3-50:終息
イーグリスは慌ただしく日々が過ぎていった。
統治者であるシグレはダンジョンから戻って、休みもなく政務と執務と軍の対応に追われていた。
その中で【異邦の旅人】はそこだけ時間が切り取られたのかのように穏やかな毎日を過ごさせてもらっていた。ラングの療養もあり、有難いことではあった。
ラングは本人が言っていたとおり安静にしていれば治りが早く、医者があり得ないと顔を引き攣らせる速度で回復した。ベッドにいたのはたった三日程度、以降はリハビリと称してツカサやアルを鍛錬に連れ出して体を動かしていた。
ツカサもアルも疲れて地面に寝転がるとラングは一人で型をやり直す。ナイフ、短剣、長剣、それから体術。目の前に相手を置いてのものだろう、ツカサも一人だった時によくやったものだ。
見学をさせてもらったが動きが速く追うのが大変だった。ラングは時折視線を上に向けるので、恐らく対象の身長は高いのだろう。
ラングが相手にするのは、一体誰なのだろうか。
――― ダンジョンの停止から十日、全てが終わったので共有がしたい、とシグレから呼び出しを受けた。
良く晴れた日だった。
気候も暖かくなり始め、春の風を感じるようになった。館内も窓が多く開かれ、暖かな風が寒気を吹いて連れ出してくれていた。
呼び出されたのは広い応接間だ。以前にツカサが報告を受けた部屋ではなく、もっと広く、人数が入れる場所だ。
大扉を従僕が恭しく開けば、中からふわりと風が吹いた。不思議と爽やかな森林のような香りが頬を打ち、何とはなしに手で光を遮るようにして目を細めた。
「やぁ、待っていたよ」
柔らかな光の中で金糸が揺れていた。その横に控えるのは銀糸、さらに一度見かけた面々が並んでいた。
「ヴァンさん!」
「少しぶりだね、ツカサ」
ぱっと駆け寄ろうとすればクルドとラダンがさっとそれを遮った。困惑しつつも足を止め、部屋を見渡す。
シグレ、カイラスは既にソファについていて、じっと机を睨みつけている。ヘクターはへらりと笑って頭を掻いて壁際に居て、また気配を消すように控えた。
ヴァンは窓際に立って悠々と微笑み、その隣のシェイは相変わらずローブのポケットに手を突っ込み眼を閉じている。アッシュはソファでいくつかの紙を閉じていたところだった。
「まずは座って」
ゆるりとした動作でヴァンが促し、ラングがまずは座った。それに従いツカサ、アル、エレナ、壁際にアーシェティアが続いた。モニカは本人の意思で同席しなかった。他国出身、来たばかりの場所で首を突っ込めることじゃないから、と苦笑いを浮かべていたのを思い出す。
【異邦の旅人】が着席するのを見届けてからクルド、ラダンは椅子の裏側に回り、シェイが座り、最後にヴァンが座った。
ゆっくりと膝に肘を置いてヴァンが微笑む。
ことりと置かれた小箱が開かれ、それを確認してから続けられた。
「さて、事後処理をしましょうか」
言い方にツカサはぐっと拳を握った。拳に視線を置いたままだがシグレが姿勢を正したのがわかる。
「まず、渡り人の街は掌握しました。元住民もこちらで確保していて、抵抗した者たちも魔封じやこれ以上争えないよう力を奪ってあるのでこのまま引き受けさせていただきます。逃亡した者は手の者に追わせているのでそれもお任せください」
「ではイーグリスでの受け入れ、対応は不要ということでしょうか?」
「そうです。長く膠着してしまった上にいろいろやっていたようですからね、王家とも確認済みです。イーグリスで生きる民を思えば、察せる心情もありますし」
「ご配慮に感謝致します」
イーグリスの長であるシグレが礼を尽くしてヴァンに接している。
ツカサは困惑と多少の予感を得ながら唇を噛み続けた。
「渡り人の街は調査が終わり次第、そちらへ引き渡しを行ないます。境界を壊しての統合や今後の運用に関してはシグレ殿の方でご対応ください」
「かしこまりました。渡り人の街の民は如何するおつもりでしょうか。当方としましては奴隷証などで懲役労働に科す所存でございました」
「罪の程度により、そうできる者たちもいるでしょう。ですが、極刑に処される者も現状では多い」
「どういうこと…!?」
思わず問えばヴァン以外のメンバーからサッと視線を浴びせられた。ゆったりとした瞬きでヴァンの視線が注がれてから言葉が続いた。
「僕たちにも真偽を見極める方法があり、余罪を明確にする術がある。その結果、商人に不利益を生じさせ、罪なき者を虐げ婦女を暴行し、あまつさえ殺害を行なった者たちがいる。被害は【渡り人】の中だけに留まらない、各地で挙がっていた報告や通報に照らし合わせている最中だ。君たちの中にも被害者がいるのではないかな」
ヴァンが労わるような視線を注げば、そちらで左目に包帯を巻いたエレナが少しだけ俯いていた。
ツカサはごくりと喉を鳴らして小さく首を振った。
「でもきょ、極刑なんて、シグレさんは一言も」
「当然だ、元はイーグリスの民だったのだから。統治者としては償わせてやりたかっただろうね」
言葉の意味を理解しかね、ツカサは少し乗り出していた体を戻した。シグレを見れば視線は合わせられなかった。
ツカサを置いてけぼりにして話は進んだ。
「王家からは介入が遅れたことの謝罪を預かっています。昨今の【渡り人】の出現数からして同様のことは起こり得る、今後はスカイ王国としても対応に当たります」
「謝罪を受け入れ、また、感謝申し上げる。一都市で引き受けるには少々手が足りていなかったので」
「こちらこそ、矢面で随分とご苦労お掛けしました。王家からの書状は既にお手元かと思いますが、イーグリスの在り方は変わらず、スカイ王国より特務人員として各町村都市に【渡り人対応要員】を設置いたします。【渡り人】が居た場合、そちらの方でまずは対応、今後の希望などを聞いていこうと思います」
「それは助かります。ただ、安全に、安定に暮らしたいという人がいれば是非イーグリスへ。ここは、この世界で生きる【渡り人】の街ですから」
「必ず」
お互いに頷き合い、固く握手が交わされた。それが離されてからラングが組んでいた腕を解いて身を乗り出した。
「いくつか尋問を行いたい」
突拍子もなく聞こえたそれに、ヴァンが目を瞬かせた。
「それは【渡り人】にかい?」
「そうだ」
「内容を聞いても?」
「何故、真理を知ったのかと問いたい」
ヴァンは質問の意図を探っているのか口元を手で覆いラングを見つめた。少し考える素振りを見せてから小さな呼吸を入れて手を離し答えた。
「すまないが検討する時間が欲しい、その理由がある」
「わかった」
ラングも一度引き下がった。
あの、と再び声を出したのはツカサだ。
「渡り人の街の人々は、その、極刑にならない人はどうなるんですか?」
「言う必要があるのか?」
すぱりと言ったのはシェイだ。ハミルテで魔力調整を教えてくれた時の優しさは微塵もない声に、喉が痛くなる。
アッシュがそれをまぁ、まぁ、と宥めた。
「ツカサは【渡り人】なんだろ? 同じ故郷の者がどうなるのか、気になって当然だ」
「一理ある。まぁでも非戦闘員に重い償いはさせないよ、それこそシグレ殿が仰ったように奴隷証を扱って従事させる職種をこちらで決めさせてもらったりかな。冒険者だった者たちも大きな罪が無ければ、戦闘行為を禁じるとかその程度。罪が無ければね」
爽やかな笑顔を浮かべながら言われて安心できる内容ではないが、少なくとも無暗に人命を奪う訳ではないと知って胸を押さえる。心臓がバクバク言ってうるさいのは止まらないが、少しだけ安堵した。実父はギルド職員だ、死にはしないはずだ。
ヴァンはシグレに改めて向き直った。
「渡り人の街の話の詳細や引継ぎは、また王家より使者を以て取り決めをさせていただければと思います。僕たちは先駆けであって、その役を担っていませんので」
「えぇ、承知しております。そちらもまたお待ち申し上げます」
「ご理解に感謝を。では、ここからは私用になります。場所だけお借りします」
「承知しました、私とカイラスは下がらせていただきます」
立ち上がり改めて握手を交わし、シグレはカイラスに頷いて扉へ向かっていく。一度だけ振り返り、アルへ心配そうな視線をやってから出ていった。ヘクターも小箱を回収して出ようとしたが、ヴァンが手で制したため箱をそのままにそそくさと逃げていった。小箱の蓋は開きっぱなしだ。
扉が閉まり、暫し無言。ゆっくりと動いたのはクルドとラダンの二人だ。
ツカサはその動きをぼんやりと眺めていたらちょいちょいとクルドに手で呼ばれた。首を傾げつつ素直に立ち上がれば膝の裏、腰、床に突こうとした手を棒で払われて顔から倒れ込み、その背にあっという間にラダンが乗った。
「ツカサ!?」
戦闘の気配もないのに突然抑え込まれたツカサにアルが立ち上がって駆け寄ろうとした。
「まぁまぁ」
そう言いながら短剣をアルの胸板に当てて後ろへ下がらせ、壁に背を付けさせたのはアッシュ。実家で気を抜いていたのが仇となり、武器のないアルは防具の隙間に差し込まれた短剣の切っ先がぐっと自らの肉に沈むのを感じて両手を上げる。
「ちょっと!」
「黙っていろ」
視線一つでエレナを障壁に囲い、椅子に座らせたままにしたのはシェイ。次いで戦斧を構えようとしたアーシェティアもパキンと高い音の後に障壁に捕らえられる。
「あぁ、やっぱり君が一番厄介だね」
ヴァンがのんびりと感想を零す先で、ラングがツカサの背に居るラダンへ思い切り肩を当てた。ラングの席のところでパキンと光が弾けたので、シェイがそちらへ障壁を展開する前に動いたのだろう。
床をごろごろ転がり衝撃を逃がして受身を取り、素早く起き上がったラダンは棒を構え直してラングへ向かった。
ラングはツカサの首根っこを引っ張って起こしながら目の前のクルドが剣を振り下ろすのをマントで受け流した。膝の内側、胴を蹴り飛ばしてクルドと距離を取り、ツカサを扉の方へ突き飛ばしながらラダンの杖術を両手首で受け止めてぐるりと回し顎を狙う。ラダンもそれを避けるが冷や冷やしたらしく距離を取る。
じりっと互いが間合いを測り合い、アルとエレナの状況を窺いながらラングはヴァンへシールドを向けた。
「何の真似だ」
「それは僕たちの台詞なんだよ、ラング」
「どういうことだ」
「ツカサ、正直に答えてほしい」
ヴァンは透明な水色の目をツカサに置いて尋ねた。
「ヴァンドラーテに何を連れ込んだ?」




