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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-29:託されたもの

いつもご覧いただきありがとうございます。


 ツカサの部屋へ移動し、扉を閉めた。


 ベッドに机に椅子、タンスが一つの簡易な部屋でラングは空いているベッドに腰掛けた。

 なんだか久しぶりだ。

 サイダルから旅に出て、野宿して、話して、【真夜中の梟】を殺しかけて。

 マブラで久々のベッドに喜び、折れ、支えられ、気持ちの整理の仕方を習い、魔法を使えるようになって。

 あの日の出来事は今でもツカサを支える支柱の一つだ。

 膝に置いた自分の手を見る。あの日よりも節くれ立った、傷の、剣ダコのある手。それでも憧れには遠い経験の浅い拳を握り締めた。


「無事でなによりだ」


 声がかかり斜め前を見る。膝に肘を置いてラングがシールドを傾けてこちらを眺めていた。そこにいてくれるだけで心強い兄に力強く頷いてみせた。


「うん、ラングも」


 顔を合わせたら話したいことがたくさんあった。ヴァンに言われ気づいたこと、自分の心持ちや覚悟が変わったこと、【変換】の使用や、魔法障壁のことなども話しておきたいと思っていた。

 けれど何故なのだろう。本人を前にするとそれらの言葉がすべて無粋で不要なものに思えてくるのだ。

 話をしようと言ったラングも何も言わず、ただ黙っているだけだ。

 そうした時間がどのくらい流れたのだろう。ギシリと音を立ててラングが立ち上がった。


「来い」


 うん、と答えた気で立ち上がったが、ツカサは音を出すことを忘れていた。階段を降りれば階下でしていた声がぴたりと止んだ。リビングに行くのではなく階段を降りて曲がり中庭への扉を開く。

 夜が来ていた。うっすらと浮かんだ月は微かな影を地面に落とし、深緑のマントがぬるりと実体と闇を行き来している。


「構えろ」


 すらりと双剣が抜かれた。何を問うのでもなく、何を返すのでもなく、ツカサもショートソードと短剣を構えた。

 ラングは右の剣で肩を叩き、剣を握ったままの左手を前に差し出して折り曲げた。

 にっと笑ってツカサは地面を蹴った。


 剣戟の音が中庭に響く。

 払い、流し、避けられ、ついでに反撃を受けながらもツカサは食らいついた。

 いつもの鍛錬とは少しだけ質が違う。ラングに常に覚悟を問われ、それに大丈夫だと返すための手合わせ。ラングにだけ集中し、木々の揺れる音や外からの喧騒が聞こえなくなった。

 どのくらい打ち合っていたのかわからない。

 右の振りぬきから回転を入れてもう一撃、次に足払いを狙い、その遠心力を利用してもう一度ショートソードを振りぬく。

 ドッ、と顔に蹴りが入った。ナイフの仕込まれた足の裏は滑り止めの奥が固い。踏みつけて跳躍する反動で地面に叩きつけられ即座にヒール。上から降ってきた炎のナイフを避けるために転がった。

 すぅー、ふぅ、息を整えて武器を構えなおす。ふわりと地面に着地した相手は開幕と同様に挑発をいれる余裕があった。

 腹が立つ。その姿が己の根底に焼き付いているのがわかる。


 あの日、自分を守ってくれた背中が、今は自分を真っすぐに見てくれている。


 涙が出そうなほどに目頭が熱かったが、それ以上に胸の奥で燃え滾るものが涙を蒸発させた。


「うああああぁ!」


 短剣、ショートソード、蹴り、拳、頭突き、体当たり、そして魔法。

 今自分の持ち得るすべての力と技術を用いて壁にぶつかっていった。

 氷魔法で足を凍らせることに成功し、ここだ、とショートソードを振りぬく。

 ついに勝てる、と腕に力が入った。

 パッと目元を掠ったものに目を瞑ってしまった。次いで鳩尾に衝撃を感じ胃液を吐きながら飛んで転がった。ヒール、衝撃に痙攣した体を無理やり起こして相手を見遣る。

 目の前に真っ黒な闇の塊が立っていてそこから伸びている剣の冷たさにびくりと動きが止まる。首筋に添えられた刃に触れぬよう、肩が上がるほど乱れた息をどうにか堪えようとゆっくり息を吸う。

 そろりと視線を動かせば先ほどまでいた場所が一閃されていた。そう簡単に砕ける氷を放ったつもりはないが、と差し向けられた腕を見る。力の腕輪、技術と力の両方で傷をつければ壊せるポイントを見極めて脱されたのだとわかった。その際に払った氷がツカサの目元に飛んだのだ。

 黄壁のダンジョンからイーグリスに戻る際、コンドルの衝撃波がツカサの氷壁を砕いたのを参考にしたのだろう。

 ツカサが成長をするように、ラングも新しい世界で成長している。技術に磨きをかけている。

 追いかけても追いかけても追いつけないその背中に、悔しさが滲む。けれど、だからこそ隣に立つのだと遠く長い目標に顔を上げた。


「迷いが消えている」


 ゆるりと剣を引いて腰に戻し、ラングが手を差し出した。いつかのようにそれを掴んで立ち上がり、ツカサは腹を撫でた。


「俺も大人になったんだよ」

「そうか」


 聞きたかった言葉はここで聞けた。先ほど風呂に利用していたために中庭はぬかるんで、マントも装備も土の匂いがしてトーチを置いた。自分を見渡せば泥だらけだった。ラングは泥はね一つなかった。


「どういうことなの」

「なにがだ」

「ラング、マントだってふくらはぎまで長いのに泥の一つ付いてないって、どうして?」


 ふむ、と顎を撫でてからラングは足を踏み出した。


「歩き方だろう」


 ぬかるんだ場所だというのに足音がしない。一緒に行動していた際も足音がないことには気づいていたが、ここまでなのかと目を見開く。


「戦闘してたのに、どうやってるの、それ」

「どう、と言われてもな」


 ラングは無音で三歩ほど歩きツカサを振り返った。こうだ、と見せてくれたのだろうが意味が分からない。

 同じように歩いてみたがねちょ、ぴちょ、と泥を踏む感触と音がする。ブーツの底が違うのかと首を傾げた。


「慣れだ」

「絶対違う」


 これもまた技術だ、ツカサは頭を抱えてしゃがみ込んだ。もはやどろどろのマント、これ以上汚れてもどうでもよかった。

 とはいえ、暗殺者を目指すわけではないのでそこまで必要な技術かと問われれば、優先度は低い。


「ラングはどうしてその歩法を身につけたの?」

「師匠の寝首を掻くためだ」

「ちょくちょくラングが技術を身につけるときの理由が物騒なんだよな…」


 師匠を殺してやりたいだとか、なんだとか、ラングの動機が時折不純に思えた。

 けれど、ツカサがラングを師匠にしているからわかる。絶対に越えられない壁を、目指せる高みを見せつけられる身としては、必ず勝ってやるという思いが、相手を驚かせてやりたいと思う気持ちが原動力の一つなのだ。

 飄々としていたというリーマスがラングに与えた影響は大きいだろう。


「そういうことなんだよな」


 ヴァンの言っていた影響と縛り。ラングはそれをどうやって越えたのだろう。ツカサは立ち上がり気になったことをそのまま尋ねた。


「ラングさ、自分をすべてにするなって言うよね。あれってリーマスさんから言われたの?」


 質問の意図を問うているのだろう、ラングは腕を組んで僅かに首を傾げた。

 あ、ええと、とツカサの中で言葉がまとまらず、少しだけ時間を貰った。その間にテントが出され、それに礼を言って装備を入れ、しまい、再び取り出し、綺麗になったものを身につけた。


「ヴァンに言われたんだ。ラングは俺にとって、多大な影響と縛りを与えたのだろう、って。ラングが自分をすべてにするなって言った言葉の意味を考えるようになった。あれってどういう経験から導き出された言葉だったんだろう、って、思って」


 テントを片付け、ラングは防音の宝珠を起動してツカサに向き直った。


『そもそも、私と師匠(リーマス)はあまりに違いすぎた。あいつは、望んでいたわけではないが生来の暗殺者であり、肉体的にも、才能にも恵まれていた。私は途中から冒険者(ギルドラー)の道を選んで慌てて作り上げたようなものだ。同じような技術の習得は最初から無理だった』

『リーマスさんって、ラングより身長高いよね? ラングの自己鍛錬、視線が少し上だもんね』


 このくらい、とツカサが高さを示せばほぅ、と感心した声が聞こえた。


『よく見ている。そうだ、ちょうどそこが目線の高さだ。そういうわけで私はあいつから縛りは受けなかった。影響があるとすれば生きる上での、暗殺者としての思考回路だろう』

『なんかわかる。じゃあ、あの言葉はどうして?』

『私は自分で立つしかなかった。そしてお前はお前の道を行くべきで、私の後をなぞるべきではないからだ。私は同じことをリシトにも言っている。憧れと現実の線引きは大事だ』


 ついとラングのシールドが夜空へ向かい、そこに薄っすらと月が映った。シールドの湾曲で歪んだ月はラングの表情を映すかのように緩やかな下弦を描いた。


『そうしたことを言われる側だった時には、面倒だったんだがな。どいつもこいつも、口を開けばお前の道を行けと勝手なことばかりを言う』


 いつか、ツカサもかけられた言葉を懐かしみ、微笑む時がくるのだろうか。眩しさに目を細めればラングが改めてツカサを見遣った。


『改めて言っておこう。私をすべてにするな、選択と覚悟は己で掴み取れ』

『わかってる』


 にっとツカサは笑ってみせた。


『俺は、俺だからね』


 ふっとラングの息が零れた。防音の宝珠が解除され扉を顎で指された。


「もう休め、寝付けないと言うのならば寝かしつけてやるが」

「大丈夫、お風呂入って休ませてもらうよ」

「ツカサ」


 腕を伸ばしてドアノブに手をかけようとしたところに声がかかり、振り返る。


「もう、いいな?」


 ぐっと拳を握り締めた。頷き、覚悟を決めた声で言った。


「あぁ、もう、たくさん語り合ったから」

「そうか。頼んだぞ」


 少しだけ驚きの表情を浮かべた後、ツカサは自分の胸を叩き扉を開けて中に入った。

 パタンと閉まる扉を眺め、ラングはシールドを下ろした。若者の成長は不思議と心地よいものがある。


「お、笑ってる?」


 とん、と屋根から降りてきたのは相棒だ。相変わらず恵まれた脚力と膝と腰を持っているらしい。


「覗き見とはな」

「みんな見てたから俺だけが悪いわけじゃないだろ」


 頭の後ろで腕を組んで悪びれもなく笑う。ふぅと息を吐いてシールドを元の位置に戻し、アルと向き合った。


「鍛錬で語り合っちゃうとか、ツカサもたった数日で大人になったなぁ。兄貴としちゃ嬉しいか?」

「どうだろうな。言葉が上手いのはあいつの長所だ」

「成長が寂しい保護者の発言だ」


 へへ、と揶揄うアルをじろりと見れば、その反応まで予想していたのだろう素早く二歩の距離を離れた。逃げるならば言わなければいいものを、この男は言わずにはいられないのだ。

 ラングから追撃がないのを確認すると再び横に戻り、アルは一緒に夜空を見上げた。この空には未だ魔法障壁があり、今晩くらいは街の、全員の安全を守ってくれるらしい。

 明日、シェイが魔法障壁から出た時にロナが引き継ぎ維持に務めることになる。今夜中にできるだけ魔力をシェイのマントに移し、ロナの負担を軽減する方針だという。それでも持って二時間だと言われれば、速戦即決が求められる。

 だからこそ後ろを気にしてはいられない、ある意味の捨て身作戦だ。それをはっきりと明言しないあたり、ヴァンのやり方はずるいとアルは思った。

 それもまた軍師として必要な狡猾さと思えば、置かれた立場の重さを少しだけ想像ができる。

 アルはすぅと息を吸ってから尋ねた。


「勝てると思うか?」

「さぁな」


 ラングは誰に対しても欲しい言葉を言わない。そのスタンスの貫き方に逆に安心してしまった。


「まぁやるしかないよな。どうあれ力を得るために進むなら、イーグリスは美味い飯処だ。俺だって家族があそこにいるし、故郷だし」


 背から槍を下ろして前で握り締める。ダンジョンで拾った槍は今までずっとアルの身を守り生かしてくれた。この戦いもお互い生き残ろうぜ、と内心で語りかければ、槍が応えるような気がした。

 特に何か話したいことがあって隣に立ったわけではないが、明日もこの相棒と肩を並べるのだという実感がほしかった。


「アル」


 ふと名を呼ばれ横を見る。ラングの視線がこちらを向くかと思ったが、じっと空を見続けていた。


「頼みがある」

「なんだ? 珍しい」

「私が死んだら、お前がリシトを助けに行ってやってくれ」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 今ラングは何を言ったのか。アルは瞬きも忘れてその横顔を見ていた。

 唇が震えた。


「なに、言ってんだよ」

「お前の実力は認めている」

「そうじゃなくて」

「私が死んだ時、後を託せるとしたらお前だけだ」

「おい、やめろよ」

「頼まれてくれないか」

「やめろ!」


 槍を持っていないほうの手で胸倉を掴む。こちらを見なかった相手に自分を見させ、アルは怒りに震える唇を歯を食いしばって抑えた。


「なんのつもりだ、縁起でもないぞ!」

冒険者(ギルドラー)として常に最悪に備えているだけだ」

「そんな備え方されて誰が、はいわかりました、なんて言うかよ!」

「事実だ」


 槍を手放し、アルは両手で胸倉を掴みなおした。


「ふざけんなよ、最初から負ける気でいんなよ」

「抗うさ、だが絶対はない」

「それを絶対にするんだろ! 戦いってのはそうやって気持ちが折れないほうが勝つだろうが! 魔獣だって、人だって同じだ!」

「アル」

「俺は嫌だぞ、たとえお前が死んだって、誰が背負ってやるもんか」


 がくりと揺らし、アルは悔しさを滲ませる声で叫んだ。


「俺は、相棒の死を相棒の家族に伝えるなんて悲しい役目を背負いたくない!」


 は、とラングが小さく息を吸った。シールドの向こうで少しだけ目が細められたのを何故かわかった。


「お前ならばと思ったのだがな」

「やめろ、買いかぶりすぎだ。でもな、ラング」


 ぐっと胸倉を掴んでここにいるのだと示した。


「この戦いに勝ったら、ラングが生きていたら、その時は手を貸してやる。お前の胸倉を掴んで捕まえられる男が手を貸すなら、十分釣りが来るだろ」


 ふん、と不服そうな息を吐きながら手を放し、アルは槍を拾い背負い直した。

 自身のマントを整え、ラングはアルの拗ねた横顔を見遣った。


「すまん」

「本当にな」


 ふぅー、と深い息を吐いてアルは髪をぐしゃぐしゃにしてから夜空を仰いだ。


「なぁ、相棒。俺たちはこれから、誰も気づかないかもしれない戦いに行くだろ」

「あぁ」

「俺たちの背中に、ツカサも、街も、人の命もあるんだってよ。なんだったら世界まで乗ってるって言うじゃんか」

「あぁ」

「…重たいよなぁ」

「そうだな」


 隣に並んで同じように空を見ているだろうラングに、アルは目を瞑った。


「何があろうと生き残ろうぜ。俺はまだ世界を全部見てないんだ」

「私もだ」

「勝って生き延びてさ、リシト助けて、そしたらラングは何をしたいんだ?」

「突然だな」

「知らないのか? 明るい未来の話ってのは活力になるんだぞ。で、どうなんだよ」

「そうだな…」


 少しだけ思い悩む声が聞こえ、答えを待った。


「旅がしたい」

「お、いいね。どこを?」

「私の故郷を。思い返せば行動範囲が限られていたからな」

「どのくらい?」

「三国ほどだ、それも一つは国境街に少し足を入れた程度だ。今なら、もっと遠くに行ける気がする」


 ふぅん、と楽しそうな声を横目に見遣る。


「いいじゃん、楽しそうだ。俺も行っちゃおうかな」

「この世界ほどの快適さはないぞ」

「いやぁ、そこは別に。ラングとツカサに出会うまで、俺は地面野宿に風呂は川、塩で焼いただけの肉に魚で生きてたんだぞ、余裕だって」

「よく生きていたものだ」

「今はそう思う」


 イーグリスでシグレを前にざっくりと話したアルの旅路がそこから広がった。

 世界が見たくて、何があるか知りたくて冒険者になった男の自由な旅路はラングには持ち得なかった視野であり視座。一方的に話しているようでその実ラングはよく耳を傾けていた。

 戦いの先に未来を描いたことも希望を抱いたこともなかったが、様々な出会いと経験がラングの世界を拓いていく。

 ツカサに言った言葉が思い出された。


 心地よい夜だ。


「なぁ、聞いてる?」

「あぁ。だが、そろそろ休んだほうがいいだろう」

「それもそうか」


 ぐぅっと上に腕を伸ばしてからアルは拳を突き出した。その意図がわからず首を傾げれば、ん、ともう一度突き出される。


「拳、出せよ」


 わからないながらに差し出せば無理矢理ごつりと当てられた。当たった部分を眺めていればアルはにかりと笑った。


「頑張ろうな、ラング」


 あやふやで曖昧で確証のない気合いだけの言葉。

 悪くない、と思った自分に驚きながら、ラングは拳を握り締めた。


「あぁ、そうだな」


 託されたものを、生かしてくれた人の想いを、生きれくれと願う人の気持ちを。

 それらを背負って立つ初めての戦場に、誰もが覚悟を決めた夜。

 これが最後の安寧になることを誰が知っていただろうか。



 風呂に入り体を清め、武器の手入れをして緊張を堪え目を瞑る。それできちんと睡眠をとれてこそ、明日に備えられる。戦いが間近と言われそれをできるメンバーがどれだけいただろうか。



 ――― 翌朝、目を覚まし、いつもと同じように組み手、鍛錬。朝食をとってくだらないことで笑い合って。

 まるで大事な時間を一分一秒惜しむかのように皆が過ごしていた。食休みもそこそこにさて、と立ち上がったのはヴァンだった。

 笑顔で言うには厳しい言葉をヴァンは引き受けた。


「準備を始めよう」


 そうだな、さて、体を解すか、と各々呟きながら席を立ち、装備を整える。

 カチャカチャガチャガチャ金具の擦れる音や革ベルトを引き締める音が響く。ラングは朝食を食べる前に準備を済ませているのでただ腕を組んで壁に寄り掛かっていた。

 ツカサはアーシャヴァエンのマントにも魔力を通し自分の感覚を高められるように努めた。

 その目の前でシェイがマントをロナに差し出していた。


「これを貸してやる、俺のマントだ。絶対に外すなよ」

「お借りします。うわ、…吐きそう」


 シェイが昨夜魔力を込めていた黒いマントを身につけ、ロナがぐらりと揺れてしゃがみ込みマーシが慌てて腕を支えていた。ツカサはそちらへ近寄りロナの背を撫でた。


「うっぷ、ツカサそれだめ、出そう」

「あ、ごめん。どういう感じ?」

「マントからすごい魔力圧を感じて、頭の奥が痛くてぐらぐらしてる」

「大変そう」

「他人事だと思って!」


 むすっとしたロナの声につい笑ってしまった。それで多少気が紛れたのかロナはありがとう、と言いながらツカサの手を借りて立ち上がった。


「ツカサ、癒しの杖にはツカサが魔力を込めてよ」


 懐かしい、癒しの宝玉と交換した際、杖に魔力をありったけ込めたのだった。


「使ったの?」

迷宮崩壊(ダンジョンブレイク)の防衛時にね。おかげで救われた命がたくさんあった」

「よかった」


 やったことが無駄にならなかった、念のためでしておいたことが誰かを救ったと知って嬉しかった。

 ツカサは杖を受け取ると今できるだけの魔力を込め直した。


「その魔力も魔法障壁の維持に使えるからな。ツカサは魔力の回復量も多いだろ、杖が壊れない程度入れておいてやれ。そうすればもう一時間は持つだろ」

「はい」


 魔法の師匠からも言われ、ぐっと力が入った。自転車のタイヤの空気がいっぱいになるような感覚を得てツカサは杖をロナに返した。


「ありがとう、ツカサ」

「こちらこそ、頑張って。頼んだ」

「そうだね」


 強く頷きあってお互いを鼓舞する若者を眺め、先輩たちはそれを温かい目で眺めていた。

 皆の準備が整ったところでラングが毛皮をどさりと取り出した。


「セルクスの()()を配る」


 ラングが鮮血に濡れた銀の毛皮をナイフで切り分けそれぞれに渡す。ぬるりとした感触がどうにも気持ち悪かったがイーグリステリアを捕捉するために必要な我慢だ。ツカサはラングが胸当ての奥に入れるのを見て真似をした。魔法の服を通して血が肌につくのがわかる。手についた血がなぜか勿体なくて、ごしごしとマントの裏で拭いた。


「さて、諸々準備はよさそうだね。補足をしたいので集まって」


 【異邦の旅人】、【真夜中の梟】、そして【快晴の蒼】で並んでヴァンの前で円陣を組むように立った。


「僕は君たちの力を知っているが、君たちの中には僕たちを知らない者もいるだろう。補足をさせてもらうよ」


 ヴァンは横に立つシェイから順に紹介をした。


「シェイ、魔導士。ツカサやロナはもう知っているだろうけど、知識も経験も、そして実力もある僕らの最大の火力であり盾だ。魔法障壁を引き継ぐロナは大変かもしれないけど、よろしく頼むよ」

「はい」

「ロナは俺に任せろ」

「お供するさ」

「あっしも」


 防衛組が頷き、それぞれが握手を交わし絆を結ぶ。その流れで次はラダンに手が差し向けられた。


「ラダンは槍を扱う。そして少し変わったスキルを持っている。助けを求める子供の声が聞こえるっていう、特殊なものをね。孤児院を運営しているのはその影響だ」

「あぁ、だからセシリーを保護できたのか」

「そうなる。とはいえ、すべてが聞こえるわけではなくて、経験上、家族の今際の際に残される子であることが多い。それも俺が駆け付けられる範囲だけ、という、なんともいえないものだ」


 アルの言葉にラダンは苦笑を浮かべた。

 ラングはそれに言葉を返した。


「すべてを救うなど、神でも無理な話だ」


 セルクスであってもイーグリステリアの手からすべての命を守れなかった。

 ツカサは自分の手がどれほど短くて頼りないかを知っている。出来得る範囲で、継続して守ることの難しさを知るからこそ、ツカサはラダンがかっこよく思った。


「ありがとう。続けてくれ」


 ラダンは皆からの視線に顔を伏せてヴァンに次を依頼した。


「クルド、剣士。剣の技術それだけで生き延びてきた男だ。僕らの台所であり、斬り込み隊長だ」

「ひょんなことから、いろんなものを切れるようになったんだ。ここを斬ればいいってのがわかるって感じだ」


 ツカサはエフェールム邸での鍛錬で手足を斬りおとされかけたことを思い出し、腕を摩った。


「アッシュは遠隔武器や短剣、細かい動きを得意としている斥候だ。怪我の治りが他の人よりも速いスキルを持ってる」

「経験上、怪我の八割は数分で治る。ただ完璧に治るわけじゃないから、被弾が続いて血が流れれば死ぬ。首も切られたら死ぬと思う」


 とんとん、と自分の首を叩いてアッシュは笑った。


「ということは、この間の火傷って八割治った後ってこと?」

「そういうこと。もっと焼けてたし耳はほとんど落ちてた。魔法障壁が近くまで来てて命拾いしたよな。ツカサのおかげで治ったけど、一人で距離を詰めようとするもんじゃないな」


 恐ろしい真実を知った。あの時、アッシュがどこにいたのか疑問だったがシュンに接近しようとしていたのか。

 ヴァンがじろりとアッシュを睨んで低い声で言った。


「君、諸々が終わったら覚悟しておきなよ」

「申し訳ございませんでした」


 背を丸めぼそぼそした声で言い、アッシュはクルドの影に隠れた。ヴァンは少し荒い鼻息の後に自身の紹介に移った。


「そして【快晴の蒼】のリーダーである僕、ヴァン。理の申し子として精霊の力を借りた剣術を扱う。今回はツカサの手助けがあってこそ使えるけれど、最終手段として【同化】を使う」


 ふわ、と風が吹いてヴァンの体が浮いた。目を閉じ、再び開けば透明な水色ではなく翡翠のような色合いに変わっていた。

 ふぅ、と息を吐いて床に降り立ち、瞬き、目は元に戻っていた。


「精霊にこうして力を借りられる。まぁ以前にも少し話したけれど負担が大きいのでいざという時に使うよ」


 さて、とロナとマーシに視線が向いた。


「【真夜中の梟】のロナです。癒し手と魔導士、あとは近接相手であれば杖術を少々」

「俺はマーシ、剣士だ。武器は氷の剣、ぐっと力を入れると氷が飛ぶってコツを覚えた。あとは珍しいスキルなんかはないはずだ、カダルからは聞いてないからな。あ、でもロナに魔力を込めてもらうともっと強いのが出る」

「魔法剣みたいな感じだね」


 ツカサは目を輝かせた。仲間の剣に魔法を付与する方法だと思った。ゲームでみたことのある技に見てみたい気持ちにさせられた。

 マーシはわざとらしく考え込み、響きに頷いていた。


「魔法剣…いいな、魔法剣か」

「【異邦の旅人】の紹介はいらないかな?」

「大した紹介はない」


 ラングがすぱりと言い、皆が皆肩を竦めたり顔を見合わせて苦笑した。

 するりと腕を解いただけで注目を集め、ラングはヴァンへ問うた。


「こちらは開幕防衛するしかなく、開戦の合図、戦闘のタイミングは向こうが握っている。軍師殿はどうするつもりだ?」

「もちろん、打って出るさ」


 にこりと笑い、ヴァンは昨日壁に貼り付けた地図に近寄り、南側を叩いた。


「いいか、僕が引けと言うまでは前に、引けと言えば振り返らずにオーリレアへ駆けるんだ。いくつかの逃げる判断を怠らず、それを忘れるな」


 全員と視線を合わせて念を押し、ヴァンはもう一度地図を叩く。


「マナリテル教が魔法についてどれだけ詳しいかは知らないけど、僕たちは戦争の手段として魔法を扱っている。一撃の火力はあったとしても、軍事利用する観点では僕らのほうに分がある。ここからは止まれないぞ」


 視線がシェイとツカサを交互に捉えた。

 ラングが双剣に肘を置き、アルが手を打ち合わせ、ツカサは拳を握り締めた。

 【快晴の蒼】が軍式の礼をとり、【真夜中の梟】はお互いに顔を見合わせ頷いた。

 ヘクターは困ったような顔をして、壁際にじっと控えていたシルドラはエーディアと共にセシリーの護衛に向かった。

 ヴァンは言った。


「さぁ、戦を始めようか」




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