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【書籍化】処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚  作者: きりしま
終章 異邦の旅人

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4-11:女神の船

いつもご覧いただきありがとうございます。


 おなかがすいた。とてもおなかがすいた。


 空腹という感覚もこの身になってから覚えたものだ。飢えるというのはたまらなく辛い。

 きゅうっと情けない音をたてた腹を撫でれば、申し訳なさそうに眉尻を下げて老人が肩を撫でてきた。

 そちらを見ればもう少しだけご辛抱ください、と言われ、小さく頷く。


「空腹でしょう、もうひと月もお食事をされていないのですから。けれど、船を操る者が減っては遅くなってしまいますからな」

「わかってる、その方があとでもーっとおなかが空くんだよねー」


 そうですな、と相槌を返す老人を責めるわけにもいかず、女神は頬に手を当て小さくため息を吐いた。


「ついてないなぁ、時の死神(トゥーンサーガ)に見つかっちゃうなんて」

「あの大鎌の男ですな? しかし無様でしたな、突然主様に襲い掛かり、勝手に自滅するとは。我が主の御威光がさらに増しましたな」

「そうね、そうね、ふふ」


 思わぬ結果を思い出して笑みが浮かぶ。本当に滑稽だった。


 食事処として創りあげたマナリテル教、隠れ蓑として拵えた教会という建物は思ったよりも長い間、命を運ぶ神の目をごまかすことが出来た。もしかしたら運がよかっただけの可能性はあるが、それもまた冒険者的に言うならば実力ということだ。

 ほんの少し特別扱いをしてやれば、ヒトはまるで唯一の主を見つけたという顔で尻尾を振って頭を垂れる。そして自らが選ばれたのだと錯覚し、何を指示しなくとも思い通りに動いてくれる。中には靡かない者たちもいたが、そういう者たちを追いかけることほど無駄なことはない。

 軽く、簡単に、誰かに運命を委ねる無責任な者ほど駒としては上等だ。


「長かったぁ、私とても頑張ったと思う」

「えぇ、主様は長い間お一人で、とても頑張られました」

「えへへ、ありがとうヴォルデイア! 私、ヴォルデイアだーいすき!」

「おぉ、これはこれは、身に余る光栄ですな」


 抱きつく少女をそっと抱き返し、ヴォルデイアは好々爺の顔をする。

 嘘ではない、蟻のように湧いて出るヒトの中では好きな方だ。この男が傍に来てから物事は上手く回るようになったのだから。


 先代の世話係が老衰で役に立たなくなったころ、後任がいなければ困るだろうとまだ若いヴォルデイアを連れて来た時はこんな子供に何ができるのだろうと首を傾げたものだ。

 予想に反してヴォルデイアは先代以上に上手く立ち回り、各国にマナリテル教を布教、魔導士の間で広め、冒険者になりたい若者から虐げられてきた年寄りたち、ありとあらゆる年代をこの数十年間で取り込んできた。

 さらには万能の花(エリクシル)をポーションへ商品化し各国の冒険者ギルドを味方につけ、国教からの迫害を国に防がせるという卓越した手腕を発揮した。

 特にアズリアで大きな覇権を握れたのは大きかった。ヴォルデイアの指揮と部下の優秀さが成した染色技術は、敗戦国であるアズリアにいまやなくてはならないものだ。国教ハルフルウストを追いやっての台頭はマナリテル教の母数をここ数年で一気に増やした。

 母数が増えれば増えるほど減る人数にも気を取られなくなり、食事の回数が飛躍的に増加した。


 おかげでこの身は予定より早く半神へと成れた。


 ヴォルデイアから離れて船首の方へ、風を一身に受けて目を瞑る。淡い紫の髪が風に撫でられてふうわりと波を打った。気持ち悪い理の風。腹立たしくて少しばかり魔力を広げ体に触れないようにした。女神のいる場所だけ、風が吹かなくなった。


 さて、思い出すのは自身が確かに神であった昔のことだ。


 盤上の玩具で遊ぶように世界を創っていた。最初は小さな命の煌めきに目を輝かせ、慈しんでいた。これを守らなければと思い、大事に大事に育てた。品質を上げるために一度減らし、より良い種類を、より良い発展をする種族を残すために篩にかける。

 残してあげたかった、ごめんね、と零れた涙は大雨や雹、大雪に変わり、世界が水と氷に飲まれてしまったこともある。慌てて温めようとして燃やしすぎたこともあった。あまり近くてもいけないのだと知り、手を伸ばせばどうにか届く距離で、少し離れた位置から見守ることにした。

 直接手を入れなくなった世界は驚くほど急成長を遂げた。神が道を示さないことへの反発か、それともだからこそ自らで道を創ったのか、想像だにしない技術や兵器を以て同じ種族で殺し合いまで始めた。

 

 それがとても面白かった。

 神にはできない行動を見せるヒトが面白くて、すっかり手を入れることを忘れて観察者になってしまった。

 ある程度文明が育ったあたりで神がそれを白紙に戻し、旧文明とするのも、理の神としての仕事のひとつだ。なぜそんなことをするのかは知らない。ただ、なんとなくそうするものだという感覚だけがあった。

 イーグリステリアはそれをやらなかった。ヒトは月に足を着き、宇宙へ衛星を飛ばし、様々な利便性を求め、未来を思い描いた。眩しかった。羨ましかった。そんなことを考えたこともなかった。


 だから、その輝きが欲しくなった。


 夢を語るヒトを一つ、つまんで口へ運ぶ。不思議な感覚がした、自分の中に様々なものが広がったのだ。

 ヒトの抱く感情、夢、記憶、そして温かな命そのもの。小さなヒトを一人食べただけではすぐに消えてしまった。

 ヒトは生きていれば新しい命を産む。世界は大きな生産工場に変わった。

 戦争を起こさせ、死んだ命を自らの腹に収める。じわりと腹の底が温まり力を感じた。戦争でなくとも様々な方法で死者を増やし、もっと、もっとと求めた。

 乱れ始めた理は世界に影響し、ヒトは自然すらも制御しようと知恵と技術を磨き始めた。なんと輝かしく美味しそうなのだろう。もう食べることをやめられなかった。


 そうして、ついに命を運ぶ船である神から目をつけられてしまった。


 身の内に抱えた魂を輪廻へ還すことを要求され、どうして自分のものを取り上げられなくてはならないのかと抵抗した。

 取り上げられるくらいならばいっそ壊して誰にも取られないようにしようと思った。

 奪われるくらいなら奪ってやろうと思った。

 それで―――


「主様、そろそろ船が着くようです」 


 後ろから声をかけられ、ぐぅっと腕を上に伸ばした。目を開けば陸地が見えていた。かつてはこれを上から見ていたというのに。


「ねぇ、ヴォルデイア、船から降りたらご飯、食べていい?」

「もちろんですとも、そのために連れてきたのですから。ご用意いたします」

「でもでも、マナリテル教を布教するための、それに兵としても連れて来てるんでしょ? 全部食べちゃだめのはわかる」

「流石でございます。問題のないようにいたしますのでご安心ください」


 恭しく頭を下げられ、えへんと胸を張る。ただ食べるだけではバレるというのは、もう学んだことだ。


「ヴァーレクス殿の隊と精鋭は残しますが、それとは別に食事用もお持ちしています。今夜からは召し上がっていただけますよ」

「よかったぁ、あとのことは任せるね」


 死体が残るということも学んでいるので、そこはヴォルデイアに投げた。もちろんですとも、と頷いたのでどうでもよくなった。


「急がなきゃ、もう、ゆっくりしていられる時間はないんだもの」


 今が好機、今しかない。時の死神(トゥーンサーガ)が瀕死で、かつ、忙しくさせていられる今すべてを手に入れるしかない。

 ふと気づいた。


「そういえば、代替わりしてたんだ」


 あの日咎めに来た顔ではなかったような気がする。それよりももっと若く、責任感が強く、だからこそ罰を受けたあの男。


 ――― イーグリステリアァァァ!


 ぞくりとした。

 視界に入れた瞬間ぶわっと全身から発せられた怒気、臓腑の裏側まで響くような怒号。瞬きの間に大鎌が振られ、首が、と覚悟した。

 次の瞬きの後、全身から血を噴き出して飛んでいったのはあの男の方だった。壁が凹むほどの衝撃でぶつかり、血を吐き一瞬意識を失ったのだろう。浮くことすら出来ず床に落ちた時の死神(トゥーンサーガ)へ、ペリエヴァッテが追撃を入れようとした。タルワールを首へ振りぬけば、時の死神(トゥーンサーガ)は血だらけの体で大鎌を振るってそれをいなした。

 怒りに燃えた藍色の目が確かにイーグリステリアを睨んだ。ペリエヴァッテの次の一振りは空を切り、そこに時の死神(トゥーンサーガ)の姿はなかった。

 突如として現れ、消えた男の行方を追うペリエヴァッテやその部下たち、振動に目を覚ました地上の魔導士たちを尻目に、イーグリステリアは自身の首を何度も撫でてそこにあることを確かめ続けた。


 あの藍色の目が忘れられなかった。


 降り注いだ神の血のせいで祭壇が穢れてしまい、アズリア王都の祭壇が使えなくなったのは痛手だった。集めていた青い魔力はセルクスの怒号で掻き消え、アズリア国内での供給も難しくなった。

 ちょうどいいのでオルト・リヴィアに行くことにした。スヴェトロニアでばらまいておいた種を発芽させ、瀕死のあの男をさらに釘付けにさせるつもりだ。


「やーっと着くのかよ、ほんっと不便、飛行機とかないのかよマジで」

「不敬だぞ、シュン!」


 大きく伸びをしながら船首へやってきて、へいへい、と雑に頭を下げた青年にヴォルデイアはいろいろと言いたげに眉間に皺を寄せる。


「貴様、誰のおかげで再び魔法を使えるようになったと思っているのだ」

「もちろん、そりゃマナリテル様のおかげですって。収納は戻ってないけどな」

「わがまま言わないの、ぜーんぶ、とりあげちゃうよ?」


 にっこりと笑うイーグリステリアにシュンは目を泳がせて黙った。うぉっほん、と咳ばらいをしてヴォルデイアはシュンの視線を呼んだ。


「いいか、オルト・リヴィアには【渡り人】の住む街があるという、お前のすることはわかっているな?」

「あーはいはい、何度も言わなくったってわかってるよ。【渡り人】の街に入って、マナリテル教の布教だとか、今不満を抱いている奴を挑発したりとか、そんな感じだろ? それで、マナリテル様の前に連れてくる」

「そうだ、すべてはマナリテル様のために、魔力を持つ者たちのために」


 ヴォルデイアはそのあとに続けて経典を諳んじ、シュンは興味がない様子で肩を竦めた。

 いつまでも続く教えに、なぁ、と口を挟んでやめさせ、シュンは親指で背後をさした。


「あの男は?」

「ペリエ、ペリエヴァッテよ。とーっても強いの」


 船尾の方でじっと空を見上げて動かない長身の男は、時折、ふふっと笑ったり、歯ぎしりしたりと気味が悪い。この旅のメンバーの中では護衛の位置だというのでこちらに剣は向けたりしない。目の前の美しい人はそう言ったが、だとしても強そうには見えない。

 少し揶揄ってやるつもりで近寄った。


「あ、シュン、だめだよ」


 船が波を踏む音で聞こえないふりをして船尾への階段を上がる。


「なぁ、あんた、強いってマジ?」


 嘲笑を浮かべて問えば、男はぶつぶつと口を動かしていた。何を言っているのかと耳を澄ませば、もっと気味が悪かった。


「黒い仮面、マント姿、港を転々としていたのですからきっとおりますよね、おりますよねぇ、パニッシャー。まさか船でアズファルやマイロキアへなどと言いはしませんよねぇ、いてくださいよパニッシャー」

「パニッシャー?」


 なんだそれ、と問おうとした声が出なかった。ぎろりとこちらを見た男の目が怒りに染まっていたからだ。


「その名を呼ぶな! 大事な、私の、獲物の名前だ。消えろ」


 それだけ言い、ペリエヴァッテはまた恍惚とした顔で空を見上げ、同じようなことを繰り返し始めた。

 シュンはそそくさとヴォルデイアの下へ戻り、呟いた。


「なにあいつ、超やばいじゃん、マジで平気なのか?」

「腕は確かだ、それに、ヴァーレクス殿は、いや」

「なんだよ、気になるじゃん。裏切らねぇよ、魔法使えなくなるの嫌だし」


 ヴォルデイアの視線がイーグリステリアを向いて許可を確認し、いいよぉ、と軽い返答を受けて頷く。


「ヴァーレクス殿は、アズリアの特殊部隊を率いている、隊長殿だ」


 言われた意味がわからず、はぁ、と間の抜けた声が出てしまった。


「アズリアって、この船に乗った国だろ? 特殊部隊ってあれだろ、グリーンベレーとかSEALsとか、国に属してる部隊のことじゃねぇの? なんでそんな奴らが宗教についてきてんだよ」

「アズリアは我らが駒ということだ」


 たっぷりとした腹を反らしてヴォルデイアは自慢げにシュンを見遣った。

 こういう宗教家の言い回しは回りくどくて理解に苦しむ。もっと単純明快に話せないのかと顔が歪む。

 ふふっとイーグリステリアが微笑む。


「シュン、とりあえず味方なんだな、でいいんだよ」

「そっか」


 考えることに疲れ、横からの声に頷く。顔も体も最高の女に微笑まれれば脳のどこかが緩くなる気がした。

 ヴォルデイアはその様子に内心呆れ果てていた。楽しいか苦しいか。面白いかつまらないか。好きか嫌いかの短慮な行動を繰り返すシュンとは相容れないものがある。


 あの日、ヴァロキアで食事をしていたイーグリステリアがひょいと拾って来た男。心身ともに衰弱し、まともに話すことも出来ず眉を顰めれば、んーんー、と噛んでもいない猿轡に苦しむ様子にようやく奴隷紋が使われているのだとわかった。

 おしゃべりに邪魔ね、と簡単にそれを取り払うイーグリステリアが神々しくて膝を突いたことも思い出した。

 イーグリステリアとシュンの会話は特別な言語を用いて交わされ、嫉妬に狂いそうにもなった。あとでこういう話をしたよ、と言われなければシュンに生ごみでも食わせたところだ。

 どうやらイーグリステリア(マナリテル)以外の神の祝福により魔法を使えていたらしいが、それを失ったのだという。代わりの力を与えてやるから駒になれ、という契約を取り交わし、シュンは新たな信徒となった。

 その態度は到底褒められたものではないが、人を殺すことにも躊躇をしない男は使い勝手がよかった。むしろ嬉々としてケイケンチと叫びながら手を汚す姿に、ヴォルデイアにしてみれば、シュンもペリエヴァッテも殺人鬼という同類だった。

 一度ペリエヴァッテにあれを部隊へ入れてはどうかと薦めてみたことがある。即座にお断りですと言われ、いったい何が違うのかわからないが、ペリエヴァッテとも相性が悪いのだとわかった。


 船員の声が響いた。


「もう着きますな、しばしお時間もかかるでしょう、船室でお休みください」

「はぁい」


 ヴォルデイアに丁寧に促され、船室へ足を向けるイーグリステリアの背中を見ながら、シュンはそのうちあの女を抱いてやろうと思っていた。



 オルト・リヴィアの玄関口の一つ、ウォーニン王国の港へ四隻の船が着岸したのは、渡り人の街(ブリガーディ)事変の事後処理が終わる頃だった。




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