吐き捨ててファーリアはゆっくりと歩き出した。足がなければ見つければいい、王族に傅くことの栄誉を欲しがる者はいるだろう。
フェネオリアとは違う少し乾燥を感じる風に髪を直し、一先ず冒険者ギルドに向かうことにした。活気のある市場を通れば魔獣暴走の影響か屋台の種類が多く、食べたことのない部位なども目に付いた。屋台でそれを貰い、ふぅん、と食べながら歩き出す。
広場に行けば吟遊詩人が詩を歌っていた。王都マジェタの迷宮崩壊、先んじて予言した冒険者パーティとその一行の成した魔獣討伐。リュートの音色に合わせて添えられる言葉はファーリアの興味を惹いたが、【異邦の旅人】の名が出てきてすぐさま嫌悪に変わる。
そういえばあの男、兄とはぐれているとか言っていた。装備に助けられていただけの弟、兄の実力も装備頼みのものだろう。周囲の愚民が何故そこまで肩入れするのかがわからなかった。
冒険者ギルドに辿り着き、足を踏み入れようとしたところで一人の男から声をかけられた。
「失礼、王女ファーリア様でいらっしゃいますね?」
名を呼ばれゆっくりと振り返った。恭しく頭を垂れていっそ嫌味かと思うほど体を折った男に眉を潜めた。
「如何にも、私はフェネオリアの第三王女、ファーリア・エル・マーシェ・フェネオリアよ。あなた誰?」
「わたくしはあなた様の僕、カデキウスと申します」
「しもべ? 会ったことはないのだけど」
「わたくしはあなた様の価値を存じております」
価値。ファーリアは男に向き直った。
冒険者ギルドの入り口でのやり取りに数名の冒険者が邪魔だ、と肩でファーリアを押したのを、目の前で傅く男と同じ衣服の者たちが逆に取り押さえた。
ざわめきが広がる中、男が顔を上げてにやりと笑みを浮かべた。
「王女殿下、わたくしめの話を聞いていただけないでしょうか」
ファーリアは恭しく差し出された手に自らの手を載せてやった。
案内されたのは濃い赤色のトンガリ屋根の建物だ。ローブに身を包んだ様々な年代の男女が生活しているところで、ファーリアを見ると全員が膝をついて礼を尽くした。
心地よい光景だった。父や兄や姉が常に受けていた敬意を四方八方から感じ、本来受けるべきだった待遇にようやく自尊心が満たされる。高揚と自信が胸を張らせた。
「オルワートからの旅程でお疲れでございましょう。わたしくめの話はまずは王女殿下のお疲れを癒してからにいたしましょう」
「美味しい紅茶とお菓子を用意してくれるなら、これからでも構わないわよ」
「御身が大事です」
常に第一に扱われることへの優越感は堪らなかった。
「そう、では部屋へ案内して」
「もちろんでございます。ネラーリェ、ご案内とお世話をしなさい」
「はい、司祭様」
名の感じからして同郷か、ファーリアは深くお辞儀を返す少女に微笑を浮かべた。
「顔を上げていいわよ、ネラーリェ」
「感謝いたします」
そろりと顔を上げた少女はファーリアに心酔したような顔でうっとりと見上げてきた。カデキウスは小さく笑って、さぁ、と掌で奥の扉を指し示した。
「王女殿下をずっとここに立たせておくつもりかい? ネラーリェ、ご案内を」
「は、はい! 失礼いたしました、こちらへどうぞ、王女殿下」
そわそわとした様子の少女がおかしくて、ファーリアは笑みを浮かべてその後をついていった。
城と遜色のない対応、もしかしたら城以上の待遇を受け、ファーリアは五日ほどかけて疲れを癒した。
故郷の食事も、ヴァロキアの食事も出され、衣服は最高級の絹や冒険者装備を商人が持ち込み、気に入ったものはすべて贈り物にしてくれた。
アイテムバッグやアイテムポーチも用意され、ファーリアは労せず強い冒険者になった。
ここでの生活が落ち着いた頃、カデキウスから時間を貰えないかと打診され、良いと応えた。
案内された応接室は贅が尽くされていた。黒塗りの木の柱は高級感に溢れ、天井画は美しい女神が描かれていた。艶のあるテーブル、座りやすそうな椅子、金糸で刺繍が施された赤い絨毯など最高のものを取り揃えられている。
菓子と紅茶の用意されたテーブルの横で、数日ぶりに見たカデキウスが深くお辞儀をして待っていた。
「王女殿下、ご機嫌麗しく」
「顔を上げていいわよ」
「感謝致します」
椅子を引いてもらい座り、ファーリアは紅茶が淹れられるのを待った。ネラーリェは懸命に紅茶を淹れ、それが終わると部屋を辞した。
紅茶を飲みまずまずの味に頷き、目の前で穏やかな笑みを浮かべているカデキウスを見遣った。
「私に声をかけてくるなんて、どういうつもり?」
「疑わしいのは重々、お話させていただいてもよろしいでしょうか」
「いいわよ」
「ありがとうございます。まずはわたくしと、あなた様がいらっしゃるこちらについてご説明からさせていただきます」
カデキウスは首からペンダントを外し、花をモチーフにしたペンダントトップを差し出した。
「わたくしたちは魔法の女神を崇めるマナリテル教徒です」
「聞いたことあるわ。フェネオリアでもいくつか支部があるわね」
「はい、魔法を使うために、魔法の穴というものをあける必要がございます。その手助けをさせていただいております」
「元パーティメンバーは世話になってなかったけど」
「中には居るのです、紛い物の魔法を扱う者たちが」
紛い物、と言われ、そうかもしれないと思った。他の魔導士に比べ癒しの力も弱く、発動も時間がかかる。あのまま一緒に行動していたらいつか死んでいたかもしれない。
「わたくしたちは、正しい魔法の在り方を人々に知らしめたい。王女殿下にはそのためにご助力いただきたいのです」
「とはいえ私は魔法を使えないわよ」
「いいえ、王女殿下は魔力をお持ちです」
紅茶を持ち上げる手が止まる。真摯な眼差しでカデキウスはファーリアを見つめ、その視線に紅茶を置いた。
「王女殿下、魔法の穴をあけてみませんか。その力を、恩恵を得れば、あなた様はもっと偉大になれる」
「それであなたたちはどうしたいの? 見返りを求められていることはわかる」
「フェネオリアの女王陛下となり、わたくし共を国教にしていただきたいのです」
「…継承権はもうないわ」
「王女殿下は今も王族であられる」
そう、ここが、とカデキウスは自らの胸を指し示した。
「フェネオリアの同士から聞き及んでおります。王女殿下が如何に国を思い、国のためにご尽力なさろうとしていたかを。わたくしはあなた様がヴァロキアに来てくださることをお待ちしておりました」
そっと重ねられた手を不敬だと振り払う気にはなれなかった。
ここにいたのだ、自分の真価を理解し、信じてくれる者たちが。
「ヴァロキアには我々の支部も多い、どうかじっくりと検討していただけないでしょうか。わたくしは、我々は、あなた様の後ろ盾となる準備は出来ております」
ファーリアにとってすでに答えは出ているも同然だったが、カデキウスはそれをすぐに聞こうとはしなかった。全てをファーリアの判断に任せると言ってくれたことが嬉しかった。
――― それから、ファーリアはマナリテル教とともに行動した。
キフェルから王都マジェタに移動する際もマナリテル教の輿に乗って移動し、手続きも全てカデキウスが引き受けてくれた。マナリテル教の中では司祭という立場であり、ヴァロキアの中ではかなり高位に位置するらしいカデキウスは、移動先の教会でファーリアを丁寧に紹介して回った。
ヴァロキアの王都は迷宮崩壊の影響下で粗暴な慌ただしい空気が続いていた。
美しいガラス窓の外の喧騒は遠く、最高級品に囲まれた部屋、整えられた環境でファーリアは眼下の働き蟻たちを見下ろしていた。
王都マジェタでファーリアは魔法の穴をあける儀式に臨んだ。
眠っているうちにすべて済みますと言われ、ゆっくりと眠れるハーブティーを貰い、目を瞑った。
時間にして三時間ほど、目を覚ませばネラーリェがおめでとうございます、と涙を浮かべて微笑んでいた。
どんな魔法なのか興味が沸いてカデキウスに試したいと言えば、真剣な顔で言われた。
「ファーリア王女殿下の魔法は、あまりに強大で、あまりに危険です。いざというときのために使うもので、今は温存すべきでしょう」
「でも使い方がわからなければ使えないでしょう?」
「あなた様であれば、使うべき時に使い方はおわかりになられます」
そう言われてみればそうかもしれない。剣だって握れば扱えたのだから魔法だってそうだろう。ファーリアはネラーリェに紅茶を淹れるように指示し、優雅にティータイムをとった。
――― 迷宮崩壊の終息が宣言されたヴァロキアの王城では、カダルがロナから聞いた情報をサスターシャに伝えるのが日課になった。
その晩、とある不穏な話を耳にしたので今夜の第一事項として報告した。
「フェネオリアの第三王女? ファーリアかしら」
「知っているのか」
「えぇ、隣国の王女ですから、何度かお会いしたことがあります。王籍を抜け冒険者になったとフェネオリアの王より書簡が届いていました。ヴァロキアの迷宮崩壊が経験にいいだろうと、向こうのギルドマスターがここまでの隊商を選んで乗せたとか。それなりに前の話ですが、確かに話題になっていないことはおかしいですね」
長椅子に腰掛けるカダルの膝枕でサスターシャが甘えながら答える。サスターシャの髪を優しく撫で、カダルはふむ、と小さく唸る。
「ヴァロキアに入ったというのは確かなのか。影はつけていない?」
「王籍を外れた者をずっと見張り続けるのも影が勿体ないですからね。それに、ファーリアは重要視されていません。一先ずキフェルに入門手続きをした者たちに報告させます」
「…ずいぶん棘のある言葉に感じる」
「えぇ、棘を含んでいるのですから」
ふふ、とサスターシャは笑い、困惑した様子の夫の頬を撫でた。
「あの子は王族というものを理解していないのです。国王が甘やかしすぎたせいだわ」
「詳しく聞いても?」
「もちろん、私の主観も入りますけれど。私は王女として、幼いころから自身の身が国のものであると理解していました。そう教えてくれる者が教育係であったことにも恵まれました。父王にもし男児がお生まれになったならば、私は他国に嫁ぐか臣籍降下していたでしょう、そうでなければ私が女王として国を治めることになる、結果は後者。社交界に出るのも他国の情勢を知るため、中にはお友達になれそうな人もいたけれど、近づかないでおこうと思う国もあるのです」
「アズリアとか?」
「えぇ、その通り。そういった夜会の権謀術数の中でファーリアは少し変わっていました」
カダルが首を傾げて詳細を求める仕草が好きだ。背を起こし、サスターシャは椅子に座り直した。
「少女が夢を見るのは、市井の子らも王女たちも変わらない。私とて白馬の王子様との真実の愛に憧れたときはありました。けれど、大人になっていくに従って、そういった夢と現実の乖離を経験し、憧れを胸に秘めるようになるのです。カダルにもありませんでしたか?」
「まぁ、ないわけではなかったです。エルドと二人、一攫千金を狙うために夢を見て、現実にぶち当たればそこからはもう努力と勢いが必要でした。確かに必死になったときに夢は残らない」
「そうなのです。夢は原動力になりはしても、そこにあることが現実だと受け止めるからこそ、描き、向き合えるのです」
サスターシャは膝を抱え、ふぅと息を吐いた。
「ファーリアはいつまでも、目を覚ましたまま理想と夢を見ていました。夜会でもそう、自分を中心に物事や出来事が起こると思っていて、彼女の中ではすべてが彼女の思いのままなのです」
「…少し混乱してきたんだが」
「現実が見えていないのです。彼女の夢の中はとても広く、彼女にしてみれば私は彼女の物語に出てくる端役なのです」
「もっとわからなくなった」
「要は五歳の子供なのです」
サスターシャは自身が見たファーリアの例を指折り挙げ始めた。
ファーリアという王女はとても自由なのだそうだ。憧れたことに素直で奔放、人からこうすべきだ、と言われることが嫌い、どういう経緯で冒険者へ転身したかは不明だが、考えていることは甘いだろうこと。兄王子や姉王女たちが様々な注意をしている場面も見かけたが、本人に響いていなかったこと。
「フェネオリアの慣習も良くなかったのだと思います」
サスターシャは一男一女のみに後継者教育を施し、長男を王太子に、長女を貴族との強固な繋がりに利用するフェネオリアの在り方にも言及した。
他の王子王女は所謂スペア、長男長女の出来が悪い場合に立場が入れ替わるのだ。王太子は唯一の男子ゆえにそこそこの出来で許された。長女は頭の切れは王太子以上だが、だからこそ淑やかさを以て抑えるべき貴族家へ臣籍降下。
妹王女は自身を安く売らないため、価値を高める努力をしたのだとサスターシャは賞賛した。薬草学は湿気の多いフェネオリアの永遠の課題で国民のためになる。
もちろん、ファーリアにも教育は十分に与えられているはずだったが、聞こえてくるのは脱走する話ばかり。妹王女とは話が合うサスターシャは何度か相談も持ち掛けられたことがある。
王族としての自覚を持たせるにはどうしたらいいのか、と、およそ他国の王女に聞くような話ではなかった。
ふぅ、と艶めいたため息を吐いてサスターシャは赤ワインを飲んだ。
「ファーリア自身にも言い分はあるでしょうけれど、フェネオリアでどういう冒険者活動をしていたかが問題だわ。あの子、末っ子だからこそ国民にも甘やかされていたようですから」
「貴女とは合わないだろうということはわかった」
ふっと労うような苦笑を浮かべ髪を手に取られる。その口付けは直接してくれればいいのにと思うが、カダルは少しだけ奥手なのだ。
「まずはキフェルに問い合わせましょう。朝議でも取り上げます」
「俺は冒険者ギルドで対象が来たかどうかも確認しましょう」
「頼みました」
冒険者ギルドにはエルドがいるので依頼しやすい。良い位置に収まったものだとカダルは胸を叩きながら微笑んだ。
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