3-63:イファへの国境
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ツカサはこっちの大陸で初めての国境に立っていた。港も言うなれば国境だが、地に足をつけ自分で辿り着くと違うものがある。
国境都市に到着したのは昼前、出発して移動をずっと駆け足で鍛錬込みだったことや、各街の滞在が一日だけと短かったこともありアルの予想通り普通よりも少しだけ早く着いた。馬や馬車を利用すればもっと速かっただろうが、ラングは断固として譲らなかった。
草原までどのくらい時間がかかるか予想でしかなく、ゆっくり見学するのは帰り道にしよう、という方針であったことも足が速かった理由だ。
帰りの時間も考えればイファで過ごせるのは一か月程度になるだろう。
スカイの国境は全て城郭で囲み守られている。国境都市は衛兵と傭兵と冒険者が多く、向こうの大陸ほど一般市民は少ないらしい。イファ草原への国境は一か所、そこから外に出れば一、二日ほどでイファの数少ない街が見えるという。
どことなく風も乾いてきている気がした。スカイの春を感じる風ではなく、再び肌寒さを感じる冷たい風だ。気づかない内に緩やかに標高を上がっていたらしい。途中、ラングが休憩を多く取っていたのは慣れるためだったのだろう。
「宿を取って準備をするぞ」
「あ、うん」
入門手続きを待っている間周囲をきょろきょろと見ていたツカサは慌てて後についていく。
スカイの建築様式もあるが、どこか違う都市。国境都市はどこも二か国が混ざっているのだと思うと面白く感じた。漆喰で塗られた家よりも石造りで固そうな家が多い。窓が小さく取られているのは寒さ対策だろう。春になったというのに厚手の服装が多いので、ここはまだ冷えるのだ。
一先ず宿を決めた。多少年代を感じる宿ではあるが石造りのそれは不思議な安堵感を覚えた。部屋は広く、固い床材にしっかりとした足のベッド、壁にはランプがいくつかとお堅い感じだ。風呂はスカイでは見慣れた魔石湯がついている。
暖炉には既に火が入っていて暖かく、ほっと息を吐いた。
「出るぞ」
部屋の確認が済めば準備の時間だ。昼食を取るついでに食料の買い出しや、この先のイファについての情報収集を行う。国境都市を歩けばスカイの他の街との違いも分かる。
スカイの馬は体が大きく足が太いが、こちらで見かける馬はそれに比べて足が細い。それでも弱そうに見えないのは不思議だった。
連れている人々も長衣を腰で結んでいたり、弓や湾刀を背負っていたりと見かけないスタイルだ。中にはスーが巻いていたようなバンダナをしている者もいる。鐙もなしに乗りこなす姿はかっこいい。
ツカサと似たような黒髪や茶髪、時折深緑の髪を見かけた。あちらもツカサに似たものを感じるのか視線が合うこともあった。
「遊牧民だ」
馬の尻を眺めていればラングが言う。ツカサはテレビや教科書で見たことがあるよ、と言いそうになって言葉を飲み込んだ。本物を見たのは初めてだからだ。実際、テレビなどで見たことのある遊牧民が被っていたのは帽子のようなものだったが、こちらでは布を巻いているだけに見える。刺繍などが端に施されているのはお洒落だ。
「奴らは季節に合わせて草原を移動し、生活を行なう。時折市場に立ち寄り、羊毛や馬の取引をするそうだ。私の故郷では、だが」
「市場が街?」
「私の故郷ではという前置きをもう一度するが、市場と街は別物だった。市場はどこで開かれるかわからん。だが、奴らはわかるらしい」
「この世界でも同じなのかな」
「調べろ」
顎で呼ばれ再び歩き出す。野菜の買い出しを行ない、次いで肉も買い込む。ここでは羊肉が多く、一部馬肉も置いてあった。ラングは羊肉をメインに仕入れ、馬肉は買わなかった。何故なのだろうと考えたが、ラングは馬を大事にする、食べるのは嫌なのだろうと理解した。
その他ラングが仕入れたのは薪や羊毛を利用したマントや敷布、掛け布などだった。
「それ必要?」
「いつものテントは使わん」
「え!? いや、この感じだとそれは寒いんじゃ」
「そうだ、だから用意する」
どういう方針なのだろう。ラングがツカサに見せようとしている景色に関係しているのか、突然あの快適なテントを使わないと言い出した。困惑しつつもそう言うからには頼れない、ツカサはラングの準備を真似しながら自分の分も準備を行なった。
昼食はネギや香草の入った山羊肉のスープと焼かれた羊肉。ダンジョンで広げたアズファルの羊肉と違い、どちらも独特の匂いが鼻を抜けていく。口直しが欲しいと思い別のメニューを頼もうと手を上げれば、ラングの手がそれを掴んで降ろした。
「わがままを言うな」
意図が察せられていたらしく別の食事は許されなかった。これもまた初めてのことだった。
固くて癖のある肉とスープを我慢して全て飲み干せば、不思議と体がぽかぽかしていた。熱くてマントの前を開けてしまう程だった。その熱を冷やすようにびゅうと風が抜けた。少しだけ青い草の匂いがした。
風上を見遣れば石造りの街、草原はここからではまだ見えない。けれど、すぐそこに行ったこともない場所が広がっていると思うと心が躍った。
「夕方には戻れ。今夜は早く休み、明日は日の出とともに出る。調べてこい」
ラングは足を止めたツカサに言い付けると市場へと進んでいく。周囲を見渡していたツカサは少し離れてからわかったと叫んだが、ラングのことだ、聞こえているだろう。
ツカサは近くのパン屋で口直しにパンを買い、軒先を借りて食べた。
パンはいつもの柔らかいものではなく、模様が付いている平たい形で少し硬かった。
「飲み物欲しくなるだろ、ほら」
「ありがとう」
パン屋の女将がミルクを差し出してくれて有難く飲む。予想していた匂いと違い、一瞬飲み込むことを躊躇してしまった。この香りは最近感じたことのあるものだ。
「山羊の乳さ」
「山羊の」
「そう、チーズにしたりそのまま飲んだり、紅茶に入れたり、大事な栄養源」
「なるほど」
そう聞けば無駄には出来ない。いつでもスーパーやコンビニで仕入れられるものではないのだ、残せば勿体ない。息を止めて喉を潤すことに集中した。はぁ、と息を吐けば独特の匂いがするので、宿に戻ったらハーブティーか仕入れた紅茶を飲もうと思った。反応が面白かったのか女将はカウンターに肘を突いてツカサに笑った。
「あんた、冒険者? イファに行くのかい?」
「あぁ、初めて行くんだ」
「へぇ、冒険者が珍しいねぇ」
ご馳走様、とコップを返せばおかわりはと尋ねられた。苦笑いで断れば向こうからは大きな笑い声が返って来た。
「大丈夫なのかい? イファじゃ飲み物と言えばこんな感じだよ。持っているところは牛乳もあることにはあるけどね」
「一生いるわけじゃないから」
「そうかい、ならいいけど」
「あ、そうだ、この都市って冒険者ギルドはどこだろう? 赤い屋根がなくて」
「イファは赤を忌避するからね。この通りを真っ直ぐ行って、広場についたら見渡してごらん。茶色のトンガリ屋根があるよ」
「ありがとう。あの、赤を忌避するって?」
「言葉のとおりさ、イファでは青と緑が愛される。赤は草原を燃やす色だと言われているのさ」
どきりとした。船にいた時の視界を埋め尽くす赤を思いだして、思わず己の手を見てしまった。魔力の調整が出来るようになって暫く、まだ時折ガスが溢れるがそれでも均等に納めることが出来るようになった。青い色も前よりも増え、どういう理屈で自分がこの世界の魔力に適応しているのかわからないでいる。イーグリスで軍師と会話する際、シェイに聞くのが早そうだ。
ふる、と小さく首を振って気を取り直した。
「でも、夕日とか赤いじゃん。朝日だってオレンジとかで、赤に近いよ」
「朝日は神聖なものさ、一日の始まりを告げる大事な神様だ。夕日は赤く染まり、狼を連れてきたり人を連れていく、だから忌避されるのさ」
「よくわからないな」
「土地の話さ」
「話し中、すまない、パンを買いたい」
「あら、いらっしゃい!」
話し込んでいたら客が来ていた。暫く向こうで会話が終わるのを見ていたのだろうが、長引く様子に声を掛けてきたようだ。瞳に少しだけ申し訳なさそうな色が混じっていた。
身長はアルと同じくらい、バンダナに仕舞われた髪もそこから覗く切れ長の目の瞳も黒く、夜を思わせる男だった。ラングの言う遊牧民の長衣で細かな刺繍が施してあり、背には大きな弓、腰に矢筒と湾刀。爪の手入れはされていて手には細かな傷が多い。
ツカサは強いのだろうな、と思った。
女将は親し気に笑い、パンを包み始めた。
「族長さん、久しぶりだね。国境都市に来るなんて珍しいじゃないか?」
「出稼ぎで」
「あぁ、なるほどねぇ! スカイに行っていた訳だね。去年は草の生え方が良くなかったらしいねぇ」
「あぁ」
「六日、七日くらいだろ? これで足りるかい?」
「問題ない、いつもありがとう」
丸型の平たいパンを八つ、がさがさと紙に包んで差し出せば男は金を支払って踵を返した。
その先で待っていた黒い鬣の馬はたくさんの荷物を積んでいる。吊り下げた鞄にパンを仕舞い、頭絡を掴んで歩き出す。男が乗ったところで馬は嫌がらないだろうが、お互いが無理をしないように気遣っている様子に見えた。それを見ていれば船旅も一緒に越えてきたルフレンに会いたくなった。
背が人ごみに紛れて見えなくなってからツカサは女将を振り返り、同じようにパンを買いながら尋ねた。
「あの人は?」
「ヴェン・アのヤン族長だよ。草の少ない年には自ら口減らしと出稼ぎに出てくる人なんだよ」
「そうなんだ」
族長自らが出てきていいのだろうかと思いもしたが、人様の一族に口を出すわけにもいかない。女将が知っているのだ、去年だけの話ではないのだろう。
「ありがとう、もう少し聞いていい?」
「なんだい?」
「イファでは街と市場って何が違うの?」
「あぁ、街は動かないんだよ。市場は動くのさ」
ラングの言っていたとおり四季折々の移動市場で開催場所は決まっていない。けれど、気候や季節で遊牧民たちは不思議と集う場所がわかり、そこで短い商売が行われるのだ。
面白い、立ち会えたら参加したい。
「ありがとう、ギルドも助かった」
「いいわよ、山羊の乳にも早いところ慣れなさいよ」
「頑張る」
笑い、ツカサは冒険者ギルドに足を向けた。
仕事が少し立て込み始めたので、三日に一話のペースに戻させていただきます。
お待ちいただいている方には申し訳ありませんが、のんびり旅路にお付き合いください。
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