3-49:渡り人の街の結末
「さて、どうする?」
ガタイの良い男が振り返りながら問うた。問われた男は質問にそうだね、と逡巡し、風に力を借りて声を広げた。
「渡り人の街に告ぐ、これ以上の抵抗はこちらも容赦はしない。今すぐ武器を捨て投降するならばよし、戦闘を続けるならば死を覚悟せよ!」
その宣告に合わせて男に従う者たちが雄叫びを上げる。
気迫に押され武器を捨て膝を突き、頭の後ろで腕を組む者や、土下座のような格好で命乞いをする者、手を組み合わせて祈るような言葉を発する者、そして逃げ出す者など様々だ。
彼らがこうして従うのは既に本気を見せているからだ。ちらりと地面に倒れ伏した一つの遺体を見遣り、瞬きと共に視線を戻す。
未だ武器を構え魔力を練り上げている者たちを真っ直ぐに捉え、男は軽く手を振って指示を出した。
「警告はした。これより殲滅を行なう」
厳かな声は容赦なく渡り人の街を刈り取る命令を下した。
――― 目を覚ましたら少しだけ見慣れた天井が見えた。
ふかふかの布団、装備は外されて簡易寝間着に、気になる体の汚れも拭われたのか落とされていた。
ぐっと体を起こせば布団の上に重みを感じて首を巡らせればモニカが寝息を零していた。その髪に触れて本物であることを確認すると、帰ってきたのだという実感がじわりと胸に広がった。
いろいろあったが、全員が生きている。
それを噛み締めて髪を揉んでいるとモニカが呻いて目を覚ました。
「ツカサ!」
「おはようモニカ、ただいま」
「おかえりなさい!」
ぶわっと涙を浮かべて跳び付いてきた体を強く抱き締める。温かで柔らかいモニカの感触が全身に安堵を伝えていくのがわかる。ついでに、下半身が気になった。我ながら珍しい現象だとか、こんな時に、とか恥ずかしい気持ちが浮かぶが、本能がそのままモニカをひっくり返していた。
布団の上に広がるモニカの栗色の髪、涙を浮かべたままきょとんと見上げてくる表情の警戒心のなさが愛しくて、触れるだけの口づけをした。
びくりと震えた体が少しずつ緊張を解いてそっと背中に回されることが嬉しい。
ファーストキスと言っていいツカサにそれ以上の余裕はなく、映画で見たように唇を食んで、それから。
「んんっ! あーごほん!」
わざとらしい咳払いにツカサもモニカもハッと扉を見遣る。
気まずそうに視線を逸らして何度も咳払いを続けるアルと、興味深く眺めてくるアーシェティアと、生暖かい眼差しのエレナがそこに立っていた。
「あー、ノックはしたんだけどな、悪い」
アルの申し訳なさそうな声に下半身は礼儀を思い出し、顔は真っ赤になって、ツカサはモニカが叫ぶより先に情けない悲鳴を上げた。
モニカは次いで真っ赤になって逃げていき、その後をアーシェティアが追った。
ツカサは羞恥心で顔を上げられずソファで項垂れていた。アルとエレナと三人、通夜のような沈黙が降りていた。それを破ったのはエレナだ。
「男の子だものねぇ」
「やめてあげて」
アルがすぐさま声を入れて、また咳払いをする。
「よく眠れた?」
「うん、そうだね」
「あー、寝てたのは六時間くらいだったぞ、ほら、な、外暗い!」
「そっか」
「出直そうか?」
「いや、いい、大丈夫」
両手で顔を覆い、ツカサは深呼吸を何回かしてからそれを外した。顔を上げたがエレナの方が見られない。
「二人してどうしたの?」
「帰還したツカサの顔を見に来たのよ、私も体が馴染んできて歩けるようになったから」
「ありがと、エレナもよかった。何もなかった?」
窺うように視線を向ければ、優しい右目が頷きに合わせて瞬く。
「えぇ、大丈夫。だけれど、状況が大きく変わったのよ」
「どういうこと?」
「ラングも含めてそれを話したくてさ、ツカサが起きてたら連れていこうと思って俺は来た」
「あぁ、なるほど、わかった、行くよ。ラングは起きてるの?」
「起きてる。本人は心底嫌がってたけど医者にも診せた。やっぱり解毒の後遺症みたいだな、しばらく安静にすれば良いみたいだ」
「よかった。もっと早く俺が解毒魔法使えればよかったんだけど」
「土壇場でコツを掴んだのでしょう? 上々よ。あれは結構難しい魔法なの」
「そうそう、それに医者も癒し手がよくやった、って言ってたぞ」
「ありがとう」
二人からのフォローを受けて立ちあがる。それでも魔法を勉強しなくてはならないことに変わりはない。
廊下を歩きながらアルは腹減ってないか、痛いところはないかと尋ねてきた。それに大丈夫、ただ少し喉が渇いたと答えれば、ラングの部屋で果実水をもらおうと笑顔を返された。
少しの間三人とも無言で歩き続け、ツカサはエレナにそっと腕を差し出した。エレナは微笑んでそれを受けてツカサの腕に手を添えて支えにさせてもらった。
ラングの部屋の前には壮年の騎士が居てこちらを視認するとザッと礼を取られた。胸の前にガシャリと拳を置くのはかっこいい。
「アル様、お待ちしておりました」
「待たせたなフォルテ、ラングは?」
「起きているので入ってくるように、と」
「わかった、ありがとな」
騎士は甥っ子を見るような慈愛の眼でアルを見ると、綺麗な礼をして扉を開いた。
「来たか、座れ」
ラングはいつものフードとシールドの軽装、宿で休む時の恰好でソファに居た。腰の後ろに短剣があるのもいつもの通りだ。その姿に安堵感が浮かぶ。
コの字型のソファ配置、上座にはラング、その右手にアルが座り対面にツカサ、隣にエレナが腰かける。座るまでエスコートはきちんと済ませた。
「横になりながらでいいんだぞ?」
「話しにくい」
「まぁラングが辛くないならいいか」
テーブルの上にあった果実水を人数分注いで配り、アルも喉を潤す。ツカサも寝起きなので軽く一杯を飲み干し、おかわりは自分で注ぎながら切り出した。
「ラングの状態は? どうなの?」
「心配はいらん、言ったとおりいつものことだ」
「そのいつものがわからないから聞いてるんだって、ちゃんと答えてやれよ」
アルが置いてある茶菓子を摘まみながら言い、ツカサはそうだと言いたげに頷く。ラングはエレナの呆れたような視線に対して肩を竦めた。
「いくつか解毒できずに時間がかかっていた種類があったようだ。解毒は済んでも、未だ体がそれに慣れようとし続けている状態だ」
「それがいつもの?」
「そうだ。だが、お前が解毒魔法を使ってくれたおかげで時間がかからず復調できそうだ。興味深い解毒薬も習えた」
ほっと息を吐いた。転んでもただでは起きないのがラングらしい。
人前でラングが膝を突くという姿があまりに衝撃的で心配をした。自分の中の最強像がブレてしまいそうで、その程度で揺らぐ信頼だったのかと自分自身への嫌悪もあった。
ラングは常にツカサにとっての最善な最強であってくれた。
人生経験【一】のツカサのために、言葉には出さずとも行動で示してきた人だからこそ、ツカサはその行動に信頼を返すべきだった。一瞬でもそれを疑ったことが申し訳ないと思うと同時、ラングも人なのだとようやくわかった気がした。
できないことは多いが、それでも自分にできることもあるのだ。
「よかった、俺、頑張るよ」
全員がそれに頷きを返してくれるこの環境が、本当に恵まれていると思った。
「さて、じゃあ、本題。ラングも本調子じゃないしな」
ぱん、と手を叩いてアルが促す。そうね、と柔らかい相槌をくれるのはいつもエレナだ。
「軍が来た話は聞いているか」
「馬車の中で、アルからちらっと、詳細はわからない」
ふむ、とラングは顎を撫でてから顔を上げた。
「結論、我々が寝ている間に渡り人の街の制圧は終わっている」
「え!?」
ラングはカイラスから受けた報告書を開いた。口頭ではなく書面で出してくるあたり、カイラスはわかっている。言葉で伝え聞くことは情報の齟齬に繋がるものだ。
テーブルの上に置かれた報告書をツカサとアルで押さえた。
時系列ごとに書かれていた報告書はとても見やすいが、書かれていることは生々しい現実だった。
軍が到着したのが早朝、イーグリスには入らず、周囲にテントを設営、拠点を築き上げた。
それを見て渡り人の街は二つの派閥に分かれたという。
一つは穏健派、武器を捨て、次こそ対話を行なう派閥。
もう一つは過激派、宣戦布告として全面戦争を行なう派閥。
派閥名称は報告書内でわかりやすくするため、取り急ぎ付けたと補足があった。
どちらも相容れず、昼頃、穏健派がイーグリスの門を叩き、投降するので身柄を保護してほしいと膝を突いた。その多くは女や戦闘スキルを持たない者だったが、中には状況に疲弊して終わりにしたい冒険者もいたようだ。外で狩りを担っていた冒険者の多くがそうだというから驚いた。
魔獣とは戦えても、人とは戦えないと考えたのだろう。イーグリスに集まった相手を見てようやく状況が見えたのかもしれない。
渡り人の街の住民は凡そ七百人、投降したのはその内半数もいたそうだ。
人数の多さにイーグリスの牢に繋ぐわけにもいかず、そこは軍が胸を叩いて引き受けてくれたという。
では過激派はと報告書をさらに読み進めていく。
過激派は逆に今まで食料など我慢を強いられてきた者が多く、今更引き下がれないと考えたのだろう。こちらは投降する者たちを罵りながら渡り人の街に籠城をした。
投降した者たちの対応をしている間に黄壁のダンジョンへ赴いていた冒険者が戻り、一部戦力が渡り人の街を出た。
これがジェームズ率いるあの一団なのだろう。
軍は渡り人の街へ監視を置いて外へ出た者たちを警戒した。
そこへラングとツカサが冒険者四名を連れて戻ったということだ。
ツカサたちはそのまま統治者邸に引き上げたのでその後を知らないが、渡り人の街の冒険者が一人そのまま隊列に突っ込んだらしい。それを攻撃として返り討ちにし、軍は投降を呼びかけた。
説得の甲斐なく十人程度が引き続き戦闘態勢だったので、処断した、と記載されていた。
その後、夕方、改めて渡り人の街に投降を呼びかけたが彼らから返ってきたのは抵抗、そうなれば軍も力で対処せざるを得ない。
街中の戦闘も、魔法も、人を相手取るといったことも慣れている軍人だからこそ、容赦なく対応したらしい。
現在は残党の確保と余罪の追及を行なっているそうだ。
あぁ、終わったのだな、とツカサは紙から手を退かした。
もう自分が口を出せることも、手を貸せることもないのだと思えば、勝手に背負っていた荷物が肩から降りる気持ちだった。
もはやできることは何もない。自分が部外者の位置に置かれていることの実感がじわりと広がり、言いようのない喪失感に音もなく息を吐いた。巻き込まれなくてよかったという思いと、本当にこれでいいのかという自問自答が繰り返され、気づけばラングを見ていた。
諦めも肝心だ、と言った言葉が今になって染み渡る。
視線を受けてラングはゆっくりとソファに深く寄り掛かり、言った。
「終わったな」
改めて誰かの口から明確に言葉にされると安心する。
「うん、終わった」
同じようにソファに深く座り直し、ツカサは言葉を繰り返した。
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