4-7:英雄を求める者、求めぬ者
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ラングの足音が聞こえなくなって数秒、全員が閉じていた口を開いて息を求めた。
緊張に晒され続けた皆がそれぞれ体を緩め、ぐったりと椅子に沈み込んだ。シグレでさえ目元を押さえて天井を仰いでいるのは驚いた。ただでさえ事後処理の最中疲労が溜まっていただろうに、そこにラングの威圧はかなり効いたようだ。カイラスが新しい紅茶を用意し、全員に配った。
フィルは頬杖をついて王太子とは思えない顔でヴァンを睨んだ。
「事前に話を通しておいて欲しかったな。僕でさえ初見の情報が多すぎる。あとで詳細報告を求めるよ」
「面目ない」
ヴァンは椅子に座り直して体を折った。顔を両手で覆い、ぐしゃりと髪を掴む。
「怒らせたかな、怒らせたよね、脅すような話になっちゃったし。僕が出来るならやるんだ、ただ、僕の手は神を一人殺しているから弾かれてしまうんだ」
「届かないってそういうことか、そもそも当たらないから殺せないんだな。規則がわかってないからこう言うのはなんだけど、他の面子がやるのはどうなんだよ? シェイの魔法なんて届きそうなもんだけどな」
「やらなかったと思うか。親友一人に責を背負わせたかったと思うか」
苛立たし気にシェイが言い、その返答になんだよ、と喧嘩腰なアルを睨み付ける。
「理の加護がある者は理の壁を越えられる、それがない者がいくら刃を向けようと、届くことはない。俺たちにできたのは壁になることだけだった」
壁という言葉にアルは逡巡し、小さくごめんと謝った。
想像は出来る、隣に立って戦おうという気持ちも、最期まで共に戦うのだという覚悟も意味をなさなかったのだろう。
想いだけはあっても結局は見えない何かに阻まれて一人に背負わせてしまった後悔は、苦い気持ちを覚えさせた。
ただ壁になって先に行けということしか出来ない悔しさは、わかる気がした。
「それをラングにもやれっていうの」
ツカサのぽつりと零した声は思いのほかよく響いた。
皆から視線を注がれているのを感じながら、ツカサは込み上げるよくわからない感情に体を震わせた。アルは様子を窺うように近寄り、その肩に触れた。
「ツカサ?」
「この世界の住民でもなく、迷惑をかけてる元イーグリステリアの人でもなく、全く関係ないところから、人を助けたくてここに来たラングに、全部背負わせんのかよ!」
バシン、と叩かれた手の行き場所をなくし、アルは小さくツカサ、と呼んだ。そちらへ反応を返すことなく、ふるりと頭を振った。
恥ずかしかった、全く知らなかったとはいえ自分の故郷の神が人様に迷惑をかけていることが。
悔しかった、ただでさえ隣に立って戦うには実力が足らない自覚があるのに、資格がなければ手が届かないなどそもそもの戦力外通告を受けたことが。
辛かった、ラングが何も声を掛けず、この部屋を出て行ったことが。
そして何より羨ましくて憎くて堪らなかった。
ラングを心配していた気持ちは苛立ちに飲まれて形を変え、ツカサの口からついには零れ落ちる。
「俺だったら、引き受けたのに」
いつだってラングを中心に物事が回っているように思えてならない。ラングという主役の傍にいるのが脇役である自分だ。
イーグリステリアが主犯と聞いて、正直期待する気持ちはあった。自分が物語の主人公として舞台に上がれるのではないか、ついにスポットライトを浴びる時が来たのだと。
ずっと胸の奥で燻り続けていた憧れは一瞬で燃え上がった。
強くてかっこいい、好きで読み続けてきた漫画やラノベのように先陣を切って戦う主人公。自分がそうなりたいと思うのは好きだからこそ、至極当然のことだろう。夢を見ることは誰にだって許された権利だ。
だが、人々が求めたのはラングだった。神が選んだのはラングだった。
【自由の旅行者】に綴られていたヴァンの旅路のように、そこに立つことを許されたのは自分ではない。
求めない者が与えられ、求める者が渇望に手を伸ばす。
だからこそ成り立つ物語が自分に降りかかると息も出来ないほどに苦しい。
「俺だったら! 関係者だ!」
聞こえるか、聞いてくれ神よ、と胸中で叫んだ。
感情が昂って顔が熱くなる。あとで後悔するだろうとわかっていても、絶対に言わないようにしていた言葉がもう止められなかった。
「どうしてラングなんだよ! どうして俺じゃないんだよ!」
俺だって主人公になりたい、と絞り出すように言った言葉は、喉が詰まったせいで聞き取りにくかったかもしれない。それでも誰かに聞いてほしかった。
違う言葉で同じ意味のことならいくらでも言える。堰を切ったように叫ぼうとしたツカサの頬を、ぱちんと叩いたのは温かい手だった。
勢いはそう強くはない、けれど、驚きのあまりたたらを踏んでツカサは最後にはよろりと絨毯に尻をついた。
見上げた先、ぶるぶると震える拳を胸に、エレナが叫んだ。
「なんてことを言うの! 恥を知りなさい!」
「エ、エレナ」
「黙ってなさい!」
びくんっ、とアルは二歩、三歩と下がった。エレナは数度深呼吸をしてからツカサをしかと見据えた。
「ヨウイチは言ったわ、この街に住む人を助けないといけないね、って」
ジュマの迷宮崩壊で死んだエレナの夫だ。叩かれた頬をゆる、と撫でてツカサはぼんやりとエレナを見上げていた。
「私は言ったわよ、この大陸の、なんだったらこの街の専属でもないんだもの、離れましょうって。けれどあの人は出来る人がやればいいんだよ、そのために力があるなら手を貸そうって笑ったのよ。手を貸せる人が手を貸して、情けは人のためならずなんて聞き慣れない言い回しをして、それで死んだのよ!」
ヨウイチが死んだときのことをツカサは知らない。どういう経緯でジュマの防衛に立ったのかも知らない。ただ組み込まれたのだという結果しか聞いていない。
当時、エレナとヨウイチの間では様々な会話がなされたのだろう。
聞き覚えのある話だなとも思った。この世界に来て早々、ラングに腕を捻り上げられるまで、ツカサは同じようなことを考えていたことを思い出した。
助けられる力があるのならば、助けなくては。やれる力があるのならば、引き受けなくては。自分がやるのだと張り切っていた。
それを綺麗ごとだと一蹴されたことまで思い出して、何かを言うつもりもないが唇が動いた。
「別にね、あの人は特別な人じゃなかった。それなりに、少しだけ戦闘は強かったわよ、あの人だって覚悟をして生きていたから。でも結局死んだの。前線で何人もの冒険者を守って、私の手元にはぼろぼろの剣と盾と破片しか戻らなかったのよ。私は誰かの命より、ヨウイチに生きていてほしかった! アルカドスもエルドも、【銀翼の隼】も【真夜中の梟】という言葉すら、ヨウイチが死ぬ原因になった人たちを、今でも死ねばいいと思うのよ! 今でもあの人を奪った全てが許せないのよ!」
出会ってから初めて見せられたエレナの激情に言葉が出ない。あんなに穏やかに接していたのに、エレナの奥底では未だ憎しみが渦巻いているのだと知って目が泳ぐ。
あの十年がどれほどエレナを苦しめたのだろう。
夫を亡くした場所を離れたい、けれど、夫の墓でもある場所を離れたくはない。夫が死ぬ原因となった男たちは今もなお冒険者として人生を謳歌している。
許せない、許してたまるものか。
それでも生き残った自分は、夫という失ったものを受け止めて、立ち上がらなくてはならなかった。他の冒険者を通し、結局ヨウイチが守ったのはエレナ自身だったのだから。
ツカサとラングは、そんなエレナのきっかけであり希望だった。
故郷へ渡るという、かつてこの身に宿して産んであげられなかったあの子が生きていたら、この年だっただろうかという少年がきっかけに。
全容は知らずとも、ヨウイチのものを置いていく必要はないと言ってくれたラングの言葉が慰めに。
二人の存在がエレナを救ったのだ。
エレナは流したいのに流すことの出来ない涙で右目が真っ赤になっていた。
「ツカサ、英雄になんてならないで、死なないで頂戴」
とさりと絨毯に膝を突いてエレナが言う。
「ツカサにも、あの人にも、私は生きていてほしいの。そのために逃げることが出来るなら、私はラングの決断を称賛するわ。あなたにも、あの人にも、生きてほしいと願う人がいて、生きていけと想いを託した人が、絶対にいるの。ここにいるのよ」
「エレナ…」
「英雄になんてならなくったって、あなたは特別よ。大事な息子で、大切な仲間よ。誰にも知られない英雄ではなく、私たちがあなたを知っているわ。あなたを生かそうとしてくれた人たちを、あなたが裏切らないで」
温かな手は少し震えながらツカサの頬を包み、その温もりに風船から空気が抜けるように感情が抜けていく。何度かの深呼吸で落ち着き、ごめん、と囁いてエレナの手を取った。
何度も言われていたのに、自分の中で言葉が薄くなっていってしまうことがある。深く刻まれたことと、そうでないものの違いは受け取る覚悟の違いだろう。
わかってはいたが叫んだことがやはり恥ずかしく思えた。どこかで爆発させなければならなかったことではある、ただ、それはこんな風に子供の駄々のように出すべきではなかった。
もっと膝を突き合わせて、ちゃんと伝えればよかった。そうすればこうも傷つけなかった。
英雄になることは、戦場を選ぶということは、それだけ死ぬ可能性が高まるということを失念していた。どうしても拭えない悔しさだけが最後に残り、ツカサはその炎にそっと手を被せた。
「ごめん、俺、ずっとラングのおまけだと自分で思ってたから。アルみたいな強さもなくて、エレナみたいな視野の広さもなくて、アーシェティアみたいな一撃必殺もなくて。どうしても、おまけで」
「いや、言って届くかわかんないけど、ツカサ、お前ちゃんと大役だよ、おまけじゃないぞ」
アルが頭の後ろで腕を組み、不思議そうな顔を向けてくる。泣きそうなほど目頭が熱くて堪らなかったが、あっけらかんと声をかけられて僅かに引っ込む。絨毯からアルを見上げると首が痛いなと思いながら首を傾げた。
「ラングの手綱を取ってるの、ツカサじゃん。こういう時どうすればいいか、ってなったら、ラングはツカサの知恵を頼ってる。発想を期待してる。さっきだってそうだろ、自分の国の言葉で書いて、内容をもう一度言い直してもらえばいいだけなのに、ツカサにわかってもらった上で意見が聞きたいから時間をかけたんだろ、あれ」
言われてみればそうだ。わざわざ単語や文法を教える必要はなく、こう書いてあると伝えれば済むそれを、ラングはそうしなかった。ツカサの持つラノベという強い経験を頼り、あらゆる可能性を頼ってのことだ。
「ダンジョンでだってそうだろ、ツカサが今まで頑張ってきたことをわかってるから、先陣を任せた。羨ましいことにラングがラングのことをちゃんと話すのだってお前だけだろ」
エフェールム邸の中庭で聞いたラングの話。アルが挙げていく例をうん、そうだね、と言いながら思い出す。
「誰よりもラングがツカサを見てるよ。それって神様が見てることよりすごいことだと、俺は思うな」
「なんだそれ」
へへ、と変な笑みが零れた。エレナが頬を撫でてくれて、急に気恥ずかしくなって顔を逸らし立ち上がる。手を差し伸べればエレナはゆっくりとそれを取ってくれた。拒絶されなかったことにホッと息を吐いた。
「ラングと話して来なくちゃ」
「俺も行く? 役に立つかわかんないけど」
「ううん、いい、一人で行きたい」
「わかった。どうする感じ?」
瞬きして零れそうになった涙を拭い、ツカサは真っすぐにアルを見て笑った。
「背中を蹴り飛ばしてやるんだ」
次はアルがなんだそれ、と笑った。ツカサはパッと部屋を飛び出していった。
ツカサが部屋を出ていった後、【快晴の蒼】と王太子と近衛騎士、統治者と執事、【異邦の旅人】はなんとも気まずい空気に取り残されていた。
アルはふぅ、と深呼吸してヴァンを見遣った。
「でさ、ちゃんと納得してないから今聞くけど、なんでラングじゃないとダメなんだ? ほかの祝福持ちを探したっていいだろ」
ヴァンはただの伝言係、答えを知っているとは思えなかったが一応尋ねた。ヴァンの向こう側にいる神の連中はラングに神狩りをさせるつもりで動いているのが癇に障る。まるで他に方法がないとでもいうかのようだ。
「それもまた神様の決めた規則があるんだってさ。神狩りの出来る申し子が何人もいれば、それはそれで厄介だろ? だから、申し子が一人生きている世界は、二人目は生まれない」
察した、ラングはこの世界の人間ではないからこそ、ここに二人の加護持ちが揃ったわけだ。
本当に気まぐれだっただけなのか、先を見据えての加護なのかはわからないが、ラングに白羽の矢が立ってしまった。
ヴァンが死なない限り次の祝福はない、ということは、だ。
「いけない」
アーシェティアが素早くアルの前に立ち、腕を広げた。お、と少し下がりアルは目を逸らした。
「アル殿、その考えはいけない。海生まれの私でもわかる、それは悪手だ。ダヤンカーセ船長を殺されるようなものだ、大きな争いになる。どちらかが誰もいなくなるまで止まらなくなる」
ぐっと喉が詰まる。一人殺せば一人が逃れられる。しかしそうすると報復戦争は逃れられない。加えて自身がイーグリスの統治者の家系だということももはや周知の事実、籍を抜いたと言い張ったところで大きな溝になることは間違いない。
鼻でもう一度深呼吸して握り締めた拳を解いた。アーシェティアの向こう側を覗き、そうっと呟く。
「未遂だぞ」
「わかってるよ、大丈夫。しかし、ラングは慕われているね」
「俺たちのリーダーだからな」
アルはどんと胸を叩いて自慢した。その様子にようやく空気が緩み、小さな笑いが皆から零れた。
エレナを立たせたままだったことに気づいて座ろうと促せば、そうね、と微笑まれる。席までエスコートを済ませてアルも座り、シェイはため息を吐いた。
「押し付けようと思ってのことじゃない、俺たちだってどうにかならないかと手段を探した。けどな、人の身である限り、理の中の生き物なのさ」
「どうしようもなくてラングに声がかかったってのはわかった。あとはあいつが決めることだけど、もしラングが断ったら?」
「その時は僕が死ぬ」
穏やかで覚悟のある声にアルは目を見開いた。
「なら最初からそうしろって言いたいのもわかる、でも、僕だって死にたくはないんだ。同じようにラングを殺したくない、死なせたくない。だから手を取り合えたらと思ってる。それがだめなら迷惑のかからないように後任を見つけ、いろんなものを引き継いでから死ぬ」
だから大丈夫だよ、と優しく微笑まれ、その目を見ていられなかった。
「若者たちはみんな私に叱られたいみたいね」
冷ややかな声にびくりと全員が縮み上がる。
「全員、立ちなさい、お尻を叩いてあげましょう」
エレナの剣幕に今まで沈黙を貫いていたシグレやグレンまでもが巻き込まれ、謝罪の言葉を口にさせられた。
――― 部屋を飛び出したツカサは廊下を走り回っていた。
本来こういった館の中を走り回るのはマナー違反だろうに、誰も咎める視線は送らない。逆に懐かしいものを見ているように優しい。昔、アルが同じようなことをしていたのだろうなと察した。
しかしどこにいるのだろうか。
思えば、ラングが一人で行動するときにどこに行くのか、どんなところが好きかを把握していない。草原のような場所も冠雪が見える場所もイーグリスにはない。
これが逆ならばラングは即座にツカサを見つけてくれただろう。
「ラング、どこ?」
迷子の弟が兄を探すように呟く。
エフェールム邸を一周回っても見つからず、ツカサはラングが皆を置いてここを立ち去った恐怖に駆られた。
街を出たのならば履歴が確認が出来るかもしれないと再び駆け出そうとしたところで、目の前に人が現れ急ブレーキをかける。
「すみません、ちょっと急いで」
「少し一人になりたいそうです」
声をかけられてよくよく見れば、透き通るような髪がちゃぽんと音を立てたような気がした。澄んだ水のにおいを感じてすんと鼻が鳴る。
申し訳なさそうな微笑が物悲しくて詳細を尋ねる声が出なかった。
「大丈夫、戻ると言っていました。彼に少しだけ時間を」
頷けばその人はふわっと霧散して消えた。その消え方にあれが水の精霊なのだと気づく。
「ラング」
ツカサは仕事を終えた太陽が沈んでいくのをただ眺めていた。
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