4-5:神託
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ヴァンの言った通り、翌日、王太子が来たと声がかかった。
朝の鍛錬を終えて汗を流し、朝食をとって小休止といったところでラングへ風が吹いた。それから少し間を置いてメルファスという執事が客人の到着を報告してきた。メルファスは黄壁のダンジョンの停止時、イーグリスに帰還した際、冒険者を引き受けてくれた人だ。カイラスの次に責任のある立場らしく、今回はメルファスが対応をしてくれるのだそうだ。
王太子の出迎えにはシグレが挨拶と案内をしたが、この後の話し合いには出ない。知ってしまえば関わらざるを得なくなるため、余計なことはしない方針だと聞いた。場所の提供だけでもそれなりに危険らしいが、それぞれに恩があると快く引き受けてくれた形だ。
王太子の小休憩を待ち、十時頃応接室に集合することになったが、それまでの間ラングは中庭の四阿で一人になりたいと言った。
昨日のシェイとの話は夜まで続き、難しい顔で夜食をとったラングは会話の内容を誰にも共有しなかった。軍事機密なのか、それとも全く別のことなのか。気にはなったが必要なら話してくれるだろうとそのままにしておいた。
時間になり応接室の扉を叩く。中からどうぞの返事が返ってきたので扉を開けば、休めの姿勢で控えている【快晴の蒼】に加え、黒髪の軽装騎士とフィルがいた。
流石にツカサも気づく、そうであれば渡り人の街についての話しぶりにも納得がいった。付き従う騎士がラングに会釈をしたのでそちらも顔見知りだったのだろう。あれは追いかけていた人だ。
先日とは違い帽子を外しているため、勿忘草のような色をした柔らかな髪も、隠れていた目元も陽光の下で煌めいていた。
整った顔立ちだ。こうだからかっこいい、それだから凛々しいというのは少し違う。柔らかく微笑む口元も、目元も、風に揺れる髪、正された姿勢が佇まいが、彼そのものの存在が全てだ。これが王族なのかと小さく喉が鳴った。
ふわんと音がして隣を見ればラングが防音の宝珠を起動していた。王太子も軽装騎士も大きな反応は見せなかった。その代わり、にこりと微笑が向けられた。
「先日ぶりだね、ツカサ」
「人が悪いよ」
「すまない、立場上そうせざるを得んのだ」
「そっちも知り合いだったんでしょ」
「グレンと申します。以前、紫壁のダンジョンの停止に同行させていただき、知り合いました」
ツカサはラングを睨んだが、当の本人は肩を竦めた。
「大通りで近衛騎士団長、元気だったか、王太子殿下、こんにちは、などと言えるか」
「そうだけど」
近衛騎士団長なのか、と黒髪の騎士を見れば丁寧に礼を返される。先日の非礼を詫びる態度にいろいろな文句は収めたほうがいいだろうと思った。
ちらりとフィルを見れば穏やかな笑みでこちらを見ていた。今日はよく見える青い目が光の加減で様々な青に変わる。晴天のような青、朝焼けの薄い青、夜が深まるような黒い青、そんな風に色の変わる目を初めて見た。まるで空を映す万華鏡の一種のようだと思った。
フィルがすいと動けばぞくりとしたものが吹き抜け、ツカサは思わず視線を逸らして頭を垂れていた。これも威圧の一種かと思いきや、そうではないらしい。ラングは何一つ反応を見せなかった。
「先日は世話をかけた。ただのフィルとして市井を見て回りたかったのだと、どうかわかって欲しい」
「わかり、ました」
「名乗り遅れてすまない。レジスト・シェフィリアス・ディファラル・スカイ。スカイ王国の王太子である。親しい者や市井を回る際はフィルとして行動させてもらっている。この件は内密に頼む」
フィルの手がどうぞ、と差し出されてこちら側の番がくる。
ラングは胸に手を当て口を開く。
「冒険者と名乗らせてもらった、ラング・アルブランドーだ。【異邦の旅人】のリーダーをしている。防音の効果があるマジックアイテムを使用させてもらった」
「あ、えっと、弟のツカサ・アルブランドーです」
「アル・エフェールム。ここの弟だけど、今は【異邦の旅人】で冒険者やってる、ます」
「スカイ王国の空、星である王太子殿下にご挨拶申し上げます。エレナ・ストレア。【異邦の旅人】の魔導士です。近々引退を検討しております」
「アーシェティア、海の覇者ダヤンカーセ・アンジェディリスにより陸に置かれた戦士だ。今はツカサ殿に仕えている」
「ほう、ダヤンカーセ・アンジェディリスの。良い、楽にせよ。皆、丁寧な挨拶をありがとう。エレナ、貴女の身に起こった不幸は私も聞き及んでいる。貴女の苦痛は【空の騎士軍】と貴女の仲間、貴女を愛する者たち、そして私が知っている。どうかこれからはゆるりと身心を労わっていただきたい」
「ありがとうございます」
「皆よろしく頼む。さぁ、座ってくれ、私は今日を楽しみにしていたのだ」
上座に座り滑らかな動作で促され、ラングが座ってからツカサも座った。アルは王太子の柔軟さに驚きつつもすんなりと受け入れ、エレナは一度丁寧にお辞儀をしてから座った。アーシェティアは胸に手を置いて礼を示し、壁際に控えた。
「軍師ラス、及び隊長たちも楽にせよ。ここからは冒険者名で呼ぶことにする」
「ご配慮、感謝いたします」
ヴァンを筆頭にザッと礼を取ってから着席した。その姿をかっこいいと思う。
【快晴の蒼】の面子は一度座ってから体を緩め座りやすい姿勢で位置を直し、緊張もなくゆったりと構えていた。冒険者名で呼ぶと言っていたからには冒険者として対峙して良いということだ。
「さぁ、固い自己紹介は終わった、言葉遣いや態度など全て不問とする、気楽に会話をさせてくれると嬉しい。一応肩書は王太子だけれど、ここにいるのはただのフィルでもある。まぁなんだ、無礼講というやつでいこう。冒険者に礼儀を求めるのは失礼にあたるからね」
フィルは早速首元を緩めて笑う。先日見かけた良い商家の若様風の服はあの日遊んだフィルそのものだ。それでもほんの数秒前まで確かに王太子だったのだから不思議だ。
「あ、お茶だけは淹れてもらっていいかな、僕はなかなかコツが掴めないんだ」
「んじゃ俺が」
昨日もお茶を淹れていたクルドが立ち上がり、慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。
今日もいい香りだ。ツカサ自身ここに来てから茶葉で淹れるという方法を学んだのだが、ティーバッグと違ってこれがなかなか難しい。茶葉を蒸らす時間が足りないと味が薄くなったり、かと言って抽出し過ぎると渋かったり、本当に美味しい紅茶を淹れるには技術が必要なのだ。ペットボトル飲料の凄さを思い知った。
その点、クルドの紅茶は執事であるカイラスが淹れるものと遜色がない。
全員がほっと一息を吐いたところで、さて、と声を出したのはやはりアッシュだ。
「とはいえ、昨日と同じこと言って悪いけど、なんでフィル様と話したかったんだ?」
「神託が王家に降りると聞いたのでな、イーグリステリアの消滅と【渡り人】の関わりについて詳細が知りたい」
ラングがすぱりと問えばフィルは紅茶を一口飲んで美味しい、と満足げに鼻から息を抜いて、テーブルに戻した。
「先ほどの問いから、凡そ、全体像は掴んでいると思って話すよ。わからないことがあれば適宜止めてもらっていいかな?」
「そうしよう」
「王家への神託によると、イーグリステリアは全ての理の神の手により滅ぼされたそうだ」
全ての理の神は父親だったはずだ。ツカサは一瞬の驚きの後慌てて質問をした。
「待って、昨日、ヴァンさんからは父神は放任主義だって聞いた。なのに父親が子供の世界を滅ぼしたの?」
「なかなか深いところまで話したんだね、ツカサ、君の疑問も尤もだ。グレン」
「ハッ、失礼いたします」
グレンはマントの中から書簡を取り出し、するりと机の上に広げた。
「言葉でつらつら話すよりも、実際に何が神託として降りて来たのかを読んだ方が早いし正確だろう? 念のために写してきて正解だったね」
用意周到だ。昨日【快晴の蒼】が事前に情報を得ていたこともあり、何が必要かをよく理解して準備している。想像力と事前情報からの予測が良く出来ている。用意しても使わなければそれはそれでいいのだ。
ラングは内心で感心しながら広げられた書簡を眺めた。神託は読める文字ではない、古語か。
「ツカサ、翻訳を」
「わかった」
ツカサの【変換】というスキルについても既に知っているのだろう、フィルは何が起きるのか待ちかねる様子で覗き込んでいた。
全く便利なスキルだなぁというヴァンの声に苦笑を浮かべ、ツカサは一文目に指を置いてどこを読んでいるのかわかるように示しながら読み始めた。
イーグリステリアは世界の命を利用して力を得ようとした
他の世界を脅かすと判断し、滅ぼすこととする
生きとし生ける者たちに罪はない、リガーヴァルに命を運ぶ
世界渡りは罪の償いとしてイーグリステリアにさせる
いくつかの命は糧に変わる
いくつかの命は何も知らぬ赤子に変わる
もし、いくつかの命が全てを持って渡った時は、受け入れよ
深き森を開け
読み終わると全員が考え込んでいた。
誰かが声を発する前にラングが制し、ツカサに言った。
「ツカサ、私の世界の言葉でも頼む。文字の変換も出来るか?」
「うん、出来る、待って」
ツカサはラングの世界の言語でも読み直し、差し出されたノートに文字でも書き直した。
こちらの公用語には慣れて来ていたが自分の手指が書いたこともない文字を綴っていくのはやはり不思議だ。ラングはこの世界の言葉を流暢に扱う、とはいえ、こういった場面ではやはり母国語の方がニュアンスに誤りがないのだろう。全て読み終わるとラングは膝に肘を置き、顎を置いてじっと黙り込んだ。誰かが口を開こうとすれば手で再び制し、ただただ沈黙を求めた。お互い顔を見合わせながら沈黙を提供し、ラングの動きを見守った。
フィルはゆったりと紅茶を飲んでいた。
時間にして十分ほどだろうか、ラングはゆっくりと体を起こして天井を仰いだ。シールドの奥が見えるかと何人か身を乗り出していたが、それで見えるようならツカサは何度もラングの顔を見ている。
『これが神か、人をなんだと思っている。いや、これこそが慈悲と言えるのか』
故郷の言葉で呟かれたそれはツカサにしかわからなかった。
ラングは立ち上がってツカサを顎で呼び、部屋の隅に行った。それを他の全員がじっと見ている。ツカサは呼ばれるままについていき、ラングの横に立った。
『私の言語で会話しろ』
『わかった、どうしたの?』
『お前が【変換】で話すとき、書くときの様子がわからん、全て同じ言葉を繰り返しているようなものか?』
『えっと、そうかな、俺は同じことを言っているし、書いたよ』
『では、奴らにも通じていない可能性があるな』
ラングは先ほどのノートを取り出して万年筆も取り出した。イーグリスでしっかりと入手していたらしい。
サイドテーブルに置いてカリカリとペンが走る。書き終わると中身を確認させられ首を傾げた。ラングはいくつかの単語をラングの故郷と、この世界の言葉で書き直したのだ。その確認が終わるとラングはツカサの書いた文章の横に別の文字で書き直した。ふと気づく、今書かれた方がいつも見ているラングの世界の文字ではないか。
意図がわからずシールドを見遣ればとん、とん、と万年筆の頭でラングは自分の肩を叩いていた。そんな仕草もするのかと新しい発見に目を瞬かせる。
『どうも【変換】では単語の細かな意味合いが大雑把に翻訳されるようだ。少しお前に教えながらになるが、その上で読み直して欲しい』
『よくわからないけど、わかった』
ここだ、とラングは一行目を指した。
『お前がリガーヴァルの言葉で言ったのは「命を利用して」だったな』
『うん』
『私の言葉でも同じように耳では「命を利用して」と聞こえたが、こうして文字に直すと「命を食らって」と書かれている』
『え!?』
ツカサの声に向こうで聞いている全員が身を乗り出す。特に考古学者と民俗学者は興味津々だ。
ラングは自分の言語でツカサから聞いたことを伝え直した。単語の意味を説明され、ツカサには久々の文法の勉強だった。
どうやらツカサが変換して書いた文字はこちらの古語を写したため、ラングの世界の古語で書き出されていたらしい。それをラングなりに解読したのが最後に書かれたものだ。
そういえば遺跡に潜って時間を返す方法を探していた人だった、そういった方面にもある程度の知識があるのだろう。言語は得意だと言っていたあの日の尊大な態度を思い出し、嘘ではなかったのだと改めて舌を巻く。
結果、いくつかの単語の可能性を交えながらラングの言語ではこうなった。
イーグリステリアは世界(その場所)の命を食らって力を得ようとした(得た、とも読める)
他の兄弟(世界)を殺すと判断し、滅ぼすことにする(消す、消滅か)
生きている者たちに罪はない、リガーヴァルに命を移す(運ぶ、船とも読める)
世界渡りの罰としてイーグリステリアの力を奪う(もしくは使う)
一定の命は生きる糧(燃料、薪などとも読める)に変える
一定の命は何も知らぬ(無垢な)赤子に変える
もし、いくつかの命が全て(力、知恵、万能、いくつかの意味がある)を持って渡った時は、守れ(守護、防衛、防ぐとも読める)
深き森を利用(活用)せよ
ツカサは改めて読み直した内容に思考が停止し、もう一度単語の意味や文法を繰り返してもらった。その上でラングの書いたものを見れば、グレンから提示されたものとはやはり読み方が違う。
『お前の単語力にも関わってくるのだろう。単語の意味合いを知らないからこそ、大雑把に訳される』
『そんな、これ』
『随分昔の話に思えるが、お前がマブラで言っていたことを覚えているか?』
『どれだろう、いろいろ話したから』
『この世界の魔獣はダンジョンから出て来た、という話だ。ここでいう魔獣は全て、私の故郷で言うところのモンスターだと』
『あぁ、あったね。ラング、本当よく覚えてるね』
その後森の中で大きな蛇と戦い、少年少女の死体の印象が強くてすっかり忘れていた。ハチミツミントを飲みたくなってしまった。じわっと唾液が滲む。
ラングの故郷ではダンジョンで出るものをモンスター、ダンジョン外の獣を魔物と呼ぶ。あちらではダンジョンから外には出てこないのだと言われたことを思い出した。
『一定の命は生きる糧に変える、イーグリスの周辺を見て気づかないか。大きな燃料庫、食糧庫に』
『ダンジョン、あ、もしかして、いやまさか』
『ある日突如として現れた、と言い伝えられているのだろう?』
『うん、マブラの冒険者ギルドで、そう聞いた。まさか、ラング』
『可能性はある。私はダンジョンが人を燃料にする場所だとも聞いた。もちろん今でこそあの中に入るのは【渡り人】だけではない。中で戦う力が燃料に、死ねば人も魔獣もどちらも燃料になる。言葉が正しいかはわからないが、徐々に混ぜるのであれば最適な場所だろう』
ぞわりとした。
今まで戦って来た魔獣が元イーグリステリアの命ならば。いや、その命の形は変わっているので正しく人ではないとは思いたい。人の命だけではなく、動物や植物、あらゆる命が移されたならば広義の意味での命だ。
そしてラングにはもう一つ納得がいくことがあった。
紫壁のダンジョン最下層で遭遇した歪みの生きもの、あれは何も想いだけではなく上手く混ざり合えなかったものが異物として産まれるのではないだろうか。
忙しいと言っていた時の死神セルクスがジュマのダンジョンの修理に来ていたのも、今思えば辻褄が合わない。魂を運ぶ船がわざわざダンジョンに下りる、それはつまりそこに船に乗せるべきもの、敢えてその手で回収しなくてはならないものがあったからではないのか。そのついでに直したというのならばラングの中で筋が通る。ツカサに渡された修理ついでの攻略報酬、あれはもしや。いや、なにも歪みの生きものだったとは言い難い、あれには報酬がなかった。
今そこを議論したところで時間の無駄だと思い、言いはしなかった。
『私には神の考える人の命の価値がわからん、だが、同数を生かすために同数の食糧が必要だということならばわかる』
所謂、等価交換というやつだ。ツカサはラングの手からノートを奪って何度も何度も文字を追った。それから窺うようにラングを見た。
『ねぇ、ダンジョンとは別のことで、すごく嫌な予感がするんだけど』
『奇遇だな、私もだ』
ラングはふぅと息を吐いて腕を組んだ。
『イーグリステリアがどうしてこの世界に居るのかはわからん。同じように渡って来たのか、父神の情けだったのかは推し量れないが、何一つ反省をしていないように思う。魔法の女神を自称し、組織を作り、今もなお食らっているのだからな』
利用して、と、食らって、で随分と解釈が変わる。結論は同じかもしれないが言い回しが違うだけでこうして辿り着ける予想がある。
古語について単語をもう少し知っていればよかったのか、それとも、残した王家が神託の内容をわかりやすく残したのか。
「あの、フィル、聞いていいかな」
「なに? さっきからどうしたの?」
「神託って、二百年くらい前なんだよね?」
「そうだね」
「たった二百年で古語になるものなの?」
「いや、神託自体が古語で降りたのでそこから解読して実際に行動に移されたものだよ。何かあったんだね?」
なるほど、であれば先ほどツカサが読み上げたように単語の解釈でマイルドになったのかもしれない。読み上げてフィルから訂正が来なかったので、王家が訳した解釈とほぼ一致しているのだろう。
ツカサ、どうしたの、とフィルが尋ねてくる声に返す余裕がない。あとで考えると王太子によくもそんな態度がとれたなと思う。
ううんと唸って腕を組む。
『これ、どう話したものかな。そもそも話す?』
『悩ましいところだ。ダンジョンの成り立ちなどもはや関係あるまい』
『それよりもイーグリステリアのことだよ、止めなくていいの?』
『神の争いに首を突っ込んだ経験がないのでなんとも言えん』
『俺だってないよ…』
二人にしか会話がわからないのを良いことに、堂々と難しい顔をする。
『とりあえず、今把握したのは神託の内容だけだし、その後スカイがどう対応したのかを聞いてみる?』
『今のイーグリスがその結果だと思うが』
『それはそうなんだけどさ、話進まないよ、これ』
ちらりと席に着いたままの面子を見遣る。ラングはその視線を追って、ふむと息を吐いて腕を解いた。
『そうだな、埒が明かん。気は進まんが仕方ない、話してみるか。私の言語をそのまま翻訳して伝えてやってくれ』
『うん、わかった』
ようやく席に戻った二人にヴァンがどうしたの、と切り出してくれたので、ツカサは今ラングと話したことをそのまま伝えた。
内容は全員に衝撃を与え、ヴァンとラダンとフィルが改めて神託を覗き込み、単語や熟語、名詞、述語、接続詞、前置詞、様々なことを並べ立て、かつ古語特有の言い回しについて喧々諤々し始めた。その時間は三十分程度、目の前で飛び交った議論にクルドは少し眠そうにして、アルは軽食を頼みに廊下へ顔を出していた。
「なるほど、ううむ、時の学者が誤ったか理解が足らなかったか、僕も再度訳し直すべきだった。現在の方が古語の解読は精度が上がっていたのに」
「それなら僕もだ、ツカサの便利なスキルに甘えていたよ」
「悔しい、悔しいぞこれは」
フィルが難しい顔で言い、ヴァンが眉間を押さえ、ラダンはがっくりと肩を落として三者三様。
三人は訳し直し、確かにそう訳すことも出来る、と呟いた。この単語と前後の繋がりでこう読める、こうとも読める、と説明をされたところでわからない。
「まぁとりあえず」
議論を続ける三人の横に軽食の載ったカートを置いて、アルはサンドイッチの皿を差し出した。その内の一つを既に頬張っている。
「かつての学者が訳した通りにやって、イーグリスは人の手によって【渡り人】が生きられる場所になった。それでよくないか?」
「そうなのだが、受け入れよと守れでは意味合いが違うだろう?」
「それは今からだってどうにでもなるだろ、ここ、イーグリスの統治者の家だぞ」
アルは自分を指さし、にやりと笑った。
――― 数十分後、弟に呼び出された統治者はなんとも言えない表情で席に着いた。共に来たカイラスは紅茶を用意してシグレの後ろに控えた。部屋を出されないことからカイラスも神に関わる話を知っているのだ。
「巻き込まれたくないから知らん顔をしていたのだが」
「そう言うなって、結構イーグリスにも関わる話だと思ったから呼んだんだから」
小さく息を吐いてシグレはフィルに挨拶をしようとし、止められる。
「堅苦しい挨拶や言葉は不要、個人としてここにいると思って欲しい」
「なるほど、ではそうさせていただこう。それで、イーグリスに関わる話というのは?」
カイラスの淹れた紅茶を飲みシグレが尋ねればツカサが先ほど皆に説明したことを繰り返した。
驚き目を見開きはしたものの、神託に飛びつくこともなくシグレはじっと紅茶を見つめた。何度かに分けてそれを飲み切ればゆるりと机に置き、眉間を揉んだ。
「事情は把握した。当初の解釈違いでイーグリスが出来上がっていることを危惧して声をかけてくれたのか」
「当時の王家が不勉強だったからに他ならない、すまない」
「あぁ、いや、フィル殿が謝ることではないだろう。言ってしまえば古語などで神託をする神が悪い」
すぱりと神を切って捨ててシグレはそれより、と体を前のめりにした。
「受け入れると守れでは随分と当初の方針が違うように思う。現状既に【渡り人】の保護は出来る体制になってはいるので街の警備の方針や運営、西側の受け入れ態勢を変える対応で済みそうだが、守れということであれば本来、森はそのままにすべきだったのだと思う。それだけで砦になるからな」
「隠里みたいな感じ?」
ツカサが言えば首肯が返って来る。
「だが、今ここはイーグリスという見晴らしの良い街、それもスカイ王国から独立独歩を許されている小さな国でもある。穿ったものの見方かもしれないが、もしそうなるように差し向けられていたらと思うと、恐ろしいな」
「それって王家がってこと?」
「そんなことはしない、と言いたいが、僕が時の王ならばの話だ。当時の王家がどう考えたか」
はっきりと害意を持ってのことだろうと言われてもフィルは怒らなかった。当時の王家の誰が、というのは明かせても、今のフィルには未来のことしか対応が出来ない。逃げる姿勢を見せなかっただけ上出来だ、とラングはシールドの中で目を細めた。
考え事に耽るシグレが低く艶のある音で唸るのを横目に、ヴァンが一つ手を叩いた。
「最悪の事態から話していこう」
涼やかな声が色を無くし冷たい音で響いた。いつぞや会話したように紙を取り出してがりがりと書き始め、パシリとそれを真ん中に置いた。
「当時の王家が何を考えていたかは、裏付けとして追っても良い。それはフィルが適任だ、頼みたい。古語を解読した者の名前や時の王がどういった方針でいたのか、確認できるかな」
「引き受けよう」
「イーグリスはこれから方針転換するということで、シグレ殿の手腕にお任せ」
「あぁ、対応する」
「そしてここから新情報と最悪の報告」
置いていた手をゆっくりと外し、ヴァンは透明な水色の目でラングを見た。
「この世界に渡ってきたイーグリステリアは、どういうわけかまだ神として機能していて、ついでに言うとこの大陸に渡って来ている」
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