3-26:追い詰められた人々 2
本日三話目です。
あの日、ラングは曖昧な答えの手紙を受け取り、すぐさまカイラスに声を掛けた。
ラングが滞在を始めてから声を掛けられたのは紫壁のダンジョンの情報に関わることのみで、それ以外に指名されたことはなかった。カイラスは少しだけ嬉しそうにラングの部屋を訪ね、美しいお辞儀をした。ラングはそれを悠然と受けてシールドをそちらへ向けた。
「如何いたしました?」
「腕の良い職人を紹介してくれ」
「承知しました、どのような御入用でしょう?」
さっとメモを取り出して笑みを浮かべた。
ラングはいくつかの素材を机に出してみせた。煌めく宝石のような鱗は赤と青の二種類、獣の毛皮をどさりと並べられてカイラスは用途を尋ねるようにラングを見遣った。
「鱗は籠手として装備が出来るよう、小盾か何かを造ってほしい。こちらの毛皮は炎耐性のある魔獣の毛皮だ。どれも性能を落とさず、かつ、動きやすい物に誂えてほしい」
ふむ、とカイラスはそれらを隠し持ったアイテムバッグに仕舞うと、失礼、と言いしゅるりと紐を取り出した。
ラングの腕の長さ、手首回り、肩幅、背中から足までを測る。大人しく測られ、終わればマントを整えた。
カイラスは自信満々に胸に手を当て宣言した。
「四日、いただければ」
「頼んだ」
「かしこまりました」
改めてラングに礼をし、部屋を辞した。手配のために廊下を進みいくつかの角を曲がり外へ出て、声が届かない距離に行ってから呟いた。
「さて、何のためのご用意なのか」
曇天を見上げ、ふぅと吹いた息はまだ微かに白かった。
――― あれから魔力の残滓を他にもないかと探し回ったが、エレナも、モニカも、アーシェティアも、それどころかルフレンすら見つからなかった。
嵐と化した天気は捜索の行く手を阻み、ツカサは冒険者ギルドで座り込んで水たまりを作っていた。窓を叩きつける風の音があまりにもうるさい。
胡乱な雰囲気のツカサに声をかける人はいない。冒険者ギルドではジェームズを始め市議会の中枢メンバーが会議に入っているらしい。
探し回って見つけられず一先ず戻った冒険者ギルドで、怪我をした者たちが口々に襲われたのだと言ったのを聞いた。
見知らぬ男が現れて水が襲い掛かってきて、とわぁわぁ喚き散らしたらしい。
エレナは、モニカは、アーシェティアは、ルフレンは、と問えば、少女と斧の女は馬と逃げ、ババァは応戦していた、と目撃証言を得た。エレナのことをババァ呼ばわりした男は乱暴にベッドに放り投げておいた。
エレナが戦う相手とは、いったい誰なのか。みんなどこへ行ったのか。
ツカサは逃げた方角からしてイーグリスへ向かったのではないかとあたりをつけていた。エレナは早々にイーグリスに行きたいと言っていたし、ここであったトラブルなら東側に行った方が安全だろう。
とにかく何があったのか知りたかった。いくら情報を集めようにも目撃者は前述のとおり、家々に籠っていた人々は雨がすごくて見えなかったという。
危険だと止められたが、やはり直接イーグリスへ向かって話を聞いた方が早い気がした。
ゆらっと立ち上がれば見ていた人がびくっとした。
「ツカサくん」
出口へと足を向けようとしたツカサを呼び止めたのはジェームズだ。上階で会議していたメンツが揃ってツカサを見ていた。
「出ていく」
「気持ちはわかるが落ち着け」
いったいなんの気持ちがわかるというのか。
「東側から書状が届いた」
言いたいことがわからずに眉を顰め、面倒くさそうな顔をしてしまったと思う。意に介していない様子でジェームズは階段を降りて来て手にした紙を差し出してきた。
「東側は明日、対話の場を設けたいと言ってきた。それからこれを君に」
「俺に?」
紙を受け取り表と裏を見る。何も記載がなかったので中を開いた。
どこかで見た文字だ。日本語でも英語でも公用語でもない、けれど知っている文字。
そう、これはラングのノートで見た文字だ。【変換】を使った。
言ったはずだ、立つ位置を誤るなと。
――― 処刑人
ゾァッと悪寒が走った。全身から汗が噴き出て膝が震える。
血の気が引いて体中の体温が床まで落ちていくような感覚を覚えた。ぐらぐらと体が揺れて倒れかけ、千鳥足でみっともないダンスを踊った。
「おい、大丈夫か?」
野太いジェームズの声が遠くで反響していた。
処刑人
処刑人
処刑人!
ラングが自身の名前ではなく肩書で送ってきた手紙を、死刑宣告が書かれている通告書のように恭しく持った。
わざわざ釘を刺されたというのに言うことをきかなかったせいか、それとも。
そもそも、何故渡り人の街にいることを知っているのか。
どうして今ここにいることがわかったのか。
何故今このタイミングで手紙を届けたのか。
対話を要求したのは誰なのか、ラングは便乗か、言い出したのがラングなのか。
ツカサは腕を伸ばしてくるジェームズたちを無様に振り払い、震える手でもう一度手紙を開いた。
明らかにこちらに対しての敵意を感じた。その理由がわからない、言うことをきかなかったことでラングがここまで言うだろうか。
冷静であれ、それが強みになる。
そう言ってツカサの腕を捻り上げたような人だ。
ふ、と顔を上げた。
もしかして、エレナ達を連れていったのはラングなのではないか。
ジェームズたちの垣根を押し退けて隣室で手当てを受けてなお呻き続ける男たちのところへ駆け込んで布団を引き剥がした。
「なぁ! その、襲撃者って黒い仮面とか、深緑色のマントとかしてた!? もしくは黒髪で、槍使ってた!?」
「え…、いや、よく見えなかったけど、そんな奇妙な格好はしてなかったぞ」
違うのか?
もしもラングだとしたらエレナたちは確実に無事だ。答えはわからないが一縷の望みに懸けるしかない。
ジェームズのところへ戻り太い肩を正面から掴んだ。
「向こうからの手紙、対話って、どういう内容で来てる!?」
「これだ」
怪訝そうにしながらも横から差し出されて中身に目を通す。
これが最後の機会だと思ってほしい。
明日、九時にイーグリスの西門を開き対話を行なおう。
たったそれだけの文章だったがイーグリスの本気が窺い知れた。ツカサにはまだ実感がないが、マーレイで戦争なのだと書かれていた文字を思い出した。
「君は向こうに話を聞いてくれる人がいると言ったな」
「あぁ」
「君に出てほしい」
一瞬、悩んだ。向こうにラングがいれば会うのが早い、けれど、先ほどの通告書がじくじくと胸を病ませる。
即答をしないツカサに対し、ジェームズが手を振れば床に父が放られた。
「何の真似だ」
「どうあっても前に出て話をし、そして我々の有利を勝ち取ってもらう」
ガチャ、と父に武器が向けられ、僅かな狼狽を見せる。
姿が見えないと思っていたら、どうやら父はツカサに対する人質として捉えられていたらしい。ここまでやる必要があるのか、ツカサは拳を握りしめた。
父は周囲の仲間を見渡して、微かな声でツカサを呼んだ。
「随分じゃないか、同胞なんじゃないのか」
「同胞だとも、君もそうだ。だが我々はここで生きるしかない、生きると決めた。だからこそ負ける訳には行かない」
「勝ち負け? 手を取り合えばいいだろ。そうしたらこんな面倒なことには」
「バカなことを言うな」
ジェームズの高圧的な声に視線を戻してやった。
苛立ちと憎しみと、憎悪が混じった赤ら顔で鼻を膨らませて睨んでくる顔が鬼気迫るものを感じさせた。
「この世界に先に来た馬鹿な同胞が技術を安売りしたせいで、俺たちは体の良い奴隷だ。技術の権利を要求することも出来ず、奪われるだけの存在になってしまっている。一歩進んだことをやろうとすれば横槍が入り、邪魔をされ、俺たちこそが技術の、文明の基なのだと証明することも許されない!」
そうだ、と誰かが叫んだ。
「周りを見てみろ! ダンジョンは俺たちの故郷の食材を出す、生活に必要な物を出す! 建築技術を見てみろ! 東側の奴らが使うのは、俺たちが持っていたものだ! 奪われたものだ!」
奪わせるな、と誰かが叫んだ。
「俺たちが、俺たちの物を取り返そうとして何が悪い! 手を取り合うなどあり得ない!」
うおぉ、と皆が拳を天に上げ、叫んだ。
その熱気に、感情に、ツカサはただ困惑してそれを見渡した。
まだ学生の身分でここに来たツカサには思いもよらない視点だった。
学生だからこそ、身に着けた技術や知識はたかが知れている。けれど、技術を持つ人々はこのファンタジーの光景が広がる場所で、自身の技術が使われていることに混乱したのだろう。
それは氷山の一角で、さらなる技術を求められた側が搾取に感じたこともきっかけなのだと思えた。
生きるために、必要だったのだろうか。
ツカサはラノベ小説しかなかった。生きるためにどうすればいいかを知らず、それを教えてもらってここまで来た。
もちろん、今ここで怒号を上げている人々も生きるために手段を模索してきただろう。
そして、奪われているのだと思い至った、理解した。
アルから二百年前のことを聞いていなければ、ツカサも同調していただろう。
ゴツ、と何かが殴られる音で我に返った。
見れば父が銃身で殴られて呻いていた。
「おい! 何するんだ!」
「東側にこれ以上の勝手をさせないように話せ」
「ただの大学生くらいの若い俺に、何が出来るって言うんだよ!」
「向こうにコネクションがあると言ったのはお前だ」
顎の下に冷たい物が当てられた。それが銃だとわからないほど無知ではない。
初めて銃を向けられた割には冷静だったが、喉がごくりと鳴ってしまった。
「失敗をすれば、その時は」
妻を、息子を忘れて生きようとしていた男をちらりと見遣る。
懇願するように血走った目とかち合い、瞑目した。
「…期待は、しないでくれ。知り合いが出てくるか、わからない」
「いいだろう」
す、と銃が離れて思わず喉を撫でた。
「我々とて大事な地球の純血を殺すのは惜しい」
その発言はツカサの視線を父に、そして離れたところで見守っていたその妻に走らせた。
父は寂しさと不安に耐えられなかったのだろうが、女の方は無表情でいたことから理由が察せられた。
「…気持ち悪い」
誰にも聞こえないように呟いて、ツカサはまたギルドの椅子に座り込んだ。
――― 台風一過とはよく言ったもので、日の出頃には空は晴れ渡っていた。
どんよりとした空気を全て洗い流したかのような台風は跡形もなく消え、雨上がりの土臭い匂いと不思議なほど爽やかな風が吹き渡っていた。
結局冒険者ギルドから出ることも出来ず、昨日のまま身支度も出来ていない体が少し臭う気がした。冷たい風がそれを飛ばしてくれること祈った。
東側の門は年代を感じさせるものの立派だった。
これが東西を今も分けているのだからたった一枚の門の重さを感じてしまう。こちら側から見ると傷も多くついており、それが開けるためか嫌がらせかはわからなかった。
懐中時計を開く。もうそろそろ九時になる。
門の向こう側にも人の気配を感じ、前に立たされたツカサは深呼吸をした。
背後にはジェームズを始め渡り人の街の人々が、冒険者が所狭しと並んでいる。最前列に出された父は後ろ手に縛られたまま、今も仲間からの扱いに理解が追いついていないようだった。
「なぁ、息子を前に出してどうするつもりなんだ、話は市議会のメンバーですればいいだろう?」
なぁ、と掛ける言葉に返事をする者はいないが、その訴えは少しだけツカサを救った。
懐中時計が九時を指した。
ゴトン、ガラガラ、と鎖が動く音がして門の閂が外されたことがわかる。
重たい音を立てながら門が開き、その向こう側が見える。
渡り人の街とよく似た建造物を背に負い、武装した騎士団が剣盾を縦に構え整列を成し、その前にコアトルに乗った男がいる。
遠目だがなんとなくアルに似て見えて、それが兄シグレ・エフェールムだと気づく。
あの人が迷宮崩壊を主導したのかと思うと、複雑な心境だ。
背中を小突かれて不愉快に思いながらも前に進む。
近づけばアルをもっと更けさせた、けれど静かな瞳を湛えた男性がよく見える。
ふ、と小さく笑みを浮かべてくれたような気がした。
シグレ側からの歩み寄りはない。
代わりに、コアトルの馬首を変えて横にずれた。
ザッ、と音がして騎士団が道を作る。その光景がかっこよくて思わず足が止まり、感嘆の息が零れた。
上に持ち上げた剣盾を胸の前でガシャリと構える。それが手前から奥まで続いていき、向こう側から悠々と歩いてくる人物に呆気にとられた。
艶やかな銀朱色のマントはいつもとは違い肩で留められ、双剣はなく代わりにロングソードが吊るされている。
両腕に小手がついているのも珍しい。
頭のフードも銀朱で整えられて変わらないのは黒いシールドだけだ。
嬉しくなった。居てくれた。こういう時に姿を見せてくれるあの人に涙が浮かんだ。
駆け寄って喜びを伝えようとした。
「ラン…!」
すら、っと。剣が抜かれた。
びくりと震えて足が止まる。
空に向かって掲げられた美しい赤い宝石のような剣が、次の瞬間真っ直ぐに振り下ろされて切っ先がツカサを向いた。
「ラング、何を」
一寸の隙もない立ち姿はいつものまま、【鑑定眼】を使えば全てが【鑑定阻害】を表示されていた。
それは初対面、サイダルでツカサが知れなかったラングの姿そのものだ。
「剣を抜け」
静かだが強い意志の声。ずっと聞きたかった声が冷たく掛けられた。
「ラング、話を聞いて」
「構えろ」
「俺」
「構えろ!」
ラングから怒声をかけられたのは初めてと言っていい。
ツカサに向いていた切っ先は剣を手に馴染ませるために軽く振り下ろされ、それはそのまま構えになった。
「剣を構えろ。お前の覚悟を見せてみろ」
何度も顔を振った、嫌だと駄々をこねる様に後ずさった。
ラングはそれ以上何も言わず、ただツカサが構えるのを待った。
徐々に苛立ちが湧いた。実は、と話したいことがたくさんあるのに突然剣を向けてくる態度に困惑が通り過ぎて腹が立った。
勝ってやる。
ショートソードと短剣を構えた。
ラングはわかりやすく顎を上げてツカサを見下すと、ロングソードを構えていない方の手を前に差し出し、指を折り曲げて挑発をいれた。
「かかってこい、お前の立場をわからせてやる」
「ぅ…」
握り締めた柄がぎちりと音を立てた。
食い縛った歯をどうにか開いて怒りに胸を震わせながら息を吸った。
「うわぁああ!」
ツカサは地面を蹴ってラングに剣を向けた。
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