3-30:あの時の出来事
お待たせしました。
渡り人の街のことは、わからないが、わかった。
ツカサは一度大きく息を吸って、深く息を吐いた。
背中を向けた場所、見限った人。
バシッと自分の頬を叩いて顔を上げた。
「政治っぽいことは、置いておきます」
心の中での踏ん切りはまだついていない。頭ではわかっていて覚悟は決めたけれど、葛藤はどうしたってすぐには振り払えないのだ。
それでいいと言いたげに数人の大人が頷き、ツカサは改めてラングを見た。
「それで、エレナは? 俺がギルドに呼び出された後、渡り人の街で何が?」
今度の問いかけは止められなかった。
答えを求めてモニカを見遣れば、顔がくしゃりと歪んだ。
「生きてはいる」
ラングは言いながら立ち上がり、顎でツカサを呼んだ。シグレ、カイラス、細身の男はそのまま部屋に留まり、出ていく一行の背を扉が閉まるまで見つめていた。
廊下を歩く中、ツカサは不安に心拍数を上げた。
「生きてはいるってことは、怪我をしてるんだね?」
「そうだ」
「手当ては」
「済んでいる」
「じゃあどうしてあの部屋にいなかったの」
ぴたりと止まって振り返ったラングのマントがツカサの膝を撫でた。
「エレナの離脱を覚悟をしておけ」
ツカサは一瞬言葉の意味が理解できず瞬き、それから理解してハッと呼吸が止まった。ラングが再び歩き出した背中を少しだけ呆然と眺めた後、どうにか一歩を踏み出した。
渡り人の街で何があったのだろう。
モニカはぎゅっと唇を結ぶばかりで話したくない様子で目を合わせない。
宿屋はひっくり返って近くの住居にまで影響があった。渡り人の街の若者たちは襲われた、攫われたと言っていたが、ここにモニカとアーシェティアが居て、かつ騒ぎ立てていないことから助けられたのだろうとツカサでもわかる。
あの対談の日、ラングがエレナはどうしたと問いかけたのは、ツカサの関与を探るためだったのだと気づいた。
回答によってはその場で斬り捨てられただろう。もしそうだとしたら、ツカサはそうしてほしい。
となれば嘘を吐いているのは彼らの方だ。守れなかったよ、などとよくも言ってくれたものだ。
しばらく歩いた先、一つの扉をラングがノックした。
中からはい、と返事があり、ラングだと伝えれば扉が開いた。
出て来たのはこの館のメイドだ。ヘッドドレスの乗った頭を静々と下げてから小声でどうぞ、と促した。
「お休みになられたところです」
「そうか」
部屋は東向きにあり日当たりが良くて暖かかった。
こちらも華美ではなく見ようによってはかなり質素だ。備え付けてあるものの数がツカサの部屋よりも少ない。
テーブルも椅子もソファも一人用、グラスではなく落としても割れないような、木製の食器とマグカップのようなものがある。足元の絨毯は毛足の長い物をわざわざ追加で敷いたのだろう、ふかふかと踵が沈むほどだった。
わざとそうしてあるのだとわかり、首を傾げた。
ツカサが目を覚ましたのが朝、先ほどまで会議室に詰めていたので昼を回る頃か。
天蓋のついたベッドにはレースカーテンが引かれており、ふわふわと揺れている。少しだけ窓が開いていて換気されていた。
ラングは必要以上にベッドには近寄らず、部屋の真ん中で立ち止まった。
「手当ては済んだのだがな、血を失いすぎている」
「外傷は? まだあるなら俺治す…!」
「それは問題ない、この館にも癒し手はいた」
「じゃあどうして」
ラングは無言で揺れるレースカーテンを見ていた。
焦れて近寄ろうとするツカサの腕を掴み、首を振る。
「眠っている顔を見てやるな、それは旦那だけの特権だ」
なんともロマンチックな言い回しに驚いてしまったが、それはエレナへの配慮を思い出させた。
今までの旅路で途中からはずっと同じ部屋だった。時にツカサ一人の時もあったがエレナの寝顔を遠慮なしに見てきていたことに気づく。
恥ずかしくなって視線を泳がせれば腕を解放された。
「出るぞ」
静かで低い声は小声でもツカサの意識を引き戻すには十分だった。
扉の外で待っていたアルもモニカも、アーシェティアも、それぞれが思うところがあるらしく頷きだけで返された。
エレナに何があったのか、モニカたちに何があったのかを知りたかった。
「渡り人の街で何があったの」
後ろで扉が閉まる音を聞きながら尋ねれば、答えではなく質問が返ってきた。
「場所変えよう。ツカサ、体調平気か?」
「大丈夫」
「じゃあ、まぁ、外で飯食いながら」
アルは空腹らしく昼食をメイドに頼み、一同を先導する。
中庭の四阿は木漏れ日の柔らかさで居心地が良さそうだ。テーブルが設置されその上にサンドイッチなどの軽食と飲み物が置かれている。アルが昼食を頼んでそのまま移動をしてきたというのに、いったい何時用意したのか、完璧なセッティングだった。
円を描くように座り、口を開こうとしたがティーカップを指差された。
「まずは一口、淹れてくれた人への礼儀」
渋々といった様子で紅茶を飲めば微かな薫香を感じた。不思議だ、美味しい。
「美味い」
「ありがとうございます」
ラングが言い、メイドが笑みを返す。
そういえばシグレも同じように感想を零し、カイラスから笑みが返されていた。
自分に余裕がないことに気づいた。いつだって見て学べ、考え続けろと言われていたのに、それをするのが何故なのかを一切気にしていなかった。
ツカサはもう一度紅茶を飲み、味わった。これだって誰かが淹れてくれたから飲めるのだ。
「美味しいです」
「よかった」
メイドから笑みを返されてほっとする。今からでも遅くはなかったらしい。
「さて、んじゃ話すか」
チキンのサンドイッチを頬張り、アルが切り出す。
ラングはクッキーを手に取り齧った。モニカはそわそわしていたがクッキーの皿を寄せてやればさくりと齧った。
「渡り人の街で何があったのかは、俺たちも知らない。ただ、すごい音がしたから見に行ったってのがこっちの事情だ」
アルが言う言葉にラングは否定をしない。つまり肯定。
すごい音というのは宿がひっくり返った音か、エレナの魔法の音だろう。
「それで、途中ルフレンとアーシェティア、モニカと合流した。えーっと、話せるか?」
話を振られたモニカはこくりと頷いた。ラングが防音の宝珠を起動したことには驚いていたが、深呼吸して唇を舐めてからぎゅっと引き締めた。
ツカサの手前言い難そうにしながらもモニカは話してくれた。
到底、異性に聞かせられる話ではなかった。
モニカの話を聞いて、ツカサは吐き気を催してトイレを借りた。水洗であったことは救いだった。
思ったよりも自分が潔癖で世間知らずであることに慄いた。
いや、元の住んで居た場所や環境、年齢を思えばこそ、そんな話はツカサにとってフィクションの中の物なのだ。
ツカサの知らない世界の話なのだ。
だがここではそれが現実で起こり得る。よくよく考えてみればモニカもアズリア王都でそういう目に遭いかけていた。この世界ではない話ではないのだ。
だとしても、同じ場所から来たはずの人々がやったとなれば話は別だ。
肉を求めて人の馬を殺そうとし、ついでとばかりに女を犯そうとする。抵抗した女を嬲り傷めつけ、失明までさせてなお人質にしようとした。
――― そんな奴らと同じ血が流れているのが嫌で嫌で仕方なかった。
「うあああああああああぁ!」
叫んだのと短剣を振り上げたのは同時だった。
ガッ、と腕を掴まれ捻り上げられた。まさかトイレに誰か入ってくるとは思わなかったが、そこはラングだ。有事とプライベートならば前者が優先される。
「こんなことだろうと思ったぞ。落ち着け」
「お、おちつ、落ちつける訳ないだろ! 俺っは、違う! 違う!」
「わかっている」
「わかってない! エレナや、モニカとアーシェティアにしようとしたことだけじゃない! なんであんなことが出来るんだ! 父さんと一緒にいた女の人も! そのほかの人も、どうして!」
「あんなこととはなんだ」
「それは…その…!」
「要領を得ん、なんだ」
胸倉を掴んで立たせられる。ラングの顔が近くに来た。
正直やめてほしかった。ほんの少し前まで昼に食べたものを全て吐いていたのだ。自分でも胃液の言いようのない臭いを感じている。そんなことを冷静に考えてしまうことに失笑が浮かんだ。
「ついてこい」
胸倉を離され踵を返すラングの後を足枷をかけられた罪人の気持ちで付いていく。
行き先は先ほどの四阿。
モニカはツカサを見ると駆け寄ってきたが、手で制した。
「ごめん、ちょっと、吐いてきたから」
「あぁ、嫌な気持ちになるよね、お水もらおう?」
「うん、一口」
メイドの一人が柑橘水を淹れてくれて礼を言いグラスを飲み干した。胸がぐぷりと音を立ててもう一度出しそうになったが飲み込んだ。
ツカサの気分転換をラングは待っていてくれたらしい。座り直してメイドに手を軽く上げて下がってもらった。
それから防音の宝珠を起動して手を組んだ。
「モニカは話した。お前も話せ」
気が重い。けれど、確かにモニカは話した。
扉を無理矢理開けられたこと、その際、エレナの左目に破片が刺さり、血が流れたこと。アーシェティアとエレナに守られて逃げ出したが、もし捕まっていたら犯されどうなっていたかわからないこと。
逃亡途中でラングとアルと合流し、どうにか逃げ切ったこと。
ツカサは思い出し、暫く言い淀んだ。
少しだけ時間がかかったが意を決して冒険者ギルドであったことを話した。
父の現在の妻が話したいことがあると宿を尋ねてきて、冒険者ギルドに連れて行かれたこと。
その先で待っていた渡り人の街のお偉方にイーグリスを潰すために力を貸せと言われ、断ったこと。
アルはほっと胸をなでおろしてツカサをぐしゃりと撫でた。
イーグリスに話せる人の当てがあるから、とりなすことが出来ると伝えた時に、轟音が響いたので駆けつけたこと。
宿はひっくり返り三人の姿はどこにもなく、魔力の痕跡を辿った先で襲われた、攫われた、守れなくてすまないと言われたこと。
モニカはぷんぷん怒ってクッキーを齧り、アーシェティアは戦斧を吊るしたホルダーをギチリと音を立てて握り締め、アルはどうしようもないな、と悪態を吐いた。
ラングは顎を上げて続けるよう示した。ツカサは唇が渇くのを感じながら次を話した。
対話をしようという手紙が届き、イーグリスに当てがあるなら前に立て、有利を勝ち取れ。それが出来なければ実父がどうなるかわかるかと脅されたこと。
それから。
「純血を殺すのは惜しい、って」
それ以上、ツカサには何も言えなかった。
しばらく沈黙が降りた。それを破ったのはアルだ。
「純血、っていうのは?」
「地球、俺の元の世界の純血って意味だと思う。それも、向こうの…それぞれの国の、っていう意味で」
縛り上げられて床に放られた夫を、妻があんな顔で見ているだろうか。
思い出してぶるりと震えた。
アルは難しそうな顔で腕を組んだ。
「何故そんなことをしなくてはならないのだろうな」
ラングが疑問を呈した。
「何故、って。それは、ここで生きる、から?」
「だとするならば、別にこの世界の者と添い遂げてもいいだろう? エレナの夫然り、…お前もだ」
シールドこそ動かないがわかりやすい視線移動を感じる。
ツカサの隣に寄り添うモニカを指し、ツカサはそれを追って少女を見た。そうだ、この柔らかで強い子と一緒に居たいとツカサは思ったのだ。
「何故、お前の故郷、お前の故郷の国の者同士でなければならないのか、だ」
「何故だろう」
「部族単位で少ない人種なのか?」
「いや、それはない、どこも億は超えてるよ」
「ふむ」
全員で考え込んだ。単純に考えるなら種の保存だが、何故そうしなくてはならないのかだ。
さわさわと木々が揺れ冷たい風が吹く。置いてあったブランケットをモニカの肩にかけてやればありがとうと言われた。
「エレナが言っていた。この世界に来た【渡り人】は、エレナが知る限り、帰ったことはないそうだ。こちらで生活基盤が出来ていたり、そもそも向こうに帰りたがらなかったりでな」
「あぁ、うん、ちょっとわかるよ。この力はここに来たからこそ得られたものだから。人によっては手放したくないと思う」
「お前はどうだ?」
「どうだろ、お金は持って帰りたいけど、元の世界じゃどんな目で見られるか」
こちらに来たばかりで力を得ていたなら、故郷でも無双を考えただろう。バトル漫画のように異能を得て国や世界の命運や権力を握ったり、そんなことももしかしたらあったかもしれない。
けれど、ラングやエレナ、アルと旅をしたことで、ツカサは力を持つことの恐怖と責任を知った。人も殺した。
生きるのに金があれば余裕が出来ることは知ったので、持ち帰れるなら力より金が良い。
「考え方を変えてみるか」
「どう変えるの?」
「帰らないのではない、帰れないのではないか?」
ツカサはヒュッと息を飲んだ。
ふと思い出した、ジュマのダンジョンで邂逅した神が言った一言。
――― 無理だ。
言葉の真実をいまさらきちんと理解したような気がした。
震える手でこの世界の貨幣を出して【変換】を使った。久方ぶりの声が響く。
――変換を発動します。物質に対して変換を行いましたが変換が出来ませんでした。
「なんで」
――変換を発動します。物質に対して変換を行いましたが変換が出来ませんでした。
「どうして!」
――変換を発動します。物質に対して変換を行いましたが変換が出来ませんでした。
「出来ない、俺の世界の貨幣に変わらない」
「帰れない可能性はありそうだな。だが、何故奴らはそれを知っているのか」
ラングは容赦なく言い、顎を撫でた。
もう帰れないのだと思うとホームシックな気持ちになりかけるが、それはスゥっと消えていく。
「でも、セルクスと話してたんだけど、あの人、探せば方法はあるだろうとも言ってたんだ」
「いつ話した」
「ジュマの初対面、ロナが死にかけて、戻る直前」
ラングは顎を撫でてふむと息を吐いた。
「話を聞きたいものだが、どう会ったものか」
「探す方法について、示唆するのは権限に無いって断られたよ」
「使えない神だ」
「おいおい、やめろって、神様なんだろ? どこで聞いてるかわかんないぞ」
アルが少しだけ慌てて唇に指を当てた。その様子に少しだけ笑った。
「大丈夫だよ、良い人だから、ラングの悪態くらいじゃ怒らないと思う」
「俺は会ったことないからびびるの」
「そうだね」
頷いて、それ以上の文句はやめておいた。
ふと、思い出した。
「ねぇ、前にアルが言ってた理の神様からの償いってなんだろう」
「あぁ、あれか、どっかの街で話したやつ」
「シグレさんに聞けばわかるかな」
「わかると思う、けど。ちょっと今はタイミングが悪い」
アルは腕を組み直して唸った。
「渡り人の街のことがあるから、落ち着くまでは」
先ほどは話す時間があったというのに、次はだめなのかと思い首を傾げた。
「お前はアルのパーティメンバーで私の弟だ。初対面の礼儀と誠意を見せてくれただけだ。あいつはここの領主だ」
「そうか、いろいろ忙しいんだ」
「悪いな」
気づいたように声を上げるツカサにアルは苦笑を浮かべた。
弟と少し話したりするのと、客人と話すのとはやはり違うのだ。
そして思い至る、先ほどエレナのことを問い詰めて止められたのは、それこそシグレの時間を奪っていたからだ。ラングやアルはエレナの状態を知っていればこそのことだが、せめて生きているくらいは先に教えてほしかった。
「常なら別にいいんだけどな、ちょっといいかって顔出せば。でも、今は本当にタイミングが悪いんだ」
「軍が来るからな」
「それは、さっき話してたやつ?」
「そう、だから、ツカサ、エレナを故郷に連れてってやったらどうか、って、ラングと話してたんだ」
「本人に聞かねばうるさいことを言われるがな」
どういうことかと思わずモニカを見た。
「エレナさん、ほら、左目がその、見えなくなっちゃってるから、お体もかなり痛めつけられてたし。療養に故郷に帰るのがいいんじゃないかって。…もう危ない目に遭わせたくないし…」
それもそうだ。まだ顔を見られていないが肉体的な怪我は治っても、精神的な痛みはなかなか治らないものだ。
ツカサは腕を組んで返した。
「でも、たぶんエレナは戻るとしても最後を見届けてから戻るって言うと思う。特に、あんな目に遭ったからこそ」
それはここまで誰よりも長く道を共にしたからこそ思うことだ。
「ならば、エレナには問うがそのつもりでいよう」
ラングは頷いてそう言った。ツカサとエレナの旅路の絆を感じ取ってそれだけで終わらせてくれた。
防音の宝珠が切られた。
「アル、シグレに時間を貰えるように打診だけはしておいてくれ。都合は合わせるので無理をするなとも」
「わかった」
「それはそうと、ツカサ」
「なに?」
名を呼ばれてラングを見れば、こてりと首を傾げられた。
「不可抗力で名を知ってしまったが、嫁の紹介はしないのか」
顔から火が出そうになるほど真っ赤になったのが自分でもわかった。
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