3-72:処遇
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軍人たちは思ったよりも丁寧に接してくれたと思う。
指に針を刺して血を求められた時には何をされるのかハラハラしたものだが、それ以外は良い待遇だった。食事は日に二度、風呂も三日に一度は用意してくれ一週間もした頃には土壁の建物の中の生活も慣れた。
イーグリスの街にはなかなか帰してくれなかったがいずれ戻れるだろうという思い込みもあった。何せただのギルド職員だったのだ、少し悪目立ちはしただろうが罪はないも同然だ。
――― ある日、全員が一所に集められた。
久しぶりの外、晴天の空、周囲を囲う土壁はあっても手枷足枷はなく自由に見えた。軍人たちの見張りはあるが取り押さえられてもいない。
冒険者ギルドでやり取りをしたことのある者たちの中には、呪文を唱えて魔法を使おうとして発動しないことに困惑している者もいた。
周囲の様子に状況が把握しきれずにいれば、学校の教壇のように少し高い位置に若い男が立った。不思議な音の響きで声が遠くまで届くように話し始めた。
「やぁ、渡り人の街の諸君、初めまして。諸君らの処遇が決まったので通達をさせてもらうよ」
「処遇…?」
首を傾げて、隣同士ざわざわとどよめきが広がる。
裁判はどうした、とか、人権侵害だ、とか聞き覚えのある単語を使用して叫ぶ者もいて、様々な憶測が飛び交う。
しばらくその喧騒に目を瞑っていたが、男はさっと片手を上げた。
周囲を取り囲んでいた軍人から一糸乱れぬ動きでザッと武器を向けられ、静かになっていく。
「名を連ね読み上げるには人数が多いのでね、処遇だけ伝えていくよ。この中の数百人は炭鉱へ、数百人は懲役労働を、数百人は一応の放免だが今まで通りに生活できるとは思わないこと。以上」
「どういうことだ!」
「詳しく教えろ!」
「お前は誰なんだ!」
「こんな扱いをしてタダですむと思ってるのか!」
わぁわぁと騒ぐ声は心強く感じた。誰かが文句を言ってくれることで待遇が改善されるなら、それに乗じてしまいたかった。
「諸君らの中には人を殺した者がいる」
想像以上に大きな声が広場を響き渡った。まるで風に乗ったような声は広場に集められた七百人余りの全ての人々の鼓膜を揺らした。
「諸君らの中には盗みを働いた者がいる」
「諸君らの中には傷害を起こした者がいる」
「諸君らの中には女を犯し、売り、奴隷売買を行なった者がいる」
「そして、諸君らの中には何もしなかった者たちがいる」
まぁ、奴隷に関しては手ぬるいものだったけどね、と独り言ちた。
「諸君らの中には思い当たる者たちがいるはずだ。例え【渡り人】であろうと、その土地、その国に寄る辺を求めたのならば、己の生き方を寄せるべきだった」
諭すような涼やかな声は誰に向けて言っているのか。
「何故自分がそれをやり返されないと思うのか、僕にはわからない。何が言いたいかというと、罪は償ってもらうよってこと」
男はひらりと手を振って壇上から降り、帯剣している男と共にこの広場に背を向けた。
「裁判はどうした! 正当に裁け!」
「そうだ!」
再び広場は主張で溢れ、その音にまた一人壇上へ姿を現した。
銀髪の美しい人物だった。相手が女と思えばこそ、主張はさらに過激になっていく。
その人が右手をついと動かせば、隣の男がばくんと口を閉じた。それが広がって行き困惑の声が大きくなった。
「今口を閉じた奴は、炭鉱組だ。裁判をして欲しけりゃしてやってもいいが、お前がどんな罪を犯してきたかは詳らかにされている。言っておくぞ、俺たちが何の文明も持たないだとか、罪を暴く手段を持たないだとか、くだらない希望を捨てろ」
想像以上に低い声で言われ驚いている内にその人が逆側に右手を振れば、また別の者たちがばくんと口を閉じた。
「今の奴らは懲役労働だ。問答無用で仕事を決めてやる、感謝しろ。それから残りの数百人」
まだ口を閉じられていない者たちが恐る恐る壇上の人物を見上げた。
「新造された街には戻れないが、今後の在り方はゆっくり決められる。一先ずは首の皮が繋がったことを喜んでいい」
それ以上言うことはないらしく銀髪の男は壇上を降りた。
手に紙を持った兵士が前に進み出て、叫ぶ。
「本日より三日後、炭鉱刑の者たちは目的地へ向かって移送を行なう。期日までに家族や友に別れを告げておけ。二度と会えなくなることを念頭に置いて別れを済ませるのだぞ。希望する者があれば供に炭鉱へついて来て良い」
んーんー、とあちらこちらから訴えるような音がした。
「懲役労働刑の者たちは軍部預かりとなる。こちらに暫く滞在を続けるので一度、土壁の牢に戻り、指示を待て」
炭鉱という刑よりは軽く考えたのか、先程より鳴き声は少なく、手招く軍人に大人しく着いて行く者が多かった。
「最後に、一応の放免となった者たちは、これからの身の振り方を考えてもらう。【渡り人対応要員】の練習台として順次対応することとなる。よく考えて発言、行動するんだぞ。お前たちも土壁の牢に戻り指示を待て」
言われ、男はのろのろと土壁の建物に向かって足を向けた。
内心では安堵が広がっていた。口を閉じられなかったことから自分は放免組、罪に問われることなくやり直すことが出来る。それだけで嬉しかった。
土壁の牢では久々に顔を合わせた仲間と、友と、家族との再会が各所で行われ涙ながらに抱擁し合う姿もあった。男も妻を探した。身重だったこともあり妻は丁寧に接されているとだけ聞いていた。
「三峰さん、無事だったんだ」
「あぁ、君も、よかった」
冒険者ギルドで三峰に仕事を教えてくれた青年が手を振って来て、そちらへ駆け寄った。握手を交わして無事を喜ぶ。
「三峰さんは何組だった?」
「放免組だ」
「え、意外。あんなパフォーマンスしてたのに懲役労働にもならなかったの?」
「あぁ、心配してたんだがよかった」
ツカサを矢面に立たせたことは申し訳なかったが、仲間のためには仕方のないことだった。奇妙な仮面の男にやいのやいの言われたが、きっと息子が減刑か何かを嘆願してくれたのではないだろうか。まずは東側に行って息子と再会し、お互いの誤解を解くところから関係をやり直さなくてはならない。妻も、弟妹が生まれれば優しい子だ、受け入れてくれるだろう。
「おっさんが放免組で、どうして俺は懲役労働組なんだよ」
青年が不満そうに呟き、その声に顔を上げれば睨まれていた。
「ずるくね? あのつかさとかいう息子の伝手でなんか取引したんじゃないの?」
「いや、私は何も」
「俺あんたの先輩だよ? 俺のことも取りなしてくれて良くない? 懲役労働とかマジごめんなんだわ」
俺もごめんだ、俺もいやだ、と周囲から視線と声が集まる。
三峰は周囲を見渡して青年に視線を戻した。
「言っていただろう、罪を暴く手段がどうとか、君は、その、何もしていないのなら訴えるべきだ。私も協力するとも、司も東側に居るだろうしな」
「いや最初からそうしろよって話をしてんだよ」
「無茶を言わないでくれ、私も君同様この建物にずっと居たんだ」
「それだってほんとかどうかわかんないだろ!」
土壁の牢はここに至るまでに何度か改修されていた。最初は複数人が同じ部屋だったが、血をとられたあとはどういう規則か個室に移動になる者がいたり、別の者と共同部屋に入れられたりと何度かそんなことがあった。
途中、三峰は五人部屋から三人部屋に移動になった。同じ部屋だった二人を探し証言をしてもらえばすぐに誤解は解けるだろうが、見渡した限り見つからない。
「ひとまず落ち着いて、ここでまた問題など起こしてしまえば君のためにならない」
「放免組は余裕じゃんか、ぁあ? 物覚えの悪いおっさんにあんだけ協力してやったってのに」
青年が吐き出す言葉に三峰はショックも受けていた。
初対面からかなり気の好い青年で、今から新しいこと覚えるのも大変だよな、と前向きな理解を示し、仕事を教えてくれた子だ。ここまで敵意を向けられれば思うこともあった。
「君は何か罪を犯したから懲役労働組なんだ、それを私に頼られても困る」
「なんだよ、ちょっと生きるために異世界人から金を貰うことを罪だって? じゃあどうやってここに辿り着けばよかったんだよ! 生きればよかったんだよ! あんた運がよかっただけなんだぞ!」
周囲の視線が痛い。
確かに三峰はここに来て早々に保護されたので金に困ったことも、食事に飢えたこともなかった。仕事は手早く振り分けられて給与を得る道も見つかった。
それがなければ青年同様、何かしらの罪を犯していたかもしれない。
「揉め事かな?」
穏やかな声が響き、人垣が割れた。
先ほど最初に話した金髪の男が顔に傷を持つ男を供にしてそこに居た。ざわめきが広がり、少しするとしんと静まり返った。
「ミツミネ…タクミは、どなたかな?」
「わ、たしです」
三峰はそうっと手を上げた。
男は壇上で見た時よりも若く見えた。穏やかな笑みはそのままに、あぁ、と気づいたように頷いた。
「ふぅん、似てる…?」
じろじろと上から下まで見られて不躾な態度に年嵩としてプライドを刺激された。
「君は、なんなんだ」
「おや、息子と違って勘が良くないんだね」
くすりと笑われてまた苛立ちを感じたが、息子と違って、という発言に唇が緩んだ。
「司、司のことか?」
「あぁ、でも今はもう貴方の息子ではないんだっけ」
続いた言葉に違う、と叫んだ。
「司は私の息子だ!」
「その息子は貴方のことを一言も口に出さなかった」
すぅ、と男が背筋を伸ばし、それに威圧される。三峰より身長が高いこともあるが、冷たい視線は心臓の裏側からゆっくりと握り締めるような苦しさがあった。
軍師殿、お時間が、と背後の男が囁き、うん、と男は頷いた。
「ツカサは一度も貴方のことを話題に出さなかった。父がどうなるかと問うこともなければ、助けてほしいとも、配慮してほしいとも言わなかった」
誰も何も言わなかった。朗々と事実だけを伝える男の言葉に、憐れみの視線が三峰に集まる。
あいつは実の息子に、あれだけの実力者に捨てられたのだと言外に言っていた。
「同じ世界で生きていれば顔を合わせることもあるだろう。だが、道を違えたのだとよく理解しておくと良い」
男は少しだけ瞑目し、三峰と話していた青年を見遣った。
「君は相手を怪我させて荷物を奪った強盗の罪だったね、それも一度や二度ではない。運がよかった、というのも言いたいことはわかるけれど、何故君は一言助けを求められなかったのだろう? 放免になった者の中には、ちゃんと助けを、救いを求めていた人がたくさんいたよ? 君は荷物を引っ手繰り、眠る商人から盗み、抵抗が出来なそうな子供や女性を選んで棒で殴って。罪ではないと思うのかい?」
「え…なんで…」
「軍部預かりという意味を、その扱いはどうなるかをよく考えておきなさい。他の者も罪を羅列して欲しければ騒ぐが良い。自分が何をして来たのか、ちゃんと答えてあげるからね」
冷たく言い放ち、男は踵を返して【渡り人】の輪から抜けていった。
誰も言葉を出せなかった、手を出せなかった。
「――― よろしかったのですか、あのようなことを」
「現実を見せないと騒ぎ続けるだろ、それはそれで面倒」
傷のある男に言われ、ラスは疲れた声で呟いた。
「それに、あれだけの人数をリシェットが抑え込んでいるんだ、多少は抵抗を減らしておかないとね」
七百人余りの人数へ魔封じを施すリシェットの機嫌は良くはない。どうやったか魔導のことはわからないが、リシェットから遠く離れてもその効果が消えないように刻んだらしい。全く底知れない魔導士だ、と胸中で呟いてラスは小さく息を吐いた。
ツカサの父のことは少しお節介だったような気もするが、容疑をかけてしまったことへのお詫びだと思うことにした。
ぐぅっと腕を伸ばし、ラスは手を振る友の元へ戻って行った。
残された【渡り人】の者たちは三峰からそっと離れた。
青年も顔色悪く立ち去り、三峰は一人取り残された。実の息子を矢面に立たせたことが、姑息な手段で同情を引こうとしたことが、こんな結果になるとは想像もしていなかった。
――― ならば小細工など弄せず、前に立て!
内臓まで響くような怒号を思い出し、びくんと体が動いた。
「…みさき」
妻を、探そう。ふらりと歩き出した。
しばらく呆然自失で歩いていれば、向こうで難しい顔をしている一団に声を掛けられた。市議会のジェームズたちだ。
「ミツミネさん、どうした。顔色が悪いな」
「ジェームズさん、いや」
「あんたは何組だ」
「…放免です」
か細い声で言えば市議会のメンバーは失笑を浮かべた。笑わなかったのはジェームズだけだ。
「あんたは息子が向こう側だもんな、そりゃ」
「何も」
「あ?」
「司は、息子は何も、私のことを話さなかったそうです。話題にもしなかったそうです」
こちらでもまた沈黙が降りた。ジェームズが三峰の肩を叩いて慰めた。
「あの男と共に居るんだ、あんたの息子は腕っぷしだけではない。ここが強かったんだな」
どん、と自身の胸を叩いてジェームズが言った。
少しだったが差し向って会話したジェームズは、多少ラングという男を知った気がしていた。
「ミツミネさんは前には出たが何もしていない、妥当だろう」
「ジェームズさんたちは」
「ここにいる面子は懲役労働組だ、あとは、炭鉱さ」
「そうですか」
何を言う気も失せてそれぞれが三峰の肩を叩いて励まし、立ち去って行った。
あれだけ連携し、協力し合ったと感じていた者たちすらこの程度で別れを告げられて、三峰は流石に堪えた。自分はその場の空気に酔っていただけだったのだ。
再び歩き出して妻を探した。
女性が集められている区画は賑やかさと苛立ちの空気で二の足を踏みそうになった。
ぼんやりと立ち尽くしていれば三峰に気づいた近所の人が手を振ってくれた。
「三峰さん、みさきさん探してる?」
「あ、はい、どこに…」
「あっちで検診受けてるわよ。あなたなんて言われたの?」
「放免です」
「あら、よかったわね」
面白くなさそうにそれだけ言ってその人もどこかに行った。誰も彼も自分より不幸な者を探しているようで、疲れて来た。
指差された方に向かえば特徴的な衣装を身に纏う女性や男性が歩き回っていた。この世界にも女医がいるのかと妙な感動を覚えた。
「あの、すみません、三峰みさきは、ミサキ・ミツミネ、妻なんですが」
「ミサキ・ミツミネ…あぁ、向こうにあるテントの下にいますよ、先程検診を終えたところです。ご主人なんですね?」
「はい、あの、どうでしょう」
「母子ともに健康ですよ、妊婦の方への対応は流石考えられていますからね。まぁ人数も多くありませんし」
どうぞ、と促されてテントを覗く。明るい笑顔で女剣士に挨拶をしている姿に涙が滲んだ。
「みさき」
「あなた、無事だったのねよかった!」
少し離れている間におなかがさらに大きくなったように感じた。
抱き締めようとすれば待って、と言いたげに手が差し出された。
「あなた、処遇は?」
「あ、あぁ、放免だよ」
「あぁーよかった! これから子供も生まれるのにどうなるかと思った! だからあんなことしないでって言ったのに、持ち上げられちゃってさぁ!」
妻は安堵の表情を浮かべて大きな声で叫んだ。視線を感じるが身重の妻として思うことは同じらしく、冷たい視線を感じた。
「ねぇ、もしかして司くんが手を回してくれた? あの子出来そうだものね」
「いや、司は」
「あーぁ、あの子は義息子になっちゃうのよねぇ、でもあの子が家族になるならこの先も安泰よね?」
「みさきさんいいわねぇ」
「うちの人はどの処遇だろう」
「みさき、司は何もしてくれなかったよ」
三峰が呟けば妻は表情を失った。
「どういうこと?」
「俺のことも、嘆願したり話題に出したり、気にもかけなかったそうだ」
「は? 誰がそんなことを」
「壇上に居た、最初に出て来た男だ。わざわざ言いに来た。軍師と言われていた」
その場にいた女剣士に視線が向き、こほんと咳払いのあと補足された。
「最初に話した方は軍師殿、この軍を率いる長だ。あまりの忙しさに名乗りを忘れたようだ」
「そんな人に目をつけられたの!?」
みさきは絶望を含んだ声で叫んだ。
いたた、とおなかを抑え女医が慌てて駆け寄った。
「興奮しないで」
「そんなこと言ったって! 軍に目をつけられて、この先どうすればいいのよ!?」
「軍師殿はそんな差別や依怙贔屓はしない方よ、さぁ、深呼吸して」
「だって、イーグリスにだってもど、戻れないのに」
「放り出したりはしないから、安心して、ほら、深呼吸」
「うぅ…っ」
女医の呼吸に合わせて深呼吸をしておなかを撫でる妻に、三峰は何もできなかった。
「…炭鉱に行くかな」
それは構って欲しい子供の心境で呟いたことだった。
キッと厳しい目が妻から向いた。
「ふざけないでよ! せっかくの放免なのによくもそんなこと言えたわね! もういい、あんたになんか頼らないで、この子産むわ! どっか行って!」
「みさき、すまない、そんな、思わずで」
「出てって! 出てって!」
「ご主人、今は戻って。興奮させちゃだめよ」
女医と女剣士にテントから追いやられ、三峰はまた立ち尽くした。
妻の怒りは尤もだ、愚痴るように言ってしまったことを謝り、ゆっくりと怒りを解いてもらうしかないだろう。三峰はとぼとぼと来た道を引き返した。
後悔が波のように押し寄せていた。
息子を謀ったことも、仮面の男に叱責されたことも。
あの時自分がやるしかないのだと何故か思い込んで意気揚々としたことが恥ずかしくなった。
妻の言うように放免となったにも関わらず、皆が司の名を口々に出すことに年甲斐もなく妬いてしまった。
―― お前が選んでその立場にあることの責任を、息子に取らせるな。
あぁ、と空を見上げた。
「あの男の言うことが、わかった気がする」
ここから歩き直すことは、まだ間に合うだろうか。
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