3-37:思うこと
シグレの言葉は、ツカサの動きを止めた。
もちろん、今まで何もしなかったわけではない。それどころか毎日鍛練を怠らず、今も毎朝の鍛錬と寝る前の魔力の循環を行っている。
とはいえ、自分がやっているつもりになっているだけで、それが足りないと判断され、取り上げられては困る。
「それ、どの程度のものなんだろう?」
「少なくとも一定期間鍛練をして身に付いていれば大丈夫なようだ。私が見た限りツカサは問題なく自身の実力として残るだろうし、鍛錬を続ければさらに伸びるだろう」
「ならいいけど、うん、引き続き頑張るよ」
「そうしたまえ」
「いろんな技術とかを覚えやすいのも、じゃあその償いなんだね」
「あぁ、そうだ。けれどそこから鍛練を続け自分の物とするのは本人の努力次第だ。重ねて言うが、ツカサは問題ないだろう」
きっと何人もの【渡り人】を見てきているだろうシグレが、不安をわかっていて払拭するように言葉を繰り返してくれる。信じればいい、そして続ければ良い。今ここで本当かどうかを確かめることはできない。
あと数か月でここに来て三年が経つ。その時、自分がやってきたことがわかるのだ。
「ありがとう」
ぎゅっと握り締めた拳は隠せなかったが、それでもシグレは頷いてくれた。アルはツカサの髪をぐしゃぐしゃにして笑った。髪があちこち向いてぼさぼさになるのは困りものだが、アルのこうした励ました方は嫌いではない。
こほんとわざとらしく咳ばらいをした後、ツカサは疑問を呈した。
「そもそも、理の神様の償いってどうしてあるんだろう?」
ふむ、とシグレは口元に手を添え、少しだけ悩んだ様子を見せた。その背を押したのはラングだ。
「話せ」
ふぅ、と息を吐いてシグレは腿に肘を突いた。
「貴殿がそう言うのなら。ツカサ、理の神様の償いとは、イーグリステリアが消滅したことに起因しているのだ」
「消滅?」
きょとんとしたツカサに、シグレはラングに話したことを繰り返した。
その声を遠くに聞きながら、ツカサはぼんやりと考えていた。
変換を使って貨幣を日本円に替えられなかった時点で、嫌な予感はしていた。
戻れないから替えられないのかと思うようにしていたが、戻る場所がないから替えられないのだと知りたくはなかった。
セルクスははっきりと言わなかった。ツカサもラングも戻れない、無理だ、と。ツカサは無理でもラングは戻れる、だからこそ探せば方法はあるとも言った。
遠回しな言い方はセルクスの言う理にぎりぎり抵触しないやり方だったのだろう。
知りたくもない事実ばかりがわかっていく。
シグレの声が心配そうな音に変わったことだけはわかった。
そうっと視線を上げればいつの間にか全員が黙り込んでツカサを見守っていた。
「そうなんだ」
何に対しての返答か、誰もわからなかった。
特に意味のない反応だということはわかり、シグレはアルと顔を見合わせていた。
「どうして、消滅なんて?」
「すまない、そこまでは知らないのだ。王家に聞けばわかるだろう」
「王家に聞けるの?」
「聞けるよ、ラングなら」
アルの言葉に視線がそちらへ集まる。
「ヘクターがいるだろう」
「うん、え、あの人王族?」
「違う。雇い主がスカイの王太子でな、紫壁のダンジョンの停止の件で貸しがある」
「またいつの間にそんなコネを」
じと目で見てしまったがラングは気にした風もなくホットワインを飲んでいた。感想は気になる。
「気になることは多いが、まずは一つ一つ潰していけば良い」
「黄壁のダンジョンの停止、イーグリスと渡り人の街との決着、それから王家に聞くこと?」
「そうだ。私たちが戻る頃には軍が来るそうだ」
「その予定だ」
ラングの言葉にシグレが首肯し、アーシェティアがコップを差し出してホットワインのおかわりを強請りながら問うた。
「渡り人の街の人々をどうするつもりだ?」
方針についてはツカサも気になった。次はシグレに視線が集まる。
「殺したりなどはしない。私にも【渡り人】の血は入っているし、何より彼らはまだ殺人はしていない」
「でも仲良くはできない、だろ?」
「現状ではな。なのである程度の行動を封じ、普通に暮らしてもらう予定だ」
ツカサは首を傾げた。
「奴隷証という契約を結んで、反乱をしないように、攻撃をしないように、そういったことを封じることが出来る」
「奴隷!?」
「心配することはない、無茶なことは指示しない。ただこれ以上の抵抗はしないでもらいたいだけだ」
「スカイでは犯罪者を懲役労働者として扱うことがあるそうだ。その中でも軽い契約になるだろう」
「でも自由を奪うんだろ?」
「言ってわかる相手ならば、こうも事態は拗れていない」
ラングがピシャリと事実を突きつけ、ツカサはぐぅと喉が鳴った。
奴隷という歴史と文化がイーグリステリアにもかつてあったことは知っている。けれど、そのどれもが人道的ではないとして革命家や活動家によって撤廃されてきたのも、授業で学んだ。
ここではそれが普通にあり、かつ、シグレやアル、ラングすらも肯定的であるとわかり、居心地が悪い。
ラングはことりとコップを置き、その音で視線を集めた。
「ツカサ、お前が納得できようとできまいと、方針は決まっている。それが【渡り人】を守るためなのだということはよく覚えておけ」
「守るため、何から?」
「二百年前の出来事からだ」
アルから聞いた話を思い出した。【渡り人】がしたことでスカイが反撃をした歴史、その際、精霊の力も借りて一人残らず殲滅されている。
そうした事態を起こす前に封じたい、それが命を守ることになると彼らは信じているのだ。ツカサにはなかなか受け入れられない方針だ。
思えば、合流してからこういったことは多い。
ツカサの理解や納得は置いておいて、既に決まった方針を伝えられる。それに対して忌避感情を伝えれば、そうではない、これが最善なのだと自分以外は受け入れている。
自身の世間知らずさのせいか、それとも単純に思想の違いなのか。
ラングにしてみれば当然の相違だが、ツカサはなかなか気づけなかった。
ツカサは唇を一文字に結び、納得のいかない表情を浮かべた。言葉にして不平不満を言わないだけましではあるが、遺恨が残っては困る。
「ツカサ」
ラングに名を呼ばれそちらを向く。
ツカサの視線を受けて少しだけ間を置いて、静かな声が諭した。
「イーグリステリアの消滅に伴い、多くの命が失われるはずだったそうだ。それがこうして受け入れてもらえた」
「あんまり実感ないけど」
「だろうな。いいか、よく覚えておけツカサ。ここで生きるのだと覚悟を決められない者たちは、何年ここで生きようともこの世界では異物だ」
厳しい言葉だった。異物と言われるとは思わずショックが顔に表れる。
「受け入れる側の厚意に甘え続けるからこそ、こうなる」
「ラングは、ラングの世界が消滅なんて言われてないからそんなことを」
「私は私自身が受け入れられた側だ」
言葉を封じるためではなく、落ち着かせるためにラングはツカサの肩を掴んだ。
「私は過去を捨て、改めて生きることを決めた。自身が異物だったことも、その後馴染んだことも経験がある」
「だから俺にも同じようにしろって?」
「一度として私がそれをお前に強要したことがあったか?」
「ない、じゃあ、何を言いたいんだよ!」
「自身の生き方を変えるのは、難しいということだ。いずれお前が自分自身で落としどころを見つけるしかない」
ラングの言いたいことがわからず困惑が続く。
ツカサの肩から手を離し、ラングは元の体勢に戻った。それ以上声を掛けることもなくホットワインを口に含む。
「厳しいものだ」
呟いたのはシグレだ。コップに視線を落としたまま、口元には笑みを浮かべている。
怪訝そうなツカサの視線に気づいてコップを杯のように掲げてみせた。シグレも言葉を重ねることはなく、ホットワインを飲み切ると桶に汲んであった水で洗い、布の上に置いた。自然乾燥させるためだ。
「御馳走様、私は先に休ませてもらおう。不寝番のタイミングが来たら起こしてくれ」
言い、厚手の布を鞄からずるりと取り出して横になり眼を瞑る。アーシェティアも斧を腕に抱いて壁に寄り掛かり眠る体勢だ。
「ツカサ、先にラングと不寝番頼んだ。ホットワイン美味かったよ」
「あ、うん」
アルはアルで槍を置いて壁に寄り掛かり、マントを羽織って眼を瞑った。
ぱちぱちと音を立てるクズ魔石と薪の音にしばらく耳を澄ませ、ツカサはふと尋ねた。
「ホットワイン、どうだった?」
ちゃぷりとコップを洗いながらラングは答えた。
「まぁまぁだ。柑橘類は長く入れると苦くなる。煮込むならベリーが良い」
ツカサはむぅと唇を尖らせた。
「俺は好きなのに」
「私は苦みが苦手だ」
「へぇ、初めて知った」
「最近、辛味も苦手だと知った」
「ふぅん」
ツカサはにやりと口角を上げた。
「ラング、もしかして味覚けっこう子供?」
ツカサの顔の横を通り過ぎたナイフが、シュカ、と壁に刺さる音がして喉が鳴った。
「あぁ、すまん、手が滑った」
戻れ、とラングが言えばナイフが戻る。
「ごめんなさい」
大人しく不寝番をすることにした。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やいいねをいただけると励みになります。




