3-66:失った呪い
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ツカサの様子がおかしい。
ラングはボルテアの街に入る直前、そう感じた。
出会ってからずっと、ツカサはラングに怯えたことはなかった。正しくは、恐怖に震え上がったり目を合わせる事すら嫌がったり、そばにいることを嫌がったりはしなかった。
言動や考え方に難色を示したり、理解が難しい様子で黙り込んだりはよくあった。ただそれでも、見えるような怯え方はせず、怖気ずにいつも横に立った。
そのことを感心してはいたのだが、ほんの僅かな時間の間にツカサの様子が大きく変わった。
声を掛ければ気づいたように駆け寄ってくる姿はなく、じっとラングを眺めて動かない。間に立たされたヤンが哀れなほど困惑している。
もう一度声をかけた。
「ツカサ」
「あ、うん」
びくりと大きく肩を揺らし、視線が泳ぐ。呼んでも足が固まって動かないらしい。
この様子には見覚えがあった。故郷でよく向けられた視線、とられた態度。相手が自分を怖がっている反応だ。
今更かと思う反面、何故急に、と考えた。
一先ず、ヤンを困惑させたままにするわけにもいかない。数は少ないが遊牧民も馬で街に駆け込んでいる。道を塞いでいるツカサの立ち位置は良くないだろう。
ふぅと溜め息を吐いてそちらへ向かい、怯えた様子でざっと片足を下げるツカサの前に立った。一つ思い当たることがあった。
『自分に【鑑定眼】を使え』
「え? あ」
ハッとしてツカサは自分を眺めた。ぼんやりと斜め下を見ているので、そこに鑑定窓とやらが出ているのだろう。
しばらくそれを見ていたツカサが泣きそうな顔でラングを見上げ、震えた声で言った。
『【適応する者】のスキルが消えてる』
それは、ツカサ曰く郷愁の気持ちが抑えられるものだったはずだ。郷愁に襲われて怯えているのではなく、ラングに対して恐怖を抱く目をしていることから、そういった感情に対しても作用していたのだろう。
だとすれば早急に会話が必要だ。
『話そう、だが、まずは街に入るぞ。ここに居ては馬に蹴り殺されても文句は言えん』
時々横を駆け抜けていく馬に視線をやり、ラングは言う。ツカサは小さく頷き、ラングの少し後ろを歩き始めた。ホッとした様子でヤンが並んで進む。
言語を変えたのは【変換】が使えるかどうかを確かめるためだ。
ボルテアの街に入門税はない。入口である門のところに立つ者もいない。
あちこちに大型のテントが立っており、動物の鳴き声も聞こえる。何かを焼いている良い匂いもすれば、いつもならこの青年が騒ぐはずだ。肩越しに背後を見遣れば心ここに在らずでツカサはぼんやり足を進めていた。
ムーェから降りたヤンは心配そうにラングに尋ねた。
「ツカサはどうしたんだ? 弓の件は、その、悪かった」
突然雰囲気が変わったのはヤンにもわかるようで、罪悪感を抱いているらしい。
「お前のせいではない。すまんが少しだけ二人になりたい、宿はどうすればいいだろうか」
「案内しよう。ツカサ、頼む、離れないでくれ」
「うん」
生返事を返すツカサにヤンはラングを見た。ラングは歩く速度を落とし、ヤンは後ろを気に掛けながら先頭を行った。
辿り着いたのはスカイの国境と同じ石造りの建造物のある並びだ。街の中心部であるここには草原の民以外に商人なども訪れるため、見るからに宿とわかるよう造られているのだろう。ラングは手続きを済ませ鍵をツカサに手渡し二階へ行かせると、ヤンを振り返った。
「すまん、手間をかけるが準備を頼んでもいいか」
「構わないが、大丈夫か?」
「どうだろうな」
ラングにも読めないでいた。ツカサが落ち込んでいるだけならばいつものようにきっと立ち上がるだろう。だが、自身に対する恐怖心をどうすればいいのか、ラングにはわからなかった。怯える者はそのままに、離れる者は追いかけず、利用する者がいれば利用し返す。それが生き方だったからだ。
ヤンは心配そうにして、ラングにどう声を掛ければいいのか悩んでいる様子で視線を伏せていた。当事者ではないはずなのに、頭を悩ませている姿にシールドの中で目を細めた。
草原で出会ったのがこの青年でよかったのかもしれない。族長というには少しばかり気は好すぎるが、任せられるのは有難い。もし裏切られたとしてもそれは自身の見る目がなかったからだ。ラングはそう覚悟をしている。
「貨幣はスカイと共通だろうか」
「あぁ、大丈夫だ」
「ではこれを。食材などもあるだろう、任せる」
「わかった。すまないが代わりに鐙を入手しても良いか? 道中切れてしまって、少し困っている。ここには馴染みの馬具職人がいるんだ」
「構わん、好きにしろ」
革袋を渡してラングは二階への階段に足をかけた。
「ラング」
名を呼ばれ振り返る。ヤンは言葉を選んで胸に手を当てた。
「俺は、草原の民として、信頼には応える。だから」
わざわざそこまでしなくてもいいものを、生真面目な青年は真摯に伝えて来た。ラングは小さく息を吐いた。あちらもこちらもフォローをするのは正直得意ではなかったが、誠意には誠意で返すのが信条だ。
「感謝する。部屋は知っているだろうが、用があれば扉の前で足を三度鳴らしてくれ」
「わかった」
ふわりとマントを翻し、ラングはツカサがいるだろう部屋に向かった。
――― 期限が迫っているのだと思った。
ツカサは部屋で項垂れるようにしてベッドに腰かけていた。シグレの言葉が思い出される。
【渡り人】へ渡された理の神様の償いは、期限が決まっている。凡そ三年、ツカサがここへ渡って来たのは四月で、それが目前であることは確かだ。けれど、それがこうも突然に訪れるとは思わなかった。それに月の換算も地球とは違う、もう少し期間があると高を括っていた。
消えたのは【適応する者】のみ。他のスキルは消えていないが、もしかしたらという恐怖が襲って来てどうしようもない不安に泣き叫びたくなった。加えて、地球に帰れないことを受け入れていたのがスキルの影響だということも痛感した。
家の匂いが、食事の味が、空気が、生活が、全てが違う場所に髪を掻き毟りたい衝動に駆られた。
戻れない、帰れない、もうあの生活は戻ってこない。スゥッと消えていくあの感覚が呪いだと思っていた自分を殴り飛ばしたかった。
あれは確かに償いだったのだ。
大声を上げて叫び出すところでラングが部屋に入り、防音の宝珠を起動した。おかげでかなりの声量の叫び声は外に漏れることはなかった。
髪を振り乱して叫び、頬を首を胸を掻き毟り手当たり次第に当たり散らそうとしたツカサは、パッと手を伸ばしてきたラングによって一瞬の内に意識を失った。
ペチペチと頬を叩かれ目を覚ませば床に倒れていた。
『落ち着いたか』
『あ…』
情けなく口を開いて見上げ、小さく頷く。ラングの持つ夢見師の加護で一度眠らされたのだとわかった。容赦のない判断、抑え込むよりも適切な方法に感謝すればいいのか、驚愕すればいいのかわからなかった。
差し出された手に一瞬びくりと震えてしまったが、ラングは微動だにせず待ってくれた。震える肺を落ち着かせるように深呼吸して、その手を掴む。ぞくりと悪寒を感じてしまい、申し訳なくなった。
この手はツカサの道標だったはずだ。日記の上に置かれたあの手も、ツカサが折れそうな時にいつも支えてくれた腕も、全て同じものだ。何故こうまでも恐ろしいのだろうか。
引き起こされて立ち上がり、促されてベッドに座り直した。ラングは椅子を引いて跨ぐようにして座り、背もたれに腕を置いた。それもまた様になる。
『シグレの言っていた期間が迫っているようだな』
『そうみたい』
落ち着かずに手を擦り合わせ、もじもじとしてしまう。ラングはツカサから視線を逸らし、じっと言葉を待ってくれていた。ラングからも言いたいことや聞きたいことはあるだろうが、まずツカサに時間をくれるその対応が真摯なのだ。
言葉が出て来なかった。サイダルで乱心したアーサーの気持ちが今になってわかった。言語一つ取っても失うと思うと残したくなった。
あぁ、だから渡り人の街は残そうとしたのだ。血も、種も、文化も。彼らの苦悩が手に取るようにわかり、ツカサは頭を抱えた。どうやって帰れないと知ったのかは知らないが、ツカサも【適応する者】を失くし、故郷を失ったと自覚してからは感情が理解出来た。
様々なことを考えていれば、ラングから声がかかった。
『傷を治せ』
言われ、顔を上げてラングを見る。ラングの指が頬や首を指し、ツカサは自分のそれに触れた。ツキンとした痛みが走り、そういえば掻き毟ったことを思い出した。
使えるか不安になり逡巡、ヒールを唱えればパァッと光が弾けて消えた。ほぅっと安堵の息が零れた。
いつもの街で聞いているのとは違う喧騒が遠くで聞こえていた。動物の鳴き声と聞き慣れない食事を売る声、嗅ぎ慣れない匂いが窓の隙間から入り込んでくる。
『恐ろしいか』
問われた言葉が何を指すのかがわからず、上目遣いにそちらを見遣った。ゆったりと置いた腕の向こうで小さく首を傾げて様子を窺われる。
強く踏み込んでは来ない。ツカサの怯えを、機微を鋭く読み取って、タイミングを計っている様に思えた。
そう、この配慮がラングなのだ。
『なんだろ、帰れないこととか、わかってたんだけど。【適応する者】のスキルってかなり恩恵あったみたいで』
少しだけ口に出せば、堰を切るように言葉が溢れた。
『こんなに悲しいと思わなかった、こんなに恋しいと思わなかった。こんなに惜しいと思わなかった、悔しいと思わなかった、怖いと思うと思わなかった』
喉が詰まるようで声が出ている気がしなかった。ぐぅっと丸めた背中は小刻みに震え、両腕を抱え込んだ。
『どうして、なんで、俺が何をしたっていうんだよ! 知らない間にここに来させられて、早々に死にかけて、裏切られて、故郷の人たちは軍に捕まって! 誰が望んだっていうんだよ! どうしてこんな目に遭うんだよ! 俺は、俺はなんで!』
訴える相手は正しくないだろう。だが、事情を知り、見て来た人にしかこの抱えたものをぶつけられなかった。
『帰りたいよ』
ぼろっと零れた涙が頬を伝って熱い。駄々をこねるように呟いた一言は、今胸の内の大部分を占める感情だった。
『家に帰りたい』
ただ普通の日常を送りたかった、送れるはずだった。卒業して進学して、新しい友人も、もしかしたら恋人も、就職して仕事をして、結婚をして子供が出来、両親に孫を見せたかもしれない。
独り身だとしても様々な娯楽に囲まれ、一人で遊んだり友人と遊んだり、自由気ままにゲームをしたり映画を見たり、スマホで動画を見て過ごす休日もあっただろう。旅行に行って気分転換だって出来ただろう。食べたいものはいつでも食べられた、選べただろう。
そんな何気ない日々を失い、もう手に入らないと気づいてしまえば、誰を恨めばいいかわからなかった。
感情のままに叫び続け息が上がる。何度か呼吸を入れて、また吐き出す。
『ラングが怖い』
それはスキルを失った時、真っ先に感じたことだ。
何の感情も持たずに人を殺せる人。いつ自分にその切っ先が向くかわからない人。容赦なく人を捨てられる人。
それがどれほどに恐ろしいことなのかを正しく理解できた気がした。今ならカダルがあれほど警戒し、畏怖し、服従を選んだ意味がわかる。ほんの少し気が向けば、利用価値が無くなれば、この人は人を人と思わず斬って捨てるだろう。
処刑人として故郷で冒険者を処罰し続けて来たラングから、感じるはずのない血の匂いすら漂っている気がした。
一頻り思いの丈を吐き出せば少しずつ思い出すこともあった。
ツカサの知識や能力を正面から受け止め、正当な契約を提案してきたこと。
生存率を上げるために時間と労力を割いて向き合ってくれたこと。
生きるための術を惜しげもなく教えてくれたこと。
選択を尊重し、そのために力を貸してくれたこと。
自分の経験を恥じる事なく教訓として与えてくれたこと。
節目を忘れず、あっても困らないお守りを贈ってくれたこと。
自分が死ぬかもしれないのに、その身を盾にして炎から守ってくれたこと。
『お、俺、ラングのことを、怖いとか、恐ろしいとか、思いたくないよ…!』
ツカサは自分の自己嫌悪もまた苛立ちなのだと気づき、声を絞り出して叫んだ。
防音の宝珠はツカサの情けない声をラングだけに届けた。
暫くツカサの泣き声と嗚咽だけが響き、ラングは唯々時間をくれた。そうだ、ラングはこうしてツカサが一頻り感情を吐き出すのをいつだって待ってくれた。
涙が落ち着いて来るとラングから反応がないことが怖くなってくる。空間収納からタオルが取り出せることにまた一つ安堵を覚えながら、顔を拭いちらりと視線を上げた。
椅子に跨るように座る姿はそのまま、ラングは背もたれに置いた腕で頬杖を突いてツカサを眺めていた。
その余裕な態度は少しだけ苛立ちを覚えた。これだけ苦悩しているのに寄り添う姿勢ではないと感じたからだ。何だよその態度、と文句を言おうと口を開いたところで、ラングの手がそれを制した。
ラングは立ち上がり、椅子の向きを変え座り直すと足を組んでツカサに問いかけた。
『私にどうしろという』
『どう、って』
『私が恐ろしいならばここで旅を終えても良い。スカイへ戻り、故郷に向き合えばいい』
ツカサは何かを言おうとして唇は動くが音は出ない。やめたくはない、この旅を始めたのは楽しみだったからだ。その気持ちは本物だ。
『続けるか、戻るか。選ばせてやる』
あぁ、これもラングだ。自分を全てにするな、己で決めろというその方針。この提案にいつも悩まされ、覚悟を決めさせられて来た。
『ラングは決めないの?』
問い返せばラングは小さく肩を竦めた。
『お前がどうであれ、私は進む』
草原での冠雪を見に行く、ということだろうか。それとも元の世界に戻るための方法探しだろうか。明確な答えを指し示さないのもいつものことながらモヤモヤしてしまう。
『ラングのそういうところ、嫌いだ』
『奇遇だな、私も師匠のそういうところが大嫌いだった』
返って来た言葉に眉を顰めてしまった。涙はいつの間にか止まっていた。
ラングはため息とともに膝に肘を置いて、ツカサを見た。
『師匠が私に対して明確に出したのは修行内容だけだった。行動指針も、考え方も、生き方も、ある程度の片鱗が見せられ、学び、自分のものと混ざり合ったと思う。どうすればいいのか明確な答えがないことは不安で、それを悠々と眺めている師匠に何度も殺意が沸いた』
『そこまでは、沸かないけど』
『自分の選択を誰かに委ねないのは、自分に言い訳が通じず、結果がどうあれ自分が背負うことで、あぁ、そうだな、後悔をしない選択というのはいつだって辛いものだ』
だが、とラングは一つ呼吸を入れた。
『だからこそ、その先で失ったものと得たものが、その後の私を生かしたんだ』
まるで自分に言い聞かせるようにラングは言い、ツカサは小さく息を吐いた。ラングが師匠について語ることは今までにもあった、だが、その口ぶりがいつものラングとは違うように思えた。師匠としてではなく、同じ弟子としての立場で文句を言っているように感じたのだ。
愚痴のようなラングの言葉はもう少し続いた。
『料理以外はてんで駄目、裁縫の一つ出来ず家は散らかりっぱなし、自分が頑丈だからと怪我の手当と解毒以外の知識は皆無、なんだったら私はただの風邪で死にかけたことだってある。クソみたいな師匠だったが、口ではなんだかんだ言いながら、不器用ながら私を弟子として、息子として愛してくれたと思う。認めたくはないが、心底悔しいが、良い師匠だった』
背を戻し、腕を組み直して尊大に言い、ラングはふん、と鼻を鳴らした。その様子に少しだけ親しみが湧いて口元が緩んだ。
ラングはまた一つ息を吐いて、ツカサに問いかけた。
『私がお前にとってどうであるかはお前次第だ』
恐怖の対象でしかないか、それとも、師匠としての尊敬はあるのか。
ツカサの中で答えは既に出ているも同然だった。
明瞭な答えがないことに苛立ちを覚えたこともあった、ラングの基準で考えられることもあり、ついて行けるかと文句も言いたいときもあった。
けれど、ここまで生きて来られたのは偏に、ラングがツカサに様々なことを教えてくれたからだ。自分で選び、覚悟して進むことを繰り返し学ばせてくれたからだ。
ツカサはぐっと手を握り締めてラングを見据えた。
『こんなところで、終わらせて堪るか』
帰りたい気持ちは胸の中を渦巻いている。だが、帰る場所は既に消滅している。それをどう消化すればいいかは全く分からないが、今出来ることをやって、気を紛らわせたくもあった。
『ラングは、ラングを怖いと思いたくない、怖くない、だって兄さんだから』
言い聞かせるように呟き、ツカサは体に力を入れて立ち上がった。
『時々、耐えられなくなるかもしんない。その時は眠らせて。俺は旅を続ける。ラングが俺に話すと言ったことを、聞きたい』
様々な思いを堪えるように叫ぶ。ラングはそれに軽く首を揺らした。
『わかった。冠雪を頂く景色が見られるところへ行ったら、話そう』
『絶対だよ』
『当然だ。約束は守るさ、冒険者は信頼が全てだ』
その言葉が嘘ではないことを既に知っているのに、ツカサは唇を噛んだ。
しばらくもだもだしたことが続いていますが、3-69からまた動きがあります。
のんびりお付き合いください。
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