3-69:約束の話
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翌朝、朝食にと残った羊肉とスープを貰い腹を満たし、馬に乗って出発した。
ラングはリアンに肉や野菜などを渡し、リアンは器用にそれらを凍らせて作ってあった氷室にしまった。大事に食べるね、とあの礼を返され、ラングは丁寧に会釈を返した。代わりにお昼に食べてと焼いた羊肉と馬乳酒の包みを腕に押し付けられ、有難く受け取った。
ヤンはムーェに、ツカサとラングはボルテアから乗り続けて来た馬に乗った。まだ薄暗いうちから出発し、昼を回る頃にヤンがムーェを降りてラングと馬を交換した。
「あんたなら乗れるだろう」
ツカサはその交換を固唾を飲んで見守った。気性の荒さに困ったと草原の民であるヤンが言うくらいだ、ムーェは乗り手を選ぶ馬なのだと知っている。
ラングはさっと鐙に足をかけて背に乗ると、素早く手綱を掴んだ。ムーェは前足を高く上げてラングを振り落とそうとした。ラングはラングで勢いを殺すように腰を高く上げ、時に鞍を、馬を腿で挟んでそれをいなした。
暫くしてムーェがツカサたちの周りを円を描くように走った。
「流石だ、少し悔しいな」
「お前の調教が良いからだ。主人の配慮をわかっていて、渋々従ったに過ぎない」
ムーェはぶるる、と不本意そうに鳴いたがもう抗いはしなかった。ヤンはラングの乗っていた馬に乗り直し、ムーェの首を叩いた。
「帰りはムーェに任せてくれればユルテに戻れる」
「すまんな」
「気にしないでくれ。冠雪はもう少し北に進めばいい所がある。あんたが見たい景色で止まればいい」
「感謝する」
ヤンは小さく笑みを浮かべ、一族の元へと駆けて行った。
その姿が見えなくなるまで見送って、ラングはムーェの馬首をめぐらせた。
「行くぞ」
「うん」
目の前の冠雪を目指して馬を走らせる。風を切る気持ちよさと、遂に来るのだという緊張で手綱を強く握り締めた。
ラングがいつか話そうと言ったことが、一体何なのか想像もつかない。ラングの装備を【鑑定】し、目にしたいくつかの名前が、武器の在り方が、ラングの何か大事なものなのだということはわかる。早く辿り着きたい気持ちと、もう少し心の準備をさせて欲しい気持ちが複雑に内在した。
途中リアンからもらった肉を食べ、また馬を走らせた。少し走るだけで何が違うのだろうと思っていたが、驚くほどに山々が近くなって驚いた。
夕方、ラングがムーェの足を止めて振り返った。
「ここで休む」
「わかった」
馬の足を止めて降りて見上げれば、オレンジ色の冠雪を頂くそこから神聖な冷気が降りてくるような、不思議な感覚に襲われた。ふわりと吹いて来る風には人工的な匂いは一切なく、思わず深呼吸した。スカイだって、今までだって近いと感じていたが、何が近いのかわからないが厳粛な気持ちにさせられた。
ムーェとツカサの馬を魔法で造った杭に繋ぎ、馬用に布を敷く。食事と水桶を置いたらあとは好きにするから放っておけ、という雰囲気をムーェから醸し出された。ツカサの馬もすっかりムーェの群れの一員らしく、そっとしておくことにした。
ラングはいつものようにツカサに火を熾させ、自分は食材を準備し始めた。湯を沸かし汁物を作り、熾火で肉を焼く。変わらない作業を見守っていればラングが完成したシチューを差し出してくれた。
夕食は得意の赤ワインシチュー、ほくほくの根菜ととろりとした柔らかい肉、これはミノスだ。熾火で焼かれたのはオーク肉で、時折噛む岩塩との相性が最高だった。
舌鼓を打っていれば味は多少被るが、と断った上でホットワインも作られた。食後に大事にもらっていれば、ラングはじっと空を見上げていた。
夕闇が過ぎて常闇に変わっていた。焚火から目を離して空を見上げていれば、徐々に闇に慣れて星々が見える。月は半月になって夜の海に光を注いでいた。
月の明かりというものは、太陽の光が月面を反射して成るものだと理化学の授業で聞いた。こちらの月も同じ原理なのかと考えていれば、隣から身じろぐ気配を感じた。
見れば、ラングが寝ころんでいた。
毛皮を敷いた草の上、寝心地が良さそうに見えて真似をした。思ったよりふかふかではなかったがこれはこれで悪くない、と頭の後ろで腕を組んで枕にした。
暫しの沈黙の後、静かな声が隣から聞こえた。
「何から話せばいいのか悩んでいる」
驚いて隣を向けば、夜空を見上げたままの横顔が見える。同じ高さ、同じ位置、それが少しこそばゆくて笑みが浮かんだ。
「なんでもいいよ、なんかこう、話したいことからで。俺も質問するしさ」
「ふむ」
ラングは本当に珍しく言い淀んでいるようだった。唇を噛んだり離したり、なかなか見られないものを見ている気持でじっと眺めてしまった。
それから意を決したように深呼吸して、防音の宝珠を使用した。
「私が、父の剣と首を抱いて逃げたのは九つの時だ」
初っ端からとんでもなく重い話に喉が変な音を立てた。それを態勢のせいだと考えたラングが腹筋を使って体を起こした。
「起きるか」
「そう、だね」
そうではないのだが、否定をする気も失せて体を起こし、視線を焚火に置いた。
「そういえば、自分の首を自分の剣で斬り落としたって、それが死体を見た初めてって言ってたっけ」
「よく覚えているな」
これには驚いたらしくラングは感心したように頷いた。言葉がラングの故郷のものに変わる。
『良い父で、良い夫だった』
常感情のないラングの声に懐かしさが滲んでいて、ツカサはなんだか寂しくなってしまい、自身の膝を抱えた。
ラングはゆっくりと話した。途中ツカサが何度も質問を重ね、それにも言葉を選び、自分の過去を不器用に言語化した。
『私の故郷ではよくある話だ。父は弟に座を奪われ私を連れて逃げた』
『それなりの立場だったんだね、領主とか?』
『似たようなものだ』
ラングの身に着いた礼儀作法などは九つまでの間に身に着けたものだったのだろう。イーグリスでのシグレに対する態度や理解などはそこから来ていたのだ。
『逃げる最中、父は暗殺者に致命傷を負わされ、自分で首を斬り落とし、剣と共に私に預けた』
『なんでそんなことを』
『首があれば死が確定してしまう。そうすれば弟は名実共に統治者となる。だが、あいつは暴君になる片鱗もあった。もしかしたら生きているかもしれない、という恐怖は、政治を律することにも繋がる』
『それ、実権っていうやつ、取り戻そうとはしなかったの?』
『元より統治者になりたいと思っていなかった人だった。先に生まれ、運命づけられた。本人は向いていないと言っていたが、良い統治者だったと息子ながらに思う』
『ラングは取り返したいって思わなかったの?』
『思わなかった。死に際、父に言われた言葉が残っている』
『なんて?』
ラングは一度唇を閉じて、恐らく、忘れないように何度も口にした言葉を、父の話し方をなぞるように言った。
『息子よ、卑しい名を捨て、一人の人間として生きろ。たとえ名が変わり、生きる道が変わろうと、お前が生きてさえいれば何も思い残すことはない』
九つの子供にかけるには厳しい言葉だ。それでもラングは懸命にそれを守ったのだ。
生まれと育ち、子は親を選べないというが、他の道があればよかったのにとツカサは思った。ラングが両親と穏やかに暮らせた未来を想像して勝手に悲しくなってしまった。
沈黙が降りて話が止まり、ツカサは窺うように尋ねた。
『首を持って、あと剣を持って逃げて、どうしたの?』
『必死に生きた』
父が守りたいものは弟に引き継がれた民だけではなく、一人残すことになる息子のこともそうだった。身に着けていたのは護身用の短剣一つ、父から預かった剣は少年の手には余る。
教育の一環で戦う術を教え込まれていたラングは、それをどうにかこうにかして生き延びたらしい。
ある時、傭兵団ならば、腕さえ認められれば住み込みが出来ると知った。
『そうでなくとも、雑用でもなんでもしながら腕を磨けると思ってな』
『なるほど』
そうして叩いた傭兵団の門、けれど、おかしなことに連れていかれたのは郊外の一軒家だった。
『処刑人の家だ』
ハッとした。
『それ、森の中にある? ちょっと大きめの木造の』
『アイリスに見せられたか』
今は子供の揺り籠なども置いてあるが、あの柔らかい木漏れ日の中の家を思い出した。
『元々は傭兵団やら騎士団やらの詰め所だった、が、街に遠いと人が離れたところに冒険者ギルドと自警団の厚意で住まわせてもらったそうでな』
『へぇ、そうだったんだ』
『そこで出会ったのがリーマス、私の師匠だ』
ラングに装備を譲った人で、師匠。ちらりと装備を確認し直してしまった。
――古代石のシールド。特殊加工を用いて作られている特注品。非常に堅い。自動修復の呪いが付与されている。粉々にならなければ時間はかかるが記憶された形に戻る。
――防音の宝珠(右)。任意、周囲3メートルの音を遮り、指定距離内の音を漏らさない。
――浄化の宝珠(左)。常に清潔を保つ。水に入れて使えば飲料水に変えられる。
――古代石の胸当て。革のベルトは劣化をするが、胸当ては自動修復の呪いが付与されている。粉々にならなければ時間はかかるが記憶された形に戻る。
――収納のポシェット。100種類のアイテムが収納できる。使用登録済:ラング。使用者限定の呪いが付与されている。現在は空。
――謀略のマント。リーマスから譲り受けたマント。見せたくない物を、見せないようにする力が付与されている。
――ロングブーツ。ハリファのブーツを基に作製した特注品。仕込みナイフが入っている。
――エトヴィンの守護剣(対)。元は宝剣だったもの。息子を守るために姿を変えた。守護の力が付与されている。
――ジョーカーの短剣。リーマスから譲り受けた短剣。長年使われたため一撃必殺の効果が付与されている。
――ジョーカーのナイフ。リーマスから譲り受けたナイフ。毒が染み込んでいる。
――炎のナイフ。戻れと声を掛ければ腰に戻るマジックアイテム。使用登録済:ラング
相変わらず見事な装備だなと呆れながら、ラングが【鑑定眼】を阻害しなかったことに信頼を感じた。視線をラングに戻す。
『リーマスさんと出会ってからは、どう?』
『大変だった』
ラングは不機嫌に口をへの字に結び、ぎゅっと拳を握り締めた。
先日、愚痴まがいにいろいろ聞いた内容からして人を育てるのが上手いというわけではない、とは知っている。
毒草サラダなどと珍妙な名の食べ物を食べさせられたり、毒を舐めさせられたりと紙一重の教育もあったと聞いた。
『どんな感じだったの』
『少し話したと思うが、ズボラを極めたような男だった』
好きなことには時間をかけるが、そうでもないことや身の回りには頓着をしない。ラングがまず最初にやったことは家中の掃除からだった。思い出して苛立たし気に、不愉快そうに、けれどその実楽しそうにラングは話した。
子供であったラングにも容赦なく技を極めるせいで骨折も多かった、打撲傷も多かった。突然渡されたシールドには慣れるまで何度も倒れ、吐いた。
『それもリーマスさんからなの?』
『あぁ』
『それなんで着けてるの?』
『いくつか理由はあるが、一つ上げるとするならば逃走用だ』
『それが逃走用?』
『人というものは、特徴で相手を覚えるものだ』
『あ!』
なるほど、ラングの特徴的なシールドは確かに大きな目印だ。それが無ければ姿を眩ませることも容易いだろう。
『他の理由は?』
『全て話してしまえば、私にも不都合だ』
『ちぇ』
話すとはいえ、話したくないことは話さない。ラングだ。
『ええと、それで』
『まぁいろいろあって、私は処刑人を継いだ』
かなり端折られた気がするが、大体がリーマスに対する愚痴なので割愛するらしい。その辺を聞いてみたかったが別の機会にも聞けるだろうか。
『リーマスのことをどこまで話したか』
『暗殺者の技術を仕込まれた、とか』
『そうだ、リーマスは暗殺者だった』
ラングがいたのとは別の国で暗殺者として生き、ひょんなことから王女に拾われ、騎士になった。
明るい場所で自分の力が認められ、仲間が出来て、暗殺稼業から足を洗えた。本人は一瞬そう思った。
だが、暗殺者という世界がそれを許さず、明るい場所を追われ、他国に逃げた。そこがラングのいた国だったわけだ。
『問題の多い男だった、損得勘定の下手な男でもあった。黙って勝手に事を終えるので叱られていることも多かった』
『ちょっとラングもその片鱗あるよね』
『話の腰を折るな』
『ごめん』
舌打ちが聞こえて慌てて膝を抱え直した。一つ嘆息した後、ラングは続けた。
『父から預かった剣を、無理矢理持っていかれ、勝手に打ち直されたんだ』
目を瞬いてしまった。要は形見の形を勝手に変えたということだ。ラングの双剣を見遣った。
『あれほどに自分の中に怒りが存在するとは思わなかった。思いつく限りの罵声も浴びせた、出来うる限りの暴力も振るった。ガキ丸出しで地団太も踏んだ』
ツカサはぎゅっと唇を噛んだ。傷めるぞ、癖だな、と指摘されて唇から力を抜いて撫でて確かめた。ラングは深いため息を吐いて夜空を見上げた。
『今ならわかる、リーマスは私のために剣を打ち直したのだと。あのままの形であれば、私はいつまでも扱えなかった』
『エトヴィンの守護剣、だよね?』
『そうだ。元の剣はかなり大きく、加えて重くてな、腕力が無ければ振り回されてしまうものだった。それを二つに分けることで、私に扱えるようにしたんだ』
『ラングのスタイルに合わせたんだ』
『あぁ。納得はいっていなかったが、最終的にはその形が適しているのだと私も受け入れた。だがな、ツカサ』
名を呼ばれ膝から顔を上げればラングがこちらを向いていた。
『お前が教えてくれたんだ。父エトヴィンの剣は、息子を守るために姿を変えたのだと。そして今なお、私を守るためにあるのだと』
ツカサは息をすることも忘れていた。ラングが心からの気持ちを込めて、胸に手を当て礼を取った。
『リーマスが私を、リーマス・アルブランドーの息子として精一杯愛してくれたことを、お前のスキルが教えてくれたんだ』
あの時ははっきりと見えなかったラングの涙が、目の前でつぅと流れて行った。
『私は私の生きた道が無駄ではなかったと知れた、命を賭して二人の父が残してくれたものを、私はようやく知ることが出来た』
ふ、とラングの口元が柔らかく微笑んだ。
『ありがとう、全身全霊の感謝を。私はお前に出会えてよかった』
その言葉に、声を上げて泣いてしまったのはツカサの方だった。
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