4-9:信頼に応える者たち
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凛然とした神の様相はなく、セルクスは上から下まですとんとした寝巻きで、見える部分は首から指の先足の先までうっすら血の滲む包帯で巻かれていた。顔色も悪く弱弱しく微笑んでいるセルクスに、神の見てはならない姿を見た気持ちで思わず声が上ずった。
「酷い怪我」
恐る恐る手を手伸ばして治癒魔法をかけようとすれば、一度やんわりと断られた。
「不肖ながら神の身、治そうとすれば君が魔力不足で困るようになる」
「なくならないようにするよ、ちょっとだけにする」
「…ではすまないが少しだけ、手当てをしてもらえるかな。今こうして体を起こしているのも辛くてね」
頷き、ヒール、とツカサが唱えればセルクスの体を光が包む。魔力の消費はいつも以上に多いが怪我の状態は変わらない。
これが制約によって受けた傷なのかと思うと恐ろしかった。加えて、神でありながら即座に治らないこともまた罰なのだ。言葉では聞いていてもこうして実際に目にすると違う。これを知っていたヴァンがどんな思いでメッセンジャーになったのか、想像もつかなかった。
ラングは背もたれのある椅子を持ってきて厚みのある銀の毛皮で覆い、そちらにセルクスを移動させた。礼を言い背を預けて一呼吸、セルクスは腕を膝に落とした。
ラングはシールドの中でセルクスの様子を上から下まで眺めた後、尋ねた。
「首を狙ったそうだな」
「あぁ、一瞬で終わらせるつもりだった。ヒトの命を使って延命しているだけで、半神に成り上がっているとは予想だにしていなかったのでね。おかげで私も死ぬところだった。早計だったよ」
「その怪我で動いて大丈夫? じゃないよね」
「妻にも、友にも、内緒で来ている。喋るのも辛い、早速だが本題に入ろう」
ツカサのヒールはある程度心地良いらしく悪いがそのままで頼む、と言われた。かけている間は痛みが多少和らぐようだ。
「ラング、君がこの世界に渡ったのは君の運命の一つだ。そこで神の目に留まり、加護を授けられた。もちろん、戦わずして元の世界に戻ることも可能だ。運命を選ぶのはいつでも、君なのだから」
リガーヴァルの世界、この場所の争いから離脱できるのだということだ。
「その場合、君は規定に従って世界渡りを目指すことになる。遺跡か、神に直談判するか。前者ならば探し、ここに来たようにすればいい。だが、どこにあるか、私は教えられない。こちらに来た時と同様に、探したまえ。それから、元の世界のどこに送られるか、場所は決まっていない。後者ならば、試練を乗り越える必要があり、会うまでに、時間がかかるかもしれない。こちらも、元の世界のどこかに、放り出される。どちらにしても、戻ったという事実だけは、残る」
ごほ、とセルクスが咳き込めば血が垂れる。許可を得た上で血を拭い、水をと思いコップを差し出せば腕を上げて掴むことも出来なかった。ラングが癒しの泉エリアの水をスープ皿に出し、ツカサはスプーンでそれを飲ませてやった。すまない、とセルクスは心から申し訳なさそうに言った。
本格的に介護が必要な状態になっているのだとわかった。痛ましい思いでセルクスの口にもう一度スプーンを運び、ゆっくりと傾けた。少しでも治癒魔法と泉の水が効けばいいのだが。
続けて話そうとするセルクスを制し、ラングは再びワークトップに寄りかかり腕を組んだ。
「どちらにしても世界渡りまでに時間がかかる、ということだな。元の世界に戻れたとしても家に辿り着くまでに、またどのくらいかかることやら」
「理の神様、ラングに印をつけているのに会ってくれないの、流石にどうかと思うけど。本来この世界の神様が頼みに来るべきことじゃないの? 俺が言うのもなんだけど、この世界のことじゃん」
「動けない、理由が、ある。それに理の神は、基本的には、たった一人で世界を守っている」
セルクスは苦笑を浮かべ、ゆっくりと話した。ところどころつっかえ、血を堪えながら話しているのがわかりこちらが辛かった。あまり話して欲しくないが、聞かなければわからないことにジレンマを感じた。
「私は世襲制の神ゆえに、元が人に近い。魂を運ぶ船としては、そうでなくては、仕事にならないからな。そして世襲制ということは、代わりがいるということだ。だが理の神は、代わりがいない。一人でも、二人でも、ヒトが神に会うには篩が、必要なのだ」
見ている規模が大きすぎて、細かいことに時間を割けないということか。
だからわかりやすく試練という名の篩にかけ、その上で立てる場所を用意してある。そうした手順を踏んでからでないと会えないのだ。セルクスが出来るだけ少ない言葉で、概要をどうにか伝えてくれた。
それを聞いた上でツカサは眉を顰めた。
「でもセルクスはここにいる、そんな体でも会ってくれてる」
いったい理の神がどのような理由で動けないというのか。
そもそもこの世界の神が出て来ず、セルクスばかりが苦労しているように思えてならない。血の滲む体は熱を持ち、神とはいえ大怪我に意識を保つことだって辛いだろう。血を吐きながら、それでもここにいるセルクスへ敬意を示したかった。
ラングの言う、信頼を勝ち取るということを、この人も行動で示してくれるのだ。
ラングは小さく首を傾げた。
「イルという神の件、いつの事件だ。ヴァンたちの年齢からしてそう昔ではあるまい」
「話が早くて、助かる」
こほっ、とセルクスが再び咽る。ツカサはまた血を拭い、癒しの泉エリアの水をそっと飲ませた。セルクスはそれを五回飲んで小さく息を吐く。
「彼の神の襲撃は、この世界の時間で、凡そ六、七年前だ。リガーヴァルは私と同じ、状態でね。この世界を守る盾に、なっていたこともあって、今も眠って、怪我を癒している」
「それで、リガーヴァルは全然顔を出さないんだ」
セルクスの状態を見たからこそ、顔も見せないリガーヴァルの状態を想像することが出来た。
そういえばヴァンも、イルがリガーヴァルに手を出して弱体化していた、と言っていた。それはつまり、リガーヴァルが怪我を負うことを意味したのだ。
少し悪し様に言いすぎたように思い、視線を伏せる。ツカサの様子に小さく口元に笑みを湛え、セルクスは話に戻った。
「安心してくれ、篩を越え、立てる場所まで辿り着けば、別の世界の神からも、見えるようになり、そちらで話が出来る。なんなら、私が間に立とう」
ラングはセルクスの息が整うのを待ってから問うた。
「話させてすまんが、何故そんな状態のリガーヴァルが、私に気まぐれとはいえ加護を与えられたのかはわかるか」
「前に、リガーヴァルから聞いた、ことがある。世界に大きな異変の予兆を感じると、腹の辺りがむずむずするらしい。恐らく、イーグリステリアの件でそれがあり、無意識のうちに、与えたのではないかな。私はリガーヴァルではないし、神の謀は見えないので、確証はないが」
「イーグリステリアの渡って来ただろう二百年余り、この世界に落ちてきた、渡ってきた者も多いというのにか」
ふむ、とセルクスは少しだけ眠そうに唸って続けた。いや、これは眠いのではない、意識を失いそうなのだ。ツカサはヒール、と呟いてもう少しだけ強く治癒魔法を使った。ツカサに目礼し、セルクスは続ける。
「少しだけ、蛇足を言うならば。子供が欲しい、と願ったリガーヴァルの我儘は、本来、イーグリステリアの違和感が、大きくなったことで、芽生えた、自己防衛、なのだろう」
「じゃあ、ヴァンさんは本当ならイーグリステリアに対抗するための存在だったのかも。イルって神様の襲撃自体が予想外だった可能性はあるよね。それで、イルを倒した」
セルクスは小さく頷いた。ラングは腕を組みなおした。
「アルから聞いているが、神殺しは申し子一人につき一度まで、殺した者は次に手が届かなくなるそうだな。質問を繰り返すが何故私だったんだ。わかる範囲でいい、教えてほしい」
「あぁ、そうだな…。神として、少し、踏み込んだことを言わせてもらうと。腹の辺りのむずむずが消えず、予防策にしたのだろう、と私は、考える。そのくらいは眠っていても、事も無げに、夢見心地に、気まぐれにやれる神だ。世界を守ろうとする、本能かもしれないな。リガーヴァルが、眠っている今、真実は、何年、何十年、何百年後に、なるかは、わからない」
くふっ、と血を零し、セルクスはツカサを見上げ、視線で同じ動作を頼んだ。
ツカサの世話が終わると、セルクスは目を細め、神として慈愛の滲む眼差しでラングを見た。
「理由を、ということならば。落ちてきた者たちは、【渡り人】はこの世界の住人に、なっている。つまり、ヴァンが生きている間、落ちてきても、彼らは祝福を得ることは、ない。君は、ここに来て、帰る場所のある、異邦の旅人、だからこそ、祝福を与えられた。それに君は、少しだけ他の人々よりも、運命を手繰り寄せやすい、体質だな。それは、生まれながらに持ったものだ。無意識の神すら惹きつける、輝きが、ちかりと見える時がある」
遠まわしながら、どうしようもない運命なのだとセルクスは言った。
やはり、と思い、わかってはいてもツカサは内心で落ち込む。その裾を引いて視線を合わせ、セルクスはかさついた唇を動かした。
「君も、持たされたものの大きさを、わかっていないだけだ。君と、ラングは、だから、出会った」
「どういう…?」
「これ以上は、また、痛い目に遭ってしまう」
ふ、と苦笑を浮かべ、セルクスは細い息を零した。
ツカサはハッとした。ここに来て早々に比べ、血が喉に絡み話しにくくなっているのは本来話してはならないことに抵触し、今まさに罰を受けているのではないか。そうであれば徐々に包帯へ滲む血の量が多くなっていくことにも納得ができる。ツカサは少しでも痛みが癒えるようにまたヒールを強くした。
セルクスは突然、ぐぅっと体を起こし、ぼんやりしていた目に力が宿る。銀の毛皮は赤く染まり、ねちょりと音を立ててセルクスの背を離れた。立ち上がったその体はぶれることなく、ラングと向き合った。
血だらけながら荘厳な姿、いっそだからこそというべきか、畏怖を感じ総身が粟立つ。
「ラング・アルブランドー、汝がどの道を選ぼうとそれは汝の運命だ」
すっとラングが姿勢を正した。神を前に膝を突かないのはラングが自身を神の下に置かないからだ。
厨房だというのにそこが神聖な大聖堂のような雰囲気を持ち、ツカサは小姓のようにスープ皿を抱えていた。
「だが覚悟しておくが良い、汝の選択如何により、汝は手放すものがある」
「あぁ、わかっている」
「して、汝の答えは如何か」
ツカサはごくりと喉を鳴らした。じわっと掌に汗をかき拭いたい気持ちと、今は少しも動いてはならないという緊張に下っ腹が痛い。
ラングは暫く沈黙を守った。
時計の振り子音、未だ火にかけてある赤ワインシチューがくつくつと熟成される匂いが香る。デカンタの中の氷が形を変え、からんと軽やかな鈴を鳴らし、それを受けてラングは口を開いた。
「報酬は貰おう、リシトたちを確実に助けられる権利をな」
「あぁ、時の死神の名に誓おう」
ラングは頷き、セルクスから僅かに視線を逸らした。
『元より、抵抗したところで断れる話ではなかったからな。追加報酬があると思えば破格なのだろう』
腕を組んでため息交じりに言うラングに首を傾げれば、シールドがツカサの方を向いた。
『世界神の気まぐれ、私はこの祝福で空間収納を手にしている』
『そういえばそうだった。あるのが普通になっちゃって忘れてたけど、元はそれがあるから身についたんだっけ』
『前払いと言われれば、私には引き受けるしかない。アイリスに時間を渡された時と同じで癪だがな』
貰えるものは貰っておけの精神のツカサと、対価として報酬を得ることを習慣にしているラングの考え方の違いだ。
ラングは昨日、自分の中でそういった諸々に折り合いをつけるためにも時間を必要としていたのかもしれない。
もう一度息を吐いてラングは腕を解き、セルクスへ向き直った。
『そういうわけだ、仕方ない、戦ってやる。弟と相棒の世界のために、仲間のために、そしてお前という友のために。その怪我の仇くらいは取ってやる』
言われ、セルクスはぽかんとした後、小さく笑った。
『ふ、私も友と呼んでくれるか、ならば、私も、友と、その弟のために、仲間のために、頑張らねばな』
震えながら持ち上げられた手をラングが掴み、血の滲む握手を交わした。
ゆるりと離して手を横に落とし、セルクスはツカサを見遣った。
『神の失敗、或いは失策、もしくは運命』
それは草原でラングから聞いた、いつぞやの呟き。
『今、私は運命だと思っている。君が、ここにいることをね』
『それ、詳しく聞いたら痛い目に遭っちゃうんだよね』
微笑み、小さく頷いてセルクスはふわりと浮き上がった。歩かないで済むのはあの体では助かるだろう。最初からそうだったのではと思うほど真っ赤に染まった寝間着が、その体にぴったりとくっついている。
軽く横笛を振れば床に落ちていた血が消えた。厨房を血まみれにしておくのは衛生上の問題があるからか、それとも神の血自体に何か理由があるのか、ツカサにはわからなかった。
「怪我の治療に、専念する。もし何か、する際は、声をかけてくれれば、どうにかしよう」
「言っていることの筋が通っていないが、もう帰れ」
「これを渡して、おく」
もう一度ついと横笛が振られ、ラングとツカサの前に小さな宝石が現れた。ビー玉のような大きさで、中はカットされたダイヤモンドをいくつも納めたような不思議な光り方をしている。角度を変えなくとも煌めきの変わるそれは素直に美しかった。
「それがあれば、そちらの声も、私の声も、届く。いざというとき、割ってくれれば、行く」
「もういい、帰れ」
「そう、だな」
妻が怒っている、と微かな囁きを残し、セルクスは白い光の粒を残して消えた。
雪のように舞った光が全て消えるまで待ち、ラングはドアを振り返った。
「出てこい、聞いていただろう」
ハッと振り返ればそろりといくつもの首が出て来た。
アル、【快晴の蒼】、フィルに近衛騎士がぞろぞろと姿を現した。
「いつからいたの?」
「ついさっきだよ、ラングが報酬をもらおうって言ったあたり。飯が足りなくておかわりを求めに来たら、包帯まみれの血まみれ男がいるんだからびっくりした」
なるほど、だからラングもセルクスも言語を変えたのだ。視線を逸らしたあたりがそうだったのだろう。
「あれが時の死神だ」
「前に見た時と全然変わらないんだけど、悪化すらしてるんだけど、あの人本当に療養してたのかな」
ヴァンが怒ったように腕を組み、ツカサは苦笑を返した。
「いろいろ走り回ってくれてたのかなって思う。たぶん、ラングが了承を返したし、いい加減休んでくれるんじゃないかな」
「そう、それ。ラング、こう尋ねるのも野暮かもしれないけど、本当にいいのかい?」
心配そうな顔で問うヴァンに、ラングは血のついた掌を眺めながら答えた。
「言ったことは違えん、冒険者は信頼が全てだ」
「そっか。うん、だとしたら僕らも全力で協力するとも」
どんと胸を叩くヴァンの後ろで【快晴の蒼】の面子も、フィルも頷く。
「国を騒がせる事態にもなるだろうから、国としても支援させてもらうつもりだ。早急に国王陛下にお伝えするよ」
「あぁ、最大限利用させてもらおう」
「いっそ清々しい言いっぷりだ。さて、いろいろ話したいけど、まずは」
ちらりとヴァンの視線が鍋へ向く。
「ご飯のおかわり貰っていい?」
ふぅ、と息を吐いてラングは血まみれの毛皮を仕舞い、手を布で拭いそれも空間収納へ、その後に手を洗った。
最後に、じっと動きを見守る男たちの前でどさりと空間収納から食材を取り出した。
わぁ、といい大人たちから歓声が上がり、クルドも腕まくりをした。
「ツカサも手伝え」
「うん、わかった。でもあの赤ワインシチューは俺のにして」
「とっておけ」
「やった!」
「ツカサ、ずるい!」
お玉が突っ込まれる前にツカサは深鍋ごと空間収納に仕舞い込み、アルから長い時間文句を言われ続けた。
笑い声や明るい声が響き渡れば空気は変わる、先ほどまでの厳粛な空間は消え去った。
料理をしながら思い出したように昨日どこにいたのかと問えば、何のことはない、ラングは街に出てひたすら食材や調味料を買い込んでいたらしい。それを今放出しているというわけだ。
できるだけ厨房の料理人や館に迷惑をかけないようにしようという心遣いは流石というべきか。カイラスに許可を求め、厨房を合法的に借り切ったのだそうだ。
出来たそばからテーブルに置き、料理はあっという間に消えていく。
最初に渡した食事をどうしたのかと首を傾げれば、ほとんどを料理人や館の者たちへ譲ったそうだ。料理人へはキッチンを仲間が占拠してしまった詫びに、館の者たちへは日ごろの礼にと優先的に回すのは彼らの中で当然のことなのだ。使用人を心配させないように持っていた食料を齧っていたのだが、どうにも堪らずやはり戻ってきたということだった。
そういった気遣いもあるのだと気づき、勉強になるよとツカサもネギ豚丼を提供し、おかわりの声を貰えた。
暫くして厨房の賑わいに気づいたのかエレナとモニカとアーシェティアが、次いで執務が一段落ついたらしいシグレとカイラスも合流した。
ラングはエレナと顔を合わせた瞬間、引き受けた、と伝えた。端的な言葉にエレナは目を見開き、それから何かを堪えるように目を瞑った。
沈黙はほんの数秒だったように思う、エレナはゆっくりラングに近寄るとその服を摘み、小さな声で死なないで頂戴、と懇願した。
ラングははっきりと、大丈夫だ、とも、約束しよう、とも言わなかった。ただ服を摘むエレナの手を取り、両手で包んでから離させた。
言ったことは守る人だ、無言で答えたことが全てだった。
ツカサも大丈夫だとは言えず、【快晴の蒼】も真摯にその懇願を受け止めるしかなかった。
エレナは深呼吸のあとに仕方なさそうな微笑を浮かべ、ラングの胸を一度だけぐーで叩いた。
「しょうがない人。小腹が空いているの、何か出して頂戴」
「あぁ」
ほっ、と誰が息を吐いたのか、確認する気にもならなかった。
ラングがこの厨房を占拠していたため、エレナたち、シグレたちの食事やお茶をどうしていたのか尋ねれば、厨房はここだけではないそうで、食事はとれているらしい。ただ、楽しそうなことをしているのは混ざりたくなるものだ、とシグレからお茶目にウィンクされれば笑ってしまう。
エレナ達も男連中が悪だくみをしていると聞いて駆けつけた形だったらしい。その中心にいたのがラングだったので、モリーンに誘導されたのだとわかったそうだ。
本来使用人の仕事を取り上げるのは御法度なのだが、給料は規定通りと伝えることで料理人たちは胸を撫で下ろし、ラングの料理を楽しんでいたらしい。
モニカはラングが置いてくれた食事に緊張の面持ちで礼を言い、ぱくりと食べた。魚介とトマトを使ったパスタは美味しかったようで、モニカは頬を押さえて体をぎゅうっとさせ、叫んだ。
「美味しい!」
「そうか」
心なしかラングの口元が緩んでいるように見えて覗き込む。わしりと顔を掴み押し退け距離を取られたのできっと微笑んでいたのだ。
アーシェティアがパンを頬張る横で、エレナは淑やかにスプーンを口に運び、微笑んだ。
「あなたの手料理も久々だけれど、食材があるからかしら、随分レパートリーが増えたように思うわね。このお魚のスープ美味しいわ」
「イーグリスは特に種類が多いからな」
「あなた、食べ歩きはしたの?」
「ある程度は。半分も回れていない」
「じゃあ今度みんなで行こうぜ、合流して早々にいろんな問題に直面してるしさ、気分転換必要だろ」
「あ、そしたら俺、マント新調したい」
「私は石鹸を売りに行きたい! ツカサも皆さんも、ついて来てくれると嬉しいです」
「ほら、こんなかわいいお誘いもあるんだし、どうよ、リーダー」
視線が野菜を切っているラングの背中に集まる。ざくん、と葉物が切られた後、構わん、と一言だけ返って来て謎の歓声が上がる。ラングは黙々と料理を続けていた。
ツカサもある程度料理が机に乗ったあとは座れと言われ、今ももりもりと食事をとっている。
セルクスから注意があったように、自身に魔法障壁を展開しながらの治癒魔法はなかなかにしんどかった。それ以上に辛かったのはセルクスだろうと思えばこそ、声に出して泣き言は言わない。ただ、食べたそばから腹が減るのは困る。日頃アーシェティアを燃費が悪いと思っていたが、どうしようもない空腹に止まらなかった。それにラングの料理は美味しい。
最終的にラングの作る料理はそのままツカサの前に置かれ、一つ、二つと何枚も皿が空になる。成長期かと笑われたが、重なっていく皿の数に、皆次第に神妙な面持ちでそれを見守り始めた。
じっとそれを眺め頬杖をついていたシェイがぼそりと言った。
「魔法障壁だけじゃないな、まさかと思うがセルクスの手当てか?」
ぎくり、とする必要もないのだろうが、体が震える。はぁーとまた長いため息が聞こえシェイの手の中でパンが千切られる。
「神の手当てなんぞいくら魔力があっても追いつかねぇよ。それより、今日あと半日と明日、明後日の体力をどうにかしておけよな。やるからには徹底的に教えるからな」
「は、はい!」
「明日はクルドも参加させる。こいつの武器も受けてみたいんだろ」
「頑張ろうな! 大丈夫だ、腕が切れたってシェイなら治せる、地面に落ちて五秒くらいならいける」
「逃げようとは思うなよ、逃げられないようにはしてやるけどな」
「ひぃ、とりあえず今はご飯を食べさせてください! まだ全然足りない!」
わぁわぁと騒がしい厨房での食事に目を細め、ヴァンはゆっくりとラングに近寄り声をかけた。鍋を火にかけ小休止をしているラングの視線が、シールドの中でこちらを向いたのがわかった。
「感謝する、先ほども言ったが協力は惜しまないよ。僕たちは合同パーティみたいなものだ」
ラングは小さな息を吐いてヴァンに向き直り、肩を竦めた。
「報酬に納得がいっただけだ」
「それでもだよ」
柔らかく微笑んでヴァンは手を差し出す。
「よろしく、ラング。全員で生き残ろう」
その手を少しの間眺め、ラングは強く握り返した。
「まずはイーグリステリアの足取りを追え。目的がわかれば行先もわかるだろう」
「もちろんだ、手の者が対応してる。少しだけ待ってくれ」
「あぁ」
ラングは賑やかな厨房の光景を振り返り、シールドの中で目を細めた。
「少しだけな」
かつて、大事なものをつくらないように生きてきた男が、大事になった多くのものを、ようやく認めた瞬間だった。
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