4-30:攻防
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――― オーリレア 南門。
未だ人々が惑う中、門兵に見送られて本命組、遊撃組は外に出た。この門を目指して進んでくる者は誰もいない。焼かれたか、食われたか、ツカサにはわからなかった。
見晴らしのいい景色は元の光景を知っているだけに恐ろしい。ツカサは一度城郭を振り返り、そこに魔法障壁があることを確認した。
ロナの負担軽減のため、今は少しだけ薄くなっている魔法障壁はそれ自体が誘い込むための罠だ。
おい、と声をかけられ少し先に行った一同に合流した。シェイに肩を叩かれ、視線を合わせる。
「ツカサ、途中までは一緒にやるが、あとは任せるからな」
「はい」
エフェールム邸での鍛錬で教わった設置型の魔法。まるで地雷のようなそれを広範囲に置いていくのだ。トーチでの魔力訓練がここで役に立った。
炎魔法を小さく豆粒のように調整し、ぱっと振りまき遠くへ、等間隔に設置する。同じような作業をしてもシェイは息を吹きかけるようにしてツカサよりも広く遠くに置いていく。これは向こうの攻撃をいち早く感知できるようにする意味合いもあるが、踏んでくれれば幸運な罠だ。
「俺が先導して設置魔法を避ける。魔法障壁も展開しちゃいるが、接近があった場合には頼む」
「引き受けよう」
歩きながら魔法を設置、それを繰り返して城郭から離れ、予定の場所に辿り着いたところでラングが振り返った。ツカサは視線を受けて気を引き締めた。
「任せたぞ」
「うん」
ラング、アル、ヴァン、シェイが先に進んでいく。その背をじっと見つめた後、ツカサは指定された範囲に魔法を設置していく。
その横で作業を見守りながらクルドが気合いを入れた。
「よっし、それじゃあ俺たちもしっかり勤めを果たすとするか」
「だな、ツカサ、俺たちが踏まないように先導も頼むぞ」
「もちろん、わかってる。任せてよ」
自分を鼓舞する意味合いも込めて胸を叩けばクルドとアッシュは笑った。
ラングたちが進んでしばらく、そちらのほうから爆発音がした。ツカサの探知外で踏んだのだとわかった。そうでなければわかりやすくシェイが先手を打ったか。
前方を見るがラングたちの姿は既に遠く、ピントを合わせるより先にクルドが叫んだ。
「来るぞ! 備えろ!」
「俺から離れないで!」
圧を感じる前に魔法障壁を厚くし、バシンッと硬いものが当たる音が響いた。遅れて炎が魔法障壁を包みあの光景が再び広がった。
残り三か、二か。死んだことにより自爆魔法を発動をしたか、先手を打たれて死んだ仲間を見て発動したかで残り回数が変わる。
前回とは違い守る範囲が狭いからこそ一人でやり過ごせた。自分でこうなのだからシェイを連れたラングたちは大丈夫だろう。ロナは、とツカサは城郭を振り返った。数分の後、炎が消えて視界が晴れる。オーリレアを包む魔法障壁は厚く展開されていて一瞬の安堵、さっと周囲を見渡してそこに敵がいないことを確認し、小さく息を吐いた。
そして、ツカサはやるべきことをやるために腕を伸ばした。
目に魔力を、混ざりあう薄い色を見つけ、一つにまとめる。ぎゅんっと掌に集まったそれをシェイが見せてくれたように魔法障壁で包み、空間収納へ。
次いで赤い魔力を理に変換、ふわぁっと広がる風に安堵する間もなく黒いものを掴む。
耳元で柔らかい透き通るような、恐ろしく美しい声が囁いた。
――― みつけた。
ぞわりとした。位置がバレたとわかった。
振り払い、無害なもの、無害なものへ、と変換を使い、少しの抵抗をうけて黒い魔力は雪に変わり、地面の熱と陽の光で溶けてゆく。地面の熱にさぁっとミストが降り注いだ。
「イーグリステリアにみつかった! 位置がばれた! 本当に【変換】狙ってる!」
「ツカサ、設置魔法!」
「わかってる!」
再度感知のために炎魔法を振りまいて設置する。ぴりっと右耳が痛んだ。魔力を厚く展開し、自分の中心を守った。
いや、魔封じの違和感ではない、これは悪意だ。
設置魔法が遠くのほうで爆発し、人影が徐々に近づいてくる。氷魔法を放って氷壁を創り出せばバァンッと砕かれた。
確信した、魔導士が来ている。それも多少因縁のある相手が。
「なんでテメェがここにいんだよ」
純粋な敵意。妬み、苛立ち、様々な恨みつらみをその目に宿して、王都マジェタで出会った時とは人相の変わった男がそこにいた。
「シュン」
名を呼べばハッと馬鹿にしたように口元を引き攣らせシュンは叫んだ。
「なになに、お前本当に主人公気取りなわけ? なんで俺の前にいんのかなぁ?」
「こっちのセリフだよ、なんでここにいるんだ」
「俺は選ばれたからな!」
見ろよ、と尊大に金刺繍の施されたローブを広げた。少し遅れて二人の魔導士が後ろに立った。アッシュが囁いた。
「向こうに一人、二人と考えていい。こっちにはあの二人だけだ」
「自爆する前に殺せばどうだろうな」
「試すしかない」
クルドがさり、と土を踏んで柄に手をかけた。アッシュはポーチから弓を取り出して矢もするりと引き抜いた。シュンは眉を顰めてクルドとアッシュを見遣った。
「仲間変えたのかよ、むさ苦しくなったもんだな。あの時はババァが一人はいたのによ」
「失礼だな! それに変えたんじゃない、増えたんだよ。それで? 選ばれたってどういうこと?」
「女神様が現れたのさ。お前の前に出てきたことあるか?」
「女神はないね」
「だよなぁ! 俺と、お前じゃ、役者が違うんだよ! 主人公に一度の挫折はつきものだ、そこから這い上がってこそのサクセスストーリーだからな!」
クルドが背後で首を傾げている気配を感じた。ツカサはそっと後ろを手で制して尋ねた。
「何をしにここに来てるんだ? ヴァロキアはどうしたんだよ」
「もうあそこは俺の舞台じゃない。チャプターが進んでんだよ。なぁ知ってるか? この世界は俺たちのためにある、それが真実だ。俺たちのものを取り戻す、そのために俺はここに来てんだよ」
再びアッシュが囁いた。
「気配が増えた、特殊部隊の応援だと思う。二人いる。こっちの部下はオーリレアだから俺たちでやるぞ」
「捕捉してる、どれからやるかが問題だ」
背後の声に唾を飲むようにして小さく頷き、ツカサはシュンにさらに問いかけた。
「俺たちの世界は違う場所だろ、日本だ。取り戻すも何もここは俺たちのものじゃない」
「馬鹿だな、奪われてることも知らないで。これだからガキは嫌なんだ。お前、こっちにいるならイーグリスって街であった事件知ってるか?」
当事者の一人だったことは胸に秘めてツカサは小さく首を傾げた。明言しないで相手に促す、ラングの真似だ。
シュンは仕方なさそうに肩を竦めて諭すように話した。
「こっちでは【渡り人】っていうんだってな、俺たちと故郷を同じくする奴らが持つべきもの、あるべきものを取り戻そうとした勇敢な戦いだ。残念なことに失敗したらしい」
「そうなんだ」
「情弱かよ! お前、そのうちの何百人って殺されたんだぞ! 処刑されたんだぞ! 俺たちの仲間が!」
ぐっと息が詰まった。少しだけ後ろを窺えばアッシュとクルドは一瞬目を伏せて逸らした。事実なのだ。
「お前それでもこの世界の奴らの味方すんのかよ! 悔しくねぇのかよ! 技術奪われて居場所はお慈悲で与えられて、屈辱じゃねぇのかよ!」
感情を込めて訴えかけてくるシュンの声は続く。
「なぁ、騙されてんだよ、目を覚ませよ。そりゃマジェタで俺のしたことはあるけどよ。だけどな、真実を知ったからこそ今は違う。物語が進んだからこそ俺はもう振り返らない。俺は故郷を取り戻したいだけなんだ、そのために女神が俺を選んだ。それから、俺と同郷のお前にもスポットライトをあててやりたい。あててやる」
シュンの右手が差し出された。
「一緒に来いよ、ツカサ。一緒に世界を救う英雄になろう。世界を取り戻そうぜ。遊びに溢れた日本を、便利で快適、周りを見渡せば美味い飯がある故郷を、家族を。ちょっとだけその過程でいろんなもんを改善してさ。な?」
その手を眺め、ツカサは深呼吸をした。
「シュン、英雄って、どういうことか知ってる?」
「あ?」
「俺は教えられるまで知らなかったよ」
僅かな瞑目、ツカサは瞬きに合わせてシュンを見遣った。
「強い人が英雄なわけじゃない。大きな出来事に立ち向かうのが英雄なわけじゃない。何かを成し遂げた人が、英雄なんじゃない」
「どうした…? 何の話をしてる?」
「誰かが、自分のやったこと知ってくれている。誰かが、俺のことを認めてくれている。生きていてほしいと願ってくれて、想いを託して、誇りに思ってくれる。それがたった一人だとしても、そういう想いが本当の英雄にしてくれる。そうであってこその英雄なんだって、俺は知った」
ぎゅうっとマントの胸元を握り締めた。頬を叩いた優しくて厳しい痛みを思い出して泣きそうになった。右耳が熱くて堪らなかった。
すぅ、と息を吸ってシュンを真っすぐに見て、ツカサははっきりと言った。
「俺は、世界を救う英雄になんてなりたくはない。ただ、俺を見てくれる人たちの想いに応えたいだけだ」
ぎり、とシュンが奥歯を噛むのがわかった。破魔の耳飾りがシュンの敵意をこれでもかと知らしめていた。
「同胞が殺されてんのに、その意味不明な結論なのかよ」
「覚悟と選択と行動の結果だろ。相手を排しようとして、自分が排されないわけがない」
右耳が焼けるほどに痛い。シュンからゆらりと黒い魔力が現れた。
すーはーすーはー、ツカサは呼吸を入れて魔力を全身に巡らせた。
「正しい正義なんてどこにもないんだ。俺は、俺の覚悟のためにここにいる」
「何度も何度も人の親切を棒に振りやがってクソガキがぁ! どっちの物語が本物か教えてやるよ!」
バキンッと魔法障壁に魔力圧がぶつかり、ツカサはクルドとアッシュに単体障壁も張った。
クルドは地を蹴り、アッシュは弓を番えた。
「右!」
「左!」
それぞれがツカサの張った魔法障壁を出てシュンの魔力に飲まれた。
「燃えろ! 消えろ! 消し炭になれ!」
「させない!」
ツカサはクルドとアッシュを守る盾になり、自身を覆う魔法障壁にも魔力を注ぐ。
シュンの真っ黒な魔力渦の向こうでドスッと音がした。あれは矢の刺さる音だ。右側からもぎゃっと聞こえたのでクルドが渦を掻い潜り剣を届かせたのだろう。
「うおおぉ! 熱い!」
魔力渦を斬って魔法障壁に戻ったクルドは頬が火傷していて、ゲホッと息を吐いた。すぐさまヒールを展開、アッシュの位置を探る。
「いててて! やばいごめん仕留め損ねたかもしれない!」
魔法障壁に転がり込んだアッシュはヒールをうけながら叫び、ツカサは言いなれた言葉を紡いだ。
「盾魔法!」
叫んだと同時、二つの自爆魔法が順番に発動した。右から、左だ。
至近距離、かつ衝撃波も二倍になって襲い掛かってくるそれにツカサは両手を前に出して耐えた。
全力で盾を展開、密度を、硬度を、決して通さないと強くイメージをして魔力を放ち続けた。シェイの背中を思い出していた。
腕がビリビリと痺れ、がくがくと震えた。足を踏ん張り耐えていればクルドとアッシュがその背を支えた。
「頑張れツカサ! お前が頼りだ!」
「ぅうおおおぉ! 魔法障壁の中なのにやべぇ! 俺は首を切り落としたんだぞ!」
「はぁ!? あいつら生きてても死んでても自爆すんのかよ! 厄介だな!」
ビキッと腕にヒビが入るような感覚がした。不味い、早く終われとツカサは祈る。
「ははは! もつか? びっくりだろ! こいつら女神様から余計に力もらってんだよ、すげぇよな! 本当ならこないだ全部吹き飛ばすはずだったんだけどなぁ、全然だめで足させたんだよ!」
永遠に続くような爆発の向こう側からシュンの高笑いが聞こえた。自爆魔法に被せるように魔法がぶつけられる。炎、爆破、相性は考えられていて厄介だ。
あの時でさえ三分から五分は続いた爆発だ。今どのくらい耐えているのか、秒数の感覚が狂っていた。
ツカサはぐっと腹に力を入れた。
「クルド! アッシュ! 俺の背中支えてて! それで、もっと後ろに入り込んで!」
「おいおい図体のでかいお兄さんに無茶言うぜ!」
「いいから、クルド! 前に!」
「押して!」
魔法障壁の形を尖らせてツカサは爆発に向かって一歩を踏み出した。
腕を伸ばし、徐々に魔法障壁の形を変え、自分の掌に集中的にヒールをかけながら外に出し、掴んだ。
「ツカサ!」
「痛いけど! 大丈夫!」
ツカサはまず二色の靄をそれぞれまとめた。掌が焼けて痛かったが、痛いと叫んでいる暇はない。攻撃は痛いものなのだ。
魂を魔法障壁で包み空間収納、赤い魔力を理に返せば勢いが収まり、視界が見えるようになった。
「どういう…」
困惑したシュンの表情が見え、黒い魔力を掴んだ。
――― すぐに行くからね。
ぞわ、と鳥肌が立ち、ツカサは離しそうになったそれを強く握り直した。
「変われ!」
ぶわっとこちらも雪に変わり溶けてミストが吹き消えていく。焼けた大地を撫でて冷やし、蒸気が風に吹かれて追いやられていく。
じくじくと痛む掌にヒールをかけるが治りきらない。構っていられるか、とツカサは顔を上げた。
シュンは納得のいかない顔でツカサを見下ろしていた。
「なんだよ、それ。何の力だよそれ!」
ふぅぅ、と息を吐いた。火傷を負った掌に蹲りたい気持ちを堪え背筋を伸ばした。いつだって自分の前に立ってくれていたあの人を思い浮かべ、胸を張った。
クルドが、アッシュが横に並んで武器を構えた。
「お前は自爆するのか?」
「生きても自爆、死んでも自爆、どっちのがマシなんだろうな」
シュンの顔が真っ赤に変わる。二人の魔導士を捨てて繰り出した攻撃が綺麗さっぱり消されたことと、相手がまだ立ちはだかることが許せないのだろう。
わかるよ、と内心で返す。この状況、シュンにとっての悪役はツカサたちであるはずなのに、悪役に立たされたのはシュンのほうだと気づいたのだ。
「この…!」
「待ち針を刺すイメージ!」
ツカサは細い針をイメージしてシュンの魔力の中心に向かって飛ばした。魔封じの呪文など無詠唱のシェイから聞いた覚えがなく、情けない叫びになった。
ピキン、とツカサのイメージの中で上手く刺さったように思う。
シュンは魔法を撃とうと勢いよく振った腕から何も出ず、ハッと掌を確認した。
「ファイア、アイス、ウィンド、殺す、殺す! 殺す! ぁあ!? なんでだ!? またかよ!?」
ありとあらゆる呪文を唱えて頭を掻きむしり、シュンは雄たけびを上げた。
思わず弦を緩めてアッシュが呟いた。
「すげぇ、ツカサ魔封じまで」
「気を抜くな!」
クルドが叫び、ツカサはハッと魔法障壁を修正しようとした。
ぼこりとシュンの靴が膨らみ、弾けた。
バリンと割れた音がして体が吹き飛ぶ。
単体の魔法障壁があるだけましだった。地面を転がり距離を取られ、体を起こした時にはシュンは真っ黒な球体に飲み込まれ叫び声だけが響いていた。
「なに、あれ」
「ツカサ!」
大剣を振りかぶって前に出たのはクルドだ。ぶわりと襲い掛かって来る肌を焼く魔力圧をどういうわけか見切って斬り分けた。振り下ろし、切り上げ、横薙ぎ、クルドはツカサを襲う波を斬り続けた。
二秒ほど置いて我に返り、ツカサはヒールと魔法障壁を展開しなおした。
「ごめん!」
「いい! 気にすんな!」
「あれどうなってる!? 解析!」
「はい!」
アッシュの声にさっと目に魔力を込めて視る。ぎょっとした。
「魔力は、待ち針が押さえてる、でも、黒い魔力だけが渦巻いてる」
「女神の仕込んだ嫌がらせか?」
「おいおい、不味いってあれ止めないと! 街が!」
アッシュの叫びにそちらを見れば街を覆う魔法障壁にヒビが見えた。徐々に広がっていくそれにサァッと青ざめた。
「ロナ!?」
「集中! 俺が突破口を開く、あいつに近づけば【変換】使えるな!?」
「はい!」
「特殊部隊が来る! そっちは俺が! 単体くれ!」
「はい!」
「あとでな!」
治癒八割の能力をどこまで発揮できるだろうか。単体障壁を得てアッシュが魔法障壁から飛び出していった。
クルドは剣を握り直し叫んだ。
「行くぞ! 躊躇すんなよ! 俺はお前の盾だ!」
「お願いします!」
魔法障壁から剣を出すようにしてクルドは魔力渦を斬って先に歩を進める。ダンジョンドロップ品なのだろうか、刃こぼれをしないそれに驚きつつ、近づけば近づくだけクルドよりもツカサの体が重くなった。魔法障壁に受けている圧が近寄るのを阻み、弾き飛ばされそうになる。
ごうごうと耳元で音がするようで声が聞き取りにくくなる。それはツカサの心臓音だったのだが、その時は気づきもしなかった。
クルドの叫びの向こう側で金属のぶつかり合う音がした。アッシュだろうか。
クルドが叫んだ。
「ツカサ! 進んでないぞ!」
もう精一杯足を進めている、これ以上重くて踏み出せないだけだ。
「ツカサ! 踏ん張れ!」
わかってる。
「もう少しだ!」
わかってるってば!
声にならない叫びがもう一歩。背中にどしんと熱い塊が触れてぐっと押された。
「前…!」
掠れたアッシュの声、咄嗟にヒールをと思ったが背中をどしりと叩かれた。
「前!」
魔法障壁に意識を向け、押されたことでまた一歩進んでクルドが斬った。
「ここだぁ!」
ざっと渦が一瞬だけ途切れた。アッシュが背中を思い切り押して、ツカサは走り幅跳びのように地面を蹴った。
「いけ、ツカサ!」
真っ黒な人型の何かと化したシュンに、手が届いた。
変えるんだ。
無害なもの。
人の命。
シュンの命。
魔力を消す。
何に。
変えなくちゃ。
何に。
助けなくちゃ。
誰を。
どうやって。
脳内で様々な考えが浮かんで流れて消えて、ツカサは叫びを聞いた。
――― 人を助けたくてここに来たラングに、全部背負わせんのかよ!
――― 夢の中よ。私が好きな場所なの。
ぶわっと色とりどりの花びらがツカサの手元から現れ弾けるように飛んだ。
香しい風が吹き空に舞い上がり、打ち上げられた花火のように大きく広がり、ざぁぁ、と音を立てて赤やピンク、黄色に白、淡い水色と花吹雪が舞い散る。
ツカサは幻想的な光景にも感動する余裕はなかった。
腕が震えていた。左手からはじくじくと血が垂れ、右手は感覚がなかったが、触れたいものに触れていることだけはわかった。
「…ぁ…」
人の姿を取り戻したシュンは茫然自失で空を眺めていた。
いつまでも降り注ぐ花びら、それを追ってシュンを見れば太腿から下がなくなっていた。先ほどの何もかもを破壊するかのような魔法は、本人の意思はわからないが、シュンという人間のすべてを使ってじわじわと放たれるものだったのだろう。瞬間的な火力よりも押さえ込まれる継続的な火力のほうが厄介だと、脳のどこかが冷静に分析していた。
正直なところ、シュンを救おうという気持ちは微塵もなかった。そんな高尚なことを考えられる隙間がどこにもなかったのだ。
ただ、ラングへの想いが、アイリスの笑顔がこの結果に繋がったのだろう。
シュンは微かな声で呟いた。
「…俺、は、…物語の…主人公、だ…」
「…誰も否定しないよ」
自分がやりたいことを通すとき、その覚悟と責任を背負う必要が生まれるだけだ。その覚悟を持ってこそ、意志を貫けるのだと知ったのだ。
う、と呻き声を聞いて後ろを振り返る。
「クルド! アッシュ!」
地面を蹴って駆け寄り、全力でヒールを使う。短い時間で魔力を使いすぎてくらりときたが、マントから魔力が補充される感覚があった。性能で選んでおいてよかった。
クルドは二の腕まで筋肉が露わになっていて顔も歯列が見えかけていた。あまりの圧にツカサが防ぎきれていなかった証拠だ。光をぱあっと弾けさせれば幸いなことに元通り、クルドは手を開閉して確かめ、ありがとよ、と礼を言って笑った。
アッシュのほうはじわじわと怪我が治りつつあったが、火傷のような怪我がどうしても多い。
イメージをしながらヒールを使えば火傷も、やりあった際の切り傷のついた手足も治り、助かった、と言い花びらの降る空を見上げてからツカサを見た。
「そいつ、生きてんのか? 爆発しないように、変えた?」
「あ、やる」
シュンの下に戻り、手を添える。
爆発をしない、ただの人間に変われ。魔力を失った、ただの人間に変われ。
女神の嫌がらせがまだ残っていそうで不安だった。それもあるなばら変えてしまおう。何に変えるか、ちらりとシュンのなくなった足を見て、変えられるだろうかと考えた。
いつもの違和感の後、肉が生えるような異様な光景が広がりシュンの太腿から下に足があった。
ゾッとした。足に変われと思って足が生えたからではない。
子供の頃、隠れん坊をしていて聞いた言葉が降ってきた。
「みぃつけた」
花びらの舞う中、淡い紫の髪をそっと押さえ、アメジストのように綺麗な目をツカサに向けて女神が微笑んでいた。
くちゃりと音がしたのは細い足の下だ。
「シュ、ン」
つ、と退けられた足を見れば脳漿が扇状に広がっていた。
「シュン!」
「あらやだ、そこにいたのね」
汚れちゃった、と不機嫌に言い、女神は赤く染まった靴を脱いだ。まるでピクニックで原っぱに来てふかふかの草を楽しむような感じだ。
「大丈夫、ちゃんと食べてあげるから」
差し出された黄金の杯にふわりと赤い光が吸い込まれ、ごくりと飲み干された。口端をぺろりと舐める所作が、恍惚と細められる目が、艶めかしく美しすぎた。
動けなかった。
ゲームや映画、小説や漫画で、そんなことをさせる前に攻撃すればいいのにとか、話をしている間に逃げろとか考えたこともあった。
だが、こういう時人はあまりのことに動けないのだと知った。
恐怖で足が竦み、立ち上がらなければならないのに、脳からの伝達が上手くいかず力が入らなかった。
からだがいうこときかない。
「うおおぉ!」
「ツカサ! 立て!」
クルドが剣を振るい、アッシュが矢を放った。びくんっとようやく指示が繋がって素早くその場を離れた。
もう、と女神は悪い子を叱るように腰に手を当て、クルドの剣を、飛んできた矢を防いだ。パンッと剣を弾かれて戻り、クルドはツカサを背に庇って立った。
「アッシュ、どう思う」
「ないな、あれは、ない。ヴァンたちがどういう状況かわからないのが一番まずい。真っすぐにこっちに来やがった」
じりじりと二人は下がり、それに伴ってツカサも下がる。
「邪魔しないで頂戴、貴方たちの命もちゃーんと使ってあげるから」
「盾魔法!」
ふっと消えたイーグリステリアに咄嗟に魔法障壁を張る。キンッとクリスタルガラス同士がぶつかったような音が背後からした。振り返ればイーグリステリアが黄金の杯をツカサに向けていた。
「えぇ、すごぉい! 少しだけでも耐えきれるんだ、がんばったんだねぇー!」
杯を握ったままの手を引いてぱちぱちと叩いて女神は子供を慈しむ眼差しでツカサを見つめ、それから愉悦に顔を歪ませた。
「君は魂も魔力も、全部美味しそうで困っちゃう」
ぞぞぞ、と背筋を走る悪寒、胃の裏側が痙攣するようなストレス、ツカサはマントの助力を得て魔力を練り上げた。
「近寄るな!」
バキバキと音を立てて氷壁を放った。とにかく距離を、視界を防ぐために放ったその先に女神がいるのかがわからない。
もはや周囲すべてに嫌な魔力が広がっていて見分けがつかないのだ。
「ぐっ」
サクリと魔法障壁がゴーフルを噛むように砕かれ、アッシュが呻いた。ごりっと削り取られた首筋、血を流し吹いてどさりと倒れ、じわりと地面に広がっていく。
「アッシュ!」
「ツカサ! 自分のことを考えろ!」
ここだ、とクルドが剣を振るえば黄金の杯を前にそれをバチバチ音を立てながら受け止める女神。表情は微笑んでいて余裕綽々だ。
クルドは何度も剣を振るった。その度に黄金の杯がくるくると移動して防いだ。
「えぇ…よく見えてるねぇ、すごいすごい! でもそろそろ邪魔かなぁー」
つい、くるりと指先が振られ黄金の杯が回転、クルドは剣を前に構えて衝撃波をうけて吹き飛んで行った。魔法障壁がパラパラと散らばり、全身から血が噴き出ていることだけは見えて、ヒールを投げそうになった。
今はだめだ、少なくとも魔法障壁を厚く、堅く、自分に張り続けなくてはならない。自分が女神に力を与えてはならないのだ。
ツカサは走りだした。クルドとアッシュにこれ以上の傷を負わせないために、合流するために。
ツカサはオーリレアとは逆を目指して走った。
「あー、こらこら、だめよー、止まって?」
全速力で走るツカサとは裏腹に女神の気配はゆっくりと近づいてくる。
「もー、追いかけっこは終わり!」
黄金の杯を振りかぶったのがわかる。魔法障壁を強く張って、衝撃に備えた。
「くそ…っ!」
うおぉぉ、と雄たけびが聞こえたのはその時だ。ふっと圧を感じた後に音が遅れて続いた。
「させるかぁ!」
ギィン、と音を立て、槍と黄金の杯が火花を散らしていた。ギリギリと槍を突き立て続けてアルが吐き捨てた。
「かったい!」
「クソ女神が! ヴァン!」
「そぉら!」
ヴァンが気の抜けるような声と共にマナリテル教徒を投げた。女神の張っている魔法障壁を蹴って足場にし、アルが戻りがてらそれの首を斬り落とした。
ぼっ、と全身が膨張、自爆魔法が発動し、ツカサは衝撃に備えた。
振動も爆発も来ない。無理矢理目を開けばシェイが杖を手に完璧にそれを防いでいた。
「【変換】!」
「はい!」
焼け爛れた左手を障壁の外へ、命、理、黒い魔力を霧雨に。しゅわぁ、と湯気を立てる地面に、白い煙の中で、女神はただ微笑みを湛えていた。
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