3-44:ボス部屋の前で
ボス部屋を出て長くて短い階段を下りた。
魔獣避けのランタンは最大で点けたまま、先頭をラング、続いてアル、ツカサ、シグレ、アーシェティアで足を進めた。
魔獣に阻まれることなく五十階層に足をつけ、さっと全員が周囲を警戒する。
「おかしい」
呟いたのはシグレだ。
全員がその言葉に頷く。魔獣の少ない階層の後は魔獣が多い。そのセオリーから外れているこの状況はいつもとは違う。こういう時が一番危ないのだ。
「ボス部屋まで一気に行く」
「了解」
ラングは軽いジョギングのような速さで走り出した。長距離を走り続ける方針だ。
二時間も走った頃、ツカサは地図をかさりと取り出して位置を見る。ボス部屋まではもう少しか。ここまで魔獣とは遭遇していない。
「止まれ」
ラングがゆっくりと足を止め、腕で制した。
その隙に深呼吸をして息を整える。ちらりと視線を感じたのでヒールをばら撒いた。ラングは腕を組んで思案の様子だ。
「どうしたの?」
「気配がする」
「なんの?」
「魔獣と…人だ」
アルと顔を見合わせる。懸念していたとおり渡り人の街の者たちだろうか。直接五十階層へ降りてきたか、ずっといたかは定かではない。
ただ、自分たち以外がこの状況下で居るということが結果だった。ラングの気配を察知する能力を誰も疑わず、警戒を続けたまま相談を行う。
「どのあたりだ?」
「この先、道を曲がってしばらく距離がある。余程耳が良くなければ我々の足音も聞こえていないはずだが」
「魔獣もいるとしたら、ゆっくり会話もしていられないだろうな」
「さて、どうする?」
アルは槍を腕に抱いて首を傾げた。やるならやるぞ、という姿勢の表れだ。
俺も、とツカサが自身を奮い立たせるように声を上げようとすれば、ラングは唇に指を置いてしーっと息を吐いた。声を落とせということだ。
「戦闘が激化した気配がする」
「だな」
言われじっと耳を澄ませた。微かに空気を揺らすような音がした気がした。それだけの微かな振動で通路の先の出来事を推察するのだからすごい。ツカサはごくりと喉を鳴らした。
「それで、どうする?」
改めてアルが尋ね、ラングは通路の先に視線を置いたままふむ、と双剣の柄頭を撫でた。
じっと様子を窺っているのがわかる。こういう時、ツカサは全ての方針を決めるリーダーの立場が重く感じる。ラングは経験則で最善の道を選んでくれるが、その選択に命が乗っていることをよく理解している。
常に全て、完璧に、正しい道は選べない。
だからこそ最善を探す能力がリーダーには求められる。
「背後に魔獣の気配は感じない、歩く速さで先に進む。ツカサは盾を使いながら私の横に」
「わかった」
何故なのかは相変わらず言わない。けれど、ツカサは戦闘の余波を懸念しているのだろうと思った。
自分が魔法を使うからわかる、炎にしても氷にしても、風にしても、被害は大きくなりやすいものだ。
ラングとツカサの盾魔法を前に通路を進む。予想通り、徐々に戦闘音が大きくなって来た。
あの曲がり角を曲がれば答えがわかる。それを待ち遠しい気持ちと恐怖が胃の腑をぎゅっと締め付けた。
曲がり角まであと五メートルというところでラングがツカサの前に手を出して足を止めさせた。次の瞬間壁に向かって魔獣が飛んできて肉塊になった。頭蓋から壁にぶつかって中身が飛び散り、展開していた盾魔法に血しぶきが飛ぶ。ぐずりと灰になる前に脳漿が見え、ぐっと胃酸が訴えを起こす。ごっくんと音を立てて飲み込んだのは上出来だった。
「魔獣が魔獣を、ということも考えられるわけだけど」
背中から槍を降ろして手に馴染ませながらアルが言う。
「いや、人の手が入っている。鋭利な武器の傷があった」
「よく見えたねそんなの」
顎を軽く上げている。シールドの中で眉を顰めているのだろう。驚いているよりも見るべきものを見ろと言われたようだ。言葉で言われるより、態度で言われる方がキツイ。
ツカサは気を取り直して盾魔法の血も灰になったところで咳ばらいをした。曲がり角の向こう側では戦闘音が続いている。
地図上、曲がった後もボス部屋までは距離がある。すぐそこで戦っているわけではなさそうだが、魔獣の体が飛んできたのを見るに、かなり威力のある何かを使ったらしい。
「アル、声を貸せ」
「了解」
ラングとツカサの間に立って、すぅ、と息を吸った。
「おい! 誰かいるか! 無事か!」
横で大声を出されて耳がぐわんとした。ラングはしれっとアル側の耳を押さえていた。
「助けてくれ!」
悲鳴に近い声が微かに聞こえ、全員で頷き合う。
「シグレ」
ラングが空間収納からマントを取り出した。視界を狭めてしまうが顔は隠れる、フード付きの物だ。すまん、と短く礼を言ってシグレはそれを目深く被った。
「行くぞ、一先ずは殲滅する。湧いて止まらないようであればボス部屋前に陣取り、ツカサが壁を作れ。そこで一度会話を試みる」
「わかった」
すぅはぁすぅはぁ、呼吸を入れるラングを真似て酸素を入れる。曲がり角に向かって先陣を切ったのはラングだ。
その後に続いてアルが飛び出し、ツカサは三番手。シグレは背後の哨戒を行いアーシェティアが四番手に出る。
ボス部屋前の通路は今まで以上に広かった。そこを埋め尽くすように大小問わず魔獣が詰めかけていた。
大型は外で見かけた獅子型の魔獣以上に大きく獰猛だ。小型は様々な動物の角ありだったり、鱗が生えたものだったり、種類が多すぎて見きれない。
助けを求めた人々はボス部屋前に陣取って魔法を駆使して生き残っていたようだ。ツカサが上層でやって見せたように氷や土で壁を作り、壊されたそばから創りなおし、でどうにか耐えている。
ラングは魔獣の急所を的確に狙い、アルは雄たけびを上げて魔獣の気をいくらか引いた。
これだけ通路が広ければアルの槍も、アーシェティアの戦斧も遠慮はいらない。
ツカサはこちらを見ていない魔獣の横から頭を砕くようにして氷魔法を放った。
シグレは炎の剣を初めて使うとは思えないほどに使いこなし、魔獣の首があちらこちら斬り飛ばされて灰塵と帰していく。
時間にして十五分程度、ボス部屋前を陣取った人々のところに辿り着いた。
「壁だ!」
「任せて!」
ツカサは氷魔法で分厚い壁を創り出し、その向こう側に氷の棘を押し出すようにして魔獣を押し退けていく。ツカサ側からは見えないが、ボス部屋前の通路くらいならこれで埋められただろう。
「何故ここにいる」
ラングは時間も惜しいと言いたげに振り返った。傷だらけの姿で五人の冒険者がそこにいて、一人は重傷を負っているようで床に寝転び息も絶え絶えだ。手当てをしようと体を乗り出せばシグレに腕を掴まれた。
死んでしまいそうな人を前に、会話を優先されたのだとわかった。ツカサはショックで文句を言おうとしたが、その前に別の者が声を上げた。
「お前たちこそ、東の奴らだろ」
息を切らせながらも悪態は忘れなかった。渡り人の街の冒険者がラングを睨んで吐き捨てた。アルはカチンと来て前に出た。
「助けてもらっておいてなんだよその態度」
「俺は頼んでない」
「待て、待て! 俺が叫んだんだ、ありがとう、助かった」
剣士らしい男が嚙みついてきてアルも一歩前に出たところでローブ姿の男が間に入った。ぜぃぜぃと今にも倒れそうではあるが、胸に手を当てて礼を尽くすだけの真摯さはあった。そうされればアルも下がる。
「もう一度だけ聞こう、何故ここにいる」
「言う必要は」
「黙っててくれよ! 助けられたのは事実だろ! すまない、俺たちはスタンピードをどうにかしようと潜ったんだ」
「いつからだ」
「二週間前くらいだったと思う、必死で覚えてないんだ…」
ラングはふむ、と顎を撫でて質問を重ねた。
「どうするつもりだったんだ」
「最下層のボス部屋を攻略すれば止まるんじゃないかって」
「そもそもお前らがダンジョンブレイクさせるから悪いんだろ!」
先ほどの剣士が魔導士の制止を振り切って唾を吐く。
「認識の相違だ、そっちだって紫壁のダンジョンを迷宮崩壊させただろ」
「だからってやり返すバカがいるか!」
「先に手を出しておいてなんでやられないと思うんだ、まず最初にやったことを反省しろ!」
「黙れ」
ラングがぐぁっと威圧を発し、どちらも口を噤む。
「私たちも同じ目的でここに来ている」
「ダンジョンブレイクを止めに?」
「そうだ」
魔導士と、後ろにいた斥候の男も息を吐く。剣士だけは今もアルと睨みあっている。
「体力、装備共に我々が迷宮崩壊の停止にボス部屋に入るべきだろう」
「ふざけんな、何をするかわかったもんじゃねぇ!」
「現実を見ろ、我々は見ての通り無傷、体力もある。今ここで言い争っているだけ無駄だ、ボス部屋を譲れ」
「いいや、入るなら俺たちもだ! 信用できねぇ!」
「断る。離脱石を恵んでやるから外に出ろ」
一触即発の空気にツカサが割り込んだ。
「詳しいことは言えないけど、俺たちは迷宮崩壊の止め方を聞いて来たんだ。信頼してというのは難しいかもしれないけど、目的が同じなら今は納めてほしい」
「ならその方法を教えろ」
「それは、俺たちの信用問題に関わるから、できない」
「ッハ! そらみろ、何も話せない奴らをどう信じろっていうんだ! これ以上おかしくされて堪るか!」
「もうやめろよ! そんなことやり合ってる場合じゃないんだよ! 俺たちだってもう、藁にも縋る思いじゃないか! 癒しの泉エリアが機能しなくて水だって魔法頼みで」
「ゴフッ」
重傷で床に倒れていた男が血を噴いた。ひゅー、はっ、と息をし辛そうにしていて、そっと横に座り込んだ。肩をラングに掴まれヒールは使うなと示唆をされる。ツカサはそれを振り払って男を撫でてバレないようにヒールを使った。ラングは魔導士の男に視線を戻した。
「癒し手はどうした」
「四十九階層のボス部屋で、死んだ」
あの遺体のどちらかは癒し手だったという訳だ。
「冒険者証を」
「はい」
ポーチから出すようにしてラングに渡し、それが魔導士の男に渡る。
「そうだ、これだ、ファルコンとイーグルの…どうやって?」
「こちらの台詞だ、お前たちは何階層から来たんだ。よもや四十九階層のボス部屋にあった遺体がお仲間とはな」
不機嫌そうな剣士は置いておいて、魔導士と盾役らしい男が顔を見合わせる。
「四十五階層までは攻略してあったから、俺たちに白羽の矢が当たったんだ。四十九階層のボス部屋で、聞いてたのと違うのが出て、もうだめかと思ったんだが」
「ダメもとで押したらドアが開いたんだ」
盾役が続けた。
「五十階層への扉が開いたから、二人を置いて、先へ」
「どうにか助けて来るべきだったんだ、そうしたらカイトは」
「死んだものは仕方ねぇだろ! それよりもこいつらだ!」
剣士だけは変わらず敵意を向けてくる。ラングは面倒そうに息を吐いた。
瞬間、剣士が吹き飛んだ。
「え」
ぽかんと声を上げたのはツカサもだった。
壁にぶち当たりどさりと膝を突き、胸を打たれたのか呼吸困難に陥って唾液が飲み込めないでいた。あれは打ち所が悪いと死ぬ技だ、容赦がない。魔導士も斥候も盾役も慌てて剣士に駆け寄った。
「言い争っている暇はない」
「なにを、何を言って、何をして!」
「離脱石を使え」
「お前!」
「何度も言わせるな、我々は迷宮崩壊を止めに来た、それだけは真実だ。それに、聞こえないか?」
ラングはコンと氷の壁を叩いた。
「向こう側から魔獣が来ている」
耳を澄ませてみれば、ガリガリ、バキバキと氷を砕く音がする。斥候は慌てて帰還石らしいものを取り出した。帰る手段を持っていることには安心した。
「行け、命あっての物種だろう」
ゲホゲホと咽る剣士と、ヒールで少しは良くなったとはいえ真っ青な顔をした男に手を置いて斥候は不安そうにイーグリス勢を見渡した。
ツカサは唇をぎゅっと閉じて重傷の男にヒールを使った。男の息が徐々に穏やかになっていくと、驚きと困惑を含んだ三人の視線がツカサに注がれた。
「これで大丈夫だと思う。…少しだけ、いろいろ、収めてほしい」
彼らはお礼を言おうにも様々な感情がそれを素直にさせなかった。帰還石を使い、彼らはいつもの呪文を唱えて姿を消した。
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